「e船団」のドクターがあなたの俳句を診断したものです。


2011年4月27日
朝倉晴美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 皆さま、こんにちは。
 日本も世界も本当に大変なことが毎日ニュースで流れます。その中でも、俳句という文芸が何かの拠りどころとなっているならば、それに携わる自分を少し光栄に思います。
 葉桜へと向かう季節。私の一等好きな季節です。さまざまな春を詠んでいただき、投稿の方々の句を楽しみました。ありがとうございます。今回は、ハッと気づかされる情景を中心に選をいたしました。季節の新しい魅力を知らせてくれる句に心惹かれたからです。
 次回は梅雨本番のころ、雨の新しい魅力の句をお待ちいたしております。

【十句選】

選挙人名簿にわが名春動く   たか子
 「選挙人名簿」という無機質な名簿が、「春動く」という季語によく合っているでしょう。選挙も一年中ありますから、どの季語でも良いような気もいたしますが、やはり、春という季が似合いそうです。また、「春めく」「春兆す」よりも「春動く」が、選挙を行っている世間にぴたりとくるのでは。
 同じように、無機質な「鋏」に絶妙な季語をつけた句を挙げます。
 〈春めくや先づ研ぎに出す花鋏 古賀まり子〉
 こちらは、「花」や「研ぎに出す」という行為があってこその「春めく」ですが、投句同様、季語が動かない句です。

青き踏むすこし踵の沈みたる   恥芽
 〈青き踏む海の青さも踏みたけれ 鷹羽狩行〉
 〈青き踏む平城京の跡を踏む 角川春樹〉
 投句も含め、どの句も、春の「青き踏む」喜びを、如実に表現し、読者に訴えています。春の喜び、心の高まり、体が目覚めるような快感、それらがそれぞれの個性豊かな表現となっています。また、その表現が具体的であることも、読者に共感を与えることに成功しています。
 このように、同じ季語、同じ感動(ここでは春を迎えたの喜び)を詠んだとしても、こんなにもさまざまな表現があるのです。わずか十七文字の世界ですのに。改めて、俳句の豊かさを感じた句です。

シャボン玉この青空を注入中   学
 表現が秀逸です。「この」、「注入中」がとても効果的です。口語的な物言いも、シャボン玉によく似合っています。(余談ですが、『ラブ注入!』という流行語がありますね。)
 一方で、シャボン玉らしからぬ句もあります。
 〈鉄格子からでも吹けるしやぼん玉 平畑静塔〉
 しかし、逆説的に、シャボン玉らしいのかもしれません。「鉄格子(の中)」という、およそ幸せから外れた事象と、幸せの象徴であるシャボン玉を対比することによって、よりシャボン玉の幸せ感を強調する。ましてや、はかなさをも助長できるのですから。季語の世界の多面性をみることができる、二句でしょう。

鳥雲に天動説を疑はず   学
 〈鳥雲に娘はトルストイなど読めり 山口青邨〉
 こんな娘さんってどうでしょう。お父さんとしてはちょっと複雑かも。文学青年イだったパパさんとしては、誇りだったりするのでしょうか。
 投句は、トルストイ好きな女子より、ずっと幼い感じを受けます。もちろん、頑固なおじいちゃんなども想像できますが、あえて「疑わない」素直さを読みたい気分になります。それは、「鳥雲に」という明るさや、未来を感じさせる季語が働いているからではないでしょうか。

養花天写真に知らぬ人の顔   せいち
 〈ゆで玉子むけばかゞやく花曇 中村汀女〉
 養花天、花曇、といえば「ゆで玉子」というくらい、汀女の句は好まれています。かく言う私めも好きであります。多分に、春のけだるいさとうれしさをゆで玉子が代弁しているところに感動を呼ぶからでしょう。
 同じように、投句も春のけだるさとよろこびを感じます。知らぬ人が映っている写真もなんだか、ほほえましいような。春のやさしさ、楽しさには、ぴったりのエピソードでしょう。

外人の覗く交番花の下   くまさん
 外人が覗く交番、なんだか、少しユーモラスですよね。せっぱつまっているならば、「駆け込む」ですから、掲句はそんな様子はありません。「花の下」という情景と、嫌味なく合っているでしょう。
 同じように、桜の景色をユーモラスに仕上げたものに、次の句があります。ともすれば、月並みや甘くなりすぎる「桜」、「花」ですから、ユーモラスさが、桜の良さを引き立てることでしょう。
 〈チチポポと鼓打たうよ花月夜 松本たかし〉

朧月黒猫の仔を裏返す   遅足
 〈朧三日月吾子の夜髪ぞ潤へる 中村草田男〉
 朧の月と黒い子猫、幼子の黒髪。どちらも秀逸の取り合わせです。なんといっても、幼いもの特有の艶。張りがあり、十二分に潤っている艶やかさ。抜群のセンスです。投句は、「裏返す」というユーモアもあり、一句をお見事に仕上げています。
 一方で、草田男は、万緑でも朧夜でも、吾子を詠むことができる才能が見えます。

食卓に一行のメモ朧の夜   茂
 掲句は、おそらく、日常の「一行」。さほど重要でもないが、伝言があれば助かる「一行」。一方で、以下の、物騒な句は何でしょうか。
 〈朧夜や殺して見ろといふ声も 高浜虚子〉
 少し、難解でありますが、春の月、朧夜といった季語の二面性、両面性を感じます。

シャンプーの泡立ち悪し朧月   ゆきよ
 〈浴身や月出てすぐに朧なる 野澤節子〉
 こちらは、「朧月」とお風呂の取り合わせの二句。春になると、お風呂ものんびり入れますね。冬の入浴はもちろん有難さが身に沁みますが、何せ、入る前など寒くて、なんだか気忙しい感じ。春になると、焦らずゆとりをもって入れる気がします。極寒ですと、シャンプーどうこうなんて言っていられないでしょうし、浴身なんて寒々しい表現です。

さくらさくら短気な人と居て寒し   余一
 「花冷え」の句として読ませていただきました。
 一読して、ああ、わかる・・・、という気持ちです。短気な人って、迷惑なんですよね。周囲は、心まで冷えてくるような気持ちにさせられることもありますし。親族に短気な人が多いもので、辟易しています。しかし、掲句のお上手な点は、上五を「さくらさくら」と平仮名表記のうえ、二回連続させているところです。「短気」、「寒し」というマイナス要因を、緩和させ、温かみのある情景に仕上げています。
 個人的に、とても好きな句を紹介します。
 〈花冷えや俄かに泊まる母の家 山田みづえ〉
 実に、そうなんです。「母の家」の本意がそこにあり、余すことなく「花冷え」がそれを説明してくれています。私の実母は一年前に没しましたが、この句によって、鮮やかに、母が蘇ってきたように感じます。

 以下のご質問にお答えします。

Q:一句に季語が複数あるのはタブーでしょうか?初心者ですのでわかりません。
A:原則は、一句につき一季語です。ただし、例外もあります。その場合、主となる季語(季語として、句の中での存在意義が重いということ)がはっきりとしていなければなりません。つまり、句を読んだ読者が、季節に悩んだり、どっちの季語が大切なのだろう、と考えるようなものは、多分に佳句とはいえないでしょう。
 しかし、あえて季語を羅列するような句も存在します。作者の狙いが当たったとき、魅力的な句として受け入れられることでしょう。

【次 点】

花辛夷山にぶつかる寺の鐘   まゆみ
 「ぶつかる」のが、「鐘の音」であると、はっきり読みたいと思います。

つつむものつつまれるもの朧月   遅足
 平仮名の羅列の是非に、少し悩みました。

鳶の笛止めば余寒の寺となる   戯心
 少々、散文調でしょうか。

魔法瓶に湯高くそそぐ春の昼   啓
 〈春の昼湯高くそそぐ魔法瓶〉〈春昼に湯高くそそぐ魔法瓶〉と考えました。

義援金論議珈琲自販機   豊田ささお
 震災句、正直、とても辛く詠むことができておりません。そのなかで、良い意味で、乾いた表現の震災句としていただきました。

  【予選句】

濡れつつも少年は視る鳥雲に   涼
春氷プリズムのごと色分けり   涼

靴墨の漆黒深し雁供養   伍壱堂

過ぎし日の棘抜けぬまま春の夜   津久見未完

アトム飛ぶ億万馬力やよい空   ジョルジュ

産土は風の中にて辛夷咲く   太郎

花筏ここから好きに生き行く   せいち

雪柳阿修羅の如く風に爆ぜ   洋平

汐薫る直哉旧邸春風鈴   くまさん

春雷の暗所振り向くだけの恋   コッポラ

太陽のワインを飲もうクロッカス   岡野直樹

清水氏のレンズの街よ春日傘   啓

弁護士を立ててたけのこ出てきたり   余一
不器用にチョキを出す人涅槃西風   余一

心房やさくらさくらの舞ひてをり   豊秋

燕のブーメラン空を二分割   紅緒

花ニラの群落微風しか受けず   意思



2011年4月20日
南村健治ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 メバルを半夜釣り(夕方から9時ごろ)で狙うことが多くなった。視力のよい魚なので釣り糸が髪の毛ほどに細い。ハリは小指の爪の半分ほどの大きさ。そこへ生きたままのイカナゴを刺す。適当にどこでも刺していいというのではなくイカナゴの下あごから上あごへハリを抜き刺しにする。とうぜん暴れる。掴み損ねたり、刺し損ねたりの一苦労。ハリの数は最低でも3本。これを揺れる船上の薄明かりのなかで繰り返す。努力に見合った釣果があればよいがそうでないことの方が多い。精魂尽きて家に帰り、アカン、こんな筈ではないと再び三度の釣りの予定を立てながらどちらも真剣勝負、締め切りの過ぎた十句選と向き合っている。

【十句選】

囀りや大樹にもたれ眠りたし   豊田ささお
 「眠りたし」のところは少し表現がまっすぐだが、この気持ちはよくわかる。囀りが夢のなかのようでもあり、現実に聞こえてきたり・・・春の長閑さと息吹が感じ取れる句。

キヤタピラのごろごろ回る万愚節   伍壱堂
 重機のキャタビラか、戦車のそれか。いずれにしてもその光景を目の前にして、キャタビラが起こす振動が体に伝わり、万愚節(4月馬鹿)の無邪気さが不穏なものとなる。

梅灯る夜には地図から消えるまち   伍壱堂
 「梅灯る」はそこだけが仄かに明るい様、と読んだ。ならば、白梅だろう。「夜には消える町」は作者の心象の世界。白梅だけが作者には見えているのだ。

寝違ひの蜥蜴が穴を出でにけり   せいち
 蜥蜴の動きがチョッと変なのかな。それを「寝違ひ」としたところが面白い。しかも冬眠から覚めたばかりというのだから、なるほどと思ったりする。

田楽の甘いぞ雨の眠たいぞ   せいち
 乱暴だけれど「甘いぞ」「眠たいぞ」を田楽と雨の両方にかぶせて読んでみた。田楽のとろりとした感じは眠たいに通じ、木々の芽吹きをうながす雨(春の)は少し甘いのかもしれない。

手をひろげ足をひろげて柏餅   遅足
 柏餅を食べている子供(大人も)の様子だろうか。「手」と「足」の所作に焦点をあて、その場にいる皆がくつろぎ、賑やかに、思い思いの態で食べているのがよくわかる。そして「ひろげ」が柏餅の葉を剥く動作をも思わせて愉快。

この窓は銀河のほとりヒヤシンス   遅足
 「銀河のほとり」とはなんと素敵な表現だろう。そして、ヒヤシンスそのものやその語感と相まって静かな大人の時間を感じさせてくれる。

藪椿のトンネル抜けて別れ道   山渓
 その花が何にしろ、花のトンネルは非日常への通路。抜けてみると「別れ道」に出た。さて、引き返すか、でも、せっかく抜けて来たのだから進もうか。ならば、どちらに。振り返るといままた赤い椿の花が一つ落ちた。

花辛夷街ながれゆく大河かな   和久平
 白い花を高々と咲かせる、辛夷。街路樹だろう。喧騒をともないながら、人や車、そしてビルまでもを飲み込んだ大河のように時が流れて行く。白い辛夷の花に浄化されながら、、、、。

アイロンの航路まじはる早春賦   余一
 なんと素敵なアイロン掛けだろう。早春賦とあるので真っ白なワイシャツかブラウスを思わせる。う〜ん、航路が交わるほどだから男性のものか。アイロンを掛ける人もシャツの男性も爽快で清潔そのもの。早春賦の歌声が聞こえてきそうだ。

【予選句】

デジタルの三時に春の忍び来る   涼
冴え返るものに炎のありしかな   涼

花むしろまだかまだかと膝小僧   津久見
花こみち立ち止まりつつ乳母車   津久見

太陽のぬくもり含むよもぎ摘む   太郎
牡丹の芽低くきばらの芽あい打てり   太郎

電波時計止まっておりぬ四月馬鹿   輝実江
ぽつかりと穴のあいてる春の昼   伍壱堂

飲み干した珈琲カップ萬愚説   茂
巻き舌の「R」にこだわる緑雨かな   茂

風と雨あつめて朴の花ひらく   遅足

辛夷付く無精卵より跳ねとびて   滝男

春寒し薄皮まんじゅうの上にいる   岡野直樹
菜の花や喰ってしまおう浅知恵を   岡野直樹

花盛りバス定刻に人降ろす   えんや

雪柳ありとあらゆる手を尽くす   紅緒

工事中やぺんぺん草に警備員   山渓

ぼろ靴に聖人の足百千鳥   コッポラ

青空にひらがなとなる花辛夷   啓

からたちの咲く頃母を訪ふつもり   美佐枝

啓蟄やおほきなくつをはきたがる   余一
春の川見守る母の形して   余一



2011年4月13日
星野早苗ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 ようやく桜の季節、季節の巡りが、今年はことのほか心にしみます。
 いただいた136句の中から……。

【十句選】

シクラメン遺影の君よけふ古希ぞ   たか子
 けふ古稀ぞ、という「君」への報告。遺影の夫と共にある暮らしが作者の日常なのではないかと思われます。シクラメン(和名・篝火花)は、地中の炎を汲み出すような咲き方をする花だと思いました。

揚ひばり榛名の入日まるまると   太郎
 雲雀の声の中、「まるまると」した大きな夕日がゆっくりとしずみます。作者が楽しい春の一日を過ごされたことも伝わります。

いつからか青鮫のゐる遍路かな   学
 遍路は春の季語。四国は四方を海に囲まれているのですから、どこに青鮫が居ても不思議はありません。この遍路一行にも青鮫がまぎれ込んでいるのでしょうか。青鮫は、不気味でありながらも始原の力を秘めたものの比喩だと思います。金子兜太の句に「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」がありますね。原句…いつからか青鮫ゐる遍路かな

蒼き空猩猩袴は群れをなし   さくら
 猩々袴はユリ科の多年草ですが、猩々は中国の架空の怪獣。朱赤の長い毛を持ち、お酒を好むようです。確かに猩々袴の紅い花は点々と群れを成して咲き、「蒼き空」と相まって、この花の不思議な存在感が感じられました。

二階から降りて桜の下に来る   孝志
 明るい桜花の妖しい引力を感じさせる、魅力のある句だと思いました。

幼子を幼子がみるチューリップ   遅足
 「を」と「が」の順序に注目しました。幼子を、を冒頭に置かれますと、読み手は無意識に自分を主語として読んでしまいます。そのように自分が幼子を見ていると認識して読み始めますと、次に来る「幼子が」によって、自分(大人)と同じように幼子を見ている「幼子」の発見がより新鮮なものになるような気がしました。

鶯に寝返り打って琵琶湖かな   岡野直樹
 旅宿に泊まり、鶯の声に目覚めて、ああ、ここは〜だったんだ、と思う、一瞬の心の動きがいいですね。これも旅の醍醐味のような気がします。

馬の仔の直ちに湯気を立ち上ぐる   紅緒
 早春の寒い朝、産まれた仔馬が直ちに湯気を立ち上げた、というのです。その生命力の漲る様に感動しました。まだ濡れている仔馬の体表から湯気が立ち上るのは寒い季節の当たり前の自然現象ですが、仔馬の体温の高さが頼もしく、誕生したばかりの命が周囲を圧倒する様子が描けたと思います。

桜花百寿を祝ぎて集ひけり   和久平
 百才のお祝いに、親族が集われたのでしょう。それが桜花の季節であったことが、作者にはいかにもめでたく思われたのです。百寿の方には桜のような艶やかさが、桜には百年を超える古木の風格が感じられ、祝句としても成功していると思います。

春の田や耕耘機にはマンガ置き   えんや
 耕耘機の主はマンガを読む世代なのですね。或いは年配の方なのかもしれませんが、耕耘機に乗って耕す時間も、マンガを読んで一人くつろぐ時間も、明るい春田であれば楽しいことと思われました。

【佳 作】

ガジュマルのぶらんこ空を持ち帰る   紅緒

花の茶屋ジーンズ似合ふ店子かな   えんや

からたちの咲く頃母を訪うてみむ   美佐枝

初燕まづは交番軒下へ   くまさん


2011年4月6日
早瀬淳一ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 このたびの震災に少しでも関係のあった方、お見舞い申し上げます。 今年は寒さが遅くまで残ったせいで、桜が遅かったですね。通勤で甲子園球場の横を毎朝夕通るのですが、毎年センバツの始まるころは満開なのに、今年はちらほら咲きでした。今日(2日)、自宅の近所の王子公園でも本格的に咲いてきました。9日にお花見に行く予定です。でも、今年はほろ苦い花見ですね。それでは。

【十句選】

さくら餅葉脈抓む女かな   涼
 桜餅を食べるのに葉っぱに触るのは当たり前。それをわざわざ葉脈抓む、と言ってみせるのが俳句らしい。その表現によって歯の表面がクローズアップされ、葉の緑色、手触り、匂い、さらにそれを抓む女の気の強さのようなもの、謎めいたたたずまい、なども読めてくる。

万力を締め上げてゆく鳥雲に   学
 「上がて」を「上げて」に直しました。板と板を接着するためか、加工する板の一部を固定するためか、万力をゆっくり締めあげている町工場。仕事とはいえ、のんびりした雰囲気が伝わってくる。外はちょうど鳥が寒冷の地に帰っていく季節。取り合わせとして近くはないのに、とてもしっくりしている。

待ち合わす千の辛夷の開く頃   まゆみ
 千の辛夷が咲き、また春が巡ってきたころ、近しい関係の人と待ち合わせている。ひょっとしたらその人は関係の切れた人、またはこの世にいない人かもしれない。思い出の場所に毎春来ているのかもしれない。わくわくした待ち合わせではなく、さびしい待ち合わせに見えるのは私だけでしょうか。

大甕の水の減りけり春の地震   太郎
 大甕の水が減ることと地震が来ることはもちろん関係はない。大甕の水は自然に減っていくものである。それでも、少し減った大甕の水の表面が、春の地震で波立っているのを見ると、同じ自然現象として、どこかでつながっているような気がする。春の地震はやはりこのようにさりげなく詠むのがいいようです。

春の雲春の高さを定めたる   遅足
 春の雲が浮かんでいて、その高さが春の高さを決めているのだという。俳句以外でこんな言い方はしないだろう。そもそも春の高さって何よ、と言われそう。春の深まり具合なんてしてしまうと、理屈になってつまらない。?のままにしておくのがいいのでしょう。

春風や氷砂糖のぽんと入れ   茂
 氷砂糖ってなめるものでは?と一瞬思いました。氷砂糖をぽんと入れるものってなんだろう。カフェラテ?紅茶?よくわかりませんが、ぽんと入れた音、氷砂糖の冷たい感じが、暖かい春の風とよく合っていると思いました。

ホモ・エレクトゥス・エレクトゥス春の雪   汽白
 一見意味のない、音の繰り返しの言葉遊びの句。「ちゃんちゃんこアルゼンチンチン共和国」(芳野ヒロユキ)の世界か。トゥス・トゥスの重なりが音として面白く、呪文めいていて、直立原人が「トゥス・トゥス」とつぶやきながら春の雪の残る野を歩いているよう。また、エレクトという言葉も、原人のおおらかな性を表しているようで、おもしろい。

囀りを部屋の奥へと通しけり   山内睦雄
 賑やかな囀りが嬉しくて、障子(和室の大広間の感じ)を奥の奥の間まで開け放した、という俳句。奥の間にいた人に聞かせたかったのだろうか。いや、さわやかな風も入れて、部屋そのものに聞かせたかった、という感じがする。

啓蟄やもう人類はいなかった   岡野直樹
 今年も巡ってきた春。虫が顔を出して周りを見回してみたら、人類が一人もいなかったという、壮大なホラー俳句。妙な怖さ、リアル感がある。このような仮想実験的俳句も、時には面白いのではないでしょうか。

変身のための呪文や春嵐   紅緒
 我々の世代の変身の呪文といえば、「テクマクマヤコン、テクマクマヤコン」。30代以下の方、ご存じですか。春の夜の荒れ模様の日。あなたは、何に変身してみたく思いますか。安珍清姫のような蛇だったら、怖いですね。

【予選句】

白魚の目の澄んでゐる小鉢かな   涼
 細かいところをよく見た句。

ますの大きさはみだして春の空   学
江戸は庭園都市海に椿咲く   学

 この2句とも、句またがりについて考えさせられました。2通りの読み方があります。1つ目は、意味通り「ますの大きさ はみだして春の空」「江戸は庭園都市 海に椿咲く」。575のリズムが分断されて、俳句の韻文性としてはやや異質な効果がある。2つ目は、「ますのおお きさはみだして 春の空」「江戸は庭 園都市海に 椿咲く」。単語が分断されるが、続けて読むと意味は分断されない。そして575のリズムの強さが浮かび上がる。角川「俳句」の仁平勝氏の俳句の定型論、音韻論、注目しています。

引つ越しの荷物を送る春の雨   春生
 暖かい春の雨、引っ越しの先には何があるのでしょうか。

脈打つてをり生きてをり初桜   春生
 自分の脈を感じているのか、何か生き物の脈を見ているのか。

墨痕の七癖美しき春の闇   たか子
 墨痕鮮やかな書にも七癖があるというのはおもしろい。

良く喋るとなりのをみな木の芽雨   たか子
 おみな、だからおばさまではなく若い女子でしょうか。

浦の子の声よく徹る卒業歌   たか子
 裏の子ではなく、浦の子。磯の匂いがしてきそう。

雪だるま砂場に座る夜ふけかな   音嗚
 座るのが雪だるまか作者かで意味が違ってくる。

汚れた手洗い寝所へ春の闇   コッポラ
 寝所、ですから、昭和の古い文化住宅のよう。

早春や妻無印の黒タイツ   コッポラ
 派手な網目の入っていない無印のタイツ、というのに少し笑える。

野水仙読経に揺れて七回忌   津久見未完
 野水仙も七回忌を偲んでいるのですね。

春の月ネクタイ外し早二年   津久見未完
 定年退職ですか、うらやましい。いや、フリーターに?!

おぼろ夜の丹念に拭く眼鏡かな   せいち
 朧夜で、切ったらいかがでしょう。朧夜の感じは出ています。

蝋燭を継ぎ足してをり春の闇   栗原
 なくなりそうになったら、次のろうそくに火を移すのでしょうか。不思議な句。

指先にたどる淋しさ花辛夷   遅足
 相手の指先に淋しさを感じるのでしょうか。せつない句。

水槽のイソギンチャクと昼の酒   恥芽
 イソギンチャクと飲む酒、いいなあ。

桜咲くはるか未来の風を見て   和久平
 未来の風だけでも浮世離れているのに、それを見る?うーん。

帆船の遠のく浜や鰆東風   山渓
 よくできてはいる句だと思います。

野辺送り雁ゆく空のありにけり   美佐枝
 蕪村の句「凧(いかのぼり)きのふの空の在りどころ」を思い出します。

らふそくに揺れるしじまや春のなゐ   大川一馬
 しじまが揺れる、という表現がいいと思います。

山笑うあと一列の棚卸し   茂
 些細な日常がいいですね。

手荷物を台車に預け春の宿   茂
 春の宿の様子がよく見えます。

湯豆腐の角の崩れぬもどり寒   滝男
 因果関係がありそうで、何とも言えない世界ですね。

大股の横断歩道山笑う   山内睦雄
 少し言葉足らずですが、今の季節がよく出ている。

囀りや鼻母音の人帰国せり   啓
 鼻母音の人、がおもしろい。フランス人?

置時計倒れて動く余寒かな   えんや
 夜寒が置時計を動かしたみたいで、おもしろい。

すれ違う人の手白き春の闇   戯心
 春の闇の中で、手だけが浮かんで移動しているよう。

春光の中へ地下鉄飛び出せり   戯心
 中へは外へ?地下鉄の車両が空中に飛び出していくような感じですね。

こーひー缶会議長引く春宵や   豊田ささお
 コーヒー缶の中には冷めたコーヒーが少し残っていそう。

くるぶしののぞくソックス春の泥   衣谷
 これは若い人ですぅね。我々になると寒くてそんなソックスははけないです。(笑)

亀鳴くや海より出でし潜望鏡   赤間 学
 亀の首が海から覗いているようでおかしい。

こうなれば冬眠しよう二千年   岡野直樹
 そんな気になります、時々。

戀猫のたむろしているホテルかな   豊秋
 このホテル、卑俗で庶民っぽくていいですね。

口癖はオッパイ星人春の泥   あざみ
 そんなお父さん、いそうですね。

 今回はこれで勘弁してください。ありがとうございました。


2011年3月30日
岡野泰輔ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】
 がんばってください、被災された方々も、助ける方々も、また邪悪な火を押さえ込むべく戦っておられる方々も。私も日ごろの備え悪く、多くのものが家中に散乱し、当クリニックも小西雅子さんにピンチヒッターになっていただきました。さて今回も多くの投句をいただき、震災を詠んだものも多くありました。まだその渦中にある、このように大きな災害を詠むことの難しさも考えさせられました。かなり時間が経たないとこの災害を客観視できないでしょうが、同時に生身の人間として、その渦中で作句しておくことの意味はあるでしょう。

【十句選】

凍てる夜の計画停電星戻る   まゆみ
 計画停電という言葉、事態にも今回初めて出合いました。句意は明解で、異常事態の中で星がより鮮やかなのがアイロニックです。よくある原因と結果の句づくりの凡庸さには陥っていないと思います。新しい言葉、事態を素早くとりこむ作句姿勢にも共感。

なんとまあ青き蜥蜴の迅さかな   涼
 夏の句ですけど。一読「これがまあ終の栖か雪五尺」一茶を思い出しました。このような口調のよさは、ある種の類型になっているかもしれません。唯一「青き」の鮮やかな色の働きが一句を生動させています。

爪伸びて金剛山に春の雪   考志
 爪が伸びることと、金剛山に降る雪は取り合わせとしてぎりぎりの距離かと思われます。二つのことがらが切断されておらず、薄く繋がっているのが成功です。あたかも爪が伸びることによって雪が降ったかのような。これは実社会の因果律ではなく、詩の上の論理です。歴史を背負った金剛山という名称も味わいがあります。

糠雨や絵島屋敷の侘桜   美佐枝
 まず視覚的に画数の多い漢字ばかりで、句全体が息も詰りそうに窮屈。それが悪いというのではなく、この場合は句の内容とよく合致しています。吟行で訪れただけの観光地での写生句とも読めますが、「糠雨」が効いて幽閉された絵島の日本版ゴシックロマンの匂いが濃厚に出ました。

戦場が生まれる前の街に蝶   遅足
 今ですとリビアでしょうか、チュニジアから始まったジャスミン革命の北アフリカ?またはテレビで観るかぎり瓦礫で埋まった東北被災地も戦場のようです。俳句は今、目の前のものを詠むのが基本とされていますが、少し前まで、一瞬前までそこに存在していたもの、あるいはその幻を詠むのも大いにありと、この句を前にして、そう思いました。一見観念的ですが、描かれたことはとても具体的です。

夜のきぎすスティックシュガー注ぐ間を   戯心
 雉の鳴き声なんてふつうでは聞けないので、とてもよくできたフィクションと思いました。注意深く言葉を選んで静謐な美しさを表現されました。「きぎす」、雉の古称、春の繁殖期に雄が縄張りを主張して鳴くのだとか。そう分かってみるとその声は切ないし、スティックシュガーへの飛び方も程よい感じがします。
 これはきっと紅茶ですね、そう思います。

春灯のぽつりとひとつなゐのあと   戯心
 現在の震災に重ねないほうがよいでしょう。この震災の起こる前のほうがよく鑑賞できたように思います。この句での「なゐ」は軽いもの。作者の関心はもっと美的な方に傾いているように思えますが。「春灯」に美を感じるか、人間を感じるか、どちらにより傾くかによって、微妙に世界が変わってくるような。
 平仮名の中にぽつりと漢字の「春灯」が点っている視覚効果もいいですね。

春満月でんぐりかへつてをりしかな   余一
 本当にこの間の春満月はきれいでした。大震災の後だけにひとしお。この句も今はどうしても地震に重ねてしまうのですが、普通に読んだほうがいいですね。でんぐり返しを打っているのは子供?大人でもそれなりにおもしろい景。でんぐり返って起き上がると満月がぐらぐらしているような。一瞬、春満月そのものがでんぐり返っているようにも読める。でもそれって、どういうこと?

蝶生まる沖に攻めくる非線形   草子
 いろいろ気にしつつ採りました。凶暴なものに配する「蝶の誕生」。図式的といえば図式的です。でもこうする他はないなあ、とも思います。「非線形」という難しい言葉の適否も読者を分けるでしょう。でも津波の暴力性は際立ったように思います。(素材にかかる力による歪みがある点から線形でなくなる、いいですかこれで?構造力学の言葉?)被災地想望俳句ともいえます、そこを否とする人もいるでしょう。

被災地に白い雪降るニュースかな   あざみ
 構成に工夫を凝らした前句に比べ、無手勝流のような句です。テレビの画面をそのまんま写し取って、最後に「かな」をつけただけ。「かな」はつぶやき、ため息のようにも。雪は白いもの、だからそこは傷。たしかにテレビに映る雪の白さには胸を衝かれました。この句の中で白が効いていることは確かです。大げさな言葉を一切排しただけに、テレビの前の安全な場所で観ているしかない臨場感はあります。

【予選句】

長閑さや大塔けぶる昼の鐘   まゆみ

読み古りし宗治の詩集うらら春   たか子

太古より浜辺に寄せる春の海   涼
 人気のない不思議な景。

幾筋も窓にはりつく春の雪   津久見未完

蕾早や同じ方へと紫木蓮   太郎

鞦韆は秋を抱いて揺るる季語   せいち

 俳句についての俳句、メタ俳句。

彼の人のマスクをしても美しい   えんや
ショベルカー雪を掬ひしまま置かる  〃

落下傘形崩して春の雲   大川一馬

親方の練りこむ餡子春嵐   コッポラ

亀鳴くや海より出でし潜望鏡   学

 説明できないが、気になる。

万屋の店番になる風信子   学

そこらじゅうの空気を吸って春の歌   茂

あめ色の母のつげ櫛春の月   茂

 「母もの」にしないほうがよかった。

蜆汁死は斜めからやってくる   遅足
 「蜆汁」の生に死の影か?斜めがいい。

鬱金香ベンチ二分の界があり   勇平

箱雛や呉服問屋の太柱   山渓
写生会眼下に春の波寄する  〃

春地鳴り幻戯山房舟となる   啓

 角川源義邸、名称の勝利。漢詩みたい。

卒業やスイトンを炊く雑木山   豊田ささお
 謎が多いものの、楽しそうで、うまそう。

花咲いて無言の声のるつぼあり   紅緒

春ともし豊葦原の地図拡ぐ   草子

啓蟄やこぼれた本を片付ける   あざみ



2011年3月23日
小枝恵美子ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 関西では時折、みぞれ交じりの雨が降ったりして肌寒い日が続いていますが、東日本大震災の被災地の方々は、吹雪の中での復興作業に追われているご様子、本当に心が痛みます。一日も早い復興を心よりお祈りいたします。投句をして下さった皆様からも、被災された方々へのお見舞いのメッセージがたくさんありました。まだ余震が続いていて不安な毎日ですが、どうぞお身体に気をつけてお過ごしください。では、十句選をお届けします。

【十句選】

鰊にも遺骨といへるものありし   伍壱堂
 春告魚と呼ばれる鰊は、腐りやすいので身欠き鰊とされたりしますが、北海の荒々しさを感じさせる、そんな鰊に遺骨といえるものがあったと言われると、なるほど、と納得させられます。「鰊にも」ということは、他の生物にもということ。遺骨という具体的な提示に、魚とはいえ現実の生々しさと哀感が漂ってきました。

青年の気概のごとく梅真白   涼
 梅の凛とした香気は、まさに青年の気概と響き合うものです。真っ白な花に清々しさがあり、このような青年が理想ですね。春を告げる梅の花に、私達は希望を託したり、勇気づけられたりしながら、過ごしていると改めて思いました。

ばらの芽や推敲のペンもてあそび   太郎
 窓の外には、柔らかなばらの芽が赤く萌出でていて、部屋の中では作者が推敲のペンを指先でくるくるともてあそんでいる景ですね。考えている途中にふっといい言葉が浮かんでくるかもしれない、そんな気持ちが薔薇の芽と響きあっています。

讃美歌を全身に浴び卒業す   津久見未完
 卒業というシーンは一生の内、数回のものですが、賛美歌を「全身に浴び」と表現したのが魅力的で、清々しい句となっています。頭だけではなく全身で受け止めたものは、生涯良き思い出として残るものですね。

恋猫の駆け行く声や水枕   孝志
 深夜、恋猫が高音の声で外を駆けていくが、私は水枕をして寝ている、ということは風邪の熱があるのかも。その水枕が自分自身の熱だけでなく、恋猫の声を冷ますようにも感じられて、ユーモアのある句だと思いました。

サイネリア問い詰められて空瓶に   遅足
 サイネリアは色彩が豊かで、花弁がビロード状に光って美しい花ですね。その花の側で、恋人に何かを(うしろめたいことでも)問い詰められ、ついに空瓶になって、そらっとぼけている人を想像しました。下五が感覚的で面白く、季語がよく効いています。

壜の口のぞく子吹く子春の水   啓
 子供は好奇心が旺盛で、なんでも試して遊びますが、中七のリズム感がその子供たちの様子をいきいきとしたものにしています。そのそばには春の水がゆたかに流れており、これから壜に水を入れるところかなと想像しましたが、全体的に動きのある景が良かったです。

逆光の菜の花電車曲がりくる   豊田ささお
 満開の菜の花は明るくて軽やかですが、逆光の中の菜の花はまぶしすぎて、すこし不安感が伴うように思いました。そのような光景に電車が曲がってくるのは、日常から非日常へと変化していきそうな気配が感じられ、ドラマチックでした。

メッシュ靴きゅきゅっと鳴らし春の朝   茂
 メッシュの靴はどちらかというと夏向きですが、春の暖かさにつられて、「今日はこの靴にしよう」、と履いたのでしょう。中七の「きゅきゅっと鳴らし」が、春の朝の、出かける前の気分を巧く表現しています。

菜の花や低排ガスの郵便車   山渓
 菜の花とエコカーの取り合わせが良かったです。菜の花の持つ春のうららかな気分が、低俳ガスの郵便車と取り合わされると、あちこちの街へ郵便物とともに、ほのぼのとした愛情を運んでくれそうですね。

【予選句】

水温み微塵子廻るくるくると   葦人
 微塵子が動く様子を楽しく表現されていますが、「くるくると微塵子廻る水温む」のほうがリズム感がいいのでは、と思いました。

その先の丸太階段壷菫   まゆみ
 ごつごつとした丸太階段がその先にあり、足元には壺菫が可憐に咲いている風景が素朴でいいと思いました。

糞は持ち帰り下さい春の風   せいち
 犬の散歩に出掛けると、この中七までの言葉を書いた張り紙があちこちにありますが、春風のやわらかさが、その言葉をやさしく包んでいるようです。

うたたねの椿は花を落としけり   遅足
 椿はうたたねをしていて花を落としたのだというのは、少し機知的ですが、ユニークですね。

日時計の十時差したる木の芽晴   恥芽
 日時計と木の芽晴の「日」と「晴」が同質なので、季語は「木の芽風」でも良いかと思いました。気持ちのいい句でした。

ロッカーへ魂入れて花衣   和久平
 ロッカーへ「魂」を入れるというのは、あまりにも具体的ではないので、具体的な物を入れると俳句が生き生きとしてきます。

舫い船春の闇発宇宙行き   茂
 舫い舟が春の闇から宇宙へ旅立つというのは、少し作為を感じますが、うるんだ春の闇がそう思わせるのでしょうね。

走り出し余寒の暗闇より黒く   意志
 余寒の暗闇より黒くなっていくという感覚にとても魅かれましたが、「黒く」が少し抽象的すぎるかもしれません。


2011年3月16日
小西雅子ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 東日本大震災で被災された皆様、お見舞い申し上げます。
 山形市に住む娘一家とやっと連絡がとれたときはほろっとしました。以前この一家が住んでいた仙台市若林区の状態をテレビで見るたび心が痛み、いつも秋刀魚を買っている石巻の漁師さんの安否を心配し。どうか個々の祈りが届きますように・・・どうか希望に向かいますように。  さて、今回は岡野ドクターのピンチヒッターです。
 たくさんの俳句を拝見し、元気が出ました。ありがとうございました。

【十句選】

曲がり屋の主はいずこさくらさく   津久見未完
 藤沢修平の世界でしょうか。平仮名の「さくらさく」が古めかしさを一掃しました。曲がり家を順々に映し出し、最後にぱっと満開の桜。素敵な映像です。

三姉妹三月三日の参観日   伍壱堂
 飾りのない端正な句。季語は三月ですが、「三月三日」と「三姉妹」で三人官女がすぐに思い浮かびます。最後に「参観日」が来てひな祭りとはまったく別の世界になりました。

紅椿大星雲は渦巻きて   学
 ちょっと変わった雰囲気の句です。大星雲が渦巻いていて、あたかもその中心に紅椿が咲いているかのようです。これだけ大袈裟なのは楽しいです。

啓蟄やとんちんかんな受け答え   せいち
 虫たちがひょこっひょこっと出てくる「啓蟄」。一方、受け答えがとんちんかんになることはよくありますので、なるほど「とんちんかん」は「啓蟄」とぴったりです。ユニークな句。

叱られてしばらく春の雲になる   遅足
 叱られたとき、ほとぼりが冷めるまで「春の雲」になりたいなあと思えたらいいですね。「春愁」ということばがありますが、これとは逆に雲になって浮かぼうというのは達観です。

盲腸の傷や末子の冬うらら   コッポラ
 盲腸の傷は誰のものか。盲腸の手術をしたのは末の子の生まれたころだったなあという痛い思い出。と想像しました。もちろん末の子自身の手術痕かも。「傷」から「うらら」への展開に惹かれました。

紅椿きっと中味は白餡だ   岡野直樹
 アンパンや回転焼(今川焼)を食べるとき、白餡か黒餡か、粒餡かこし餡かを考えるときがあります。どれかにこだわりがある人にとっては重要な問題。紅と白は、少々安易ではありますが、些細なことを真面目に考えるというのはとても俳諧的です。

啓蟄や目覚し時計また鳴って   紅緒
 なかなか起きられないのは作者ですが、これを見るとまさに時計が起こしているのは虫であると思わせ、うまいなあと思いました。やや川柳的ですが春の気持ちが心地よいので選びました。

菜の花や海亀来る伊良湖崎   山渓
 なんて美しい光景なのでしょう。菜の花の黄と海の青。その間をつなぐ海亀。伊良湖崎の句碑にしたいくらいです。
 鷹一つ見つけてうれし伊良湖崎   芭蕉

おもむろに口移しする春一番   あざみ
 いろっぽい句ですね。しかし、「口移し」というのは「口伝え」という意味もあり、それなら例えば、漢詩をくちづてに教え学ぶ師弟とか。私はもちろん「いろっぽい派」。「春一番」がとても上品です。

【次 点】

鋤鍬を研ぐ石匂ひ二月尽   葦人
 良い句だと思いました。10句に入れようかと思いました。その匂いはとてもよくわかりますし二月尽によく合っていると思います。ただ読みにくいのが残念。「鋤鍬を研ぐ石匂ふ二月尽」「鋤鍬研ぐ石の匂ひや二月尽」いろいろお考えください。

利根川に道真っすぐや蓬摘む   太郎
 進む先が直線で、蓬の緑が鮮明。とても気分の良い句です。「利根川に」「利根川の」きっと迷われたことでしょう。

冴返るハンドバッグの褪せし色   涼
 10句に採ろうかと迷いました。確かに色褪せたバッグを見ると冴え返ります。

茅葺家ピアノが唄う早春賦   すずすみ
 茅葺きの家でのコンサート。最近よく開催されています。茅葺の家の住人が弾くピアノかもしれません。モダンですね。「ピアノが唄う」がとてもステキです。

枝垂れ桃妻の患ひ軽くなり   大川一馬
 いいなあ、この句。「枝垂れ桃」が「今まで苦労をかけたね」という夫の言葉を表しているようです。快方に向かううれしさと希望が伝わります。

円位忌や夢のさかひを迷ひけり   豊秋
 西行忌日の句。西行の感じがとてもよく出ています。ひとつ具体的な言葉があればもっと伝わるかもしれません。

花衣かがやき初むる一つ星   美佐枝
 綺麗な句。一つ星が出るころどこへおでかけになるのでしょう。恋物語がはじまりそうです。

診察を待つ間の余寒雨の音   戯心
 「雨の音」が惜しいです。その前の「予寒」と近すぎて(両方気象関係)イメージが分散してしまいました。そこを変えたら名句になりそうです。

如月の人間禅の息を吸ふ   九万田和久平
 「禅の息」が凛として素敵です。特に「人間」に惹かれました。10句に採ろうか迷った句です。

横着と云ふ言い訳や春の風邪   くまさん
 言い訳が「横着」とは不思議です。「横着」は「春の風邪」と取り合わせることによって個性的な句となりました。

春満月去勢の猫は寝てばかり   余一
 作者の思いはよくわかります。猫の思いもよくわかります。「春満月」という季語がとても良いと思いました。

朝寝中周波数だけ変えにけり   意思
 「あるある」と多くの人が思うでしょう。朝寝のまどろみのなか、ラジオの周波数を変える、そしてまた眠る、そしてまた変える。面白いなあと思いました。

【気になった句】

アルバムの卒業写真円の中
 仲間がいて自分がいて、卒業写真はなぜか哀感を感じますね。「アルバム」は不要ですのでその分違う言葉が入れられます。

春の夜のころころ零る金平糖
 春の夜の雰囲気が伝わる句です。「零る」もぴったりです。ただ金平糖といえば「ころころ」のイメージですのでこれは不要かと。

勇ちゃんも亮ちゃんも逝けり春なのに
「逝けり」はあまりに悲しいので「いない」くらいにして「どこへいったのかなあ」と余韻を残してほしいなあと思います。いい俳句で、最初から○をつけていました。

啓蟄のゲートにイレブン揃いたり
 「さあ出発だ」という春のいきいきした気持ちがよく出ています。「出ていく」ということがわかりすぎたかもしれません。


2011年3月9日
えなみしんさドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 先週、北海道で流氷船に乗りました。旭山動物園で、ペンギンの散歩も見ました。区のオペラ公演があるので、合唱団に募集したら当選して、練習が始まりました。きのうが吟行。あしたが船団東京の句会。輪番のマンションの委員も佳境。何かと、忙しい春です。
 今週は、154句。いい句が多くて10句にしぼれませんでした。それで、次点をたくさん採らせていただきました。刺激にも勉強にもなります、ありがとうございました。

【十句選】

マフラ―を巻けり貴方の知らぬ日を   たか子
 日本語では二人称を「あなた」と呼ぶ事は、まず無く、そう呼んでいるのは黒柳徹子さんだけだと聞いたことがあります。この句では漢字表記の「貴方」が効果的。越えられない「個」というものを的確に表現していると思いました。マフラーを巻いているのは私で、貴方がそれを見ている。ただ、これを詠んだのは、マフラーを巻いている私とも、見ている私とも読めてミステリーです。昭和の名作映画を見ているような気がしました(古いかな〜)。

役者めく猫ゐる影や白障子   えんや
 猫の影が役者めくというのが面白いですね〜。実は、それが効果的に見える演出が「白障子」なんじゃないでしょうか。白拍子という言葉も連想しますし。裃つけた猫が扇子持って現れる、というような事をイメージし、にんまりしました。

喪の家の昼の明かりや春の雪   えんや
 既視感のある風景。季語も適切。それ以上書く事がないので困りますが、ある種のイメージを再構築した句と思われるので、良くできているのですが、やや出来すぎかも。映画の1シーンのようだなとも思いました。

一行詩とは素直な心桃の花   九万田和久平
 この一行詩は、おそらく俳句の事でしょう(俳句のコーナーに投句しているわけですし)。ふと思ったこと、感じたことを記憶しておくには、長い文章は不向きですよね、確かに。そういう事が「素直な心」と表現されているんだと思いました。季語も適切、動きませんね〜。

母のこゑ聴きたくなりし桜餅   学
 わたしもこの年になって、父や母のことを思うようになりました(遅い)。ただ思い出しただけではなく「聴きたくなりし」が効果的な表現です。桜餅から母上を思ったのは、この時期に桜餅を一緒に食べたのか、もしかしたら作ってくれたのかも。この句は、桜餅だからいい、たとえば柏餅では、こんなやわらかな情感はでないでしょう。

妹二階父母一階春の夜   ロミ
 それじゃ、作者はどこに住んでるのサ、と思ってしまいます。地下、それとも3階。あるいは家を出て、別の暮らしをしてるのか。いずれにせよ、縦長に家の家族構成だけを述べて、その暮らしを想像させる上手い句だと感じます。季語、悪くはないが、もっといい季語があるかも〜という気がしますが。

春月やきのふと違ふ嘘をつく   豊秋
 「何がうそで/何がほんとの寒さかな」久保田万太郎を思いました。きのうと違うことを言っても、きのうがウソで、今日がほんとのことないのか。あるいは、きのうがほんとで、今日がウソなのか。そもそもほんとの事って何?、そんな感じです。春月が微妙な付き方ですが、春の夜だから許される事で、いいと思いました。

飛べるけど泳ぐペンギン万愚節   紅緒
 先週、旭山動物園で、ペンギンの散歩をみてきました。そこで知ったのは、ペンギンが泳ぐのは夏だけ、冬は泳がないんですね〜。余談ですけど。なにげなく読むと何の不思議もないけど、それが言葉のマジックなんですね。飛べるわけないから、万愚節で、言葉の虚をつかれた感じがしました。「絨毯は空を飛ばねど妻を乗す/ 中原道夫」のような面白さ。

店を出て風が光って居る事よ   意思
 とても素直な句です。それでいて、こんなシーンに出会った事があると、誰もが共感するんじゃないでしょうか。「風が光って居る事よ」の「よ」がいいですね。上5は、まだ工夫の余地があるような気もします。でも、こんな感じで句が作れたらいいな〜と勉強になりました。

冬晴れのひとつになつてゆく遺影   余一
 亡くなった人が、わたしからだんだん遠くに行ってしまう感じ。こんな風だな〜と実感できました。ピリッとひきしまった「冬晴」が効いていて、俳句ならではの表現になっていると感じました。

【次 点】

天神に呼ばるるごときしゃぼん玉   たか子
 しゃぼん玉をこう捉えたのが良い。天神は菅原道真を思ってしまうが、そういう意味なのかナ。

牡丹雪この世の音を包みけり   太郎
 空気をいっぱい含んだ牡丹雪は、まさに音を吸収するだろうな〜。この世とあって、雪があ の世から来たと暗示しているのも情感。

ダンプカー雪崩のごとく雪を吐く   えんや
 見た事のない風景を再現してもらったような句。まさに、そうなんでしょうね〜。

柳の芽徐々に仕上がる課題曲   コッポラ
 変わった事を俳句にしたと感心しました。季語ですが「柳の芽」は、やや演歌っぽい感じです。(そうならそうでいいんですが)。課題曲なので、洋風な感じがあうような。草萌、ものの芽、あるいは全く違う系列の季語もありそう。

モノクロの世となりしかな桜咲く   九万田和久平
 桜が咲いて過去にいるような気分になった。俳句的な世界ですが、モノクロが安っぽいかも。モノクロームという言葉にしたらいかがかと。

マンモスの牙の標本春眠し   学
 名詞に季語をつけただけの句は、良く作るがマッチングが難しい。この句では「春眠し」が効果的です。

縄跳びのなかから春が飛び出せり  遅足
 発想は面白いが、冬から春の移り変わりは「飛び出せり」ではないような気がしました。言葉は適切ではないのですが、「生まれ出る」という感じではないかと。

自画像のロイド眼鏡のおぼろかな   豊秋
 藤田嗣治なんでしょうか。当時、日本ではなかなか評価されなかった事を考えると「おぼろ」は言えていると感じました。

天平の踏歌のやうに春の雪   せいち
 踏歌は知らなかったので、正しく鑑賞できていないと思いますが、美の世界が表現されていると感じます。

花の香は移りにけりな桜餅   伍壱堂
 本歌取り。確かに香りが餅に移っているナ。この後に77と付けたくなるのが困ってしまう。

昼までに淋しい足を杉の花   あざみ
 情感はたっぷりですが、「淋しい足を」の後が空きすぎていて、イメージがつかみにくかったです。

【気になった句、その他ひと言】

アンテナの音符のごとき寒雀   美佐枝
 確かに、そう見えますね。発見の句。

桜花あをくなりたるプランクトン   九万田和久平
 〈ちるさくら海あをければ海へちる/高屋窓秋〉という事かも。意味がむつかしかった。

海溝へ深く入りこむ鯨かな   九万田和久平
 珍しい句材。ダイナミックな世界です。

春の夢みている瞼みぬ瞼   遅足
 対比させて句になっている。

春灯誰かがきっとやって来る   せいち
 描ききれていない感じ。

消沈の牛の様なる残り雪   草子
例えが意表をついているが、なるほど感がイマイチでした。

  みちのくやあさきゆめみし椿落つ   涼
 本歌取り。言葉がややばらばらな感じを受けました。

亜麻色に染めてみやうか髪も春   美佐枝
 亜麻色と「髪も春」がいい感じです。

みちのくの真昼に闇と野火放つ   学
 この「闇」が読み切れなかったです。

 以上です。質問もいただいているのですが、採った句なら答えられますが、そうでないとできませんので、ご勘弁を。では、又。
えなみしんさ


2011年3月2日
朝倉晴美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 こんにちは、皆様。
 此度も、たくさんの投句をありがとうございました。
 春ですね。気持ちがざわついてまいります。私の家は、おひな様たちのおかげで、とても明るい雰囲気です。
 さて、その春の兆しのせいか、少しまとまっていない句が多くあったようです。あれもこれも詠もう!というてんこ盛りであるような感じかしら。少し、整理してみますと、ぐっと栄える句になるものも多くありました。
 では、また次回、夏にお待ち申しあげております。

【十句選】

韓流のアイドル来る春の宵   葦人
 韓流のアイドル、KPOP(韓国ポピュラーミュージック)というジャンルもまさポピュラーになってきました。そんな中で、韓国のアイドルたちが芸能ニュースのトップを飾ったり、はたまた、事務所とのトラブルなど、にぎやかな方たちのようです。春の宵という、ちょっと艶めいた季語とほどよくマッチし、楽しさを出している句でしょう。
 春の宵セロリを削る細身の刃   石田波郷

バレンタインデーおむすびの梅こんぶ   コッポラ
 なんとも、ユーモラスな取り合わせでしょう。バレンタインデー、もう、二月はこれしかない!というほどの狂騒ぶり。松の内があけるやいなや、街はバレンタインデー一色のような気がします。内需拡大のためにも、販売業、製造業のためにも、やぶさかではないわたくしではありますが、一方では何だかクールな自分がいるのです。
 きっと、食傷気味なバレンタインデーに、「梅こんぶのおむすび」。その、渋いセレクションのおむすびが何とも、ほっとさせる力があるようです。しょせん、私たちは、おむすびが好きな日本人なのよね。具はツナマヨもいいけど、〆は梅かこんぶよね。梅こんぶならなおよし、といった声が聞こえてきそうです。だからといって、皮肉には読みたくない掲句。素直におかしく読みたい。もうひとつ思えたことは、バレンタインデーに、おむすび贈るのもありかな、なんて。
 ハムの紐ほどきてバレンタインの日   高見岳子

まっすぐに春立ち仔犬は耳立てり   遅足
 「まっすぐに」立つものに、春と仔犬の耳。とても、ほほえましく、気持ちの良い句です。何でもないようですが、気持ちの良い句、というものは、とても貴重だと思います。その句を読んで、気分が良くなるなんて、読者の心を揺さぶっているのですから。また、中七を字余りにしても、「仔犬」が成功です。
 天高く春立つものの芽を見たり  加藤秋邨

娘より息子に似たる雛飾る   くまさん
 なんて、シニカル(皮肉)な・・・と一読の感。娘さんより息子さんが美形、雅なお顔立ちなのか・・・と。それと、愛情が関係するわけではないが、何となく、娘の方の気持ちになってしまうわたくしです。まあ、私が娘という立場でなければ、そう深読みはしなかったかとは思いますが。 意外性が魅力の句。雛に誰それがにている、(たとえば孫)というのは何のおもしろみもない。そこに、意外な人物、それも、妥当であるものを比較した上で。(ここでは「娘」)やはり、そこに軽いシニカルな思いが見え隠れするのです。
 女雛ゐて男雛を泣かす蔵の中   松本千代

ハイヒールの音の潤ひ春の雪   戯心
 ここでは、決して積もらない「春の雪」と読みたい。そうしなければ、ハイヒールの音が意味をなさなくなるので。積もった雪の中を歩くハイヒールは、大変危険で、音がどうだと、そんな悠長なことを言っておれない。降っては溶けてゆく雪とみたい。
 寒さが厳しいほど、硬質な音の響きは、より強いものでしょう。その変化に、春の訪れを感じる感性が、うまく俳句として生きた句でありましょう。
 恋歌のごとく降りゐる春の雪   茨木和生

春の風邪カレーライスの辛さかな   大川一馬
 カレーライスの辛さが、春の風邪に合うか、個人差があるとは思いますが、所詮、カレーの辛さ。深刻なわけではない。春の風邪だって、軽視できないけれど、まあ、春の風邪。カレーライスの辛さ加減程度のことかな、と。
 春風邪でしんどい方、すみません。私も、冬は風邪をひかないのに、春先に必ずやられます。しんどいのだけど、春本番も目の前、と思うとガッツも出るもの。冬の風邪ほどに陰鬱さがないのが、春の風邪。辛いカレーも、まあご愛敬。
 春の風邪誰も見舞つてくれぬなり   鈴木春蓑

早春はマリオネット爪先立って   紅緒
 抜群の表現です。操り人形の爪先は、とても特徴的なもの。その、独特な、つま先立つ様子が、早春であると。やられたっという思いでした。どんな日常にも、私たちが見落としている句材がたくさんあるのですね。
 早春の日のとろとろと水瀬かな   飯田蛇笏

囀りや地下に縄文土器並ぶ   藤原 有
 「や」切れがなんて効果的なんでしょう。視線は空に、そして、足下には遙か遠い縄文の時代が眠っている。すばらしいコントラストを、より印象強くされています。思わず、遺跡発掘見学に行きたくなってしまいました。それに、なんとなく、古墳や土器は春に似つかわしいような・・・奈良などのイメージでしょうか。
 八百万神様のごと囀れり   阿波野青畝

一枚の葉が勝負服桜餅   衣谷
 まさに!桜餅自身にとっても、食べ手にとっても、桜葉は非常に重要。なければ、それは桜餅ではないし、そのまとい方、その味加減も、実に微妙。そんな、皆が当たり前のように気づいていた桜餅の葉の存在を「勝負服」と例えた妙に拍手でございます。 あえて難を申せば、「が」です。「は」ではいかがでしょうか。濁音は、必要ではない限り、避けた方が無難でしょう。
 三つ食へば葉三片や桜餅   高浜虚子

浅き春ゴム手袋が薄くなり   意思
 ゴム手袋、実に何種類もあることをご存じでしょうか。厚さ、薄さのみならず、外科手術に使うようなぴったりフィットするものから、内側に綿手袋が装備されているものまで、量販店の掃除用品売り場では百花繚乱の趣きであります。色もさまざま。そんなゴム手袋、春が浅い日には、薄い物を、と読みました。厚手のゴムが薄くなってきた、とはあえて読まず。
 春の訪れを、ゴム手袋の薄さ加減で表現されたことに、日常の楽しさが見えます。また、こちらの句も、「が」より「の」が適当かと思われます。
 病牀の匂袋や浅き春   正岡子規

【次 点】

利根川の波良く伸びて春来たる   太郎

合格のざわめき逃れ春の川   余一

【予選句】

風光る小ギャルばかりの長き列   葦人

ふさふさの髭振り分けて龍の玉   まゆみ
春浅し湯の滾つ見る休刊日     〃

紙漉村星を小出しに出してをり   太郎

前髪を春の風邪から吹き上げる   ロミ

総論は春各論は春遠し   せいち
春寒し剃りし眉毛を描く女  〃

蹴飛ばして小石の日脚伸びていく   遅足

寄港日をしかと確かめ春の雪   茂
冬の虹あわ泡あわのカプチーノ  〃
石段を降りきってより春の潮   〃

国道のカーブゆるやか梅開く   ポリ

消印は二月まだ淡いインクです   紅緒
お手をどうぞずっと正座のお雛さま  〃

紙雛五分の檜扇持たせやる   啓

のびをする尾っぽのあたり春時間   草子

目貼剥ぐタクト上下に終楽章   勇平

ツルハシや空深く掘り草萌ゆる  豐田ささお
訃報来る電話の先の山笑ふ      〃

天気呑気本気浮気やクロッカス   あざみ