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 8月21日久留島元  8月31日
 8月28日谷さやん  9月 7日
 9月 4日星野早苗  9月14日

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2016年6月29日

中居由美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 梅雨の真っ只中です。長雨が続くとうんざりしますが、こればかりはどうしようもありません。人の暮らし、植物や小動物には、とても重要な雨なのです。
 ここ数年来、梅干し、梅酒等の「梅仕事」にチャレンジしています。母が作っていたものを思い出しながらの自己流ですが、どの工程も面白く興味深く感じています。梅雨に寄り添って生きてきた先人の知恵には驚くばかりです。

【十句選】

みずいろにチャンネル合わす蝸牛   高木じゅん
 蝸牛がとてもユーモラス。あちこちでチャンネルを合わせている蝸牛を想像すると楽しくなる。みずいろの使い方が巧みだと思う。

短夜やまた何方か揺れてをり   二百年
 いろいろな読みが可能だ。地震と読むと緊迫感が増す。夢の続きと読むと不思議な感覚の句になってくる。その幅がこの句の魅力となっている。

夕焼けの焼けてはいないとこ探す   倫敦
 夕焼けの美しさを愛でないで、焼けてないところを探すのは俳人の性(さが)だろうか。発想が面白い。「焼けてないとこ」という表現を良しとするか悩ましいところ。

父の日の鏡の中に父の顔   たいぞう
 父の顔とは、父たる己か、己の父親か・・・。いずれにしても、お疲れ気味のお父さん像が浮かんでくる。「母の日」と比べるとやや影の薄い「父の日」の有り様が切ない。

唄ひつつ人魚のやうに髪洗ふ   紅緒
 髪を洗うのが面倒と思う日がある。ロングヘアーだとなおさらだ。しかし、この句では、ずいぶん楽しそうに髪を洗っている。まるで「ローレライ」のように。人魚と俳句の出会いが新鮮だと思う。

草野球ベンチの下に蚊遣焚く   眞人
 情景がはっきり見える句。大きな光景から小さな光景へと焦点が絞られていく。蚊遣の煙の匂いや、草の匂いまでたちどころに蘇る。

胸広く開けて老いけりところてん   みなと
 胸を大きく開くというのは、度量の大きさのことだろうか。以前、オノヨーコが来日した際にテレビ出演していたが、胸の大きく開いたシャツをかっこよく着ていたのが印象的だった。名実とも「胸広く」老いていた。「ところてん」という季語が効いている。

行水のあと花茣蓙へ星空へ   ∞
 行水の気持ち良さが、花茣蓙、星空へと広がる。おおらかな空間の広がりが心地よい句。色彩豊かな夏ならではの光景だ。

雨を得て翔び立つ構え合歓の花   瀬紀
 今まさに合歓の花盛り。繊細な花が、細やかな雨に濡れている姿はとても美しい。合歓の花が空を飛んでも不思議ではないと妙に納得させられる。

短夜の鉱石ラジオキットかな   紫
 子どもの頃、兄がラジオ作りに夢中になっていたことを思い出した。完成したラジオは雑音だらけの代物だったが、誇らしげな兄の顔を今もはっきりと覚えている。ラジオと短夜の取り合わせが瑞々しい。

【その他の佳作】

行き交える人無くなりぬサングラス   酒井とも
こまったもんだ鯰にひげはあるものの   ∞
続編は涼やかであれ定家葛   瀬紀
解体の跡に紫陽花咲き残る   利恵
前掛けに曲がり胡瓜の五、六本   瑠璃



2016年6月22日

内野聖子ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 先日、俳句甲子園の地方予選に審査員として参加させていただきました。高校生が俳句についてよく学んでいることに驚き、さらに若者言葉をさらりと句に詠み込む斬新さにとても刺激を受けました。
 また、参加経験者が高校卒業後もボランティアスタッフとして参加し、生き生きと活動している姿を見ることができましたが、こうやって若い世代に俳句が根付いていくのはとても素晴らしいことだと思います。

【十句選】

スクリーン裏へ回れば夏野原   伊藤五六歩
 この場合の「夏野原」はイメージとしても読めるし、本当に草原で上映しているともとれますね。どちらにしても爽やかな夏の草原が目に浮かびます。

今年竹親竹よりも太々と   まゆみ
 実際今年の竹の方が大きいのかも知れないし、もしかしたら大きさは変わらないのかも知れませんが、「太々と」が力強くていいですね。生命力を感じさせます。

かたつぶり妻の一日一万歩   たいぞう
 蝸牛のゆっくりした歩みと妻の歩く速さの対比が面白いと思いました。

脇腹の第五肋骨柿若葉   幸久
 脇腹が痛むのでしょうか。その痛みに耐えているとき、瑞々しい柿若葉がまぶしいくらいに目に飛び込んできたのかもしれません。…という解釈もできますが、何よりも見えていない「骨」を詠もうとする姿勢がいいですね。

サングラス三回クラス替えられて   さわいかの
 言葉遊び風の句ですね。「グラス」と「クラス」、「サン」と「三」、といった音で句を構成しているのは面白いと思います。ただ、「サングラス」と「クラス」は読み手が場面をイメージしにくいのが惜しいかも。

手を上げたものの梅雨入りはしたものの   ∞
 勢い込んで手をあげてはみたものの何だか思うようにいかないのが、梅雨入りしたけれど雨が降らない状況と似ているのでしょう。「梅雨入りは」の「は」は、無い方がリズムがいいと思います。

田植え機の田圃にぽつり昼休み   眞人
 田植えシーズンの昼休憩の光景が一瞬にして浮かびました。人のいない田圃に田植え機だけが取り残されたように置かれている。さっきまで大活躍していたのに。少し寂しい光景でもありますね。

虹の根の黄をもたされて髪乾く   紫
 虹を構成している色の中で、根元にある黄色を手に入れたのでしょうか。やや情景がわかりにくいところもありますが、ファンタジーのようで惹かれました。

夏雲や連れの一人は雨女   草子
 夏の雲は入道雲や夕立雲など変化が多いものですよね。多分旅先でしょう。一緒に行動している友達は雨女なんだと気づいた時に急に天気が心配になったんでしょうね。非日常だと「雨女」という根拠のないものでもすんなり受け入れてしまうので不思議ですね。

恐竜の子孫飛び立つ新緑蔭   紅緒
 「恐竜の子孫」はきっと鳥のことですね。鳥の種類で詠むより、ずっと想像が広がって楽しいです。もしかしたら「鳥」ではないかも知れませんし。新緑の蔭から飛び立っていくというのも眩しくて素敵です。

【ひとこと】

半ズボンが広尾の坂を駆けのぼる   二百年
 このままだと文になっているので、「半ズボンが」の「が」を外されてはいかがでしょうか。

残生は加速の兆し蝉の穴   みさ
 「蝉の穴」を季語として使うことについてのお尋ねがありましたが、私は良いと思います。「淋しさを感じる季語」をお使いになりたいとのことでしたが、「竹落葉」などですともっと淋しくなると思います。むしろ反対に生命力のある季語を持ってこられても面白いのではないでしょうか。

鼻歌でロッキーのとき鉄線花   まどん
 「夕焼」だとありきたりな気がして「鉄線花」に決められたそうですが、私は夕焼けの方がスケールが大きくていいと思いました。「夕焼雲」や「大夕焼」なんかだと収まりもいいですね。


2016年6月15日

山本たくやドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 今年も船団初夏の集いお疲れ様でした。毎年この時期は職場の体育祭と日程が重なり、ここ近年は参加できていません。今年はいかがだったでしょうか。皆さんが俳句で盛り上がっていたころ、私は生徒と一緒にパンツ一枚でジンギスカンを踊っていました。
 それでは今週の十句選です。

【十句選】

花嫁の憂いぽっかり蓮ひらく   加納綾子
 「憂い」に対する表現を「ぽっかり」とした所にユーモアがあります。

あるだけのグラスを磨く立夏かな   山下添子
 「立夏」の清々しい感じと「グラスを磨く」という透明感の取り合わせが良いです。

グレーな日の私でんでん虫の渦   せいち
 「グレーな日」とは聞きなれない言葉ですが、その悩み具合は「でんでん虫の渦」でよく表現されています。字余りなのも良いですね。

由緒ある短足家系更衣   ポンタロウ
 そろそろ衣更えの季節。ふと出した半ズボンを見ると、自分が短足だと気づかされる。自分だけではなく、家族のズボンを見てもそう思う。「由緒」とした所が、大袈裟で面白いですね。

夏蝶の出会へばすぐにもつれあふ   眞人
 ひと夏の思い出、といったところでしょうか。今年の夏が楽しみですね。

ほとんどの疑問は無駄よ蝉の声   幸久
 延々と蝉に説法を受けている感じが面白い。

プチトマト猫には甘い父であり   中 十七波
 猫も父に甘いのでしょう。男は甘やかしていけません。でも、時々は許して。

たつぷりとした口で嘘サングラス   中 十七波
 「たつぷりと」が何ともセクシー。

溶け合へぬ思ひのあはひ蛍舞ふ   戯心
 全体的に幻想的で、純粋な恋愛模様を彷彿とさせます。

口だけが笑つて来たりサングラス   草子
 言われてみればそうかもといった感じがしました。タモリの顔がすぐに思い浮かびました。


2016年6月8日

えなみしんさドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 横浜に国吉康雄という人の絵を見に行ってきました。この人は貧しい車夫の家に生まれ、16才の時、人減らしでアメリカに移民させられます(しかも、ひとりで)。最下層の仕事をして、夜学で学んで、絵を学び、戦争中は敵性外国人となりながら、絵描きとしても成功を収めます。
 興味深いのは、ダレの絵にも似てないのです(セザンヌの影響を受けたと本人は言ってますが)。自分の感覚や方法で作ると、こうなるんだな?と思いました。別に俳句に置き換えて考えているわけじゃないですけど(笑)。今月は、143句から。

【十句選】

桜貝あふれて軽し紙コップ   中 十七波
 桜貝の軽さをこう表現した。というか、たまたま土産屋に、こういうモノがあったのかも。「あふれて重し」となるわけだから、意外な「軽し」がいい。創作なら「紙」も効いてる。

Tシャツに二つあります非常口   紅緒
 いつも見ているものでも、見方を変えると句になるんだな?という句です。「非常口」がハッとする。口語も効果的。

じっとしていられない質(たち)夏帽子   紅緒
 この「夏帽子」は、衣装や持ち物で人を置き換えるやり方。他にも「白日傘」「秋扇」「白靴」とかいろいろあります。この句では、「じっとしていられない質」が巧みで、夏帽子を取ってたちあがろうとしている景が見えました。

ばあさんの遺産を狙ふ花は葉に   幸久
 遺産を狙っているわけですから、こういうのは俳句的でないシチュエーションのはずですが、ばあさんという親しみをこめたいい方、「花は葉に」の時間の動きがある詩的な表現で、私小説のようだな?と、心に残りました。

B型の乙女座といふ初鰹   幸久
 下5で、突然俳句になりますよね?。それまでは、面白くもなんともないワケですから。一緒に食べた相手が「B型の乙女座」という事なんだろうけど、カツオが「B型の乙女座」と思えるのが、日本語の妙。この俳句の作り方、いろいろ考えてみたいと思いました(ありがとうございます)。

ふふふっとじらして下がるとき和金   ∞
 和金の尻尾がひらひらとしながら、頭を向こうに向けて去っている景がうかんで面白かったです。この句は、金魚そのものを詠んだのではなく、ある人の仕草の例えなんでしょうね。「とき」ですから。金魚そのものにした方が面白いのでは。

雲の峰地球を測りに来た男   ∞
 測量士を「地球を測りに来た男」と言ってるわけで、類想はあるかな?と思いました。ただ、「雲の峰」が「地球を測りに来た男」なんだとも読める所が面白く感じるところです。

にせあかしあ4人で笑う記念写真   あざみ
 4人で記念撮影してるだけなんですけどね、「4人で笑う」をイミシンしてるのは、季語に配された「にせ」です。普通はこれを抜かして「あかしあ」で使うのですが、逆手にとりましたね?。また「明かす」の語感もあるから、より4人がイミシンになるわけです〜。

鎌倉をふたりで歩く夏らしく   あざみ
 何でもない句ですが、いいですね?。まず、鎌倉、地名が効いてます。下5の「夏らしく」の季語がゼツミョーです。つい歳時記にでてる「夏はじめ」とか「夏に入る」とかしてしまうと全滅の句です。やはり、頭はやわらかくして〜。

楊貴妃と名のつく薔薇も萎れけり   スカーレット
 薔薇にはスター、貴婦人、貴族、聖人、など、すごい名前がついていて、それを詠み込んだ句がたくさんあります。が、この句のように、滅して終わらす句は(わたしは)初めてみました。

【次点と気になった句 】

夜の蝉火を放ちたる安土城   伊藤五六歩
 魅力的な題材だとと思ったったのですが。「夜の蝉」と「火を放ちたる安土城」のカンケイがあいまいなように思えました。たとえば「夜の蝉へ」などもあるのか。「火を放ちたる安土城」も、安土城から火を放ったのか、安土城が火を噴いたのかがあいまいに思いました。

片蔭を拾ひ医院へ向ひけり   太郎
 「拾い」が、片陰を点々としながらという表現になっていてうまいなと思いました。次点でした。たぶん医院がつまらない。そこからの風景が見えない。同じ病院でも「耳鼻科」とか「婦人科」にすれば、少しはイメージが広がるみたいな事です。

地下鉄が地上を走る若葉風   たいぞう
 ありそうな句ですが、気持ち良かったです。ある地域とか、ある国の人にとっては信じられない光景なんだそうです。

これよりは独りにしてね髪洗ふ   みなと
 下5が、「これよりは独りにしてね」の答えが、「髪洗う」では、だいぶ尻つぼみのように感じます。

桜雲や小さき婆様の御供して   みなと
 「桜雲」は珍しい季語ですが「花の雲」の傍題のようでした。大きな空、小さい婆さん、お供する私。いいですよね?。表記、例えば「小さき婆さまのお共して」かな?と思いますが、どうですか。

水田という真っ平ら青田風   二百年
 「真っ平ら」と青田風の取り合わせが広々として気持ち良かったです。「真ったいら」の表記もありかも(好みです)。

ダリア咲く小保方さんちにトト姉ちゃん   秋山三人水
 話題の人名を盛り込んだ句も楽しいですよね。ただ、ふたりの関係があいまいなままでした(笑)。

ちょっとした鯛と見紛ふ金魚かな   スカーレット
 まさか〜、そんな馬鹿な?と思いますが、こういう作り方もあると思います。ほんとだな?とちょっとでも思わさせれば成功。この句では、どうなのかな?。「カラスの子犬に吠えられワンと鳴く」もこの方の句。


2016年6月1日

須山つとむドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 破れ傘(植物)、田水沸く(地理)など、見慣れない季語の投句との出会い。意味の珍しさと響きの新鮮さで、新らしい句の生まれるチャンスがあるだろう。でも、日常の実景を観察することで、思いもかけない発見だってあるはず。使い慣れた季語に寄りかかる自省を込めて。

【十句選】

背伸びして大声出して今朝の夏   いつせつ
 下五を『立夏かな』にするより、この『今朝の夏』の方が断然 精彩を放つ。眠りから覚めた夏が、今日という一日が、この肉体が・・、全てが夏に向かって働きを開始する。

夏つばめわたしは母の四番目   たいぞう
 肌をなでる微風のように爽やかな措辞。兄弟姉妹の中で可愛がられて、いじめられて育った『わたし』には、夏つばめの飛翔や自由奔放さがピタリ。

忍冬いつも何かに急かされて   紅緒
 夏、芳香を放つて白い花を二つずつ開き、やがて黄色に変身するスイカズラ(忍冬)の花。金銀花とも呼ばれる。たまには里山の路傍に出、腰を落ち着けゆっくりと鑑賞してみよう。

ジ−ンズのをみな窓拭く余花の家   みなと
 ジーンズで決めた若い主婦の、はらはらさせる所作が鮮明。中七『をみな』、下五『余花の家』の措辞では、鮮烈な句の印象と相容れない。少なくとも『・・の家』には工夫がほしい。

ピンピンと鳴らす縫糸藤の雨   紫
 背を丸め針仕事に精を出す母の姿を彷彿とさせる。縫い糸の白と藤の薄紫色の対比が見えてくる。情調過多の印象が句を重たくしている。とりわけ、下五『・の雨』には推敲を。

鹿の子の見送る朝の僧の列   戯心
 四肢を踏ん張り、たどたどしく立った小鹿。その濡れた瞳に托鉢の列の影が、ゆっくりと移動する。新緑の奈良に来て見つけた、命あるものの動と静の対比。

ぼうふらや孫を迎へし過疎の駅   鷲津誠次
 叙述をさらに工夫して、孫を迎える臨場感をもっと鮮明に。下五の『過疎』では、事象の説明を聞かされるだけ。< ぼうふらと孫待っている無人駅 >などと、具体的に景の描写を。

ガキっ子のついと手を出す穂麦かな   ∞
 ガキ(餓鬼)と、たとえ卑しめられても、遊び盛りの子供だから知る、自然の摂理や知識はいっぱいある。熟れた大麦の穂が金色に照らされる日没、そこに仏様のお顔を見た。

キャンパスの自転車千台青嵐   岡野直樹
 緩やかな草原に創設された新しい大学。ゴールデンウイークを終えたキャンパスに、色とりどりの自転車が集まる、あつまる。青草を吹きゆるがせる風と競い合うかのように。

もういいかいもういいかいと雲の峰   糸代みつ
 東の遠嶺に入道雲が立ち上った。つい今まで隠れん坊で遊んでいた子供らが姿を消したら、こんどは入道雲がその真似をしたようだ。黒澤映画『まあだだよ』の黒白の映像を連想。

【注目した5句 】

櫻蘂降るや浅間の襞定か   太郎
 遠近の対比で山襞がくっきり見える。『降るや』と『定か』の用言の重なりで、鈍重感も。

田水沸く全寮制の進学校   幸久

 想像力で季語を生かし、社会のとある一断面にスポットライトを当てた句。

蟻の列往来自由の寺の柵   まゆみ
 中七に『あっちいってちょんちょん』など、<異界>を意識して取り入れてみるのも一案。

薫風ya君ら修学旅行生   せいち
 切れ字 ya に瞠目。Ya!、yah、yea など、修学旅行生を狂喜させる手は未だまだ見つかる。

巫女の鈴響く産土神若葉風   今村征一
 装束の紅と白との緊張、鈴の音の格調。でも、『産土神(うぶすながみ)』の字余は気になる。


2016年5月25日

星野早苗ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 五月晴れの休日です。皆さんいかがお過ごしですか?
 丁度今頃は梅を漬けたり辣韮を漬けたりの季節ですが、私は大昔に一度、母の梅干し作りを手伝ったのみです。やってみて分かったことは、紫蘇の鮮やかさと上がってきた梅酢に漬けた土生姜のおいしさ。肝心の梅干しはふっくらとはいかずなかなか難しいものだと思ったのですが、あの生姜はもう一度食べたいもののひとつです。
 さて今回は、134句の中から。

【十句選】

車椅子押す涼しげなペアルック   まゆみ
 ご夫婦でしょうか親子でしょうか。あるいは友だち同士でも、楽しい句だと思います。ペアとは二人で対となる一組のこと。車椅子を押す人と押される人は確かに二人で一組ですが、対というより非対称性の際立つ関係のように思っていました。それを、このペアルックは目にも鮮やかに対の関係を主張しています。涼しげなところがまたいいですね。

竹の秋田川の水の豊かなる   太郎
 田んぼの間を流れる畦川に水が豊かに流れています。竹の秋は陰暦三月の呼称ですが、実際にも近くの竹林が黄葉し、明るい日差しが降り注いでいるのでしょう。春なのに秋と称する不思議さも、竹の黄葉を目の前にすると納得できます。作者は、「豊の秋」を連想させる「田川の水の豊かなる」で竹の秋を言祝がれたのだと思いました。

花は葉につかみどころのない話   幸久
 桜は花が散ってから葉が出るので、「花は葉に」は、春から夏へ移り変わる季節の代名詞のように使われます。けれども、既成概念を持たずに読むと、花が葉に変身する不思議な感覚の季語でもありますね。つかみどころの無い話も、そうかそうかと聞いていて、結局納得のいかない話だったのでしょう。季語との取り合わせが面白い句だと思いました。

若葉風日の斑楽しむ昼餉かな   洋平
 戸外での食事が気持ちのいい季節です。藤棚の下でお弁当、ガーデンテラスでのランチ……、緑の中で味わう食事は最高の贅沢ではないでしょうか。風が吹くと若葉が揺れ、腰掛けた膝の上やテーブルクロスの上に落ちた日の斑も踊ります。掲句、そよぐ青葉や風だけでなく、日の斑の踊りまで丁寧に詠まれたところがいいと思いました。

亀の子の忘れず息を継ぎにけり   二百年
 亀は両生類ではなく爬虫類なので、肺呼吸をしています。安全のため餌をとるため、生まれるとすぐ水に帰る亀の子が、息継ぎをした……。それは当たり前のことかもしれませんが、小さいながらも子亀に備わった本能の強さを感じさせる行動ですね。「忘れずに」の措辞が健気で、ユーモアも効いていると思いました。

残り香を掬ふ菖蒲の仕舞ひ風呂   みさ
 家族全員の入ったあとの仕舞風呂。香りは薄れていたのかもしれませんが、湯桶に汲んだ拍子にふわっと菖蒲の香が立ったのでしょう。それとも、掬った湯を鼻先に持って行かれたのでしょうか。香りと湯とが渾然となった菖蒲湯の仕舞風呂らしさが伝わりました。

一人でもゆっくり歩く春の月   岡野直樹
 春の月夜は、恋人同士で歩きたいですね。小さな子供のいる人なら、夕食後、家族で散歩するのもいいかもしれません。春の月は、恋人や家族をふんわり包んで幸せな気分にしてくれます。けれども、一人のときもゆっくり歩きたくなるのが春の月です。自分自身との、あるいは月との対話を楽しむ人もいるのです。

海草のやうに新緑靡きけり   紅緒
 幹があり枝もある木々の緑ですが、海草のように靡くという表現が面白く、新緑の柔らかさが感受されました。また、新緑を「海草のやう」と把握した瞬間、あたりは海底にもなります。日の差す明るい海の中に、緑の風が吹き渡るようです。

花みづき四肢天を押すヨガポーズ   草子
 「四肢天を押すヨガポーズ」は、床に背中を付けて寝転び、手足を伸ばすポーズだと思いました。ヨガは自分の体との対話ですから、本人は天を押すつもりで、思い切り手足を伸ばしていますが、外から眺めると面白く見えるポーズも多いかもしれません。ここでは、四弁のハナミズキとの取り合わせで、視覚的にもよく分かる楽しい作品になったと思います。

詰襟のぎこちなき子や麦の秋   スカーレット
 詰め襟の学生服は、五月ともなればなんとも暑苦しく見えますね。中でも一年生は、大きめの制服に首元までホックを留め、まだ緊張もとれない気の毒な季節です。六月の衣更えで彼らにも一気に夏が来るのですが、その直前の麦秋の頃の雰囲気が、一人の男子生徒を通してうまく描けていると思いました。

【その他の佳作】

産土の浅間山(あさま)雪解や農具市   太郎
サグラダの聖堂ぐんぐん花擬宝珠   素秋
鬼女の面闇を焦がせる薪能   みさ
うとうととあるところにはある蕨   中 十七波
薇の綿を集めし女の子   瑠璃
若葉燃ゆ底の抜けたるわが田にも   豊田ささお



2016年5月18日

谷さやんドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 ゴールデンウイークの後半は、句集を読んで過ごしました。「船団の会」の仲間や他のグループで活躍している人。大先輩の句、若い方の作品群の好きな句に印を入れて楽しみました。ただ、作ることもそうですが読むのも独りで読んで終わると、狭い自分の感覚や知識に照らし合わすことになり損をしそう。何人かで読む機会を作って、見逃している素敵な句に気付きたいと思いました。

【十句選】

木のもとへ画布をたてけりしゃぼん玉   太郎
 画布をたてたところに、しゃぼん玉が吹かれてきたのだろう。しゃぼん玉は春の季語で、木の芽吹きを映しながら画布の辺りを漂っている素敵な光景。「たてけり」としゃんとした動作のあとのしゃぼん玉が効いている。

青嵐チンギス・ハンに蹴とばされ   高木じゅん
 青嵐といえば、子規の「城山の浮み上るや青嵐」を思い出す。もうすぐそんな松山城を仰ぐことが出来る。この句、最後の「蹴とばされ」がいい。一代でモンゴル帝国を築き上げチンギス・ハンの勢いが出ている。青嵐の中で、八百年を越えて今も走り抜けている彼に蹴とばされて呆然とした感じ。

花は葉にレディースデーのクーポン券   幸久
 「花は葉に」は、桜が散って若葉になることを言う。桜はもちろんだけれど、葉桜の生き生きとした姿がまぶしく、力が湧いてくる。「花は葉に」は「葉桜」より少し寂し気な気分が残る気がする。「レディースデーのクーポン券」を使おうかどうしようか、ちょっと迷いが残っているような。
 同じ作者の「雪蹊やハワイと言えばパンケーキ」も好きな句だった。

鯉幟泳がせどこまでも走る   芳海拓未
 ちょっと不思議で立ち止まった句。どこまでも走っているのは子どもか、それとも大人になっている自分か。自分の存在を寿いで立ててくれた鯉のぼりを、今も心の何処かに泳がせて、走り続けることが出来ているのかも知れない。
 先日喜多郡内子町の新緑の小田深山を友人とドライブした。遠く広がる田園に跡継ぎの男の子を誇るように、立派な幟とともに鯉のぼりが悠々と泳いでいた。

遠き山よりも大きなしやぼん玉   せいち
 遠き山をまず思い起こさせておいて、そこへしゃぼん玉を運んで来て意外性がある。ちょうど、視力検査用の眼鏡をかけていて「これはどうですか?」と、もう一枚レンズがかぶせられるときのような感じ。遠き山をすっぽり包む、大きなしゃぼん玉に見入ってしまう。

柏餅への字の口は父ゆずり   たいぞう
 私の口もへの字なので共感した。柏餅の大きさとひんやりした白さに「への字の口」が似合っている。

祖父の吹くやや強情なしやぼん玉   鷲津誠次
 この句のしゃぼん玉も面白い。一口に祖父と言っても年齢幅がある。五十代も居るし,八十、九十代の祖父も居る。だから改めて言うまでもないが「父」「母」などにしても、読者の年齢に寄って想定されることを覚悟して作ることになる。
 さて、この「やや強情なしゃぼん玉」を吹くおじいさんはどうだろう。性格もやや強情そう。なかなか破れそうにない分厚いしゃぼん玉を想像して楽しい。

振り向けばどん兵衛がいて春うらら   岡野直樹
 どん兵衛は、カップ麺の商品名。振り向いたらカップ麺が置いてあるという侘しさを裏切って「春うらら」と言い放ったところがいいと思う。「うらら」だけで春の季語なので、明るい気分の季語にもう一工夫あったら更に良かったかなと思った。
 ちなみに「どん兵衛」は、うどんの「どん」と「どん臭い」の「どん」から付けられたものだそう。どん臭いどん兵衛に親近感を感じる。

夏の雲わが骨の画像潔し   利恵
 X線に写る自分の骨の画像にくもった個所が無かった結果。隆々とした夏の雲に思わず独白した「潔し」。明快な骨の有り様が目に浮かぶ。

能書はいらぬ百年藤の花   まどん
 今年は車窓から山藤を堪能出来たが、藤棚の藤の花を見ることが出来なかった。近所にある田樗堂(1749年〜1814年)の「庚申庵」の古い藤の花も見逃して、惜しいことをした。能書きなど必要のない見事な百年の藤の花を眺めたかった。


2016年5月11日

久留島元ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 ゴールデンウィーク、今年は長い人は10日ほどもあったようですね。関西は天候も比較的良かったのですが、私はずっと家にひきこもりで実に不健康な日々でした。本当なら俳人たるもの、自分の殻に閉じこもるのではなくどんどん外へ出て行きたいものですね。
 ところが難しいのは、外へ出てわざわざ出会ったものは、感動のあまり「感動!」「すごい!」ということが先走って、ありきたりな表現になってしまいがち。その場を共有していない読者にも伝わる表現を生むには、出会った「感動!」を、熟した表現になるまでそっと置いておいておく、取り置き期間のようなものも大切なようです。
 と、いうところで今週の十句。

【十句選】

もんしろちょう沖は鯨が潮を吹く   ∞
 鯨は厳密には冬の季語に登録されていますが、ここは「もんしろちょう」で春とみます。小さな蝶とおおきな鯨、雄大な景色とちいさなものの対比は俳句の常套ですが、実に見事にきまっています。技あり、日本画のような佳品。

番台にあみ上げのくま啄木忌   さわいかの
 「に」がいいですね。本来店番の人がいるはずの席に視線を向けると、そこに「あみあげのくま」のぬいぐるみ(人形?)。店番は、啄木らしくどこかで寝転がって雲でも見ているのでしょうか。

甘藍の大なり小なり宇宙なり   糸代みつ
 甘藍はキャベツ。万物は宇宙の一部、または宇宙そのもの、という禅的な内容にも見えますし、単純に大小のキャベツを宇宙の星々に見立てているともとれる。ゆかいな句。

初夏や青いインクを買いに行く   洋平
 さわやかな句。私の愛唱句に、川柳なのですが「青だったころを覚えているインク 久保田紺」があります。

花吹雪人力車夫の黒づくし   紅緒
 黒装束と花吹雪のコントラストが素敵。

卯月波青物横丁地面濡る   伊藤五六歩
 卯月波、卯波と同じで陰暦四月のころの波のことですね。海辺の青物横丁ということでしょうか。

接吻を我慢できない花水木   をがはまなぶ
 大胆な句ですが、ハナミズキだと下品ではなくおおらか、さわやかな愛情を感じます。

天地春動いかに坐します考と妣   素秋
 ふりがながあって「てんちしゅんどういかにましますちちとはは」と。ふりがな俳句は読みを無理強いされる気がするので敬遠してきましたが、蠢動にかけた「春動」から、故郷を思い起こす疑似漢詩ぶりのかっこつけ、楽しく拝読。

戯れに似てかなしかり藤に蜂   瀬紀
 藤に蜂がいること、それが戯れのように悲しい。そのこころは、と解いて寓意を見ようとすると理屈がうるさくなりますので、小さな世界をうまく切りとった技を楽しみたいと思います。

鈴蘭やちりんちりんと鳴るかしら   スカーレット
 「小学2年の孫(俳号は翼)が作句しました」とのこと、では作者は翼さんでスカーレットさんじゃないですね!片言の楽しさが身についていて、いい句です。是非、これから翼さんとして投稿を続けてください。

【選外佳作】

NIPPONになみなみ田水張つとくれ   二百年
 「田水張る」が季語なので、季語そのままで何も言っていない句なのですが「NIPPON」表記に一本。

春の昼女庭師の枝さばき   みさ
カラヴァジオ展出で桜蕊しきり   まゆみ

 作者の日常をきりとって、好感のもてる句。五七五におさめる言葉の練り具合がうまい。

舷を叩く春潮狼煙跡   玉置泰作
 海上にある船と、岸にあるであろう狼煙跡との距離がやや離れていて視点がぶれました。二句に分けた方がいいかも。

牢名主然と竃ホーホケキョ   素秋
 牢名主、へっつい。時代劇のような道具立て。ちょっと凝り過ぎとも思いましたが、これはこれで楽しい。

もんしろちょうわてほんまによういわんわ   ∞
 NHKで黒柳徹子のドラマをやっていて、買い物ブギを楽しく拝聴。明るい昭和の思い出という感じですね。

浴びる人駆けだす人や森若葉   山畑洋二
 「〜〜の人〜〜の人」という対比がおもしろいのですが、若葉を浴びるという比喩的表現と、若葉のなか駆け出すという表現は対比としてうまくいっていない気がします。

一山の風のみ尽くす鯉幟   茂
 「風飲み尽くす鯉幟」、これはきまっていますね。一山という把握はやや借り物という気がします、鯉幟の風景は山より里、村では。

美濃も奥そのまた奥の飛燕かな   今村征一
 美濃「も」奥、美濃がどこから見て奥というのか、なんとなくわかる気もしますが「美濃の奥そのまた奥の飛燕かな」とすると奥行きが出る気がします。

ストローで飲み干す黙の初夏の歌詞   酒井とも
 「黙」がわかりにくい。ストローで飲み干す初夏の歌詞、は、ちょっと歌謡曲のような世界。

千仏の目つむるほどの薫風   戯心
 「くんぷう」だとすると字足らずですが「目つむるほどに薫る風」だとおさまります。

しがらみの無き身軽さや雪やなぎ   みなと
 「しがらみのない」と「雪やなぎ」のとりわせは、なるほど。「身軽さ」はしがらみのないことと同じだったので、やや冗長でした。


2016年5月4日

中居由美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 今年度、愛媛新聞のカルチャー講座で『墨汁一滴』を題材に「育つ子規―ねんてんさんと読む子規」という特別講座が開講されています。『墨汁一滴』は子規の晩年の随筆で、名の通り墨汁一滴分の文章(1行以上20行以下)が基本だということです。
 講座の受講をきっかけに、『墨汁一滴』(岩波文庫)を身近に置いています。
 明治34年の新緑の頃、子規はどのような文章を書いたのか、わくわくしながらその日の文章を読んでいます。たとえば、5月4日は、「しひて筆を取りて」と前書きして、短歌を10首書いています。
  いちはつの花咲きいでゝ我目には今年ばかりの春行かんとす(同年5月4日)
  菅の根の永き一日を飯もくはず知る人も来ずくらしかねつも(同年5月9日)
 寝たきりの子規ですが、その文章や表現には、人を引き付ける不思議な力があるようです。短くて易しい文章が素敵です。

【十句選】

小包の隙間に詰める柿若葉   伊藤五六歩
 柿若葉が実にいきいきとしている。それを詰める人、それを開く人の表情も目に見えるようだ。柿若葉を視点を変えて捉えている。

関係は点と線との海市かな   茂
 海市は蜃気楼のこと。光の屈折により、ふつう見えない景色が海上に見える現象。「関係は点と線」とは光の屈折のことだろうか。意味のみを考えると難解な句だ。リズムがよく、声に出して読んだ時の心地よさに惹かれた。

野遊びの時間もありぬカリキュラム   洋平
 野遊びという古風な言葉とカリキュラムという新しい言葉の出会い。今では、ピクニック、ハイキングに言い換えられたが、「野遊び」のほうが、豊かな時間が流れている感じがする。こんなカリキュラムがあれば参加したくなる。

飯粒の糊のねばりや昭和の日   たいぞう
 昭和は、確かにご飯の時代だった。そして、粘りの時代だった。やや既視感があるのは否めないが、それも含めたうえで、昭和の日のありようを言いとめている。

東山春満月の出来たとこ   せいち
 春満月をまるで誰かが作った作品のように、今出来たところだと断定しているのが、面白い。東山という地名と東の山とをかけており、句に奥行きをもたらしている。

啓蟄や一列に行く黄の帽子   素秋
 啓蟄の頃の遠足の光景、または集団登校などの様子だろうか。黄色の帽子を被った子どもたちの生命力が際立つ季節。土の中にいた蟻や地虫、蛇、蜥蜴、蛙などと人間の子どもが同格となっていて楽しい一句。

筍の穂先見つけし足の裏   瑠璃
 この身体感覚に共感。経験者でなければ、きっと「足の裏」は出てこなかったと思う。見つけた時の素直な喜びがさりげなく詠まれている。

シーソーに男と男さくら散る   さわいかの
 男と女だったら平凡になるし、女と女だったら花と近くなる。男と男にしたことで桜の怪しい美が出たのではないかと思う。「さくら散る」のクールな押さえもいい。

寝そべりて牛陽炎を噛んでをり   眞人
 黒い大きな塊となり、陽炎を噛みながら寝そべっている牛。春ののどかさの中に、かすかな危うさも漂う。牛と陽炎の取り合わせの妙。

れんげ摘みメソポタミアの風が吹く   紅緒
 れんげを摘むこととメソポタミアの風の関係性はわからないが、突如現れたメソポタミアが意表をつく。読者は一瞬、れんげ畑から飛び立ち、はるかな時空の旅人となる。