「e船団」のドクターがあなたの俳句を診断したものです。


2010年6月30日
朝倉晴美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 こんにちは。皆様。梅雨という季節の中、フレッシュで思い切りの良い句がたくさんあり、とてもうれしく思っています。スタンダードな季語に冒険させている句も多く、わくわくいたしました。
 また、選を致しました句を読みながら、少しお勉強しました句をご紹介しております。
 次回も、様々なチャレンジの句をお待ちいたしております。是非とも私めを驚かせてくださいませ。

【十句選】
タッチして改札抜ける梅雨の蝶   天野幸光
 今、現代をお見事に詠まれていらっしゃいます。どんなに機械化しても、生き物は死滅したりはしない、という思いも湧いてまいりました。梅雨の蝶が、嫌みなく存在しているでしょう。
〈山深き飛瀑のぼる大揚羽 飯田蛇笏〉の句に負けない素晴らしさを感じました。

めまい後来世は海月の予感あり   輝実江
 「海月」が季語としては難しい存在ですが、「めまい後」という大胆な上五との取り合わせが、とても新鮮です。「海月」の自分を肯定も否定もしていないことが、夏のけだるさと、よく合っているのではないでしょうか。
〈わが旅の舷の水月(くらげ)のなほ尽きず 山口誓子〉

夏椿零して行きし傘の人   くまさん
 「夏椿」、沙羅の花を、とてもお見事に表現されています。月並みな句になっていないのは、「傘の人」だからです。動作の人物を、無機質に表現することによって、夏椿のこぼれる様子が、鮮明に、そしてさりげなく感じさせます。「行きし」と動作が経過してしまっている表現も、句をひきしめていることでしょう。
〈沙羅の花捨身の落花惜しみなし 石田破郷〉

一日を言葉少なく黴の生ふ   せいち
 なんと、黴はこのように生えてゆくものなのだな、、、と感じさせられました。「少なし」ではなく「少なく」ですから、「黴」が言葉少なく生えて(増えて)ゆく、という読みも可能です。もちろん、主は、作者かその家人であり、言葉少なにすごしている梅雨時分、でありますが。 気づいたら、いつの間にかに黴が!という黴の性格(?)、特徴が、伝わってきます。パンチも効いていますし、印象的です。
〈黴びし物錆びたる物と寂(しず)かなり 相生垣瓜人〉

少年にまどろみ枇杷の実に深手   遅足
枇杷の実を、大変すばらしく扱われておられます。中七で切れて、二句一章の形もとても効果的でしょう。枇杷は、強い季語ですし、独特の気分が付随いたします。それを、「少年のまどろみ」という、また別の独特な雰囲気であるものと取り合わせることによって、枇杷の存在とうまく相まっています。 「深手」という傷が、少年のいる句の世界を甘くないものにしています。
〈枇杷青し悪童の瞳の澄めりけり 中島杏子〉

それぞれにそれぞれの艶さくらんぼ   恥芽
 〈茎右往左往菓子器のさくらんぼ 高浜虚子〉にあるように、さくらんぼはすべて同じに見えるようで、それぞれが違い、それぞれが主張しているのかもしれません。可愛くて、高い(笑)だけでないわよ、というさくらんぼの姿が浮かんできて楽しめます。「艶」も、句を平凡にせず、優れています。

草いきれコーラの缶の朽ちており   ポリ
 「草いきれ」と「朽ちたコーラの缶」が、秀逸です。これ以上の組み合わせはないと感じました。またまた、「朽ちており」(*旧かなでしたら「をり」)という、孤独な存在を感じさせる「おり」も良いです。田舎の夏、まだ住宅の少ない郊外の夏、真夏にふと感じる孤独や焦燥を読者に感じさせます。しかし、それは誰しもが感じてきたものであって、深刻なものではありません。ただ、胸がざわつくような気配は、かけがいのないものではなかったでしょうか。
〈草いきれ鉄材さびて積まれけり 杉田久女〉

終電に間に合いますか夏の蝶   あざみ
 夏の蝶が、終電に近い時間に飛んでいることに、真実味があるかどうかは、少し意見の分かれるところでしょう。しかしながら、「間に合いますか」という問いかけが、新鮮で、気分をよくさせます。夏の蝶に問いかけていても、誰かに問いかけていても、その気分がとても伝わってきます。夏ですから、終電に間に合わなかったとしても、気は楽ですし。良い意味で、ライトな良さがある句です。たとえば、蛍に問いかけた場合、なんだか意味深すぎてしんどくなりそうです。
〈夏蝶の風なき刻を飛べりけり 池上浩山人〉

紫陽花が大きな顔で角で待つ   岡野直樹
 「で」の連続が気になりますが、まさに、紫陽花!といった情景がお見事です。大顔(紫陽花に失礼かしら)はもちろん、確かに角に植えられていることが多い気がいたします。たぶんに、庭の隅に植えることが多いのです。そうしますと、必然的に、道の角になるのでしょう。しかしながら、大顔の紫陽花に見送られたり、出迎えられたりする日々は、梅雨のうっとしさに元気をいただくものです。
〈ゆあみして来てあぢさゐの前を過ぐ 山口誓子〉

ビクターの犬は姫百合好きだろか   衣谷
 「ビクターの犬」の必然性は、ちょっと厳しいかのしれませんが、ご主人様の声を聞いていると言われるビクターのわんちゃんは、思慮深く見えます。姫百合の匂いをかぎ、「うーむ」と考えている姿が目に浮かびます。匂いも姿も強い花と、ビクターの犬との取り合わせが愉快です。読者の皆が想像できる句材という強みもあるでしょう。
〈百合の花超然として低からず 高屋窓秋〉

【次 点】
梅雨兆す胸膨らませ鳩の鳴く   まゆみ
 中七が少し言い過ぎではないでしょうか。

火の山の真向かいにあり桐の花   太郎
 火の山と桐の花の取り合わせが目を引きます。

念入りに雨傘添へて牡丹かな   たか子
 「添えて」の対象が少しあいまいですが、はっとする情景です。

少年の惑い吐き出す枇杷の種   遅足
 中七の解釈に揺れがありそうです。

少年の手刀梅雨を切つてゆく   えんや
 「切ってゆく」が冗漫で少し残念。

箒目の大きくちさく今朝の秋   茂
 「今朝の秋」が句を平凡にして、もったいないです。

生涯の残りの梅雨は八百日   無三
 おもしろい発想が、少し伝わりにくいかもしれません。

平凡な男の上にもさみだるる   石川順一
 「も」は不要であると感じます。

【予 選】

★爆音に見上げし空や濃あぢさゐ   天野幸光
★推敲のインク匂ふや桜桃忌   〃

★メガ・シティ大きく離れ夏の月   涼

★坂多き町の坂道松葉菊   大川一馬

★姉さんの帰るのを待つさくらんぼ   せいち

★六月の風パン焦げる匂いして   きしの

★言い返す時を失い蠅叩く   戯心
★古稀妻は白靴ぴんと太極拳  〃

★おむすびの芯は紅いろ桜桃忌   弓

★豆飯や語りおくこと縷々ありと   草子

★青梅や漢の着けるアイシャドウ   浮游子
★短夜や上様書きの請求書      〃

★苗代の苗をとる輪に入れられぬ   豊田ささお


2010年6月23日
南村健治ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 駅前の通りで夜店が開かれるようになりました。わずかな軒数しか店を出していませんが、子どもの頃を懐かしく思い出しました、、、、、、、友達と誘い合って露天商の人が準備している時間に出かけ、ここは金魚、あっちは輪投げ。あそこはヒヨコなどと見当をつけ、日が沈むのを待ちかね、再び出掛け、胡散臭そうな口上に聞き惚れ、怪しげなオッチャンの跡を付いて歩き、同級の女子とでくわすとなぜかこそこそ隠れ、家に帰っても気持ちが昂り、貰った小遣いは使い果たしたのにまたもや走り出て行く、、、、、、、50年も昔のハナシ、大人も子供も夜店はパラダイスでありました。

【十句選】

南瓜苗植えてほんじつ日本晴れ   たか子
 大きい立派なカボチャが成るんだろうな、と思わせるのは「日本晴れ」という言葉のせい。植えた後の充実感、気持ちの大らかさが窺える。「南瓜」「日本晴れ」無邪気な語感がいい。

雲の中より雲わいて油照り   茂
 もう少しじとじと感が欲しいが、そのように書けばもっと説明っぽくなるかもしれない。でも、そこをなんとか乗り越えて、脂汗を流してでも挑戦してほしい。

横文字のファイフォン・ドット梅雨に入る   まゆみ
 メールアドレスのことだろう。あれは確かに煩わしくもうっとうしい。いろんな機能が衰えかけたトシヨリにはことさらのこと。折しも梅雨入り。横文字がひっつきあって黴文字みたいだ。

炎天に足をもつもの持たぬもの   遅足
 「足をもつもの持たぬもの」はチョット思わせぶりかもしれない。しかし、意外なその語気の強さに、森羅万象、夏の日盛り、燃えるような暑さには負けないぞ、という気概を感じる。(独断というか、印象批評になってしまったけれど)

みごりごのみどりしたたるごとく抱く   遅足
 「み」「ご」「り」「た」「く」などの繰り返された語が俳句定型に旨く収まっていて、そのリズムが赤ん坊を抱くときの喜びを表している。

夏雲や能登北端の製材所   えんや
 青空に豪快に現れる夏雲と製材所だけの取り合わせ。すっきりとした光景を思わせるのは「能登北端」という言葉。そこには夏雲と製材所だけがある。涼やかな海風とともに。

駐在所出てより開く日傘かな   くまさん
 理由もなく句を選ぶのはモンダイがあるが、少し前に「青嵐宮司も巫女も古書店に」という句をオモシロイと思って選んだことがある。
 なぜ古書店に、ということではなく、意味のないオモシロさというか、無駄なオモシロさというか、そんなことを思っての選だった。この句も同じ。強いていうなら、この句の作者と気が合ったということ。蛇足だが、暑さを避けるために日傘を開いたのではない。

冷奴木綿派絹派無所属派   月穂
 冷奴はこだわりのある食べ物。見た目、器、質感、食感、添え物にと意見は分かれる。そこに何でもいいという人が割り込んで、俺は無所属派だと無頼を言う。まあ、絹派も木綿派も無頼なのだが。そんなこんなを一纏めにしてあるのがオモシロイ。

出目金は黒にこだわる女かな   無三
 あざ蓉子に「愛人を水鳥にして帰るかな」という句がある。来ない愛人を水鳥に喩えたのがシュール。この句は黒出目金を「女」に喩えているのがオモシロイ。シュールでないのは出目金は大方が「黒」だから。しかし、「黒にこだわる」としたところに出目金の愛らしさだけではない煩わしさという表情が窺い知れたから。

父の日の父ばかりゐる動物園   無三
 哀愁、不安、幸せ、充足感、葛藤、虚無、老い、生きがい、安寧、いろんな言葉が父の心中を駆け巡る。こういう評し方は好まないのだが「母の日の母ばかりいる動物園」としたとき、この「母」は母もの俳句としては成り立ち難い。

【予選句】

青芝やベースの動く草野球   吉井流水

トンネルの常灯艶ふ夏隣   たか子

あじさゐや濁流纏ふ沈下橋   太郎

夕飯はカレーという妻夏帽に   滝男

蛍かごつめたきあかり灯りけり   涼

夕さりのむらさき深き杜若   美佐枝

青時雨きれいな嘘を濡らしけり   遅足

涙色の目薬を点す緑の夜    あざみ

しゃべらない約束をする熱帯魚   あざみ

甘口のおしり大なりボンカレー   汽白

梅雨時は紫色の獏を飼ふ   衣谷

仰向けのノートの端より青葉かな   豊田ささお



2010年6月16日
星野早苗ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 六月を綺麗な風の吹くことよ   子規

 いよいよ梅雨入り。新聞にも傘マークが並びますが、六月には、雨に洗われた山々から綺麗な風の吹く日のあることも確かです。朝から雨の毎日がつづくと気分も重くなりがちですが、清々しい六月の風の吹く日を楽しみにしたいと思います。

 さて、今回は120句の中から。
 「最近、俳句に魅力を感じ、生涯学習にしたいと独学を始めたところです」というメッセージもいただきました。お近くにお住まいならすぐ句会にお誘いするのに、と残念です。
 俳句の入門書はいろいろありますが、坪内稔典の「お風呂で読む俳句入門」は、まず作ろう、というスタンスで実践的です。
 俳句を生涯の友に、と思われるなら、同じく稔典さんのNHKライブラリー『子規山脈』。私はこれで子規のファンになりました。俳句は子規と大勢の仲間とを結びつけ、死の直前までのまさに生涯の友でした。
 もし、俳句史にも興味がおありでしたら、小西甚一の『俳句の世界−発生から現代まで−』をお勧めします。不朽の名作と言われる一書。分かりやすく面白いです。 しばらく独学され、一句でも自分の気に入る句ができましたら、近所の句会に出てみて下さい。 きっといい出会いがあると思います。

【十句選】

炎天や担えば軋む物の影   真亜子
 炎天の引っ越しでしょうか。担ぎ上げたときに軋むのは、その荷が動きたくないと意思表示しているようです。無機物が音を立てるとき、転がったり、擦れたり、落ちたり、壊れたり、何か通常でないことが起こっているのだと私たちは経験的に知っています。それで、思わず音のする方に目をやりますが、その時、足元にある短い影が目に入りました。
 重く、軋むものを運ぶ炎天、その濃い影は、読者にくっきりとした印象を与えます。

薯の種歩幅に置いて眺めをり   たか子
 芋の種は種芋のことでしょう。耕した畝に歩幅で測って種芋を置いていく。この適当な感覚が楽しいですし、これでいいかな、とふり返るのも自然です。最後に、眺めをり、を加えられたところに作者の心情や人となりが見えて、土と親しんだ一日の満足感が味わえる作品になりました。

若葉寒猫の棺は段ボール   涼
 愛猫も死ねば段ボールに入れるしかない。そう決心して、猫を段ボールに納め、引き取りをお願いされたのでしょう。ペットのお葬式をしたりお墓を建てるといった愛情の表し方とはまた違った「猫」への接し方を感じました。

薫風や牧草ロール点々と   太郎
 私も北海道で牧草ロールを見たことがあります。とても大きく、家以上の高さがありますね。そんな大きな輪切りのバームクーヘンのような牧草ロールが点々と転がっている風景は、何だか日本離れしていました。そんな風景の中では、薫風という日本情緒豊かな風は、却って異文化に感じられるかも知れません。とはいえ、雄大な大地を吹き渡る五月の風、気持ちの良い一句です。

白鷺が水の眼をつつきけり   遅足
 水の眼が難解かもしれません。水に映った白鷺自身の眼、或いは水中の魚の眼、何かの水輪……。けれども、白鷺がつついた所を「水の眼」と断定したところにこの句の魅力があると思います。
 静かな水面を白鷺がつついた。作者はそこが「水の眼」だから、と言うのです。そのように見ると、白鷺の餌である魚を養っている湖(或いは池)全体が一つの大きな生命体のように思われますね。

クレマチスポパイは痩せたひとが好き   恥芽
 昭和30年代、ポパイはテレビで放映されていましたが、ポパイにはオリーブという恋人がいました。オリーブはマドンナなのですが、グラマーでも美人でもなく、やせっぽちで背の高すぎる女性です。オリーブにはうかつなところもいっぱいあっていつもはらはらさせられるのですが、ポパイを呼べば必ずハッピーエンドになりました。
 本句、作者は、クレマチスの蔓を見て、ポパイに抱きつくオリーブの長い手足を思い出されたのではないでしょうか。
 ポパイは痩せたひとが好き、そして作者はきっとクレマチスがお好きなのですね。

初夏や媼の青き化粧瓶   えんや
 初夏のまぶしい景色から家の中に目を転じると意外な暗さにはっとします。そんなほの暗い家の中に見る化粧水の瓶は、より青くひんやりと感じられたでしょう。それが媼のものであることが、この家の佇まいを想像させ、句に奥行きを与えています。
 化粧瓶はこなれない表現ですが、化粧水の入った瓶として了解しました。

夏草や呼ばれてここに立ち尽くす   紅緒
 呼ばれて外に出たものの、そこには誰もいずただ夏草ばかり。夏草に呼ばれたかのようなふしぎな感覚の句なのですが、「ここに立ち尽くす」に作者の意志のようなものも感じられます。
 〈夏草やつはものどもが夢のあと〉(芭蕉)もそうですが、夏草には戦を想起させるものがありますね。夏草の生い茂る中で立ち尽くす作者は、そこに何を見ておられるのでしょうか。

田を植えて一苗ごとの蛙かな   衣谷
 田植えをしてしばらく経つと蛙の合唱が始まります。その蛙の声の大合唱に、一苗ごとにそこに住まいする蛙がいるのだな、と考えるのは楽しいことです。一苗ごと田植えをした作者ならではの発想だと思いました。

苗代の露の如しや赤ん坊   豊田ささお
 苗代の苗は小さく、まさに稲の赤ん坊なのですが、その苗についている露のようだ、と形容された赤ちゃん。本当に生まれたてなのだな、と感動しました。生まれたてのものはただそれだけで人を感動させる力があるのですね。
 苗代の苗の真新しい緑もきらきらした朝露も赤ん坊を祝福しています。今回一番好きだった一句です。

2010年6月9日
早瀬淳一ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 最近、少し俳句からはなれていました。「天使と悪魔」の映画を見てわくわくしながら、イタリアの街の美しさにため息を出す。ビッグバンド・ジャズのCDを徹底的に聞き込む。ジョン・グリシャムのペーパーバックにのめり込む。そしてふと、また俳句も少しの間離れた恋人のように、いいなあと思えます。さて、たくさんの投句、ありがとうございます。10句選、読んでいただけましたら、うれしいです。

【十句選】

アメンボも自我ありまして水へこむ   希妙
 難しく考えると、アメンボには自我はない。犬にもない。自我は「笑う」という行為ができて初めて生まれる。すなわち、人間だけが持つものだろう。(笑う猿がいたら別だが)。でも、アメンボがすいーすいーと滑っているときに、ある種の爽快さ、自我らしきものを感じていても、楽しい。「水へこむ」が、マンガのように大げさにポコンとへこんでいるようで、おかしい。

滝風やスナップショットと言はれても   たか子
 スナップショットは、意識しなくて、何気ない瞬間を写すもの。それを「スナップとるからねー」、と言われても、ついつい意識してしまう。そのぎこちない空気が伝わってきてほのぼのしている。今の季節、緑のむっとした匂いが一番強い時期。その青い匂いが、滝風に乗ってシャワーのように押し寄せる。

恋いくつみな葉桜となりにけり   せいち
 今まで恋っていくつしたのだろう。えーと、3つ、4つ、5つ・・何を言わせるんですか!でも、誰の胸にも様々な思い出をよみがえらせるいくつかの恋はみな葉桜になっている、というのは俳句と言うより、詩だ。そのうちのどれかは、ソメイヨシノの暗いような葉桜であり、どれかは、山桜の淡い薄明るい葉桜なのだろう。

垂直に鴉が下りる青田かな   えんや
 垂直に、はふつうなら説明。でも、ここでは鴉の動作の形容としてはやや見慣れない表現。それも下りる先は青田。人間の残したおいしい食べ物があるでもなし。カエルでも食べるのだろうか。「枯枝にからすのとまりけり秋の暮」(芭蕉)の様な、不思議な静けさを感じる。

一応を説く夏僧の腕っぷし   滝男
 「一応を説く」がやや難解。どんなことでも一応の仕事をしておくこと、一応の理解を努力すること、などの大事さを説いているのか。夏の僧の、その論破の腕っ節とともに実際のかいなも盛り上がってつやつやしていそう。力強さと、男の色気みたいなものも感じる。

万緑や斉藤歯科で歯を削る   ポリ
 万緑、で次ぎ何が来るかと思えば、歯を削る、ですか。おいおい。しかも、なぜか斉藤歯科。ひっくり返し方、お遊び、俳諧の諧の部分、お見事。

喪のための写真を撮つて心太   無三
 葬式用の写真を、死が目前に迫ったので撮っているのだろうか。それでは重すぎる。まだ若い人が、ふざけて、「よーし、今から撮る写真を葬式用に使うぞ」なんて言いながら、すました表情で写真を撮っていると考えたら、おもしろい。撮った後に待っている心太がそんなことを暗示しているよう。

新緑やもう謀反しかないでしょう   岡野直樹
 会社での上司や、部活での先輩などに、このように思うことは誰にもあるだろう。それも、梅雨のまっただ中というより、新緑のような最高の気候なのに、という方がありそう。冗談めかしながらかすかな本音を匂わせながら、やはり遊んでいるくちきき。俳句の一つのストレス解消方かもしれない。

あるじなき牛舎の遠くうまごやし   衣谷
 宮崎のことを思い、つい取りました。時事的な要素も含みながら、一般的な風景としても、廃業された牛舎の周りには、それ以前の長い長い時間のように、馬に喰われるためのうまごやしが豊かに実って、風に吹かれて揺れているのは、寂しいがなかなか良い景。

夏の星蛇口は銀の水を吐き   草子
 夏の星、だから戸外。公園か校庭の水道の蛇口からあふれる水に星の光が当たっている、というのは、幻想的で、美しい。それも、水を出してすぐ止めたのではなく、永遠にあふれ続けているような感じもする。「銀の」までは言い過ぎか。言わなくても、十分銀色が目に浮かぶ。

【予選句】

 今回は残念ながら、予選句がとても少なかったです。すみません。

カルガモに仲間入りしてついて行く   希妙
 カルガモの引っ越しの列を見たら、誰でも見に付いていくだろう。ほのぼのしているが、「仲間入りして」だけでは、それ以上の意外性、詩がない。

泣いた子が蒲公英のわた吹いてをり   たか子
 蒲公英のわたが子供から大空に吹かれ上っていくのは微笑ましい。が、泣いた子供とはそんなもの、の予定調和から逃れられていない。

山の独活温む土付け貰ひけり   たか子
 温かい土の付いた山独活はリアルで、実感がある。「温む」という言い方がやや苦しい。

緑蔭や舌でまさぐる抜歯跡   朱雨
 これも、緑陰と合いそうな景とはずらしている点で面白い。しかし、まさぐる、が生々しすぎるというか、読んだあとの心地よさがない。

朱欒咲き赤子の手足伸びにけり   俊
 「伸び」をしたのだろうが、手足がにょきにょきと伸びだしているようで、面白い。

抜け殻のヤゴの眼にある空の色   豊田ささお
 これはまた、詩的なパターンで勝負した意欲作。脱皮したヤゴの目は、薄い青色なのだろうか。作者の思いがこもった作。

【ひとこと】

☆一人静いのち小出しに咲き揃ふ
・・いのち小出しに、が説明。

☆道連れの名知らぬ人と杜鵑
・・「名知らぬ」は「知らない」でいいのでは。

☆風薫るベエトナム風のキティかな
・・ベトナム風のキティは面白い。ベトナム、でいいのでは。

☆五月の夜ローズヒップの色香濃し
・・報告。

☆竹の秋心の静寂引きよせて
・・観念的。

☆夏めくや親猫迷ひて子も迷ふ
・・物語、作りすぎ。

☆メロンパン蟻大挙して陰に入る
・・言い過ぎ。

☆我が箸を逃ぐる蓴菜終には吸ふ
・・全部言ってしまった。

☆とりあへず新茶の値段聞いてみる
・・報告。

☆上向きにガーべラの花青春像
・・見立てが平凡。

☆解体の退役艦に寄る卯波
・・説明。

☆知った振り恥は上塗り髪洗う
・・理屈。

☆夕日影夕刊来ぬ日夕端居
・・ありそうだが、もう一歩。

☆眼科医の緑衣まぶしき五月かな
・・まぶしきは説明。

☆菜の花に園児の青帽見え隠れ
・・見え隠れ、が説明。

☆歯刷子を青色にして夏来る
・・青色、と夏はつきすぎ。ブラシ、でいいのでは。

☆夕凪や波のとどかぬ岩がしら
・・いいが、古風。

☆日照雨して一気に色増す青田かな
・・説明。

☆立ち読みの青年笑まふ五月かな
・・もう一歩。

☆下駄蹴って天気予報やかくいどり
・・よくある。

☆誰知らぬ黒子見てる風呂の黴
・・リズム悪い。

☆早乙女もボランティアかなジャージ着て
・・おもしろい。

☆睡蓮はセザンヌのこと知りません
・・理屈っぽい。

☆初夏なんだ聞いちゃいけないことを聞く
・・面白いけど、もどかしい。

☆あきるまで雲をみつめてかたつむり
・・思いが入りすぎ。

☆田植え機の曲がってすすむ代田かな
・・よく見ているが、ある景。

☆筋肉質の腕が羅の衣に見えた
・・報告。

☆恥じらいにひかりを纏うエゴの花
・・観念的。

☆水浴びてどこか安らぐ象の尻
・・説明。

☆さざなみをふんでおどろく水馬
・・擬人法、成功せず。

☆雷を連れてくる雲こない雲
・・詩がない。

☆飛石の端でよろけるサングラス
・・面白いが、狙いすぎ。

☆汗は目で受けるしかないバドミントン
・・理屈。

☆ロレンスの瞳の如き朴の花
・・自分だけの世界。

☆ばら剪って誕生日いつって聞かないの
・・散文。

☆どこからか気になるもの言ひ蛍狩り
・・報告。

☆船頭のふだん着の声河鹿鳴く
・・平凡。

☆初夏の空へ跳ねたいやんちゃエビ
・・全部言った。

☆駅へ行くゾンビの群や花疲れ
・・報告。

☆湾岸の光の花壇春燈
・・近い。

☆殷々と蝦蟇鳴く闇の隠れ沼
・・全体に暗すぎ。近い。

☆海に入る運河錆色囲い船
・・中身が多すぎ。

☆制服の受付娘汗うすら
・・報告。

☆夏服の修学旅行生の古都
・・報告。

☆とんぼうや羽化の瞬間鳥が来て
・・想像しすぎ。

☆采配蘭整然列を成す兵士
・・言い方が堅い。

☆盃を重ね祝いの初鰹
・・そのまま。

☆突風やぐらりぱたぱた燕の子
・・そのまま。

☆堰堤や水のレースのゆらぐ壁
・・思いが入りすぎ。

☆啜りては茶碗も愛でる新茶かな
・・そのまま。

☆紫蘇の葉を三度叩いて香を増せり
・・全部言った。

☆朝採りのおおきトマトの瑞々し
・・全部言った。

☆旧道を祭りの露天埋め尽くす
・・報告。

☆木落しの神事見る手に汗にじむ
・・報告。

☆綱を曳く氏子の顔に玉の汗
・・報告。


2010年6月2日
中谷仁美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 先日勤め先でやごとりをしました(今2年生の担任なのです)。何匹かはうまく蜻蛉になって夏の空に飛び立っていきました。6月到来。今年は冷夏だなんて言われていますが、さて梅雨はいかがでしょう。俳人としては、季節というものは本来あるべきかたちであってほしいものです。
 今回もたくさんの句をお送りいただきありがとうございました。よろしくお願いいたします。

【十句選】

菖蒲園花咲くまでの水の色   くまさん
 菖蒲園の主役と言えば、咲き誇る菖蒲。しかし、その菖蒲が美しく咲くのは菖蒲園の水辺があってこそ。そんなところに着目して句にうまくまとめたところがいいと思いました。

公園の桜若葉を泥棒す   くまさん
 実際に泥棒したら叱られるわけですが、この場合本当にとって帰ったというのとは違うのではないかと思っています。(そうであってほしい。)泥棒す、と告白するお茶目さがいいのです。また、桜若葉という地味な存在を詠んだところもいいと思いました。

チェンソーや神話の里の草いきれ   茂
 神話の里というのは外の人間(観光客など)の考え方で、その土地に住んでいる人にとっては、そこはあくまで自分のまちであり自分の暮らしがあり、何かできごとや祭りなどがない限り神話の里だという意識はないでしょう。「チェンソー」という無骨なものと「神話の里」との落差に驚きながらも納得してしまう一句です。

葉桜や普段の顔にみな戻り   せいち
 桜が満開の頃というのは、学校では新学期だったり、会社なら新社会人が入ってきたり異動があったりして、少し背伸びをしてしまう時期ですね。葉桜の頃になると、そのペースに慣れてきて普段の自分にもどってくるもの。この句はそんな人の心の変化をさりげなく表現することに成功しています。

午前から午後の背中へリラの風   遅足
 「午前から午後の背中へ」というくだりはやや抽象的ですが、惹かれるフレーズ。午後の背中というのは午前と比べて徐々に疲れが滲んでくるのではないかと思います。そんなところにリラの風。感覚の心地よさに惹かれました。

遠足のどの子も空を青く描く   えんや
 ちょうど今週私もかわいい2年生を連れて遠足に行ってきたところですので、実感としてよくわかる句です。ただ、ありのままを詠んでいそうに見せかけて一抹の棘が感じられるのがこの句の魅力。ポイントは「どの子も」でしょう。それが果たしていいのか悪いのか、無邪気でかわいいなと思う心のどこかにチクッと何かが刺さる一句です。

クレマチス強い女は嫌われる   あざみ
 確かに、強い女は嫌われる。的を射ています。強気の姿勢でクレマチスというインパクトのある言葉を使ってきたところもいいのではないでしょうか。

植木市千年欅買うつもり 岡野 直樹
 植木市で買う欅が千年ものになるかどうかなんてわかりません。が、そんな気概で植木市に臨むということが面白い。「つもり」という不確かさから、千年欅になるかどうかなんてほんとはわかるわけないじゃんと思いつつ大きなことを言ってしまうというという憎めない性格まで見えてきます。

心太今世界中土砂降りで   無三
 こういう、物事を大きく捉えた句が好きです。今この瞬間も世界のいくつもの場所は土砂降りだろう。そう思うとなんだか元気が出ます。心太、という実物と表記にギャップがある言葉は面白いですね。(じっさいはぐにゃぐにゃ・・・)

夕焼けを待たせ蒟蒻に花   無三
 この句を読んで初めて蒟蒻の花がどういうものかと知りました。(インターネットで調べたのです。)ものすごく個性的ですね。夕焼けを待たせるという発想、蒟蒻の花という、日頃あまりお目にかからないものとの取り合わせ、そして大胆な字足らず。実物を知らなくても充分魅力的なフレーズですが、蒟蒻の花を知るとさらに納得の一句です。

【次点句】

たんぽぽやケアーハウスのお昼時   たか子
 温かい雰囲気を持っていていいなと思いました。ただ、たんぽぽとケアーハウスというのはとりあわせとして近すぎるのでは。そこにお昼とくると、わかりやすすぎるのがやや難かなと思います。

にはとりのただ立ち尽くす青嵐   たか子
 うまくまとまっていますが、「にわとり」と表記した方がすっきりするのではないかと思います。「にはとり」とするとそこに何らかの意思が働いて、句の世界観を邪魔してしまう気がするのです。

殺処分さるる和牛や梅雨近し   朱雨
 時事詠。この場合、事実とはいえ、句の内容と「梅雨近し」の季語のイメージが近すぎて損しているような気がします。思い切ってまったく違うイメージの季語を取り合わせてみてはどうでしょう。

杖歩行燕の影に追い越さる   達栗
 追い越されてもなんだかあったかい句でいいなと思いました。「杖歩行」という部分、その通りなのですがやや事務的かと思います。表現にひと工夫あるといいのではないかと思いました。

骨一つ足らざる散歩五月晴   遅足
 けがをしたのか、なんらかの手術をしたのか。自分の体と向き合いながら日々を過ごす、そんな真摯な姿勢が見えてくる一句です。

ねじばなのねじりおわりて泣きにけり   遅足
 ねじばなをねじるという発想はよくあるのですが、結句の「泣きにけり」、素直でそれでいて詩情がある感じがします。内容をうまく展開させていますね。

百千の家を出でたる鯉のぼり   恥芽
 鯉のぼりも子どもと同様に毎年空に送りだされてるんだなあという思いになりました。今の勤め先は農業が盛んな地区にあるため、どのおうちも庭が広く、広い空に悠々と大きな大きな鯉のぼりが泳いでいました。

客途切れ木造駅の燕の巣   大川一馬
 いい風景ですが、木造駅の客が途切れたのか、木造駅の燕の巣の客(=燕)が途切れたのか、初句がどこにかかるのか分かりにくいのが難点です。句の基本の意味はわかるように語順等工夫されてはどうでしょうか。

チェックイン夏のつばめと同じ階   紅緒
 なんだか、年季の入った陽気な宿を連想させるたのしい句でした。

山青葉娘にあう日の自由席   れい
 娘さんに会いに自由席に乗っている、その嬉しい気持ちが伝わる句です。自由席というのは、心の高揚感を表すいい小道具ですね。

万緑や千年池は空を呑む   豊田ささお
 発想はいいと思うのですが、万緑と池というのは同質のものの取り合わせなのでやや句が平凡になってしまいます。自然のものから離れた季語を取り合わせてみてはいかがでしょう。

三日月は赤星を抱き落とし文   草子
 情景のインパクトがあっていいですね。「抱き」とせず、一旦そこで句を切ってしまった方がメリハリがあるのではないかと思います。


2010年5月26日
小西雅子ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 『亭主関白協会』という会があるそうです。会合で新会員が、妻に「ごめんなさい」を言わせる方法はないですか、と質問。ベテラン会員が答えます。「9千人いる会員の中でいまだかつてそんなことをした人はいません。」何が「亭主関白協会」?関白の上には天皇(妻)がいる、家庭内では妻にさからわないで「うん、へえ、わかった」の3語を上手く使おう、とのことでした。「俺より先に寝てはいけない、俺より後に起きてもいけない・・・」さだまさしの歌「関白宣言」は夫の愛唱歌です。夫は、この歌の最後の歌詞が「愛する女は生涯お前ただひとり」だということを知っているのでしょうか。今週もたくさんの俳句、ありがとうございました。

【十句選】

はつなつや渤海をゆく遣唐使   朱雨
 奈良は今、建都1300年でにぎわっています。遣唐使というのは、当時命がけのことだったと思いますが、このようにさわやかに詠まれると、意気揚々と渤海を歩く人々が、まるで私たちの近くにいるように思えます。

揚雲雀コップに空の青を置く   遅足
 草の上にすわって水を飲む。そのコップのなかの空と、かけのぼっていく雲雀の声行く手の空。ふたつの空を表現している上手い俳句です。上手すぎるかもしれません。

五月闇延根(はいね)の抱ける石仏   しんい
 盛りだくさんの言葉のわりにはよくある景色。と思いましたが、声に出して読むととても気持ちが良いのです。しかも延根(はいね)が詩人ハイネにも思えてきて。

おおぞらに我呼ぶ声や朴の花   ジョルジュ
 朴の花はほんとうにそのような感じです。私が気に入ったのは「我」です。自分を呼ぶ声が大空にこだましているなんてこのおおらかな朴の花にぴったりの発想です。

尖がっている少年とオクラの実   きしの
 よくわかる句です。少年もオクラの実も、外見は尖がっていても、中身はやわらかくてねばりもありますよね。

眼科医の玉葱吊るすカーポート   山渓
 楽しい句。採れたての玉葱を吊るしているのが涙の専門家である眼科医だなんて。笑ってしまいました。「吊るされて玉葱芽ぐむ納屋ふかくツルゲエネフを初めて読みき(寺山修司)」も思い出しました。

片減りのジョギングシューズ柿若葉   無三
 「片減り」ということばに少し違和感がありました。しかし、若葉のころも花のころも実のなるころも作者は柿の木のそばを走っているということがよく伝わったので選びました。

ウォークラリー柿の葉寿司を食べながら   豊田ささお
 私も参加したかったなあと思えるような気持ちの良い、かつ美味しそうな句です。ウォークラリーの小気味よさもじゅうぶん感じられます。

キャラメル色の猫によろしく手毬花   紅緒
 「よろしく」と言っているのは誰でしょう。手毬花なら楽しいです。手毬花なら「あの猫によろしくね」と言いそうな気がします。キャラメル色という洒落た色の猫はきっと手毬花と友達なのでしょう。ステキな風景ができあがりました。

廃車して若葉を歩くことにせり   大川一馬
 人差し指でクルクルと車を回してポイッと棄てた。「廃車」がそんな楽しい言葉に変身しました。「ことにせり」がとてもよかったと思います。いいですね、車より若葉を選ぶなんて。

【次点】

生温き机上の辞書や蝿生るる   たか子
 不思議な魅力をもつ俳句です。まるで蝿が、窓辺の陽であたたまった辞書の「蝿」の字から生まれ出たかのような錯覚を起こさせます。「生温き」とまで言わなかったらよかったかもしれませんが。

桐の花山のあはひに白き雲   太郎
 とても気持ちの良い俳句。すべてが整っています。このままでも良いのですが575それぞれが同じ作りになっているので少し平凡に見えてしまいます。

不明門開けて待ちをり額の花   くまさん
 主役を「額の花」にして成功しました。不明門という固有名詞も魅力的です。ただ、不明門を「開けて」というところが理屈になってしまいました。

新同人半年目かな風薫る   茂
 「新同人半年目」というのはめずらしい言い方で好感がもてます。しかし「新」「半年目」「風薫る(時期)」と同じ意味合いのことばが続いてしまいました。

鬼太郎の足裏の白さよ半夏生   絵依子
 楽しい句ですが読んでみると少しリズムが悪いように思えます。「足裏」は「あうら」でしょうか。「足裏(あなうら)白し」ではどうでしょうか。

更衣君が手を振る坂の道   衣谷
 坂道で手を振る君を見て「おっ更衣したのか」と目を凝らしている作者。と読めればとても新鮮な句です。が、このままでは誰の更衣か、作者がどこにいるのかわかりづらいように思われます。でもいい句。

噴水の虹のようなる恋をして   希妙
 「噴水の虹」でしょうか、或いは、「噴水の」の「の」を軽い切れと見て、噴水が虹のような恋をした、のでしょうか。面白い句だと思いましたが「の」が不明でした。

藤垂れてくにゃりと笑みし媼かな   俊
 魅力的な句です。「くにゃりと笑みし」はとても上手い表現です。「媼」は古すぎると言う人がいるかもしれませんが、きっと作者はこの古語で尊厳を表現したかったのだと思います。

君のため梅雨前線押し下げる   岡野直樹
 なんと大胆な。そして楽しくて奇妙な句です。「押し下げる」がなんとも言えません。ただ、「君のため」で理屈に傾いてしまいました。惜しいです。

錆び付きし引き込み線をしじみ蝶   戯心
 昭和を代表する景色。読者にノスタルジーを感じさせる句です。10句に入れようか迷った句です。このままでじゅうぶん佳句。

椎若葉アリスまどろむ昼下がり   草子
 この句も悪いところはありません。ただ「まどろむ」といえば「昼下がり」、「若葉」といえば「アリス」、この組み合わせに少し個性がほしかったなあというところでしょうか。

緑陰に句碑の下五の文字うすら   えんや
 緑陰のひんやりした感じ、真緑の空間、さわやかな葉っぱのにおい、これらは風化しかかった「句碑」にぴったりで好感がもてます。「下五(しもご)」を一般の人にわかる言い方に変えたほうがよいのではと思いました。

滴るや映画の中の独裁者   浮游子
 ひとつの読み方として。夏山に滴っている冷たい水。ガッと岩に足をかけ両手で掬ってその水を飲むとき、あの映画の独裁者を思う。とすればなんて個性的な思い切った句なのでしょう。10句に入れようかと思いましたが、少し難しくて読み方を考えるのに時間がかかりました。

さよならって手を合わせるだけ心太   あざみ
 この句も魅力的です。別れるとき「さよならっ」てポンと手を合わせるだけ。2人の関係は淡い心太のようなもの。という意味でしょうか。心太の意味が少し意味深です。

【気になる句】

アスパラガス庭の彼方此方にょっきにょき   幸子
 楽しい句です。メルヘンのような。もっともっと楽しい句お待ちしてます。

茶のボトル皆口付けて夏談義   滝男
 いつでもどこでもこんな光景をよく見るようになりましたね。ただ「茶のボトル」では「お茶のペットボトル」というより「茶色のビン」に見られてしまうかもしれません。「夏談義お茶のボトルに口付けて」くらいが良いかもしれません。

【「母の日」の句】
※今回は母の日の句が多く、特別に秀句を拾わせていただきました。

母の日や嫁より届く植木鉢   野幸光
 花の名を入れないシンプルさが良い思います。

泣き虫の母おはします母の日よ   せいち
 「泣き虫の母」とそれを見ている子、いいなあと思いました。

母の日や今年も妻と花を選る   衣谷
 「今年も」の「も」に3人の健康がありました。

母の日の口縄坂で泣いており   希妙
 泣いているのは誰か不鮮明な句ではありますが、ドラマのような句でもあります。


2010年5月19日
小枝恵美子ドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】

 ゴールデンウイークは汗ばむ陽気となり、本来の気象状況でほっとしました。今の季節は歩くのが楽しいですね。大阪市内など普段は地下鉄移動が多いですが、青葉の時期は少し歩くようにしています。なんじゃもんじゃの木を見つけたり、アルパカを飼っているビルがあったり、宮亀神具店、ドレミ薬局、ばらぞのばし、浮庭橋など、変わった店や橋もありました。
 今週の俳句はさまざまな試みが見られて、私もいい刺激をいただきました。

葱坊主アラブの王と踊り子と   菊
 葱坊主から、アラブの王を発想する柔軟さに驚きました。王と踊り子がこれからダンスをするのか、はたまた恋に発展するのか、とても物語性があって、葱坊主のいきいきとした風情も見えてきて、文句なく楽しい句です。

よこすかの海軍カレー海猫(ごめ)渡る   大川一馬
 港町の「海軍カレー」はきっと辛く、ジャガイモとかごろごろしてて、食欲をそそるカレーでしょうね。海辺を渡る海猫の鳴き声も大きく聞こえてくるような、力強さを感じます。「海軍カレー」のスパイスが良く効いています。

風薫や脳科学本を読みあさる   月穂
 取り合わせが新鮮です。脳科学本を読みあさることと、青葉や青草を吹く風の香の気持ち良さがマッチして、脳も鮮明になって行くようです。「や」で切れを入れる場合は、「薫風や」とした方がいいと思います。風が薫るということで使いたい場合は、「風薫る」とした方が適切ではないでしょうか。「薫風南より来る」など詩文にありますが、歳時記では、「漢詩趣味の蕪村に至って、「薫風」の熟語をそのまま句に詠み出した。近代に至っては、「風薫る」より「薫風」の音を好んで、読むことが多い」と解説がありました。

子どもから翼きえゆくシャボン玉   遅足
 「大人になったら何になる」とよく言いますが、こどもの頃の夢は大きく、そしてシャボン玉のようにはかなく消えていく場合もあります。「子どもから翼きえゆく」という詩的で繊細な言葉が、シャボン玉のつぎつぎと空へ飛んでいく様子に巧く託されていると思いました。

五月晴れ喪主におおきな黒子かな   遅足
 夏の初めの晴れた日のお葬式。悲しみを述べていませんが、喪主の大きな黒子に焦点をあてることで、じんわりと悲しみが漂う句となりました。「喪主に」の「に」は説明的になりますので、「の」とすると、黒子に焦点がいって、さりげなく悲しみが表現されます。

子供の日子を乗せてやる耕耘機   吉井流水
 子どもにとっては楽しい「子供の日」。農作業中の親は耕耘機に子を乗せて、親子の会話を楽しみながら働く景がさわやかです。親子の暖かみが伝わってきて、代々続いていく家系も想像できます。子どもの笑顔も見える句ですね。

篁の闇を宇宙に蝸牛   戯心
 竹藪の薄暗さの中を宇宙として蝸牛が這っている、そこは異空間として浮かびあがります。蝸牛はちょっと湿り気のある場所を好みますが、すっと伸びた竹藪は宇宙的空間として適しており、そこに物語性があると思いました。

沸点を超えてこぼれる棕櫚の花   紅緒
 都会では棕欄の花はなかなか見ることはないですが、私の田舎にはよく咲いていました。黄色い小さな花が無数についていて、まさに「沸点を越えてこぼれる」という形容がぴったりです。

逆立ちの操り人形余花の雨   浮游子
 室内では操り人形の劇が行われていて、窓の外では遅咲きの桜が雨に濡れている。逆立ちの操り人形が、少し憂いを帯びて見えるのは、「余花の雨」のせいかも。桜色の雨が人形の目と重なるような気がします。繊細で美しい情景ですね。

麦秋やをとこ同士のけんけんぱ   浮游子
 麦が目にまぶしい時期、男同士がけんけんぱをしている風景がおかしい。麦の取りいれ時に働いている大人ではなく、旅先での通りがかりに、ふっと童心にかえって遊んでいる姿を想像しました。

【予選句】

火の山を真向かひに見て鶏頭蒔く   太郎
 もう鶏頭を蒔く時期なのですね。真向かいに火の山がある、雄大な景色ですが、少し不安感もあります。「見て」がちょっと説明的ですね。

寺山忌迷惑メール大量に   朱雨
 「大量に」が、「寺山忌」の陰りのような雰囲気を壊しているような気がします。例えば、「二、三通」あたりにした方が、いいように感じました。

藤の花缶コーヒィをこぼしたり   希妙
 藤の花に見とれて、うっかりと缶コーヒーをこぼした、というさりげなさがいいですね。あとちょっと詩情がほしい気もします。「缶コーヒー」としたほうがいいです。

囀りや神経衰弱五連勝   茂
 囀りと神経衰弱の取り合わせが面白いですが、「五連勝」は、囀りをやかましくしてしまいそうです。「連勝す」のほうが適切かとも思いました。

前世の記憶吐き出す浅利かな   鏡紙魚
「前世の記憶」と言われると、それもありえるかと、浅利を見ながら納得しました。

爪先の覗くスリッパ四月尽   えんや
 スリッパから、爪先が見える、ちょっとしたことですが、四月尽の気分がそこに出ています。

かちゃかちゃと絵馬の合唱五月晴   勇平
 神社の絵馬が風にゆれて、板の音が「合唱」のように感じたのでしょう。願い事の合唱とも。

神輿担ぐエアークッション入り地下足袋   岡野直樹
 今は色々と地下足袋も工夫されているのですね。地下足袋が弾んで祭の楽しさが感じられます。「地下足袋にエアークッション神輿担ぐ」はどうでしょうか?


2010年5月12日
岡野泰輔ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】
 このところ、昨年末に出た『「正月のない歳時記」―虚子が作った近代季語の枠組み』西村睦子著 本阿弥書店 を時々ひっぱり出しては読んでいる。江戸期まで遡り、丹念に調べて書いてある、実に興味深い。で?現在、私が依拠している季語世界は、ほとんど大結社ホトトギスの経営上の要請で虚子が構成したものではないか?と。数は力なり、雑詠欄を舞台に虚子が拾い、虚子が捨て、虚子が纏め、虚子が分割した、季語秩序。《カレンダー上の春夏秋冬の土台の上に伝統的な美意識によるイメージとしての春夏秋冬をオーバーラップさせ、巧妙な二重構造を作り》・・・これって今私が普通にやっていることだ。要するに虚子の掌の上で俳句を作っているということか。てなことで十句選。

【十句選】

犬見れば犬もわれ見る春愁   恥芽
 「春愁」は扱いによっては妙に甘口になってしまって、個人的には難しい季語だと思います。詠まれる対象との関係でいえば、このくらいの温度、距離感がよい頃合で一読納得できます。たしかにこのような瞬間はあって、犬とわれとの関係において春愁なのですが、この犬の方により愁いを感じてしまう、「われ見る」というところに。通りすがりに見た繋がれっぱなしの雑種と勝手に読みました。

N(エヌ)を二度押して終止符若葉風   大川一馬
 文筆家の書斎を想像してみる。開け放った窓から風にそよぐ若葉が見える。Nの二度押しということはローマ字入力で「ん」と打ったところだろう。終止符とは本来ピリオドなんでしょうが、ここでは語尾がN音の「完」ではないかと?かなり長いものをようやく脱稿した達成感と虚脱感、そこに若葉風が心地よい。リズムの悪いのが難点ですが、キーボード操作、それもNの二度押しのような瑣末かつ具体的な動作で一句をものにしたところを買いました。

節穴のむこうは春の海らしい   遅足
 節穴のある板というものを日常ではとんと見なくなりました。周りはどこで伐っても均質な合板ばかり。節穴のある板というものがもう既に少し懐かしい匂いを放っています。板壁か板塀か、とにかく海は見えない、音なのか、洩れてくる光なのか、海を感じることはできる、それもあきらかに春の海を。板の存在で海を隠しつつ、節穴によってその海の一部を招聘する。にくい仕掛けです。平凡に海を詠むより、よほど海への期待は高まる。音も光も冬とはあきらかに違う春の海ならなおさらです。

たましいのそこはあぶらみ朧月   遅足
 たましいにあぶらみはない、と言ったらそこで終わってしまいます。たましいのそこはあぶらみであるという言表がなされているので、とりあえず、それに付き合ってみようという態度がこの場合望ましいかと。付き合ってみても中七までは一向に像は結ばず、朧月がボーッと光っているのみ。それこそが作者の狙いかもしれず、たましいは何にも譬えられず茫漠とした空間に投げ出されています。さらに、あぶらみであると指摘された、そことは?と問えば其処ではなく底かもしれず、あぶらみの「み」も原因・理由を表わす接尾語の「み」にも見えてきて、こうなるともう、平仮名表記にした作者の術中に嵌ってしまっています。好みもあるでしょうが、このように全体が虚でできた、読みによって像がぶれ続ける句も私には魅力的です。

春眠や醒めてこの世に不時着す   遅足
 この場合うたた寝、昼寝でしょうか。たしかにこのような実感はあります。それだけに類想はあるでしょうが、現実のこの世が不時着した場所だという認識はやはり魅力的です。パラレルワールドとかSF的な発想も、不時着したこの世は仮の世だととらえれば、ほら、日本の詩歌の伝統に繋がってしまいました。

父よりも笑わぬ夫よ鳥交かる   あざみ
 笑わぬ夫はわりと普通にいる。父と比較したことで途端に妙な具合になっています、句の世界が。不穏ですらある。父とか夫を、意味の着地しないこのような不安定な場所に置くのはあまりない。したがって鳥交る(あっ、表記は鳥交かるよりこのほうが)配合の妙を発揮しています。

胡瓜の花かめばおしりはなくでしょう   汽白
 どう言ったらいいのか・・・独特の汽白ワールドです。得てして読者は置いておかれることが多いのですが、この句かわいいし、参入できそう。表記は? 噛むとか、お尻とか、泣くとか実際に打ってみましたが、やっぱり平仮名がこの場合いいんでしょうね。かわいさとか、ひとつのお話の感じとか、漢字を使うと減衰してしまいますね。胡瓜の花の取り合わせは結構際どいと思います。

かくれんぼうそのまま消えて昭和の日   無三
 昭和の日の句は他にもありましたが、この句が一番詩的でした。昭和の日という季語はどうしてもレトロな方向に傾いてしまう、しかもここではかくれんぼうですから道具が揃いすぎた感もある。でもいいんです、これで。ここはね。そのまま消えた少年は、まだどこかに隠れて息を殺しているかもしれず、それは作者の中でまだ呼吸している昭和という時代そのものかもしれない。

憲法の前文よりも初鰹   戯心
 江戸っ子は「女房を質に入れても初鰹」といいますが、それくらい初ものに入れ揚げたのですね。ここでは女房の代りに憲法です。よく憲法を、それも理想に貫かれた前文をもってこられました。女房と憲法でどちらが大事かはここでは言及しないことにしておきます。とにかく初鰹ですから。

ひなた山のどれかは墳墓春の鳶   濡衣
 春の鳶というと飯田龍太の「春の鳶寄りわかれては高みつつ」を思い出してしまいます。それが悪いと言うのではなく、先行する句群の揚力に乗ってこの句の鳶も高く揚るのだと思います。墳墓というのだからそれほど高くない山々、空の広さが想像できます。ひなた山がこなれない措辞ですが、このような言い方があるのでしょうか。

【予選句】

花芭蕉昔鉄道官舎あり   大川一馬

外はカリッ中はジューシー昭和の日   KQ

時刻表カメラに収む昭和の日   藤原 有

げんげ咲く田げんげ咲く田げんげ咲く   くまさん

つんでれのつんばっかしと葉桜は   汽白

新葉の滾々と湧きアラベスク   草子

産土の水張る棚田日を返す   しんい

それとなく母の日のこと尋ねけり   無三

破風揚げて天守五月の風入れる   戯心

カンバスを置いて鶯餅買ひに   濡衣

【ひと言】

☆大文字「大」のとこより花見かな
 「〜のとこ」が拙く見えて損。

☆階段を目的もなく上がる春
 無為な春、この世界は共感しますが「目的もなく」と言ってしまっては散文。

☆山ざくら覚めつつ眠りつ七分咲き
 「七分咲き」が答で艶消し。前半良い。

☆春の星赤方偏移またたけり
 これ又「またたけり」で艶消し、「赤方偏移」は賛否両論、私は賛。


2010年5月5日
えなみしんさドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 前回の担当の時、マグリットを詠んだ句が気になって美術館で見たり画集をめくってみたりしました。額から飛び出す雲、自画像を描いている最中の自分など。「絵の約束事」からちょっとだけ離れてみれば、絵はずいぶん自由だと共感、感心しました。マグリットは俳句的なのだな〜と思います。
 一方、「e船団」の「面白い俳句とは何か?」俳句時評のやりとりの中で、早瀬淳一さんが「通常はその言葉と結びつけられないような言葉とくっつけて、普通の論理を微妙にずらす」という技法を取り上げ、例句として「秋の浜大人になったから座る/山本純子」を紹介していました。これも「言葉の約束事」からの離反で新鮮でした。ここでも、そういう句を時々お見かけしますね〜。
 さて、今週は。

【十句選】

谷地蕗や季寄せも入るる旅鞄   たか子
 谷地というのは湿地をいうんだそうです。従って、単に「谷地蕗」という花だけでなく、旅をして谷地にいるという感じが出て上手い使い方です。この「も」は、他のものも入っていて、ついでに入れる感じですから適切です。「入るる」は「入れる」の音便なのでしょうか、あるいは自発の受け身なのでしょうか、やや疑問。

冷めるまで待つ春愁の落とし蓋   せいち
 食材に火が通り、落とし蓋をして、冷めるまでの時間は、ただ待つばかり。そんな時間を春愁と感じられたのでしょう。共感できます。落とし蓋の句というのも、初めて見ました。

新入りのナース白皙夏はじめ   えんや
 ハクセキは色が白いこと。このような平易な句に白皙とぶつけて新鮮なイメージが湧きました。句材としてはありがちかも。「二の腕の白きナースや夏きざす」も同じ方の句。

ホイツスルに列の整ふ遠足児   山渓
 遠足児とあるから、幼稚園とか小学校低学年をイメージしました。「列の整ふ」に動きがあっていいですね。散文的なので「遠足児列のととのふホイツスル」と語順を変える手もあるかも。個人的には「遠足児」という言葉になじみがないので、「遠足の列のととのふホイッスル」などもあるかも。

燕来るシャッターアートの上がるとき   きしの
 シャッターアートとは商店街などが企画するシャッターのアート。人口5万人程度の地方都市、大手商業モールに喰われて町おこしにやっき、そんなイメージです。シャッターが上がって燕が来るわけではないので、下5に工夫が欲しいと思いました。「シャッターアート」を中七にしないで、「〜シャッター/アート開く」などとする手もあるかも。

ご開帳敬老パスの人だかり   大川一馬
 ただの報告句、あるいは時事句か、と思って迷いました。が、寺に集う方の表情や仕草が目に浮かんだので、10句に入れさせてもらいました。作者も、たぶん敬老パスの年代か(選の後で見たらそうでした)。ご開帳というのは、実は、さほど驚くものを見るわけでもないのですが、日本人は物見高いからな〜という気持ちが「人だかり」にこめられているように思います。「(66)春風や老のやすらぐデフレーション/恥芽」という句もあったのですが、こっちは単に事実句だと思いました。

ぬんぬんとのんのんとして猫と朝寝   希妙
 オノマトペが2連発、いい雰囲気の句になったと思います。下6なので声に出すと間のびする。「〜〜猫と/朝寝して」などのカタチもさぐって575にはめてみたいのですが。

桜坂人形乗せたる乳母車   希妙
 怪談フリークではないのですが、ウバには姥という字もあり、どことなくブキミなイメージがあるように思います。実際に、人形を乗せた乳母車に出会ったこともあります。「桜坂」との取り合わせは、様式化された美を感じます。漢字がごちゃごちゃなので「さくら坂人形のせたる乳母車」のように表記する手もあるかと。

若竹や小芥子は白い歯を見せぬ   輝実江
 小芥子は難しい表記、「こけし」でいいのでは。その小芥子ですが、果たして歯があるのかないのか。それは別として、若竹の生えた庭を見て微笑んでいる小芥子が、ある種のリアリティを持って浮かびあがりました。例えば、雛の耳とか、官女の足とか、普段気にとめない部分を詠むのはいいかも、若竹との取り合わせが、古典的。何か現代的な季語と取り合わせる手もありか。

踊り場で告白受くる日永かな   浮游子
 ロッキーは生たまごを飲んだ、アン女王は現地の記者と恋に落ちる。「踊り場」ではしばしばドラマが起きます。ここでは愛の告白を受けたと読めます。日永もいいと思います。「受くる・かな」の5文字を使って、具体的な言葉がひとつ入ると、もっと良くなるのでは。

【気になったこと】

 春なので花を季語にした句がたくさんあったのですが、読むのに苦労しました。例えばですが、紫荊、苧環、繁縷、紫雲英、薺、いくつ読めますか。変換で出てくるので、つい使ってしまいますが、漢語系のむつかしい文字は、句を硬くします。これから夏に向けて花の季節。俳句によって漢字とかなと使い分けてはいかがでしょうか。
 以上、十句。今回はやや低調だった気がします。次回を楽しみにしています。では。