「e船団」のドクターがあなたの俳句を診断したものです。


2009年10月28日
えなみしんさドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】

 今週もたくさんの投句ありがとうございました。ことし5回目のドクターです。今年もあと2ヵ月あまり。10月23日は霜降(そうこう)ですが、15日後の11月7日には立冬が控えています。でも、天気のいい昼間はまだTシャツで歩いています。体感もそうですが、食べ物(特に野菜)から季節が消えつつあります。二十四節気を見て、季節を感じる。なんか、情けないハナシではありますが。

【十句選】

なみなみと「文政六年」てふ新酒   大川一馬
 文化文政といのは、11代将軍家斉の御世で、江戸がもっとも栄えた時期。その「文政六年」という固有名詞が、イメージを膨らませて、酒がうまそう。「なみなみ」もいい。わたし江戸フリークなので、よけいにそう思うのかも。ネットで調べたら石川県白山市の車多酒造、「天狗舞」の蔵元が生まれた年で「文政六年」というブランドもありました。

冷やかな指にちぎりしフランスパン   遅足
 やせぎすのきれいな女性が、ちぎったフランスパンを手にしている姿が浮かんできた。考えてみると、「冷やか」は秋の季語。季語的に解釈すると冷えている指だが、「冷やかな指」には、理性的で、計算高い、たとえば女性の1Tベンチャー社長の指のようなイメージがある。となると、食事してるのはミッドタウンかもな〜。

ここよりは薄野となる県境   悠
 実景を見ていたら「ここよりは県境となる薄原」なんでしょうが、これでは報告。言い方を変えてみたら、薄野が目に浮かぶように感じられました。

南州も片睾丸や秋の暮   頓坊
 「片睾丸」「南州」が気になる句でつい取ってしまいました。「南州」は西郷さん、西郷さんは睾丸が人の頭ほどの大きさになる象皮症になったそうなので、「片睾丸」とはで、それで、片っぽの睾丸を取ったという事でしょうか。難解なので、鹿児島での句会向け。東京の句会だったら電子辞書あっても、調べられなかった(笑)。

骨のみとなりし秋刀魚やマタイ伝   無三
  骨だけになった秋刀魚を見ていたらイエスの血と肉を思い、マタイ伝を連想したという飛び方(俳句では取り合わせとも)が面白かったです。

右側に寝るつもりなり月が邪魔   あざみ
 「右側に寝る」の具体性と、「月が邪魔」の取り合わせが面白い。昔あったという新宿2丁目の赤線のようでもあるし、源氏物語のようでも、萩原朔太郎のようでも、あがた森魚(知らないでせう)の不思議な歌の世界のようでもある。

ぐしゃっと座る女友達雁来紅   あざみ
 「ぐしゃっと座る」のは、あの座り方。昔、義太夫語りは、こう座ったんだそうです。音の聞こえてくるようなオノマトペです。「雁来紅」は知りませんでした。ガンライコウ(雁来紅)で,雁の渡ってくる頃に色づくという意味で葉鶏頭の別名。季語を知って読むと、さらにいいですね〜。

芋嵐男ってさあ団子です   あざみ
  取り合わせというのは普通、コトとコトで構成されるのですが、この人の句は、文体の取り合わせもあって自在です。具体的には、俳句言葉の名詞「芋嵐」、「〜さあ」のくだけた口語、「です」の丁寧言葉がとりあわせてある。仲秋の名月は、芋名月というように、芋嵐にはこの時期の風という季節感があり、団子も、どっかでつながっている。意味は特定できなくても、いろんなイメージがわいて、なんか、痛快な句だな〜と思う。

間引菜や寝返りできぬ人のこと   あざみ
 「間引菜」がやや近いのだが、この季語だから伝わる句。「寝返りできぬ人」とは、重病の人、介護されている人などでしょう。「人のこと」の後は「考えている」などが省略されていると読みました。鑑賞を書くとヤボになるので書きませんが、弱者を思いやる句と読みました。

父母の亡き夜の虫の声爪を切る   兵太浩
 「爪を切る」が良かった。昔、父母が元気だった頃も、ここでこうやって爪を切ったんでしょう。フボノナキ/ヨノムシノコエ/が、ごちゃごちゃで読みにくかった。「夜の」がなくても大丈夫なのでは。

【次点句】

闇米を運びし頃や秋の暮    せいち
 「闇米を運びし頃」が妙に新鮮(笑)。「秋の暮」がやや安易な気がして選に至らず。

茸山誰かが嘘をついている   遅足
 たぶん、12文字を先に思いついたのでは。松茸の山などを連想する季語が愉快。

ひとり居や排卵の魚ゆらり秋思   草子
 思わせぶりだが焦点が絞れなかった。「ひとり居」がいらないのでは。

団栗と消しゴムコロリ逃げてゆく   岡野直樹
 消しゴムは、すぐに机の上から逃げる。ドングリもそう。絵本みたいな句で好き。ゴムコロリのカタカナ連続が読みにくいので、「消しゴムと団栗コロリ」とするのはどうか。

新米や塩辛イクラ海苔梅干し   岡野直樹
  新米と合うおいしいものを並べた。アイデアはいいが、チョイスがいまいち。読んだとき口がごももごで、言葉がきれいではない。

【気になった「し」】

 ちょっと気になった文語の「し」。これは、過去の「き」の連体形です。口語の「た」(曲げた首、錆びた家、曲がった腰、など)とは違います。気にしすぎる事はないのですが、知って使った方がいいでしょう。具体例をあげて説明すると・・。

 「青天に逆さに干せし落花生(山渓)」は、「干したる」とするのが正しい。が、字余りになってしまうので、ここでは「干せり」「干して」などで言葉を7つにするのがいいのでは。
 「曼珠沙華パイプに映えし曲がり角(亭々)」では、「映えたる」が正しいが、「映えて」と「て切れ」にするなどの工夫か。「菊日和低音支へし十七弦(勇平)」も、同じ。

 ただし、十句に取った「骨のみとなりし秋刀魚やマタイ伝」「冷やかな指にちぎりしフランスパン」は、無理なく収まっているし、「たり」にはしたくないので、これで良しとする所でしょう。

と以上まで書いて、名前の入った句一覧をみてびっくり。あざみさんを4句も選んでしまいました。「間引菜や〜」は、あざみさんではないと思っていたのですが。選ばれなかった方、わたし一人の選ですし、見落としもあると思います。がっかりせずに、またの投句をお待ちしています。


2009年10月21日
朝倉晴美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】

 みなさま、こんにちは。今回も沢山の投句をありがとうございました。続けて出して下さる方も多いようで、ドクター冥利につきます。
 選をさせて頂くことで、いろいろなことが勉強になるのですが、この度は、様々な「秋」の捉え方を感じました。特に、私にはない季語への感覚というものが、とてもうれしい発見でした。思いつかない取り合わせなど、季語への感情が増えたように思えます。
 今回は、少しわがままな選かもしれませんが、「ハッとするような季語の使い方」に焦点をあてたつもりです。もちろん、十句すべてではありませんが。
 俳句が、俗、市井の文芸である以上、常に変化していくべきであるとも思っています。季語を、これまでとは違う扱いをする冒険も必要でしょうから。(本意を崩すという意味ではありありません。)季語の新しい魅力を引き出すことができたら、という思いです。

【十句選】

枝豆や噂話きりもなし   涼
 枝豆らしい一句です。少々、「きりもなし」の掛詞が分かりすぎるのが難点でしょうが、「枝豆や」の「や」切れがそれを軽く払拭していそうです。所詮、枝豆を食べながらの噂ばなしなんで、どうってことないんだわ、というありふれた、しかし平穏な日常が伺えます。

さあレモンぐいぐい搾り忘れろよ   せいち
 分かりすぎる表現ですが、レモンでなければ、生きてこない表現ということに一票を投じました。それと同時に、秋の爽やかさが十二分に出ています。レモンは、以外に皮が硬く、絞りきるには力がいります。その力任せな行為もまた、絞る人物の心情が垣間見え、想像が楽しい一句です。

冷ややかや貴族のように茹で玉子   遅足
 「貴族のように」は、賛否あるとおもいますが、ゆで卵のそんなあり様もあるかな、と思いました。秋の冷ややかさと、茹で玉子のつるりとした触感。剥き茹で玉子は陶器のようにも感じますから、季語と合わないことはないと判断しました。冒険のある表現が魅力でしょう。

秋刀魚焼く力道山というレスラー   無三
 「力道山」、偶然にも、つい先日、同僚との話題でした。世代的には、40代後半じゃないと、「生」の力道山の印象はあまりないかあと。それでも、知識としては、30代にも周知のようです。個性的な黒タイツ姿のイメージですが、秋刀魚を焼くという、平凡な出来事との取り合わせが、面白く感じました。強烈なレスラーが登場していても、我が家は変わらず、秋刀魚の日常、といったところでしょうか。

日暮れ来てひとり悲しきカマドウマ   ポリ
 「カマドウマ」が大変生きている秀句です。秋の虫ならば、何でも良いようでそうではありません。ここでは、断然「カマドウマ」です。決して、愛玩される類の虫ではなく、しかし、竈という字にもあるように、家内にしょっちゅう出没する虫。〈夜のいとど夫婦が交わす言短か 石田あき子〉とあるように、どこか物悲しさがあるようです。

マラソンの給水場所に彼岸花   桔梗
 こちら、お見事な一句でしょう。目に鮮やかに、動きも豊かに、秋の爽やかで活気のある一場面が生き生きと表されています。マラソン、給水場所、彼岸花、素晴らしい取り合わせです。

朝寒や思い浮かばぬあの名前   真亜子
 思い出せない名前、、、人名に限らず、多々、名前が出てこないことを意識しだすのは何歳くらいからなのでしょうか。すでに、わたしにも多くあるのですが。朝寒という季語ですから、淋しいようで、そう深刻でもないのでしょう。自然の摂理のひとつ、、、といった風に受け取れました。

庭下駄の踵はみ出す十三夜   茂
 庭下駄と十三夜、踵がはみ出すことで、大変お上手に、句の世界を広げています。定番な句になりそうな十三夜を、少し俗っぽくはみ出すことによって、句が生き生きとしています。また、秋の踵は決して美しい踵でなないかと、、、例えば乾燥肌であったりと女性であっても手入れを怠った足。十三夜の庭下駄ですから、多分に裸足。月はきれいで、それを愛でる庭もあり、しかし、私の踵はひび割れて、、、とまで読むと少し過ぎますが、季語が楽しく生きている一句です。

山小屋のガスメーターに烏瓜   錫樹智
 こちらも、山小屋、ガスメーター、烏瓜、この取り合わせが良いです。山小屋付近にある生活観と、烏瓜に表現されている山らしさ。蔓植物で、紫の果実も句の雰囲気を楽しいものに仕上げています。絶妙な取り合わせで、魅力ある景色を表現されています。

「どうして?」と矢継ぎ早なり鰯雲   草子
 このような、表現技法を良しとするかどうかは、悩みますが、鰯雲とのマッチングにひかれ、選致しました。「質問は(の)矢継ぎ早なり鰯雲」とも出来ますが、どちらが魅力的かは難しいところでしょう。鰯雲の着眼がなんといっても優れた感性です。

【次 点】

☆軽やかに半身預けて夏の果て   涼

☆京九条開かずの門にひそむ秋   大川一馬

☆毛布掛け猫注意と貼紙す   えんや

☆秋空の鳩のお腹のやはらかき   ポリ

☆秋光をはたき落として父帰る   錫樹智

【予 選】

☆色鳥や手漉きの和紙の水の音   学
 「の」の連続に推敲の余地が。
☆落選のオリンピックや今日の月   大川一馬
 「満月やオリンピック候補地落選す」字余りですが参考まで。

☆ヨロヨロとコンバイン去りて赤とんぼ   すずすみ
 上五、工夫した表現を。

☆約束は死後のことなり車前草   遅足
 「死後のこと約束などし車前草」ともできます。

☆音たててドア閉めてゆく良夜かな   遅足
 「ドア閉める音大きくて(音の大きく)良夜かな」、ご参考までに。

☆登れば芒下れば芒のハイキング   無三
 「登れば芒下れば芒」は「登らば芒下らば芒」「登りて芒下りて芒」では、違ってくるでしょうか。助詞「ば」の用法が、特に古典文法では難しくはあるのですが。現代文法では「登っても芒下っても芒」も可能です。名句〈分け入つても分け入つても青い山 種田山頭火〉を連想させますが。

☆階段を猫踏みはづす良夜かな   えんや
 少し、説明が多いでしょう。

☆角右折三軒先金木犀の家   子帆
 金木犀がありふれているでしょうか。

☆暁の月見の主役尻尾振る   茂
 動物を限定すると情景が分かりやすいかもしれません。

☆空き部屋の小窓にとまる秋の蝶   茂
 句材がそれぞれに甘いです。

☆をみなより絵文字のメール小鳥来る   文の子
 「おみな」が成功しているようで、少々癖があるようで判断に迷いました。

☆新米や内定社員集ひゐて   文の子
 新米、内定社員、付きすぎでしょう。

☆曼珠沙華666でできている   岡野 直樹
 折角の「666」。もっともっと愉快な表現で。

☆歩道橋かるがる越えて虫の声   緒紅
 「かるがる」にもう一歩工夫が。

☆秋晴れの天国行きの切符買う   遊雲
 「秋晴れや」ではいかがでしょう。

☆救急のヘリが月夜に着陸す   頓坊
 不謹慎かとも思いながらも、月夜の情景がリアルで美しさを感じます。

☆台風の都心地下鉄爆走す   錫樹智
 面白い一句。情景に無理を感じる読者もいるかも。

☆トラックに団栗を踏む競技場   錫樹智
 句材が新鮮です。語順を変えるなど表現を工夫されると、より良くなるはずです。

☆ミゾソバのどどんと寄せる田んぼかな   豊田ささお
 「田んぼかな」のご推敲を。

☆リモコンに操られたる秋思かな   浮游子
 中七下五の表現に推敲の余地がありそうです。


2009年10月14日
南村健治ドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】

 電車の窓からお墓が見えた。線路の際、高く伸びた木々と民家に遮られよくわからないが古そうなお墓だ。こんもりと円墳のような地形をしていて、墓参用の通路だろうか、草むらに一本の道が見える。墓の数はたぶん、十数基。
 あるとき、全景が見たくなって近いと思われる駅で降りたが、お墓に通じる草むらの道が見つけられない。「お墓へはどうやって行くのですか」とも訊けず、でも、やっとの思いで、小道を見つけ、墓所を登った。想像していたよりも広く、木々が墳墓全体を覆い、墓の数は五十くらい。それは、まず最初はこのあたりがいいね、ということでお墓が作られ、じゃあ、今度はウチの家の墓はこのへんで、という具合に増えていって、五十基ぐらい作られたところで、時代が変わって素朴さがそのまま残されたという感じ。小さなお地蔵さんや羅漢さんもおられ、覗きこんでいると頭にコツリと何かがあたった。オッと思ったとたん木の実が転げ、ずんぐりとしたお墓のてっぺんにあたって跳ね落ちた。おやおや、辺りは木の実でいっぱい。にわかに辺りが賑やかな所になった。こつんこつん、ころんころん、木の実がお墓や羅漢さんにあたり、それはそれは愉快な墓場。えっ、場所はもちろんヒミツです。
 では、10句選、と、その前に、まったくの私用です。ボクが関係している釣りクラブのブログが出来ました。ヤフー検索「阪神沖釣クラブ公式ブログ」で項目がでます。俳句のハナシもお墓のハナシもたまに書きます。覗いてみて下さい。

【十句選】

どんぐりやころんと吾の転びけり   せいち
 滅多にないが、道を歩いていて、エッという感じで躓いた様子でもないのに人が転ぶのに出会うことがある。怪我はしなかったのか、、、と心配になるが、でも、そんなことはなかったかのようにピョコンと起き上がってそそくさと歩きだす。「どんぐり」という季語があって、ころんとピョコン。そんな様子が浮かんだ。

すじみちをたてて涙はながれます   遅足
 実生活において、正論というか義憤にまみれての涙はボクにとっては実は厄介。手の施しようがない。とくにこんなふうに言い張る人は尚更のこと。でも、俳句ならOK。「涙」をこんなにぼろぼろと真正直に流すのは格好がいいから。

空蝉や次の男は筋肉質   あざみ
 では、前の男は、、、草食系?その前は、いや、次の次は、、、移り気というのではなく、業でもなく、成り行きとして次の男が現れるのか。生き物の生きる営みのはかなさ、あわれさの象徴としての「空蝉」だが、そんな情感を捨て去ったような気配が濃い。

袋ごと渡されたって秋の虹   あざみ
 漠然としていて好みが分かれる句、というか、俳句になっていないという意見もあるはず。でも、ポンとこんなふうに言われて(書かれてあって)みると、かなりオモシロイ。充分に俳句だ。塩見恵介の句集「虹の種」に誘発されて、袋の中身は秋の虹の種、一粒でいいのに袋ごと渡されたってこんなにたくさん、、、、物悲しさが募るだけなのに、、、、、と読んだ。

七草の一つが欠けて男郎花   文の子
 女郎花が手に入らなくて男朗花で済まそう、と言う。洒落ていると判断するか、計らいのみえる句ととるか、う〜ん、どうなんだろう。大阪人としては「オトコオミナエシではアカンやろ」と突っ込みを入れてみたけれど。

天高し向きを変へたる飛行船   しんい
 ゆったりと流れるように飛行船が飛んでいる。目で追っていると少しずつ向きを変え始めた。ただそれだけのことだが、のびやかさと爽快感にあふれる句。

月今宵こんなに貧乏でもいいか   遊雲
 いいのです。

枝豆に支柱している誕生日   ACACIA
 こういう無邪気というか、衒いのないというか、熱心にというか、しみったれというか、極楽というか、無欲というか、ころあいの幸せというか、純真にというか、今の世の中、そんな誕生日の迎えかたがほのぼのとして凄い。

コスモスの揺れてヨハン・シュトラウス   勇平
 単純構造。「て」一文字で俳句が成り立っている。「て」を嫌うひともいるが、ボクは肯定派。場面を転換させるのにかなり有効な手。この俳句、もっと互いの(取り合わせの)距離が離れてほしいのだが。

秋晴や沖の彼方の摩天楼   浮遊子
 普通は「沖の彼方」にあるのは水平線。しかし、彼の人はそこに「摩天楼」を見る。秋晴れの下に見る。天を突きぬけた摩天楼をはっきりと見る。不思議な一句に魅力を感じる。

【予選句】

☆日の寂て山に隠れし芙蓉かな   太郎
☆庭を掃く帚の音や秋涼し   たけし
☆身に入むや背向いにみゆる弥陀の影   真亜子
☆秋の昼回転寿司の皿は空   遅足
☆今生まれ今消えなんと朝の露   れい
☆Tシャツとブーゲンビリアの揺れる庭   郁子
☆スイッチはみんな乳首だ鱗雲   あざみ
☆稲刈りや田に車座の握り飯   山歩
☆通せんぼする蟷螂の丈二寸   雅
☆花野につくまでに乙女になっていた   紅緒
☆観音の白き幟や谷戸の秋   洋平
☆柿釜の白和えに酌む獺祭忌   しんい
☆柚子の香や親の介護の立ち話   戯心
☆秋の暮運命選をなぞり見る   悠
☆床板の木目をたどる夜長かな   岡野直樹
☆虫の声白き閃光放ちけり   リーフ
☆救急車満月ひとつ子に残し   草子
☆秋祭吉田拓郎聞きをりぬ   浮遊子
☆烏賊を干す手紙を干すが如くなり   浮遊子
☆薄の穂ワイングラスとチョコポッキー   ロミ
☆金木犀こぼるる手を振り別れたる   豊田ささお
☆金木犀母の墓へと続く道   豊田ささお


2009年10月7日
星野早苗ドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】

 運動会やピクニックなど戸外で過ごすのが楽しい季節になりました。それだけに、休日のお天気が気になりますね。秋の空は変わりやすいものの代表のように言われていますが、さっきまで晴れていても急に降り出したり、霧に襲われたり…。けれども、それはそれで楽しめれば、と思います。ハプニングの多いお天気こそ、俳句日和かもしれません。

 さて、今週は125句の中から。

【十句選】

京の秋一筋奥の飴の店   大川一馬
 京都には大通りの一筋奥に昔ながらのお店が残っています。それが飴の店なのがいいですね。手まりなどを模ったり捩ったり。色とりどりの飴が、秋の澄んだ空気の中で美しく、固くおいしく感じられます。 そんな飴の店の簡素な佇まいが、作者の発見した「京の秋」なのでしょう。

秋の雲分水嶺を動かざる   遅足
 秋は雲の造形が面白い季節です。刷毛で掃いたような薄雲もありますが、この雲は多分、羊雲系の存在感のある雲でしょう。その雲が尾根を離れません。見たままの句なのですが、作者はあの尾根は分水嶺、と知っているのです。それを、雲も水分を補給しているのかと、面白く感じました。登山者にとっては、視界を遮る迷惑なガスに違いありませんが。

花野ゆえ道なき道を進みたり   合
 言われてみればその通りなのですが、「花野ゆえ」の強調に、人生の秋の「花野」をふと感じさせられました。道なき道を進まないといけないのはここが花野だからなんだなぁ、という作者の感慨が伝わります。美しく平坦な花野にも、道なき道を行く険しさはあるのです。勿論それを楽しいと感じて居られる作者なのですが。

名月を背におもたせの銘菓かな   茂
 「おもたせ」は、子どもが個人のお家に招待されたときに持たせるお土産のことでしょう。お月見(或いはお泊まり会でしょうか)によばれた子どもに、心づくしの銘菓を持たせられたのですね。子どもには銘菓の価値は分かりません。相手方にも伝わるかどうか。けれども、名月に銘菓があるのは嬉しいことと思いました。

実紫かな文字だけの祖母の文   玄海
 私の祖母も小学校は四年生までしか出ておらず、文字はカタカナしか書けませんでした。かな文字の手紙というと野口英世の母シカの手紙が有名ですが、書くことの苦手だったろうこの時代の女性の手紙にはそれだけに実がありますね。作者は訥々とした祖母の文に、心打たれるものがあったのだと思います。

秋の雲ベンチに置きしベビー靴   さくら
 ベビー靴は淡い色で、小さく柔らかく軽く、まだ歩けない赤ちゃんのものではないでしょうか。お出かけに初めて靴を履かせてもらった赤ちゃん。でも、公園に着けば、抱っこかハイハイで靴は必要なかったのでしょう。それで、ちょこんとベンチに置いてあります。秋の雲とベンチの上のベビー靴に大小のコントラストがあり、いい風景だと思いました。

舌出して秋風舐めるニューヨーク   浮游子
 ニューヨークの秋風は甘いのか苦いのか…。舌を出したアインシュタインの写真は有名ですが、ロックミュージックなどの舞台でも長い舌をべろりと出す場面が見られます。ニューヨークの街中を歩いていて、秋風にふと舌を出してみたくなったのは、街に対する挨拶だったのかもしれません。ニューヨークという自由の女神の立つ街の名には、舌を出して秋風を舐めてもいいじゃないか、と思わせる力がありますね。

かねたたき地球は浮いて回ってる   せいち
 「地球は浮いて回ってる」は自明のことのように思われますが、果たして何から浮いているのかと考えると分からなくなります。或いは何が地球を浮かせているのでしょうか。秋の夜長、チンチンという鉦叩きの音を聞いていると、真っ暗な宇宙の中で、ぽっかり浮かんで自転している地球の孤独な姿が見えてきます。鉦叩きの音が地球を回すお囃子のようにも感じられますね。

今日何を釣るでもなくて鯊日和   無三
 鯊日和と俳句ではよく使われますが、鯊が多く釣れる頃の秋晴れの日を言うのでしょう。今日は何を釣ると決めて行く訳ではなく、釣りを好きな作者はただ釣り人になりたくて出かけて行くのですね。お天気にも鯊の名を付けた釣り人たちとの意気込みの対照が面白いと思いました。それも穏やかな鯊日和のすごしかたです。

なだれ打つ芒の原や人消ゆる   豊田ささお
風に波打つ芒に遠ざかる人が隠されてしまった、と読むと平凡な句なのですが、や、で切れていることを考えると、なだれ打つ芒の原の激しいイメージと人消ゆることのあっけなさがとても大きな落差を持って感じられます。人消ゆるの不条理は、人類全体の儚さを言っているのかも知れません。


2009年9月30日
早瀬淳一ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 みなさん、こんにちは。
 夏休みに湯村温泉の近くのログハウスに家族で2泊してきました。1日目の夜はお肉で、2日目の夜はシーフードで、私の大好きなバーベキューを満喫しました。
 8月末の但馬の夜は、うるさいくらいの虫時雨。それを聞きながら、夜一人起きて、芋焼酎をちびちび。そうだ、一度バーベキューをしながら句会をしたいですね。

【十句選】

プチ整形枝豆ぴっと飛び出して   なづな
 シリコンを入れたりしないインスタントな整形は男子の間でももう一般的になったのだろう。就職試験の面接の前はいっそう増えるとも聞く。そのような現代風俗を扱い、飛び出す枝豆を軽快に取り合わせたところに、ナンセンスさ、少しの皮肉、笑いを感じた。まぶたに入れた小さい物もぴっと飛び出したりして。

二人とも永遠の嘘落葉ふむ   兵太浩
 恋人か、夫婦か。男女というのはどちらも宿命的に永遠につきとおすしかない嘘を持っているものだろう。(家内が読んでいませんよう)。その本質をずばっと外連見なく提示し、後は落ち葉を踏む音のみ。コワかっこいい。

幅広の油ノ小路秋暑し   大川一馬
 勝手に京都を思いましたが、本当にある小路でしょうか。京都の小路は大概狭いが、少し幅の広い小路があったのだろう。油ノ小路という地名といい、幅広のという形容といい、とてもリアリティがあり、雰囲気がある。といって、俳句では何も言っていない。ただ秋暑し。京都の小路に行ってみたくなる。

秋澄むやボトルシップの航海中   茂
 ボトルシップは、中に船の入ったガラスの置物。しかし、置物そのものが航海するより、中の船が航海するイメージの方がおもしろい。季語が近いと言われるかもしれないが、秋、空気が澄んでくると瓶の中の船はそろって航海に出るとしたら、楽しい。

窓開けて台風一過の目玉焼き   山内睦雄
 前回も台風の目の中で黄身を落とす、という句があったので少し迷ったが、私はこの句の方が好き。台風一過の澄み切った空に窓を開け放ち、豪快に目玉焼きを作る。とてもおいしそう。

陶器市抜きん出でたる草の花   藤原 有
 何でもない、だからこそ俳句的な光景。秋の射すような日差しの下、暇そうな陶器市が続いている。その列は以外と長い。地べたに敷いた茣蓙の後ろには生け垣か植え込みが続いている。その途中に一カ所だけ刈られずに飛び出た草の花。日差しの暑さを感じる。

稔田や勝手口より村はずれ   山渓
 すぐ横の田圃では稲が揺れ、蜻蛉や蝗やバッタ達が忙しい。勝手口から出るとすぐ竹藪や雑草がぼうぼうとして見えなくなっている道。難しいことは何にも言っていない。でも漂ってくる詩情。俳句ならではの味わい。

リネン庫に秋風入れる山の家   錫樹智
 忙しかった夏のシーズンを過ぎて、ほっと一息の山の家。リネンを仕舞った部屋の空気を入れ替えるために開けた窓から吹き込んでくる秋の風がたまらなく気持ちがいい。リネンという言葉の響きも清潔で、ロマンチックで心地いいリズムが耳に残る。

温め酒黒い鞄と黒い靴 ロミ
 少し季節は早い感じだが、シンプルに切り取られた景が印象的。山間のロッジの、寒さの迫った夜を思わせる。皺のいった大きな黒い鞄、泥の付いた少しにおうような黒いズック靴。動詞の全くない(叙述されていない)俳句の強さを教えられる。

秋曇カメラ屋の雨戸閉じしまま   豊田ささお
 中八が惜しい。たぶん実際に見られた光景なのだろうが、俳句としてはカメラ屋の替わりに、トリ屋、飴屋など3字の言葉を考えられたら。私の大好きな商店街も、少しずつ閉じられるシャッターが増えているような気がします。

【予選句】

飯粒を数えて二百十日朝   なづな
 飯粒を数えていたら二百十日だったという所在なさがいい。朝がどうか。

ひぐらしや能登の白波限り無し   小口泰與
加賀の地や白萩池に散りこぼれ   小口泰與
 ともに、悪いところは一つもないが・・・という句。

孤独なれどひとりにあらず秋高し   朱雨
 前半がやや重いが、秋高しで救われている。

秋天の露一粒や乙女像   学
 金剛の露ひとつぶや石の上(飯田蛇笏)がすぐ思い出される。露は秋の季語なので「秋天の露」も気になる。

秋小鳥掃き均さるゝ土俵かな   学
 小鳥は秋の季語なので、小鳥来る、でいいのでは。掃き均さるゝ土俵かな、は田舎の土俵を思わせ、いい感じ。

祖父母より西瓜が嬉し里がえり   兵太浩
 残酷な子どもの本音がずばり言われていて、おかしいが哀しい。

篆刻の角々四角風の秋   茂
 篆刻の角々四角、は面白い目付。風の秋、とした意図は?

野良猫の住家探して竹の春   菊美
 竹の春の頃の、暇な感じがいい。

秋の雲カープに負けて空を見る   菊美
 まさにタイムリーな句。阪神には、借金のあるチームが日本シリーズ進出という珍事を期待しているのですが・・・

蜩や少し薄めの墨をする   山内睦雄
 墨は濃い方が普通美しいが、薄い墨、というところにある感情を感じる。

蜩やタンゴは上手く踊れない   山内睦雄
 タンゴは上手く踊れない、という歌がありましたか。少しクスッとなれる。

行く秋の顔の溶け出す洗面器   遅足
 洗面器の水に自分の顔が映って揺れているのだろう。でも一瞬ぎょっとする表現。

寺の秋堂々巡りする子かな   ポリ
 ほほえましい光景。寺と堂々巡り、も言葉遊びのようでおもしろい。

白き尾の揺れて消え行く花野かな   ポリ
 何の尾かわからないが、何となく印象的な光景。

よその庭通り風船葛見に   藤原 有
 普通に通れるよその庭というのが、とてものどかでいい。

秋の雲カールおじさん笑ってる   岡野直樹
 お菓子の袋のひげ面のおじさんか。愉快な気分にはなる。

教室をかき回しては蜻蛉去る   岡野直樹
 臨場感はあるが、事実だけで終わってしまった感じ。

猫じゃらし咥えてもどる収穫祭   紅緒
 猫じゃらしをくわえるところに作者の気分がでている。

秋分のゆっくり落ちる砂時計   遊雲
 の、ではなく、や、で切ってはいかが。後半はすでにいわれた世界か。

おが屑に肩の出ている林檎かな   錫樹智
 リンゴの肩って?そこにおかしみがある。

脊髄にピストル響く運動会   錫樹智
 少し大げさな言い方。それが、予想外に大きかったピストルの音を物語っている。

ゆっくりと話す男の肩に月   あざみ
 この男に信頼と好感情を持つ作者の感じが伝わってくる。

円卓をぐるぐる回す真葛原   あざみ
 原っぱでぐるぐる回す円卓って、不思議な感じが面白い。

【ここが気になる】

☆大好きなすすきに触れて月を待つ
 ・・大好きな、がストレートすぎ。

☆「きらきら星」鳴らし新米炊きはじむ
 ・・鳴らし、はかけて、か。

☆雁の荒磯に鉄路ありにけり
 ・・雁の荒磯、がイメージを結びにくい。

☆肉体に風を刻みて秋ロード
 ・・秋ロードが苦しい。

☆京の町五重塔の秋指して
 ・・秋指して、が抽象的。

☆鳴滝や眼下の町に秋の塔
 ・・一読、作者の立ち位置がわかりにくい。

☆東京湾秋の片隅大空母
 ・・片隅に大空母が入るか。

☆消火して部屋中白き秋刀魚かな
 ・・消火、が消火器をかけたように感じる。

☆アイマスク耳栓ギス鳴く仮眠室
 ・・ギス鳴くがわからない。

☆右手さえ届けばゴール星月夜
 ・・状況がつかみにくい。

☆秋桜遠山揺れて雲揺れて
 ・・視点が定まらない。

☆新蕎麦を食ぶ剥製の鹿の傍
 ・・あまりおいしそうではない。

☆放哉の見しよい月か吾に照る
 ・・すっきりしていない。

☆マニキュアの指先光り秋踊る
 ・・秋踊る、がぼんやりしている。

☆ブラウスの胸元清(すが)し天高し
 ・・形容詞が2つなので、季語を体言にしたい。

☆虫すだくただ歩むべし明日もまた
 ・・感慨で終わっている。

☆半袖と長袖吊るし愁思かな
 ・・ただ事で終わっている。

☆耳鳴りのしつこき夜や鉦叩
 ・・どちらもうるさい感じ。

☆玄関の護符にもまして椿の実
 ・・にもまして、が説明。

☆秋の蝉川の向こうの山暮れる
 ・・景色が平凡。

☆一途さは家系なのかも貴船菊
 ・・自分で一途とは言わない方が。

☆野に出でて思案に暮れる稲雀
 ・・擬人法が成功していない。

☆いわし雲戦後のながき国に住む
 ・・よく言われたこと。

☆透明に秋の通話の来たりけり
 ・・通話が来る、は少し無理では。

☆古希迎え何を恨まん秋の風
 ・・何を恨まん、は俳句では言わない方が。

☆梨をむくしたたる雫の甘えたさ
 ・・甘えたさ、がどうか。

☆静かさや議事堂の前今朝の秋
 ・・3段切れ。説明。

☆青き空広がりて行く松手入れ
 ・・青き空広がりて行く、が平凡。

☆九月来る季語を拾ひてまた生きる
 ・・また生きる、が感慨。

☆流れては心とどめぬ秋の雲
 ・・流れては心とどめぬ、が主観の吐露に終わっている。

☆一匹で世界を統べる蝉法師
 ・・飛躍が少し無理では。

☆無人ピアノ月光のスキップしてるキイ
 ・・自動ピアノ?月光とピアノはつきすぎ。

☆草原ゆく頬に艶あり毬の栗
 ・・頬に艶あり、が作者なのか栗なのかわかりづらい。

☆稲架立ちて郷愁そそる昨日今日
 ・・全部言ってしまった。

☆秋の湖金の衣や古城たち
 ・・全部言ってしまった。

☆木の実ふる大聖堂の石だたみ
 ・・情景があたりまえ。

☆千の風なかの秋風君の声
 ・・風が多すぎ。変化が欲しい。

☆蛇穴に入れば一村仮眠せる
 ・・仮眠せる、はいっそ深眠り、ではいかが。

☆ファンの音せわしく白露過ぎにけり
 ・・ファンの音せわしく、が読後感よくない。

☆秋の夜や僧の美声がむなしくて
 ・・むなしくて、が言い過ぎ。

☆スタートの白線眩し秋日和
 ・・光景がわかりすぎ。

☆無花果の汁にまみれし手を洗ふ
 ・・報告。

☆露草の休耕田にはびこれり
 ・・報告。

☆恋ふる地を声明として法師蝉
 ・・蝉が恋ふる地、は言い過ぎ。

☆ぐい呑に菊一片を浮かべ酔う
 ・・ぐい呑に菊一片や○○○としたら。

☆青鷺のナルチシズムを波許す
 ・・鷺の事情に立ち入りすぎ。

☆天高し回らない寿司食べに行こ
 ・・わかりやすすぎ。

☆腰かけに手頃な石や秋日傘
 ・・穏やかな日常でほっとする。

☆天国の階段ありぬ大花野
 ・・発想がいままでにありそう。

☆すぐ脱げる格好で待つ秋祭
 ・・何を脱ぐのか、迷ってしまう。

☆デスマスク母の貌似て夏の蝶
 ・・母のデスマスク?誰のものか?

☆露西亜語のエンド・ロールや健二の忌
 ・・露西亜と健二が結びにくい。

☆バックシャン雲間に隠れ今日の月
 ・・バックシャンがかなり古い。

☆秋なかば山寺巡り女子衆
 ・・描写に終わってしまった。

☆漆黒のD51過り男郎花
 ・・漆黒の、が平凡。

☆登高や幾名山を遠見して
 ・・一本調子。

☆獺に餌をやるショーの子規忌かな
 ・・獺と子規はわかるが..

☆天高しパテシエけふの粉を煉る
 ・・天高しとパテシエは気持ちいいが、もう一歩。

☆夕暮れの真ん中にでた秋刀魚かな
 ・・光景がよくわからない。

☆際やかに骨となりたる秋刀魚かな
 ・・おおげさ。

☆フジバカマ杓子定規に咲くとかや
 ・・とかや、がどうか。

☆コスモスの顎に手を置く少女かな
 ・・コスモスの顎に、がわからない。

☆秋めくや黒という色黒に見え
 ・・あたりまえ以上のものが見えてこない。


2009年9月23日
中谷仁美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】

 こんにちは。シルバーウイーク、いかがお過ごしでしょう。私は、稲刈り要員として里帰りをしております。田を吹き渡る秋風、虫の声、黄金の稲穂、もうまさに俳句がたくさん・・・できるわけもなく労働に勤しんでいます。みなさんはどんなときに俳句が出来ますか。私は、ずばり「締め切りがやってきたとき」。夜無音の状態で机に向かった時が一番です。この十句選も秋の夜長、静かな夜に書いております。今回もよろしくお願いいたします。

【十句選】

君がそこにいた通草が口あけた  汽白
 「そこにいた」「口あけた」。「君」と「通草」はまったく関係なく、このぶっきらぼうな並べ方。感傷的な前半に対して、驚くほどあっけらかんとして現実的な後半。世の中こんなことってよくあるあると思わず笑ってしまいました。

駄々ツ子を真似て畳のへひり虫  池田ノブスキー
 へひり虫を撃退しようと追い掛け回している様子を想像しました。かさかさと逃げ回って案外つかまらないもの。へひり虫には駄々っ子を真似ているつもりなどまったくないのでしょうけれど、こういう見立てはとても楽しいですね。

マルメロヤマラルメマルクマルメラレ  マラルメ
 言葉遊びが楽しい句。総カタカナ表記というのも冒険的でいいですね。もう1句、「マルメロヤマラルメノシノマルメラル」も送ってくださいましたが、こちらはやや説明的なので上記の句のほうがいいと思います。「マラルメ」は1800年代のフランスの詩人ですが、読み手がそんなことは知らなくてもその響きだけでもいい。「マルメラレ」という結句にきちんと意味があるので句が締まります。

休み果つフランスパンのやうな腕  えんや
 夏休み明けのこんがり日焼けした腕をフランスパンに見立てるとは、これはなかなか面白い発想ですね。フランスパンって本来はちょっとおしゃれなイメージ。でも確かに腕といわれると、こんがり焼けてごついごつい腕にも変身可能。斬新な発見ですね。

錦秋のクライマックス小石踏む  茂
 「錦秋のクライマックス」というのは説明的なので「錦」はいらないかなと言う気もしますが、「クライマックス」という言い方は潔くていいですね。そして散々盛り上げておいて「小石踏む」。文字通り足が地に着いているというか、身近なところに着地した結句です。この落差が面白さを呼ぶのだと思います。

台風の眼の中めしに黄身落とす  玄海
 台風の眼に入ってしまえばもうこちらのもの。どっしり構えて逃げも隠れもしませんという感じだろうか、またはつかの間の安息というべきだろうか。ご飯に黄身を落としているのだが「台風の眼」に落としているようなスケールの大きなイメージが湧きます。「めし」という豪快な言い方が魅力的です。

兄弟のまた生き返る水鉄砲  錫樹智
 かわいい悪ガキが水鉄砲で撃ち合い。撃たれても撃たれても何度も何度も復活して走り回る。「また生き返る」という言い方はややぎょっとするが、子どもの遊びとはそんなものですね。生活に密着した句だと思います。

太ももに手をはさむ癖十三夜  あざみ
 ときどきありますね、寒くもなんともないのについつい太ももに手をはさんで座ってしまうこと。きっとひとりで座っているのではないでしょうか。そして、「ああこんな癖があるわね」と」気づく。「十三夜」という季語には肌寒く少し寂しい雰囲気がつきまといますが、この語がぴったり合っています。静かな時間を過ごすやや大人の句のような気がします。

竜淵に潜む子宮の寝息かな  ロミ
 「竜淵に潜む」、おもしろい季語をつかっておられますね。また、取り合わせている子宮の寝息という発想もいい。水のイメージを持つ句。女は身の内に竜を宿らせているという読みもできますが、竜にしても子宮にしても神秘的なものなのだと考えるとなんだか不思議な句の世界。シャガールの絵を想像しました。

ドングリや名も無き恋をころがして  豊田ささお
 名も無き恋をころがすというという言い方がいいですね。どんぐりのようにずんぐりむっくり、どうも不器用な恋なのでしょう。ドングリと恋という取り合わせもなかなか新鮮な感じがします。恋を詠むというのはやや照れくさく真剣になってしまうものなのですが、こういう風にちょっと離れて見てひとつの世界を作り上げてしまうというのもひとつの作戦ですね。

【次 点】

ちちろ鳴く土佐犬辺り探り入れ  池田ノブスキー
 作者の意図した句意はおそらく「土佐犬が辺りに探りを入れた」かと思いますが、「土佐犬の辺りに探りを入れた」と土佐犬をひとつの場所のように扱うと面白いなあと思いました。ちちろと土佐犬の取り合わせなんて絶対に思いつきません。これは面白い。

鉛筆の秋風の色折ってみる  遅足
 どうして折ってしまったのだろうとココロにひっかかる一句です。「の」の連続はなるべく避けたい。(説明的になってしまうため)「色鉛筆秋風の・・・」としてはいかがでしょう。

秋空の吸い込んでゆくチャイムかな  錫樹智
 気持ちよさそうな空ですね。やや月並な発想かもしれないなと思いましたが青春の一句だなと思います。

敬老日ぶっきらぼうな人といて  遊雲
 ぶっきらぼうなおじいさんを想像しました。でも、「人」だからだれでもいいですよね。「父の日」「母の日」など色々感謝を告げるべき日はあるのですが、どうしてもぶっきらぼうになってしまいます。当然「敬老日」も。共感できる一句です。

天高し忍術屋敷の隠し部屋  岡野直樹
 天が高かろうが何だろうが、奥に隠された忍術屋敷の隠し部屋には関係ないもの。それをわざわざ取り合わせているところが面白いですね。秋と忍者って合うなあと納得しました。

韮の花たばねてコップコップ酒  北野耕太
 韮の花って可憐でかわいいですね。それを束ねてコップに入れるところまではたいへんかわいい句。ところがどっこい、コップ酒につながる。この意外な展開に思わずチェックをいれました。「そこかい!」とつっこみを入れてしまう楽しい句です。


2009年9月16日
小西雅子ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】
  物言へば唇寒し秋の風(芭蕉)
  月天心貧しき町を通りけり(蕪村)
 これらは200年以上前の句です。
 若いころ、「革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ(塚本邦雄)」という短歌を知ってびっくりしました。数年前、「月光旅館/開けても開けてもドアがある(高柳重信)」という俳句を知ってびっくりしました。共に50年くらい前のもの。そして、「深草風遂に女賊へ乗るゆめや(安井浩司)」。9月5日、京都で行われた「船団の会 秋の集い」のシンポジウム「100年後の俳句」。パネラーのひとり高山れおな氏が「現在の自分の作句上重要と思われる俳論」として示された中に登場した例句のひとつです。世の中にはいろんなことを考える人がいて、いろんなものを好む人がいるものだと思いました。小西ドクターはまだまだ研修中です。

【十句選】

九月一日するべきことをなにもせず   朱雨
 九月一日というと、ほとんどの人は「防災の日」や「二百十日」を想起します。それを思うと何もせず、心のままに自由に生きる、というのは逆の発想で共感できます。「するべきことを」、特に「を」が少し窮屈なので、もう少し緩やかな言葉だとより良いと思います。

一丁目一番地へと秋日射す   茂
 映画「ALWAYS三丁目の夕日」を思い出しました。一丁目ともなるとその地域の端っこ。一番地ともなるとそのまた隅っこ。おもむろにそこへ移り行く秋の日は、あたかも特別な光であるかのようです。

澄みきった水に手首を握らるる   遅足
 文語と口語が混ざるのは駄目だと言う方がおられるかもしれませんが、なぜか魅かれました。この混合はもしかしたら意図的かもしれません。冷たい水からはじまって「らるる」まで。温度が徐々に上がっていく感じがするのです。

枝豆を余分にくれる妻である   頓坊
 いいなあ。こんなことを喜んでくれる夫が素敵です。「妻である」に何ともいえない味わいがあります。

新涼のちょつと小粋に脚を組む   洋平
 初秋の涼やかな風が通るカフェテラスで脚を組む。男性なら新聞紙、女性なら雑誌を見ながら。「小粋」が正直であり、きざっぽさを救っています。「の」という軽い切れも成功。

露草の雨上がりたる湖畔かな   小口泰與
 「露草の雨」、何てステキなのでしょう。雨上がりの湖畔に佇んでみたいです。一句のなかに水に関わる言葉が三つも入っていて、それでもなお光を感じさせてくれる不思議な句です。

靴紐をキュキュッと結ぶ今朝の秋   草子
 カ行のリズムがとてもよく、もう覚えてしまいました。透明感や季節の変わり目の様子もよく現れています。好きな句です。

工場のカーブミラーに秋の雲   錫樹智
 トラックが出入りする工場。丸いカーブミラーに秋の雲が映っている。という風景でしょう。薄い雲なのか、流れているのか、縞模様なのか、変化に富む秋の雲が小さなカーブミラーの中にすっぽり入ってしまったかのようです。

月一コ星一コと地球の僕   岡野直樹
 自由律。楽しい句。そして壮大なナルシストの登場です。宇宙に作った大きな三角形。その一点は「僕」なのですから。もう少しリズミカルにしたいところですが、このとつとつとした言い方にも魅力があります。

鰯雲ペンをくるくる回す癖   遊雲
 手元と空と、うまく景色がマッチしています。ペンを回せば鰯雲がちりちりあらわれて来そうです。ペンを回すというアンニュイ感も鰯雲に合っていると思います。

花梨の実マンガのやうに生きるのだ   ロミ
 今回一押しの句。「切れ」もあり「季語」もあり「定型」、それでいて楽しい。「○○のだ」は漫画「天才バカボン」のパパのセリフ。花梨の実には愚直な切なさも感じます。

【次 点】

天高しボーイソプラノ「かっとばせ」   大川一馬
 途中までは少年合唱団かと思いました。「かっとばせ」という落ちは最高です。残念なことにぷつぷつ切れた感じがします。もう一工夫を。

フラフープ秋の風には舞わなくて   菊美
 フラフープと秋の風の取り合わせはとても新鮮。ただ一直線に説明しているという印象がありますので、「秋の風」を最初にもってこられたらいかがでしょう。

夏雲や白き譜面の走り書き   学
 端正な句で、「夏嵐机上の白紙飛び尽くす(正岡子規)」を思い出しました。「白き譜面」が曖昧でイメージしにくいように思えます。

永らへて日々畑暮らし百日紅   吉井流水
 百日紅がとても明るく、「永らへて」を快活にしてくれます。最後に置かれた百日紅が素晴らしいです。「日々」は必要でしょうか。「永」と重なる印象を受けました。

夏の果サル山のボス替はらざる   文の子
 「サル」と「ざる」、ふふふ。替わらない、或いは替われないサル山のボスが凛としていて、夏の果ての哀感として共感できます。替わらないという事実より、何か映像がほしいところです。

いつもより空振り多き稲雀   山眠る
 えっ?野球のバッター?稲を目指してきた雀?誰が何の空振りをしたの?ずっと考えています。わかりません。わかりませんが、ほんの少し変えると良い句になる気がするのです。きっと「空振り」と「稲雀」という奇抜な組み合わせのせいでしょう。

生身魂薄く小さく芋羊羹   勇平
 これも面白い句です。10句に入れようかと思いました。ただ、この場合の「芋」は、どうも「生身魂」と同じ重さの季語になってしまうような気がします。「練り羊羹」や「蒸し羊羹」ではだめですか。

夢語る女杜氏や蕎麦の花   無三
 白い蕎麦の花は女杜氏ととてもよく合っています。「夢語る」と言ってしまうと意味が固定されてしまうので「女杜氏」の様子や特徴が描かれていたらよかったのにと思いました。

問診にペニスの模型鱗雲   あざみ
 女性ならあわてて目をそらす、男性なら思うところがある、などなど患者のたじろぎを端的に表現していると思いました。このような生の言葉を使うときはもっと思い切り明るい季語の方がより好感がもてると思います。

髭を剃る風呂場の外のカネタタキ   豊田ささお
 髭を剃るという繊細な所作、ひんやりとした風呂場の外、それらは「カネタタキ」の声にぴったりです。カネタタキが髭を剃っているという見方をする人もいるかもしれません。どこかで切れているのかいないのか少し不鮮明でした。趣のある句です。

【気になった句】

あぜ道にチェンジの風が韮の花   合
 「チェンジの風」は政界のことかと思いましたが、自転車のギア・チェンジと捉えてもよく、どちらにしても軽快な句です。「チェンジの風や」として切れを作ると、なお韮の花が活かせるのにと思います。

選挙終え茜蜻蛉の動かざる   山母子
 これも先日の選挙の話題。何だか意味深ですね。「選挙終え」の主語があいまいなので惜しい気がしました。

月光の海や俄に溢れけり   亭々
 頭の中にすぐに綺麗な映像が現れる句です。「や」と「けり」は両方「切れ」として読まれますので片方にされたほうが良いです。

木は森に山になりけり秋夕焼け   真亜子
 大きな風景で気持ちのよい句です。しかし欲張らずに、木か山どちらかに焦点をしぼったほうが効果的かと思います。

国産のちょつといびつのれもんかな   せいち
 目の付け所は新鮮なのですが、作者の言いたいことがわかってしまってもったいないです。どこかで切るとか視線をずらせばよいかと。レモンの句といえば、「春の夜やレモンに触るる鼻の先(日野草城)」。縦横にイメージが広がります。

のろのろと舫綱行く残り虫   戯心
 「残る虫」という季語を知りませんでした。教えていただいてありがとうございます。ただ秋まで残る虫というのはたいてい「のろのろ」です。季語を説明してしまったようですので何か別の言い回しが必要かと思います。


2009年9月9日
岡野泰輔ドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】

 麻薬騒動と選挙で夏は終ってしまいました。なんかテレビばかり観ていたような気がします。今9月、この涼しさがお祭りの後のような感じ。雨が多かったせいか、誰と会っても、今年は夏らしくないなあというのが共通の感想。
 さて今回もたくさんの投句ありがとうございました。晩夏から初秋にかけてのおもしろい句が並びました。一読明解な句もいいですが、読みきれない句、一句の中にどうしても読みの届かない残余がある句、そんな句も気になりました。

【十句選】

ひざまづく正午もありし蝉時雨    吉井流水
 8月15日。敗戦日または終戦日、暑い日であったようです。安易に季語化された言葉によらず、「ひざまづく正午」としたのがよかった。私は映像として残されたものしか知りませんが、その正午が彷彿としてきます。蝉時雨も適切。今ここに聞こえる蝉の声に64年前の蝉の声がかぶさり、二重唱、いや合唱か?
 この蝉の声はコロス(古代ギリシャ劇の合唱隊)のようにも受け取れ、亡き人の言葉にならなかった言葉を代弁しているようにも。

揚水槽潜れば泡の真白かな    頓坊
 この揚水槽なるものが具体的に分からないのですが、人間が潜るのですから巨大な水槽、発電所とかそういうことか?真っ白な泡に印象鮮明なものを感じました。体験しないとこういうふうに把握できないのではないでしょうか。意外性もなんにもないシンプルなつくりですが、揚水槽という見慣れない言葉がいろいろ想像をくすぐってくれます。

マドラーを左回しに秋の夜    茂
 この人は右利きか左利きか?そんな些細なことが気になる、それが俳句的といえば俳句的。私(右利き)もマドラーでやってみましたが右回し(時計回り)の方が自然のような・・でも結論はでません(笑)例えばこの句中人物は右回しに飽きて左回しに変えたのです。とにかくこの女性(そう読みました)は飽きているのですね、何に?待つことに?ほら氷が溶けていますよ。下五の「秋の夜」も漠としたところがいいのかも。

重湯してごろりと眺む雲の峯    真亜子
 雲の峰といえば、雄渾、活動的、そんなイメージです。因みに手元の歳時記には「雲の峰立正安国論を蔵す」川崎展宏 なんてのがあります。勇気凛々ですね、こんなところが典型的な雲の峰ではないでしょうか。
 この句は情けないんです。おなかをこわしたんですね、微熱もあるんでしょうか?雄大な雲の峰と、この脱力状態のわが身の対比、成功していると思います。重湯という素材感も効いていると思います。雲の峰の力強さが一層印象づけられる仕掛けになっています。「眺む」に少々疑問。

女郎花抱え非常口から出る    ポリ
 詠われているのは、単純に花を抱えてある場所から外に出るという動作だけなのに、抱えている花が女郎花であり、出るのは非常口であるというだけで、句全体に妙な色がつく。おかげで私は過剰に読み込んでしまいます。ドラマを見ます。野にあって何でもない花ですが、をみなへし、つまり歴史的にも女として詠まれてきたわけですから、当然その花の名の反映がこの句を彩っています。

とうめいな巨人の気配処暑の朝    ポリ
 ある朝、昨日までの暑さが嘘のように清涼の気を感じた、新しい季節がやってくる、そのことを「とうめいな巨人」の訪れと表現した。もしかしたら類想はあるかもしれませんが、何といっても「巨人」という措辞が魅力的。力技でありながら繊細な皮膚感覚もあります。「とうめい」と平仮名表記にしたのも初秋の空気感をよく表し成功していると思います。

恋ボート竿で突かれて岸離る    濡衣
 「恋ボート」が乱暴で、字余りでも「恋のボート」でいいでしょう。ボートが係員の竿で突かれて離岸する、よくある、よく分かる光景です。突かれて離れるという淡々とした順接表現が実に俳句的効果をあげています。ボートと恋、この古典的で陳腐な主題が、突かれる、離れる、という動詞によって少し複雑化して魅力的に見えてきました。揺れながら。

汗拭く如し着信履歴の消去    輝実江
 これは携帯電話なんでしょうね。「汗拭く」という比喩が妙に実感があり、いただきました。着信履歴は善かれ悪しかれ自分という人間の一定部分の表現です。時をおいて眺めれば、まあ恥ずかしいわけです。汗が冷汗だったりします。
 私にはそういう経験があり共感いたしました。

秋の夜のさみしきパンを厚く切る    遅足
 「秋の夜」は「秋の暮」ほどではないにしても、まあ、賑やかよりはさみしさに傾く。つまり「秋の夜のさみしき」は冗語に近い。言葉の経済が問われる短詩型としては「秋の夜」か「さみしき」が余計なのだ。といっても「さみしきパン」はなかなか魅力的な措辞、では「秋の夜」こそが余計かというと、これがそうでもない。季題とか季語とかという話ではなくて、上五に置かれた「秋の夜」は俳句という結構のためには不可欠の余分、あるいは無意味。お座なりに置かれた「秋の夜」はそのお座なり振りが巧妙に中七以下を統御している。
 妙なところを褒めすぎでしょうか?そうかもしれない。

初秋の焼きおにぎりも影を置き    宗次
 次点句から格上げしました。「初秋」が安易だし、「焼きおにぎりも」の「も」が決定的にいけないように思います。秋にはあらゆるものの影に目がいく、おにぎりでさえも、という謂いだと思いますが、ここはずばっとおにぎりだけを主題化しましょう。そして、そういった欠点がありながらも「焼きおにぎりの影」という影にしては珍しいところで一句つくったところを買いました。とても新鮮です。『帚木に影といふものありにけり 虚子』有名すぎますが「帚木も」だったらだめですよね、助詞の精妙な働きをご賞味ください。

【次点句】

別々の道に鼻向け秋時雨    茂

大方は妻に首振る扇風機    えんや
 同感、本当にそう思います。

泣くつもり無くてハンケチ渡さるる    濡衣

澄む水を割って取り出すひかりかな    遅足

かなかなやなかなか逢へずメール打つ    玄海
 下五が因果の説明になっています。「かなかな」と「なかなか逢へず」だけでいいと思います。

赤き橋の村静かなり秋の雲    さくら
 大雑把な外観の句ですが、赤き橋に妙な魅力があります。

幻滅の赤鉛筆を折る残暑    黒猫
 夏競馬?幻滅は強い言葉だ。残暑が残念、幻滅と喧嘩している。

凡そは見た目で判断白木槿    あざみ
 「凡そ」がうまいです。「判断」がどうか?判断つきかねます。

埋没林は海にそうです月にも    紅緒
 埋没林を理解していません。でもこの大きさに惹かれました。埋没林のイメージも素敵。


2009年9月2日
小枝恵美子ドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】

 今年の夏は「多雨寡照」だったと新聞に書いていましたが、向日葵がちょっと寂しげでした。残暑にもめげずに、たくさんの投句をいただきました。私は、「暑くて」と言いながら西瓜ばかり食べ、俳句をさぼっていました。反省してます。 言葉の用い方が斬新な句もあり、充実感がありました。気を引き締めて秋に向かいたいと思います。

【十句選】

釣忍ミシン踏む母ほの白し   頓坊
 一読して、昭和の懐かしい風景が浮かびました。釣忍を見て母の姿が浮かび、ミシンを踏んでいた当時の姿を詠んだのでしょう。「ほの白し」は、その顔や姿を想像しましたが、鮮明にしなかったのは思い出としての母だからかもしれません。セピア色の句ですが、詩情があると思います。

鈴鳴らす盲導犬の晩夏かな   茂
 「晩夏」の日差しはまだ暑光ですが、この季語には少し憂いもあり、盲導犬の鈴の音はその光や愁いと巧く響きあっています。盲導犬と歩く人も透明感のある鈴の音を聞きながら、夏の終わりをどこかで感じているようです。

校庭にブラスバンドや敗戦忌   せいち
 金管楽器や打楽器の生き生きとした演奏が、校庭に、また空中に響き渡る一日。敗戦忌と取り合わされると、空虚感が漂います。「校庭」という場所が切なく、若くして戦没した人を想いました。

炎天の喉のぞかせてわらいけり   遅足
 豪快な笑いで、風景としてはとても漫画的。「喉のぞかせて」のリズムが良く、大きな笑い声が聞こえてきそうです。「炎天の」で軽く切れがありますが、炎天が喉をのぞかせているようでもあり、面白く、季語がいきいきとしています。

「俳句の日」ハーモニカまで買いました   菊美
八月十九日は「俳句の日」。歳時記でも買うというのではなくて、「ハーモニカまで買いました」には、気持ちの弾みが、ハーモニカの音色と共に伝わってきました。「まで」は、他にも何か買ったのでしょうね。俳句、ハーモニカ、のハ行音が楽しいです。

手を上げて渡る子の手にすすきかな   ポリ
 一本の芒を持って、横断歩道を歩く姿を想像しました。都会では見ることのない芒を、高々と持って渡る子の顔がうれしそうです。高原の帰り道でしょうか、早々と秋の訪れを「手を上げて」で、上手く表現していると思いました。

夏草やもう回らない観覧車   岡野直樹
 勢いよく茂った夏草と回らない観覧車とを取り合わせ、今日的な風景となりました。あちこちで、遊園地が廃園となって寂しい限りですね。作者自身の感慨が何も述べられていないのがいいです。「や」切れもあり、観覧車を取り囲む夏草の勢いが空しく感じられます。

耳とほき母のラムネに笑顔あり   耕太
 「耳とほき母の笑顔や」ではなく、「母のラムネに笑顔あり」が良かったです。あの瓶の、えくぼ的なへこみが、笑顔と重なります。ラムネを飲んだあとの瓶がいつまでも、ほっこりとして印象に残りました。

沖は私に私は沖へ晩夏光   紅緒
 中七までの表現がユニークで、とても魅力的です。「沖は私に」は、浜辺で沖を見ていると沖は私を呼んでいると思ったのでしょう。そして「私は沖へ」で、誘われて沖へ行っている姿を想像しました。浜辺にも海上にも晩夏の光がきらめいて、波の音にちょっと切なさが響きます。

ブーゲンビリア返したいものいっぱい   あざみ
 ブーゲンビリアはすごく生命力にあふれていて、ぐんぐん伸びていきます。私の近所の家では、二階の屋根まで到達していてびっくりです。「返したいものいっぱい」は恋の思い出なのか、と思いますが、ブーゲンビリアの小花が美しく、嫌味がないのがいいですね。

【予選句】

流灯のひとつ零れて闇の中   洋平
 俳句のかたちとして、中七に焦点があり美しいです。ただ「流灯のひとつ」が例句として多いので、またチャレンジして下さい。「流灯の一燦あなや雨が打つ」「流灯の一つは岸を離れざる」などあります。

階段があれば上るよ裸の子   廣島屋
 子供は階段を上るのが好きですね。中七の上る様子をもう少し具体的にすると裸の子がいきいきすると思います。

星ひとつ持って乗りこむ観覧車   遅足
 夏から秋にかけての夜にぴったりの句です。ロマンがあり迷いました。この句が冬に投句されていたら、選ばないかなとも思いました。冬の星だと寒々しくなります。やはり季語があるほうがいいです。

露草の飛ぴ立つごとく葉を立てり   藤原 有
 「飛ぴ立つ」は方言ですか?そこが気になりました。露草の葉を詠んだのは面白いですが、別名「蛍草」ともいうので、飛び立つが新鮮でなく、中七をまた考え直してはどうでしょうか。

喜劇にも通じる悦や鰯雲   黒猫
 鰯雲の様子を喜劇的と表現したのですか?中七が作者の気持ちを言ってしまったので残念です。喜劇的な様子を他の言葉にすると生き生きしてきます。

花南瓜語るその日の疎開先   草子
 中七からの表現がぎくしゃくしていて、リズムが良くないです。疎開先のことをもう少し、すっきりと書き、「花南瓜」で切るといいですね。

貸しボート底上向きに夏終わる   くまさん
 「に夏終る」の「に」は説明的で、原因結果報告になってしまいました。中七で切って、季語は「晩夏光」などにすると、良くなると思います。

空に打つ水のすがしき秋立てり   豊田ささお
 「空に打つ水」が清々しいので、「すがしき」は言い過ぎかと思います。あと少し表現を考えて下さい。