俳句クリニック 2007年6月前半分(ドクター:塩見恵介)

「e船団」のドクターがあなたの俳句を診断したものです。


ドクター塩見の診断
2007年6月15日

(1)太ももを投げ出してみる暑さかな  豊田ささお(70才以上,男)
 「いつまで待っても幸せがこないフレーズ」思わず一人笑いをしてしまいまして・・そして虚しい気分になりました。それにしても今日は暑かったです。
(2)アメリカフウ青葉茂れる女子高生
 昨日になりますが、ある農業高校でネイチャーゲーム、ところがほとんど女子高生でした。若さが眩しいとは、こういうときに言うのかと思いました。
ドクター塩見の診断と処方箋
 批評の言葉がどぎつくスミマセン。僕自身句帳には「いつまで待っても幸せが来ないフレーズ」の削除オンパレードです。
 さて今回頂いた句ですが(1)が抜群。この自堕落な姿勢、独楽のくつろぎ。女性の艶なる世界と詠まれる危険がある中、ボーンと投げ出す足、それを太股!と言い切った勇気が素晴らしい。後ろ手を付いて、扇風機の前に顎を上げて足を投げ出姿勢、すっきり暑さが伝わります!
(2)「アメリカフウ」、「アメリカ風」として(アメリカ的に?)という意味で取られそう。実際は落葉高木の名前ですね。しかし、現代の女子高生と取り合わされるとどうしてもイマドキのアメリカンナイズされた女子高生、という読みに引っ張られてしまいます。「女子高生」を外す方向で推敲したいですね。

(1)草野球芝の空き缶ぎらぎらと  うさぎ
(2)融け出したソフトクリーム草野球
(3)悪がきを叱かった後の西瓜かな

 診断有難うございます。じっくり推敲いたします。今日は友達の次男坊で、彼女が”うちの悪がき”と呼ぶ、腕白です。
(4)首筋のくすぐったくて夏帽子
 先生の処方箋は大変勉強になります。有難うござ います。「首筋のくすぐったくてワンピース」はとてもいいと思います。夏帽子では?
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)は「ぎらぎらと」がどこまで効いているか、が問題。一般的に草野球は、そこまでぎらついた勝負をしない、あるいはぎらぎらとするようなイメージがない(暑すぎるときにせず、早朝・夕方にする感じ)なので、ちょっと現実味が薄い。
(2)これはソフトクリームの位置が問題。草野球中の選手が食べるのは、?という感じ。応援の人が食べているとすれば、ちょっと草野球が遠景で取って付けたよう。
(3)悪ガキと西瓜はよく合うんですよね・・・。この句、もし推敲するなら、「悪がきを叱ったあとの西瓜かな」では意味がまっすぐ、叱った後の、なんとも言えない気まずさの中の西瓜を食う年長者の心象が句の主題の中心になりそう。僕なら悪ガがきを叱って後は西瓜かなとしたいです。スカッと叱って後は悪ガキと一緒に西瓜を食う景になりませんか。叱られた悪がきも叱った自分もすっきり、わだかまりのないおやつの景。
(4)ちょっと少女趣味ですが、前作より平明でいい感じ。髪の毛を帽子の中に入れて、うなじに風を受けている少女の後ろ姿を連想。

(1)さりげなき誘い上手やイチゴ狩り  れい(70才以上)
 1日1句を心がけようとしているのですが、なかなか大変です。よろしくお願いします。
(2)透明なエレベーターや水中花
 意味不明かな?たぶんに独善だと思いながらですが。
(3)夜遊びを叱るメールや星涼し
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)誘い上手に誘われてのイチゴ狩り。ユニークですね。誘い上手はだいたいさりげなく誘いますから「さりげなく」を外して推敲したい感じです。もしくは「さりげなく誘われ上手」と逆の観点でいき、したたかにそれでいて品良くイチゴ狩りに参戦したいところ。
(2)意味不明ではないですよ。僕はこの句、好きです。ガラス張りのエレベーターの中にいる人物、あるいは自分を水中花に見立てる。こういう句の場合、見立ての勢いが命なので「透明なエレベーターの水中花」と切らずに一気に詠み下すのも一考。
(3)夜遊びを叱られても、こんな涼しい星の夜じゃないか、という句ですね。ただ、「メール」と「星」というパターンの句は我々世代以下にはごまんとあるのが現状でして、ちょっとこれは「見覚えあり」の世界。気分はとてもいいのですが。

(1)男装のひげお気に召す夏ですか?  汽白(40代,男)
(2)「(ししとうは)いや」と令嬢こばむかな
 こんばんは。よろしくお願いいたします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 なんとも不思議な世界。
(1)は宝塚歌劇団を思わせるような作り。「夏ですか?」の問いかけがやや取って付けたようなのが難ですが、おもしろい。
(2)(ししとうは)のカッコは不要な感じ。意味が一直線なので含みはないですが、令嬢を誘って焼鳥屋にでも行ったのでしょうか。中年男性の哀感が漂う。好きなシシトウを勧めたのにべなくことわられた一瞬の沈黙。そこで世界が全て終わっています。太宰治の『御伽草子』にある、「カチカチ山」の狸と小兎の関係をふと思い出しました。

(1)涼しさや渡り終えたる十二橋  小口泰與(60代,男)
(2)睡蓮や水ゆつたりと思案橋
(3)あやめ咲く女船頭勢ぞろひ

 よろしくご指導願います。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)「十二橋」?・・・インターネットでしらべてみました!なるほど!潮来の十二橋ですか!けっこう渡るの大変そう。名前も面白いですね。「涼しさや渡り終えたる」ぐらいで表現しちゃうのはもったいないですね。「渡り終えたる」が特にもったいない。せっかくの十二橋と言う名前、これをおしゃれに使わない手はない。
(2)これも「思案橋」という名の橋と睡蓮は取り合わせとして抜群!「ゆったり」が不要です!
(3)これは豪華すぎますね。あやめと女、飛躍が少ない。ただし「女船頭勢揃い」は格好いいですね。飛躍は少ないですが、アヤメ鑑賞の船の女船頭は意外にいい感じです。

(1)てふてふがカラシニコフの銃先へ  牛跡(60代,男)
(2)草笛や遠のくリリーマルレーン
 お久しぶりです。診断好調ですね。宜しくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)はすごい句ですね。拳銃とか、鉄砲とかいう句は見たことがありますが、「カラシニコフ」まで拳銃名を詠んだ句は初めてみました。虚構の世界ですが、ハードボイルドな句だと思います。ちょっとしびれました。てふてふ、という柔らかい世界から一変する句の運びも見事です。
(2)こちらの「リリーマルレーン」は知りませんでした。インターネットで調べましたら、ドイツの歌なんですね。曲も聴きましたが、私には特に、なんという感じも催さない歌。戦時のドイツの流行歌のようですが・・・うーん、やっぱり特に、という感じ。牛跡さんにとっての思い出の曲なんでしょうね。そこはわかるのですが、こういう句は作者と読者のあうんの呼吸が必要でした。

風邪をひくと離婚したくなるいつも  岡野直樹(40代,男)
 病中句ということで。よろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 風邪ひいたぐらいで、早まってはいけません(笑)。しかし、これぐらいオーバーであって面白いのかも。この言い方もぼそぼそ、後出しの「いつも」もなんだか言い訳がましくて、いじけていていいですね。ちなみに「風邪」は冬の季語。「夏風邪を」のほうが、表現上陰にこもらなくて良いかなあ。あ、真面目にこの句に対して考え出しちゃいましたね。お笑いの句と言うことで!家庭は円満に限る。家庭の幸福、健康の根源!

飴一つ読経の喉に朝の凪  藤井茂子(60代,女)
ドクター塩見の診断と処方箋
 飴をなめながらの読経。不謹慎ですがなんとくつろいだ感じ。朝の凪もこの世界の時間を静かに運んでいます。きっと身内、それも乳は張れベルのかなりの近親者に対する毎日のお勤めの中の一こま。飴一つ、からはじめられた句の運びの軽やかさに感服。全く疵がありません!

都会より芒種の節の嫁迎へ  なごみ(女)
 御指導よろしくお願いいたします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 芒種は暦の言葉。現在の六月六日頃。ちょうど籾のあるものの種を蒔くのに適しているとされている時期。現実、今ではもう少しはやくまくそうですが。その時期の嫁迎えですね。都会から田舎へ来たお嫁さん。きっと、恋愛結婚!こんなドラマが少し前にありましたね。農家の命とも言うべき、米に関わる節季に来たお嫁さん。これから田畑のこと。村のこと。いろいろと教わる。ジューンブライドなどと浮かれてはおれないきりりとした緊張感のある結婚式!


2007年6月14日

カーテンの水色に替え梅雨篭り  田舎のねずみ(50代,女)
 先日の診断の指摘、よく分かりました。有難うございます。「カーテンを水色に替えて春惜しむ」を推敲の末、季語を変えて見ました。いかがでしょう。
ドクター塩見の診断と処方箋
 「梅雨篭り」、いい感じになりましたねえ。五月雨に垂れ込めている、鬱屈感を、外の雨水とは違う水色でほどいていく、そんな明るさを感じる句。「水色」「梅雨」野市を少しはなしたいですね。「みづいろに替えてカーテン梅雨篭り」とすると中7も「カ」「テ」の音の繰り返しによって弾むリズムになりますが。

子のしぐさ音まで似たり心太  三郎(70才以上,男)
 よろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 以前書いたのですが、やはり、「子のしぐさ」では「音まで似たり」と言われても、どんなしぐさなのか見えません。心太を啜る音?というぐらいですが、それではあまりにも、という感じですし。たとえば、子の声のときどき母似心太、ぐらいはっきり言ってもらった方が、句としてスカッと読者に訴えそうな気がします。そしてこの例でいえば、読者はその「声」から、どんな会話の一フレーズが母に似ていたのか、この子は男?女?年齢は?母と言うから、きっといま父と話しているのだろう、話題は?などと読みの中でドラマをふくらましていきそうなのです。そうなってきたとき、その会話の状況の雰囲気を心太がどこまで見せているのか、季語の力が発揮されそうです。

踏み切りが曲がっているような夕凪  裸時(30代,男)
 久々に塩見先生の診断が聞きたいです。
ドクター塩見の診断と処方箋
 この句は、「〜ような」は外したいですね。「夕凪 踏切が曲がっている」なんだか、破調、一字空白で、スカッと、その象徴的表現で決めたいところです。こういった手法は富澤赤黄男が第2句集『蛇の音』で盛んに挑んだ形式ですが。裸時さんなら、この句集、とても楽しんで読まれそう。是非おすすめしたいです。

(1)麦秋や万の日呼びし千の風  文の子(60代,男)
(2)紫(し)の髪と未だ変らぬ紫陽花と
(3)東京はメタボリックの増へて梅雨

 6/7のご診断有難うございました。「東京はメタボリックの猫の恋」を推敲しました。宜しくお願い致します。
(4(梅雨兆す綻びそめし幼靴
 「児の靴の綻びそめし走り梅雨」を推敲しました。
(5)吾が影の歩幅になりて街薄暑
「使えない発想、捨てるときは思い切って捨てる」とご注意頂きながら恐縮ですが、推敲しました。「吾が影の歩幅になりし街薄暑」の中7が連体形に読めることを理解しながら「吾が影の頭踏む街薄暑なる」も上5が連体修飾語に読める措辞にしてしまいました。
(6)料理茶屋暮れて仄かに柚子の花
 「神楽坂暮れて仄かに柚子の花」を推敲しました。宜しくお願い致します。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)今流行の「千の風」を句に用いられましたね!「万の日」、多くの陽光を、という意味ですね。この言葉と組み合わさると「数字遊び」というだけの感じになって損しました!
(2)紫の髪、俚諺に「鬢紫茶煙の情」なんてありますね。年老いて紫髪(白髪)になり、茶や煙草で過ごす落ち着いた心持ちを言うのだそうですが、この句も、色変える幼い?紫陽花との交流で過ごす老年、ととると、ちょっと上品な恋句にも見えます。
(3)メタボリックの増えて、では単に人間の形容になってしまいました。これは前作の方がまだしも、です。
(4)これも「おさな靴」では説明的。造語としても若干無理をしている感じ。
(5)厳しいですが・・・思い切って捨てましょう。
(6)料理茶屋、ならまだ神楽坂の方に軍配を上げたいですね。
 今回の推敲作は、やや意味を限定にかかる方向へいってしまっている様子です。作者主体の「こう読め!」という感じに陥っています。

(1)枝払ふをとこの腕かぼそかり  しんい(女)
(2)玄関を開けるや否やメロンの香
(3)指先に残る香しかと青山椒
(4)孜々としてかはるがはるの親燕

 宜しくお願い致します。
ドクター塩見の診断と処方箋
(2)が気の利いたフレーズですね。「あ、メロンだ!」と子どもが靴を脱ぎ散らしながら上がってきそう。勢いあり。ただし、句会で出されても人気句になるか、そこまでは保証できませんが(笑)
(1)寂しすぎる。かぼそい腕の男に感興も同情もない。ただただ寂しすぎ、枝を払うというこの季節ならではの勢いづいた生命力との戦いに齟齬を来している。
(3)「のこる」「しかと」がくどい。青山椒の匂いはたしかに強いが、その強さをこれだけくどく言うと説明になってしまう。
(4)「孜々」(しし=いそしむようす)、「かはるがはる」とすれば「親燕」の餌を子燕に運ぶ姿。かわるがわるが、やや平凡なので「孜々として親燕」のフレーズを本線に漢文的な世界を作ってみたいところです。

咲くからはいのち短き知るさつき  浅葉洋(70才以上,男)
 毎度の駄句に適切なご指導を感謝しています。さつきがここを先途とばかり咲いています。この花は雨に弱く、一花一花の咲く時間は案外短いものです。次から次に咲くので全体としては、気が付きませんが。
ドクター塩見の診断と処方箋
 うーん、「さつき」という花の独自性がどこまで生きてくるかという感じですが。申し訳ないですが僕自身は頂いた句に特に何かのハッとする感興は催しませんでした。「咲くからはいのち短き知る」(「いのち短き」は「短きいのち」なのでしょうね。)こういう言い回しは女性的な世界ですでに、文学のみ成らず流行歌まで敷衍しているような気がします。たとえば林芙美子の「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」なんていうフレーズがすぐにパッと浮かんでしまいますよね。

(1)卯の花や谷川岳はさはだてり  小口泰與(60代,男)
(2)虎尾草やチワワのおつぽ揺れはげし
(3)ひなげしや朝日頂く筑波山

 よろしくご指導願います。
ドクター塩見の診断と処方箋
(2)は、揺れはげしの「はげし」がどうもいけない感じ。説明のしすぎです。チワワのおっぽ、は面白い目の付け所ですが。
(3)も、ひなげし、朝日、筑波山、材料が多すぎ。
 というわけで(1)がおとなしい感じですが、見どころあるべき句です。しかし「卯の花」を「さわだつ」として見ると、ちょっと並の表現と思いますが。ともかく、通して「[季語]や+something」という作りは、相当安定型俳句形式なので、ハッとするような物の見え方をしめさないと通俗に陥る危険があります。では通俗とは何か。たとえば、絵画ならピカソと同時代に活躍したブグローの作品などが僕にとってはそのサンプル。技巧的ですし、とても素敵な絵なのですが(できましたらインターネットでも見られるので、ここからは見てから読んでいただけると納得されるかと思います)、見ている側になんの引っかかりもない世界なのです。既視感の中で安定した絵で、家の壁に一枚掛かっていたらいいだろうな、とは思うのですが。

滴って星に生まれた砂糖粒  裸時(30代,男)
 メモを取っていたのを完成させてみました→
ドクター塩見の診断と処方箋
 この句、面白くなりそうなものの見方だと思います。星に生まれた砂糖、というのは甘めな抒情で、良くあると思うのですが、砂糖粒が「滴る」という感覚、その感覚が独特ですし、その結果として星に生まれた、というのは既に意味の領域からは遙かに離れていますが、しかしなんとなくアプリオリ的な読みで理解できそうな気もするのです。しかし、全体的な視点でこの句を見渡すと、滴るという液体的なイメージから、悠久の大きな星に感覚を変えて、最後に身近な小さい砂糖にその感覚を変容するのは、損な運びのような気がします。身近な物から悠久へ、そのつなぎ止めとして違う触感を使う、という手の方が、アプリオリに訴えそう。砂糖粒星に生まれて滴って、と比べてみてどちらの方が、スカッと行きますかね。これはちょっと僕だけでなく、いろいろな人に聞いてみたいところです。

日焼けして白髪の眼に力あり  慈英(50代,男)
 ご指導宜しくお願い致します。
ドクター塩見の診断と処方箋
 ヘミングウェイ『老人と海』にでてくる、サンチャゴ爺さんみたいですね!老いて益々盛ん、という気配。ヨットハーバーに必ず良そうな、ダンディな老人。しかし、やはり眼光炯々とする老年は今や、普通のような気もします。

(1)少年の首を絞め合ひ墜栗花  未知(50代,男)
(2)白玉の透き通りけり葬場祭
(3)うたた寝の空を飛ぶ夕刊の音

 ご教示を。
ドクター塩見の診断と処方箋
(2)に物語性、叙情性を感じます。こうした透明感あふれる食べ物と、死はとてもよく合う。たとえば「友の死をしづかに怒り葡萄食ぶ」などという三鬼の句をふと思い出します。透きとおった白玉も切ないですね。
(1)は「怒らぬから青野で絞める友の首」という島津亮の句をふと思い出しました。しかし、その青春的叙情よりもなにかもっと「事件」の匂いがします。夏が近いこの時期ですので、戦時中の悲しい物語(たとえば集団での自決のような)そんな悲しい方向に読みが引っ張られそう。そしてこういう句は僕は苦手。
(3)は上2つに比べてやや平凡です。こういう句はいろんな場でいろんな人が詠んでいるから。

(1)ワイキキに浮き輪はねとび夏の月  藤井茂子(60代,女)
(2)紫陽花を揺するかなたに月満つる
(3)夏の朝海蹴散らかし行く漁船

ドクター塩見の診断と処方箋
(3)の句が良いです!「海蹴散らかす」漁船。今日は釣るぞー!という仕事に対する勢いが感じられます。ただその勢いばかりではなく、夏の朝というすがすがしさが句の品位をおとしめずに保っていますね!
(1)は「はねとび」がいわゆる「がんばりすぎ」。ちょっとその状況がイメージできないです。
(2)揺するかなたというのが表現として曖昧です。かなた、は便利な言葉ですが、その便利さは時として安易につながる。ここでは残念ながらその方向です。


2007年6月13日

減反の名残の畦や麦の秋  智弘(30代,男)
 宜しくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 減反の名残の畦、はうまく提携のリズムにあって、格調を保っています。「麦の秋」ではやや農事関連でつきすぎたかと思いますので、季語でぱっと飛躍してみると、現代的な句にもうまれかわれそうです。もっとも頂いた句を良しとした上での、贅沢を述べているわけですが。

(1)裸木や接骨院の並ぶ道  文の子(60代,男)
 6/3のご診断有難うございました。「古草や接骨院の並ぶ道」を季節は変りますが掲句としました。
(2)柚の花や一筆書きの星とせし
 「柚の花や一筆書きの星をしへ」は「意味を限定しにかかっている」と承りました。掲句は逆に漠然としているのでしょうか。
(3)児の靴の綻びそめし走り梅雨
 宜しくお願い致します。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)はまだ古草、のほうがよさそう。できれば、夏の清々しい季語が良さそうです。裸木ではごつごつと寒そうで、あまりにも骨との連関が強すぎる感じ。接骨院の並ぶ道からは接骨治療で骨が軋んでいる、苦痛に歪む患者の顔を感じてしまいそうです。
(2)おっしゃるとおり漠然としています。「柚の花や○○に一筆書きの星」とされてみてはどうですか。星の下に「おしえ」とか「とせし」などと動詞が来るので句が全体的に締まらないようなきがします。
(3)やはり綻びそめし、と走り梅雨の「走り」に語彙的なつながりを感じてしまい、単なる洒落のレベルに読者の読みが止まってしまいそう。

(1)ジュンサイや亀の昼寝を真似ようか  豊田ささお(70才以上,男)
 とうとう6月5日の朝となりました。吟行で兼題が「栗の花」です。場所は森林 センターで栗もあります。栗は腹いっぱいで、もういいか・・と思ったりしていま す。 (結局中途半端?)
(2)見はるかす山また山や杜鵑
 本日森林センター吟行でした。満を持して出した(つもり)「栗の花旅立つ朝は・・」は空振りでした。句友に聞くと・・朝は・・というのがいかんなぁということです。掲句は、類想がありそうですが・・・。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)ジュンサイのはびこる池に、ゆったりの亀。その亀の昼寝を真似しようか、と目の付け所はおもしろい句です。ただし、「まねようか」という締めがもう一つな感じ。着想はそうであっても、そこが工夫のしどころかもしれません。「座5に亀昼寝」と単純の景で言い捨てる、あるいは「亀の昼寝をまねておこ」など、語尾をもう少し工夫してみて今までにないような俳句的語尾を考案する。そうするとこのモチーフはぐっと引き立ってくると思いますよ。
(2)やはり、このぐらいで収まりすぎているのは厳しい。ごまんとありそうです。

寝冷えせぬか川の字乱れHになる  岡野直樹(40代,男)
 生活実感のつもりなのですが。よろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 うーん、我が家もこういう寝方。真ん中の子どもがぐるぐる回って寝ています。したがって「寝冷えせぬか」はほんとうに気持ちそのままの感じ。しかしこの言葉がないと「川の字乱れHに」というフレーズがバレ句的に読まれそうな不安も。つまり、この句は根本からちょっと成立不能のような気がします。こういった感慨はごくごく常識的なものですが、詩的なエートスとは別物で齟齬をきたしそう。

(1)ばら一輪不思議な話しを音訳す  れい(70才以上)
(2)夏の月夢中になれる話しあり
(3)夕焼けの色に立ちたる体育館
(4)雑踏を抜け出て午後の風薫る

 よろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
(3)(4)、派手さはないですが、意味としてよく分かる、気分の良い句です。ただし厳しいことを申し上げますと。こういった句は、内容・形式いずれもノスタルジックで、「抜群」というわけにはまいりません。あくまで、うまく収まっている、という感じです。
(1)「不思議な話」がちょっと見えてこないので、鑑賞する側も消化不良で終わりそうなのが難。
(2)「夢中になれる話」も見えないので上記同様。こういう形の物は、具体的にどう言った話なのか。、「それは不思議だ」とか「それは夢中になる話だ」とおもわせる言葉を探したい。もの一発で決めたいところです。たとえば「象の逆立ち」たとえば「パンの家出」たとえば・・・。不条理な世界、関心を湧く話題などをフィクション化してみてください。

睡蓮に埋めつくされし水面かな  栗太郎(60代,男)
 こんにちは。先日はご丁寧なご講評ありがとうございました。
ドクター塩見の診断と処方箋
 何だか印象派のモネの絵のような句ですね。と言う感想を書いていること自体、すでに既視感に襲われる読者の読み方。睡蓮に埋め尽くされた水面、実景としてはとても感動的なのですが、俳句にして読者にその景を脳内で再生産させるとなると、これぐらいでは感心して貰えません。そこが俳句の難しいところ。一案としては「水面」をもっと飛躍して違うもので見せたいところです。

(1)新樹よりあまだれ伝ひ牧しずか  小口泰與(60代,男)
(2)真向ひに青き赤城や麦の秋
(3)草茂り雉の鋭声のうらがなし
(4)毛虫焼く二人がかりの四つの目
(5)子等の顔貌かほや手長蝦
(6)遠山の嶺々けざやかや踊子草

 よろしくご指導願います。
ドクター塩見の診断と処方箋
 たくさんいただきましたので例の如く寸評でお許し下さい。
(1)材料が多すぎ。「牧しずか」は魅力的なフレーズだが、「新緑」というこれまた漠然と大きな季語との取り合わせはもう一つ。
(2)青と赤城のつながりに作意が見えすぎ。
(3)うらがなし、がつまらない。
(4)二人がかりの四つの目、の数字が理屈。作意が見えすぎる。
(5)おもしろい。が作意として「かお」の字変換が見えるのであざとい。
(6)平凡。
 厳しいコメントになりましたが、(5)がやはり魅力的です。手長エビを川底にのぞき込む子どもたちの景を平明に(実はこれが難しいのですが!)詠んでみてください!この句は良い句になりそうです!


2007年6月12日

洗濯物乾きて候山笑ふ  岡野直樹(40代,男)
 とにかく作ってみるという感じで、よろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 とにかく作ろう!という姿勢としてはとても大胆でテクニカルと思います!洗濯物が乾く、というごくごく日常の景色を「候文」で書くなんて!この「候文」体、明治の新派、ま、単純に言えば子規門下の句に散見。現代俳句で使えば温故知新の面白さをもつものだろうと、僕自身も実は狙っていたフレーズなのです。洗濯物乾きて候、いいですね!なんだかマイホームパパの素浪人、という感じ。山笑う、という牧歌的な季語もよく効いています。

(1)五月晴れパソも回復一番に  菊美(60代,女)
(2)蛍とぶ里の便りがとどくころ
 お世話になります。メールアドレスなし投句、ご迷惑おかけして以来、パソコンとまりました。パソ先(娘が)直しに来てくれました。よろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)問題作ですねえ!「パソ」というパソコンの略語がどこまで通用するか。現状ではちょっと厳しい感じ。あまりにも安易な略語と取られそう。第一「パソコン」自体が略語ですから。以前僕は「自販機」という言葉を使ったときでさえ年長の俳人に「自動販売機といえ!」と叱られる世界ですから(笑)。ともかく「パソ」は略語故、この句の気分の良さを伝えるのに軽く取られそうなのが難点。「一番に」は特に言わなくても良いフレーズなので、「まずパソコンを回復す」ぐらいでおさめたいところです。五月晴れとパソコンの取り合わせだけでも随分斬新ですよ!
(2)俳句形式の中で安定した世界。地味ですが、まずまず。

(1)父逝きて私は草をザクと刈る  ポリ(50代,女)
(2)たまねぎ一個すきとほってあまくなる
 いつも句をみていただき、ありがとうございます。よろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)切ない句です。しかし、この切なさ、「私は」とするとなんだか、ちょっとナルシズム的な要素が加わってしまいそう。この句は現在の事実かもしれませんので安易な添削はできないのですが、ポリさんが落ち着いて、この世界が客体化できたとき、「私」でないもの(たとえば身内の誰かなど)に推敲されたときこの句の凄みはいっそう増しそうです。僕自身としては草を刈っているのは「誰か」について、すでに誰でも良いように思うので「私は」に値するような主語的な人物さえ不要に思います。
(2)私事ですが、先月、たまねぎでひたすら句を作っていたので、この句には親近感を覚えます。たまねぎの透きとおる。いい感じですねえ。男の僕には思いつかないフレーズ。しかし、「あまくなる」で単にい炒め物の説明。このあまくなる、ということを比喩的に表現した、それでいて飛躍したフレーズでしとめたいですね!

(1)つばめ語の解らぬ猫の昼寝かな  釜井 公子(70才以上,女)
(2)初物の鮎標本の骨となり
 少し褒め言葉も頂くご指導、続けられそうです。よろしくお願い致します。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)ユニークですね。「つばめ」「猫」に他のものを置き換えて、より優れたペアができないか、と思わず考えさせられてしまう。しかし、そうした「次に同じ手で来る句」を生み出しそうな句は、きっと良い句です。シンプルで、ともすれば理屈っぽいともいわれそうですが、現状この句は問題提起を読者に与える力を持っています。というわけで、僕は買い!
(2)これは、上手に鮎を食べました!という句でしょうかね。それともほんとうに初物の鮎を標本にしちゃったのかな。後者ならもったいない!前者ならちょっと説明的。この句はちょっと買えません。

(1)ユスラ熟れ敗戦の空真青  豊田ささお(70才以上,男)
 6月3日付けの坪内先生のユスラウメへのコメントから、「戦争に負けて食べるものがない、ユスラの実を食べた、ユスラ、ユスラ、ユスラの実があまい・・」という笠木透のフォークソングを思い出してしまいました。実は以前に出した鳩と憲法九条の句も透さんの詩「鳩は平和を運ぶ鳥九の鳥と書くのだから」から借用したものです。長くなってすみません。
(2)一条の光さしこみ未草
 ジュンサイを育てるべく池の周りを切り開いたら、明るすぎてジュンサイばかり育って他の水草は消えてしまいました。ジュンサイがびっしりで池の中が暗くなったのです。うまくいかんものです。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)船団の近号は会員による「昭和についての句」の特集。さまざまな世代が、多方面から昭和を詠む、というものでした。万博や、全共闘、3Cや経済的な成長を詠む句も多かったのすが、やはり戦争の句も多くありました。それだけまだなお、戦後は終わっていない、と実感。願わくは、今が「戦前」と呼ばれる日が再び来ないことを。
 さてユスラウメから敗戦の句は新鮮。ただし、この敗戦に関する述懐ではだいたい空が青かったことが述べられているんですよね。きっと当時の人はみんな虚脱状態だったのではないか。そしてそういうとき人は空を見上げるのだ、と僕は理解しています。少し以前の本になりますがジョンダワーの『敗北を抱きしめて』がベストセラーになりました。あの本の中にあったと思うのですが、どこかの農村はほとんどが8月16日の朝、寝坊していた、ということが書かれていたことが印象的でした。そういえば8月15日のことはよく聞くのですが、一晩寝て落ち着いた人々が迎えた8月16日の朝ってどうだったんだろう。そういう俳句を見てみたいとも思う今日この頃です。
(2)は「未草」がちょっとはっとさせられるのですが、全体的におとなしく、特に一条の光がさしこむ景は、鮮度が落ちている景と言わざるを得ません。
 PS:ジュンサイ後日談、面白く拝読させてもらいました。ほんとに世の中、なかなか思うようにはいきませんね。

(1)短夜の死に顔のみな似たりけり  きなこ(50代,男)
(2)西日さすなを老犬は尾を振りて
 よろしくご診断下さい。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)ほんとうにそうでしょうか。一瞬、そのとおりだな、と思いかけた僕がブレーキを踏んでいます。60年前のサイパンの兵士と未来の僕は、死に顔は似ているのかな。貧しい国のどこかの子どもと、未来の僕の死に顔も。たぶん、今の日本の世の中の、病院で死を迎えた人の死に顔は似ているのかもしれないけれど。大きなテーマですのでやはり問題作としてみんなが足を止めて考える句だと思います。そして僕は、この句にちょっと躊躇します。
(2)「なを」がやや説明的。ここに気持ちが入りすぎています。老犬になってもまだ尾を振る犬にちょっと作者はアイロニーを見ています。「西日さす」と言う季語が「晩年」という意味に繋がりやすく、その生き方を問うような説教的な句になっていると思うのです。ただし、こういう、「老年探求」というジャンルは現代においては大衆的なテーマなのでたくさん作るとポピュラーな句集ができるかもしれませんよ!

(1)サボテンの打撃蛇にょろ迷ってく  裸時(30代,男)
 我が家のサボテンは蛇みたいです。
(2)夏の雨井上ぷかし戯れる
(3)隣人のニートの断層の空蝉

ドクター塩見の診断と処方箋
 不条理な俳句は嫌いではありません。たとえば摂津幸彦などはその代表格。そして裸時さんの今回の句もかなり不条理なのですが、どこか、その狙いが違うのです。たとえば、
(1)は「サボテンの打撃」
(2)ぷかし
(3)ニートの断層
 このあたりのいわば「語彙レベル」の不可解さが読者を寄せ付けない。不条理は取り合わせで発生するのであって短詩形である俳句の中で理解できない単語レベルの接続が発生するのはちょっと損な策と思うのです。yただし否定はしません。この手で上手くいく俳句が何句かはあるかもしれないからです。但し現状としてはひょっとしたら五百年生まれる時代を間違えた俳句かもしれません。

(1)薔薇咲いて指にピンクの絆創膏  鴻之助(50代,男)
(2)風薫る母の鼻歌空耳に
 塩見ドクター、初めまして、よろしくご指導をお願いいたします。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)花と絆創膏、なるほど、と思うぐらい直感的にうまく行きそうな取り合わせの方法だな、と思いました。しかし「薔薇」と取り合わされると、単純に「あの棘でケガをしたのか」と思われて損です。絆創膏の色として「ピンク」も効きが薄い。どこまで、その良さが解って貰えるか。多様に読まれると言うよりは、むしろ、適当に読まれてしまいそう。そこが怖い。
(2)風に乗って空耳の母の歌が聞こえてきた、と因果関係的に読まれそう。
 ところで、今日、僕は朝散歩していて、ちょっとした事件があったのです。それは散歩の途次、道の真ん中に枕が置いてあったのです。あれ?と思いますよね、普通。そこでふと見上げると、そのそばにマンションが、三階のベランダに蒲団を干している家庭が。「なあんだ、あの家から落ちたんだな」と納得。実は、これ、俳句の作りなのです。「マンションの下に枕が落ちている」では事件性はなにもない。これは説明文であって詩にはならない。しかし「枕あり」と始めて、その中下に「枕の上にマンションが」とすると、「なあんだ!」となります。このはっと緊張させるムードからくつろぎの方向に行く、これが俳句のセオリーの一つです。(必ずしもこのパターンばかりではありませんが)したがってこの句も、「空耳に」から始められて読者に「どんな空耳だろう?」と思わせ「母の鼻歌」と中で繋ぎ、読者に空耳の母の声としてさまざまな作者と母とのドラマを思わせ、最後に「風薫る」とくつろいだ季語を提示する方がずっと、俳句としては緊張を保てそうです。


2007年6月11日

(1)「花」という猫の背中に夏日影  れい(70才以上)
(2)アイロンを身体ごと押す更衣
(3)初夏やバスを乗り継ぎ花行脚

 よろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 どの句も面白いですね。(1)「 」はうるさいので取ってしまっても良さそう。はな、とひらがなにしても良いかも。いずれにしても猫に付ける名前としていい感じ。句が夏日「影」なのに全体的に明るくくつろいだ空気になっています。
(2)抜群。アイロンを体ごと押す、素敵なフレーズ。「更衣」は近いかもしれませんが、季節の気分として、僕はぎりぎりセーフと思います。
(3)花行脚がやや説明ですが、初夏のバスを乗り継ぐ、バスを降りてバスを待つ気分、徐々に花に近づいていく心の高揚感がいい感じです。

橡の花見上げて雨の雫かな  RAN(70才以上,女)
 盛岡の県庁通りの橡の花は今盛りです。
ドクター塩見の診断と処方箋
 あら!このお便り、盛岡からですか。ありがとうございます。学生の頃、卒業論文のため啄木の歌集を鞄に詰め込んで青春18切符で神戸から盛岡(渋民)まで一人旅。宿もその日その日適当に決めて、デカダンスにすごした夏を思い出しました。(もっとも宿の方には気を遣わせたと思います。自殺志願者じゃないかと勘違いされたか、しょっちゅうお茶を持ってきてくれて「観察」されているのには閉口しました)。
 橡の花の花穂を見上げれば、そこからぽたりぽたりと雫が垂れている。そういう句ですね。あのちょと長い花穂を伝う雫に閑かな抒情があります。欲張れば盛岡、という地名が入っていればなおさらよさそうな句ですね!(余談:そういえば梶井基次郎の私信形式の小説に「橡の花」というものがあります。梅雨時の雨、奥の細道の話題、叙情性、この句と共通項がいくつか見られる感じ。短いものですしインターネットの「青空文庫」に入っていますからお暇なときにお読みになっては?)

(1)ハンカチの西と東で振る別れ  藤井茂子(60代,女)
(2)芸人のふっとため息夏の夜
(3)沖合いのヨット操る腕光る

 夕凪の時の情景ですがヨットと季重なりになりますので、沖合いにしましたがよろしいでしょうか?
(4)隣県に田植え祭りのアドバルーン
(5)桐の花野鳥午睡の花ぶとん

ドクター塩見の診断と処方箋
(1)うーん、ちょっと「西と東で振る」、というところ、今までの茂子さん俳句を読んでいる読者の一人としては「安直じゃないですか?」と問いたい。分かれに振るハンカチも、季語としての効果は薄い。
(2)これも芸人でエンターテイナーとしては、一人になった夜は溜め息もつくだろうよ、と思う。従って平凡。芸人のこういう姿はあまり見たくないですし。
(3)ヨットの人の腕が光っている姿は格好いい。しかし「沖合の」とか「操る」という言葉は意味の停滞をもたらしていて不要。
(4)景鮮明。きれい。できれば「隣県」でなくはっきり県名を言われた方がもっとすごい句になりそう。
(5)見立が平凡。この句はお蔵入りにした方がよさそうです。
 すみません。段々のぞむところが高くなってきて、厳しいコメントになりつつありますが、懲りずにおつきあい下さい。

白詰めの敷き咲く上の十五歳  岡野直樹(40代,男)
 盛りかと思えるように咲き広がる白詰め草を見て、何かできないかと思ったのでした。よろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 白つめ草とか、クローバーと苜蓿(うまごやし)とか、いかにも青年にあう季題。そういえば函館にいた青年・石川啄木が地元の宮崎郁雨などの友人と作った文芸の会もその名も「苜蓿会」。いかにも、と言う名前です。頂いた句はその啄木の「不来方のお城の草に臥ころびて空に吸はれし十五のこころ」という『一握の砂』におさめられた代表歌の本歌取り、といった感じ。こういう時は、本歌を越えるパワー額にあればいいのですが。

シャーベット壊れるくらいに場が痩せる  裸時(30代,男)
ドクター塩見の診断と処方箋
 ユニークな句ですが、川柳に近い笑いかもしれません。たとえ「シャーベット」と言う季語があってもです。僕が魅力に感じるのは「場が痩せる」というフレーズ。俳句的に行こうとするなら「場が痩せて」として上5に置き、断点(切れ)をつくって、下に「壊れごろなるシャーベット」とします。頂いた句はまっすぐ場を痩せる一つの象徴として「シャーベット」を見せているところが川柳的発想かもしれません。「場が痩せて」で5句ぐらい作ってみてください。

(1)こもごもの思いは胸に五月果つ  遊雲(70才以上,男)
(2)水無月や月も星座も三角形
(3)指先に薄れる思い出ジューンドロップ

 いよいよ今日から6月。10日もすれば入梅。祇園祭のお囃子(17日)で梅雨が明けます。ところで、ひょんなことから「ジューンドロップ」という季語があることを知りました。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)はやや観念的。「こもごもの思い」では作者以上に読者がその思いに迫れない。逆に言うと流行歌的な普遍性があって読者が勝手に自分の「こもごもな思い」を重ねることはできますが、そこまで叙情的に浸れるほど俳句の形式は長くない。そのドライな形式とどう付き合うか、という問題提起を投げかけています。
(2)は「三角形」がややわかりにくい。すとんと読者に落ちてこない。従って理屈を考えてしまおうとさせてしまう。
(3)これは不思議な句。「薄れる思い出」がやはり(1)と同様、抒情に流れるのですが、指先の、があってその実感性に救われている。それにしてもジューンドロップという季語、考えてみれば木々が自らの子孫の間引きをしているわけで、そういう意味でこの句を取ると、「薄れる思い出」にとてつもなく土着的な怖い経験が読めてしまう句にみえてしまいますね。

人人さくらのトンネルこわいな  ねぎよしこ(70才以上)
 さえづりと木槌のこだまとさえづりと。だんぜん響きが聞こえてステキな音楽。有難う御座いました。贅沢な勉強をさせていただきました。
ドクター塩見の診断と処方箋
 なにか、人にある原風景に訴えかけてくる句のようですね、字足らずの破調も、この句ではそれなりの雰囲気を作る効果を助けています。「桜がこわい」という感覚は近代の文学的伝統のような気もしますが、これだけ単純な語彙で、作られる句には迫力すら感じます。


2007年6月10日

店蔵の白壁伝ふ緑雨かな  しんい(女)
 「店蔵や緑雨明るきつくば道」の句、店蔵と緑雨の取り合わせでと・・・有難うございました。推敲句で無いのですが、もう一つの句がこれ。白と緑がいかにもと思いまして躊躇しておりましたが、宜しくお願い致します。
ドクター塩見の診断と処方箋
 きれいな句ですね!雰囲気が圧倒的によくなっています。なんと言ってもシンプルになってきました!さて、もう一踏ん張りしましょう。これではおっしゃるように「白」と「緑」の対比を読んで欲しい!と言う作者の思いが生に出過ぎるのでもう少し離しておきましょう。

(1)大臣の不自由泳ぐ子の自由  文の子(60代,男)
 これは現在ですが、再三ご注意頂いている川柳的と思いつつお出ししました。宜しくお願い致します。
(2)なほ沖へ泳げり父の後追ひて
 6/1のご診断有難うございました。「素材に斬新さはなくシンプルな世界ですから逆に見てはどうでしょう。」は大変勉強になりました。また、腰のことまでご心配頂き恐縮しております。お蔭様で医者からは驚異的な回復(治療期間は通常の半分で済みました)と言われました。そろそろ今の句を詠みたいと思っておりますが、掲句は50年以上前のことです。宜しくお願い致します。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)泳ぐ子の自由、面白いですね!この「自由」と言う言葉、現代を語るにおいてキーワードかもしれません。この句の中の自由はほんとうに奔放な自由。しかしたとえば泳ぐのでも「自由形」とすると全然自由じゃないですね。また、列車の「自由席」も全然自由じゃない。むしろぎゅぎゅうづめで不自由。そんな所に目がいくのもひょっとしたら川柳的かもしれませんが。頂いたこの句、「大臣の不自由」という対句は、あきらかに泳ぐ子の自由、という伸びやかで奔放なフレーズを不自由にしています。
(2)うーん、なんだか、この句は下のご説明を読まなくても、戦争句みたいに読まされてしまいました。この海に何だか、沖縄を感じたから。むかし6月、沖縄にあった話のよう。じわっと読まされる句です。
 PS:驚異的な回復!ほっといたしました。また俳句に集中できますね!

さくらんぼ歌麿描く乳首○  雀子(60代,男)
 先日、浮世絵展へ行ってまいりましたが歌麿の美人画は顔や髪に比べ乳首は実にあっさりしたものでした。
ドクター塩見の診断と処方箋
 乳首には関心がない?もしくは時代の公序良俗に対する意識が高く、リアリズムに徹しきれなかった?どちらとしても、あまりにこの句の座5は雑かな、と思います。この発見自体も、あまり良さはわかりませんが、せっかくの「発見」ですから、僕自身としては「乳首○」と表記で言ってしまうよりは、「乳首まあるく」ぐらいで通用させたいところです。やはり若干のバレ句、イロモノ的な要素の素材なので、品は落としたくない。「さくらんぼ」もややつきすぎな傾向がありもう一つです。おそらく句会での取捨は選者の性差から、かなりの差が出そうです。激辛コメントですがすみません。

吉とでて五月終わりの日曜日  れい(70才以上)
 おみくじのことなのですが、よろしくお診断くださいませ。
ドクター塩見の診断と処方箋
 説明を読んでしまっているので「吉と出て」というフレーズに「おみくじを引く姿」を読みとることに抵抗感はありません。ただし、一般的な句会ではどうかな、という不安もあります。五月末の日曜日とおみくじにはとくに関連的なものがなく、個人的な体験に過ぎないから。しかし言葉が足りないことをきにせず、うまくリズムを作られていますね。くつろいだ句です。概して、俳句は短詩なので、その短い中にできるだけ、説明的要素を入れたい、と思う人が多い中で、どうどうと言葉の足りないままに作れる、というのは実はすごいセンスなのです。僕が中学生や高校生と俳句を作っているとき、大方、一杯説明してごたごたなくを作る生徒さんが多いなかで、説明から抜け出した生徒さんは必ず、その後素敵な句を連発しだします。

水無月のてるてる坊主俯けリ  藤井茂子(60代,女)
ドクター塩見の診断と処方箋
 梅雨時というのに、神戸は全然雨が降りません。頂いた句、これは逆にお役に立てず、雨降りの日のてるてる坊主の含羞。かわいらしい句だと思うのですが、欲を出せば「俯けり」が生乾きなので、もう一工夫言い方を考えたいですね!

(1)雨宿り苗物を見るロック聞く  林 忠男(60代,男)
(2)ランドセル三つ持つ子の汗光る
(3)鮎の瀬え急ぐ四十五度の人

 先回のご指摘ご指導有難うございました。
ドクター塩見の診断と処方箋
(2)がかわいらしい。じゃんけんで負けた子が、みんなの鞄を所定の場所まで持って歩く「鞄持ち」。負けて持たされている子の閉口気味の笑顔が「汗光る」でよく出ています。ランドセルも「三つ」ぐらいの数がいい!これが十個もあればいじめです。
(1)ちょっと材料が多い。雨宿り中に苗物屋の軒を借りた、そこでは苗物を見るつもりは当初なかったのだが耳にイヤホンをいれてロックを聴きながらなんとはなしに見ている自分。イヤホンからはロックの音が漏れてきている。と言う句ですね。「苗物を見る世界」「ロックを聴く世界」どちらかに絞ってみたいです。その上で2〜3句作ってみても良さそう。
(3)渓流釣り。ちょっと山道を上がって「四十五度」になっているんですね。この句も見方は見どころあるのですが、読み方に多様な広がりがない。「急ぐ」という言葉が元凶です。

(1)雨後の朝明り増したる若葉かな  小口泰與(60代,男)
 5/31の塩見先生のご診断有難う御座いました。早速、「草そよぎ八千穂の里の代田かな」を「八ヶ岳八千穂の里の代田かな」と推敲いたしました。
(2)雨しとど絹綾のやう新樹かな
(3)綿菓子のくるくる回り雲の峰

 よろしくご指導願います。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)雨後の若葉、(2)雨の中の絹のような新樹(3)綿菓子と雲、いずれも少し取り合わせ、あるいは見立が平凡。いっぺんリセットしてみましょう。深呼吸して目をつぶって、そして眼を開けて・・・。小口さんは多作な作者。既に多くの句を物されていますから、おおかれすくなかれ作句パターンというものが形成されているのでしょう。しかしそのパターンこそが危険。ここらで一度、変化してブラッシュアップ。創造の前の破壊をおすすめしたいです。言葉から離れて物を見てみるのが必要かもしれません。

(1)闇に押し出される如く桐の花  未知(50代,男)
(2)次々に目覚める如く薔薇の花
(3)原作をなぞるが如く蘭の花
(4)はくれんやひらがなの解ける如し

 ご教示を。
ドクター塩見の診断と処方箋
 いわゆる「ごとく」俳句の実験。一般的によく言われない物に挑戦される勇気に敬意を表します。(これ、本気です) 頂いた句は「ごとく」俳句の中でも(1)(2)と(3)(4)では趣が違いますね。前者はそれぞれ季題の花の風体、後者はそれぞれの花の「比喩」です。前者の場合はそれぞれの花の見え方に新味が欲しいところ、頂いた句では「闇に押し出される」や「目覚める」という擬人的な表現は既に手垢にまみれているように思います。後者の場合、意外な見え方があればよいのですが「原作をなぞる」「ひらがなが解ける」というような言い方はやや独善。「A(名詞)がBする(動詞)ごとく」という言い方がすでに説明しようとする散文の流れですので、Aの部分を省略していきなりBから入ってみるのも手です。

栗咲いて鍬打つ畑乾きけり  豊田ささお(70才以上,男)
 早くも6月ですね、船団俳句に憧れてクリニックを受け初めて10ヶ月目です。どうやら憧れの対象のままにすぎゆくようで、悔しいですがこれが身の丈ということでしょうか?(語彙の貧しさを痛感です)
ドクター塩見の診断と処方箋
 ああ、僕の郷里では減反のために、田圃を栗畑にしています。従って、この句の「畑乾きけり」にちょっと目頭が熱くなるような思いがあるのです。「百姓は米を作ってなんぼ」という祖母の言葉をふと思い出し、嘗ての田であった地が栗畑になっている無念を思い出すから。だから僕個人としては、この句への思いはひとしおなのですが、一般的には、この句は栗の咲く頃の里村の農作業のワンスナップととらえられて、あまり感慨を催さないかもしれません。栗咲いて、から始められて、その栗の花咲く世界から一呼吸置いた日常に引き寄せられた句を作られるのも良いでしょう。

(1)窓に置く観察ケース夏の星  玉白石(50代,男)
(2)クローバに包囲されたよ僕の城
 よろしくお願いいたします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 諏訪ではお疲れさまでした!お目にかかれて嬉しかったです!
 さて(1)上中のフレーズが素敵。夏の星の季語を斡旋してしまうと、観察ケースと言う素敵な素材がちょっとぼやけてしまいそう。この句は「観察ケース」を主役にしたい。
(2)「僕の城」、特に「僕に」というフレーズが物足りません。あるいは「包囲されたよ」という「たよ」と言う言い方が幼いからでしょうか。思い切って、たとえこの句の着想が子どもの言葉からであっても「クローバに包囲されても僕の城」と唯我独尊の籠城を決め込みたいところ。こうすると、ちょっと青年のナルシズムの匂いにも近づきそうです。


2007年6月9日

(1)心太流れて胃の腑に落ち着けり  うさぎ
(2)川風に湯気揺らぎつつ泥鰌鍋
 苦手な心太と泥鰌鍋の改作です。心太はつるつるの食感と清涼感、泥鰌鍋は夏にあえて熱いものを食べる江戸っ子の心意気をつたえたいのですが。。川下へ湯気揺らぎつつ も考えましたが? P.S.住んでいた東京、下町の森下町に泥鰌料理の老舗があります。宜しくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 うーん、(1)は平凡ですねえ。胃の腑に落ち着く、と言うフレーズはすでに日常会話でも使う。心太も流れるというのでは普通。つるつる感はあまりない。
(2)はちょっと気配はありそうですよ。湯気揺らぎつつ、がもう一つですが、土場鍋が自らの故郷の川風に流れて川に戻っていく感じ。ちょっとした滑稽感と哀感が漂いますが、それは底辺。直接的な描写の世界は江戸下町の夏の風情なので、重層的に詠ませる句になりそうです。

豆ごはん一つぶ星のともるかな  穂波
 今日(5/30)付けのコメント、ありがとうございました。観音さんの句の野の花は、地元の方がお供えしたもののようです。私が行った数年前には、堂守もお坊さんではなく、地元の方がなさっていました。そういった土地の雰囲気を句にしたかったのですが、難しいですね。少し時間をかけて考えます。新しい句をお送りします。ご指導よろしくお願いいたします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 豆ご飯、ご飯にまぎれたグリンピースの一粒、それを丁寧に箸でつまんで食べている夕暮れ。そんな豆のような星が窓外では一粒灯る、と言った句ですね。この句は豆を星の比喩として読むよりも、断然、前に示した取り合わせの句として読みたい句です。豆ご飯の中の豆と大宇宙の星一粒、きれいに響き合っていますね!

芍薬やガラス張りなる義母のぐち  多弁(60代,男)
 よろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 義母の愚痴、もう愚痴の域を超えて熱弁となっている感じ。筒抜け、ガラス張りなんですね。ガラス張りの温室で育てられるシャクヤクのそば。しかし、シャクヤクと愚痴を表現上は同質化しているのですが、やはりしっくりこないですね。義母の愚痴だから義理の息子もうんざりでしょう。したがって、愚痴が芍薬のように美しくは迫ってこない。芍薬が愚痴のような咲き方ならこれも美しくない。ちょっとこれは無理のあるようです。

枇杷の実や安房の海光眩しかり  しんい(女)
 宜しくお願い致します。
ドクター塩見の診断と処方箋
 枇杷の実と安房の取り合わせは素敵。そこの海も素敵です。ただし「光眩しけり」はいただけません。(難点は二点です。海の光が眩しいというのはわざわざ言うのには平凡すぎること、それと枇杷の実「や」と切ってまた眩し「けり」と切って二段切れが発生していること)ここを是非とも何とかしていただきたい。一案としては安房の海まで枇杷の実の眩しけり、とするなど眩しいものを枇杷の実に転化する(それでもまだそんなに派手な句にはなりませんが・・・)、あるいは「眩し」を外すことなどです。

泉よりあふれて別の水となる  遅足(60代,男)
 うしろのしょうめんだーれ、の診断、ありがとうございます。泉の水と、流れだした水と、どこか違った感じがするのです。どこがどう違うのか?分かりませんが。別の水となる、という表現がどうかな?と、思います。診断をよろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 泉からあふれた水は、もうすでに泉ではない、そういった眼付けはすばらしい発見と思います、ただ頂いた句は「別の水となる」があまりにもそのままですね。巧さを感じるのに損をするのは「となる」が説明的だから。発見は座五までぎりぎり引きつけたい。「別の水」あるいは「水は別」という座五でこの句の世界を締めてみると、ぐっと引き締まった句になると思いますよ。

(1)朝採りの高原キャベツ高々と  小口泰與(60代,男)
(2)麦稈帽牧草ロール横たはり
(3)九輪草中禅寺湖に靄起ちて

 なお、「桐咲くや奇岩の山の彫り深し」を「桐咲くや奇岩の山の巌こぼつ」に推敲してみました。よろしくご指導願います。
ドクター塩見の診断と処方箋
 いずれも素敵な素材。気分がいいのですが、
(1)「高々と」がやや安易な決着。ここがもったいない。
(2)語順をかえて「横たはる」から始めませんか。このままではやや説明文的提示。
(3)湖に靄が起つ句はごまんとありそう。中禅寺湖の良さをもっと引き出したい。

(1)小鴨もにはあまりに広き濠なりし  えんや(60代,男)
(2)蛙の子青空を見て潜りけり
(3)草むしり軍手はいつも手で洗ひ

 宜しくお願いいたします。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)は「あまりに」が説明的。たしかに小ガモには濠は広いのですが、それだけの説明句になってしまっているのが残念。小ガモから見て濠は何に見えているか、そう考える方が俳句を作っていて楽しそうです。「濠」と言葉にすれば、人間的な認識になってしまって損。
(2)これも「青空」がどこまで効いているか、あるいは青空を見てからの行動として「潜る」が読者を心地よく裏切っているか、疑問。
(3)この発想は面白そう。草をむしった後、草むしりで汚れた軍手をはめていた手が今度はその軍手をいたわって洗う。なんだか二重構造の句ですね。その二重構造性をうまく言えばもっとうまく世界を作れそうです。

(1)夢ごとに転生するは桃の花  裸時(30代,男)
(2)九段下最凶のメスひきがえる
(3)どくだみがポロッと出ますな筋トレ

 猫を洗っていたらこんな時間に(^^;
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)は平凡かもしれません。桃に生命的イメージを仮託するのは、古代中国の民間信仰以来の伝統。
(2)九段という特殊な場所。そこから靖国神社を連想させやすい。「九段の母」ではないけれど、そこに女性を置くと通俗的。その漢字を一転してヒキガエルでひねってみた、しかも「最凶」の、という句。完全に毒の効いた社会諷刺の句。これは好き嫌いがはっきり分かれそう。僕はこういう政治的な匂いのする句は苦手。
(3)この句の「ポロッと出ますな」というフレーズは素敵。「筋トレ」も俳句に入ったら面白いことば!ただ、全体的にまだこれは荒削り。もう少し、平明にできそうです。


2007年6月8日

さくらんぼ孫の彼との初対面  れい(70才以上)
 よろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 面白いですね。孫娘さんの彼氏さんですね。さくらんぼ、という季語から、もうおばあちゃんにとっては孫の彼も、孫同様。ほのぼのとしたおばあちゃん主導の会話を連想。この彼氏さんも徐々にほぐれていっておばあさんになついてそうですね。

向かい合いぶぶ漬けの音五月尽  藤井茂子(60代,女)
ドクター塩見の診断と処方箋
 お茶漬けのことを「ぶぶ漬け」といわれるとどうしても「京都のぶぶ漬け」を連想。京都のぶぶ漬けといえば、早く帰って欲しい客に勧める物としての慣用句。というわけで向かい合って食べているこのぶぶ漬け、やや緊張したぎこちない無口な空間を連想。五月尽の夏座敷としてのくつろぎは感じられず、こういう場は僕は苦手。

(1)雨を突き雨に撃たれて石鹸玉  文の子(60代,男)
(2)麦の秋児は漢字にて名前書く
(3)麦秋の悩みあるらし女子社員

 宜しくお願い致します。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)リフレーンがお洒落、シャボン玉と雨との微妙なそれでいて対等なる閑かな戦い。
(2)漢字と児の句については随分苦労されているようですが、これも、気分はよく分かるのですが(僕にも小学校二年生の子がいて最近漢字で名前を書いているのを見ると嬉しい)、説明ですね。ちょっとひねりをいれないといけないようです。〈麦の秋児は名を書けてから読める〉とか。たとえばですが。大人の価値観とは違う世界に子を置きたいところです。
(3)女子社員ですからね、やっぱり悩みもあるでしょう。というわけで詠まれている世界はごくごく日常。それをどうやって悩みあるらし、といわずにその様子を描写するかですね。頬杖を付くとか、眉間のしわとかありきたりなものではダメですよ。また「悩みあるらし」という程度の距離感も傍観的で何も事件が起きないかんじ。突き放すか近寄るか、とにかく、表現は日常を越えて度を超さなくては活けません。

サングラス流行にできぬ禿頭  島懐(70才以上,男)
 これまでに通読してきた句集の中に捻転先生の句集もあり、概ね俳句の世界には三つの流派が存在することを認識しております。昨年7月より、NHKの俳句教室に学び「ホトトギス」派の先生から指導を受け、おぼろげながら「五七五にする、季語を織り込む」という俳句の基本的な詠み方を理解できたと思います。しかし古い時代からの季語を是非に読み込まなければならないことに矛盾を感じ始めております。これからは少し異なった視点からも俳句を勉強したいと思っており、貴会への入会を希望しております。よろしくご指導のほどお願いいたします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 俳句の流派は3つ!そんな難しいことはよしにして「良い俳句は良い」派でいきませんか。伝統系とか、現代系とか考えず、良い俳句を作る。良い俳句とは読者を楽しませる俳句です。現代がな旧がなとか、文語口語とか、ちょっと今は狭い「カテゴリー」で分類されすぎている、とも思います。俳句は技法を凝らした言葉ではなくありのままの表出でよいのだ、という方もおられますが(そしてそれが復古主義の現代ではいちおう主流です)、何か禅に通ずるような、あるいは徒然草的処世訓(たとえば232段)に通ずるようなそういう感じでとらえられ、誤解されている感じがします。実は一般にそういわれる大家の俳句ほど、伝統的なレトリックを使われていることは多い。僕の考え方はちょっと違うのです。僕もある時期俳句は語彙だ、レトリックだ、と思って、ひたすらいろいろ試してみたのですが、所詮五七五ですからできるレトリックは限られている様な気がしました。(もっともまだまだ隠れているものもある、という前提ですが、有限という意味で)口語的な新しい言葉、語尾を使用したところでも、結局はそれほど斬新な句はたくさんできない感じでした。そこで読者を楽しませるのには「眼付け・ものの見方」を研ぎ澄ました方がいいな、と最近思っているのです。その眼付けを生かすために技法を用いる。眼付けは無限の素材、技法は味付けです。だから僕は、達観した技法否定論者ではなく、もっと俗物な意味で、技法をあくまで「手段」として主要にはしていません。さて前置きが長くなったところで、頂いた句ですが、サングラスと禿頭は「コワモテ」な面白みがあるのですが「流行にできぬ」が説明しすぎたかと思います。「サングラス」「禿頭」として、その二点の関連をうまく射止めるものの見方のフレーズを考えていただければ。たとえば僕なら「眼付け」としてそのコワモテを逆用して、二点をセットでは使わずサングラス外してのこる禿頭と一転させるかと思います。

(1)穹破る形なりたる竹皮かな  未知(50代,男)
(2)東日流野の海の高さに代田かな
(3)西行を追ひし芭蕉が栗の花
(4)麦酒飲む夕日差し込む芝生席

 ご教示を。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)穹(あおぞら)、ここでは「そら」と読むのでしょうが、ちょっと衒学的な感じ。こういう難読の字を用いる句は実はその字だけで脅しにかかっていると見られて損。(もっとも著名な俳人でもこういう難読漢字が好きな方がおられますが)。現在、僕は小学生でも読んでわかる句の方が「エライ」と思うので取らない。
(2)これは小学生にもわかる句なので取りたい!東日流野の田圃に張った水は海の高さと一緒!といわれるとそれが嘘であってもなんだか嬉しい気持ち。田圃を見てこの辺りが海!と思う高さに足を差し入れたい。
(3)「栗の花」で果たしてマッチしているのかどうか。これは季が動きそう。「柳」はつきすぎでダメでしょうが。
(4)は平凡。ナイター観戦の説明句。

(1)新緑の裾より見上ぐ磨崖佛  せいち(60代,男)
(2)靴紐の解けておりぬ時鳥
 宜しくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)うーん、この句は取捨が難しいですね。「新緑の裾」といってこの新緑がやや背景的な存在になり「磨崖佛」のほうに焦点があたる。新緑の裾という趣向を凝らしたフレーズによって、その大きさをより示している句なのですが、「磨崖佛」じたいが大きい物なので、その説明だけに終わってしまっている感もあります。
(2)時鳥の鳴き声が響く山の途次。ふと立ち止まったときに時宜にかなうようになく時鳥が印象的ですね。山頭火の「あるけばかっこう いそげばかっこう」という句のフレーズをも彷彿とさせる佳句。

草取りや草の言い分あると言う  ねぎ美子(70才以上,女)
 よろしくお願い致します。
ドクター塩見の診断と処方箋
 そりゃ、あるでしょうとも!草だって生きているんですから!「勝手に抜くな!」と怒ってるでしょうね。こういうことに気付けるのが俳句の面白さですね!ということで、草の言い分あるという、というふうに「人間」の視点から草を傍観して詠むのではなしに、ここまできたら草の言い分をそのまま写し取ってあげてください。草がどういっているか「草取りや『・・・・』と草」として『・・・・』に草の台詞を入れてあげてください。

(1)大丸へ径を問はるる夏木立  慈英(50代,男)
(2)汗の顔なんば花月へ径問ひぬ
 ご指導宜しくお願い致します。
ドクター塩見の診断と処方箋
 道を問う、問われると入った俳句は、結構よくある手なのですが、(1)(2)ともに面白いですね。僕の好みは断然(1)。夏木立、がやや苦しいのですが、街路樹の並木ととって、大阪御堂筋あたりを連想。そしてこういう「大丸」とかいう屋号は風俗的にもよく効いていて現代的。江戸の俳諧川柳にも「越後屋」はよく出てきます。おもに傘を貸すサービスをしていた越後屋を詠まれているのが多いのですが。現代なら「大丸」「高島屋」「三越」いろんな百貨店にそれらしい句を作っていくのも楽しそう。最近句会で見た句では「手袋が昼寝してます高島屋」(中谷仁美)の句がすごかったです。
(2)は「汗の顔」がおもしろいのですが「顔」まで言う必要があるかどうか、ここがこの句の少し難点です。

栗の花押し来る闇の真ん中に  豊田ささお(70才以上,男)
 五月闇とブーメランへの処方箋有難うございました。私には「なげてみる」「なげている」の区別もついていませんでした。ただ浮かんだ言葉にこだわっているようで、反省はすれど力伴わず・・です。
ドクター塩見の診断と処方箋
 「匂い」と言いたいところをぐっと抑えて、省略の効いたフレーズを考えられましたね。そしてやや詩的・感覚的な感じなのですが、いかんせん、闇の中の嗅覚で、しかもその匂いが「闇の真ん中」と表現されるのは常套だと思います。頑張ったわりにはあまり効果が薄い。僕もよくあることなのですが、こういった言い回しはすでに人口に膾炙している、ぐらいに考えられた方がよさそうでしょうね。「栗の花」でなく「沈丁花」「金木犀」などでもよくある手です。ぼくはこういうフレーズを「いつまで待っても幸せが来ないフレーズ」と呼んで思い切って捨てることにしています。


2007年6月7日

(1)一筆の心乱れし日雷  うさぎ
 文字の乱れから不安感、胸騒ぎのようなものを伝えたかったのですが?
(2)首筋のくすぐったさや夏日影
 「首筋のくすぐったさや薄暑かな」の推敲です。日差しが首や肩に当たると、暖かいをとおりこしたころ、チリチリとした感じ、しますよね?
(3)ぺデキュアを塗りなおして藍浴衣
「ぺデキュアを塗りなおして夏の雲」の推敲です。「卯月来ぬ」「夏ごろも」も考えましたが、素足の、下駄には、断然ぺデキュアが似合う と思いました。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)は「心」がやはり言い過ぎている感じです。文字の乱れから、不安な心理、胸騒ぎを読みとるのは常套で、むしろこれは流行歌的な普遍です。僕の目指す俳句はできるだけ従来の普遍の言葉づかいから離れて新しい普遍を獲得するほうを指向しています。
(2)「夏日影」が句を難しくしています。頂いたご説明はよく分かるのですが・・・。夏日の明るさをどう表現するか、とともにこういった句ほど、口語がパワーを持つような気がします。たとえば「首筋のくすぐったくて」としてみては如何でしょうか。それと夏日のチリチリ感のみならず、ちょっとした気分を出すなら僕は男性ですが「首筋のくすぐったくてワンピース」とか明るい季語を持ってきて、隠喩的に運びたいところです。もっともこうすると句のイメージが恋句になりそうなのですが。
(3)頂いた句は中の字足らずが気になります。「塗りなおして」を七文字にしたいところです。また取り合わす季語に関しては、「藍浴衣」は「ハマリ筋」です。「素足」「下駄履き」も同様。「断然似合う」という感覚が危ないのです。つまりこれは似合うと言うより、そうあるべきもの、という感じで予定調和だから。むしろ説明にしか働かない。というわけで、いただいた季語の案としてはわたしとしては断然「卯月来ぬ」という微妙な距離感がおすすめです。

(1)白シャツと新(さら)のネクタイ丸の内  文の子(60代,男)
 「ネクタイを締めて白シャツ丸の内」は「ネクタイを締めて がちょっとした人事の穿ちに近づく」とご指摘いただきました。掲句は如何でしょうか。
(2)柚の花や夫を迎へる割烹着
(3)神楽坂暮れて仄かに柚子の花
(4)継続が苦手な家系草を引く
(5)原宿にビジネスマンの増え五月
(6)初めての在宅勤務曼珠沙華

 季節が違うのですが、宜しくお願い致します。
ドクター塩見の診断と処方箋
(4)(6)が素敵で面白く、現代的です。
(2)は平凡。甘いノスタルジーですが。
(3)はお洒落なのでしょうが、関西人の僕にとってはその「神楽坂」に対する思い入れが薄く、ややローカルな句といえそうです。
(5)も(3)同様、こういった地域の句はよほどの破壊力がない限り(つまり、この地域でなければ!というイメージを他地域の人にも共有できない限り)、ローカルからあふれてグローバルになり得ません。(東京をローカルという僕も変ですが。あくめで地域性ということでのローカルです)
(1)はやっぱり辛いです。オフィス街のイメージである「丸の内」そこに「白シャツ」「ネクタイ」はくどい。そのくどさから暑さが出てくればいいのですが、それもあまり効果が期待できず、この句には拘泥しない方がよさそうですよ。使えない発想、捨てるときは思い切って捨てる英断も俳句の骨法の一つです。

(1)麦の穂や学帽被る辻地蔵  しんい(女)
 「穂麦風学童の列行儀よく」の推敲です。
  (2)神苑の菖蒲田覆ふ傘の波
 「神苑の菖蒲田いよよさ咲き揃ふ」の推敲です。
(3)軒裏や引きも切らずに親燕
 宜しくお願い致します。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)よくなりましたね!誰かの忘れ物でしょうかね。学帽、しばし辻地蔵が被って持ち主を待っています。麦の穂も優しく揺れていますね。
(2)これも傘の波、という見る側に眼付けが行き、句が一変しました!「覆ふ」と「傘の波」との重なりが意味の膠着をもたらしているので「覆う」のほうを外したいところです。
(3)ひっきりなしに親ツバメが、子に餌を運んでいる景ですね。しかし全体的にやや平凡で特になにかはっと気付かされる空気のない句です。場所(上五)か様子(中七)にもう少し見方の独自性が欲しいところです。

(1)五月雨やグランドにある凸と凹  一(40代,男)
(2)合歓の花赤子に指を吸はれけり
(3)ハンモック山に眠りて海の夢
(4)軽々と十字架背負ふ聖夜劇
(5)生きることそして死ぬこと螢の夜
(6)大波をぐらりと越ゆる子の浮き輪

 よろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
(2)が面白いですね。合歓の花の色合いがよく効いている取り合わせ。やわらかな雰囲気が句全体に響いています。
(6)もおもしろいのですが「ぐらりと」というオノマトペで良いのかどうか、思案のしどころ。大波にぐらりは子どもにとってやや不安な展開。
(1)平凡かと。グランドに凸凹はあるものですし、それが五月雨と繋がると因果関係(強い雨が降って穴が空いた)ととられます。ちなみにぼくが少年野球をやっていた頃、使っていたグランドでは梅雨時、水たまりがそこかしこ。僕の守備位置のライトの後ろではその水たまりにあめんぼうがいました。近くの川から飛んできたアメンボ、そのとき初めてアメンボは飛ぶのだ、と発見してしばし感動していた変な野球少年。
(3)山から海の夢への展開は理屈。
(4)役者の演技に対する皮肉と読まれ損。
(5)蛍の句としては生死に繋がる発想は平凡。

田園や不動産屋にツバメの巣  智弘(30代,男)
 宜しくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 頂いた句、抜群に素敵です!「不動産屋にツバメの巣」。身のまわりによくある景なのにどうしてこんなことを誰も言わなかったのか、不思議な感じ。ツバメを軒先に住まわしている老舗な不動産屋の人柄を感じます。きっと良い物件が多そう。「不動産屋」が抜群。そこで、なのですが「田園や」が、やや句には損をもたらしているように思われます。僕は街暮らしなのですが、こういう景は街にもあって、充分実感できるから、いろいろな人に普遍的に感動を与えられそうな句なので、違う場、時、状況などで上五を推敲して名句にしたいところです。この句は間違いなく智弘さんの面句(代表句)になる格を感じます!

(1)床下に谷川を聞き夏料理  遊運(70才以上,男)
(2)谷川に足を遊ばせ缶ビール
(3)小腹には葛餅がよし番茶よし

 5月の例会は「谷」で、出句は「赤信号ビルの谷間の走り梅雨」でした。いくつか創ってましたので2句を。前回の「コンドル」の句は、こんなのはだめだろうと思っていたので励ましていただいてうれしいです。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)川床料理ですね!昨年、僕は知人に京都・貴船に連れて行ってもらったので、実感としてよくわかります。会話も聞き取りづらいほどの川の瀬音。「床下に・・・夏料理」がややくどいので「川床(ゆか)料理」でしとめたいところです。「川床(ゆか)」は夏の季題。
(2)ビールのCMのようで、ちょっとステレオタイプな景と思います。
(3)説明的です。ここまでくれば逆に「小腹にはくず餅番茶」としてもう一品、畳みかけて破壊的に行きたいところ。ただし食べ物ではなく、とてつもない意外な物を置くとユニークな句になりそうです。

青りんご熟読玩味創世記  浜っ子(60代,男)
 よろしく。
ドクター塩見の診断と処方箋
 前回のハンカチの句で印象的な浜っ子さん。すっかり僕の中では「俳句界のハンカチ王子」です。
 さて、いただいた句。「青りんご」は西洋的な世界を築き易い季語。実はこの季語、西洋書物と取り合わすと、ほぼ成立するんですよね。ということで「創世記」、いい本を見つけられたと思うのですが、「熟読玩味」がやや説明的。しいていえば青林檎の未熟さと、熟読というフレーズに若干のずれを感じますが、ちょっとそういう読み方は知に傾いた感じなので、句をうがって読んでいることになりそう。というわけで、中7をもう少し工夫すればよりお洒落な句に変身しそうです。

(1)吾が影の頭踏む街薄暑なる  文の子(60代,男)
 「吾が影の歩幅になりし街薄暑」を推敲しました。
(2)東京はメタボリックの猫の恋
(3)児の靴の綻びそめし走り梅雨

 宜しくお願い致します。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)ちょっと凝りすぎと思います。自分の影の頭を踏む街(おそらくはビル?)という表現は無理がある。影はビルを伝って垂直に上がるので、踏まれはしない。その景を「文芸上の真実」として読むとしてもはたしてそれがどれぐらいの感慨を催させるかは疑問。まして薄暑の具体的な景として提示されればなおさら。
(2)「メタボリック」は流行語で早速取り入れようとする、意気込みは素敵。ただし、猫の恋ではダメ。「東京メタボリック」はおもしろい。
(3)やや地口。「靴の綻び」から「走り(梅雨)」への展開は駄洒落レベルでとらえられて損。

一杖に頼りて帰る夏の暮れ  由利子(70才以上)
 よろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 夏の暮れ、朝から出掛けていた御老体、杖を頼りによろよろと、暑さの中から帰ってきた、という句。この感慨、三十六歳の僕としては、寂しすぎるので「杖一つ忘れて帰る夏の暮れ」と元気なお年寄りにしたいなあ、とも。でもこれはやっぱり作りすぎですか。これは僕の方がお伺いしたいところ。
 さて、僕の愛読書に神沢杜口という江戸時代の京都町奉行の与力が隠居後に書き溜めた随筆『翁草』があります。(森鴎外の「高瀬舟」の原典になる文もあり)このお爺さん、ほんとうによく歩く。京都の町中に住んでいながら、興味関心があれば、日帰りで亀岡ぐらいまで歩いて取材しています。健脚老人は僕の憧れです。


2007年6月6日

考えるひとまねているみどりの夜  れい(70才以上)
 よろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 危ないフレーズだと思います。何が?とおっしゃられるかもしれませんが「考えるひとまねている」というところです。おそらくロダンの有名な彫像の「考えるひと」のことだと思うのですが、あのポーズをまねている、ということなのですね。このフレーズの危なさは、下に、或いは上に、どのような季語を置いてみてもそれなりに成立させてしまうところです。
  短夜の考えるひとまねている
  考えるひとまねている夜長かな
  考えるひとまねている冬の空
  考えるひとまねている春夕べ
 なんでも成立しそうです。というわけで「みどりの夜」でも成立するのですが、他との差異がこの季語ではちょっと見えにくい(弱い)気がします。「みどり」という言葉から新鮮さ、清澄さは感じますが、それでは「考えるひとをまねている」気分がよく分からない感じです。考えるひとを「まねる」という行為がかなり「意識的」(自分で自分が今何をしているか、ということに意識が働いているという意味)です。意識的な行為は、意外に俳句にするのは難しく、「あ、やっちゃった!」という感じのもののほうが実は俳句には多いような気がします。

(1)新緑を餉に添へ丘に居りにけり  小口泰與(60代,男)
(2)今年咲く薔薇のくづれの早きかな
(3)桐咲きて信濃の嶺々の白きかな

 よろしくご指導願います。
ドクター塩見の診断と処方箋
 小口さんは下五の切れ字がテーマのご様子、と察しました。
 さて頂いた句ですが、
(1)はもうすこし、この「丘」の気配が感じられたらよいのですが。「新緑」「丘」といずれも少しおおざっぱな景の把握です。「緑を餉に添える」という気分は素敵ですから、それをもう少し身近に、読者が追体験できるような距離感で読みたいのです。
(2)(3)はいずれも「今年咲く」「桐咲きて」が以下の中下の説明として機能しすぎる嫌いがあります。上五をいずれも少し中下の世界からずらせると良くなりそうです。

(1)乱立のホテルの隙間島花火  藤井茂子(60代,女)
(2)ウクレレと夏の船来る地平線
(3)星条旗クレーンの先に波乗りしょ
(4)夢語る一児のパパの眼に青葉

 何時も添削有り難う御座います。楽しみに致しております。初めてオワフ島に行きました。折角の花火が四方八方の高いホテルが邪魔をしてしまいました。遠花火ではなく島花火と言う言い方は如何なのでしょうか。
ドクター塩見の診断と処方箋
(2)がおもしろいですね。ウクレレと夏の船、という唐突な取り合わせが意外性を生んでいます。ウクレレ、という言葉の響きはそれだけで陽気な気分を作り出しますね。
(4)も朗らか。表現されている内容はとても健全なのですが(そしてこの「健全」という言葉は俳句の上で必ずしも誉め言葉ではない)、最後の「眼に青葉」という抑え方が見どころあり、という感じ。ただ、やっぱり健全すぎる嫌いはあります。
(1)ハワイでの句なのですね。だからどうしても「島」と言いたい、ということでしょうか。しかしこれは無理に造語をするよりも「遠花火」とそんなに変わらない感じなので「遠花火」で良さそうです。
 たとえば芭蕉さんは奥の細道で立石寺でその佳景寂寞に惚れ込んで、〈山寺や石にしみつく蝉の声〉と句を案じましたが、結局最終的には「山寺」という場所の説明は捨てて、例の有名な、
  閑かさや岩にしみ入る蝉の声
を作りました。
 閑話休題。ただし、乱立のビルの間の遠花火、という世界は、それほど珍しい構図でもなく、他にハワイらしい構図で花火を表現したいところですね。逆にハワイの空に、とはっきり言っても良さそう。とにかくどちらかにすべきで、頂いた句案は正直中途半端なところです。
(3)やや表現が独善で、読者に伝わらないことが多いです。

(1)おもいきり髪を短く四葩咲く  悠(70才以上,女)
(2)紫陽花の色そのままに水鏡
ドクター塩見の診断と処方箋
 頂いた句の二つのうちでは(1)の方が魅力。思い切り髪を短く「切った」ということですね。梅雨前の鬱陶しい季節、気分を変えるまえに形を変える。女性ならではの句。仕事ができる、「できる女」という感じ。四葩咲くという季語もすっきり決まっています。
(2)は紫陽花の色からの発想としてはやや観念的。観念的ということは既に表現されていそうな世界からの類想の匂いがする、ということでもあります。


2007年6月5日

栗の花闇に泛かびし青き夢  豊田ささお(70才以上,男)
 栗の花をじっと見つめているうちにこんなことを想いました。
ドクター塩見の診断と処方箋
 闇の中の栗の花。視覚よりも嗅覚がとぎすまされる中で、その「青臭さ」から「青き夢」へ繋がる。しかし、そうなるとこの「青き夢」というものがどのような夢なのか、ちょっと具体性がないので読者は感覚的にしか読むことができないのが残念。「感覚的に読まれる」ということは「多様に読まれる」というのとは似て非なる感じで単純に言えば「好き勝手に読まれる余地が多い」とおいうのが僕の経験則。匂い・闇・夢、視覚を通さない俳句は、言葉による鑑賞を受なかなかうけつけない感じ。

団扇手に膝を崩して蕎麦屋かな  うさぎ
 「団扇借りざる蕎麦を待つ座敷席」の推敲です。 エアコンの普及した今日では、団扇やセンスは浴衣のアクセサリーか、壁掛けや置物のように部屋の飾りに使われ、蕎麦屋の座敷席で団扇片手に、蕎麦を待つなんていうのは、日本を離れた私の中でノスタルジーとなりつつあります。
ドクター塩見の診断と処方箋
 やっぱり団扇は持っている方が良いですね。先日、長野・諏訪にいって、二日連続昼食はざるそば。このそばを茹であげる時間の微妙な長さはくつろぎの時間。ただ今度は「膝を崩して」というのは男性としてとらえられることよりも、女性の横座りととらえられることが多そう。男性ならばあぐらになって、といいそうだから。そうして女性的な人物と読まれると、ちょっと色っぽさが出過ぎるようにも感じます。

紫陽花や忍ぶ恋路が色ずけり  浅葉洋(70才以上,男)
 何時も適切なご好評感謝致しております。紫陽花が色ずき始めました。暫く七変化が楽しめそうです。
ドクター塩見の診断と処方箋
 いいですね。この時期、僕も紫陽花が大好き。
 さて頂いた句、「忍ぶ恋路」はべたっとした抒情に走る感じ。単純に言えば通俗。紫陽花の色変わりと、恋の色はやっぱり発想の跳躍が小さい感じです。忍ぶ恋路が色づいたところで、読者はその恋路の行方、その他のドラマに余り関心を持たない。勝手にやっておいてくれ、という感じ。紫陽花「や」、色づけ「り」の二段切れのような構造も損ですし。この句は、お蔵入りにして、紫陽花で再チャレンジしてください!

(1)鴉飛んで牛舎に入る薄暑かな  えんや(70才以上,男)
(2)夏めくや公園の池水満ちて
(3)老鶯や優勝決めたるチップイン

 奇跡のバンカーショット、同時に鶯の声がひと際高く。宜しくお願い致します。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)がとても面白いですね!鴉が牛舎に入っている、それに「薄暑」を感じるセンス抜群!「鴉飛んで」という大胆な字余りもこの句に勢いをつけています!素敵!
(2)はちょっと平凡。
(3)はあまりにも世界が出来過ぎ。ちょっと作者が先に景に酔ってしまいました。

(1)栗の花旅立つ朝は雨となり  豊田ささお(70才以上,男)
 「旅立ちの雨に匂いし栗の花」への処方箋ありがとうございました。直しましたが、いかがでしょう?
(2)青春やキツネアザミの綿毛ゆれ
 キツネアザミの花後が、タンポポのように綿毛となっていくことに驚きました。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)すっきりしました。これで行きましょう!
(2)「綿毛ゆれ」が少し甘い方向に句を持って行き加減ですが、キツネアザミ、という具体的な植物の呼称が青春というその気分を随分明確に示しています。僕は断然、この句は買い!

カーテンを水色に替えて春惜しむ  田舎のねずみ(50代,女)
 何時も ご丁寧なご意見をありがとうございます。俳句がだんだん面白くなって来ました。
ドクター塩見の診断と処方箋
 「惜春」という語から、近づく夏を連想。夏が近づき、清涼感あふれる「水色」のカーテンにしたという句ですね。そうなると「春を惜しんで」いるのか、「夏を待って」いるのか、ちょっと混乱。「惜春の情」はやはり去りゆく春の情景の最後の部分を凝視している姿勢の中にあって、新しく始まる夏に向けてのポジティブな行動では表現しづらいのだ、と僕自身が発見させられた句。ただし分かりませんよ。これは僕個人の意見ですから。この句は一度、他の方にも何人か見せてみてください。気分はとてもよく分かるので。構造的には中八文字を嫌う人が多いので「て」を取られることをおすすめ。


2007年6月4日

就職の内定二つ風薫る  なごみ(70才以上,女)
 はじめまして。なごみと申します。ご指導よろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 はじめまして。頂いた句、素朴な作りですが、いろいろと読めて楽しいです!いろいろ、といいましたが、代表的に二つの読みを紹介。
 1、知っている人「二人」がそれぞれの内定をもらい、安堵している身内(おそらくは年長者的な立場)の自分の心に沿うような薫風。
 2、就職活動の中で同時進行的に一人(作者)に二つから内定をもらった。
 さてどちらへ行こうか、ちょっと悩みながらも世の中に認められているような気がして嬉しいわたし。悩みながらもちょっと誇らしげな若者へ薫風。どちらにでも読め、どちらで読んだ人にも心地よい気分が漂う。佳句と思います。

(1)薫風や母のピアノを調律す  穂波
(2)調律を終えて一曲若葉光
 今日(5/27)付けのコメント、とてもうれしく読ませていただきました。ありがとうございました。Gジャンの句、事実です。「まだ着るかな、でも晴れてこんなに風の強い日はしばらくないかも、えい、洗っちゃえ」と洗濯してしまったときのことを、そのまま句にしました。今日は2句お送りいたします。よろしくお願いいたします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 ほんとうに穂波さんの句はいつも軽やか。現代的。
(1)(2)ともに気分が良いのですが、僕の好みは飛躍のある(2)。調律後の一曲目、かるい小手調べに何を弾くのか、と読者に創造させておく作りから、一転「若葉光」に運ぶ術が見事。その点、(1)は提示の順が「取り合わせ」のセオリー的「季語+気分」なので若干地味です。しかし、繰り返しますが二句ともいい感じ。

診断を眺めてニヤリ風薫る  ヒロ
 こんな句は、俳句と言えるでしょうか。
ドクター塩見の診断と処方箋
 うーん、風薫るの清涼感と「ニヤリ」というどちらかといえば皮肉っぽい笑い方は齟齬を来しているよう。もっともこのコーナーの「診察」はニヤリと笑われそうなものが多いのかもしれませんが。

(1)帰ったよ母さんはどこ麦の秋  玉白石(50代,男)
(2)腕を組む男三人麦の秋
 麦畑が近くにあります。黄金に輝いています。よろしくお願いいたします。
ドクター塩見の診断と処方箋
(2)が面白いですね!三国志の「桃園の誓い」ならぬ「麦秋の誓い」。無言で腕組みをしてそれぞれの存在を無視しているようで、少し認め合う空気も。それは穂波の揺れる麦秋の力。
(1)も口語的で良いですね!お母さんがまるで麦秋の穂波に消えてしまったかのような寂寥感が漂う。「母さんはどこ」がとても悲しいフレーズに聞こえてしまいそうなので僕の好みとしては(2)の方ですが、これもポエジーにあふれています。

(1)小さき花みなうつむけり驟雨きて  れい(70才以上)
 こういうのは原因結果の句でしょうか?
(2)診察券角丸くなり今は初夏
 よろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)おっしゃるとおり!原因結果が明快です!因果関係を見せすぎて「うつむけり」に詩情を感じる余地がなくなってます。あきらかに下五は損な運びです。
(2)おもしろいです!がややくどい。いまは初夏になって、新年度にもらった診察券、古くなって角が丸くなったよ、ということですが、発見としては素敵なのに、その素敵さが説明されすぎている。丸くなりの「なり」が初めは角だったのに、という気持ちを言い過ぎているためです。したがって僕ならはつなつの診察券の角まるくとします。こうすると「もともとこの診察券の角は丸いのか?」と思う読者がいることが心配でしょ?でももうそう読む人はそう読ませて良いのです。ちゃんと読む人は作句意図を含めてきちんと読んでくれます。その伏線、てがかりとして、あえて、「はつなつ」とか「まるく」を、ひらがなにしてすり切れている空気を出してはおきます。

(1)何事も終着への歩桐の花  郁子(60代)
(2)露草は1輪挿しを否みおり
 ご診断よろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)はちょっと理屈でしょうかね。「何事も進めば終わりへ向かって歩いているのだ」、こういう哲学的観念はしびれる人はしびれるようです。三〇代のぼくはこういう理屈からできるだけ離れようとして現状、生きています。
(2)どうして露草は一輪挿しを否むのか?それは露草は川原にたくさんの仲間と咲いてこそ美しいから。この答えがすぐに見えてしまうのが、やっぱり理屈かもしれません。「否む」ではなく「歪む(ゆがむ)」ならおもしろいかもしれませんよ。「露草は一輪挿しを歪めおり」こうすると露草が一輪挿しに対して優位な存在でいる感じ。一輪挿しに挿されてもマイペースを保って一輪挿しを支配しているようです。

(1)風薫る気弱に歩む街の裏  由利子(70才以上)
(2)植え替えて手入れよろしき夏花壇
 よろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 「気弱に」や、街の「裏」などややネガティブな言葉を直截に表現されているのが難点。風薫る、という季語の気分の良さが生きず、gyかうに読者は混乱しそうです。どうして風薫る気分の良い中を、気弱になっているんだろう?って。
(2)平凡です。「手入れよろしき」がない方が断然良く、このフレーズを外して「植え替えの夏花壇」でいきたいところ。


2007年6月3日

(1)半纏をまとひジーパン神輿舁  文の子(60代,男)
 「都会っ子ジーパン穿いて神輿舁」を推敲しました。
(2)登校の新(さら)な黄帽子菜種梅雨
(3)古草や接骨院の並ぶ道

 よろしくお願いいたします。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)当初は都会っ子にこだわられていましたが、推敲のうちに消えていきましたね!そしてどんどん良くなっている感じ。もうここまできたら、半纏の下はジーパン、でいいんではないでしょうか。
(2)さらの黄帽子、が素敵!きっと上の子ですね、なんでもさら。お下がりなし!菜種梅雨が叙情的、ノスタルジックな甘い世界に誘います。
(3)これは不思議な句。「接骨院に並ぶ道」なら人が行列を作っている、というだけの句になるけれど、「接骨院の並ぶ道」、「接骨院街道なんですね。ちょっとこの街道は実際には見たくないけれど、句にされると不思議。季語を工夫すれば、もっと不条理な世界に持ち込めそうです。

(1)菜種梅雨 しとしとしとと 若葉生む  雪塵(40代,男)
(2)菜の花や 昼間の月も きれいかい
 塩見先生。初めまして。最近俳句に興味を持ち始めました。一句作るのにも四苦八苦ですがどうぞよろしくご教示お願いいたします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 「菜種梅雨」「若葉」ともに季語なのです。どちらかを外したい。それと「しとしとしと」は雨のオノマトペ(擬態語)としてはくどい。くどい、と感じさせるのは「雨がしとしと」はよく言う言葉だから。独自の音の捉え方をすれば三連発もOKですが。
(2)菜の花や月は東に日は西に、という句、あるいは唱歌の朧月夜のフレーズから、いずれも月と菜の花は詠われていますね。そうなるとこの「昼間の月も」というのは、ちょっとそういった知識をみせるペダンティックな句と言えそう。「も」がそれを強く出しすぎています。このクリニックは激辛コメントですが、懲りずにおつきあい下さい。

(1)新入生窓から眺む竹の秋  岡野直樹(40代,男)
(2)新緑の中や我だけ竹の秋
(3)フレッシャー呼ばれる我にはプレッシャー

 暖かくなってきて過ごし易いのですが、なんだか疲れているなという感じなのですが。よろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)「新入生」「竹の秋」ともに季語ですね(2)「新緑」「竹の秋」ともに季語ですね。こういうふうに二句並べられてみると、「竹の秋」が何かの比喩のような気もしますが、やはり季語らしい季語なので季題として目立つ。そこが問題。
(3)は駄洒落に走ってしましましたね。男は駄洒落に走るとき疲れています。僕も同じです。

(1)若葉揺るワイシャツの糊利き過ぎし  文の子(60代,男)
 5/25のご診断有難うございました。「原宿を若葉めぐりの人力車」と添削していた だきスッキリ致しました。「若葉揺る新入社員強張りし」を掲句にしました。
(2)古草や匠の技を再雇用 (3)柚の花や一筆書きの星をしへ
 よろしくお願いいたします。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)ずいぶんと見えやすい句になりました。後一息、がんばりましょう。頑張る場所はどこか、それは「利き過ぎ」という言い方。この言葉がしかも最後にあると、なんだか若葉の清涼感が消えてしまいます。せっかくですから「よく利いた糊の」と初めて若葉風ぐらいで清々しく締めくくる句にしてください。
(2)これはちょっと「ベテラン」ということを説明しようとしすぎています。古、匠、再雇用、全てそちらに凭れていっています。
(3)一筆書きの星はおもしろい。「教え」まで言う必要があるかどうか。そこが若干、意味を限定しにかかっているのが難点です。

葵祭 幼子の声に 女官微笑む  拓人(50代,女)
 先日、具体的な指示をいただきとても感激しています。ありがとうございました。ちょっと視点を変えてみました。
ドクター塩見の診断と処方箋
 随分分かりやすく、読者が読んで作者と共感をしやすい世界になりました。幼子の歓声に思わず澄ましている女官も微笑んだ、という一瞬。葵祭のスナップショットになりましたね!

(1)伸びきらぬ腕を突き上げ夏の暁  えんや(70才以上,男)
(2)若布刈る干すも二人の村を過ぐ
(3)手を振りて会長走る運動会
(4)議員来て笑顔が回る運動会

 どうか宜しくお願い致します。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)は老体にむち打つように腕を上げ、夏暁の大背伸び。ということでしょうが伸びきらぬ腕を突き上げ、はやはり説明的すぎる。
(2)こちらは逆にちょっとわかりにくい。何をいわんとしているのか、苅られて干された若布を見ているのか、二人の関係を読み解くのか、過ぎ去られた村の哀感を読むのか、読者は混乱。
(3)こういうのはいやです。運動会、会長、真剣に走って下さい。手を振るのではなく、もっと腕を振らなくては!
(4)こういうのはもっといやです。運動会、票集めに来るのはやめてください。

(1)青嵐靴下すこしずり下がる  ポリ(50代,女)
(2)ぬかるみの轍乾いて五月晴
 いつもありがとうございます。どうぞよろしく。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)面白い。靴下がちょっとずつ下がる気分はやはり5月、6月のもの、「青嵐」という強い風の中で、はちょっと賛否両論がありそうですが中下の目の付け所は素敵。
(2)は平凡です。

(1)アルバムに幼き娘風薫る  千鶴子(60代,女)
(2)心太淡淡と食む夕日影
 お久しぶりでございます。どうぞよろしくお願いいたします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 お久しぶりです。よろしくおつきあい下さい。
 頂いた2句、すこし説明的ですね。(1)はアルバムですから当然、娘さんが幼いころのものの写真もあることでしょう。「幼き」は言わずもがなです。「風薫る」が若干救っていますが、気分的にくつろぐ世界を支える以外には余りきいていません。
(2)も心太ですから「がつがつ食う」人はいない。やはり「淡々と食む」のが似合いのもの。というわけでこれも「淡々と」という言葉が説明的で言わずもがな、ということになります。


2007年6月2日

(1)白藤の未完の塔にそよぎけり  小口泰與(60代,男)
(2)仏法僧八千穂の風のやはらかし
 よろしくご指導願います。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)未完の塔がピンときません。したがって、そこにそよぐ白藤の良さもややピンぼけになっています。
(2)これも仏法僧という夜鳴く鳥と風の柔らかさが、もうひとつ融合した世界を作れておらず、ばらばらな感じです。
 今回の2句は、残念ながらお蔵入りにした方が良さそうですね。

何となくさけて通りぬ木下闇  由利子(70才以上)
 よろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 若き武将・平敦盛への追悼の「須磨寺や吹かぬ笛聞く木下闇」という芭蕉の句があるからでしょうか、あるいは「木下陰に駒止めて世の行く末をつくづくと」語る楠木父子の桜井の別れがあるからでしょうか、木下闇にはちょっとした異界へのつながりを感じます。何となく避けて通る、といいながらこの「何となく」は限りなく理由を古典的世界に求めた意図的な使われ方。奥ゆかしい句。

一泊の帰省少女の大荷物  れい(70才以上)
 ただの報告だと思いながら・・・
ドクター塩見の診断と処方箋
 一泊なのに化粧品や洋服やあれやこれや・・・と詰め込んだ大鞄を提げた少女の帰省、なのですね。現代的な景のスケッチ。ただ、理屈にあって、理屈に終わる句なのでやはり句会ではイロモノ扱いの句ということになりそうです。場を盛り上げることはできそうですね。

青嵐くさぐさの句を書き散らす  郁子(60代)
 よろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 薫風の季節の強い風が「青嵐」。したがって風は強いものの、気分的には軽やか。そんなときに多作の俳句を書き散らしているよ、という俳句ですね。「青嵐」が魅力的な季語で、若葉のざわざわ、とした雰囲気と熱中してできた多くの俳句が、句の中で釣り合っています。
 さて、今僕の職場に教育実習生が来ています。教え子なんですが科目が美術!K君というのですがおもしろいですよ。古典写実の世界に生きている男なんですが、彼は絵の具から作っています。なんでも「青」(これはほんとうのブルー)が絵の具のなかでも一番値が高いとか。チューブなんかに入っていなくて、錫の入れ物に入っていて5000円ぐらいするのだそう。これは自然物からなかなかとれない色なんだそうな・・・。おっと、「青」から余談。この類の話はまたぼちぼちと。

雲の峰鎮魂に咲く特攻花  浅葉洋(70才以上,男)
 何時も適切なるご指導感謝しております。今裏山に金鶏菊が一面に咲いています。この花は又の名を特攻花と呼ばれいる由です。昭和20年春、沖縄に出撃する特攻機が離陸する滑走路に、乱れ咲いていた事より名づけられた説です。
ドクター塩見の診断と処方箋
 そのような名前の花があることを初めて知りました。こちらが勉強になります。かつて僕も知覧に行ったことがあり、特攻隊の記念館を回った経験を思い出しています。日本の夏はどうしても避けて通れない戦争が横たわっていますね。頂いた句、「鎮魂に咲く」というフレーズがその気持ちを全面に出したもの。善し悪しはともかく、こう詠むしかない「特攻花」という花の名前ですね。

(1)六月の電車を停めよ革命だ  未知(50代,男)
(2)巣箱をかけてゐる家の木の実和
(3)新緑の山丸くなる鳥の声
(4)海峡の闇を滾らすねぶたかな

 ご教示を。
ドクター塩見の診断と処方箋
 頂いた句では(4)が素直で「滾らす(たぎらす)」という言葉が効いていますね。ねぶたまつりの挨拶句として素敵ですね。
(1)はなぜ6月なのか、そこの説得力に欠ける。
(2)ちょっと面白いが、木の実和(このみあえ)が取って付けたような感じで提示されるのが難。
(3)平凡。

ハンカチを膝に海辺のハムサンド  慈英(50代,男)
 ご指導宜しくお願い致します。
ドクター塩見の診断と処方箋
 ああ、このハムサンドおいしそう。ハンカチを膝に、というのも上品で、なんだかルノワールの印象画で見たような、貴婦人のバカンスを思わせます。ハンカチという季題は難しいのですが、この句は夏らしい、それでいてハンカチの句では汗を拭くというような本意からもすこしずらした、素敵な世界を構築しています。佳句!

(1)釣堀の魚逆さに釣られけり  えんや(70才以上,男)
(2)母の日の手揉みに洗ふ軍手かな
(3)老鶯のバンカー避けよと鳴きにけり

 いつも適切なご診断有難う御座います。参考にして句作に励みます。どうか宜しくお願いいたします。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)釣り針が尻尾に引っかかったのでしょうか。変な釣られ方。世慣れない釣り堀の魚、といった体。季節感も薄いので、若干その釣られ方の愚かな魚に哀感を感じる川柳的な滑稽感。
(2)手揉みに洗う軍手に何を見るかが問題の句。母の日という季語から母の労働に対するいとおしさを読まねばならないか、というふうに読者が狭いところに追い込まれそう。
(3)老鶯、というところから、ベテラン年寄りの忠告、ととられそう。じっさい、鶯の鳴き声を「バンカー避けよ」と聞くのは無理があるので、これは若干知に傾く作りかと思われます。


2007年6月1日

夏めきて仮面ライダー変身す  雀子(60代,男)
 よろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 「仮面ライダー」はうまくいけばうまくいきそうですが、「仮面ライダー変身す」は語順が逆なのでは?と思わせます。こうした斬新な素材ははっきり「変身の仮面ライダー」として「変身後が仮面ライダー」というふうにしないと「仮面ライダーから何に変身したんだろう?」とうがった読み方をされてしまいそう。また「夏めきて」という季語がこのフレーズを支えきれない感じ。もっとギラギラした方がいいかもしれません。意地の悪い読者なら「初夏」から「ショッカー」(仮面ライダーの敵役)という地口(だじゃれ)的連想じゃないか、と揶揄されそう。もっとも、僕はこういう冒険句、年に12句ぐらい作るので、いつも僕が言われている展開を振り返っての反省と対策方法でありました。

田植え待つ田は大空を映しをり  田舎のねずみ(50代,女)
 診断お願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 田に空が映っている、という景は実はとても類想が多そうです。かつて、このe船団で中学高校生の投稿欄があったときにも、そういう句がありました。それぐらい多いのです。この発想は外していきましょう。田には他に何が映っていますか?とてつもないものを映してみてください。

(1)店蔵や緑雨明るきつくば道  しんい(女)
(2)郵便も誰も来ぬ日や葛桜
 笹粽の句、有難うございました。「粽解く」(解くということばから粽にかかる手や指を読者は想像します)、推敲には程遠くてお恥ずかしい限り。又、駄句ですがよろしくお願い致します。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)店蔵に緑雨は浮世絵を見るような魅力的な取り合わせ。これは絶対絵になるし格調の高い句になりそうです!これだけの取り合わせで勝負したい。緑雨が明るいとかそれはつくば道の景だとか、もうそういう説明は不用。
(2)典型的な侘び住まい。そして「葛桜」は心の安住の象徴。ここまで落ち着かれては、という感じです。揺さぶるには「郵便も」の次の「誰も」をなにか突拍子もないものにかえてください。このままでは「便りも訪問客も」というあまりにも平凡な流れに陥っています。

(1)蝌蚪の紐動かぬジェットコースター  文の子(60代,男)
 5/23、24のご診断有難うございました。「麦の秋右手に金の腕時計」は「仕掛けが多すぎる」、「白シャツのオフィス赤シャツ一人ゐて」は「作者の敷いたレールに読者がのってしまう」というご指摘は、正に現在の私の問題点の一つと得心しました。仕掛けはシンプルで余韻、余情をのある句を目指して参ります。掲句は如何でしょうか。
(2)つばくろや車窓を水田流れゆく
 「つばくろや車窓(まど)を水田の流れゆき」を推敲しました。口調から下5の連用形を止めたのですが如何でしょうか。
(3)子の田植「田」よりも「回」の字になりし
「田が旧の字になる田植都会の子」詠みたいことをお伝えできなかったので、掲句に推敲しました。
(4)腰傷む神輿に魔女も潜むめり
「都会っ子ジーパン穿いて神輿舁」はもう少し考えます。今の私には掲句が合っています。宜しくお願い致します。
ドクター塩見の診断と処方箋
(1)関西では最近、大遊園地のジェットコースターで、重大事故がありました。したがって頂いた句「動かぬジェットコースター」にはただならぬ不安感があります。そういう意味では「蝌蚪の紐」との取り合わせは感覚的にややずれている感じはするのですが、普通に読めば、ジェットコースターが休業している、閑散とした遊園地の穏やかな平日の午後を思わせもしますね。
(2)口調は抜群なのですが、やはり素材が平凡かもしれません。素材に斬新さはなくシンプルな世界ですから逆に見てはどうでしょう。
  水田を車窓流れてつばくらめ
とするとだたっぴろい水田地帯を電車が流れていく。所々の点景にツバメが飛んでいる。そんな電車が去った後の田園地帯の景が余韻としてのこりますが。
(3)やはり説明臭が強くなります。こうなるとモチーフではそれかもしれませんが、もう一発展させて、子どもに「田」の字を教えてあげる気分で作句されてはどうでしょうか。たとえば、
  五月晴れ田の字に四つ窓あって
とか。(これはどうかとは思いますが)。
 古くは山上憶良の「秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七草の花」「 萩の花、尾花、葛花、撫子の花、女郎花また藤袴、朝貌の花」という歌も、実は子どもに秋の七草を教えるための歌ではないかとも言われています。そういうふうな気分で子どもと田の字を結びつける俳句を作られたほうが、「子どもが田の字を書けないでいる」という傍観者的嘆息の作句よりはずっと楽しい気分の句が成立しそう。
(4)これは腰を痛められた自己の諧謔の句ですね。ユニークなのですが、一方で文の子さんの腰のことが心配。

(1)一輌分ホームが余るその暑さ  北野元玄(60代,男)
(2)自己主張せぬ方が良し柿の花
 「明日は明日葉桜揺れてイノヴェーション」の前半を評価していただき、それはそれで嬉しいのですが少し複雑な気持ちです。と言うのはイノヴェーションを読み込んだ俳句を作りたかったからです。明日のためにイノヴェーション(テレビのCMの文句)がありましたので、明日のためのイノヴェーションなど馬鹿馬鹿しくてやってられないと言うような気分が出ればと思って作りました。中段の「葉桜揺れて」が悪かったかなと反省しています。ただし、「明日は明日葉桜揺れて」を生かした別の俳句もできそうですね。上2句、よろしくお願いいたします。「せぬ方が良し」のフレーズが少し気になりますが・・・。
ドクター塩見の診断と処方箋
 イノベーションの句に対する作句意図、拝見いたしましてなるほど、とおもいました。ただ、そういう意図は、俳句としてはつまらないような気がします。「イノベーション」という言葉に惚れて作っていただければ、それの方が良い句になる可能性は高いです。
 さて今回頂いた句(1)これは見事な詩的センス。「暑さ」を何に見るか、というなかで、電車一両分、ホームが長い、その長さが暑いのだ、という発見は抜群と思います。今回のクリニックの中でも屈指の句です。
(2)は「柿の花」そのものを説明した感じ。おっしゃるとおり「せぬ方が良し」はしんどいフレーズです。自己主張云々、という方向自体が、柿の花とは因果関係を発生させてしまいそうです。

さえずりや木づちのこだまと響き合う  ねぎよしこ(70才以上,女)
 1ヶ月休んでました。新しい気持ちで投句しますのでよろしくお願いします。
ドクター塩見の診断と処方箋
 こんにちは。あと一月ですがよろしくお願いします。
 さて、頂いた句ですが「響き合う」が要らない抑えの言葉。こういうときどうするか、ということですが。僕ならこうします。
  さえずりと木づちのこだまとさえずりと
 この手は実は僕のオリジナルではなく、船団では南村健治さんらがちょっと前にこだわっていた方法。たとえば〈歯を磨く台風圏に歯を磨く〉などの句を作られています。上五・下五を同じ形にするのは構造的に幼いのではないかな、と僕は思っていた時期があったんですが、「歯を磨く」の句では、最初の歯を磨く、は日常のごく平凡な光景、ところが下の「歯を磨く」になると「台風圏」という修辞からただならぬ状況の一回性の歯を磨く行為にかわります。
 頂いた句の推敲も初めの「さえずりと」は季語の本意的な気分。下の「さえずりと」は木づちのこだまに呼応する一回性の囀り。そしてリフレーンから何度も何度もこれが繰り返される永遠の気分に繋がると思います。こうした手で言えば、
  あめんぼとあめとあめんぼとあめと  藤田湘子
の句がこの構造に近いかもしれません。

西日さす一間ぱつんとあばれだす  裸時(30代,男)
ドクター塩見の診断と処方箋
 「一間」は部屋の一間でしょうかね。なにか学生寮の一つの部屋を思いました。外から眺めている光景。西日の赤々さす「○○荘」の一部屋で突然「ぱつん」と切れたように暴れる部屋の中の人物。学生寮は奇人伝説を持ったものが勝ち。そんな古き良き時代のノスタルジーを感じる一句。かなり言葉が飛躍しているのですが共感は得やすい句だと思いますよ!

(1)葉が揺れて枝轟きし夏木立  うさぎ
(2)膝頭寄せて涼しき礼拝堂
 このところ、7月の陽気となり、海のないインデアナのこと、週末のプール開き待ちきれません。短夜を、みじかよる と読んでもいいですか?
ドクター塩見の診断と処方箋
 いつもお便りありがとうございます。わたしは神戸ですが、やはり7月のように暑い今日この頃です!
(2)「涼しさ」を何に感じるか、なるほど「礼拝堂」は涼しいでしょうね。膝頭をきちんと寄せて座る姿勢の良さも涼しい。なぜか膝頭が神々しくさえ見える。これは素敵な句ですね!句会で見たら選の対象です!
(1)は「葉が揺れてから枝が轟く」という時間差を見せている句ですが、やはり「枝轟きし」は並な表現です。「夏木立」というとどうしても、その作る陰や青々とした清涼感を思わせる季語なので、「轟く」という大音響もやや齟齬を来している感じです。