「e船団」のドクターがあなたの俳句を診断したものです。


2009年6月24日
えなみしんさドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】

 句会の後の「橋幸夫」。あなたは体験したことがありますか。聞いたことがない人の為に解説すると「橋幸夫に霧氷というヒット曲がある」→「得点入らないのは無票(霧氷)だ」→つまり「得点入らなかったのは無票だから霧氷で橋幸夫」なのです(くだらなくてゴメンなさい)。

 別に〜句会で高得点を入れてもらいたくて句を作っているのじゃないと思っても、何回も橋幸夫になるとメゲル。この反動でウケ狙いの句ばかり作るようになると、俳句をやってる意味が矮小化する。つまり、目指す作句と、句会の楽しみが一致するようなグループに参加できるのが理想。この句会も、そんな場であるといいのですが。

 さて、梅雨じめりでジーンズの膝が重い季節。今週は、129句の投句をいただきました。今週は、珍しく?見たまんまのオーソドックスな句が多く10句選にも苦心でした。見たことが鮮やかに表現されていればいいのですが、そうでない時と思った時は、別の視点での一考が必要なのでは。

【十句選】

竹婦人抱きしめて飛ぶ宇宙かな   朱雨
 宇宙から送られてくる映像は、いつもワイド目のレンズで、必ず飛行士がこちらを向き、ふわふわしながら何か言っている。もしかしたら、竹婦人を持って実験でもしてるのかというイメージがおかしい。

梅天や都のマーク持つ橋の獅子   しんい
 東京日本橋には、確かに「東京都のマークを握って吼えている東洋風のライオン」というのがあるらしい。まあとにかく、これに目をつけ中7底5にまとめた力に恐れ入る。季語はどれでも成り立ち、それによってモノの意味も変わるから、けっこう難しい。だとしても「梅天」という変わった言い方にする意味があるのだろうか。

囀りや三食パンの切り取り線   草子
 世の中には、何と表現したらいいか分からないものがたくさんある。「三食パンの切り取り線」という言い方は確立したものなのだろうか。たぶんご自分で創作した言い方だと思うので、ノーベル賞ものだと思う。この句も季語が難しいですね〜。「囀り」でも悪くはないが、良くもないような〜。

ジジという猫のはなしや立葵   頓坊
 ジジという猫の名が絶妙。じいちゃんという意味とも、イタリア女優の名とも取れる。そのジジの話しを聞いたのか、思い出したのか。立葵が、立ち話をイメージさせて、通奏低音のように響いている気がする。幸せな気持ちになる洒落た句です。

ホトトギス明けの厠へのこのこと   真亜子
 「のこのこと」のぶつけ方が面白い。何が面白いかと考えてみると、ホトトギスが風流に鳴いている庭に、場違いも顧みずのこのこと用足しに、という事になるのでしょう。そういう事を説明するのは野暮ですけど。

トマト打ち夜(よ)の雨みづはながれけり   宗次
 「トマト打つ」「夜の雨みず」「流れる」。変な文脈の並びが、不思議な世界を描き出していると思う。一夜のトマトと雨の戯れを思わせる詩情。

帰りたくなかったことも遠花火   戯
 「帰りたくなかったことも遠い花火のようなものさ〜」という、地口落ちのような季語。ただし、話しがしめっぽくなりそうな所をサラリとしゃれていて、なかなかいいと思った。

かの女優なる口もとや夏帽子   文の子
 たとえば、キャメロン・ディアスの唇が、深々とかぶった帽子の下に見えているような情景を思い浮かべます。しかし、この「女優なる口もと」という言い回し。なかなかに高度な日本語で、女優の口もと、とも、女優のような口元とも読みました。

皿の上の割り切れぬ数さくらんぼ   文の子
 寅ちゃんにメロン事件がありましたが、今でも、さくらんぼうは他の果物とは違う貴重なもの。そんな気分が伝わる明るい句。ややありがちかとも思い、迷った10句目でした。

大男ウクレレ弾いて虹しょって   穂波
 見たことないのに、突然、マイティ・ハーキュリーという言葉が浮かんできた。大男というのが愉快です。コニタン(小錦)のように、大きくてやさしくて、寓話の世界に生きる人物でしょう。「虹しょって」の発見で句になっています。

【予選句】と、ひとこと

枇杷の実のお尻つるりと雨上がり   洋平
 底5が取って付けたように感じました。もっといい言葉がありそう。

沸かす湯のふきこぼれたり桜桃忌   宗次
 季語とのマッチングがあいまいな気が。

芸風がわれと同じやところてん   ロミ
 会話の中ではつかう「芸風」。句にするとなにかあいまい。

蜻蛉になりたい時は目を回す   ロミ
 わたしメニエールやったので、気持ち悪くなりそう(^_^;)ゞ

焼き串に昂然として鮎五寸   戯
 「昂然」が面白いと思いつつ、言えてないようにも。

サングラスど演歌耳に甲羅干   勇平
 トラック野郎の世界、難波の原色。面白いが怖い。

反論の間合いをはかる揚羽蝶  海桐
 季語の選び方は面白いが、上5中7に魅力がないのでは。

蛍袋からはみ出している母よ  海桐
 唐突な「母よ」の呼びかけが胸に迫るが、具体性に乏しく情にながされているのでは。

遠い日の父の不在や青葉木菟   海桐
 季語の選び方がいい。寂しい句なので好き嫌いで11句目に。


2009年6月17日
朝倉晴美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】
 みなさま、こんにちは。今回も、精力的に句作されている様子を伺うことができ、感激いたしました。そこで、力のある句を中心に、選をいたしてみました。印象的ともうしますか、句にみなぎるものがある、そこに注目してみました。読者を、ハッと気付かせたり、強い印象を与えることも、俳句や文学の魅力であり、力でしょうから。

【十句選】

モンゴルに多きドルジや大西日   朱雨
 大西日とモンゴル、付き過ぎの感もありますが、中七の「多きドルジや」という事実の提示に救われています。感傷的、叙情的なことがらではなく、モンゴルに多い姓を指摘するだけという中七が、モンゴルと大西日から発生する感傷を消滅させているでしょう。もちろん、句は「モンゴルの大西日」ではありません。日本の大西日を見ながら、モンゴル人の姓名を思考しているのでしょう。感傷的になりすぎずに、モンゴルの雄大さを感じさせ、そこから、モンゴル人の勇壮ささえ感じさせる句です。

腕高く伸びてスマッシュ夏来たり   草子
 作者の、ドクターへのコメントには、卓球の情景とありましたが、むしろ、そのような指定はない方が、この句の良さを十二分に発揮できることでしょう。私自身は、ごく一般的に、テニスを想像しました。いかにも初夏らしい日差しのなか、高々に、また力強く腕を掲げて打つスマッシュ。その、腕の健康さ、力強さに、夏の素晴らしさを重ねてみることができました。また、口調も整っていて、俳句らしい調べも魅力的です。「来たり」の「り」の作用も生きているでしょう。

朱夏の森華奢な体の阿修羅像   学
 少し、漢字が多く、字面がしんどい気もいたしますが、情景のインパクトに一票でございます。阿修羅像とは、本当にそのとおり、華奢でいて少年の趣きを湛えます。その一方で、憂いのある表情、私たちの多くを魅了する仏像の一つでしょう。
 朱夏という強い表現が、その阿修羅像とよく合っていると思われますが、「の」の使い方が二度とも同じ、つまり、「○○の△△、□□の◇◇」という型でならんでしまっているのです。少し、気になります。その方法が、リズムや強調として良い作用を起こしているならば、必要ですが、掲句、少し残念な気がいたします。

入梅の妻は声まですきとおる   頓坊
 「入梅や」ではいかがでしょうか。妻はあくまで妻として独立させたほうが、客観的です。「入梅や」であっても、入梅の日の妻であることは瞭然ですから。また、「声まで」とありますから、他にも何かすきとおったものがある妻であるわけですが、私はその抽象的な気分を感じることができました。読者の好みはあるでしょうが。

あじさいの道しんがりを雨女   遅足
 機知に富んだ一句です。それでいて、紫陽花の道をありありと想像することができます。「しんがり」という印象的な言葉を、上手に用いています。そのほかの語句を、極日常的な語句から選んだことも勝因です。

大いなる鼻の鼻歌枇杷熟るる   遅足
 こちらも、ウイットに富んだ句であり、「る」の音の連続が、枇杷の実の豊かさを強調していてお見事です。「る」は「u」音であり、たっぷりとした語感をあたえます。そして、鼻もまた「大いなる」ですから。少々戯言めいてはいますが、枇杷の実りの豊かさこそ、季を読む俳句にふさわしいでしょう。枇杷の形容(丸さや生り方)もまた、この句の楽しさの一因です。

冷奴一人息子が海を向く   茂
 印象強く、インパクトで頂戴いたしました。冷奴という日常の食卓、そしてその豆腐の様相。一人息子からの拒絶めいたものを感じさせはしないでしょうか。また、「海」が見える情景というものが、句を叙情的にしていて、親子の関係を救っているように感じます。

若葉風謀反を起こす人になろう   岡野直樹
 若葉風の元気な爽やかさからの発想と取りましたので、その謀反も、いうなれば他愛もないものでしょうか。それでも、自分をそう奮い立たせたり、誰かを喚起させるわけであるから、血気盛んな元気よさも感じます。初夏の一句として魅力的です。

よそゆきのからだを隠す花衣   涼
 表現としては、少々散文的ですが、発想の面白さに惹かれました。よそゆきの体、そして花衣、隠してはいるが、隠しとおせていないような危うさ、と、少し深読みしてしましましたが、そのような魅力がるのでしょう。

重なって気付く忌日や夏薔薇   黒猫
 忌日が何人か同じか、月命日が重なるのか、はたまた近い命日の数人なのか、厳密にいうといろいろ考えられるのですが、どちらにしても、命日の持つ哀愁のようなものが伝わってきました。故人という存在は、もちろん大きいのですが、ふと忘れられてしまっている時間があるものでしょう。生きていくことを優先するために、ですが。その象徴が、命日の存在ではないでしょうか。ふと忘れてしまいそうになる日、忘れるというよりも、気付かないで過ぎてしまいそうになる、ともいいましょうか、そんな忌日に、華やかな夏薔薇が慰めのように咲いている(活けられている)ように読みました。

【次 点】

★垂直に夏霧昇る屋島かな   小口泰與
★麦秋やまんのう池の満々と   小口泰與
★新緑や紺碧の海大三島   小口泰與
★あじさいは午後のピアノに濡れている   遅足
★花曇カフスボタンの銀のふち   ポリ
★早瀬から釣り上げて一本の虹   穂波

【予選句】

☆新旧の暦を泳ぐ鯉幟   草子
☆花火師は金髪ならんモンテカルロ   大川一馬
☆夏帯や盛塩の白とがらせて   しんい
☆ベビ一靴手にのぞきこむ合歓の花   真亜子
☆背の高き女の残す薫衣香   戯心
☆香水の匂ふ清記の回り来る   えんや
☆行列に飽き青葉にも阿修羅展   文の子
☆風渡る麦の畑の幾何模様   みのる
☆土曜日は見舞いの日となり蛇苺   無三


2009年6月10日
南村健治ドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】

 梅雨が近づいてきて、いまこれを書いているのは二階の小部屋。時間は16時。朝から屋根に照りつけた熱が小部屋に籠もり、とても暑いというか、ムシムシとする。おまけにパソコンというか、ワードの調子が悪く、数行の文字を打っただけで、「保存がどうとか」「データーなしで記録がどうとか」の指示が出る。もう替え時かなと思うが、先立つものがない。我慢して使っていると、あっ、また訳の分からない指示がでて、何かを言ってくる、、、、、、、、、、、。
 う〜ん、先の文章が消えてしまって、梅雨が近づいてきて、の書き出しは二回目。
 さて、クーラーを稼動させるにはまだ早い。ならば、冷たいほうじ茶を飲んで選にかかろうか。

【十句選】

マロニエ咲くシヤガール館へバス曲がる   大川一馬
 「マロニエ咲く」で切らずに読んだ。そのほうが「マロニエ」や「シャガール館」への憧れや期待感が強くでる。初夏の爽やかな気配も増す。

バナナ食う二本おまけのバナナ食う   あざみ
 「バナナ」だから面白い、といっても、そうは思わない人には?マークが溢れる句。いわゆる、ツボに嵌まったというべき句。

鮒の腸近江の春に抜かれゆく   遅足
 「鮒」「近江」とくれば、鮒寿司だが、この句は「近江の春」とすることで、その作業というより、旅行者としての感慨が上手く出た。「抜かれゆく」に軽い感嘆あり。そして、全体を流れる柔らかなリズムはやはり緩やかな春の旅のリズム。

駅頭に雑誌売る人日雷   廣島屋
 よく話題になることだが、ホームレスの人が専門に販売する雑誌に「ビッグイシュー」というのがある。大阪駅周辺にその雑誌を掲げながら立ち売りをしている光景をよく見る。これを読んでそんな様子が頭に浮かんだ。句から雑誌を売っている人、つまり、時代への違和や不安を読み取ってしまうのは「日雷」という季語を配して、端的に事象を提示しているからか。

クレマチス有刺鉄線めぐらせて   文の子
 もう少し情報が欲しいと思う反面、このような大胆な作り方もそれはそれで面白いかと思う。で、この「クレマチス」は白。やや錆びた「有刺鉄線」に敢然と白い花を咲かせているのだ。

青葉若葉西田幾多郎研究会   遊雲
 漢字ばかりの俳句は珍しくもないが、そして、「西田幾太郎」という人物にも詳しくないが、哲学と聞けばその昔、学生時代に「考えることを考える学問」だと教わった覚えがある。で、この句、研究会の面々が難しい顔で黙り合っているのだろう。なにせ、相手は哲学。さわさわと木々が健やかにざわめいているというのに。そこがなんだか可笑しい。

枇杷も好きそしてお尻も大好き   汽白
 ボクも大好き、、、。おおらかな宣言は健康的だ。

蛇いちご一日笑ってくたびれて   アイサ
 「蛇いちご」はややくぐもった心情を象徴するような使い方がされることが多い。でも、この句は明るくていい。そして、「くたびれて」と終わることで読者の期待を少し裏切り、余情が生まれた。

双頭のごとくもつれる夏の蝶   よし造
 「双頭のごとく」とあるので、蝶の不可思議な飛び方がより印象的に目に浮かぶ。大きなアゲハチョウだろうか。

乗り継いで最後は徒歩や夏の葬   黒猫
 説明的な書き様だが、義理でというか、仕方なくというか、あ〜あ、この暑いのに、という気分よく分かる。

【次点句】

★アナログと表示されたる薄暑かな   朱雨
★青天の黙よ渓間の花わさび   小口泰與
★どことなく人居る気配梅雨の森   せいち
★地方紙にぽたぽたぽたと枇杷の汁   茂
★やたら道教えたくなる蟾蜍   なづな
★玉ねぎの芯のあまさをいひあへり   宗次
★いづくへと貨車軋み行く夏の夜   錫樹智
★父と子でパンクの修理夕薄暑   錫樹智
★たくさんの人が死んだよ夏みかん   景色
★万緑や黒曜石の欠け鏃   黒猫
★黒板を消せば吸い込まれる五月   岡野直樹
★夏蝶の夢覚めたれば蝶であり   小津無三
★五月闇阿修羅のごとく枯木灘   洋平


2009年6月3日
星野早苗ドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】

 新型インフルエンザの流行で、関西は休校が相次ぎました。人混みに出てはいけないということで五月晴れが恨めしい数日を過ごしましたが、24日はエイヤっと嵐山に出かけました。渡月橋を眺め、愛宕念仏寺、化野念仏寺、祇王寺、…こんなに人の少ない嵐山ははじめてです。苔の緑、若葉の緑が美しく、野々宮神社のお祭りもあって楽しめました。修学旅行が延期になった子どもたちには気の毒でしたが、静かな嵐山は一生の思い出になりそうです。

【十句選】

仕事場の野いばら壺にあふれけり   茂
 野茨の野性が「仕事場」という言い方によく合っていると思います。野茨は仕事場の裏手にでも咲いていたのでしょうか。野茨を刈って活けたのも男性のような気がしました。

山毛欅若葉峠は風の集うとこ   せいち
 山毛欅(ぶな)と書くと、いかにも山深い感じがします。峠の若葉は光と風を存分に浴びて、殊に美しいのでしょう。山毛欅の柔らかい若葉が一斉に風に波立つ様子は圧巻ですね。ただ、下五の「とこ」はやや舌足らずな表現に思えます。ご一考ください。

炎天や白磁の壺の喉仏   真亜子
 炎天にひんやりした白磁の壺は良い取り合わせだと思います。思い切りのけぞった白い喉を連想させるくらい見事な鶴首の白磁だったのですね。喉仏は作者の幻視なのだと思いました。

絵手紙のレモンのしっぽ夏隣   合
 絵手紙には画面の狭さを感じさせないように、わざとはみ出して、一部しか描かない技法があるそうですね。そうして、全体を想像させる辺り、俳句と似ています。おそらくこの絵手紙にも、レモンの端っぽしか描かれていなかったのでしょう。「しっぽ」という言い方が、レモンのおしりの独特の形状をよくとらえています。色彩的にも耀くようなレモンの黄色はいかにも夏隣だと思われました。

眉寄せる阿修羅の像や風光る    芳江
 「眉寄せる阿修羅の像」で、誰もがあの少年の憂い顔を思い浮かべることでしょう。明暗の対比があり、シンプルながら印象鮮明な句だと思いました。

青葉潮渡しに巡査二人連れ   実柘榴
 渡しに巡査の二人連れが立ち寄った、唯それだけのことなのですが、視界に遮るもののない広さがあり、読者に青葉潮がしっかりと感受されます。制服姿の二人の巡査が点景として効いているのだと思いました。

くるぶしに漣くづる麦の秋   えんや
 くるぶしに漣くづる、の気持ちよさでいただきました。熱っぽい麦秋の中で、素足になる気持ちよさを、透明で冷たい漣をくるぶしに感じる、と詠まれたのではないでしょうか。

失恋のはなしにつづく水饅頭   遅足
 水饅頭は水羊羹のようなものらしいのですが、水でできた、水水母のような饅頭が想像できて面白いです。失恋の話をしていても、水饅頭が出てくれば、「あら、おいしいわ」と話題も転じていったのでしょう。日常とはそういうものだと思います。失恋と水饅頭の取り合わせの意外性も楽しめました。

若鮎を水からぬいてしまいけり   遅足
 若鮎を水からぬく、と言う表現が、水栓を抜くようで面白いです。若鮎は楔のようにしっかり水におさまっていたのでしょう。若鮎を抜かれた後の水は、もう水の抜け殻となったのかもしれません。

喉過ぎて故郷と思う冷やし水 小津無三
 暑い日、久しぶりに帰った実家で、汗をかいている作者の顔を見て、まず冷やし水が出されました。この辺りの気取りのなさが、いかにも実家ですね。ごくりと飲み込んだあとの、喉にしみる冷たさ、鼻に抜ける水の香。水のおいしい故郷をお持ちの作者を羨ましく思いました。

【次 点】

☆飛んでいく物の白さよ青嵐   はるみ
☆青蛙くふやくはずの喉ならし   宗次
☆早瀬から虹を一本釣り上げて   穂波
☆夕立や見舞い帰りのモアイ像   小津無三
☆黒目高宇宙へ急ぐ群れもあり   豊田ささお


2009年5月27日
早瀬淳一ドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】

 よく、どんなときに俳句を作るか、ということが話題になります。吟行派、属目派、机にきちんと座って、トイレで、お風呂につかりながら、夢の中・・・私は不謹慎といわれるかもしれませんが、お酒を飲みながら、というのが気に入りです。数人で飲みながら席題を出し合ってワイワイと優勝者を決めるというのも楽しい。夜一人で飲みながら記憶のいろんな箱を開けて意外な言葉の出会いにわくわくするのもまた楽しい。でも、俳句より単にお酒が好きなだけでは?とつっこまれるかも。
 みなさんは、どういうシチュエーションがお好きですか。

【十句選】

赤い靴口ずさむ日の緑雨かな   茂
 よくある手法かもしれないが、赤と緑の対比がくっきりしていて印象鮮やか。「あかいくつ〜 は〜いてた〜」の歌だろうか、「赤い靴がほしいなあ」とつぶやいたのだろうか。いずれでも、すがすがしい緑雨の中のかすかなアンニュイの気分に赤い靴は意外なものだけれどぴったり。

駈け出して一人転んで海開き   せいち
 取り合わせの句が圧倒的に多い中、いわゆる一句一章。それもある風景を切り取っての情景句。この作りで説明的でない、切れのある句を作るのはとても難しい。掲句、単純明快・平易でありながら中七で少し変化を作ってくすりとさせ、少し泣かせる。最後も体言止めで切れ、余韻を生んでいる。私にはなかなかできない句。勉強になりました。

竹の子に真紅の皮のありにけり   真亜子
 掘ったばかりのタケノコをみる機会はほとんどないので、深紅の皮があるのかな、と一瞬思う。しかし、次の瞬間、若いみずみずしい竹の子にむしろ深紅の皮があってほしいと逆の見方で思う。つまり、読者の心の中で実景とは離れた願望的なリアリティーが生まれている。それが俳句の、言葉の力なのだろう。その力を生むためには、五七五のリズム、けりという文末の切れ字など、俳句特有の仕掛けがあるのだろう。

長袖の袖長すぎる薄暑かな   廣島屋
 薄暑は端居などと同様、俳人好みの感覚的な微妙な季語。人間贅沢なもので、過ごしやすいこの季節を「暑いか寒いかよくわからん。」などと変な文句の付け方をしたりする。夕薄暑、街薄暑という言い方もある。そのかすかな蒸し暑さの感じに、手首にまとわりつく長袖の感じが絶妙にあっている。袖、袖のリフレインも薄暑の空気感にマッチしている。とてもうまい句なのではないだろうか。

封鎖されジャングルジムの灼けてゐる   学
 硬質の詩の空間を感じる。事故があったのか老朽化で危ないのか、黄色と黒のロープで取り囲まれたジャングルジム。夏の午後の強烈な日差しを浴びてただ灼けることしかできない。灼けても遊んでいる子供がいればそれが和らぐのだろうが。灼けてゐる、とぶっきらぼうな言い方が俳句と言うよりも一行詩の雰囲気を醸し出した。

人座るごとに揺れをり冷奴   えんや
 何のことのない描写だが、そこには風通しのいい大広間、やや古くて柔らかくなっているが清潔に拭き込まれた畳、親しげな仲間の集まりか家族の夕餉、水を打った狭いけれど気持ちのいい庭、などが見えてくる。人、と誰とは言わずに言い放したところ、冷や奴に焦点を当てたところも巧み。俳句ってやはり、単純な構成の方が強いし読んでいて気持ちいいですね。

草叢のペットボトルに烏蝶   戯心
 烏蝶はカラスアゲハのことですね。烏のように真っ黒な揚羽蝶。それが残った蜜を吸っているのか、転がっているペットボトルという環境を汚染している無機質な工業製品に留まっている。その対比に詩が生まれている。草叢、という表記からもむっとした草いきれが立ち上ってきて、視覚と嗅覚の両方が迫ってくる俳句だ。

背の順に並びて担ぐ御輿かな   岡野直樹
 私の住む地域でも神戸市灘区のだんじり春祭りがあります。地区ごとの団結を示すかのように老若男女がわらわらと御輿につながっている綱に長く連なっています。掲句。綱ではないが、御輿の下の長い板に子供も持たせてもらっているのだろう。ものをよく見た、臨場感のある句。一断面だけを切り取ったところが成功。

万緑や眼を開きたる捨人形   よし造
 捨人形、という言い方がやや苦しい。が、万緑の生命感沸き立つ中に、薄汚れたセルロイドのキューピー人形(勝手に決めてすみません)の目がかっと開いている様は、ぞくぞくする感興を覚える。まさに、寺山修司の世界。万緑はみずみずしい生命とあわされることが多いかもしれないが、新しい万緑の句のジャンルを開いたのでは?

母は蒟蒻父は竹の子ひとりっこ   あざみ
 三段切れのようだが、意味的に微妙につながっている。母の好きなものは蒟蒻で、父の好きなものは竹の子で、一人っ子の私(子供)は退屈な休日を過ごしている、といった情景だろうか。特に意味を込めずに、あまり考えずにぽろっと書いた俳句のよう。そこに巧まない味がでたように思う。

【次点句】

同姓の多きわが村田水張る   文子
 ある集落を通ると同じ表札ばかりで何か郷愁を感じるときがある。実感のこもった句。

薫風や浜の干し場に開き鯵   悠
 鰺のいいにおいが漂ってきそう。素直なスナップでさらっとしている。

初夏や上毛三山青々と   小口泰與
 青々と、が初夏なのであたりまえ。上毛三山がいい風景を想像させる。

東京へ泳がす里の鯉のぼり   真亜子
 鯉のぼりが東京まで泳いでいくというのが壮大でおもしろい。若者の東京へのあこがれだろうか。

バナナもち夜の廊下をあるきけり   宗次
 虚子に「川を見るバナナの皮は手より落ち」の句がある。掲句。とぼけた味がでている。

鴨川の川床開くてふ便り   稲野幸治
 川床にまた来ませんか、という誘いがうれしい。今年こそは行ってみたい。

シャツ一枚脱ぎ放つ夜や新樹の香   錫樹智
 シャツを脱いでもようやく寒くない季節になった。夜は新樹の香りがいっそう強くなる。

降りしきる松葉の窓や鳩時計   錫樹智
 これもあまり語らない俳句。歌人の方などはそれで何が言いたいの?と思うかもしれない。

晝霞しっかりしろよ鬼瓦   山内睦雄
 崩れ落ちそうな鬼瓦かも。泣きそうな鬼の顔が浮かんできておかしい。

岬より沖をひろげて鯉のぼり   山内睦雄
 最近は大量の数の雄大な鯉のぼりが盛ん。沖をひろげる、という表現が巧み。

病窓にもどり来たるや祭笛   えんや
 いったんは窓を離れたがまた戻ってきたところに病人の思いがよく表れている。

野良猫の寄り来る漁港卯波立つ   えんや
 寄り来る、で巡回中に定期的に港に寄ってくるようでおもしろい。いいエサがもらえるのだろう。

逃げるのか追ふているのか夏燕   戯心
 追つて、とした方が動きが出るのでは。二羽のつばめの先を飛んでいたのがふっと後になる様がよく見える。

余白また少し埋めに夏来たる   小愚
 子供にとって夏休みは確かに余白だろう。抽象的だが、いろいろ考えさせる句。

浮気癖まだ少しあり黒揚羽   小愚
 プチ浮気がばれて謝った後の作者。それでも美人の方に目をやってしまう男の性か。

0,1,2,4,8,16木の芽吹く   穂波
 木の芽がすごいスピードで増えていく様をうまく表現した。座布団一枚!

麻呂子山みかんの花の上は星   穂波
 麻呂子山ってどこにあるのかな。満天の星の下のみかんの花からいい匂いがしてくる。

田水引く帰省中年集まれり   岡野直樹
 帰省中年という言い方がおもしろい。田水引きながら、昔の泥遊びが始まりそう。

新緑の菩提樹葉裏に隠し子が   岡野直樹
 よくわからないが、木下闇に隠し子を抱いた女が立っていたら怖い。菩提樹がそのような想像を引き起こすのだろうか。

星星の交合あらむてんと虫   よし造
 壮大な星の交合の世界と小さなてんと虫がうまく対比されている。

花茣蓙へ仮寝いつしか深ねむり   しんい
 深眠りできるほどのさわやかな気候がうかがえる。

鐘楼の茅葺き屋根や岩つつじ   しんい
 静かな、しめった空気感が味わえる。

名前付け鉢へと移す目高かな   無三
 メダカへの愛おしさが伝わってくる。移した後の目高の違いがわかるのだろうか。

花菖蒲踏み入る足の置きどころ   豊田ささお
 花菖蒲の茂る花畑の中に作業か何かで踏みいる必要がでたのだろう。でも、花菖蒲や他の小さな植物を踏まないようにとの作者の細心の注意が、「足の置きどころ」によくでている。うまい。


2009年5月20日
中谷仁美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】
 夏がやってきました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。私はこの春から転勤をして、ようやく新しい職場になれてきたなあというところです。春はパワーがいる季節ですが、今回の句は意外とのんびりした感じの句が多くて選んでいてなんだか癒されました。たくさんの句をありがとうございました。

【十句選】

新宿に着くまで小言春の雲   廣島屋
 何をぶつぶつ言ってるのだろう。しかも新宿に着くまで、ということはそこには誰かが待っているはず。ビジネスマンだろうか。一句の中にちょっとしたドラマがある。地名が効いています。また、「春の雲」と最後に持ってくると、ふわっと軽さが出て、きっとその小言はたいしたことないことなのだろうとややほっとしますね。

リリアンの色選ぶ子や昭和の日   廣島屋
 リリアンという小道具がやや懐かしく昭和を連想させる気がする。お母さんというよりはおばあちゃんのあたたかい視線を想像した一句でした。こんな昭和の日もいいですね。

筍をときにいただく義歯仲間   大川一馬
 「ときにいただく」という真面目な言い方と「義歯仲間」というかたくるしいがなんだか滑稽な言い方のあわせ方がいいと思います。みんな並んで分厚い筍にいっせいにかじりついている様子が目に浮かびます。

葉桜やすべて鬱陶しくなれり   朱雨
 葉桜の持つイメージを見事に覆す「鬱陶しくなれり」。しかもすべてだなんて一体何があったのだろう。具体的なことは何も言われていないが、さわやかな季節の葉桜さえそんなイメージにさせてしまった出来事についてあれこれ想像がふくらんでしまう一句です。

濃紺のメガネフレーム夏に入る   ポリ
 ちょっと太めのメガネフレームを想像。濃紺と夏という取り合わせは、よくあるかなとも思うのですが、「夏に入る」と組み合わせられるとなんとも潔さが出ていいなと思いました。自分がかけている眼鏡と考えるときっぱりとした意志が感じられますし、誰かが眼鏡をかけているとすると特別な存在なのかなと想像できますね。

風吹かば真面目とならむ鯉幟   宗次
 鯉幟といえば風にたなびいてこそですが、現実にはなかなか上手くいかず、一日の大半をくてっと垂れ下がって過ごしています。風が吹くと真面目になる、すなわち鯉幟らしい姿になれる、[真面目な鯉幟]という発想がとてもおもしろい句です。

攻略はまず子分からレタスむく   なづな
 レタスをむきながら攻略法をあれこれ考えているのでしょうか。一体誰の子分なのか、具体的には分かりませんが、きっとむいているのは女性でしょう。子分というのはもしかしたら仲の悪い女性グループの人間関係のことかなと思ったり。(だいたいリーダーがいて取り巻きの方がいたりしますね・笑) おもしろい一句です。

ダッシュして又ダッシュして木の芽坂   穂波
 「木の芽坂」はさわやかに、生命力がみなぎっている気がします。そこをダッシュ、ダッシュ。部活動の中高生、もしくは、遅刻しそうな社会人一年生。元気いっぱいの様子を想像しました。ダッシュの繰り返しががむしゃらでいいと思います。

駅前のビルは更地に梅漬ける   無三
 時がたつと町の様子はどんどん変わっていきますね。更地になるというのは、自分と直接関係なくてもなんだか切ないものだったりします。そんな変化するものと、毎年このシーズンに行う「梅漬ける」という行為。淡々とした言い方によってうまく対比させていると思います。

蜜柑咲く今日時期はずれの墓参り   無三
 そのお墓に眠る人は蜜柑の花あるいは蜜柑が好きだっとか蜜柑ジャムを作るのが上手だったとか、なにか蜜柑に縁がある人だったのではないかと思います。「今日時期はずれの」という言い方はやや理屈っぽいのですが、「蜜柑咲く」と「墓参り」の取り合わせがかわいらしくて惹かれました。

【予選句】

由来など聞かぬ春です双子橋   廣島屋
 橋の由来とも読めますが、「など聞かぬ」という強い表現には何か裏がありそうな予感がします。

ゴールデンウイーク過ぎてひとりの「ほ」   随真筆
 たくさんの人と会ってにぎやかだったゴールデンウィーク。そんな時間もいいけれど、やっぱり「ほ」の時間も必要、と読みました。共感が持てる一句。

家系図の果てに漂う海月かな   よし造
 なんで海月なのだろうと気になった不思議な句。「漂う」は海月についてはいらなかったかもしれませんね。

大通公園ぐいとラムネかな   朱雨
 大通公園という名の持つなんだか大胆で気持ちのいいイメージと「ぐいと」のオノマトペ、そして「ラムネ」。さわやかな一句。「かな」はこの場合、「ぐいと」の躍動感を邪魔してしまう気がします。

ポケットに五月のたまご孵りけり   遅足
 なんだかよくわからないのですが、「五月のたまご」という表現が光りました。思い切って下五をたまごから離してしまったらいいのではないかと思います。

灯台のその先を水脈夏来る   文の子
 「水脈」と「夏来る」なんだかすがすがしくていいですね。ただ、上がやや説明的になってしまったのが残念な気がします。

春の昼隣の人は答え書く   岡野 直樹
 隣の人は答えを書いているのに自分は分からない・・・あせりというよりあきらめの「あーあ」が聞こえて来そうなのは、「春の昼」の効果。うまいなあと思います。ただ、「隣の人」という語は対象の幅が広すぎて、どんな場面か想像しにくくなってしまいます。ご一考を。

夏の月私の中は散らかって   あざみ
 抒情的な感じがします。「私の中は散らかって」。夏の月との取り合わせもミステリアスでいいと思いました。


2009年5月13日
小西雅子ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 桂枝雀の落語『愛宕山』は華やかでした。京都の旦那が、大阪出身の幇間(太鼓もち)と祇園の芸者衆を連れて京都の愛宕山に野掛け(ピクニック)に行き、いろいろなことがおきます。「その道中のお〜陽お気なことお・・・」。これは春先の話。今、その愛宕山は新緑です。春から夏へ、このつなぎ目のころの透明な季節のなか、お寄せいただいたたくさんの俳句。ありがたく拝見しました。

【十句選】

底辺×高さ÷2や雪解富士   朱雨
 すっと現れる富士の山がとても際立ち、美しい光景です。
 若手俳人、森田欣也に「恋×涙=桃の花」という俳句があります。

もうお出ましになりしかな早苗床   吉井流水
 「お出まし」が楽しくて選びました。7・5・5ですが「早苗床」を先にもってきて5・7・5ですんなりまとめるよりこのほうがステキです。

リラ冷えやリルケの埃吹いてみる   小愚
 何て上品な埃なのでしょう。「り」の音の重なりもリズミカルです。やや端正すぎるかもしれません。

手を振って五月の空をはためかす   よし造
 人間の小さな手が、大きな五月の空を動かすというスケールの大きな俳句。抽象的ですが気持ちの良い句になりました。

ゆふぐれや目刺しの背のひかりだし   宗次
 目刺しは朝も昼も光っています。しかし、夕暮れに背(せな)が光りだすと言われればそうかもしれないと納得してしまいました。その光はとても妖艶。

春が行くただそれだけのことなのに   遊雲
 「春」だけが適応する、季語の動かない俳句だと思います。春との別れは惜しんだり哀しんだり感傷的ですが、「行く春」ではなく「春が行く」となると、そのあとの口語のセリフと相まって少し明るい風景が見えます。新鮮でした。

夏みかん夜には夜の色となり   れい
 シンプルで魅力的な俳句です。夏みかんは、どちらかというと「少女」「真昼」というイメージがありますが「夜の夏みかん」はめずらしいです。夜の色が不純をイメージするのではなく、夏みかんのもつ深い味わい感じました。ちょっとお姉さんの夏みかん。

メーデーの少したばこをやめようか   仁
 労働者の国際的な統一行動であるメーデー。最近の日本のメーデーの形態をよく表していると思いました。「少し〜やめようか」はまるで最近の要求や回答のようです。「メーデーの」の「の」はきっと熟慮されたのでしょう。

信号は赤右折なら春夕焼   なづな
 簡潔に状況を説明していて、しかも詩的。「ねえねえ、左折なら何があるの?」と作者に話しかけたくなる魅力的な俳句だと思いました。

訥弁の男が独りほととぎす   こけし
 「特許許可局」「テッペンカケタカ」など、ほととぎす専用のイメージを逆手にとって「訥弁」。「と」音の重なりも有効です。私は特に「独り」に惹かれました。

【次点句】

わごわと預かりものに春の雷   真亜子
 面白い句だと思いました。ただ「こわごわと」がどこにかかるのか不明瞭です。「預かりものに春の雷」がいいフレーズなので「こわごわと」を変えたらいかがでしょう。例えば「宅配の」として預かりものをわかりやすくするとか、まったく別の、例えば「恋をする」などとして切り離すとか。

一枚の雨戸を引くや夏の雨   えんや
 「引く」は「引っ張り出す」ほうだと思いましたが、「引っ込める」ほうにも読めるかもしれません。「一枚」がとてもきりっとしていて好きな俳句です。

狭庭にも春光満ちて妻動く   洋平
 「妻動く」なるほど。いいですね。しかし実際の光景だとしても、「庭に春光」は平凡。「狭庭にも」を「水盤に」「浴室に」「東京に」などなど少し離れたことばを入れてみて表現の自在さをお楽しみください。

指からめあひ行くふたり街薄暑   文の子
 指をからめる。手でも腕でもなく。これこそ街の薄暑。少しリズムが悪いのが惜しいです。

亡びゆく松や戦後史戦前史   遅足
 よく理解できますし上手いと思いますが、これを無季俳句にすると意味がわかりすぎて平凡ではないでしょうか。「はつなつの松」や「葉を落とす松」など季語とのコラボもお考えください。

春昼にドクターイエローを見たよ   岡野 直樹
 笑ってしまいました。この軽さ、このつぶやき。破調ではありますが「見たよ」は以外に存在感がありました。これくらい読者にわからない俳句も楽しいです。

藤棚の下に始まるかくれんぼ   アイサ
 藤棚の下は甘い芳香に包まれた小さなユートピアです。そこからはじまるかくれんぼ。とても不思議な世界です。しかしよくある光景かもしれません。

ピザ届きドアの向こうの緑雨かな   菜月子
 ピザがとても美味しそうで、食べ物俳句の見本のような句です。「ドアの向こう」がやや説明的で残念。10句に採ろうか迷いました。

注意書つい読んでいる藤の棚   無三
 藤の花房がつらつらと書かれた注意書のようで面白いと思いました。「注意書」が何の注意書なのかもう少し手がかりがほしいところです。

木の芽坂大輔ダッシュまたダッシュ   穂波
 「大輔」が松坂大輔でも、わが子でも、犬でもよいのです。突っ走る青春のすがすがしい句。ただ「ダッシュ」のリピートが成功してるかどうか。ちょっと暑苦しいかも。

【気になった句】

★縁側にまどろむ妻や蝶の昼
 妻を見る目にやさしさがあふれています。「縁側にまどろむ」のは昼ですので「昼」は不要かと。
★四車線しばし差止め児の神輿
 風景のよくわかる句。四車線とはほほえましい場面ですね。「しばし差止め」が少し説明し過ぎているかもしれません。
★行列に園児加わり蟻惑う
 園児の行列かと思えば蟻の行列でした。面白い視点です。「惑う」に作者の思いが出過ぎました。
★万緑の隠せる山の括れ腰
 「腰」「括れ」「隠す」。ぎょっ。はっとする句でした。ただ、かの松永貞徳の俳句に「山の腰にはく夕だちや雲の帯」があり、月並みだという人がいるかも。
★夏隣腕に張り付く湿布かな
 新鮮な題材です。シップが勝手に張り付いたようでもあり。ちょっと不快な感じを共有してしまうので残念でした。
★次の世も同じ貌して山椒魚
 山椒魚にもプライドがあるというふうに読みました。「貌して」が「貌なり」と切れているとイメージが広がりそうです。


2009年5月6日
小枝恵美子ドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】

 皆さんは連休をどのように過ごされたでしょうか?私は初夏の風に吹かれながら、街歩きを楽しみました。さて今週の俳句ですが、作者の言い過ぎや見たままの風景などが目立ちました。俳句を作ったあとに少し冷静になって、もう一度作品を読み返してみてはどうでしょうか。ちょっと嘘を加えて作るのも、ひとつの方法です。

【十句選】

研修の引率終えて山桜   菜月子
 新入社員の研修だろうかと想像しました。引率を終えてほっとした静けさの中で、山桜を眺めている、そんな光景が浮かびました。仕事を終えたあとの充足感と、花の美しさとの調和がいいですね。山桜と研修の取り合わせが現代的です。

ゴムひものような四月と思いけり   遅足
 「四月」は花が咲き、鳥が囀り、入学入社などの新しい変化もあり明るい季節ですが、ただ、どこかに不安感もあり、気象の変化も多い時期です。「ゴムひものような」には、伸びて弾むリズムと、どこか微妙に心もとなさも感じられます。読み手に様々な読みを誘引する句ですね。

夕暮れの口のさびしき蟇   真亜子
 夕暮れとさびしさはちょっと付き過ぎですが、蟇蛙の鳴き声を言わずに、口の寂しさに置き換えたのがいいですね。蟇蛙の口がズームアップされて、寂しさの中に、ほのかにユーモアが漂ってきます。

花疲れ数珠屋の猫と眼があひぬ   無三
 花疲れして、郊外の町を歩いている時、数珠屋の店先にいた猫と眼が合った。数珠のようなキラッとした眼かな?と思いますが、疲れていた目が一瞬ドキッとしたかも、と思うと楽しいですね。「花疲れ」と「数珠屋の猫」が古風なようで面白い取り合わせでした。

木の瘤のやうな禽ゐて日永かな   小口泰與
 木の瘤はずんぐりむっくりしていて、そんな禽がのんびりといる風景がユーモラス。「日永」の日差しが禽を包み、気持ちよさそうです。個人的な好みかもしれませんが、「ゐて」よりも「ゐる」とするほうが、禽の存在感が際立つと思いました。

くしゃみして頭なくしたチューリップ   なづな
 くしゃみしたら、頭がなくなっちゃったなんて、とても面白い。チューリップの散り方をこんなふうに表現したのは、お見事!でした。花びらの散った後のチューリップもかわいく感じられます。

桜蘂降るトトロの歯増えている   なづな
 桜蘂が降っている風景の中でトトロの歯がいつの間にか増えている、という作者の想像力が素敵です。桜蘂とトトロの取り合わせも新鮮でした。きっと、トトロ自身も歯が増えてびっくりしているかも。

恐竜展メタセコイアの芽吹きたる   文の子
 メタセコイアの木はイメージが恐竜に近いので、取り合わせとしては新鮮味に欠けますが、芽吹きの清々しさでいただきました。芽吹いたメタセコイアが、今にも恐竜となって走り出すような力強さが感じられました。

行く春やビルの隙間に地べたあり   遊雲
 ビルの隙間に地べたがある、という発見がいいです。地べたが行く春を暗示しているようです。ただ、「に」「あり」が説明的なので、最終的に地べたに焦点がいくようにするともっと良くなると思います。

春の宵右の足から鬼となり   あざみ
 春の宵の艶やかさの中、「右の足から鬼となり」が物語のイントロのようで、ユニークです。なぜ右の足からなのか、という疑問が湧きましたが、たぶん右足のほうが一般的なのでしょうね。ともあれ、強引に納得させられてしまう感覚がこの句にはあります。

【予選句】

花の下五百羅漢の声高し   まゆみ
 五百羅漢の声が高いと騒音になりませんか。せっかくの花の美しさが台無しになってしまいます。「高し」を省いて、声だけで表現を考えて下さい。

午後からは株価上昇竹の春   茂
 「竹の春」は秋の季語です。春は「竹の秋」です。「午後からは」の「は」は、午前中よりもと強調していると思われますが、「午後からの」とすると、株の動きを臨場的に表現する効果が出ます。

窓に干す赤きエプロン風薫る   えんや
 赤いエプロンが風に揺れているのを見ると、いい気分になりますが、風景としてはちょっと平凡です。

鉛筆の削り香ゆかし春の宵   洋平
 鉛筆を削ったときの木の香りと「春の宵」との取り合わせがいいのですが、「ゆかし」が言い過ぎですね。

木像の痩せたるあばら日永かな   宗次
 「痩せたるあばら」が理解しにくいです。「あばら」だけで十分伝わります。木像のあばらと日永の取り合わせが面白いです。

水滴が重くてチューリップ鈴になる   岡野直樹
 「て」「なる」が原因、結果報告になっているのが惜しい。チューリップが鈴になる、というのは面白いので、もうちょっと工夫して下さい。

子育てを 若葉のそばで カラスかな   柿子
 見たままを五七五にされたのですね。「若葉」という季語と、子育て中の烏とを取り合わせる方法を考えて下さい。若葉の柔らかさと子育ては、初々しくていいですね。

惜春やバリカン当てるオペの朝   草子
 「惜春」に、ご自分の思いを出し過ぎています。季語はさらっとしたものを持ってくると、中七からの言葉がいきいきとします。