「e船団」のドクターがあなたの俳句を診断したものです。


2010年10月27日
南村健治ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 我が家には蝿取蜘蛛がいる。居間のふすまを這っていたり二階への階段の途中の壁に現れたりする。家内のハナシだと、いま玄関の靴脱ぎ場に居るやつは蝿取蜘蛛2号で、これのほかに1号と3号が居ると言う。さらにどこで仕入れた情報なのか、蝿取蜘蛛は家運を高めるので追っ払ってはいけないと言う。ホントかな、、、、、近々その2号をブログで紹介しようと思います。検索は「阪神沖釣クラブ」でどうぞ。

【十句選】

深海の魚の眼光り窓冷ゆる   葦人
 少しリズムが悪いが、窓の外の暗闇に光る何物かの灯りを「深界の魚の眼」としたところがオモシロイ。都会の真ん中、ビル群の灯りではなく点在する様な感じの灯りだろう。自分の居る場所と灯りの点る場所。窓の外と内。深海魚の孤独、自身の孤独を「冷ゆる」が語っている。

家名捨て妻捨て子捨て瓢箪に   涼
 深刻なのか、ふとした思いなのか。誰しもが出来るとは思わないし、今の時代を思えば「瓢箪」にさえなることは難しいだろう。ただ、俳句としては、前半の深刻な流れを最後で覆すという方法は正解。

星月夜笛になる竹ならぬ竹   太郎
 たとえば、星々の光によって育てられ、笛に選ばれた竹。それはいい音色を出すだろうなと確信を持って思う。秋の夜の冷気とともに冴えた笛の音が聞こえてきそうだ。

月涼し折鶴の嘴たちにけり   菊坂
 折鶴の色は白がいい。あまり小さくなく、掌にすっと乗るぐらいの折鶴。涼やかな月の光のなかへ飛び立たせてみたい。

長き夜のしてもせんでもいい仕事   せいち
 「してもせんでも」の大阪弁がオモシロイ。どうせなら「いい仕事」ではなく「ええ仕事」としてみてはどうだろう。夜長を持てあます気分が強く出ないか。

ラ・フランスそんな真顔で笑わせて   せいち
 人を笑わせるにはその意図を隠したほうが効果的。お洒落な名前のわりにでこぼこで不器用な感じの「ラ・フランス」。そんなギャップを「真顔」で曝す「ラ・フランス」、、、、うん、そうか、そのでこぼこ真顔から誰かを想像したのか。

新調の老眼鏡も秋の空   菊美
 滑稽というのか自虐的な句は沢山ある。この句もそうで、ただ、どこにこの句のオモシロさがあるのかよく分からないが、ひょっとして「も」にその秘密?があるのかも、、、、、、、この秋、老眼鏡の他にも新調したものがあって、でも、自分としては老眼鏡を新調したことが自分のなかで一番のニュースです、と言っているようで、だから滑稽で自虐的でオモシロイ。

お湯入れて三分待つの秋の夜   万
 もちろんカップ麺の出来上がりを待つのだが、秋の夜長の退屈が三分で解消できるとも読める。

枝豆の三つ子に双子一人っ子   岡野直樹
 枝豆にも高価なのとそうでないのがある。高価なのはこの句のように莢も粒も不揃いではない。ただ、不揃いには不揃いの魅力があって、実際この句のような楽しさが生まれる。

りんご剥きましょうか五等分ですか   あざみ
 親しげな語り口だが、りんごを五等分するのはかなり難しいはず。だから、どうだというのではなく、そこらあたりのずれを楽しむ句。


【予選句】

雨降りて黙になりたる刈田かな   太郎

憲法のとどかぬ乳房秋の雨   遅足

ダンボール箱をまがって秋の風   遅足

おやじ似の梨がならんで直売所   すずすみ

一つ穴覗き込む秋地球人   きしの

鍋の底磨き秋思の置き所   草子

砂浜に続く足跡秋暑し   万

じいちゃんがヒグマになって栗落とす   岡野直樹

秋深しとなりは人民共和国   栗原

芒原右に廻れば真昼かな   豊秋


2010年10月20日
星野早苗ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 ようやく秋、爽やかな季節になってきました。
 先日のチリの三十三人全員の生還も爽やかな結末でしたね。落盤は不幸なできごとでしたが、その生還に賭ける姿に、奇跡は人為でも創れるのだなぁと感動しました。
 地球の裏側にも私たちと変わらない人が居る、と考えると、宇宙に浮かぶ丸い地球の姿が眼前します。日本では、もうしばらく秋の夜長が楽しめますね。
 さて、今週は124句の中から。

【十句選】

豆腐売り霧の匂ひを纏ひて来   たか子
 豆腐売りの姿もラッパの音も遠くに消えて久しいのですが、霧の匂ひにはっとしました。そういえば子どもの頃そんな朝もあったなぁ……と。肌寒くなる頃の霧の朝、早起きをしても、それ以上に早起きの豆腐屋さんは、もうゆっくりと坂を上ってきます。どの家も早起きだった時代、朝食の味噌汁に豆腐が欠かせなかった時代が夢のようです。豆腐を沈めた水を揺らしてくる豆腐売りに霧の匂い、季感もしっかりと捉えられ秀逸と思いました。

ハーバーに三本の旗小鳥来る   茂
 気持ちのよい作品。ハーバーという英語も嫌味なく、三本の旗と小鳥来るがあっさりと取り合わせられています。こんなにシンプルに俳句ができることも嬉しいですね。

秋天の母なき家にあがりける   遅足
 母の亡くなった後、しばらくして(法事の為に)実家に帰られたのでしょう。実家の人たちは温かく迎えて下さったのだと思いますが、遠慮無く上がり込んでくつろげたのも母あればこそ。母が居なければ、そこはたとえ兄弟姉妹とはいえ他人夫婦の家です。お接待にも遠慮の気持ちが生まれますね。母亡き後の秋天の高さが心にしみると思いました。

喪の家をゆつくり流る秋の雲   えんや
 近所の親しい方が亡くなったのだと思います。その方の家の前で通りがかりに立ち話などもしておられたのではないでしょうか。近くを通りかかると、必ずここは〜さんの家、と思うのに、その家はもう自分に親しいものではありません。俳句でしか表現できない感情がここにあると思いました。

きっぱりとどこも正面曼珠沙華   紅緒
 なるほど曼珠沙華は「どこも正面」です。「きっぱりと」裸で咲く曼珠沙華。雲ひとつ無い青空に「きっぱりと」朱色の曼珠沙華。本当に、どこから見てもいいですね。

稲田道サイドミラーに消ゆる君   勇平
 車で友人を送って来られたのでしょうか。作者は、サイドミラーの中で帰って行く友人の後ろ姿を見送っておられます。稲田道なのでふり返ればいつまでも見送ることはできるのですが、サイドミラーから消えるまで、のほどの良さを保とうとしておられる。……「消ゆる君」の惜辞からそのようなことを感じました。原句は「消へる」となっていましたが、現代語ではア行下一段活用で「消える」、古語だとヤ行下二段活用で「消ゆる」となります。

来る小鳥来る小鳥来る小鳥来る   くまさん
 季語「小鳥来る」をこのように楽しく遊んでしまうこともできるのですね。「来る小鳥、来る小鳥、来る、小鳥来る」と読ませていただきました。小鳥来るの季節、本当に来る小鳥も来る小鳥も来るんだなぁ、と。秋は後から後から小鳥がやってくる嬉しい季節です。

七十八回転レコード秋の蛇   豊秋
 七十八回転のレコードは一番回転数が多く、蓄音機で竹針で聞くタイプの戦前のレコードだそうです。そんなに古いものをどこから見つけてこられたのでしょう。秋の蛇との出会いで味わい深い一句になりました。

月光の入り口はここ植木鉢   岡野直樹
 「月光の入口はここ」の「ここ」がよく考えると難解です。庭やベランダに置かれた植木鉢の縁が月光の入口に見えるのでしょうか。或いは、室内に窓があり、月の射す窓が月光の入口になっているのでしょうか。そこに作者は植木鉢を並べて世話をしておられます。月光によく当てると美しい花の咲く植物があるのかも知れません。何となく月下美人を想像しましたが……。

山頂のふわりと開く霧襖   せいち
 霧で視界の開けないままの登山は残念です。けれども、山頂近くなってようやく霧が晴れ、頂上がすぐそこに見えたのだと思います。「開け、ゴマ」のように霧が開き、山頂が現れたときの嬉しさと、幻想的な美しさが伝わりました。

【佳 作】

頑張れと言ふ頑張ると言ふ夜学   みやこ


2010年10月13日
早瀬淳一ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 俳句作りに絶好の日和になってきました。
 2日の土曜日に、西宮恵比寿神社の「酒蔵ルネッサンス」という行事に行ってきました。広い境内の中にいつものお祭りの屋台の列が続き、目玉は境内の一番奥にある試飲広場。コの字型に6、7の酒蔵のテントが並び、それぞれのコーナーで小さいカップに半分くらいのお酒を試飲させてくれます。押すな押すなの盛況で、全テントを3周回ったら、お酒も相当回りました。「秋暑し」の1日でした。

【十句選】

秋の蝶ルビコン河を渡りしか   涼
 ルビコン河は、あのシーザーが反乱軍のいるローマに帰還するとき、「賽は投げられた」と叫んで渡り、ローマに進軍した河。今では、地方の目立たない小さな河のはず。歴史上の大事件があったことなど忘れ去られた河を、秋蝶がふらふらと渡っていく。ルビコンという音がいいし、ルビコン河と秋蝶の取り合わせが古を物思いさせてくれる。ただ「しか」は「渡ったのだろうか」という意味になり、句を難しくしたかもしれない。

てっぺんに色鳥の棲む大きな木   俊
 色鳥はいろんな種類の秋の小鳥。大きな木の上の方に茂みがあって、そのなかから秋の鳥が飛び出てきたり入っていったりしている。それだけのシンプルな作りから、逆に秋の1日のしみじみとした喜び、静かな少し冷え冷えとした空気、自然の変わりない営み、などが伝わってくる。それは、てっぺん、棲む、という言葉の力と、リズムの良さからくるのだろう。

紅玉を齧れば近くなる昭和   せいち
 ただの林檎ではなく紅玉がいい、効いている。何か懐かしい感じのする紅玉を袖でこすって囓ると口の中に広がる酸味。その味は、年を経たものこそわかるほろ苦さ、感傷、後悔、誇らしさ、の入り交じった味のような気がする。青春時代の昭和がまさによみがえってくる。そういえば、最近の子供は林檎をあまり食べなくなってきたような。

天高し口笛細く吹いてみる   万季
 「細く」をどう鑑賞するか。天高くの気持ちいい季節。大きく口笛を吹きたいが、大人なので恥ずかしいから、または不器用で上手く吹けないからか、かすれたような口笛を吹いてみた。秋を愛でるストレートな感情ではなく、少し屈折した感じが読めて、句に陰影を与えたと言えば、ほめすぎか。

あわててコスモスおちつけコスモス山の暮   汽白
 山に近い小屋か何処かで、何かの作業を焦ってやっている。渋柿干し、農具の手入れなどだろうか。秋の入り日は早いので、あっちこっち行ったりでバタバタしている。まわりには作者を見ているコスモスがさわさわと風にそよいでいる。そんな様子を、あわててコスモスおちつけコスモス、と表現した。破調が効いていて、ユーモラスで面白い。

実石榴の大きくはじけ絵手紙に   くまさん
 絵手紙の葉書の中で、大きな石榴が弾けている絵が描かれているのか。実際の石榴が弾け、絵手紙を描く作業に戻っていったのか。実石榴が弾けて、そのまま葉書になったような気もする。実石榴と絵手紙の取り合わせによって、像が生き生きと目に見えてくる。

交番のガラス戸のひび鰯雲   戯心
 交番は公務施設なので、すぐに修理されるはずだが、ひびが入ったままの窓ガラス。そこに、取り残されたような過疎の村の、古い小さな交番の建物が目に浮かんでくる。軒先には大きな蜘蛛の巣もありそう。季語の鰯雲によって、何も事件の起こらない静かな平和な村の日常も感じられる。このように、何も言っていない俳句に惹かれる。

月明かり遊び足りない影法師   岡野直樹
 昔は月明かりが出ても、まだ遊び足らない子どもが路地で走り回ったりしていた。今は、暗くなって遊んでいたらすぐに事件に巻き込まれそうだし、第一外で遊ぶ子どもがいない。遊び足りない子どものことを影法師と表現したところが面白い。郷愁を感じさせる1句。

船艇の波音白き鳳作忌   豊秋
 しんしんと肺碧きまで海のたび、で有名な俳人。忌日は9月17日。他に、満天の星に旅ゆくマストあり、の様な句もあり、無季で、リリシズム溢れ、また海洋の句のイメージが強い気がする。その鳳作のイメージに、ぴたりとはまった掲句。波音が白い、という捉え方に工夫があり、にくい。

乳飲み子の目を凝らす闇虫すだく    草子
 乳飲み子はただ闇の方をぼんやりと眺めていただけなのだろう。が、目を凝らす、と書かれると、大人が見えない魑魅魍魎を凝視しているかのように感じる。虫すだく、もよく効いている。虫の季節は案外と短く、虫が去ると、地霊達も去っていくかのよう。

【予選句】

隣家より鼻唄聞こゆ良夜かな   葦人
 いかにものどかな、静かな月夜の様子。俳句は市井の庶民のもの。

血の滲む紙の白さや秋の昼   涼
 何の血か分からないのが不気味。紙で切った傷は殊に痛いですね。

すすき野の丈に風あり志賀の朝   太郎
 すすき野の高さに風が吹いているというのは面白い。

園庭にのこる白線あきざくら   吉井流水
 幼稚園の運動会が終わった数日後に、まだ残る白線。いいですね。

頬杖の杖にもたれる秋の風   遅足
 頬杖の杖、とは腕のことか。少し変わった表現。もたれる、はもたれて、か。

交響詩色なき風の吹き渡る   勇平
 秋風の中、交響詩も吹き渡っていて、いいですね。

米価安し案山子の身にもなってみろ   紅緒
 案山子はお百姓さんの事かな。このぼやき(怒り?)の言い方は面白い。

竜胆や笑い上戸を秘めたまま   茂
 笑い上戸は幸せな人だと思います。それを秘めている人も。

白菊の香を残しゆく霊柩車   戯心
 お棺の中にたくさん入れられた菊の香は、本当に匂いそう。リアルで余韻のある句。

天高く琵琶湖はお尻四つかな   岡野直樹
 思わず地図帳で琵琶湖の形を確認したくなる。天高し、で普通に切った方が。

独り居や風船かずら揺れもせず   蛇蝎
 独り居のたたずまいが彷彿とするような。

秋暑し本屋に並ぶボブデイラン   豊秋
 ボブディラン特集でもやっていたのかな。知る若い人も少なくなったような。

茸生え甍のごとくなるベンチ   豊田ささお
 そのようになったベンチを見たことがあるような気がします。

【ひとこと】

☆蓑虫やパソコン頼る籠もり癖
・・説明。

☆草をはむ栗毛も背割れ秋高し
・・何の動物?

☆黄金波千石原の芒かな
・・説明。

☆十月の壁の古傷冬用意
・・季語が二つ。

☆五十坪の真上の秋空もやはり五十坪
・・もやはり、がいらない。

☆不機嫌な女が飛んで鰯雲
・・乱暴。

☆身辺りにすかすかすかと捨子花
・・すかすかすか、が効いていない。

☆秋祭りをとこの晒佳かりけり
・・言い過ぎ。

☆そば咲くや開田高原馬の郷
・・説明。

☆落鮎や農家民宿太柱
・・太柱が説明。

☆焦げ紅葉水屋に戻る河童かな
・・焦げ紅葉という言葉はどうか。

☆蓑虫の目玉見ており我わすれ
・・蓑虫の目玉が分からない。

☆月取れと泣く子飼ひをる天邪鬼
・・一茶に類句がある。

☆蛙呑む穴まどひピラと冷たき目
・・言い過ぎ。

☆野仏の貌に秋風来て吹けり
・・つきすぎ。

☆鰯雲おなじ座席に介護妻
・・説明。

☆秋桜こすもす色に暮れる村
・・同じものを二つ使うのは。

☆秋風の机をふたつ子ども部屋
・・秋風や、机が、では。

☆ゆきあいの空がゆるんで膝をだす
・・わからない。

☆外に出でて大工秋刀魚を焼いてをり
・・報告。

☆やせ菊の雨に四・五本凭れ合ふ
・・マイナスイメージ過ぎ。

☆明らかに猫の爪あと障子貼る
・・明らかに、が説明。

☆釣竿を掠めてはるか秋燕
・・掠めてはるかが類想。

☆奔放に揺れてコスモス楚々と咲き
・・楚々と咲き、がダメ。

☆ひろえども虫食いばかり栗ひろい
・・報告。

☆秋晴れやイヤイヤ覚えしきみといて
・・イヤイヤ覚えし、が?

☆旅の日や赤い羽根つけ幕を引く
・・幕を引く、が?

☆夕月夜これより闇に入る地球
・・理屈。

☆千振のリュック一杯爺帰る
・・千振が?

☆ジョーカーを一度使って休暇果つ
・・無季。

☆山手線ぐるぐる回って休暇果つ
・・無季。

☆背でわめく二学期という子泣き爺
・・無理をしている表現。

☆十六夜や未だ待ち人現れず
・・類想。

☆偶蹄目ウシ科ヒツジの日向臭
・・前半の言葉が無駄。

☆飛蝗追う女めでたく逃がしをり
・・主観

☆秋光やビロード様に牛の背
・・説明。

☆秋茄子を水に放して色白に
・・色白に、が?

☆染まるほど青空の中いわし雲
・・説明。

☆遠くから爽やかな声ドレミファソ
・・爽やかな声がダメ。

☆けんかして母のとちのみ子のとちのみ
・・わかりにくい。

☆肩だけどわかる君だとわかる秋
・・まわりくどい。

☆経理ぽろろんほていあおいぽろろん
・・経理ぽろろんがわからない。

☆輪唱の詩は絡みつレモンの香
・・理屈。

☆神の留守レジャーランドで憩うばば
・・ばば、がダメ。

☆里山の緑の中の白槿
・・報告。

☆秋暑しうなじ光りて乗れぬ河馬
・・何に乗れないか?

☆風つかむ紅葉はそうして飛翔
・・そうして、がダメ。

☆青鷺ののどをHERONと魚呑まる
☆月光にGECKOと鳴きて守宮かな
☆PEPOと冬瓜畑をサイレン車

・・これら3句は一つの試みとして面白いかも。

☆秋刀魚やく匂いにつられ急ぎ足
・・そのまま。

☆一人でも100円高い秋刀魚買う
・・散文。

☆Uの字に単線まがり秋の旅
・・秋の旅、がダメ。

☆片風の稲穂に鷺の見え隠れ
・・報告。

☆吾亦紅一人ぼっちはいやですか
・・類想。

☆コスモスや独りになりたい時もあり
・・平凡。

☆小鳥来る木の実を食べて尽くすまで
・・平凡。

☆夕空の山裾しろくそばの花
・・あたりまえ。

☆単線の駅単色の秋桜
・・単色、がダメ。

☆ゆるやかに鳶は輪を描く水の秋
・・類想。

☆天高くシッポ振り振り琵琶湖寝る
・・よくわからない。

☆月光に沁み出してくる十歳児
・・難しい。

☆癌の字の憎き字面や秋霖雨
・・言い過ぎ。

☆天空の芸術展や鰯雲
・・見立てのみ。

☆嫁ぐ日の近づく娘桔梗咲く
・・ありそう。

☆秋の雨煙る中津の魚市場
・・もう一歩。

☆艶やかな金柑夕日弾きけり
・・全部言った。

☆浅間背に草食む馬や赤蜻蛉
・・報告。

☆天高し峰あまたなる八ヶ岳
・・説明。

☆木の実雨ととんころころ屋根を打つ
・・わかるが・・・。

☆天高し甲斐駒峨々と聳えけり
・・難しい。

☆曼珠沙華深化してゐる肺魚かな
・・難しい。

☆爽やかや十億年の記憶より
・・観念。

☆ヒョウモンチョウ秋風しみる羽の裏
・・ヒョウモンチョウが分からなかった。

☆穭田の緑を残し日が暮れる
・・散文。


2010年10月 6日
中谷仁美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 猛暑はどこへやら、すっかり秋らしくなってきました。読書の秋、芸術の秋、スポーツの秋などいろいろいろな過ごし方がありますが、みなさまはどんな秋をお過ごしでしょう。私は・・・、やっぱり食欲の秋!!歳時記をめくっていても、ついつい旬の食べ物が気になってしまう今日この頃です。今週もよろしくお願いします。

【十句選】

釉薬(うわぐすり)とろとろ光る無月かな   コッポラ
 季語を無月としたところがこの句の肝だと思います。「とろとろ」で表現される釉薬の質感と鈍い光の感じがよく合っていますね。台上に静かに置かれている陶器の存在感が感じられて雰囲気がよく伝わる句です。

ポケットにどんぐりの有り少年期   涼
 少年期というのは、子供なんだけど背伸びをしたいというような難しい年頃。どんぐりをこっそりポケットにしのばせながら一歩一歩大人に近づいていく、実際のどんぐりを持っているというよりも、「どんぐりのような幼さを」というふうに心理面を比喩的に表現しているように読めていいなと思いました。

中天に木星待たせ居待月   まゆみ
 中天、木星、居待月と類似した言葉が並ぶのが気になりましたが、月が木星を待たせているという発想が童話的で魅力を感じました。それも、地球の衛星である小さな小さな月が、惑星最大の木星を待たせているというところがおもしろいなと思い選びました。

轡虫好きも嫌いも紙一重   絵依子
 取り合わせの句ですね。くつわむしといえば「がちゃがちゃ」。確かにこれの好き嫌いは紙一重。これが、くつわむし以外の秋の虫だと「嫌い」という語に違和感が出そうなところ。秋の虫の意外な展開に惹かれました。

まだ寝息聞こえるようなさつまいも   きしの
 さつまいもにとっては、どんな状態が寝ている状態なのかなと考えてみました。やっぱり土の中にいる時のほうが仲間といっしょにゆっくり休んでいる状態で、掘り出されてしまったら、これは一大事、寝てなんていられない、でしょうか。この句は、掘ってきたか買ってきたかどちらかでおうちにあるさつまいものことだと思います。こういうさつまいも、なんだかふっくらおいしそうでいいですね!

天国に余席あります大銀河   勇平
 夜空に星の美しい季節ですね。人は天国に行くと星になるという言い方はよくあるので、天国と星の取り合わせだけだと月並みになってしまうかもしれませんが、「余席あります」というユーモラスな言い方をはさむことで、きれいにまとまりすぎず、暗い雰囲気にもならず、うまくいっているなあと感じました。

うんちくの「もってのほか」の菊膾   茂
 「もってのほか」って食用菊の品種なのですね。面白い名前です。この句、菊の品種についてのうんちくともとれますが、うんちく好きで「もってのほか」が口癖の人がいるというふうにもとれるなあと思いました。うんちくを披露することが好きで、口癖が「もってのほか」の人と食事をしている。内心「またうんちく」「またもってのほかって言ってる」なんて思いながら、静かに、上品に盛りつけられた菊膾をつついているという状況を想像しました。「の」の連続によって、うんちくも口癖もなんだかんだで聞き流すといった感じが出て、最後にぴしゃりと菊膾。話を聞くふりをしながら、心の中では「この菊膾きれいな色だな」とかなんとか思っていそう。

食卓に妻の退院待つ桔梗   大川一馬
 シンプルなのですが、心に響くものがありひかれました。当然桔梗ではなく夫が妻の退院を待っているわけなのですが、わざと客観的に食卓の光景を詠んだところがいいですね。桔梗の花言葉を調べてみたら、「変わらぬ愛」とのこと。そこまで読み込む必要はないのかもしれませんが、食卓に飾られた桔梗に込められた想いというのが読者にきちんと伝わって素敵です。

めしの文字肩で分け入る秋暖簾   くまさん
 暖簾に「めし」と書いてある時点でもうおいしそうな雰囲気が漂います。そこを肩で分け入るところがまたかっこいい。この方はおそらく、店内に入って掛けられたお品書きを見てすぐに何にするか決めて、大きな声で注文するのでしょう。読んですぐに、私の頭の中で短いストーリーが完成してしまいました。

パソコンに乗りたがる猫秋桜   豊田ささお
 猫とコスモスってどこか合う雰囲気を持っているなあと感じます。パソコンに乗りたがる愛猫と日々小バトルを繰り広げている、窓の外はコスモスの季節。そのバトルは今までも、そしてこれからもずっと続くものなのだろうと思います。何気ない日常ですが、素朴な雰囲気に惹かれました。

【次 点】

天高しギブスを割って腕の出て   せいち
 秋空のすかっとした感じと、ギプスが外れた爽快感がよく合っているなと思いました。「割って」という大胆な言い方もいいですね。

コスモスや内緒話は出来ないな   くまさん
 壁に耳あり障子に目あり、コスモスもあり、といった感じでしょうか。「出来ないな」という口語がいいと思います。コスモスはこそっと聞いている感じがしますね。でも季語が動くかなあという気も少ししたので次点とさせていただきました。

かなかなや西口通らずに帰る   あざみ
 思い切った破調が、内容とよく合っており、面白いなと思い惹かれました。ただ、「かなかな」のように具体物を指す季語よりも、時候や天文のようにもう少し意味に幅のある季語のほうがこの場合は合うのではないかという気もしました。

ファックスの紙のきれたる厄日かな   恥芽
 厄日の厄難というと困ったなと思いますが、ファックスの紙が切れたぐらいで済んだのだったらいいなという気になりました。しかし、「厄日」という言い方が直接的すぎるので、二百十日、二百二十日を使ってもいいかなと思いました。

ここまで秋風とあとは成り行きに   遅足
 内容的にもリズム的にも流れるような感じで、「あとは成り行きに」というさらっとした終わり方もどこかおもしろいなあと思います。でもすべてが流れてしまって“俳句として”の魅力はどうかという気もします。

版画展またひとり来て秋の暮   たか子
 ぽつりぽつりと人が来る版画展。味がありますね。「秋の暮」という季語は「またひとり」というややくたびれた言い方とつきすぎなので、もう少し離した季語と合わせるといいのではないかと思います。

羊羹のように酷暑を惜しみけり   滝男
 酷暑を惜しむにあたって「羊羹のように」とはどのような様子なのかというのがわかりにくかったのですが、この比喩面白いなあ、将来性がありそうだと思いました。

一本のプラットホーム菊くらべ   戯心
 単線の電車が走る田舎の町かと思います。その町で熱心に行われている菊くらべ。一本のプラットホームと、いくつもいくつも並ぶ菊の姿のイメージが対照的ですね。ちょっとわかりやすすぎる対比かなとも思いましたが魅力を感じました。

ワープして一眼レフの秋彼岸   豊秋
 「ワープして」というのが、日常生活から趣味の世界へワープというのと、きれいな景色の中へワープという2つにとれておもしろいですね。「一眼レフ」という小道具がよく効いているなと思いました。


2010年9月29日
小西雅子ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

   部屋の灯をすっかり消して
   風呂あがりの髪いい香り
   上弦の月だったっけ ひさしぶりだね
   月みるなんて

 吉田拓郎の歌「旅の宿」から。月をながめる季節になりました。月は、形や色や位置や時間を変えて地球にやってきます。今夜の月を見て今夜の句を作りたいのですが、なかなかうまくいきません。とりわけ暑い秋、お寄せいただいた句をありがたく拝見しています。

【十句選】

わが村の百戸の灯り雁渡る       たか子
 美しい光景。雁の渡る様子は、「百戸」という規模が加わったのでより鮮明になりました。自分の村を愛する気持ちが読者にも伝わります。その村に行ってみたいなあ、と思いながら何度も何度も読みました。

外されしままの車輪や芋嵐   天野幸光
 まず、何の車輪かな、と誰しもが思うでしょう。自動車か自転車か。しかし「芋嵐」という強烈な季語によってどちらでもよくなりました。芋の葉が傾くような風、そしてまったく動かない車輪。「まま」がとても切なくて素敵です。

小鳥来る前期縄文土器出土   せいち
 とてもリズムの良い句です。濁点のつらなりが土器の手触りを思わせます。まるで小鳥も古代からやってきたかのような錯覚をしてしまいました。「前期」が風景をより明確にしています。数年前の「俳句甲子園(高校生)」最優秀賞の句に「小鳥来る三億年の地層かな(山口優夢)」というのがありました。

光年の旅の途中の秋の蝶   遅足
 「の」が4つ。どんどん先へ導いてゆく上手い俳句です。説明過多と紙一重ですが、「光年」という大きな曖昧さがそれを救っています。「光年の旅」とはどのようなものでしょうか。地球にようやくたどり着いた星の光。その光の中をかすかに翅を揺らしながら飛んでいる秋の蝶。とても幻想的な感じがします。

十六夜のさびしいなどという男   咲
 俳句の中では「うれしい」「かなしい」「うつくしい」などは他の言葉に置き換えましょうとよく言われます。しかし、この句の「さびしい」はちょっと不思議な「さびしい」です。作者が、カップルである「男」を冷めた目で、あるいは少し笑いながら、あるいは息子のように見ています。なので採りました。「十六夜の」の「の」も面白いと思いました。雰囲気のある句。

午前午後貫き飛べり赤蜻蛉   朱雨
 高浜虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」を思い出して笑ってしまいました。本歌取りでしょうか。午前午後を貫いているのが赤蜻蛉とは。何度見ても可笑しいです。

天高く給食当番割烹着   岡野直樹
 「給食当番」ですからこの「割烹着」を着ているのは子どもでしょう。さわやかな秋の昼の真っ白な割烹着が目に浮かびました。子どもの旺盛な食欲までも感じとることのできる、シンプルかつ気持ちの良い作品です。

縄文の遺跡を洗ふ天の川   戯心
 縄文人の生活のしるし、たとえば住居、墓、建物など。それらが天の川に沿っているというのでしょうか。壮大でロマンを感じさせる句です。川幅が広く流れも急な天の川がもしかしたら宇宙にはあるのかもしれません。

小鳥くる恋していること知らないで   紅緒
 カ行がうまく利いていてリズムよく読めます。とつとつとした物言いが純情な恋心を表しています。歌詞にもいけそうです。昨年の小鳥と今年の小鳥は同じものではないかもしれませんが、小鳥に「今年の私は恋をする年ごろになったのよ」と言っているようにもとれます。娘がお父さんに言っている言葉かもしれません。いろいろな読み方ができる楽しい句です。

タラの花行くあてなくて立ち止まる   豊田ささお
 山の中を歩いていると咲いていたのはタラの花。生い茂る樹木のなかで白色の花を見つけるとうれしくなります。わざわざ止まったのではなく「行くあてなくて」立ち止まったのは、地味なタラの花にぴったりだと思いました。

【次点】

三ノ宮モスクに架かる蛾眉の月   葦人
 凛とした風景で好感が持てます。惜しいのは「蛾眉の月」です。この言い方は風流すぎるのではないかと思います。「三日月」は実景かもしれませんが、他の月も試してみてください。たとえば「後の月」とか。

千分の一ミリの誤差目尻汗   コッポラ
 「千分の一ミリの誤差」はあまりお目にかからないフレーズでとても新鮮です。「目尻汗」という言葉が残念でした。何の誤差かがわかれば10句に入れていたかもしれません。

マネキンの首ころがりて残暑かな   涼
 シュールな句。うまくまとまっています。真夏より残暑のほうがより生々しく、どきっとしました。ただ、マネキンの腕や足や首は結構転がす人がいて、どこかで見たような感があり残念です。

中庭の程好い所秋の椅子   茂
 難易度が中くらいの漢字が並んでいてインパクトが薄いように思いました。気分はとてもよくわかります。秋の椅子とはそういう存在ですよね。「中庭のほどよいところ秋の椅子」ではどうでしょうか。10句に入れようか迷った句です。

露草やすがしき空に浅間山   太郎
 目の前の露草と遥かな浅間山。対比が美しく、まるで絵葉書のようです。「すがしき」がなければもっといろいろな浅間山の風景を各々が想像できます。「露草」「浅間山」で空はじゅうぶんすがしいですから。この句を拝見して、露草と浅間山のコントラストを見てみたいなあと思いました。

野分晴れ信楽狸に化かされて   きしの
 「野分晴れ」と「狸」はなんの関係もありません。そこがこの句の良いところです。「野分晴れ」が化かされたことによるのかと思ってしまいます。ちょっと材料が多すぎたのが残念でした。

リフトより松虫草に足とどく   山渓
 涼しくなるころ高原などに淡い紫色の花をつけるマツムシソウ。背の高い草なのでリフトから足で触れることができます。きっと作者はリフトの動きに合わせてマツムシソウの花を壊さないように足をひょいと持ち上げていることでしょう。わかりすぎたかもしれません。

単衣着て息のはげしき横須賀線   あざみ
 なんて色っぽい句なのでしょう。誰に会いにゆくのでしょう。単に、着物を着て歩くのがたいへんで駅の階段を上るのに息が切れたという話ではありません。横須賀線がとてもおしゃれ。橋本多佳子の句に〈雪はげし抱かれて息のつまりしこと〉。

【気になった句】

鶺鴒の一家が畦を急ぎゆく   恥芽
 ほほえましい光景です。「一家」がとても良いと思いました。「〜が〜しました」という形は散文のようですので語順を工夫されたらいかがでしょう。

アルバムを繙く偕老白露の夜   えんや
 「偕老」という言葉を教えていただきました。「偕」は「共に」という意味。老いるまで仲良く添い遂げることだとか。「繙く」「偕老」「白露」、硬いことばが続き過ぎたのではないでしょうか。両親を思い出して胸がキュンとなりました。

彼岸花卒寿の母を看取る母   幸子
 「看取る」は「病人を看取る」のでしょうか、それとも「最期を看取る」のでしょうか。どちらにしても「彼岸花」は人の命を想起させるのでこの場合は少し離れた季語のほうが良いかもしれません。「卒寿の母を看取る母」がリズムも内容も良いフレーズなのでもったいないと思いました。

蟋蟀の二匹が箱の下に居る   石川順一
草の穂にイナゴがしがみ付いて居る   石川順一
 この二句とても面白いと思いました。じゅうぶんな観察の上に作られていて、見方がとても素敵だと思いました。最後の「居る」を省いて語順を工夫すれば名句に変身するかもしれません。

秋日傘バス待つ人の無口かな   さくら
 今年は、秋というのは名ばかりで高温の日が続きました。「秋日傘」もずいぶん活躍したことでしょう。「無口」な理由がわかりませんでした。「暑いから」というのではちょっと不自然なような気がします。どちらにしてもこのような気象の変化では、定番の季語がだんだん不合理になってきますね。


2010年9月22日
小枝恵美子ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 九月も半ばを過ぎました。土曜日の朝、公園へ散歩に出かけましたが、幾つかのグラウンドでは少年野球、サッカー、ハンドボールなど、みんな生き生きと運動していました。その上空では蜻蛉が飛んでいて、「秋だなあ」と実感しました。今週の俳句も秋本番と感じる作品が多くなりました。

【十句選】

唇を湿らせてゐる葡萄棚   涼
 葡萄棚の下は、やはり重たげな影があって葡萄を見上げると思わず「唇を湿らせてゐる」状態になってしまいますね。葡萄のことは何も言ってなくても、おいしそうな葡萄が見えてきます。

畑終える先へ先へと蜻蛉かな   たか子
 「畑終える」は、畑仕事を終えるの略と解釈しました。畑の広さや、仕事を終えたあとの気分の良さが、「先へ先へと」の言葉の斡旋でよく出ています。蜻蛉も作者も爽やかです。

空きびんの中が本籍秋高し   遅足
 かなり抽象的な内容ですが、「空きびん」の空虚さが本籍と繋がっているのでしょうか。秋の空が澄んで高く感じられる日の「空きびん」も透明感があり、虚ろに響き合いますね。空と瓶だけのシンプルさがいいです。

柔肌の冷やかなりし便器かな   蛇蝎
 マルセル・デュシャンの「泉」と題する白い便器を思い浮べました。この句の便器も美しくイメージ出来ます。柔肌が効いているのでしょう。秋の冷やかさを便器で巧く表現されましたね。

落蝉のあっけらかんと日を返す   きしの
 仰向けに転がっている蝉たち。「あっけらかんと」の意味としては、無の状態で日を返している様子ですが、そこに天へ帰っていく生物の有り様を思いました。

葛の花じつはここからはがせます   あざみ
 郊外の道路沿いなどで葛の花を見かけますが、繁殖力がすごいですね。この句の場合「葛の花」で切れて、中七からのことはお菓子やおにぎりのナイロン袋のはがすところのことを言っていると思いますが、やはり葛の長い茎を思い浮べると楽しくなります。

秋蒔きの種を眺めて療養す   藤原有
 秋に蒔く種は、花の種でしょうか?手のひらにのせた種は小さくても生命力があって、癒されるし、気力も戻ってくると思います。

コスモスの風来て産着揺らしけり   草子
 コスモスのやわらかな風が産着を揺らしている光景は、日常のひとコマとしてよくあるかもしれません。でもさわやかな風と、これからすくすくと育っていく赤ちゃんの姿も想像できます。

薬掘る七百歳の少年と   無三
 りんどうやききょうの根など薬草なのですね。小西来山の句に「ほらねども山は薬のひかり哉」があります。「薬掘る」と「七百歳」はいかにも、と思いましたが、ここから物語が始まりそうで楽しい句です。

秋の夜の便箋に乗り眠る猫   豊田ささお
 抒情的な作品で、夢二の絵になりそうな甘い雰囲気があります。白い便箋に黒猫が乗っている様子など想像しました。秋の夜のしっとりとした情感がいいです。

【予選句】

限りなき椋鳥隠す欅かな   太郎
 椋鳥のねぐらが欅で、「限りなき」という措辞が効いています。最近の椋鳥の繁殖は都会でもすごいですね。欅が異常に脹らんで来る不安感を感じました。

炎帝に逆さ箒をたてましょか   綏子
 「たてましょか」をたててある状態にしたほうがいいのでは。炎帝に向かっていくようで面白いです。

人妻となりたる教師休暇明   恥芽
 休暇前と後での女性の変化が艶っぽく表現されていて、「人妻」が効いています。

野分去る亭主一人の理髪店   くまさん
 野分が去ったあとは荒れた景色に寂しさを感じます。一人で営む理髪店は、取り合わせとしてやはり寂しく思いました。季語を変えるといいのではないでしょうか。

ハガキ来て子規忌のギター演奏会   石川順一
 上五を正直に書きすぎました。「子規忌のギター演奏会」がいいので、上五はさりげない言葉を考えると良くなると思います。

間伐の柱が立つぞ赤蜻蛉   豊田ささお
 間伐材がたっている様子を詠んだのでしょうか。木の匂いとそばを飛んでいる赤蜻蛉と、気持ちのいい句です。

黒豹がじっと手を見る秋の雨   岡野直樹
 動物園の豹でしょうか。ゴリラやオランウータンなど、じっと手を見る様子は見たことがありますが、豹もそういう時があるのでしょうか。秋の雨が効いています。

晩夏光水上飛行機比叡行く   岡野直樹
 「晩夏光」と「水上飛行機」の取り合わせがいいですね。下五で絵葉書になってしまいましたので、もう少し工夫をされると良くなると思います。


2010年9月15日
岡野泰輔ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 聞き飽きた書き出しでしょうが毎日暑い。本稿が掲載される来週、9月中旬には、少しは涼しくなっているだろうか?甘い、と思う。今月一杯この猛暑は続くという噂もあるくらいだ。それにしても皆さまの旺盛な作句意欲には敬服いたします。私は大幅に作句意欲が減退しております。新涼だって?秋思だって?笑止な、虫も鳥もやる気を失っております。私は今晩句会なのに一句もできていません。まず自分の句をつくります、皆さまの句を読むのはそのあとで。
(と書いてその翌日は台風とかで大雨、で今日9月9日は風もちょっと秋らしくなったかな。)

【十句選】

ちょっと人キライになって九月来る   遅足
 ライトヴァースの典型か。キライとカタカナにしたのが臭みにもなるが、漢字をつかいたくない気持は分かる。「嫌い」だといくらちょっとだとことわってもこの空っぽな感じは阻害される。要するに無内容に近く、限りなく意味の表出を低く抑えようという狙いです。まあこういう時はいつでもありますが、夏の終わりに何かあったんだろうなあと思わせます。

愛人にならないように梨をむく   遅足
 こういう句を認めない人もいると思うんです。文字通りに読むと、今、私は愛人になりそう(或いはされそう)だが、そうならないように梨を剥いている、、と。私が梨を剥くこと(あるいは、ある剥き方)が私の愛人化を防ぐ。自分で説明していて少しアホらしくなっていますが、このアホらしい理路に俳句性(詩)を感じるかどうかで分かれます。もちろん私は愛人も梨も好きです。

仏和辞書k(か)の項にあるkaki(柿)愉快   大川一馬
 ああ、これは知りませんでした。柿は日本固有の果物なので、外国語の辞書でもスペルはともかく音はカキなんですね、特に仏語ではkakiなのだと。
 知っている人には何でもないかもしれません。最後の措辞「愉快」は少し不満です。辞書の中に何かを見つけるというのは 「褒美の字放屁に隣るあたたかし」中原道夫 がありますね。

夕月や犬を抱いての長話   くまさん
 夕月―宵月の情景として説得力があると思いました。夕暮れの明るさ、宵の月の微光、そんな微妙な明るさ(暗さ)が効いています。古典的な季語が、門口(おそらく)での犬を抱きながらの立ち話(二人とも犬を抱いていると思う)という親しい日常とよい取り合わせです。たわい無い話に興じて時間が経ってしまったのですね。

万年筆にインクを入れる鰯雲   ポリ
 ただ事なんだけど魅力がある。鰯雲の力が大きいのですけれど。私自身はもう何年も万年筆を使っていません。万年筆、それもインクを入れるという行為そのものが悠長で、今となっては少し贅沢な響きがあります。そんなところが鰯雲とよく合うのでしょう。思いを排して淡々と動作だけを書いたのが成功しました。万年筆への趣味的な拘りとか、思い出とか、そっちの方へ踏み込むと途端に陳腐になってしまいますから。

歳時記に密と生息鯔のへそ   勇平
 私の歳時記には鯔は立項されていますが、鯔のへそは傍題にも例句にもありません。(もともと季語ではないか?)解説文にありました―鯔の胃は珠算の球のような形で美味であると。私が知らないだけか?「密と生息」はその辺の事情、解説文の言及だけということをうまく言いあてていると思いました。
 先ほどの仏語辞書もそうですが、書物のなかでも季語は生動しているということですね。

触角の静かに動く立田姫   春生
 立田姫(龍田姫のほうがよくはないか?)は昆虫か!?甲殻類か!?気持悪いととるか、面白いととるか。秋の女神として本来典雅な世界のなかに描かれる龍田姫に触角をつけた、SFアニメ的な面白さと読みました。なぜか『甲殻機動隊』を連想してしまい、句がその世界から離れなくなってしまいました。もしかしたら、すごい誤読かもしれない。秋の虫によって龍田姫が招聘されたとか?でもそれなら採れない。

数珠玉や卑弥呼の手首太からん   紅緒
 水辺のあまりぱっとしない植物から卑弥呼まで発想が飛んだのがよかった。 もちろん、数珠から手首は普通の連想だが、その手首の持ち主が卑弥呼というところがすごい。卑弥呼の手首の太さについてはこれまで俳句はおろか、どんな論考でも言及されていなかったと思う。神話でなにか手首に逸話があったかしら?ないよね。素朴な数珠玉から野趣に富んだ卑弥呼になった、当然、体幹の太い健康体。手首も逞しく太いだろうと想像して不思議はない。


しりとりの林檎の次のゴリラかな   朱雨
 しりとりで林檎の次は90%の確率でゴリラがきます。これはもう経験上そうなります。そのことを、まったくそのまんま俳句にした朱雨さんもすごいが、それだけのことを短い詩にしてしまう俳句という形式もすごい。しりとりという因果律だけで林檎とゴリラの順に並置される言葉、そして映像。物語の介在する余地なく必然として配置されるゴリラ。こういうゴリラを動かないと言うんでしょうか。ゴリラの次はラッパかラジオか駱駝か?駱駝は動物つながりで弱いか?こちらは動きますね。

八月尽排水口へと洗い水   草子
 陽暦の八月末日ととります。旧暦だと秋真っ盛りということになってしまって、この気分は伝わらない。今年は特殊でしたが、季節の終わりに感じる倦怠のようなもの、もっと言えば疲れ、新しい季節への身構えというよりも季節の移り変わりに身を委ねてしまうような感じ、その気分が濃厚にあります。「尽」―「尽くす」には取り戻せない時間の謂いがあります。排水口へ流れ去っていく水にも不可逆の時間の感覚が。

【予選句】

稲妻や右肩抱いてくださいな   涼
 作中主体の左側にその人は立っているのか?稲妻の効果もあって空間が」歪む。

それと無く言分けさがす星月夜   たか子
 しーんとしている。

母上の気紛れきょうも熱帯夜   輝実江
 母上と呼ぶところにやれやれという気分が。気紛れの内容は解らないが。

初涼や細い眦細い眉   ロミ
 なぜかちょっと怖い。

少年のコスモス飛ばす少し飛ぶ   えんや
 世界は甘いが「少し飛ぶ」がいい。

スランプや落ち葉ふむ靴買いにゆこ   きしの
 「スランプや」が大胆というより乱暴。

かくれんぼ鬼の声消へ秋すだれ   くまさん
 なるほど、秋簾らしいですね。

炎天に寺の大屋根反りかえり   戯心
 そんなはずないのですが、たしかに。

黒眼鏡少し外せば石榴笑む   勇平
 石榴が笑うという擬人化なのだが、「石榴笑み」という笑い方のようにも読めて。

鳥わたる海は沖から暮れはじむ   れい
 大きな景で気もちいいが、「海は」はどうなのか、不要なのだが調子は整う。

虫歯のごと山削られて晩夏光   岡野直樹
 削られた山を虫歯のごとと言ったのはユニーク。

閻魔蟋蟀夫はひとりでもうたくさん   あざみ
 閻魔蟋蟀という字面が凄すぎ。この字面が強引な説得力を生んでいる。


2010年9月8日
えなみしんさドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 すでに仲秋と言う事で、秋の季語が大半でしたが、この残暑。作られた方にやや無理があったかも。鑑賞する方も秋の気分になりきれなかったかも知れません。なお、厳密なものではありませんが、10句はいい順番のつもりで選びました。暑い中、たくさんの投句ありがとうございました。

 さて先日、図書館で「や、かな、けりを、捨ててこそ」(中井三好、彩流社、2004年刊)と言う本を見つけました。この3つの「切れ」を使うと、つい懐古趣味の俳句になってしまう、という内容です。今頃言うのも変ですが、わたしの俳句に思いあたる事があって「かな、けり」を使わない(や、もなるべく使わない)ことでやってみようかな〜と思っています。などと大げさにかまえなくても「船団」の仲間の句には、「かな、けり」は少ないようです。なお「かな、けり」の俳句は採らないという事では、決してありませんので、誤解されませんように。

【十句選】

もろこしの甘し老ゆるは愉しかり   たか子
 「老ゆるは愉しかり」と言われても、そんな風にはなかなか思えないもの。この句では「もろこしの甘し」との取り合わせで、そうなんだよな〜と思わせてくれます。言葉の流れがとてもゆたったりとしていることも、感情にムリがないと思わせる原因だと感じます。

不出来だった夕焼け雲の校舎かな   コッポラ
 過去を思うと懐かしさと共に、ある種の後悔の念を覚える事があります。「不出来だった」という生の言葉に胸を打たれる思いがしました。「不出来だった」はそこで切れて、その後の12文字との取り合わせになっている。とても難しいことを17文字にできたのがスゴイ。

生きるため深く眠りぬ生身魂   穂高
 生身魂である自分が、深く眠るのは生きるためである。という正反合のような句です。伝わってくるのは、あの世に行ったかと思うほどの深い眠りの朝の覚醒感。自分を生身魂と考えるのは好きでないのですが、このような眠りなら毎日でもOKです。最近、眠りが浅いので(年のセイでしょうな〜)

皮剥けば話上手な梨となり   遅足
 桃や林檎と比べると、梨はごつごつしていて色も地味でアピールするものが少ない。でも、一皮剥けばジューシーでお肌つやつや。そんな感じが「話上手な梨」で巧みに表現されていると感じました。桃が話上手であると同時に、食べている人の会話も弾むんだよ〜という事も伝わってきます。

足音にうつむく南蛮煙管かな   豊田ささお
 南蛮煙管の姿は、例えば江戸のお人が街道で煙草をくわえているような風情があります。と、感じるのもひたすら「南蛮煙管」のネーミングの由縁でありましょう。ケレン味のないうまい擬人化だと感じました。

切り口の冷たきものに京の菓子   涼
 例えば良く冷えた水ようかん。ただ冷たいというのではなく、「切り口が冷たい」と表現して、イメージを具体化し増幅させています。「切り口の冷たきもの=京の菓子」。定義するような文脈も俳句にはしばしば現れるカタチで、この表現でモノを見るのも新鮮かも知れません。

夜すすぎの「月星シューズ」屋根に干す   紅緒
 固有名詞や商品名を読み込むのも俳句の楽しみのひとつ。ここでは「月星シューズ」が、夜の屋根と呼応してファンタジーを醸し出しています。「夜すすぎ」がやや説明しすぎかも。例えば「星月夜」とか「流れ星」とか「七夕や」などもありそうです。

早出してはや日も落ちぬ秋遍路   葦人
 これを書いているのは9月2日で、実はものすごく暑い日ですが、秋遍路に思いをはせて鑑賞しています。お遍路さんには、今夜の宿があり、そこへ向かう。ところが秋の日はつるべ落としで、追われるようだ。そんな秋遍路の憐れが伝わってきました。下に77をつけてみたいな〜とフト思いました。

飛魚の羽をひろげて揚げられる   えんや
 第一感は、飛魚が油の中で揚げれている姿でした。それが、強いインパクトとなって私に迫ってきました。ただ、水揚げという言葉もあるので、たぶん、そっちの使い方なのでしょう。この言い回し、「鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる/加藤楸邨」を連想しました。事実をそのまま伝えている力のある文脈だと思いました。

秋めくや漫画日本史「シャクシャイン」   たか子
 シャクシャインの戦いは、アイヌの英雄伝であると同時に、弾圧され続けてきたアイヌ民族の悲劇の象徴でもあると思います。句材の新しさで採りました。俳句ですから、短文で伝えなければなりません。中7の「漫画日本史」が当たり前のようで工夫のある言い方だと感じました。「秋めく」という季語がどうか。秋でも違う季語がありそう。また冬の季語もありそう。

【候補句】

役終へし合鴨売られ落し水   葦人
 合鴨農法というのがあるのを知りました。知って読めば味わい深い句でした。


手に受けし水の堅さや沢桔梗   太郎
 「水の堅さ」が新鮮。ただ沢桔梗との関係が良く理解できませんでした。

これよりは限界集落水の秋   葦人
 「限界集落」が現代句にしている。「水の秋」がつきすぎでは。


「ハワイアンブルー」山盛りかき氷   石川順一
 いろいろ迷われたようですが、この表現がぴったりです。「 」も必要でしょう。

包丁のすぱりと切れる残暑かな   涼
 季語がどうでしょうか。季節が大きく変わる季語が良いのでは。

旧姓の楡の木陰に眠ります   遅足
 自分の旧姓の父母などの墓なのかも。楡なのでキリスト教などか。意味がつかみにくい。

月光をあびて秘密をかるくする   遅足
 ユニークな表現です。どんな感じなのか実感が湧かなかった。

かたまつて金魚の唇が餌をねだる   えんや
 良く分かる句ですが、なぜかずばり言われた感がしない。この句では散文が弱いのかも。

せせらぎを真上に載せて水は秋   くまさん
 水の上にせせらぎが乗っている、という巧みな句ですが何かうまく行っていないような気が。

退院の夫のひげ剃り青すすき   紅緒
 「ひげ」と「すすき」の取り合わせは面白い。青が説明的なのかも。あと一歩。

敗戦日ひたすら削る竹とんぼ   岡野直樹
 敗戦日と「竹とんぼ」の取り合わせは面白いと思った。

森中が正座してゐる晩夏かな   豊秋
 感じはつかめるが、ちょっと観念的か。何か具体的なものがあると良いかも。


2010年9月1日
朝倉晴美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 こんにちは、皆さま。お暑いなか句作に投句と本当にありがとうございました。
 猛暑猛暑と聞くのも言うのも飽きて参りましたが、ただ、皆さまの御句もまた、猛暑で少々、ゆだってしまっているような・・・。
 いきなり厳しく、失礼いたしました。でも、これからは秋です。たくさんの外に出て(もしくは外の空気を想像して)をして、もっともっと季節を心に感じましょう。せっかくの俳句心を鈍感にしたままではなりません。どんどん磨くべし!です。
 次回を、期待してお待ち申し上げております。

【十句選】

筆筒に色鉛筆や秋うらら    まゆみ
 〈学僧のふどしが干され秋麗  石川桂郎〉
 秋はやはり勉学。学生がとても似合う季節なのでしょう。色鉛筆しかり。
 「ふどし」とは、あまりにも具体的で生活的なのですが、「学僧」ですから、秋に似合うはず。 掲句、「筆筒」という具体性が、色鉛筆の存在感を確実にしています。句材の存在感をはっきりさせることは、句の大きなポイントです。ペンケースでも筆箱でもなく「筆筒」。古風なだけではなく、そこに作者の丁寧な目線があります。物事への丁寧な目線。なにより、句作に大切なことでしょう。 この秋は、私も色鉛筆を慈しむことにいたします。

取り急ぎ女王花が開花中   たか子
 何といっても「取り急ぎ」が秀逸でしょう。女王花、月下美人は、いわずとしれた開花が待たれる花。その香りも相まって、鑑賞会が催されるほど。その、少々食傷気味な女王ぶり、女王扱いを、ちょっとだけ、からかっているような、そんな楽しさが見え隠れします。
 やっぱり、俳句にはユーモアがなくっちゃ、ね、と申しますと、作者に失礼ではございますが、とても印象良い句です。
 〈月下美人咲いて客なき今宵かな  藤岡細江〉

左京とも右京ともなく初秋かな   涼
 〈もの置けばそこに生れぬ秋の蔭  高浜虚子〉
 虚子の句を並べてみても、 秋は、ずいぶんと抽象的な季節なのかもしれません。〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる〉にも象徴されていますし。
 その抽象的な秋の気配を、「右京」「左京」という極めて京都らしい言葉が効果的です。地名という具体的な表現も、句意を伝えることに成功しています。

  傷をもつ右手ひらけば秋の蝶   遅足
 〈病む日又簾(みす)の隙(ひま)より秋の蝶  夏目漱石〉
 秋の蝶の本意が、この両句に如実に表れているのではないでしょうか。本意は「哀れ、哀愁」でしょう。掲句の「傷をもつ」は、心理的な比喩ともとれますし、「ひらけば」と句の世界が展開していく魅力もあります。様々な読みが可能ですが、そこには共通して「哀れ」があるはずです。

恐竜のジュラ紀のひかり里の秋   えんや
 秋の空の高さ、透明度の高い空気、人々のさわやかな笑顔、それらをひとまとめにして「ジュラ紀」ですね。時空を超えた壮大さが、市井の人々の里にある、という情景がとても心惹かれます。
 こんな里に住みたい、(かつては日本のほとんどがそうでしたでしょうが。)という思いとで、下記の句も、挙げます。
 〈耕人の大きな秋の嚔(くさめ)かな  綾部仁喜〉
 こんな耕人、こんなおじちゃん、良いですよね。私の記憶の中では、兼業農家のおうちのおじいちゃん、親戚の大工さん、などがそうでした。ここにも、市井の人々の、日々を生きる姿勢があります。

もう一度犬丸洗い夏深し  岡野直樹
 〈黄檗(きはだ)干しひろげ秩父の夏深し  ながさく清江〉
 「夏深し」は、何かを洗って干さなくてはならない、、、では全くございませんが、かんかん照りを予感させる朝は、何度も洗濯機を回す気持ちと同じではないでしょうか。いえいえ、客用の布団から冬座布団まで干しまくるのだわ、というご意見もごもっとも。そんな、強い強い日差しと倦むような夏の深さを感じる句です。犬の「丸洗い」にユーモアもあり、お見事です。

青年の腕の静脈沢桔梗   穂高
 〈きりきりしやんとしてさく桔梗かな  一茶〉
 桔梗のような植物には、少し病的な繊細さがあるのかもしれません。沢桔梗は有毒ですし、桔梗も根が、痰切り薬として活用されることも関係していそうです。
 「少年」ではなく、「青年」であるため、句のイメージも甘くありません。「静脈」も、そこに何かの場面を想像させることができ、読者をひきつけます。

指揮棒を持たぬ指間に秋見つけ   勇平
 音楽や演奏家を句材することは珍しくありませんが、「指揮棒を持たぬ指間」にある「秋」が、独創的です。指揮棒を持たずに指揮をしているのか、指揮棒を譜面台に置いて、一服中なのか。はっきりと「指」は見えそうですから、指揮棒無しで指揮をしているのでしょう。秋らしい曲が、読者のなかで流れます。
 (ただし、「指間」という言葉は広辞苑、大辞林ともに掲載がありませんので、賛否はございます。)
 下記の句は、破調ですが、繰り返しの妙があって好きな句です。
 〈初秋と思ふはるかだと思ふ  野見山朱鳥〉

蜩やシュガーラスクに穴あいて   あざみ
 秀逸でございます。蜩に、この取り合わせ。蜩の鳴く時候のなんともいえない、欠落感、焦燥感、そして、一寸の安堵感。それらがあいまって、「シュガーラスクの穴」ではないしょうか。感激いたしましたものですから、つい私めも、、、と〈蜩やクロワッサンを焼きすぎて 晴美〉などと試作いたしましたが、駄目でございます。
 一方で、上句を「かなかなや」としますと、K音(か、ガ、ク)の連続が発生いたします。「蜩」「かなかな」の取捨は作者にお任せさせていただきます。

巻貝の海がこぼれるさよなら夏   紅緒
 夏の思い出といえば、三鬼の〈算術の少年しのび泣けり夏 西東三鬼〉でしょう。去りゆく夏には、切なさが付随しているものです。
 下句「さよなら夏」も、その字余りと舌足らずさ(「さようなら」でなく「さよなら」)が、気持ちの落ち着かなさを増加させています。
 巻貝を耳にあてると潮騒の音が聞こえる、ということをふまえて、とても良い表現だと感じ得ました。

【次 点】

秋めくや北向くキリンの長い足   ポリ
 「北」の必然性がどうでしょうか。

校庭の八月尽のネット裏   天野幸光
 少し、つきすぎかもしれません。

底紅や朝の坂道息弾む   大川一馬
 中七下五に、もう一歩工夫を。

空きびんとなってバス待つ残暑かな   遅足
 語順の再考を。

ブランドの刻印鈍く油照り   茂
 「鈍く」は不要かもしれません。

空蝉や長靴履いて疾走す   石川順一
 季語との取り合わせが、少し厳しいかも。

野鳥追うレンズの中に秋の空   草子
 少し平凡。

軽やかに駅の階段秋渇き    戯心
 説明が強いような。

リュックの土脆く乾いて夏の果て   紅緒
 上五の字余りが残念。でも、許容かと。

【予選句】

浜にまた静けさ戻る月見草  たか子

けさの秋胃の腑へ熱きスープかな   藤原 有

朝顔や今朝は双子と姉一人  岡野直樹

美しく謙虚であること日日草   万季

自販機のある山頂や缶ビール   山渓