「e船団」のドクターがあなたの俳句を診断したものです。


2009年4月29日
岡野泰輔ドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】

 こんにちは、緑が日に日に濃くなってきて、桜は終っても、色鮮やかな花が一斉に咲いています。こんなとき言葉が追いつかない気がします、言葉が追いつかない?何に?(独りツッコミ)―その発想に先立って何ものかに対する感動のようなものもない。僕にとって、感動とは、特に言葉のなかに何かを見た場合の感情である。―(高柳重信『「書き」つつ「見る」行為』)、これ気に入ってます。もうひとつ、― 貫之が花を愛し、小鳥を愛していたとは考えにくい。彼は何を愛していたのだろうか。おそらく「自然」をではなくて、言葉をであろう。ほととぎすという鳥ではなくて、ほととぎすという言葉、物ではなくて、物の名。―(加藤周一『日本文学史序説』古今集の美学)。前後の文脈を無視して強引に抜きましたが、要するに詩人とは対象ではなく言葉に憑かれた人の謂ではないかと。あるいは言葉そのものを対象化する人。てなことでさっそくいきます。

【十句選】

もう少し夕桜だからもう少し    草子
 桜も日が落ちるにしたがって、昼間の豪華な美しさ(少ししつこいくらい)からあえかな美に変ってくる。こんなことを思うのもひとえに夕桜という言葉が喚起する美感による。夕桜を挟んで「もう少し」という如何様にもとれる言葉のリフレーン。とてもシンプルで美しい。もう少しここに居たいのか、もう少し歩きたいのか、いずれにしてもまだ帰りたくはないということ。「だから」などという言い訳は禁句に近いのですが、ここでは活きている、口語のよさでしょう。

東西の病棟繋ぐ桜道    草子
 桜はその美しさとともに生命力の象徴でもあります。そんなこともあって病院、それも病室から見える桜という構図の句はよく見ます。ここでは具体的に東西の病棟、それを繋ぐと言っているところがいいと思います。具体的といっても俳句で示せる具体性はこの程度、読者それぞれの体験から引っぱり出してきた病院の風景をここに重ねます。
 ついでに、忙しく行き交う医者や看護師や、見舞いの人々までそこに見ようとしてしまいます。

じいちゃんの逆手懸垂春の風    濡衣
 時々います、元気すぎるお年寄りが、個人的にはあまり元気すぎるのもかなわんなあ、とは思いますが。逆手と順手ではどっちが辛いのか分りませんが、文字面では圧倒的に逆手のほうが辛そう。祖父でも、爺でも、じいさんでもなく、「じいちゃん」としたのが勝因。「春の風」に軽い揶揄の匂いがあって効果的です。じいちゃんにあまり無理しないように言っておいてください。

一台のスペースの空き桜蘂    吉井流水
 駐車場一面に降りひろがった桜蘂、ちょうど車一台分だけ駐車場のアスファルト面が露出している景。桜蘂が降りしきる中、ぽつんと一台だけ駐車していた景も合わせて見えてきます。こっちの景のほうが絵になります。絵にならないほうを面白がっているのが俳句的。この状況は詠もうと思っても説明的になってしまってなかなか難しいと思います、この句はそのへんの処理がとてもお上手ですね。

生きているふりして春の石である    遅足
 うまく読めないのですが、この句の前で立ち止まってしまいました。春の石とはまたずい分大雑把な言い方ですが、ここではそこが取得になっているふしがある。もちろん弱さでもある。春の石は少しも具体的ではありませんが、読者それぞれが思い描けばよろしいということ、そう言われたらそうかもしれないと思い始めたらこの句の勝ち。
 詩の喩としては、普通は「死んだふり」だと思いますが、それを「生きている」ほうに振ったところが工夫で、たしかに味わいが単純ではなくなりました。

桜咲く川の向こうは別の町    れい
 何でもないんですが、なぜか魅力があります。一本の川が二つの町の境界線になっていることはよくあることで、それをそのまま言っただけなのに、なぜだろう?この魅力の源泉は?おそらく堤の桜なのだけど、桜の名所というほどでもない、郊外の平凡な二つの町。川の向こう側を歩く隣町の住人も見えてくる。一句が緊密に張り詰めた言葉で構成されているわけではなく、むしろゆるい言葉で語間に隙間がたっぷりある。それで読みの参加性が高くなるという仕掛けだろうと思います。大急ぎで付け加えますと、「隣」でなく「別」という措辞がいい。別としたことで二つの町の等質性が逆に浮上してきて、ひいてはこの季節の人と風土の平安な空気感を醸し出しています。

ふらここのどきどきドアだけどだけど    汽白
 何といっても畳語的な同音の繰り返しのリズムの面白さ、それにつきます。ローマ字表記にしてみるとK音が六つ、D音が七つ、そのリズムと音韻の都合で「ドア」なんかがここに招聘された(多分)。そのことでふらここに新しい動きが加わったともみえる。ふらここの/どきどきドアだけど/だけど  と、読みましたが、ドアで切って 「だけどだけど」と駄々っ子のように繰り返すのもあり。二つの景の間をふらここが揺れています。

警報の鳴る踏切を花吹雪    戯心
 映画みたいです。映画みたいで、きれいで、絵がよく見え、一瞬のうちに了解できます。一方、それなら映画のほうがもっといいなとも思ってしまいます、贅沢なんです。風景に既視感があるので、花吹雪だと俗に傾き過ぎかもしれません、贅沢なんです。

痩せたかって聞くから桜と答えよう    あざみ
 せっかく聞いたのに桜と答えられた日には、それ以上後が聞けなくなってしまいます。それくらい「桜」という答は問答無用なところがあります。「桜」が返答としてお見事。もっとも「桜」という答はあらゆる質問に耐え得る、もちろんここでは「痩せたか?」という質問は絶妙、いい感じの俗臭が往年の日活映画なんかを想起させます。

直角は淋しいものさリラの花    あざみ
 直角は淋しいと言われれば、そうかなと思わないこともない。鋭角や鈍角のいい加減さに対して、直角を維持する厳しさ、淋しさは分かる気がする。ここでは直角を融通の利かない四角四面なやつ、のように人事の方面に寄せて読むのは止めようと思う。
 文字通り幾何学上の90度の嘆き、自嘲として読んでみたい。あるいは話者は90度そのものについて語っていると。「抽象」自体の感情を主題化するという俳句としては未開拓のところに乗り出しているか?刺激されました。忘れてました、リラの花はきれいでよく合っているのではないでしょうか。

【予選句】
☆一万歩超ゆるあたりの諸葛菜    大川一馬
☆花水木曽ての職場の華に遇う    大川一馬
 曽ては牡丹か芍薬だったのか、花水木が今ちょうどいい。
☆春雨や花柄の傘忘れ来る    茂
 今ここにない花柄の傘の残像が明るい春雨に鮮やかです。色ではなくて花柄なのがうまいと思います。
☆花吹雪引き寄せているわが磁力    よし造
 その中に立っていると本当にそう思うことがあります。実感があります。
☆出稽古を遠回りして花を見る    由利子
 出稽古の帰りでしょうか。気分はわかります、出稽古という言葉がよくて残しました。
☆走り梅雨バッグにサプリメントあり    岩波文子
 気楽で明るいトーンがいいです。走り梅雨がいい頃合。
☆空よりの流れ幾筋滝桜    文の子
 三春ですね、「流れ幾筋」がそれこそ安易に流れていないでしょうか。
☆この国の最後の桜枝を発ち    錫樹智
 北海道?SF的に読んでも面白い。
☆球捌く少年の脚陽炎えり    戯心
 焦点が脚にまでいっているので、いいかと。
☆春昼に歩き出したいペンチとニッパ    岡野直樹
 楽しいです。春昼のひとつの感じです。
☆雪やなぎ再開店のレストラン    穂波
 再開店というのはいかにも今どきありそうな、案外リアルです。雪やなぎは程々。
☆春月や電気ブランをなみなみと    廣島屋
 電気ブランという強いお酒と春月の取り合わせが意外によかったです。春月の少し重い感じと電気ブランの粘度の高い液状が合うのでしょうか。神谷バーに行きたくなりました。

【ひと言】
☆逃水や斉藤茂吉読めど読めど 逃水の説明になっていませんか。
☆ジョン・ケージこれこそ亀の鳴く声か 惜しい!「これこそ」が決定的にまずいと思います。ジョン・ケージと亀鳴くはいいと思います。「亀鳴くやジョン・ケージの4分半」「ジョン・ケージ亀を鳴かせてしまいけり」などどうでしょうか。
☆空襲の非道に耐えし樹に若葉 「非道」と倫理的裁断はしない、空襲に耐えるで十分非道さは伝わります。それよりこの樹は何の樹?それが分かった方がいい。
☆無知無学ゆゑによき妻山笑ふ 「無知無学」が問題。卑下も自慢の中といいますが、俳諧味とはあきらかに別もの。
☆蓬摘む丸き母の背陽のあそぶ 母の背中が丸いという句は多分、五万とあります。符牒化した表現なので、逆に母親像を真実らしさから遠ざけています。


2009年4月22日
えなみしんさドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】

 いい季節になってきました。さて、俳句を始めてしばらくすると、俳句らしいがヘタになってしまうという現象があると思います。人ごとではないのですが、この原因は、575、季語、切れ等の約束ごとに縛られて、伝えたいことが萎縮してしまうからだと考えています。

 投句いただいた133句には、ずいぶん変な句がありました。でも、それは約束事に呑み込まれまいとする意志と受けとめました。人が読まない事を詠んだり、人と違う言葉を使ったり、人と違う文体で詠んだりするのは難しいことですが、ぜひ、これからも挑戦してください。今週の投句に、わたしも元気をもらいました〜(^_^;)ゞ

【十句選】

ぎゆぎゆと音たてて巻く春キャベツ アイサ
 春キャベツの外側のつやつやした葉で、料理をしている風景でしょう。「ぎゆぎゆと音」のオノマトペが楽しい。「音たてて巻く」の韻律も快い。わたしの好きなロールキャベツを想像して食欲がわくな〜。

ヒトラー忌その他一切四月尽   朱雨
 時代の大きな流れを感慨深く詠んだ句。そう感じるのは、「ヒトラー忌」というとらえ方。「その他一切」という大ざっぱなつかみ方。「四月尽」というアイソのない表現。動詞のない構成などによるものでしょう。トムクルーズの「ワルキューレ」見た感慨ですか。あの映画、怖かったです。ヒットラーの自殺は、終戦を数ヶ月後に控えた4月30日の事でした。

風船の割れて風船自由得る   朱雨
 視線が新鮮な句。言われてみると、風船はふくらんで皆を喜ばす。しかしそれは、風船の仕事だったのかも知れず、それから後が風船の自由だったのだ。なんか、定年後のわたしの事みたいだな〜。風船のリフレインも効果的。

今の名は「ホーチミン市」の遊糸かな  大川一馬
 固有名詞の使い方が見事としか言いようがない。上5の「今の名は」も効果的。サイゴン陥落から現在までの歴史を、遊糸の中に見ているという構成。「遊糸(ゆうし)」は、陽炎。文字を逆にして「糸遊(いとゆう)」という言い方もある。句材も、詠み方もすごい。

片肌を出して薄暑のダライラマ   文の子
 ダライラマが出てくる俳句を初めて見た。カンタンな言葉で、黄色の衣をまとい眼鏡を掛けた姿を激写している。散文的でややだらしなく感じるのは、たぶん「て」が原因。言い回しで工夫できるか。

ためらひて聖書を配る人に花    無三
 聖書を配りながら、押しつけになっていないか心配している人がいる。その人に幸あれ!と、花が降る。ドラマチックな句。特に「ためらひて」が効果的だ。

まずビールそんな日であり花の下 無三
 ことしの東京は開花宣言は早かったが、寒い日が続いて、2週間後の土日に満開。いい花見をした方が多かったのでは。そんな晴れ晴れとした気分が詠まれています。口語が効果的。ビールは夏の季語ですが「花」があって紛れない春の俳句。

うず潮の藍の中より桜鯛かな 戯心
 うず潮の藍、桜鯛のピンク。大きい風景、小さな魚。そういう取り合わせが見事で、選ばないワケには行きませんでした。ただ、風生の「まさをなる空よりしだれ桜かな」を含め、類想句があるかも知れません(すいません、選んでおきながら)。

さくら散る空に乳房にさくら散る 麻
 インパクトが強い「乳房」。桜の散る乳房はあでやかでもあります。「空に乳房に」となっている事とも関連して「さくら散る」のリフレインも効果的。取り合わせとリフレインの好例と言える句でしょう。

十五段だった気がする春の闇 あざみ
 15段からは13段を連想します。が、具体的に15段というものは思いつかない。「春の闇」と言う季語の持つ、謎めいたものを上手に表現しています。「だった気がする」という口語ならではの、実感のこもった言い方も魅力でした。

【いくつかの11句目】

清掃の手のふと止まる落花かな   無三
 風景が見えるようです。とくに「ふと」が良く、「手にふと止まる」ではなく「手のふと止まる」の言い回しの韻律が快い。

うららかや妻の力のつよきこと   遅足
 認知症の妻、を連想したのですが、単に幸せな風景かもしれません。具体性を欠くのは「うららかや」だからか。季語は一考かも。

穴出蛇いつ富士山に登ろうか   戯心
 口語が効いている。「穴出蛇」はちょっと苦しいか。「蛇出る(いずる)」とするか、「啓蟄や」などはいかがか。

顎裏の美しき仔猫の大欠伸  えんや
 「顎裏(あごうら)」が面白い。が、同時に濁音のきたない言葉なので、「美しき(はしき)」とバッティングしている。かと言って「喉元」では弱いような気がする。一考の余地があるのでは。

陽炎の奥も真っすぐ中央線    戯心
 この中央線は、電車の中央線なんでしょうか。高速道路の「中央フリーウェイ」なんでしょうか。せっかくの発見なのに固有名詞にロマンがない。北海道とか、アフリカとか、いい道路を見つけてください。

花卯木妙な造りの病棟に  錫樹智
 「妙な造りの」が面白い表現。「病棟に」が散文的な感じなので、例えば「内科棟」とか「外科病棟」にされたらいかがかと。

花の下先月妻を辞めしひと  小早川忠義
 花見で、離婚した女性とご一緒する。これも花の持たらす感慨でしょう。「先月」がナマなのでは。その女性を応援する気持ちなら「花万朶」のようにするのも手かも。

畳こも平群の蝶と名づけよう   アイサ
 「畳こも」は「畳菰」の事でしょう。面白い句だがこの上5が難解で伝わらないのでは。「平群(へぐり)の蝶」の句材は魅力。

午後五時のサイレンの鳴る筍飯   仁
 なんだかうまそうだな〜と思うお膳仕立てなのですが、午後五時にご飯食べるのかな〜と思うと、謎で共感できない部分が残る。

巡り来て二度と戻らぬ今日の花    アイサ
 当たり前だけど、こういう感慨はあるな〜。「今日の日々」ではなく、「今日の花」とした所に工夫がある。

【その他、一言】

★帽子飛ぶ刹那ときめき春の風・・・・「刹那ときめき」が好調。
★雪柳つい悦楽の虻となり・・・・・・虻も季語なのでバッティングしている。
★春雷ののちパソコンの売れにけり・・この句の作り、参考になります。
★春雷や柩には無き中古品・・・・・・面白い句材ですね〜。
★メガネ越しに暗き店より春惜しむ・・そんな感じ分かります。
★車座や落花を仰ぐ神田川・・・・・・「車座〜仰ぐ」で感じでてます。
★湖底より村人集ふ祭り笛・・・・・・沈んだ村人の怨念なのか〜。
★集団の縄跳び真似て桜散る・・・・たとえにムリを感じます。
★死に魚を真ん中に置き花筏・・・・写生句だが、あまり想像したくない風景。
★心音の虜となりて新入生・・・・・言い回しが上手だが、広がりを感じない。
★無造作に春風が来てモンブラン・・さらっと、きれい。無造作も良い。
★リラの花結婚前提だからね・・・・野菜系の青年を思いました。
★麻酔切れ口の中からかたつむり・・面白い句、でも体験的には実感がない。

                        見おとし、読み違いはご勘弁。
                        それでは又〜(^_^;)ゞ

2009年4月15日
朝倉晴美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 こんにちは、皆様。
 一気に初夏の日々です。葉桜の美しい季節ももうすぐです。
 此度も投句の数々、ありがとうございました。今回は、日々の小さな感情、一瞬の感動を句にしたものの多くに、魅力を感じ、選をいたしました。春という優しい季節が日常のなかに生きているのでしょう。日常の中の、たくさんの素敵な『春』に出会わせていただきました。巡リ巡る季節やそれを言葉にすることって、やっぱり良いですね。
 〈葉桜に隠したことも忘れたの   晴美〉お粗末さまでした。

【十句選】

正しさを押し付けられて桜かな   朱雨
 下五への転換が愉快です。まごうことなき正統派の花、桜。でも、正しいことばかりが良いこととはかぎらず、また楽しいことでないことも、、、それが人の生であり、世の常、、、そんな可笑し味が、掲句の魅力です。

春情や麒麟その首深く下げ   大川一馬
 「春愁」という言葉に表現されるような、春独特の気分を、「麒麟その首深く下げ」がとても良く表現しています。動物園(と推測して無理ない句でしょう)にいる多種多様な動物たちから、麒麟という動物を選んだ選択眼に感服いたします。季語とのバランス感覚、一風景としての調和性。そして、「その首深く下げ」という表現力。連体詞「その」による抜群の効果。「や」切れも、この句には必須でしょう。お見事です。

さへづりや田を賑はしき耕運機   小口泰與
 田を賑わすものが耕運機という。そんな情景から生まれてくる抒情に感激いたしました。鳥のさえずり、田、耕運機と、春には決して珍しくはない光景。それを、「賑わす」という他動詞をもってくることによって、句として新しさを与え、見慣れた光景に感動を添えています。

腕時計外す夕日の春の海   真亜子
 「夕日の春の海」には、少々推敲の余地があるのですが。春の海、それも夕方、けだるくも優しい空気が流れていることでしょう。その気分を、「時計を外す」という日常のなんでもない行為、さらに具体的な行為として表現していることが、秀逸です。同時に、腕時計を外すという行為は、誰しもが、ふっと息をつくとき、自身を解放したいときに行う。そんなちょっとした行動であるということが、句に訴える力を持たせていることでしょう。

海光る花見列車の弓なりに   錫樹智
 光る海と花見列車が、少しくどい取り合わせなのですが(どちらも言葉の持つ意味が強いですから)、下五の「弓なりに」によって緩和されているように思えます。下五にきて、大きく眼前が開けるような開放感。そして、感情たっぷりな表現ではなく、光景のみを客観的に表現し終えていることに、掲句の良さがあります。

囀や宝石箱をひらく朝   錫樹智
 少々常套である取り合わせとは感じましたが、ある春の朝の気持ちよさが万人の共感を呼ぶであろうと評価いたしました。囀も、これから始まる一日も、まるで宝石のように輝いている気配が、なんとも素敵です。

花曇カフスボタンが外れてた   ポリ
 とても魅力的で、季語としても絶妙の取り合わせです。惜しむらくは、「が外れてた」ではないでしょうか。口語表現の魅力は、私も認めるところですが、掲句「カフスボタンの○○○○○」と再考できますとうれしいです。着眼の素晴らしさの勝利です。

縄電車櫻トンネル通過中   悠
平凡な光景のようですが、実際にそんな光景は眼にしなくなっているのではないでしょうか。そんな郷愁、懐かしさと、素朴さに一票入れさせていただきました。漢字とカタカナのみの表記という字面のおもしろさもまた、句の世界を楽しく読者に伝えています。

背もたれの布薄くなり花月夜   茂
 春の夜(宵でも良いでしょう。)の何となく心が落ち着かない、それでいて感傷的になる、その独特な感情が、背もたれの布張りの薄さが代弁しているのではないでしょうか。壊れている訳ではない椅子、しかしながらふかふかの背もたれでもなく、そこに春愁があるように感じました。心情を言わずして、心情を伝えることに成功しているでしょう。お見事です。

ギンガムの布にはさみを花菜風   穂波
 「ギンガムの布」という句材、「にはさみを」という表現、どちらも秀逸です。菜の花との明るさに、しっくりと合っていますし、鋏をいれるという積極的な行為が、春の浮き立つような気分を代弁していることでしょう菜の花畑ではなく、風が視点があることも句の気分を盛り上げ、句にふくらみを出させています。繊細な心の機微であると同時に、明るさが大きな魅力となっています。

【次点句】

桜咲くポップコーンのやうに咲く   朱雨
 下五が惜しいです。取り合わせが楽しく良いです。
摘み採りて寂しき色のわらびかな   せいち
 わらびに情緒がたっぷりです。
春の宵ラップのしわの光たる   ポリ
 着眼点が良いです。表現を明確に。
ゆつくりと道かえてゆく春の海   麻
 気分はよく伝わりますが、句意に揺れが出そうですので、表現の推敲を。

【予 選】

★鳥交り高見盛が塩をまく   長十郎
★一回はねむらせておく眠り草   遅足
★ノクターンの聞こえて来そう葱坊主   こけし
★春なれどマクドナルドに並びをり   廣島屋
★東風吹かばさくらももこの旅日記   穂波
★咲き満ちて涅槃の匂ひ夕桜   豊田ささお
★朧夜に豆を焦がした手がふたつ   あざみ


2009年4月8日
南村健治ドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】
 花冷えが続いたせいなのか、春風邪が治りきっていないからなのか、寒い。医者にはかかっているのだが、気分もすっきりしない。人込みに出ると直ぐに喉が痛くなる。家でテレビを見ていると鼻水がでる。以前はへっちゃらだったことが、こらえきれずに症状にでる。
 家内がこのごろテレビの音量が大きいと言う。早くも耳が遠くなったのか、飲んでいる風邪薬のせいだろうか、、、、ま、それはともかくとして、今週の十句選は以下の通りです。

【十句選】

几帳面な嘘やおおきなよもぎ餅   遅足
 裏を返せば、嘘は綿密なほどバレやすく、言い繕いも出来ない。一方、大きな蓬餅はその大きさが存在の全て。あっけらかんとしてそこに嘘や隠し事はない。対句として両者が提示されているためギャップが明白になり、双方の事象にリアリティーが増した。

しゃぼん玉地球は空に浮かびけり   よし造
 「空」は「くう」と読んだ。しゃぼん玉から地球の発想は物足りないが、吹かれては消え、ふわふわと儚げに、そして無邪気に飛び交ういくつものしゃぼん玉。そのひとつに地球をイメージするのは怖い。ほら、あの雲の狭間で虹色の地球が壊れて消えた。

春ショールなびかせ配るティシュかな   岬
 ティッシュ配り。あれはあれで難しい仕事、と思う。無粋に差し出されると受け取る方は躊躇するし、妙に腰が低くては遠ざかる。
この句の主人公はショールをなびかせ、春風に舞うように路上でティッシュを配っている。足を踏み変え、身体を捻り、まるでストリートダンサー。ヒラヒラとさせた手の先には大きな白い蝶のようなティッシュの束。その様子は楽しげで、ティッシュ配りの完成されたパフォーマンス。

強東風や古事記に神と人の恋   穂波
 海辺に立つ、あるいは、連なる山々を遠くに眺めたときに吹く風は人にいろんな想いを起させる。殊に季節の変わりを告げる風はなおさらだ。風が強く吹く日、ふと古代に思いを馳せ、万物の恋を想う。春を呼ぶ東風ならばこその感慨に理由もなく、共感。

亀鳴くや銭湯の絵の描き変はる   学
 足を大きく伸ばして湯船に浮かぶ。夕方早い銭湯ならではの至福のひと時。うん、壁の絵が描き変わっているぞ。そう、「描き変はる」に他人事のような、そうではないような面食らった心情が漂って、さて、以前の絵はどんなだったろうか、あの絵も捨てがたい味があったのになあ、という気分が伝わってくる。「亀鳴く」という寂しくも不思議な季語が似合う句。

蜆舟愛する人は遠くをり   学
 住まいの近く、新淀川の河口ではかつて蜆を掻く舟が出ていた。いま、蜆舟といえば、宍道湖の地道なそれを思い描く。また、青森県北津軽の盆唄「十三の砂山」をモチーフに、都はるみが歌った「十三湖(とさ)の雪うた」の一節に「蜆掻く手の血が凍る」という歌詞が出てくる。過酷な労働というイメージが強いが、この句は蜆舟と愛する人の取り合わせ。不安感なのか、充足感なのか、繰り返し読むうちになぜか充足感の方が強くなった。「をり」の断定が効いているからだろう。

桃の花泣いた笑った目をあけた   草子
泣き、笑い、目をあけたのはたぶん赤ちゃん。あるいは仔猫(は笑いませんが)。いずれにしても小さな者、弱い者への愛おしさが、桃の花の明るさ、親しさによって読者に無理なく伝わる句。リズムの良さも見逃せない効果。

紅梅やゆっくり迷う二人連れ   あざみ
 「や」を「に」と読んでおもしろい句。白梅には凛とした気品が人を遠ざける美しさがある。紅梅はこの句に倣っていうなら、柔らかな明るさが人を誘い込む。木々の間に迷い込むのではなく、その明るさに迷い込むのだ。明るさは、例えば古代の明るさ。「ゆっくり」とは、違和感もなく自然に、というほどの意味。

亀鳴くや夫の行先聞きもらす   あざみ
 「えーっと、ちょっとその、、、、△×ヽ〒%О#$д、、、、」などの言葉を残して夫が出ていった。お終いの「%О#$д、、、」あたりが気になるが、どうせすぐに戻るだろ。大したお金も持たせていないし、、、、でも、遅いし、、、、、一人で残って寂しいし、、、、、という気分のときに、亀が鳴く。

陽炎や手首に残るゴムの跡   あざみ
 「ゴム」は輪ゴム。爺むさいというか、生活力というか、頓着しないというか、とにかく卑俗。嫌なことではないが、時と場合による。そう、「ゴムの跡」は公式な場にはそぐわない事態。でも、止むに止まれずその部分が顕わになる。擦ってみても、一方の手で隠してみても事態は解決しない。春は爛漫。揺れている陽炎のように、ゴムの跡も何時かは知らぬ間に消えてしまうのだが、と読んでみて、う〜ん、人生(人の世)の出来事も輪ゴムの跡のようなもの、ということなのか。

【候補句】

☆春深む寝仏様の伏し目にも   茂
 釈迦の入寂。それを「伏し目」といってよいのか。
☆口元のゆたかな遺影花吹雪   茂
 「花吹雪」が決まり過ぎ
☆入り川の無数の蟹や蟹の穴   亭々
 最後まで残した句。お終いにもうひと転換があれば。
☆春没日あれはヒト型有袋類   錫樹智
 カンガルーのこと?ならば平凡。
☆息つめて吐き出す力桜花舞ふ   よし造
 散り際の美。言葉が硬いのでは。
☆雑草といえどなずなの薄みどり   由利子
 「いえど」ではなく「言いて」と他の人の気配があれば。
☆サラサラと波砕け散る雪柳   郁子
 「雪柳」を上五に、、、。
☆癌と知る人のうしろが春の窓   アイサ
 「窓」ではなくもっと視界を明るく。例えば「春の山」。
☆ドレミレドお玉杓子は離れざる   勇平
 「離れざる」ではなく、無邪気な句は無邪気な言葉で。
☆春惜しむ遺品の整理遅々として   文の子
 「惜しむ」に対し「遅々」は言い過ぎ。
☆惜春や時計の振り子とまりさう   文の子
 「惜春」だから「とまりさう」、、、それは理屈。


2009年4月1日
星野早苗ドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】

 暖かかったはずの春なのですが、急にまた寒い日が続きます。
 桜の開花も遅れているようですが、入学式まで待ってくれるといいですね。どんな場面でも、花吹雪は本当に贅沢ですばらしい舞台装置だと思います。
 さて今回は112句の中から。全国からの投句ですので、句材の広さが見せていただくときの楽しみの一つです。生かすのは簡単ではありませんが、自然に提示されると、やはり印象鮮明な句になりますね。

【十句選】

春の雲映す車窓のゲバラ伝    岡野直樹
 旅行に本を携えて行く方は多いと思います。列車の中や待ち時間、ホテルなどで、案外まとまった読書ができるのは、日常から切り離され、読書に集中できるからでしょうか。
 作者はゲバラ伝を携えて春の旅に出ました。ゲバラの伝記は映画化もされて人気のようですが、やはり読み始めるには覚悟がいりますね。このようなちょっと肩の張る本は旅行で読むのが一番です。
 車窓には春の雲。作者もゲバラも、共に明るく若々しいと感じました。

みどりごをまあるくねかす猫柳   真亜子
 猫柳の明るい窓辺。嬰児がいつの間にか眠ってしまっていたのでしょう。暖かくなってきたのだなぁと思います。
 猫柳で、明るい日差しや柔らかな風、途切れることのない川音も聞こえてくるような気がしました。
 (原句…みどりごをまぁるくねかす猫柳)

蓬餅母の手になる練習帳   遅足
 お母さんの手作りの練習帳は、広告の紙などを綴じ合わせた多分ひらがなの練習帳でしょう。お母さんがお手本を書いてマス目を書いて…。そんな練習帳なら、子どもは嬉しくて懸命に練習するでしょう。もうすぐ一年生、とはりきっているのですね。
 蓬餅を食べながら思い出した作者の幼い日の思い出でしょうか。

諦めし春草図鑑また開く   大川一馬
 山か河原か、散歩中に見馴れない草花を見つけられた作者。家で調べようと持ち帰って来られたのでしょうね。さっそく春草図鑑で調べたけれども分からない。花は似ている、でも、葉が違う、茎の断面も…、などなど雑草の名前はなかなか分かりにくいものです。それで一度は諦めたのですが、やはりまた気になって・・・。と、一日に何度も春草図鑑を開いています。
 ささやかな雑草の名前にこだわる作者に共感すると共に、そんな一日が本当に春らしく思われました。

前歯欠く少年の視界春の海   勇平
 少年の前歯の無い理由に悩みましたが、生え代わる為に乳歯が抜けた、と解釈しました。背が伸びて、ものの見方も少し大人っぽくなった少年、すこやかに成長している少年を春の海から感じました。
 小学校一、二年生でしょうか。前歯が抜けて、今までの可愛い顔が何だか間が抜けて見えるのですが、そんなことも気にしない少年。確かにこの時代の男の子の視界には、目の前の春の海しか入っていないのだと思います。

黄楊の花もうすぐお湯が沸くところ   ポリ
 もうすぐお湯が沸く、というとき、火を止めるまでちょっと待っています。窓の外には黄楊の花が咲いているのでしょう。春だな、と思う気持ちが、「もうすぐ」という惜辞と何となく響き合いますね。
 「もうすぐ」と言いながら、ちょっと待たされる春。沸騰するお湯のお蔭で、台所もほんのり暖かいような気がしました。

万蕾に千の風吹く彼岸かな   けんじ
 彼岸の頃、桜の枝には蕾がびっしり付いています。これを万蕾と言われたのがまずお手柄です。この万が千の風を呼んできたのだと思います。
 普通は彼岸の頃は穏やかな天気が続くのですが、今年は春寒。春疾風も吹きました。それで、今年は桜には気の毒な年だったな、と読んでもいいと思うのですが、「千の風」というと、やはり、亡くなった人たちの成り代わったもの、と読むのが自然かもしれません。お彼岸なので、ご先祖様たちが風になり、ふくらんだ桜の蕾でいっぱいの空を吹きすぎて行くのでしょう。蕾に風も珍しいと思いました。

読みかけの図書を残して卒業す   錫樹智
   読んでいる間その本は自分の所有物であった、という思いが「残す」なのですが、「図書」はもともと大学の所有物であり、学生が大学に残せるものなど本当は何もありませんね。けれども作者は、読みかけの本を自分の分身としてそこに残してきたのです。「卒業す」と素っ気なく言いながら、学生時代に対する愛着の感じられる句だと思いました。

どの木にも名札かかりて梅日和   悠
 梅園でしょうか。梅には、どの木にもそれぞれ床しい名前が付いています。どの木にも名札がかかっている、ということは、品種が一つずつ違い、どの木にも違った個性ある花が咲いている、ということですね。
 様々な品種の梅たちが咲き匂う梅園の梅日和。見たままなのですが、梅と名札しか詠まれていない簡素さが、梅園の明るさを感じさせます。

わたしもう寝る桃が咲いたから   あざみ
 「わたしもう寝る」と言う主体が作者とイコールにならない不思議な味わいの句です。 桃が咲くまでがんばって起きていた「わたし」は、冬に属する何かでしょうか。 冬の間、動物たちは冬眠し、俳句では山も眠ります。そして、桃の咲く春は万物の目覚めの時。けれどもせっかくのその時に、「わたし」は「もう寝る」と言うのです。
 桃が咲いたから、きっと安心して眠るのでしょう。「わたし」は冬の間しっかりと目覚めて地上を治めてくれていた神様なのでしょうか。
 ともあれ、まばゆい春の訪れの裏には、ひっそりと隠れ、眠りに就くものもあるのですね。

【佳 作】

☆思ひ出し笑ひふふふと椿落つ  せいち
☆大原野長き道なり竹の秋    岬
☆上州の辛夷咲く日の風素直  小口泰與
☆不器用な愛とも思う犬ふぐり   遅足
☆手袋を脱がす手袋春の宵   遅足
☆チョットコイを追いかけもぐる雑木山   豊田ささお
☆春愁の音出ぬホルンもてあまし   勇平

2009年3月25日
早瀬淳一ドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】

 皆さん。こんにちは。
 読まれた方も多いと思いますが、西東三鬼著の「冬の桃」収録「神戸」「続神戸」「俳愚伝」を一読二読しています。三鬼のシャレっ気、酔狂、やさしさ、反骨、自らを笑う精神、骨の髄までの自由人気質・コスモポリタンなどに改めて感嘆・魅了されています。手に入りにくいかもしれませんが、戦前の神戸のモダニズムにどっぷり浸りたい方には、超お薦めです。
 今回は、結果的に肩の力が抜けた句、柔らかい句、平易な句を十句選として選んだような気がします。また次回も今回に懲りずに、よろしくお願いいたします。

【今週の十句】

点滅の滅のなかから被爆の街   遅足
 金子兜太を思わせる。滅の中から、が挑戦的な措辞。点滅の信号か、長崎の港の信号灯だろうか。深い霧のなかからぬっと現れるかつての被爆の街。暗がりから明るくなったときに浮かび上がる長崎の街にリアリティーがある。

さくらもち一家束ねる力なく   遅足
 思わず共感して、笑ってしまった。世の多くのお父さんはいろんな矛盾を抱え、幾ばくかはこのような思いがあるのではなかろうか。それでも早春の光に輝くさくらもちが救ってくれている。脱力系・癒し系の俳句。

うららかや踏み切りに待つ縄電車   えんや
 踏み切りも地面に引かれたものだろう。ある手かもしれないが、誰しものなかにある原風景、ひと時の原体験を追体験する愉楽のようなものがあるのではないだろうか。

かたまつて子ら逃げてゆくたんぽぽ野   アイサ
 すこし寒の残るけれど、待ちきれない子供達の野遊び。鬼ごっこで追われる小さい子は心細いのかかたまって逃げていく。とても景の見える気持ちのいい1句。

米をとぐ水はやわらか立子の忌   穂波
 虚子の次女として、父にその俳句の才能も含めて愛され、4Tの一人として存分に活躍し、80歳で生涯を閉じた立子の一生を思うとき、とぎ汁の手指に当たる温かさ・かすかな粘りが、静かに余韻として残る。立子忌は3月3日。娘は星野椿氏。

七並べ2回パスして鳥雲へ   穂波
 今回、一番好きな句。特別なことは何も言っていないが、胸に迫るものがある。やや退屈になりかけた七並べで、どうでもいいけど2回パスしたところで、鳥は雲に入り帰って行く。大きな悩みはないけれど切なくなる春の気分をうまく掬い取ったのではないだろうか。「2回」がうまい。

疾走のバスに人なく花の冷え   勇平
 回送バスか、それとも過疎地の定期バスだろうか。バスはゆっくりというイメージを軽く裏切って、「疾走」していくバスに乗っている人は誰もいないことが、妙に心に迫る。それと花の冷えがうまく響き合った。

お彼岸の肺がん胃がん直腸がん   遊雲
 胃がん肺がん直腸がん、のほうがリズムがよくおもしろい。お彼岸の法事に集まった親族の病歴自慢(?)だろうか。うららかなお彼岸の日の入院仲間の病気の種類だろうか。多くを語らない俳句のひとつ。

春闇に寝台特急発車ベル   草子
 ブルートレインの廃止というニュースが最近あった。でもまだ日本の中には、寝台特急の走っているところがありそう。ますます深くなっていく闇の中に消えていく寝台車。駅弁のにおいなどもしてきそう。

田にあふれ畦越ゆる水耳菜草   豊田ささお
 田水を循環させるために、畦の一部をわざと低くしてあるのだろうか。農事に疎いのでわからないが、畦を越えて緩やかに流れていく春の水がとてもリアル。やや近いが、耳菜草もでしゃばらないで程よい。

【予選句と一言】

啄木忌猫イラズてふ古看板 (実石榴)・・・啄木忌となんとなく合っているよう。
芋虫の二つ三つ四つ菊根分け (こけし)・・・ユーモラスな感じが。
春時雨電子レンジであたためる (廣島屋)・・・春時雨を電子レンジであたためているようでおもしろい。
仲春のまだぎこちなき殺陣芝居 (廣島屋)・・・古き佳き田舎の光景。
たこ焼きもあんたも好きや春ショール (せいち)・・・たこ焼き程度の「あんた」が可笑しい。
霾や仏の中に仏住み (せいち)・・・仏の中に仏住み、がおもしろいようでよくわからない。
飛行機雲人の定めし高さより (遅足)・・・飛行機雲を人の定めし高さ、と見る視点がおもしろい。
田螺棲む水に暗がりありにけり (遅足)・・・ある世界だが、繊細。
これ以上山よ笑ふな花粉症 (朱雨)・・・川柳的だが、機知があっておもしろい。
首元のタオルは踊り春田打つ (真亜子)・・・まだ寒い中の春田打ち。踊るタオルがすがすがしい。
小吉や野師と掛け合う植木市 (真亜子)・・・野師と掛け合う植木市、はいいが小吉はどうだろうか。
駅員の大あくびかな春霞 (茂)・・・大あくびと春霞は近い。
竹篭にはみ出す春菜加賀御膳 (茂)・・・竹篭にはみ出す春菜はいいが、加賀御膳をよく知らない。
啓蟄や往きも帰りも富士眺め (茂)・・・富士山が見えるところにお住まいとはうらやましい。
方便も大甕に入れ春の水 (茂)・・・すこしばかりの嘘を納めてくれる大甕の頼もしさ。
大仏の肩より春の滑り降り (戯心)・・・春の滑り降り、が抽象的。
大伽藍を遠回りする春の鳶 (戯心)・・・大伽藍をわざと遠回りする春の鳶がおもしろい。
伸びている蛙またいで急ぐ朝 (ポリ)・・・伸びをしている蛙はのどか。まさか車に轢かれた蛙?
花見つつ顔の小さくなる男 (ポリ)・・・わかるようでよくわからない。
野良猫の踏む宵闇の土手青む (アイサ)・・・闇の中で土手青む、はすこし違和感あり。
さへづりや峰を定めぬ山かづら (小口泰與)・・・峰を定めぬ山かづら、がややわかりづらい。
木々の芽や長き裾野に鳶の笛 (小口泰與)・・・鳶の笛、が既成の言い方。
どの木にも名札かかりて梅日和 (悠)・・・静かな日常。
妻とよりもどせないかな春の雪 (汽白)・・・離婚後だろうか、家庭内離婚だろうか。
母入所三寒四温の寒い日に (寒九)・・・入所、という言葉にドキッとする。せつな過ぎる。
春愁を白い絵具で塗りつぶす (遊雲)・・・他の色でなく白い絵の具が意外にいい。
卒業式先生はいつものジャージ着て (遊雲)・・・先生は、の「は」はいらないのでは。裏方の先生。
春の雪ブルートレインラストラン (遊雲)・・・この郷愁わかります。
後方の膨らむ列や入学児 (文の子)・・・小学1年生はこうなるんでしょうね。
春彼岸朝日と風を背ナに受け (文の子)・・・ナはなくても「せな」と読めるのでは。
本日の魚はサーモン五加木飯 (草子)・・・五加木飯、は知りません。おいしいのでしょうね。
春満月濡れたタオルを渡さるる (あざみ)・・・どういう状況でしょうか。
囀りや次の息継ぎゆっくりと (ロミ)・・・自分の朗読の練習?鳥に息継ぎをアドバイス?
深田水口開いている蝌蚪ひとり (豊田ささお)・・・よく見ましたね!
花人になりたくて行く吉野山 (山法師)・・・私も一度吉野の桜を見てみたい!
春日和ぶらんぶらんと手提げ振る (山法師)・・・そういう気分ですね。
啄むも鳩来るまでや群雀 (山法師)・・・一茶みたいですね。


2009年3月18日
中谷仁美ドクター : 今週の十句  (到着順)

 春。みなさまはいかがお過ごしでしょうか。今年度は6年生担任をしています。3月19日が卒業式。卒業に一句、というのは夢のまた夢。ここ数週間ばたばたしています。
 今回もたくさんの句をありがとうございました。一つの季語で何句か作って送ってこられる方が比較的多いのですが、比べてみると、同じ季語でも取り合わせでずいぶんイメージが変わるのだなあとあらためて感じます。今回もよろしくお願いします。

【十句選】

血縁の次第に薄く蕗の薹   茂
 血縁がうすれて次第に付き合いが疎遠になっていく寂しい様子と、寒さの中でがんばるふきのとう。ただうすれゆくのを待つだけでなくどこかにそれに抗う感じが暗示されているような気がします。取り合わせの妙かと思います。

自由席ほどの自由や卒業す   朱雨
 自由席ほどの自由、というのがやや難しく感覚的なのですが、(私は絶対に指定席をとらないと落ち着かない派なのです)決められていないことはよくも悪くもあるということのたとえであろうと解釈しました。「自由」と「卒業す」の組み合わせはよくありますが、「自由席」と持ってきたことで発想の転換ができていいと思います。

春の宵すこし怒っている時計   遅足
 怒っている時計、というのがユーモラス。具体的にどんな時計なのか、人によって色々な想像が可能です。鳴っているのか、進みすぎているのか、逆に遅すぎるのか。ここでは、具体的に時計の様子を言わずに「怒っている」と形容したことがうまくいっているのだと思います。

身のうちの沼を眠らす春の宵   遅足
 「身のうちの沼」というのがなんとも不気味(ごめんなさい)。沼というと、底なしだとか火の玉だとかやや怖いイメージ。自分の心の暗い部分なのだろう。「春の宵」にはそんな部分は眠らせておく。ここでの「春の宵」の明るさはたいへん効果的。「沼眠らせる」のほうがすっきりするのではないかと思います。

雪洞や程よい距離の立雛   茂
 先日出席した句会で「ほどよい距離」という表現の俳句があり、人気があった。今回もまたまたこの表現。やや月並みかなと思いつつもやはりおもしろい。この句の場合、「立雛」なのがいいのだと思う。

啓蟄やなぞなぞ時間切れになり   廣島屋
 「時間切れ、ブー」と楽しい声が聞こえてきそうな句。「啓蟄」と取り合わされると、また何度でもしりとりをしてチャレンジできそうな気分だ。

つちふるや我が関東はローム層   文の子
 こちらは関東ローム層なのだと、黄砂に対抗心を燃やしている感じ。「我が関東」というところに、関東びいきぶりが出ていて面白い。スケールの大きい詠み方がいいと思います。

啓蟄やシーツの皺をたたき出す   ゆき
 シーツの皺を伸ばすと、こそっと潜んでいた冬が追い出されそうだ。「皺」というのは含みがあって面白い存在。「啓蟄」と組み合わせることで、さらにイメージが膨らむ。その場の音や様子が容易に想像できることが句の魅力となっている。

解体の家の春闇電子音   草子
 解体された家の残骸の中、誰もいない寂しい場所、そのどこかから電子音が聞こえる。時計だろうか、ストップウォッチかも。哀愁を感じさせる電子音だ。「電子音」と無機質に言い切ったところもかえって余韻を感じさせる。この闇が「春」だからこそいいのだと思います。

ピチカートポルカありんこ穴を出る   穂波
 ピチカート、ポルカという語でどれだけ想像力がかきたてられるか、読み手の個人差がこの句の場合その魅力に大きく影響すると思います。でも、これだけ並ぶと春の文字通り弾む楽しさがつたわってくる一句。「ありんこ」がいいですね。

【次点】

自転車の野に絡まっている余寒かな   錫樹智
 余寒が絡まっているという発想が面白いと思いました。

母の声母の匂ひの春の川   せいち
 この感覚、たいへん共感がもてます。

ポイントのたまる音して春寒し   廣島屋
 ポイントがたまるのはうれしい。でもちょびっとずつしかたまらない・・・そんな気持ちでしょうか。着眼点がいいですね。

啓蟄のATMの注意書き   遊雲
 振り込めさぎかなと思います。でももしかしたら何か違う注意書きだったりして。そう思わせるのは「啓蟄」の力。ちなみに、近所の郵便局はATMのとなりにいかなごの釘煮のレシピが置いてあります。

春の雲いつも最後は怪獣に   岡野直樹
 かわいい句です。でもやや素直すぎるので後半部分ひと工夫が必要かなと思います。

行く雲の春の白さになってをり   山法師
 爽やかな句です。ただ、春、雲、白というのは揃いすぎている感じがします。

北窓を開けてオカリナ解き放つ   真亜子
 音が広がる一句。「開けて」と「解き放つ」は言葉が近すぎるのでどちらか一方だけにしたほうがいいと思います。


2009年3月11日
小西雅子ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】
 「君が去ったホームにのこり 落ちてはとける雪を見ていた・・・」(唄イルカ・作詞作曲伊勢正三)『なごり雪』のこの歌詞が大好きです。卒業、転勤、引越し、世の中がぷるぷると揺れる三月、新ドクターとなり縮こまっています。同じく『なごり雪』の歌詞から。「いま春が来て君はきれいになった 去年よりずっときれいになった・・・」前を向いて明るくいきましょう。春は希望です。新米ドクターにたくさんの句をお届けいただきありがとうございました。

【十句選】

蕗の塔たなごころより妻の手に   村上滝男
 何気ない句ですが、一枚の写真のように鮮明、かつ説明し過ぎず。とても温かな句です。また、タ行が重なり、リズミカルです。このように大切に扱われるとフキノトウも妻も俳句も喜んでいるでしょう。

赤ン坊ばかり描く日の猫柳   廣島屋
 猫柳の銀色の輝きと赤ちゃんのまるまるとしたかわいさ、共に反応し合って生命力を倍増しています。「赤ン坊」の「ン」という表記は最近あまり見ません。「菜の花畑に眠つてゐるのは、赤ン坊ですけど」という中原中也の詩「春と赤ン坊」を思い出しました。

タブーとは椿の蕾かたきこと   涼
 この肯定には納得。意味深で少々エロティシズムの漂う一句。蕾を開くことが「タブー」なのではなく、かたいことが「タブー」。この哲学的な物言いは意外性がありました。

春一番さらにレジにて二割引   せいち
 そう言えばスーパーで買う品物に「さらにレジにて二割引き」のシールが貼ってあることがあります。目の付け所と「春一番」の季語が成功。「春一番」も二割引きされるような楽しい俳句です。

薬屋の多きわが町啄木忌   れい
 忌日の俳句は読み方も詠み方も難しいものですが、これはシンプルで的確。肺患であった啄木を治してあげたい思いです。啄木忌は4月13日。享年26歳。啄木忌の俳句に「あ・あ・あ・とレコードとまる啄木忌(高柳重信)」など。

探梅や猫の鈴音響きをり   洋平
 地味な句ですが鈴音と人と梅の花はきれいに合っています。「や」の切れがあり、猫との間柄も少し距離を置いて見ることができます。幻想的な雰囲気です。

入試より帰ってごしごし顔洗う   遊雲
はじめから順々にことが運ぶので散文的です。しかしながらこの俳句的な着眼点に押されました。「ごしごし顔洗う」この客観的な描写が、ほっとしたのか、後悔したのか、にきびの少年なのか、少女なのか、律儀な生活習慣か、という想像をさせてくれます。

補助輪をとって一踏み山笑う   穂波
 「一踏み」このひとことが秀逸。補助輪をはずした時の危うさ、心許ない気持ちは多くの人が共感できます。この共感をさらに一瞬の「一踏み」に凝縮し、かつ「山笑う」の大きな遠景とマッチさせてステキな句になりました。

じやお母んまた来るからな寒椿   ロミ
 「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(リリー・フランキー著)を思い出しました。「お母ん」は、オカンと読むのであろうと勝手に決めてしまいました。「オカン」という響きはとてもやさしく聞こえます。「じゃ」という出だしが心に響いて、「寒椿」まで長いストーリーがあるようです。泣けてきました。

午後一時二歳検診桜餅   仁
 いち、にい、「さん」とくるところを「さくらもち」。うまい!と声をかけたくなります。 時刻といい、二歳児といい、桜餅といい、とても平和で清々しい思いが残りました。聴診器のはずむ音が聞こえてきそうです。二歳児を桜餅に例えているのか、行きか帰りに桜餅を買ったのか、食べているのか、そのようなことを考えている間にぐんぐん読ませる句です。

【次点】

カウンターに春キャベツ乗る定食屋   茂
 「乗る」が不要かも。春キャベツはおいしそうです。
花の下生温かき手を離す   あざみ
 やや抽象的過ぎるかもしれません。「離す」は利いています。好きな句です。
大道芸みまもる空に冬桜   郁子
 「みまもる」がなくてもみまもる様子はわかりそうですのでこの部分のみ再考されてはどうでしょう。素敵な句です。
恋猫の鳴く霊園の駐車場   実石榴
 この句も「恋猫」ですから「鳴く」は不要かと。霊園の駐車場とはまた変わったシチュエーションですね。不思議な句になるかもしれません。材料をひとつ減らすと言う方法も。
ママよりも一歩先行く春の朝   ポリ
 類想はあるかもしれませんが、「ママより」からはじまったことで個性を発揮しています。これを若いパパの言葉だとする現代的な見方もできるでしょう。
堀井戸の端に塩ある余寒かな   戯心
 井戸の端の塩は、盛り塩でしょうか、清めの塩でしょうか。その一角のきりっとした空気に魅かれました。しかし、何度も読むと、堀井戸、端、塩、余寒という言葉のイメージがそろいすぎていました。寒すぎるのです。10句に入れようか迷った句です。
旅立ちのセレモニーあり春の闇   豊田ささお
 旅立ちが「通夜」だと捉えるとありきたりです。「旅立ち」や「春の闇」という言葉には、銀河鉄道にでも乗りに行くのかと思える情感があります。魅力的なセレモニーが想像できそうです。この句も10句にいれようか、ずいぶん迷いました。

【気になった句】

★ぐるぐるの大江戸線や春の闇   朱雨
 「ぐるぐる」が安易でした。「大江戸線」と「春の闇」は粋な取り合わせです。
★つちふるや湖岸に伏せし貸しボート   吉井流水
 「伏せし」の「し」の再考を。「つちふる」から身をかくすようなうつ伏せのボート。いい光景です。
★春の夜のふとんの穴になっている    遅足
 穴になっているのは何?誰?ちょっと迷いながらも面白い句だと思いました。ただ「春の夜」と「ふとんの穴」は温度と暗さが似通っていて惜しい気がしました。
★隣県に日帰り温泉冬うらら       えんや
 日帰り温泉という現代の言葉がうまく使われています。ただ「隣県」というこの俳句のセールスポイントが先に出てしまって損をしています。答えはあとにくるほうが有効です。
★児の手より魔法のごとくヒヤシンス   真亜
 少し序盤が説明的ですが、詩心が感じられて好感が持てました。
★有希子の忌片方のみの耳飾り     小早川 忠義
 「有希子」とういのはあの元アイドル「岡田有希子」のことでしょうか。それともどなたか知人の方の忌日でしょうか。どちらにしても一般的でない忌日は季節感が共感しにくいようです。ほんのわずかな方にのみわかる共感かもれません。

【もうひと工夫】

 季語も的確、調子も良好で端正ではありますが、作者の言いたいことがわかりすぎているようです。もうひと工夫。

☆雪洞や雛の刀の柄照らす
☆酢味噌和え添えし夕餉や春隣
☆朝靄の中を幾舟蜆とり
☆白梅やけふも畑に老夫婦
☆耳朶のぱさと隠るる春の闇
☆祖母の雛母が飾って見る娘

2009年3月4日
小枝恵美子ドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】
  久しぶりで皆様の俳句を拝見させていただきました。私は大阪の比較的温暖な地域に住んでいます。今は梅やミモザ、菫などを眺めて楽しんでいますが、投句作品も春の息吹に触れ、生き生きとした俳句が多かったと思います。作者の視点が新鮮な句やシンプルに表現された句などを中心に選句しました。

【十句選】

車椅子背なより下る梅見坂   大川一馬
 梅林に出かけると、皆それぞれ梅を眺める様子が違うと思います。車椅子の方が背中から下るところに目を留めたところがいいですね。その方は前を向いて下る人と違う梅の景色を見ることになり、それも梅見の味わいのひとつかもしれません。

春泥を纏ひて太き蚯蚓かな   合
 「蚯蚓」は夏の季語なので今頃見かけるだろうか、と思っていたのですが、昨日公園を歩いていたら、やわらかな土にまみれた蚯蚓を発見。温暖化のせいか、蚯蚓も春泥を纏って出てくることもあると確信しました。「太き蚯蚓」がいきいきと描写されています。

春雷や妻の言葉を待っている   遅足
 春雷は夏の雷と違って鳴っても長くは続かないのが特徴です。「春雷」の持つ音感が心地よく、「妻の言葉」と響きあうと思います。どんな言葉を期待しているのかと、想像がふくらみます。これが夏の雷だと詩情は失われてしまうでしょうね。

人形屋佐吉をつつむ春の雨   朱雨
 人形屋の屋号が「佐吉」と読みました。日本人形を扱う店だと思いますが、艶やかな人形と春雨のしっとり感が「つつむ」を媒介にして巧く表現されており、平仮名が効果的でした。季語の本意に付き過ぎかもしれませんが、春雨の中の人形が美しく浮かびました。

立春の現場を仕切る警告灯   真亜子
 「立春」と「警告灯」の取り合わせが新鮮でした。今日は立春だ、と少し明るい気分で出かけたのに事故の現場を見てしまった。警告灯の光がちらちらと春の危うさを告げているようで、身の引き締まる句です。

ちりちりと卓上ベルの春寒し   茂子
事務所の受付、あるいはレストランなどに見かける卓上ベルですが、その音を「ちりちり」と表現したところが季語と響き合います。卓上ベルを俳句であまり見かけることがなかったので、いい取り合わせだと思いました。目のつけどころがいいですね。

春空のぽっかり開きし大けやき   学
春になると空を見上げるのがほんとに気持ちいいですね。春の空は白く靄がかかっていることが多いですが、きっと青空が広がっていたときの風景でしょう。「ぽっかり開きし」にその気分がよく出ていて、大けやきも存分に息をしているようです。けやきだけに焦点をあてたのが良かったです。

先生のあだ名はキンカン草青む   遊雲
 「キンカン」は果物の金柑を想像してしまいますが、このあだ名は他の意味合いもあるのかもしれません。片仮名のキンカンの響きが「草青む」と取り合わされたとき、跳ねるような楽しさが伝わってきます。明るくて生徒に慕われる先生を想像しました。

たんぽぽやベンチの上の砂ぼこり   渡邉春生
 ベンチの上にうっすらと砂ぼこりがあることに気づき、たんぽぽと取り合わせたところが面白かったです。春風が吹き、たんぽぽが少しゆれるところなど想像出来て、ベンチにもたんぽぽにもちょっぴり倦怠感があると思わせてくれるのは、「砂ぼこり」のリアルさだと思います。

春泥の中をぴよんぴよん来る女   遊朋
 「ぴょんぴょん来る子供」だとちっとも面白くはありませんが、「女」だと、なんだかコケティッシュな女性を想像し、それを見ている人の目に愛情が感じられます。また春泥の動きもいきいきと見えてきて、「ぴょんぴょん」がよく効いていますね。

[予選句]

白雲に乗りたる心地春炬燵   渡邉春生
 冬の炬燵と違って春炬燵はやはりどこかに浮遊感がある、という表現を「白雲に乗りたる心地」としたところに共感しましたが、やや季語とつき過ぎかとも思いました。

春宵にモンロー黒子を落としけり   長十郎
 モンローウオークの途中に黒子を落としたのかも、と思わず笑ってしまう句でした。ただ、「春宵に」より「春宵の」にしたほうがいいのではと思います。「に」は説明的になります。春宵とモンローはつき過ぎかもしれませんが、「黒子」がユニークです。

春の風邪e-Taxと格闘す   吉井流水
 「e-Taxと格闘す」と、新しい素材を俳句に持ち込んだところがいいですね。ただ、「春の風邪」は少し身体が苦しい状態ですし、「e-Tax」も国税電子申告で格闘している様子ですので、どちらも疲れてしまいそうです。季語は明るくさりげないものにしたらどうでしょうか。

朧夜やくるくる寿司の皿重ね   悠
 「くるくる寿司」を「回転寿司」にすると分かりやすいです。朧夜にどんどん皿を重ねていく様子にユーモアがあります。

結び目のリボンの先に風光る   せいち
 リボンの先に焦点をあてたところが良く、シンプルでまとまりのある句ですが、この光景はよく目にするように思います。またいろんな場面にチャレンジして下さい。

早春へ歩幅の違う妻と出る   遅足
 「歩幅の違う妻と出る」が良く、外に出ると二人違ったものを見るのだろうと想像しました。「早春」が漠然としていて、もっと具体的な「春の野」「下萌」等、具体的な場所のほうが、ふたりの景がよく見えるのではないでしょうか。

冴返る改札口から出られない   ポリ
 改札口を通るのに、きちんとカードを通したのに出られない、そんなパニック状態がよく伝わってきます。それが分かり過ぎるところがこの句の難点かもしれません。

春空のすべてを映す干潟かな   錫樹智
 「すべて」ではなく春空の中のひとつのものに焦点をあてると、俳句がいきいきとしてきます。自然を見るときに、今まで詠まれていないものを見つけるように工夫して下さい。

冬帽子K・J法で解決す   岡野直樹
 「K.J法」はデータをまとめるための手法なのですね。冬帽子を被った人がそれを行っている様子は分かりますが、季語を変えてみると、幅が広がるのではないでしょうか。

天井に飽きて風船降りてくる   朋
 風船はよく天井にくっついてなかなか降りてこないことがありますが、「天井に飽きて」としたところが面白いです。少し機知的ですが、風船のぽあんとした様子が目に浮かびます。

縄文のしらべやぬくしサヌカイト   豊田ささお
 サヌカイトはたたくと澄んだ音が出ますが「ぬくし」だと、どうでしょうか。その音に見合う季語を考えられるといいと思います。