「e船団」のドクターがあなたの俳句を診断したものです。


2009年2月25日
岡野泰輔ドクター : 今週の十句  (到着順)

 たくさんの投句ありがとうございました。投句順に一句づつ読んでいく、時々声に出し韻律を確かめたりしながら読む。最初はどうしても解りやすい句にしるしがついてしまう。解るってどういうことなんだ?一句の意味か?と自問が始まってから、ようやく魅力的な言葉たちが、あちこちから立ち上がってくる。
 選句に基準があるという人をあまり信用しない。思いの深い句、遊んでいる句、 きれいな絵を見せる句、挑発してくる句、それぞれに立ち止まり、俳句の広さ、自由さにもう一度、自分を更新していく。

天井の隅に風船置いて寝る   遊朋
 何でもないことをさらっと言う、こういう力の抜け方が俳句的。実際は仰向けに寝て初めて気が付いた風船、「置く」という措辞だけでこの句は成り立っています。さっさと寝てしまうのもいいと思います。ただしこの世界、既視感はあります。

待っている形に二月のごみ袋   遊朋
 このごみ袋、屋外にあるのか、室内か、ビニールか、紙製か、そこのところはよく分りません。一にも二にも「待っている形」が魅力的です。袋状のものが妙な形に変形している、そのことだけに注目して、そこに魅力的な言葉を与える、俳句はそれだけでいいんですね。季語、二月はどうかって?ああ、無味無臭で他を邪魔していないので、いいんじゃないでしょうか。

反戦歌低くホットウィスキー   濡衣
 オールドレフト?反戦歌もホットウィスキーもレトロな組み合わせ。俗情に傾き過ぎるぎりぎりのところを、省略が効いて救っています。これが短歌だと臭いと思います。読む人の年代によって受ける感じは違うんじゃないかな。若い人だと、オジさん何言ってんのよ、(句内登場人物はどうしても男?)ということかしら?「低く」が一句の聞かせどころですが、三鬼の「炎天の犬捕り低く唄ひ出す」を思い出します、もちろんいいんですが。低く唄っている男にはあまり近づきたくないものです。

くらがりに警官のゐる夜寒かな   廣島屋
 ダークトーンの句が続きます。最近ではめずらしいタイプの句です。実景とも象徴詩とも読めます。渡辺白泉の「戦争が廊下の奥に立つていた」ほど当然象徴性は高くないですが、別種のリアリティーは感じます。「夜寒」は疑問、もっと効果的な言葉(季語)が見つかるはずです。

ふらここのさみしさよこにゆれている   遅足
 感心しました。そうか、横に揺れるのか!縦のものを横にしただけで一句の世界が、特にその僅かな動きが痛いほど伝わってきます。そういえばと、幼い頃ブランコを横に揺らした記憶が、ある体感をともなって甦ってきました。この句は乗り手が去った直後の無人のブランコを思わせます。平仮名表記もいいですね。私の愛唱句になりそうです。

路線バス木の芽をこすり走り去る   忠義
 状況がよくわかります。ありますよね、こういう道路。誰もが一度は見たことがある風景、それだけに類想はあるかもしれない。春の訪れを告げる木の芽をこういう状況にとらえたところがいいと思います。「走り去る」は「去る」だけでもいいのかも?と考えどこではあります。

ひとの手に渡りたる家紫荊   忠義
 こちらは紫荊(はなずおう)の起用が実に適切な感じがします。うまく言えませんが、派手であり、且つ地味である、その曖昧な存在感が作者の微妙な感慨によく釣り合っていると思いました。他人の手に渡った家という事実だけを提示して、あとは季の景物に任せて(代弁させて)読者に委ねる。ある種の常套手段で、安易に季語を斡旋すると、陳腐になりやすいですから注意が必要でしょう。

雛の部屋寝床の向きを替へにけり   えんや
 雛の部屋というと春の艶な気分の濃厚な句の多い中で、この句は新鮮でした。たしかに、大名屋敷ならいざ知らず雛の部屋は寝室でもあるわけですね。雛人形を飾ってあるだけで、いつもの部屋と雰囲気ががらっと違う、内裏雛以下雅な人形に対して、枕をどう向けるか、たしかに気になる。句材は些細なことながら、いつもの日常と違う雛祭りのハレの気分が全体を覆っていて、浮き浮きした気分が伝わってくるのもうれしいです。

春の土墾田永年私財法   朱雨
 日本史のトリビア知識と(そうでもない?私、日本史弱いです)春の土という実にシンプルな言葉と取り合わせる。私は作者の戦略にはまったのかもしれません。想像を逞しくすれば律令の昔から延々と耕されてきた日本の国土、その土地を私有したいという悲しいまでの人の思い。そういう人間の歴史を「春の土」という大きな言葉でどーんと受けています、どーんと。こんな読みでいいんでしょうか?春の土、こちら関東では黒々として今、雨を吸っています。

嗄れ声の女同士や葱鮪鍋   穂波
 いかにも、そうなんだろうなあ、という景がうかびます。シーンの(映像も音も)喚起力が強いのは選ばれた素材や言葉がぴったりはまっているからでしょう。女同士で葱鮪鍋(ここは二人か)というあまりない景も、「嗄れ声」ひとつで一気に納得させられます。

【次点】

★水鳥に襲われてをり餌撒人   実石榴
 餌撒人が妙だが、句中に起きていることはおもしろい。
★建国日ファラオの碑文より羽音   長十郎
 中七以降のイメージは素敵だが、建国日が邪魔してる。
★紅梅や夫の知らないこと多し   学
 そうなんです。
★干鰈眼を裏に売られけり   えんや
★子猫はや目を側めての生欠伸   大川一馬
★白魚や次から次に男来る   あざみ
★春炬燵物売りの声さっきから   草子
★そこここに土押し上げてチューリップ   悠
★牡蠣船の波穏やかに実朝忌   阿部 昭
★穴を出る蛇の舌打つ雨であり   豊田ささお
 11句目なんです。

【妙に気になる】
魚に手を舐められゐたり春の川   文の子
彩りに舌を一枚春隣   あざみ

【予定調和】
しもつかれ男は母を好みけり
老木の一徹放ち梅真白

【擬人化の罠】この手はほとんど成功しません。
山眠る新幹線にも驚かず
くしゃみして国会議事堂山笑う


2009年2月18日
えなみしんさドクター : 今週の十句  (到着順)

 今回は132句いただきました。
 暖冬だそうです。これを書いている今も3月中旬の暖かさ。地球温暖化を補うかのように、宇宙が地球を冷やす方向に向かっているというニュースを読みました。政治や経済も大変な時に、世の中から隔離されたサザエさんみたいな俳句を作ってていいのかと思うことがあります。時代そのものや、時代の気分というものが、作句に反映するものなのだろうか。。そんな事を考えながら鑑賞させていただきました。

山風に氷柱はとみに尖りけり   小口泰與
 山風という大きなものと、氷柱という小さなものの対比。「とみに尖る」の措辞が、うまい。語感も良い。

隣から見ればとなりに芋を焼く   村上滝男
 当たり前といえば当たり前の変な句です。が、どこか新鮮。それは「となり」とは何かを考えさせられるからではないだろうか。たとえばキャンプのバンガロー、あるいは建て売りの家が並ぶエリア。似たような暮らしだが、それぞれの人が別の営みをしている感覚。それを確かめている作者。「に」がフクザツな意味を生んでいる。「が」だったらつまらなかっただろうな〜。

虹色の中は夜ですしやぼん玉   遊朋
 見えないところに思いをはせると、今までと違う風景が生まれてくる。虹色の中の夜も、やすらぎの世界。ロマンチックな句です。一般的に、ひっくり反したり、逆さまにしたりすると、発見があるといわれていていますね。それの成功例。

雪女郎ナースコールを押せば去ぬ   せいち
 雪女郎なんてどこにもいないのに、俳人は面白がって句を作ります。ちょうどCGのキャラクターで遊んでいるのとおなじかも。「点滴の始まれば来る雪女郎」も、おそらく同じ作者だと思いますが、これは雪女郎をナースに見立てている。掲句は、今まで居た雪女郎がナースと入れ替わりに去るという所に工夫があって面白かった。

ひとつ喰ふ鶯餅や痕ひとつ    輝実江
 たとえば皿にうぐいす餅が3つ置いてあって、ひとつを食べてしまう。すると、皿には、今まで置いてあった餅の空間と、きなこなどの粉が残っている。そんな風景を思いました。それだけを表現して面白いな〜と思わせる。俳句ならではの世界。「ひとつ」のリフレインの効果かも。高野素十さんが得意とした手法でしょう。

河豚鍋や煮詰まる頃の肩叩き   大川一馬
 「や」で切れてます。肩たたきは、リストラ、あるいは左遷などを思います。仕事が行き詰まってきて左遷されそうになったのを、煮えすぎた河豚鍋に見立てた句と読みました。悲しくもあり、ユーモラスでもあり。そういう時代だからそう思ったかも。違う読みをした人もいたかもな。

三寒や残り二つの御座候   吉井流水
 一般に三寒四温と言って、今頃の季節に使われる言葉です。一方、冬至の後は、大寒〜小寒と続いて2月頭の立春となる。おそらく冬至の後に、まだ大寒、小寒とふたつ残っているよ、という句ではないか(まったく的はずれかも)。3と2の対比。「御座候」という江戸言葉が面白かった。

煮凝をあったか御飯にのせるだけ   岡野直樹
 まるでコマーシャルソングみたいな言い回しが気にいりました。それから煮凝りは、のせるだけでご飯におつゆがしみて、おいしく食べられる。納得の行くレシピ句。

スケートや直立歩行までの進化   岡野直樹
 スケート初心者が、教わりながらなんとか立ちあがって滑り出すまでを、猿人から人間までの進化にたとえたのが面白い。「直立歩行の進化」という言い方があるという事も勉強になりました。論文みたいなのは「進化」のせいもある。ここまで言わなくても伝わるので、考えてみてはいかが。

神様のボタンをはずす春の丘    あざみ
 多少フラダンスを習っているのですが、自然を詠んだハワイのたわいのない唄も、実は男女の秘め事を歌っている。たとえば波と岩。花をつむ手など。この句もエロティックなイメージを575に託していると思われます。「揺れるたび女つかまる春の月」「白魚の静脈探すナースたち」も、同じ作者。掲句は、どこかダフニスとクローエなどの神話を連想させます。品よくおさめるところが大事で、むつかしい所ですが節度のある句作になっていると感じました。

【おしくも十句に入らなかった候補句】

★春立ちて銀紙色の川流る   れい
 川面を銀紙に例えたのは素敵。固いので「ぎんがみ色」ではどうか。
★日脚のぶ畳に膝を流しける   遅足
 日脚が延びるから、膝が流れる。という辺りに理窟で考えている無理があるのかも。
★紅梅の高さに空の貌のあり   遅足
 「空の貌」は工夫。立派な句ですが、なぜか景がみえにくい。類想もありそう。
★冬うらら三月堂に四月堂    せいち
  東大寺ですね。季語が動く。2月にかけて「きさらぎや」ではいかが。
★干からびたちりめんじゃこに合掌す   めぐみ
 弱いものを詠もうとした気持ちに共感。ただし、句は詩的とはいえないのでは。他の2句も。 
★クロッカス爪の付け根の白いとこ  岡野直樹
 写実を心がけていて好感です。言い回しがストレートすぎて、発見気分が薄かったです。
★鳥帰るダビングテープの音割れて   仁
 面白い取り合わせですが、「音割れて」のニュアンスが「鳥帰る」と響き合わなかった。
★縄文のしらべを今にサヌカイト  豊田ささお
 サヌカイトとは、かんかん石とも言われ、東京オリンピックの開会を告げた音でもあるそうです。あるサイトで音が聞けます。言い回しは一考の余地が。

【一言、いいたい】
☆独楽のよな人と知らずに恋したり
 「独楽のよな人」というのが、ブレがおおきくてイメージがわかなかった。
☆春灯は無何有の郷に遊びけり
 「むかゆうの郷」勉強になりました。それが分かってしまうと、句は平凡では。
☆つちふるや窓の隙間に詐欺電話
 ニュースを詠んでいるが、句としての魅力を感じない。「窓の隙間」があいまい。
☆ぶらんこを漕いで世の中渡り行く
 分かったような、分からないような句。ご本人も伝えたいことがはっきりしていないのでは。
☆当店のおすすめ一品春香盛
 「春香盛」が分からない。結果、何を詠もうとしたのか分からないことに。
☆梅を見る少女は女の顔して
 実感がわきませんでした。「らしい俳句」になっている。この辺が俳句の難しいところ。
☆春立つや自爆のニュース今日もまた
 ニュースを詠んでいるが、これでは事実のみ。句としては、ここから始まるのでは。

 俳句は、時節を盛り込むにはふさわしくない文芸と言われてるようです。確かにそうだとは思いつつ、数句の中には「時代の気分」があったように思いました。また、毎週まいしゅう5句も作って、このレベルをキープしている常連のみなさんに敬意を表します。俎上に上げられなかった皆さん、ご勘弁のほど。では、また〜(^_^;)ゞ


2009年2月11日
朝倉晴美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに…】

 こんにちは、みなさま。今回もたくさんのご投句くださりありがとうございました。おりしも立春、うれしい気持ちで迎えました。

 今回頂きました句は、とても楽しく興味深かったです。さまざまな視点や発想、句材、情景の鑑賞と、盛り沢山でした。(予選句にさせて頂きました句も、それらの点に面白さがあるものが中心です。)そのなかで、視点や発想、句材が新鮮で、なおかつ、それらが絞られているのもの、を意識しました。「絞られているもの」というチェック点は、読者に伝わるかどうかという点につながるからです。折角の視点、折角の句材がぼやけたりしては、読者に伝わらずもったいですから。 私も、皆様の句で、冬真っ只中の情感を、大いに楽しむことができました。

【十句選】

カレー屋に冬満月を見てをりぬ   廣島屋
 カレー(屋)と冬の満月が絶妙と判断しました。下五の、ただ見ているだけ、という情景も、言外に情感を含まし、お見事です。

寒月と黒のブーツのコーデイネート   涼
 「コーデイネート」が、言い過ぎてしまっている点と、「の」の連続が残念ですが、寒月と黒いブーツの取り合わせに、ドラマを感じさせて秀です。

水仙をナルシスと記す青き日よ   茂
 「青き日よ」に解釈の差や是非はあるでしょうが、そんな気分の日があるのだ、と、中七で表現できたことが魅力です。

オリオンの下立春の息づかひ   まゆみ
 オリオンと立春、オリオンを冬の季語としますと、季重なりで苦しいですが、星空、それも輝く一等星の夜空、春の息づかいという情景は、表現とともに秀逸です。一方で「の下立春の」の字面には少々難があるでしょう。

三島由紀夫の遺品あり寒椿   学
 「寒椿三島由紀夫の遺品あり」ではいかがでしょうか。寒椿が三島には似合い過ぎている感もありますが、すっきりと言い切った口調に助けられ、句外に叙情を感じさせます。

鳩の背にのった冬日が寄ってくる   遅足
 発想がお見事。それに、動きと句世界の広がりがある点、暖かさを感じさす冬日が秀逸。散文的な口調は少々残念です。

水仙の畑に刺さるハイヒール   実石榴
 まさに有りえるような、膝を打つようなおもしろさが魅力。水仙の畑である必然性が良いです。

大寒のソロバン指に渋くあり   真亜子
 「の」の必然性の是非に悩みますが、大寒にあるソロバンとはお見事です。「指に渋くあり」も、その表現に情緒があり、何かしらの感情を読み取ることが可能でしょう。昨今、ソロバンが再び評価され、子どもの塾も人気です。世代を越えて愛用される、「もの(道具)」の強さと魅力を大いに感じます。

手袋の片手冬芽に掛けてあり   ポリ
 「手袋の片方掛けてある冬芽」とも推敲してみました。私は、口調、句の調べ(流れ)を重視する傾向があるのですが、俳句という文芸の魅力の一つはそこだと考えているからです。どちらにしましても、冬の日のどこかにある暖かさ、そこから感じる優しさが過不足なく表現された情景の句です。このような情緒は、世代を超えて愛され続けるべきだと思っています。

蝋梅や太ももに肉余るなり   あざみ
 取り合わせが抜群に愉快です。そして、ほんのりシニカルでもの淋しいような気分も少々。蝋梅の花のもつ魅力と、大変良く合っていることでしょう。紅梅や白梅、梅一輪でもおもしろくありません。蝋梅は梅とは種を別にしますが、それが趣きを異にする証拠かもしれません。

【次点】

★天そばのつゆ熱くせよ初しぐれ   涼
 中七の表現のおもしろさと、季語の取り合わせに妙があります。
★一瞬は縮んで伸びる海鼠かな   茂
 上五の「は」が良いです。海鼠らしさが表現できているでしょう。
★雪だるま悲しき目をして暮れゆけり   せいち
 「悲しき目」が言い過ぎてはいるのですが、雪だるまの夕暮れ間の情景は、誰かが気付いてあげないといけませんよね。
★水仙のみている方を見てしまう   遅足
 水仙をお上手に捉えられた句。下五が冗長なのが難かと。
★たましいの方程式を入れ替える   遅足
 観念的ですが、「たましいの方程式」に魅力を感じました。ぜひ、春を感じさせる季語をお入れくださいませ。
★梅の香や羅漢の緩む口目許   真亜子
 梅の香は再考の余地がありそうですが、中七下五のきれいなまとまり方も良いです。
★偽者と決まりし白磁冬ざるる   小口泰與
 中七の断定と、白磁の白さと冬の到来。取り合わせのバランスが良く、情感を伝えています。
★早春のおづおづと来し噂かな   遊朋
 早春の噂の擬人化、その擬態語の様態がとても良いです。上五の「の」が気になりましたが、「や」切れにしますと、「かな」と重なってしまうので、「と来し」も合わせて熟考されても良いかと。
★冬ざれの廃止線路は文鎮だ   仁
 発想が良いですが、文鎮に込められた意味が、うまく読者に伝わるかどうかが微妙かもしれません。

【予選】

☆点滴の研修医かな空ッ風   廣島屋
☆春風や歌、謡、詩のシンフォニー   茂
☆教科書の墨の香遠し紀元節   こけし
☆天気図に白い筋雲寒蜆   映子
☆悪相のままお陀仏吊鮟鱇   大川一馬
☆早春やビニールハウス立ち並び   文の子
☆カで終はるICカード日脚伸ぶ   朱雨
☆アスファルト黒く光りぬ霜の朝   れい
☆シリウスの青く瞬く小正月   れい
☆湯たんぽにこの身任せて眠りおり   千鶴子
☆どの貌も猪食った貌バス乗り場   えんや
☆池凍る犬も一足踏んでみる   岡野直樹
☆お下げ髪ピンクのゴム輪春よ来い   遊雲
☆春を待つアインシュタイン的時間   遊雲
☆帰り道信号しかと星まつり   崎浦利之
☆引きの強き魚ぞ寒夜丸暗記   黒猫
☆風花や顔に似合わぬ阿修羅の手   あざみ


2009年2月4日
早瀬淳一ドクター : 今週の十句  (到着順)

 今回は132句いただきました。ありがとうございました。
 人間が言葉を使うとき、そこにはある思いがあります。また言葉と言葉がつながるとそこには意味が生まれます。このような文章がそうです。しかし、俳句はそういうものとは根本的に異なります。断片、片言、想念の切れっ端といいましょうか。だから、むしろ意味がつながりすぎてはいけない。変なつながり、「よくわからない」、または意味が「ない」、方がいいのかもしれません。そんなことを考えながら選をしてみました。

【十句選】

真向かいに冬の気球や遺跡延ぶ   茂
 大きな景。遺跡は吉野ヶ里遺跡が目に浮かぶ。延びているので、小高い丘の上から見ているのか。その高いところから、気球がむしろ異様に近く見える感じがする。悠久の遺跡にモダンな気球を配したところに、景を想像する快感が生まれた。や、で切って、遺跡延ぶ、としたところもうまい。

湯豆腐のようなるあのねあのね哉   輝実江
 「あのねあのね」とは、小さい子が言っているのか、それとも女性が夫に言っているのか。いずれにせよ、その物言いが湯豆腐のような、とははっとさせられた。よくわからないがわかるような気もする、という俳句特有のレトリックではないだろうか。

大寒の水を抜かれた河馬の池   遅足
 船団なので河馬の句は多いが、水を抜かれた、と逆のほうから見た視点に、そういう攻め方もあったかと感心。寒い季節で、河馬も引越しし、水を抜いて池も掃除されているのだろう。主人のいない池のひっそりしたわびしさ。でも、どこか温いところにいて、きっと帰ってくる河馬の存在感をしっかり感じる。

達磨さん転んでしまひ寒雀   こけし
 「達磨さん転んだ」をしている子供達の中のひとりが本当に転んでしまった。そういうことは当然あることなのだが、達磨さん、と来て「転んでしまひ」と続けられると意表をつかれたように思う。その意外感から、転んだ子供がすっといなくなったような不思議な感覚がする。それを静かに見ている寒雀がいい。

トンネルの車吸い込む冬夕焼   ポリ
 車がトンネルに入っていくのだが、それをひっくり返した俳句特有の言い方。人間がレストランに入ったつもりが、実は人間は料理される材料になっている、という宮沢賢治の「注文の多いレストラン」のように、トンネルに吸い込まれた車は二度とトンネルの体内から出てこない。そこには、冬夕焼だけが広がっている。

孫の手を貸してやろうか雪女   山内睦雄
 雪女というと、すぐにシュールなほうか抒情的なほうへもって行きそうになるが、この句はややナンセンスなほうに持っていった。それもある手なのだが、雪女が孫の手を借りて使っている光景はやはり相当可笑しい。この手が成功すると、雪女などを使って、おかしなシチュエーションを造って句にしたりすると、一人でおかしがっているだけになるので、注意は必要だろう。自戒を含めて。

節分の日替わりメニューのランチかな   遊雲
 節分の頃の食べ物といえば恵方巻き。が、食堂などで特別のメニューというのは確かに思いつかない。だから「日替わりランチ」という日常のランチで当たり前のことなのだが、あえてそれをさらりと言うところが俳句のおかしさというか、言葉で説明できない味が出る、と思う。

冬ぬくし法力のある蛸撫でて   岡野直樹
 蛸は蛸の八ちゃんのようなかわいいイメージがあるが、実物は西洋人が魔物と呼ぶように、相当不気味。だから言われてみれば法力のある、とは納得させられるが、なかなかこうはいえない言い方。その法力があるはずの蛸が茹でられて真っ赤になって食べられることのおかしさ、哀しさ。

一月の水は二月の海の中   遊雲
 「一月の川一月の谷の中」(飯田龍太)を思う人も多いのでは。趣向もすこし似ているかもしれない。一月に降った雨の水は川を流れ、地下に沁みこんで少しずつ二月の海の中にある。これも当たり前、その通り。一月の川が一月の谷の中にあるように。しかし、そんなことを言った人はいないのでは。言ってみても無駄のような気もする。しかし、それが俳句なのだろう。

病室はナース室よこ年新た   えんや
 「ナース室横の病室年新た」これもあまり多くを語っていない。ナース室から遠い病室もある。たまたま自分のあるいは家族の病室はナース室のすぐ横だった。そこから、少なからず安心感、希望が漂ってくる。新たな年を迎えて、すこしはいいことがあるのかなと。

【次点句】

★寒紅の虚心となりて水を汲む   合
★モンゴルの丘にゲルなし冬の風   廣島
★底冷えや槌音高く響きおり   小口泰與
★道連れの手袋なじむ遊覧船   茂
★誘われて自家焙煎の春のカフェ   茂
★躓けば寒椿咲く膝小僧   遅
★風花やエジソン偲ぶ男山   岬
★水仙の向き様々に挿されおり   ポリ
★書きかけの手紙を連れて冬籠り   めぐみ
★何もかも腹立つ夜も息白し   めぐみ
★冬といふ縄文土器の炎の匂   学
★枝雪のなかなか落ちぬ冬座敷   きなこ
★初詣丑撫で蛸撫で不倫愛で   岡野直樹
★冬野へ首突きたてて泣く弟よ   黒猫
★小さき駅ちいさき聖夜の飾りつけ   れい
★鬼やらい見せてはならぬ赤い舌   あざみ


【ひとこと言いたい句】

○類想
☆底冷えや利鎌のような蛾眉の月
☆鳩放つはばたき空に冴え返る
☆虎落笛きつと木霊の子守歌
☆樋うちし雪解雫のしらべかな
☆木枯らしやサーカスの去りたる空地
☆ひび割れに吉凶託す鏡餅
☆青信号一斉に立つ寒雀
☆冬萌えや子は赴任地へ旅立てり

○道徳になっている
☆寒雀弱音吐かざる母たりし
☆侘助や母気遣ひを常とせし
☆母想う心は見せじ冬帽子

○即きすぎ
☆待春やよちよち歩み初めし嬰
☆春兆しキャンディーズの曲口ずさむ
☆ひび割れの老いた手を見る夜寒かな

○報告
☆腕上ぐる写真俳句の初だより
☆膳にある牡蠣は殻付きオホーツク
☆年古て句作にはまる去年今年

○説明
☆べそかく子追っかくる児や鬼やらひ
☆読まねばと歎異抄置き春を待つ
☆芝焼きや火の走るごと広がりぬ
☆風花や顔に似合わぬ阿修羅の手

○理屈、難しすぎ
☆分別が瘡蓋となる耐寒期
☆言い訳の聞く耳もたぬ古暦
☆手鞠つく二フィートだけの制空権

○こなれない言い方
☆手袋の袋に入るる汚れた手
☆雪畑子らいつせいに死んだふり
寒夕焼背に影つけて男道

○発見がない
☆若者に厳しき世なり冬薔薇
☆鳴砂をきゅっきゅきゅっきゅ春近し
☆宇宙より注ぐ素粒子初霞

○感慨
☆柔らかく生きむと思ふ年新た
☆わけもなく京都が好きで寒の梅

○材料が多すぎ
☆琴坂に土手の竹藪笹子鳴く
☆宇治橋の三之間に見る寒のハス

○すっと読めない
☆否応も恃む苦き実鳥の寒
☆俎板を守り卒寿や雑煮の座

○その他
☆寒晴れや迷いなき道踏み迷ふ・・・・理屈がくどい
☆年明けの松に上りしホンドリス・・・わからない言葉
☆修業者の踝赤む寒の空・・・・・・ありそうな景
☆この齢迎ふ悦び寒満月・・・・・・感情が出すぎ
☆うっすらと雪ざわざわと登校児・・うっすらと、がいらない
☆目に見えて大きくなりぬ春の山・・目に見えて、がいらない
☆風光り流れを急ぐ山水図・・・・・流れ急がす、がいいのでは
☆くしゃみして一光年を飛び越える・おもしろいが、ありそう
☆世を逃がれ時を逃れて冬枯野・・・枯野そのもの
☆振り向けば 西高東低 富士冴えて・・・観念
☆日向ぼこミルクココアとわたくしと・・・ミルクココアになりにけり、では
☆咳二つ、三つしてみて休暇願い・・休暇願い、を一工夫
☆水仙や何に気がねぞ胸をはれ・・スローガン
☆大寒や貴方を信じていいですか・・甘い
☆絵のように猫たちの上冬銀河・・・具体性なし
☆雑草の元気はつらつ寒日和・・・あたりまえ
☆赤札に鵜の目鷹の目買始・・・既成の言葉
☆室の花誰の物でもない卵巣・・わからなすぎ


2009年1月28日
星野早苗ドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】
 不況のままの苦しい年明けになってしまいました。毎日のニュースを見るにつけ、若い人に働く場所がなければこの国の未来も開けてこないのに、と心が滅入ります。
 ワークシェアリングを進め、企業には社会的責任を果たしてほしいですし、老人は若 者に道を譲ることも必要では、と考えています。とにかく、もう少し若者にやさしい社会にならないと……。日本伝来の子宝思想も発揮しようがありませんね。
 さて、今月は99句の中から選びましたが、初春らしい句、新春の季語を使った句がなかったのが不思議なほどでした。年々お正月らしさが薄れていることも事実ですが、今年は特に不況のせいもあるのかもしれないと、その点だけは少し寂しい気がしました。

【十句選】
こがらしやおさげの野球選手かな   廣島屋
 「おさげの野球選手」でいただきました。後は何を持ってこられても。勿論、春風よりは木枯らしの方が、彼女の健気な感じが際立ち、実際の戦力にもなりそうです。おさげの(三つ編みの)野球選手は多分小学生だと思いますが、彼女が中学生なら、とても魅力的だと思います。
集いつつ水仙はものいわぬ花 遅足
 水仙は植えっぱなしでも殖えていき、すぐに集団化しますが、確かに賑やかな感じはしませんね。白という色、花と葉の形、香りが、すっきりとしているからでしょう。「ものいわぬ」は、うつむきがちの水仙の花をうまく言い留められたと思います。
母送りおへて逝く父冬銀河   文の子
 「送りおへて」の惜辞に妻を看取られた父上の満足感を感じました。多分お二人とも仲良く長命を保たれて、父の夫としての愛情には「妻を悲しませないために、妻より長生きする」ことも含まれていたのでしょう。冬銀河が美しいです。

艶やかな仔犬の鼻や霜柱   小口泰與
 仔犬の鼻で霜柱が融けたのですね。霜柱は朝日にきらきら輝いていますし、仔犬も可愛くいきいきとしています。

日昇りて薄氷音もなく動く   戯心
 こちらは、じっと見る作者と薄氷だけの世界。「日昇りて」も端的な表現です。

降り際にふはりひろごる群すずめ   山法師
飛んでいるときはひとかたまりに見えていた雀が、地面に降り立つとかなり広い範囲に広がっています。雀たちのぶつからないための智恵でしょうか。それとも、私たちの目の方が、空中では遠近感が掴めないために雀の群れをひとかたまりと見てしまうのでしょうか。いずれにしても「ふはりひろごる」に臨場感があり、よく見ておられると思いました。

水仙が好き恩知らぬさまなれど   遊朋
一般的には「孤高を保つ」とでも表現されるのでしょうが、水仙を「恩知らぬさま」とは驚きました。しかし、水仙が恩知らぬさまであるからこそ、手放しで「好き」だ、とも言えるのでしょう。

じゃまたとすぐ逢へさうに冬夕焼 学
やっと逢えて、こんどはもういつ逢えるかわからないのに「じゃ、また」と別れて行く人。古い友だちかかつての同僚でしょうか。物足りない思いが冬の短い夕焼けに託されて、余情が残ります。

ひとり起き新聞開く野水仙 ポリ
野水仙の咲く寒い季節も、毎日ひとり起き出し、まず新聞を開く。作者の生活スタイルが垣間見える句です。野水仙は背景にすぎませんが、作者の人となりも感じさせますね。

雪のあるところ選びて歩きけり   松本秀
ぬかるんだ雪解けの道で、あえて雪のあるところを選んで歩く作者。小さなことを、素直に句にしていらっしゃるところに共感しました。

【佳 作】

★いざ行かむ餡ぱん食つて着ぶくれて   せいち
★寒椿留守電に告ぐ一大事   草子
★刻み葱つながりてをる諍ひ日   大川一馬
★懐手責任だけは取る覚悟   こけし
★人日の子らに得意のオムライス   えんや
★山茶花やまた一軒の売り家札    悠


2009年1月21日
南村健治ドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】
 俳句を読んでいると時間の経過が早い。とある言葉に立ち止まりその意図を考え、また前後の言葉との繋がりにあれこれと考える。予選にも入れていなかった句が十句に入り、本命だった句が選外に落ちる。それは形式の短さからくる読みの多様性。深く入り過ぎた句、さらりと読んで素敵だった句。いろいろあって、おやおや、もう日付が変わっている。

【十句選】

咳止めを飲む喉元の悪女らし   きなこ
 コホッコホッ咳をしていた女性が「咳止め」を飲んだ。何でもない発端だが、薬を飲み下すときに動いた喉元に今までにないその女性の影の部分、あるいは本質のようなもの、すなはち「悪女」を感じた、という。たとえば、女性のどこに「悪女」を感じるかという命題?があるとして、「喉元」は説得力のある部位。とくに何かを飲み下すときにゴクリと動く喉元は男の気を引く。先例があろうとも、そして「咳止め」という俗っぽいものでも、いや、その俗っぽさがこの句の魅力なのだ。

そこだけが新しき柵冬の川   廣島屋
 細々とした川の流れに沿って柵があり、一ケ所だけ新しくなっている。なぜだろうと考えれば、「そこだけ」という言葉は意味ありげに何かを指し示す言葉となる。でも、ここでは深く詮索をせずに、そこだけの柵の新しさが冬の川沿いという枯れ色の単調な光景を際立たせている、と読んでみる。

福笑ひ終へて真顔になる従妹   大川一馬
 この句、福笑いというゲームそのものが終わり、これから別の何かが始まろうとしている。そのとき、いままで楽しく笑っていた従妹が「真顔」になった、というもの。ただ、それだけだとおもしろくもなんともない。で、この「従妹」をいっぽうの従兄にとってのほのかな異性の対象として読んでみると、「真顔になる」真相が窺い知れないか。たとえば、彼女に縁談が持ち上がったとか・・・。従兄にしてみれば、それは少なからずショックであろう。古色蒼然。もうこんな時代はやってこないだろうな、という一票。

いざ行かむあんぱん食つて着ぶくれて   せいち
 具体的にどこかに行く、というのではなく、とにかく大袈裟に「いざ行かむ」なのである。そして、その原動力が「あんぱん」と「着膨れ」。その無意味さというか、際限もなく無防備なところが俳句的でおもしろい。どうぞ頑張って行ってらっしゃい、とこちらも着膨れて後ろ姿を見送ろう。行き先は知らないけれど。

大仏の原寸大のくしゃみかな   学
 よくある発想だが、作者の狙いとは反対にこの句からはなぜか小さな「大仏」を思い描いた。したがって、「くしゃみ」も遠慮がちにクシュンと小さい。ところで、原寸大と実物大。どちらも同じ意味だが、この句、原寸大を実物大としてみたらどうだろう。辺りを驚かす大きなくしゃみが頭上から響いてこないか。どちらがよいというのではなく、個人差はあろうが、言葉のニュアンスの違いに思いが至った句。

悴みて駅に裏口ありにけり   遊雲
 「駅」の灯りよりも「裏口」が明るいということはない。ひょっとしたら使われておらず、電燈さえ切れているのかもしれない。また、そこに「裏口」があるからといって、なんの関わりもない。あるいは逆に、俺はあの「裏口」みたいな忘れ去られた存在だと思っているのかもしれない。う〜ん、思わず夜の光景として読んでしまったし、少し深入りが過ぎたかもしれないが、「悴みて」という心身ともに縮まった様を表す季語がそんな「裏口」を思い起こさせる。不即不離というが、この句、季語とそれ以下がその関係。

ぐつぐつと鰤と男を煮ておりぬ   あざみ
 「鰤」と「男」が同等に扱われて、しかも煮られているのだ。つまり、作中の人物は女性。ふたたび、つまり、その女性は怒っているのだ。でないと「男」まで煮ない。「ぐつぐつ」は「鰤」の煮える音であるとともに「男」への腹立たしさに煮えくり返る腸の音。それを治めるにはより強い「ぐつぐつ」が必要になる。視覚、聴覚、嗅覚。なおも噴き立つ「ぐつぐつ」。「ぐつぐつ」と鍋を震わす怒りの「ぐつぐつ」。やがて、鍋を火から下ろせば「ぐつぐつ」も鎮まるはず。

買っちゃった靴下五足の福袋   岡野 直樹
 そのつもりはなかったけれど、「買っちゃった」のである。なにを・・・といえば多くの場合高価なモノのはずだが、「靴下五足」。そして、それでも「福袋」なのである。そんな言葉のズレがおもしろい。健気にして幸せ、そして文字通り暖かい句。

マスクして学究肌の人になる   岡野 直樹
 誰でもそうなる、変身するのかといえば、どうだろうか。でも、この人物はマスクをした自分に、鏡にうつるいわば見慣れない顔にふと理想の、いや憧れの自分(学研肌)を発見したのだ。まんざらでもないと思いながら・・・その心情がおかしくも切ない。

雪の夜の点滅信号永遠に   岡野 直樹
 たとえば、ずっと見ていたい光景のひとつがこれ。

【予選句】

★海鼠腸にからかはれいる美少年   きなこ
 擬人化の方法が悪いのではなく、意味(意図)があからさま。
★機の音に霰ころがる上京区   茂
 情緒はいい。「の」が余分。「霰」が「ころがる」も平凡。
★初詣おとこ和服のなかに老ゆ   遅足
 なるほどと思わせる句意。ただ、「初詣」という状況設定が「老」の理由付け。
★さみしいとことばがぬれて立っている   遅足
 「ことば」を修飾する言葉が多い。
★初夢の眼洗ってしまいけり   遅足
 発想は愉快だが、理が通り過ぎ。矛盾を企てるべき。
★痛ましき色を掴みて冬の鳶   村上滝男
 「痛ましき色」とは素敵なフレーズ。でも、抽象的。
★ああそれはわたくしの耳ふゆざくら   あざみ
 「ああ〜〜」の大胆さをおおいに評価。
★松過ぎの梢の風の音すなり   渡邉春生
 「音」は言いすぎ。
★壁のしみ大きくみゆる冬うらら   ポリ
 「冬うらら」が微妙にそぐわない。
★葱の出た買い物籠に付いて行く   岡野 直樹
 面白さを狙い(演出し)すぎ。
★相聞の声降らし行く小白鳥   草子
 「声」の降る場所が書かれていたら、と思う。


2009年1月14日
中谷仁美ドクター : 今週の十句  (到着順)

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。年末年始だったにもかかわらず、たくさんの投句をいただきありがとうございます。今回は、鮟鱇、海鼠、ぼたん鍋、餅、うどん、雑煮、蕪、白菜、餃子、冬林檎など食べ物がたくさんで、句を拝読していてお腹が空いてきてしまいました。新年早々みなさんの句で楽しませていただきました。

【十句選】

晩年を裏に返して餅焼けり   きなこ
 反骨精神というか、負けん気というか、新年早々元気をいただいた句です。片方の面が焼けてきた、しかしもう一面はまだまだ、とひっくり返す餅。晩年という寂しい響きも吹き飛ばす句です。

枯すすき昭和は馬に乗ってくる   学
 この句、「馬に乗ってくる」という大胆さに脱帽です。昭和というより明治なんじゃないかと思ったりしますが、やはりこのインパクトは大きい。テレビ等で馬に乗っている神事(流鏑馬)などをみると、「おお伝統的」と思ったりしますが、そういうことを律儀に執り行うって昭和的な感覚だなあとこの句を読んでいて感じました。

蓋は斜に構へ鍋焼きうどん来る   きなこ
 斜に構えているのは蓋だけではないはず。たかだか鍋焼きうどんなのにそう思ってしまう心理状態、そして鍋焼きうどんを誰と食べているのか、何が話題なのか、気になります。「鍋焼きうどん」というのはありきたりの選択のようでよく考えられています。斜に構えていてもいいような蓋がついて運ばれてくる料理というのは他を考えると案外難しい。そしてこの庶民的な料理こそが想像をかきたてるのだと思います。おもしろい一句です。

絨毯を敷いて空飛ぶ冬籠   遊朋
 「空飛ぶ」と「冬籠」の相反する2語がうまく同居しているというのが面白い。絨毯を敷きながら、「空飛ぶ絨毯だ」。ひょっとしたら子どもと一緒なのかも。それでも十分面白いのですが、大人がそう想像したとしたらもっと面白いなあと思います。しかも実際には寒くて籠もっている訳で。発想がたのしい句です。

鮟鱇の鍋旨すぎてプッチーニ   勇平
 そんなおいしい鮟鱇鍋、ぜひ私もいただきたいと思います!鮟鱇からプッチーニにがらっと転換するところが面白い。プッチーニといえば、フィギュアスケートなどでもよく曲が使われますが、きっと踊りだすイメージだろうと思います。ワルツなどはやや月並みなのでこんな方法いいかもしれませんね。ただ、「プッチーニ」がどう受け入れられるか、やや読者によって差が出るところかと思うので、一考の余地はまだあるかもしれませんが・・・。

着膨れて女系一族横並び  めぐみ
 年末年始、正月のお買い物に家族で出かけますが、明らかにそっくり、親子、姉妹、親戚なのだろうなあと思う人たちに出会いました。(あるいは自分もそうなっているのかも。)それも皆着膨れているとは。家族って知らず知らずのうちに習慣や行動が似てしまうんですよね。おもしろい一場面を切り取った句だなと思います。また、「横並び」というのが面白い。なぜか石原軍団を想像してしまいましたが、なんともない場面がこのひとことですごく大げさで滑稽に見えてくると思います。

空の巣をひとつ抱へし枯れ木かな   山法師
 このような見方をできるなんて、とても優しい視線だなと思います。「抱え」という語がいいですね。木も寂しい、空になってしまった巣も寂しい。でも木にも巣にもきっと春が来てまた楽しい時がやってくるのだと想像させてくれる一句です。

百年の母とむきあう鏡餅   遅足
 「百年の母」という客観的でわざと冷たい表現がここでは威厳、あるいは荘厳な感じをつくりだしています。それも向き合うのが鏡餅というのがいいですね。とても静かな緊張感があり、それでいて、お餅の丸さからでしょうか、あたたかさがある、素敵な句です。

瘡蓋をはがす相談大海鼠   あざみ
 瘡蓋をはがすかどうか、周りからみるとどうでもいいことなのだが、本人には案外大問題。ちょっと相談したい事項だ。しかし、なぜそこで海鼠なのと言いたくなる。しかも大海鼠とは!海鼠って瘡蓋とは程遠い存在のような気がするのだが、なぜかこの取り合わせが面白い。海鼠に相談したらなんでもいいよと言ってくれそうな気がする。取り合わせの勝利だなと感じる句。

下戸もまた赤き顔してぼたん鍋   えんや
 鍋と人の熱気で赤いのか、思わず飲んでしまってほろ酔いで赤いのかは、読者にゆだねられるところかと思いますが、おいしいぼたん鍋を囲んでにぎやかに食べる楽しい情景が想像できます。ただ、「もまた」など表現がややかたいかなと思います。少し言葉を変えることでもっと楽しさや臨場感が伝わるかもしれませんね。

【気になった句】

霜の降るコ形の校舎寝静まる   吉井 流水
 「コ型の校舎」という部分、やはり「コの字型」が一般的で耳で聞いてもすぐわかる表現かと思いました。校舎が寝静まるというのは冬休みのひっそり感が出ていると思うので、語順やリズムに工夫して推敲してみてはいかがでしょうか。

昨日も聞きし声今朝は初雀   せいち
 新年といっても確かに12月31日とたった1日違い。こんな感覚確かに持つなと思った1句です。素直すぎるのでいとひねりあると面白く仕上がると思います。「初」がつく季語って多いですよね。逆に考えると、「初」を言葉につけることで自分の気持ちがすごく盛り上がる気もします。

焼く役はボクだ家族の雑煮餅   せいち
 お雑煮って故郷の味ですね。私の実家淡路島はふつうのお味噌汁に大根人参、丸餅、上に青海苔というのが定番です。お雑煮で一句作ってみると地方の個性が出て楽しそうだなと思った一句です。

読み聞かす幼い夢に添う聖夜   真亜子
 サンタさんの絵本を読み聞かせしてあげているのかなあと思いあったかい気持ちになる一句です。ただ、「聞かす」という部分がややくだけすぎかと思いました。「聞かせ」ではいかがでしょうか。

凍空に船一艘の日本海   岬
 「兄弟舟」を思い出す句です。ただ、「凍星」「日本海」というのはドラマチックすぎてきれいにまとまってしまう印象がややマイナスかと思います。意外な季語でもいいのかもしれませんね。

三日月のうへに金星冬菜畑   ロミ
 いいお天気の夜で、とってもきれいに輝いて見えましたね。

子が丑に十七文字の初だより   遊雲
 お子さんが俳句を初便りにかいてきてうれしい、という一句かなと思いました。ただ、「丑に」とだけいうのは言葉足らずかもしれないなと思います。

傘の柄を握り直して朱欒かな   穂波
 「傘の柄を握り直す」というのはなんとなく意味ありげでいいなと思いました。ただ、どうしてざぼんなんだろうというのが不思議で、色々考えたのですが、これという読みができずでした・・・。

ギョウザ包む襞を数えて去年今年   岡野 直樹
 餃子をゆっくり作るって、時間があってゆっくりできて家族もしくは友だちが集まって、というイメージです。無心になって餃子を包む、こんな新年の過ごし方もいいですね。

乳搾るごとゆずをしぼりてサラダかな   豊田ささお
 乳搾るごと、に何が続くのかと思いきやゆず、そしてサラダ。乳搾りって田舎くさい、素朴なイメージなのですが後半いっきにおしゃれになりました。ただ、2度目の「しぼる」は言わずに違う言葉を持ってきた方が広がりが出るかと思いました。


2009年1月7日
岡野泰輔ドクター : 今週の十句  (到着順)

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。元旦、二日、三日と快晴、真っ青な空に富士山が見えました。去年今年、時代はひどいことになってきました。こんな時代に花鳥諷詠を貫くのも、「紅旗征戎吾が事に非ず」の定家をひくまでもなく、詩人としてあるいは胆の据わったことかもしれませんが、一方で人の意識は時代によって確実に変容をうけているはず。 ひとり俳人のみが時代と無縁であろうはずもなく、個人的にはイモ筋に入ろうとも、そんな時代(社会)と個人の意識の変容もモチーフになるかなと考えています。(以上正月早々のナンチャッテでした)ともあれ、俳句を読んだり、作れたりしていることは、まず幸せ。今年も皆様の力作に刺激を受けたいと思います。

【十句選】

数へ日のフランツ・カフカ短編集   廣島屋
今年も後何日、と数える年末の慌しい日々。「数へ日」には子供のようにお正月を心待ちにする気分と、残り少ない時間への切迫感のような二通りの気分がありますね。そんな気分とカフカは離れているようで、どうしてどうして、なかなか面白い取り合わせではないでしょうか。この句のいいところは、実質取り合わせといってもいい内容を、一物仕立てにしているところです。カフカの、あのいつまで経ってもゴールにたどり着けない、その隔靴掻痒の感じが「数へ日」と一物に仕立てられていることで、より複雑な味わいが生じているように思われます。

八叉路に饂飩屋見つけパリの冬   茂
エトワール広場ではないですよね、あそこはちょうど八叉路ぐらいになるのではないかしら、この句ではもっと名も無い小さな広場。歩き疲れてふと見つけた饂飩屋、日本語に出会えるかもという期待と、饂飩の温かさを想像してほっとしたところです。言語も地理も不如意な一人歩きの日本人旅行者の視点として私などは大いに共感しました。ことさら厳しい冬のパリ、硬い石畳の道、八叉路というところに目が届いたのが勝因です。

鯨来る腰巻はなべて赤   あざみ
ちゃんと読めているわけではありません。むしろ読んで合理的な意味を繋げる必要があるのだろうか?と思わせる句です。江戸時代の捕鯨―勇魚取りの勇壮な景を思い浮かべました。「腰巻はなべて赤」という当たり前とも言うべき断定もここでは痛快。荒っぽくも勇ましい勇魚取りの男と気風のいい女との物語を想像してもいいでしょう。よく読むと字足らずですが、それが句の勢いをつくっています。

木枯しを呼んで行方をたずねけり   遅足
最初全体を通読したときはスッと通り過ぎてしまいました。二読目ぐらいからじわっとこの句のよさが伝わり始めました。リズムもよく、切れ字「けり」によって一句をひとつのこととして断言する、その断言が実はとぼけている、いわゆる俳味というのでしょうか。低い声でさり気なく味のあることを言っています。俳句らしい俳句ですが、その分新鮮さには欠けます。

0と1の支配下にあり年暮るる   戯心
具体的な「物」がなく「観念」だけである、この句の欠陥は誰もが指摘するところかもしれません。でもね、、と言いたい。去年の(今年も更に深刻に)あのどうしようもない年暮るるの感じはこういうことだったのではないのか、そう思います。観念の専横はたしかに俳句の敵ですが、ここにはたしかに2008年末の感情の手応えがあります。俳句のなかで観念を扱おうとすればどうしてもある種通俗的になりますが(0と1の支配がそれです)そこに敢て挑戦したところを買いました。

冬の虹とつ現れて天寿告ぐ   草子
今、天寿を全うされようとしている方、まさにその時に立つ冬の虹。できすぎの感もありますが、天の配剤とはこのようなことか。この奇跡のようなことを現在の瞬間として表現されたことが成功しています。この俳句内の時間より後に作句されているはずで、そのときに現在形に再構成できる技術を―語彙を作者はお持ちです。

冬銀河ノートルダムに薔薇の窓   遊雲
ノートルダム寺院の薔薇のステンドグラスは特に北窓が有名、絢爛たる天上世界を現出させています。昼の薔薇窓の光と夜のシリウスを始めとする一等星達の光彩が頭の中で交叉します。これをつき過ぎというなかれ、二つの豪奢なイメージが俳句空間の中だけで交響しています。現実の時間とか、空間ではないですね、構成されたイメージだけの世界です。

短日の使用禁止の遊具かな   遊雲
何でもない写生ですが、誰もが一度は目にしたことのある光景がありありと甦ってきます。短日の薄い光が効果的に使用禁止の文字を判読させてくれます。切れ字「かな」と詠嘆(というほどではないが)の対象の遊具はとてもよい距離です。このくらいの変哲もない物に「かな」がよく効くんですよね。

冬椿三島由紀夫の墓に遇う   藤原有
調べてみましたら三島由紀夫の墓は多磨霊園にあるのですね。作者は霊園で偶然三島の墓を見つけたわけです。この偶然の「遇う」がいいですね、三島の死はもう四十年近くも前、すっかり過去の人になってしまった三島と、そういえば、と思い出している作者との適度な距離感が感じられます。落ちる首ということで武士には嫌われる椿もこの場合は分りやすく、寒椿でなく冬椿と客観的なのもいいと思います。派手好きな三島はもっと詠嘆して欲しかったかもしれませんが。

深々と布かけてある冬鏡   藤原有
見るためのものを見せない、本来そこに自らを映して覗き込む鏡に布がかけてある。日本的な鏡台では普通のことも、こうやって定型に収めてみると、途端に布の下の鏡が存在を主張し始めます。もちろん「深々と」という措辞は的確で、きれいです。「深々」によって布の下の鏡面が実に冷たそうです。

【次点】

★千代の春電卓たたく巫女の指   大川一馬
 書入れ時、千年よりここ三が日が勝負。指までいわなくても。
★旧年の二重丸つく備忘録   真亜子
 旧年の手帳は見飽きないものです。
★星冴ゆる銀山跡の鉄格子   学
 石見銀山?銀と鉄と星きれいに出来上がっています。
★梟や女のうしろで歯を磨く   あざみ
 不思議な芝居を観ている感じ。梟も面白い。
★日捲りの表紙をめくり福寿草   文の子
 福寿草の典型のような句。めくる時の清々しい気分がわかる。
★冬落忌暉新幹線の指しゆける   文の子
 新幹線の鼻先が夕日を指して走る。これはロングノーズの500系?
★犬宛の獣医の写真賀状来る   こけし
 ちょっとごたごたしている。写真は要らないかも。
★日本に京都があって除夜の鐘   遊雲
 たしかに。この日ばかりは京都人が羨ましい。
★冬濤や高山右近像の顎   穂波
 顎と特定されると気になる。