「e船団」のドクターがあなたの俳句を診断したものです。


2008年8月27日
朝倉ドクター : 今週の十句  (到着順)

 みなさまこんにちは。リニューアル致しましてから、再会までの期間が短くなり、なんだか楽しみが増えたように思えます。

かなかなやポストはみ出す回覧板
 蝉と大きな回覧板の取り合わせが絶妙です。蝉も蜩を選び、表記も「かなかな」を選択したこと。ポストからはみ出している回覧板の情景。蝉も回覧板も大変練られていると思えます。そして、実際にポストにその情景をよく見かけるという真実性。それらが俳句を魅力的にし、伝える力をも持たせているのです。夏の終わりのけだるさ、わびしさまでも感じさせる秀句です。
 作者は(女)さん。

色鳥や和紙に包まる甘納豆
 色鳥と和紙、その取り合わせによってお互いが引き立ってきています。どちらも色を強調できるからです。秋の鳥の美しさ、和紙の持つ独特の色彩。そして、甘納豆の色。それらが礼儀正しくお互いを引き立てあっていると感じるのです。たとえ、和紙が白であっても、たとえ甘納豆が小豆一色であっても、その色調の持つ柔らか味は変わりません。それが掲句の魅力なのです。
 作者は小口泰與(60代、男)さん。

新涼や自転車通学生たりし
 実は、「たりし」に非常に悩みました。的確な表現であるか否か、です。一方で、自転車通学の持つ学生の清々しさが、新涼という季語で過不足なく表現されていることが良いです。私ならば、新涼と自転車通学を用いて、学生の快活さや、清純さをより伝えられる表現に挑戦するでしょう。
 作者は藤原 有(女)さん。

扶養家族又一人増え蝉時雨
 「又」と蝉時雨、この扶養家族ら(この人物は一人目ではないのだから)のうっとうしさが、明るく快活に描かれていることに魅力を感じます。だからこそ家族である、という近代社会の普遍性をも思います。例えば、梅雨の季節だと、こうはなりませんでしょう。真夏の、一種陽気さのある、暑さだからこそ、深刻さや慇懃さがなく、成功しているのでしょう。
 作者は(女)さん。

秋暑し道路工事の予告あり
 「秋暑し」、大変よくあっているのです。少々、似合いすぎるほどに。あまりにも句意が整ってしまうことの物足りなさがあるともいえるのです。上手に仕上がっているのに何を言うのか、という意見もごもっともなのですが、俳句の魅力は、整いすぎることよりもズレや不完全さ、つまりあやうさともいえる微妙さを楽しむ文芸でもあるのです。そこで、季語をずらすことによって、新しい新鮮な魅力を持つ句が生まれる可能性があるのです。掲句もひとつの完成された句で優れています。が、新しい句世界への可能性を見たいと思うのです。
 作者はポリ(50代、女)さん。

白桃や男遍歴ありそうな
 桃、男女の関係、似合いすぎかもしれませんが、「ハクトウ」という語感、や切れ、下五の口語表現、それらが句を軽妙なものに仕上げています。白桃に象徴される女性(男性と男性の関係とも考えられますが)が、魅力的ではないでしょうか。白桃のなまめかしさと瑞々しさが、男遍歴の女性を、むしろ軽快な人物に仕上げているからです。
 作者はさん。

片時の片陰なりしバス動く
 片の連続、方、時、陰でのカ行の音の連続。なんでもない、夏の一日のバスが、映画をみるように映し出されています。平凡な一風景を、情感をもって魅力的に伝えることのできる句です。真夏の一瞬の涼に、ある安堵感さえも感じさせるのですから。
 作者は文の子(60代、男)さん。

八月や足裏に響く地下の川
 地下の川、ですが、首都圏の地下放水路のことでしょうか。解釈に揺れがでてしまう点が残念です。しかし、それを上回る魅力があります。八月という時候に、足の裏に響く水の音という感性です。地下水でないにしろ、その水の冷ややかさを感じさせます。七月やましてや九月ではない、夏の頂点、真っ盛りである八月との対比が、句意を際立たせているのです。
 作者は穂波(女)さん。

メロンきて夜の匂いとなりにけり
 メロン、「母とゐてこゝろ足る夜のメロンかな 中尾白雨」「メロンすくへば銀座の夜の匂いする 遠藤素兄」という例句があるように、メロン、夜、匂い、は連鎖といって良いほど、類想するものです。「夜の匂い」が魅力的な言葉ではあるのですが、「メロン来て」が具体的である分、解釈に迷うのです。是非、その感性でつかまれた何かを、明確に句にしてくださいませ。
 作者は風子(60代、女)さん。

サスペンダーぱちりと鳴らす秋の朝
 サスペンダーをぱちりと鳴らせるような朝は、なにかがうまくいくような気持ちを起こさせます。そんな景気の良い句は、読者の秋の朝をも幸せにする力を持っています。
 作者は長十郎(60代、男)さん。

【総評】
 此度も、ドキッとするような表現、感性に出会い、自らを発奮する句が多くありました。次点句をあげさせていただきますと、

  秋風や水にはみずの色もどる  (遅足(60代、男)さん)
  国道に自販機並ぶ敗戦忌  (豊田ささお(70才以上、男)さん)
  みいんみんみんと大寺揺られけり  (学(50代、男)さん)
  海原を洗ひあげたる夕月夜  (学(50代、男)さん)
  八月の雲侠気の残りかな  (戯心(70才以上、男)さん)
  秋風が大波小波を抱きしめて  (仁(60代、男)さん)

となります。
 今回、僭越ながら、私が特に感じましたことは、まさに夏の頂点の時期であり、お盆、終戦記念日を挟んだこともあって、類想の多さを感じました。また、あまりにも猛暑であったせいか、単純な言葉を選びがちでもあると。もちろん、難しい言葉やひねった表現が良いのではなく、十七文字のなかで工夫や推敲が必要ということです。俳句という文芸は、感性と努力(つまり工夫や推敲)なのです。秀句は、さりげない表現であっても、やはり良く練られています。次回は、秋にお会いできますね。みなさまの、秋への鋭い感性をお待ち申し上げております。


2008年8月20日
えなみドクター : 今週の十句  (到着順)

 残暑きびしき折り、お元気にお過ごしのことと思います。2周目の担当となりました。ここは「クリニック」なので、良い句だけを鑑賞をするのではなく、上手く行かなかった句の原因を考えていく(クリニックする)ことにもエネルギーを傾けたいと思っていたところ、たまたま、今回はすっきり良いと思える句が、10句に満たず、自然とクリニック風となったことをお断りしておきます。

朝焼けを仰げばピアノ線の雨
 「シェルブールの雨傘」のレコードジャケット(古いな〜)に雨の線が描かれていたのを思いだしました。「ピアノ線の雨」は、まさに夏の雨です。「朝焼けを仰げば」との組み合わせは意外性があり、また朝焼けの色があって面白いのですが、朝焼けで雨が降るか、不自然な気もしました。季語はもっと適切なものがありそう。
 穂波さん(女)でした。

ユニクロに停ったベンツ夏の雲
 「ユニクロ」と「ベンツ」の取り合わせが面白かったです。ベンツに乗ってるのだから、きっと金持ちなんでしょう。でも、ブランドにこだわらない普通の暮らしぶり。「夏の雲」を配したことで大きくて気持ちのいい風景になりました。「ユニクロ」の評価も、「ベンツ」の評価も日々変わるので、数年後は別の意味になっている可能性もあります。
 これも穂波さん(女)でした。

山の唄うたい続けてキャンプの夜
 読み違いのない句。この句に惹かれたのは、この出来事が最近の事ではなく、ずーっと昔の思い出で、それを懐かしがっているように響いたからです。それは、わたしにそのような体験があって、脳の引き出しにしまってあったものが、ポッと引き出されたからだと思う。鑑賞にはそういうメカニズムがあるのでしょう。
 風子さん(60代、女)でした。

平泳ぎ母に貰った太い骨
 この句が目をひくのは、遺伝でもらったのが「太い骨」で、それは「母に貰った」ということではないか。なぜなら力の象徴である骨は、普通は父からもらうから。 そもそも、この句の作者は、男なのか女なのか。鑑賞のこの段階では無記名なので分からない。 その母もきっと骨太の人なんだろ。女系家族か。などと、あれこれイメージが膨らんだ。
 満山さん(60代、男)でした。

八月六日晴れて頤ぐっと引く
 カラダの部分を詠んだ句がもう一句。晴れていることと、頤を引くことの関連性が薄いので「八月六日/晴れて/頤ぐっと引く」と、意味的には3つのパーツがばらばらにくっついているように感じてしまった。三段切れ、または二段半切れ。575のはみ出した言葉を、頭の5にまとめる手法は良いと思うが、「おとがひをぐつと八月六日晴れ」のように定型、日記風におさめる手もあるかも。
 満山さん(60代、男)でした。カラダの部分の句では「風の盆指の先追ふ睫毛かな」の「睫毛」も意外性があり面白かったです。こちらは、大川一馬さん(70才以上、男)でした。

甚平や難しきことは考えず
 甚平は、わたしも持ってますが、ごろごろしてもいいし、そのまま外に行ってもいい。まさに句にある通りでしょう。句も甚平と同じように力抜けていい感じ。
 学さん(50代、男)でした。

土用波引きて足裏の砂さわぐ
 誰でも感じたことのある、あの感じ。「足裏の砂さわぐ」でうまくいいあてています。
 悠さん(70才以上、女)でした。

赤札の一枚ずつに猛暑かな
 意味が分からなかった例句としてとりあげました。「赤札」とは何か?わたしが瞬間感じたのは、差し押さえの札とか、神社札。これを書いている段階では、作者が男か女かも知らないが、女の人だったらバーゲンの札かな。赤札堂という店があるくらいだから。わかる言葉の範囲は句会によっても変わってくるでしょう。お年寄りが多いか、若い人の会かなどにもよる。また法律家の句会なら、専門用語も通じるとか。一般的には、特に名詞は、意味のブレが少ない言葉を選ぶべきだと思います。
 茂さん(女)でした。

「九頭竜に鱗を極めうろこ雲」の「九頭竜(くずりゅう)」も、読めず(恥ではあるが)、わたしにはなじみのない地名でした。せめて川の名とか、ダムの名とか分かると良かったのですが。えんやさん(70才以上男)の句でした。
 「アレンジを嫌ひて今も筑紫恋ひ」、「筑紫恋ひ」も含め、これは全く分かりませんでした。戯心さん(70才以上、男)の句でした。
 「真桑とはさても遥かな戦後かな」、戦後の食糧難のことだと思いますが、まくわうりがどうしたのか理解できませんでした。遊雲さん(70才以上、男)でした。

恋焦がれ 胸に刺さる つまようじ
 この方は、575を分かち書きにされています。特別な狙いがない限りは、俳句は書き流しにする理由は、「まさおなる空より/しだれ桜かな・富安風生 」のように、575で切らない句もあるからです。これを「まさおなる 空よりしだれ 柳かな」 と表記したのでは意味不明となります。また、「冬のくる音/くちびるを開く音・鳥居真里子」なども同じ。「冬の来る 音くちびるの ひらく音」とはなりません。前者を「句またがり」などと呼びます。後者は「対になっている句」などと呼びます。この方は、考えるときも575の切れだけで考えているのではないでしょうか。いろんな切れがあることを知ることも句力アップにつながるでしょう。
 そらさん(20代、男)でした。

夕涼や/農婦のさざめき/遠畑
 三段切れの例句として取り上げました。三段切れとは、3つの事柄を組み合わせて文脈を組み立てることです。掲句では、3つの部分が干渉し合って不協和音となり、意味が収れんしないままになっています。「夕涼や/農婦さざめく遠畑」のように二つになるようにした方がいいでしょう。
 草子さん(60代、女)でした。

「晩夏光/バレエ発表/控室」も同じ。バレーのステージを控え室で待っているということでしょう。「出番待つバレーの楽屋/晩夏光」みたいな事で、二つになるように持って行ってはいかがでしょう。
 ポリさん(50代、女)の句でした。

音はずす隣家のピアノや夜長し
 「や」を取って575にしましょう。切れを入れたかったら「音はずす隣家ピアノの夜長かな」のように「かな」止めにする手もあります。
 実感のある句、丸山俊郎さん(50代、男)でした。

五輪の日戦(いくさ)はじめし国悲し
 グルジアを攻めたロシアの事でしょう。それなのにプーチンは開会式に出席していた。良く分かります。時事俳句ですが、もの言わぬは腹ふくるる技という言葉もあります。それをたまたま575で言ったという事でしょう。この手の句は、頭に「08年北京五輪開幕」などと書いておくといいのでは。
 どんぐりさん(男)でした。

 以上、10句+2句でした。取り上げなかった句の作者の方、申し訳ありません。匿名で選んだ結果なので、許してください。うまく行ってない句は以下のような原因が多かったと思います。参考にしてみてください。
  1)単に報告しただけで、心の動きが伝わらない句
  2)あたりまえすぎて、ひっかからない句
  3)既存の言葉や、考えによっかかりすぎた句
  4)言葉が難しかったり、適切でなく、意味が不明の句
  5)調べ(ゴロ)が悪く、声に出したときに気持ちの良くない句
                        以上です。では、 また次回(^_^;)ゞ


2008年8月13日
星野ドクター : 今週の十句  (到着順)

 オリンピックも始まり、今年の夏もピークを迎えようとしています。
 皆さん、お元気でお過ごしですか。
 私にとっては、夏と言えば「俳句クリニック」の夏。懐かしい方々の句を拝見できて、今回も10句選を楽しませていただきました。初投句の方もいらっしゃいますが、これをきっかけに俳句を長く続けていただけますよう、私自身も楽しんで読んでみました。
 俳句は多分読めれば詠めます。
 俳句生活を共に楽しみましょう。

生身魂静かに匙をとりたまふ   大川一馬
老人が匙をとった、ただそれだけのことなのですが、盆の頃の暑いさなかも、齢を重ねてきた人の静かで淡々とした様子。
 とりわけ、「匙」に感服しました。
(原句:生き身魂静かに匙をとりたまふ)

片腕に子ども抱える朝曇   ポリ
 朝曇りは夏の季語です。曇っているから涼しいのかというとそうでもなく、昼からの暑さを暗示していてうんざりさせられます。しかしながら、さぁ少しでも涼しい今の内に、と、作者は子どもを片腕に奮闘しておられるのでしょう。
 小さな子どもは少しもじっとしていませんし、世話が焼けます。母は強し、と感じました。
(原句:片腕に子どもを抱える朝曇り)

自転車の開錠の音今朝の秋   えんや
 自転車の開錠の音、がいいですね。自転車の鍵がカチャッと開く音、そこに作者は秋を感じられました。
 「今朝の秋」は、実際にはまだまだ暑い日の朝ですから、小さな秋の発見です。

白南風や五年日記の最下段    草子
 五年日記の最下段と白南風との取り合わせだけでできている句。
 五年日記の最下段は勿論まだ真っ白で、それは五年後に書かれる予定の欄なのです。遠いような近いような五年後という未来に、白南風がさらっと効いていると思いました。

ひまわりやサンダル履きの外科医かな   風子
 病院勤務の医師は確かにサンダル履きの方が多いですが、サンダル履き、という言い方に外科医のくだけた人柄が感じられました。さらに、ひまわりの豪放磊落さが、サンダル履きの外科医とよく釣り合っています。
 ひまわりの見える病院の渡り廊下を回診中の一コマでしょうか。

一瞥をくれしままなる涼気かな   吉井流水
 一瞥をくれしままなる、で切れています。
 一瞥した後、彼からは何の言葉もなかった、というのです。
 しかし、そこに作者はかえって涼気を感じました。
 どういう場面なのかはわかりにくいのですが、作者の感性に感銘を受けました。

片脚は娘の住むところ虹の橋   ミノル
 娘は、こ、と読みます。夕立の後の大きな虹。今ちょうど、その虹の、脚の片方が立っている所に娘の住んでいる町があるのだ、と作者はいうのです。虹の橋を渡れば、今すぐ娘に会いに行けそうな気がします。
 片脚は、というユーモラスな言い方ではぐらかしながらも、虹の橋の美しいイメージは全体として娘にも掛かり、愛情の感じられる一句です。

ひつじ草手のメガホンで呼ぶママー   草子
 手のメガホン、でいただきました。
 ひつじ草の咲く池の近くでこの子は何を見つけたのでしょうか。手でメガホンを作る様子に、何才くらいの子どもかな、と興味がわきました。一人遊びができて、手でメガホンを作る智恵があって、でも、何かあるたびにママーと呼ぶ子。
 ひつじ草の背景もいいですね。

夏草よ文明なんか飲んでしまえ   岡野 直樹
 炎天下も休むことなく夏草は生い茂ります。小さな石碑や小屋などは飲み込まれそうな勢いですが、その夏草の生命力に作者は共感し、加勢しているのです。
 文明なんか、と大きく出たところ、飲んでしまえ、の夏草を擬人化した命令も成功しています。

甚平や無精もここに極まれり    遊雲
 暑いので甚平を着て、無精を決め込んでいる作者なのでしょう。
 ここに極まれり、という古風な言い回しが、甚平を着た人物像とよく合っていると思いました。

【佳 作】
息災の妻おればこそ大昼寝    ミノル
夕凪に少年黒く佇みぬ      せいち
風鈴や池を覆いし草の丈     小口泰輿
夾竹桃不発弾また見つかりて   豊田ささお
電気断ち車たちけり夕涼し    文の子
昼顔の丘を越えればいつも海   草子
瀬戸内に陽はジュッと落ち心太  勇平
(原句:瀬戸内に陽じゅっじゅと落ち心太)


2008年8月6日
早瀬ドクター : 今週の十句  (到着順)

梅雨明けや爪切る彼はもう他人
 梅雨が明けてやっとバカンス本番の日々。なのに、よこで爪を切っている男は、元カレ。しかも、「もう」に未練たっぷり、切なさが出ている。575の中に詰め込みすぎた感はあるが、失恋のもの悲しさを、爪切る、とわざととぼけた動作を入れたところが、俳句的。おもしろい。
 作者は岡野直樹(40代、男)さん。

日本の空だ八月十五日
神野紗希さんに「カンバスの余白八月十五日」(違っていたらごめんなさい)という句があったか。戦争が終わって、もうB29も来ない。雲もほとんどない、ぽかんとした空は、間違いなく日本の空だという、空虚感というか、しみじみとした感じが伝わってくる。
 作者はせいち(60代、男)さん。

船内の宇宙飛行士浮いて来い
 「浮いて来い」は、子供が水に沈めてはぽこんと浮いてくる浮き人形で、夏の季語。宇宙飛行士の中継か何かを見ているテレビの傍らに、浮いて来いで遊んでいる子供がいるのだろう。変な格好で空中を移動している飛行士も、遊んでいる子供のようで、おもしろい組み合わせ。宇宙飛行士を玩具に見立てて、「飛行士よ、浮いてこい」といっているような作りにもなっていて、遊び心満載の楽しい句。
 作者は大川一馬(70才以上、男)さん。

コンビニの灯の煌々と夜釣りかな
 「煌々」に言い過ぎ感がある。が、夜釣りをするところは、かなりへんぴな場所のはずなのに、そんなところにも、コンビニはある。夜釣りをする暗がりから見える、妙に白々しい、青みを帯びた明かり。人気のない店内で、むなしく時を過ごす、現代人の孤独、空虚感。それと、情緒のある夜釣りとの、これこそ、意外性のある取り合わせ。
 作者はれい(70才以上、女)さん。

いかづちや疾風生みたる草の丈
 正しくはいかずち。雷、夏の季語。稲光は秋の季語。ふつう雷が疾風を生むと持ってきそうだが、草の丈が疾風を生んだ、というところが、いかにも俳句的ものの見方。夏も盛りで、草も背を伸ばしきっている。その荒涼とした、猛々しく茂った草だからこそ、雷を鳴らせて、疾風も生むという、逆の視点が、おもしろい。
 作者は小口泰與(60代、男)さん。

花氷唇薄き人なりし
 華々しく飾った、装飾氷柱の展覧会か何かを見てきた帰りか。誰かわからないが、「なりし」なので、そういう人だった。ということは、よく知っている人ではない。華やかな氷を彫っていたアーティストの唇が、いかにも情の薄そうな薄い唇だった、というところに、俳句らしい皮肉、逆説があって、おもしろい。なりし、誰かはっきり書いていないところも、謎、余韻を残しているのでは。
 作者は(50代、男)さん。

猫睡る土用の入りの三和土かな
 これといって、新しい材料はない。が、土用というもっとも暑い時期に、昼でも暗い土間にうずくまる猫。これ見よがしの取り合わせなど何もないが、午後の静けさ、ひんやりとした質感、動かない時間、隅にものが雑然と積み上がっている昔風の日本の暮らし、などがありありと見えてくる、リアルな句。成功しているのでは。
 作者はえんや(70才以上)さん。

秋暑し朱塗りの柱やや褪せて
 これも平凡といえば平凡。柱の朱が褪せているのは、秋だけではない。が、その剥げ加減が、妙に目に迫ってくるのは、炎暑の頃よりも秋の暑い頃。その褪せ加減が、秋の暑さをいっそう増してくるような気がする。ものをよく見て作った句の強さか。
 作者は文の子(60代、男)さん。

朝顔の蔓掴まんと腕の子
 「道のべの木槿は馬に食はれけり」(芭蕉)。木槿をふと毟り食った馬のように、何の作為もなく、蔓をつかもうとする幼子。そのかざらない心の、そのままに作られたような俳句。が、掴まんと、で一呼吸おいたところ、かいなの子、という省略の効いた言葉使いなど、さりげなくうまい。
 作者は草子(60代、女)さん。

夕立はミッドウェーの端から来
 突然やってきた激しい夕立は、かつてのミッドウェーで見た夕立を思い出させる。そう、心象風景の句と読むよりは、文字通り、この夕立は、間違いなくミッドウェーとどこかでつながっている、と読んだ方が、不思議さ、不気味さ、理不尽さが際だつような気がする。ミッドウェーはいうまでもなく、太平洋戦争の激戦地。思いを述べず、淡々と詠んだことで成功したのでは。
 作者は(60代、男)さん。

全体を通して:
 皆さん。お久しぶりです。全句講評とは違い、選に入った句のみ公の舞台に登場できるというのは、いいことだと思います。また、匿名で選をしていますので(たぶん他のドクターも)、公平性はあると思います。後で名前を拝見して、全部落とした方がなじみのある方だと、申し訳なく思いますが。
 最終的に落としましたが、予選に残したのは、以下の句です。

夏祭土耳古の人の露店かな(長十郎(60代、男))
左利き流しそうめん特等席 (岡野 直樹(40代、男))
書架におく薔薇一輪や罪と罰 (れい(70才以上、女))
薔薇の芽の新たに生まれ星充つる (小口泰與(60代、男))
こめかみの汗老斑に来て止まる (えんや(70才以上))
葛飾や首の出てくる片陰り (茫茫(50代、男))
周遊券かばんにダリア咲く里に (風子(女))

いくつか気になったことは、
1.言葉が無造作でもったいない。「ゆるゆるゆると」、「どどどどど」、「ゆるりゆるりと」、「でんぐり返り宙返り」、「乗せる地よ」、その他。
2.いかにも類想。「新盆・コップ酒」、「月をワイパーで拭いたい」、「秋茄子を妻に食はせる」「炎帝に挑む球児」、「公園に子の声のない夏」、「昼寝覚むかし魚」、「腕白の弱点見たり」、「怪しげな占い」、その他。
3.全部言ってしまった、または言い過ぎ。「無慈悲」、「慎みて」、「粛然と」、「せめてもの」、「未熟なジゴロ」、「年もとったり我も子も」、「愛おしや」、「想いをこめて」、「何という全き」、「白という美しい色」、「青磁あきすずし」、「わだつみといふ深き」、「心にしみる」、その他。
4.既成の言葉を使った点。「久闊を叙す」、「ツツーと汗」、「ネコパンチ」、その他。
5.意味不明。「四股名も遠き青山河」、「母系山脈」、「壊すに惜しい闇」、その他。
6.因果でつないだ。「蝉シャワー浴びれば」、その他。
7.説明。理屈。「一万歩昼間で足らず」、「歳時記より暑さ出てくる」、その他。
8.抽象的。「ふしぎな話」、その他。

 皆さんの俳句を愛するお心はとても伝わってきました。失礼もあったかもしれませんが、そこはお許しを。 また十選でお会いできるのを、楽しみにしています。


2008年7月30日
中谷ドクター : 今週の十句  (到着順)

 こんにちは。つい先日クリニックが終わったところのような気がしますが、こんなに早くに登場させていただきました。今回もよろしくお願いいたします。

ちぐはぐの家人の目線牽牛花
 単に家族の目線だけの問題を言っているのではなくて、家庭内で何か問題が起こっているのではないか、それも案外深刻なのではないかと思ってしまう、含みのある句です。「牽牛花」という言い方もその含みに一役買っていて、私はちょっと深読みかなと思いつつ、家族の誰かの恋愛にまつわる問題が起こっているのではないかなんて思ってしまいました。情景を想像しても、目線がちぐはぐになってしまっている家族の様子と、窓の外に咲いている朝顔の取り合わせはうまいと思います句の表現で気になるのが「の」の連続です。「ちぐはぐ」「家人」がどちらも「目」にかかるので上の部分が重く説明的に感じますし、響きとしてもやや間延びした感があります。ここは、「家人の目線」を最初に持ってきてみてもいいかもしれませんね。
 作者は、茂さん(女)です。

故郷へへの字遠のく渡り鳥
 故郷というのはどこか感傷的なものですが、渡り鳥が、へへへへへへへ・・・と飛んでいると考えると楽しい気持ちになりました。これが決め手です。「遠のく」ので最後はやっぱり望郷の念で終わるとは思うのですが。鳥の姿を「へ」に見立てる発想は、やや月並みなのかなと思ったのですが、皆様から送っていただいた句を何度も読んでみて、やっぱりこの句の情景がたいへん鮮やかだと思い選ばせていただきました。「故郷へへの字」とへをふたつつなげていることも作戦かなと思いました。
 作者は丸山俊郎さん(50代,男)です。

相続の話題ガタゴトあじさい電車
 「ガタゴト」が効いています。「相続の話題」「あじさい電車」どちらにもうまく関係して、一句を支えています。相続の話題というとどこか重苦しく私のイメージではどうしても火曜サスペンスもしくは「家政婦は見た」シリーズのイメージになってしまいます。しかしこの句の場合、「ガタゴト」と軽い響きで、もめている内容をやや匂わせながら「あじさい電車」と取り合わせたことで、ユーモアのある世界をつくることに成功していると思います。あじさい電車ってかわいい雰囲気です。山道をゆっくりゆっくり行く、のんびりとしたイメージがあっていいですね。
 作者は草子さん(60代,女)です。

あをあをあか紫陽花電車あかあをあを
 今回の投句の中には、あじさい電車を詠んだものがもう一句ありました。きっと車窓からの景色を詠んだものだと思うのですが、内容も表現、表記も非常にストレートで先のあじさい電車とはがらっとイメージが変わっています。同じ題材でも切り口を変えるとこんなに表情がかわるのだなあと思いました。紫陽花はかたまりがひとつひとつ大きく、花びら(本当はがくですね)一枚一枚もはっきり見えるので、この表現ぴったりだなあと思います。私はこの句からゴッホのような大胆なタッチの絵を想像しました。「あを」と「あか」の並べ方も工夫があって、電車に乗って通っていっている感じが出ています。思い切って実験をされているのだなあという印象を受けました。 作者は文の子さん(60代,男)です。
 実験的といえば、声に出して読んで思わず笑ってしまったのが、そらさん(20代,男)の「東雲に志乃の麺食う師の能面」。クリニックや今週の十句ではあまり出会わない句なのでびっくりしました。
 時には発想を180度変えて冒険してみると、意外な自分の一面に気づくかもしれないなあと思いました。

はちす咲く古里の墓みな湖に向く
 やや幻想的というか、どこかの国の伝説を扱ったような不思議な雰囲気の句です。私はこんな句に弱いのです。「咲く」「向く」と動詞をふたつ重ねたところ、この句の場合は、ぶっきらぼうな響きをつくって、冷静な語りと不思議な内容の対比を上手く引き出しているのではないかと思います。細かい点ですが、「湖に」よりも「湖を」としたほうがより明確に対象を示すことができて表現がしっかりするのではないかと思いました。(上手く説明できないのですが・・・すみません。)
 作者は、小口泰與さん(60代,男)です。

月光の涼しく明日は孫の婚
 特別な日の句はやはり気になります。何事も、イベントの前日がいちばんどきどきするなあと自分の体験を振り返ってみて思います。この句はその、前日の期待感、どきどきの瞬間を、感情的にならずにさらっときれいに詠んでいて素敵だなと思い選ばせて頂きました。夜、翌日のお孫さんの姿を想像しながら月を眺める、そんな姿が目に浮かびます。私もこんなおばあちゃんになれたらいいなあと思いつつ。
 作者は悠さん(女)です。

北極の命融けゆく原爆忌
 現代の問題と、戦争の記憶と。大事な共通点は「命」。「北極の命融けゆく」という表現が、色々な意味を内包していてうまいと感じました。「融」という字にされたのもぴったりだなと思います。「原爆忌」の持つメッセージを生かしておられるなと思います。
 作者は、せいちさん(60代、男)です。
 先日6年生の国語の授業で歳時記を紹介していたところ、ひとりの男の子が、この「原爆忌」を見つけて驚いていました。「これも季語になるんやなー」と言っていました。
 夏といえば、戦争に関わる句が多くなる季節かと思います。今回の投句の中でも、何句かお見受けいたしました。
 「かなかなや爆音遠くなりにけり」豊田ささおさん(70才以上,男)の句、かなかなと言えば夏の終わり、秋。終戦後。かなかなの寂しげな鳴き声がただ響きます。「爆音遠く」で切って具体的な町の様子などを持ってくるとより鮮明な句になるかなと思いました。
 「「靖国」の映画はねるや夏の月」大川一馬さん(70才以上,男)の句は、時事的ですが、この「夏の月」は読み手ごとにさまざまな思いを引き出して句のイメージに変化をつけそうな予感がします。

遠花火そびらより月出しかな
 「そびら」って美しい言葉ですね。この背中はもちろん自分ではなくて、誰かの背中だと思います。恋人、もしくは伴侶の背中でしょうか。艶やかな雰囲気の句で、大人だーと思ってしまいました。花火の音だけが聞こえて、相手の背中から月が出てくるように見えた、なんともロマンチックだなと思います。大人の恋の句として鑑賞いたしました。
 作者はきなこさん(50代,男)です。

  黒蟻や冥土通いの井戸登る
 黒蟻は、働きアリ。そんな俗なものが、冥土通いの井戸を登っているというギャップがおもしろいですね。題材の切り取り方がおもしろいと思いました。ただ、「登る」とまで言ってしまうと、やや説明的になるかなという点が気になりました。それよりは井戸の描写を具体的にしてみてはいかがでしょうか。ここは初句を「や」と切ってしまわずに後につなげるような助詞を持ってきておいて、結句を体言止めにするなど、リズムに変化があるといいのではないかと思いました。吟行で作られた句のようです。私自身は吟行がやや苦手なので、こんなおもしろい発想ができるなんてとてもうらやましく思います。
 作者は、遊雲さん(70才以上,男)。

ゆく船も来る船も虹くぐるかな
 きっと大きな大きな虹が空にはっきり見えたのだろうなと思います。海と虹と船。とても情景がわかりやすく、爽やかな一句でいいなと思いました。ただ、「虹くぐるかな」という終わり方がやや平凡で句全体を短文的にしてしまっているかと思います。「かな」とつけてしまうと落ち着きすぎる印象があります。句の組み立てを大胆に変えてみてもいいのではないかと思います。大改造なら「虹くぐる」を初句に持ってきてしまうというのもひとつの方法ですし、破調もいいかもしれませんね。せっかくスケールの大きな情景を描いておられるので表現の上でも少し大げさなポーズをとってみてもいいと思います。
 作者は、穂波さん(女)です。一緒に送ってこられた「テーブルクロスは緑風にチャイム鳴る」は、破調がうまく句のアクセントとなっていてわかりやすい例だと思います。


2008年7月23日
岡野ドクター : 今週の十句  (到着順)

床涼し丑みつに飲む真水かな
 丑みつどき、深夜2時から2時半、目が覚めてしまった。前夜飲み過ぎてしまったのでしょうか?それとも、胸苦しくて?そのように説明的に読むと、句の世界を狭くしてしまうかも知れません。この句、一読して、何か尋常でない感じ、不安な感じがあり、それでいて明易の夏ならではの清涼感が全体を支配しています。そこが私には魅力でした。「丑みつ」という古風な表現、「真水」が効いています、ここはこの言葉でぴったり、代えがきかない感じです。
 「床涼し」がわかりにくい、ひょっとして川床?床→寝床、蒲団?床→畳?床→板の間?と妙に詮索してしまいました。俳句は具体だとよくいわれますが、ここはこの時間に飲む真水の冷たさだけが具体で、他はあっさりとやり過ごしてしまう手はないでしょうか?
 作者は大川一馬さん(七十才以上、男)。

鳴る水の音前菜に床料理
 まあ、きれいです。すいません採っておきながら。食べ物以外の事物(景色とか)を前菜にするというレトリックはよくありそう。ですからこの句は夏らしくてとても気持ちいいものの、根本のところでは平凡です、欲を言えばですが。水の音ということで、賀茂川よりも水面に近い貴船を想像しました。全体にすらすら流れるような声調ですが「鳴る水」という措辞にオヤ?と思わされました。ひっかかる人はここでひっかかるでしょう。音とダブリますしね、鳴るということで、水琴窟を思いました、反響する感じ、川の水音ととるには少し無理があるかなあ、と。ここまで考えて、でもそこがいいのかもと、思い直しました。こうやって私が採らされています。「鳴る」という措辞が川床料理の予定調和を少し裏切っています。川の水音に鳴るという言葉を与えた例を知りません、そこが印象的といえば印象的です。
 作者はさん(女)。

寿司回転無言で過ぎ行く鮑かな
 俳句としての完成度は高くありません、どうして採ったか?一も二も無く「寿司回転」という、この乱暴な上五のつくる、動感、リアリティに惹かれました。この乱暴さは、そもそも寿司を回転させてしまおうというこのビジネスのアナーキーさともよく見合っています。試みに上五を「回転寿司」にしても十分成り立つし、意味上も大差ありません。でもずい分違いますよね、効果が。回転の後の切れをうんと意識して読めば、あの無音定速で回転するベルト(ですか?)に乗って様々な寿司が通り過ぎていく、考えてみれば摩訶不思議な場の面白に改めて気づかされます。日常何気なくやり過ごしているモノやコトも、虚心に見ると俄然面白くなりますね。勉強させてもらいました。  あと、「無言」が気になったのと、「鮑」でいいのか?いいような気もする。この辺になると色々ありすぎて迷うところです。
 作者は勇平さん(70才以上 男)。

ノウゼンカズラ出入口あり注意!
 今、凌霄花が盛んに咲いています。私の家でも一大勢力を誇っています。夏らしい色、かたちですね。この句、映像の喚起力に富んでいると思いました。  誰でも見たことがあるような風景、ノウゼンカズラが猛烈に繁茂して出入口を覆い隠している、というところでしょうか。注意!と読者に呼びかけることによって風景に息が吹き込まれた感があります、静止画像がよく見ると動画だったときのように、エクスクラメーションマークもありでしょう。ノウゼンカズラの片仮名表記も効いているし、7、7、3の破調もお上手だと思います。  私は勝手に下町の町工場のようなところを想像してみました、よくあるんですよ、そういうところにノウゼンカズラが。今にも軽トラックが出てきそうな。
 作者はポリさん(50代 女)。

半夏生通夜に見知らぬいとこゐて
 半夏生という季感、通夜という場、そこにいる見知らぬいとこ、この三つの要素がアイソなく(つまり感情の表出なく)読者に投げ出されています。それだけなんです。後は読者があーでもない、こーでもないと想像する、思うに俳句こそ作者の手を離れたら、あとは読者のものです。俳句の技術とは上手に読者に手渡す、その手渡し方の巧拙ではないでしょうか。
 この句もちろん「見知らぬ」が尋常ではありません、それが全体の静かな声調の中からじわじわ立ち上がってくる、そのよさです。
 とりあえず私には見知らぬいとこはいません、いないはずです、あれ!そうかな?
 作者は文の子さん(60代 男)。

白馬岳(シロウマ)へ大雪渓を曳いていく
 これぞ山岳俳句!雄大な景で文句なしです。気持ちいいです、でもなあ、と、採ったあとで呟いています。典型的すぎないでしょうか?  私は山登りをしませんが、聞けば白馬岳の大雪渓は有名だそうですね。惹かれたのは「曳いていく」の措辞、巨大な自然の中での点景のような私、しかしその私が意志をもって一歩一歩登っていく。一人称の視点でありながらそこに大俯瞰のいわば鳥、神?の視点もダブッてきます。大げさでしょうか?山男にはより実感のある言葉かも知れません。よくできたとしても、典型的な風景句どまりになりやすい山岳詠。どうぞ、そこに新しいルートを開拓してください。
 作者はせいちさん(60代 男)。

天の川改札口を通る猫
 このまま読み下せば、銀河鉄道の改札口を今、一匹の猫が通っていきました、と、、、メルヘンチックで、この後がいろいろ想像できます。  句の構造でいえば、天の川で一応切れる。そうすると俄かに「改札口を通る猫」が現実の駅の風景にも見えてきて「天の川」も、あっ!七夕ですか?という感じ。猫がいけないのかもしれません。じゃあ犬か?そういうことでもないのですが。
 類想はあるかもしれませんが、ここでは天の川の改札口(ここが売りです)を活かして、あとを劇的に飛躍させてしまったらどうでしょうか。言うだけ言って私に妙案はありません。
 作者は遅足さん。

白南風や窓開け放つ整体士
 梅雨明けの頃の南風、それだけでも気持ちいいのに、窓を開け放ち、おまけに整体!気持ちいいことの三連発です。作者の開放感が実感として伝わってきます。うまいのは窓を開けるのが整体士だということです。これで、その場のしつらえとか、細々したものが想像できるような仕掛けになっています。というか、そのように誘っています、施術の前か、後か?おかげで窓からの風にリアリティがあります。作者の実体験かどうか問いませんが、ここは整体士以外考えられませんね、鍼灸師じゃ、どーもね。
 作者はえんやさん(70才以上 男)。

一房のバナナと弥勒さまの前
 バナナと弥勒菩薩、抜群の取り合わせです。とかくバナナは相手によっては 強力な取り合わせ効果を生みます。相手が取り澄ましていればいるほど、効果をあげるようです。バナナの脳天気なまでに図太く、陽気で大らかなキャラクター、それでいて栄養たっぷりだったりする。ここでは繊細優美な半跏思惟像、広隆寺の弥勒菩薩に対してバナナの図太さが皮肉(反語的)には働いていていなくて、むしろ両者間のほほえましい感情の往還を感じます。忘れてました、もちろん作者はバナナと一緒に弥勒さまに向き合っているのでしたね。
 作者は穂波さん。

駆ける子の後ろ次々ヒメジオン  弾むようなリズムがあり、且つ景の不思議な動きが面白いと思いました。 向こうに走っていく子供の後姿があり、その視界に次々とヒメジオンが入ってくるというのです。(そう読みました)子供が遠ざかるにつれて、手前の、路傍のヒメジオンに段々ピントが合ってくる、映画のようですね。走る子供の姿と素朴なヒメジオンはよく響き合っていると思います。たしかに姫女苑よりこの片仮名表記がこの世界に合っていますね
 作者は豊田ささおさん(70才以上)。

 あと、採れませんでしたけど、「淀みとは落ち合ふところ夏の鯉(吉井さん)」は、鯉=恋にも読めて。「卵呑むへび口裂けて眼の愉悦(戯心さん)」は凄すぎますが「愉悦」みたいな生硬な言葉の使い方に注目。「裸婦像のごと猫睡る夏座敷(えんやさん)」は裸婦像が大胆、ジョルジョーネの「眠るヴィーナス」でしょうか?

そんな色っぽい猫なんて!


2008年7月16日
えなみドクター : 今週の十句  (到着順)

 たくさんの方に「お久しぶりです」と声をかけていただきありがとうございます。元気にやっています。みなさんもお元気にお過ごしのことと思います。
 さて「今週の10句」ですが、27名87句の投句をいだだきました。無記名の投句一覧表から、「面白いと思うもの」を中心に「こうしたらいいのではないか」を含めランダムに10句とりあげてみました。
 取り上げた基準ですが(結果として)オリジナリティがあるか、言葉の選び方や組み合わせはどうか、句材が面白いか、になったと思います。結果、とりあげられなかった方ごめんなさい。又、次の投句をお待ちしています。

黒いぶるんこんにゃく白いぶるんこんにゃく
 こんなタイトルの絵本があったら、頁を開いてみたくなるでしょう。白と黒とのくりかえしが面白く、「ぷるん」の位置が効果的です。
 ただ、「こんにゃく」だけでは季語ではないし、575の枠から大きくはみだしていますので、これが俳句か?という疑問はあります。むしろ詩ですが、ぎりぎり俳句の仲間と考えてもいいと思います。個人的にですが、3つの部分から成り立っていて、読んで調べが良いのが俳句かな〜と思っています。
 作者は「汽白」さん(40代,男)でした。 汽白さんの「みせるとこみせないところ裸かな」も面白かったです。

行李より学生帽の出でて夏
 この後に「思い出すなりあの頃の友」などのイメージがふくらみます。行李より学生帽が出たというのが、意外性がある。またそれが「夏」ということと相まって、行動的で好感のある句になっています。
 「行李/学生帽/夏」この3つの言葉の組み合わせから生まれた句です。行李/学生帽がレトロな感じがするので、ノスタルジックな句になっていますが、これが「行李/アイスピック/冬」とか、「行李/一眼レフ/秋」などと変わる事で句の持つイメージが変わります。一般的には思いがけない組み合わせが新鮮な句を生む可能性が高いと思います。た だ、この句のように少しだけずらした言葉を選ぶのも共感性の高い句が生まれるように思いました。
 作者は「せいち」さん(60代,男)でした。同じ作者の「桃傷む人類海へ還るべし」は、手あかが付いた言葉の組み合わせになっているように感じました。

七夕や銅画の街にパン買ひて
夕焼けて銅画の海に帆船あり
 同じ作者の2句を並べてみました。一句目、「銅画の街」という曖昧な 言葉が、「パン買ひて」という具体的な行為でフォーカスが合いました。「銅画の街」とは、銅画で書かれた架空の街と読むこともできるし、わたしは駅前などにある銅画の町案内のある、その街と読みました。また、「パン買う」の言葉選びが、キリストや宮沢賢治などを連想しました。また、七夕の笹やそれにぶら下がっている短冊の具体的な映像も効果的で、詩的な世界が生まれたと感じます。
 2句目は、「夕焼/銅画の海/帆船」で、抽象度の高いままなので映像があいまいなままになっていると感じます。この2句で言葉選びと、組み合わせによる違いを考えてみてはいかがでしょう。
 作者は「」さん(50代,男)。

マンゴーやMs.Ms.と声掛けられる
 アジアの街角で客引きにあっている。「や」で切れているので、マンゴーを売りつけられていると言うよりも、歓楽街の客引きを連想した。こういう事を句にした方は珍しいのではないか、つまり句材が新鮮だ。まだ詠まれていない句材は、575になりにくいから詠まれていないのでしょう。現代の生活の中には句材はまだ沢山残っていると思っています。縦書きにした時、表記はどうなるのだろうか、たぶん、この英語表記のまま縦にすればいいんだろうな〜。
 作者は「」さん(女)。

五つ玉ご破算にして土用入り
 季語から発想した句だろうか。「土用入り→江戸→商家」という流れから「五つ玉ご破算にして」というフレーズが浮かんだと想像しました。夏の土用は暑い盛り、今日の仕事はやめにして、鰻で一杯やるか〜!とか、今までのやっかいな事はなしにして、暑い夏に備えようなどの気持ちが伝わってきます。古典に詳しい方、歌舞伎が好きな方、日本舞踊やお茶をやってる方は、自分の持っている語彙(言葉のグループ)から、このような単語を選びだし、好きな世界に遊ぶのもいいと思います。
 作者は同じく「」さん。

驚くな大砲ほどの屁でもなし
 「大砲ほどの屁でもなし」はけっこう面白く、幕末みたいだな〜と感じました。坪内稔典さんが「言い切るのが川柳、含みを持たせるのが俳句」というようなニュアンスのことをおっしゃっていたと思います。この句、「屁でもなし」は、大した事ないという表現とも取れますが、「驚くな」が川柳そのもので、結果は全くの川柳です。「夏草や/大砲ほどの屁でもなし」「いかづちや/大砲ほどの屁でもなし」などと、まずは季語を入れて、俳句に接近されてはいかがでしょうか。
 作者は「長十郎」さん(60代,男)でした。

いきつけの散髪屋にも夏来たる
 「散髪屋/夏来る」の組み合わせです。2番の句と感じが似てるのは、散髪屋という単語がノスタルジックだからでしょう。今時の子は、みな美容院なのかな〜、床屋という子もいるでしょう。組み合わせた言葉の意外性はそれほどでもないが「いきつけの散髪屋」としたことで、ちょっとアレッという感じが生まれました。身近な言葉の選択でも形容詞を着けることで性格が生まれ、句が生きている好例でしょう。
 作者は「」さん(60代,男)でした。

犬もまたそはそはすなり梅雨の明
 梅雨明けで、犬が散歩をせがんでいるという句。「そはそはすなり」が効いていると思います。ここでは、助詞の「も」について考えてみます。一般的に俳句の「も」はよろしくないとされています。理由は、詠んでいる事以外の事を想像させ気がちるからです。ただ、この句では「わたしも犬も」と読む事ができ、曖昧になっておらず良いと思います。
 作者は「文の子」さん(60代,男)。
 「手花火も連絡船の荷のひとつ/黒田杏子」も、「も」以外では成り立たない句だと思います。また、日本人特有のはっきりさせない、やわらかく言う「も」があります。「その内にいいことがあるサ」ではなく「その内にいいこともあるサ」などです。あまり杓子定規に考えるのはやめようと思っています。

生国魂の茅の輪くぐり飛んでみる
 「茅の輪を飛んでみる」に、弾む気持ちがこめられ明るい句になりました。「茅の輪をくぐって飛ぶ」なのか、「茅の輪くぐりを飛ぶ」のか、迷いました。「茅の輪くぐり」というのがないので、前者でしょう。「茅の輪をぴょんと」などの表現もあるでしょう。
 ここでは固有名詞について考えてみます。「生国魂(いくにたま)」は天王寺にある神社で、いくたまさんと呼ばれているそうです。関西ではたぶんお馴染みですが、関東の人間は文字が読めないし、イメージもわきません。ほんとはいくたまさんだったとしても、句会の場にあわせて変えられた方がいいでしょう。文字面から「生国魂」は、靖国のように重いものを感じてしまう。これが京都をイメージさせる「上賀茂の」とか貴船神社にして(ぴょんと飛ぶ貴船神社の茅の輪かな、など)にすると句に爽やかさがでるように思います。
 「kikumi」(60代,女)さんの句でした。

雲の峰北緯45度の駅
 近くのものと、遠くのものを組み合わせた句。北緯45度の駅が、イメージが沸かないので、句としてはいまひとつかと思います。「夏は夜77号室で待つ」「初蝉や今年は西暦08年」。この方は、数字の句をたくさん送ってくれました。「数字は、横書きだから算用数字にしましたが、漢数字で表記すべきでしょうか?」という質問がついています。答えですが、きまりはないのでお好きな表記にすればいいと思います。77号室は、縦なら七十七号室の方が面白いこともあるでしょう。「牡丹百二百三百門一つ/阿波野青畝」、この漢字表記は、縦書きじゃないと成り立たない句です。それじゃあ「牡丹100200300門1つ」か!これじゃあ、めちゃくちゃです。最近は、横書きが多くなってきたので、表記についても再考の時期に来ていると思います。
 作者は「遊雲」さん(70才以上,男)。


2008年7月9日
朝倉ドクター : 今週の十句  (到着順)

厨まで来てなにもせず半夏生
 厨と半夏生という言葉がとても効果的です。お互いに良さを引き出し合っていることでしょう。また、厨で何もしないという日常の一場面。台所とはそんな風に立ち寄る場所でもあります。夏の一日、静かな土間のあるような厨を思います。そこには、さまざまな抒情があるでしょう。句の人物は、何もしないけれども、その厨でいつも立ち働く家族、何かをつまむ子供、そして静寂の訪れる夜。様々な場面、シーンが思い起こされます。そんな魅力のある句です。
 作者はきなこさん。(50代、男)

親父似かそれとも母似梅雨寒し   
 句としての表現には推敲の必要があると思われますが、両親、どちらに似ているか、そのことと梅雨寒、少し皮肉な、冷めた目線でしょうか。むしろ似ていることをうれしく思わないその感情が、読者には、私たちには理解できるものがあるからです。そんな苦味が魅力的な句です。
 作者は吉井流水さん。(60代,男)

十薬の花弁の丸み吾子の衿
 十薬、ドクダミの花の特徴ある可憐さを十二分に表現している句でしょう。ドクダミ、という語感、言葉の響き、群生している湿っぽい場所、葉の色など、可愛さからは遠いように思いこんでしまう植物ですが、そんなことはないのです。あの十時型のほんの少しクリームがかった白い花弁。それは、まさにドクダミの花ならではの魅力です。そして、「吾子の襟」。「吾」が少し、私は甘いと感じますが、(不特定多数の子供、一般名詞としての子供が良いのでは?)子供服の小さな白い襟に見立てたことが、ドクダミの花の可憐さ、優しさを伝えることに成功しています。ただし、「丸み」はどうでしょう。そこまで説明するメリットは大きいでしょうか。不要かとも感じました。
 作者はポリさん。(50代,女)

ペディキュアの指こってりと金魚草
 マニキュアを塗った足の指先。手の指のマニキュアとは違うその独特な足先が、「金魚草」によって表現されているでしょう。その取り合わせに妙を感じます。また一方で「こってりと」の不要さを思います。言葉単独としては魅力ある表現ですが。金魚草のぷっくりした花の姿で充分ではないでしょうか。
 作者はポリさん。(50代,女)

梅雨寒のラジオのジャズにまたノイズ
 梅雨寒の心境が、ラジオのノイズというものに置き換えられている点が秀逸です。「の」「の」「に」と助詞の連続に難を感じますので、上五は「や」切れの「梅雨寒や」などを考えてみても良いでしょう。「ジャズ」が大変決まりすぎている、似合いすぎている気も致しますが、梅雨寒、ラジオ、ジャズ、ノイズ、と言葉を羅列した時のバランスも良いので結構でしょう。
 作者は穂波さん。(女)

泥辣韮洗えりタンゴ大音量
 こちらも音楽の句ですが、辣韮とタンゴの取り合わせが大変効果を出しています。泥のついた野性味たっぷりの辣韮、その整わない丸さ、それらを洗う時に流れるタンゴ。なんて楽しく景気が良いのでしょう。和と洋のミックスも楽しさを倍増させています。
 作者は穂波さん。(女)

児にあまるソフトクリーム雲の峰
 選ばせて頂きましたが、少々くどくはあるのです。(遠慮なくてすみません。)ただ、まさにその通りなのです。ソフトクリームとは、子供はもちろん、大人だって最後まで上手に食べることは至難の業ですよね。暑い日であればあるほど。ここは、逆手をとって、「大人」「ソフトクリーム」「入道雲」で作句するのも一手かもしれません。私自身、そのような発想の転換を気付かせて頂きました。
 作者は文の子さん。(60代,男)

ジーンズの細さぴたりとソーダ水   
 ジーンズ特有の形状とソーダ水、過不足なくさりげないバランスで取り合わさっているでしょう。季節が夏であることも、足にフイットするジーンズの魅力が出ています。「細さひたりと」が冗漫な表現と思われるならば、「細さぴったり」も可能ですが、逆に安易な感じも与えましょう。難しいところではありますが、中七は推敲の可能性があるかもしれません。ジーンズもソーダ水も、思い切り軽快に、さわやかに、そして軽やかに、活かしたいものです。
 作者はさん。

山茂る自販機ゼリーの憂鬱
 山中にある自販機で売られているものにある「憂鬱」。発想、着眼がすばらしいです。私としましては、「ゼリー」である必然を感じなかったのですが、どうでしょうか。また、「自販機ゼリー」という省略の造語的な言葉に、少々違和感を覚えました。緑生い茂る季語「山茂る」と、無理なくつながる表現を探したいと思えるのです。
 作者は豊田ささおさん。(70才以上,男)

薄紅の唇朝顔プチと吹き
 印象的な情景です。表現を少し推敲いたしましょう。「朝顔を吹く唇の薄い紅」など、淡々と光景を描き、情感は読者にお任せしてはいかがでしょう。句に膨らみが出、豊かに読める、つまり句の抒情が限定されないからです。また、紅という色の表現と、想像される朝顔の花の色との対比も効果的です。
 作者は丸山俊郎さん。(50代,男)