「e船団」のドクターがあなたの俳句を診断したものです。


2011年6月29日
朝倉晴美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 みなさま、こんにちは。
 今回もたくさん投句をいただきました。ほんとうにうれしく思います。特に、このたびは、新しい初夏、梅雨の世界を見せていただいた気持ちです。また、作者の挑戦を感じさせる御句もあり、ワクワクいたしました。ふけとしこさんの句集『インコに肩を』(2009本阿弥書店)のあとがきに、〈思いと言葉と何かとがうまくぶつかり合って、あ! と自分で驚くことができたら……それはささやかな幸福。〉とあります。
 そのようなぶつかりを、処々で見ることができましたことも、楽しいことでした。

【十句選】

水芭蕉山スカートの山ガール   葦人
 山スカート、山ガールにノックアウト(古いですか?)されました。そこに、取り合わせたものが、「水芭蕉」。他には何も言っていないのですが、いきいきとした光景が目に浮かびます。老若男女の登山者たち。そのひとりひとりに個性があって、そこには時代の流れをも感じさせる。しかしながら、水芭蕉は変わらない……。そんな思いで読ませていただきました。
 もう一点、昨今の流行に対しても余裕が感じられました。
 〈石狩の雨おほつぶに水芭蕉   飯田蛇笏〉

メモパッド薄く残りて梅雨の蝶   涼
 「薄く残りて」が勝因です。また、梅雨の蝶の頼りなさが、メモパッドの足りなさを感じさせ、アンニュイな梅雨の一日がせまってくるようです。
 メモパッド、私は、無理なく理解可能だと思いますが、昨今は「付箋紙」が通じないことがあるそうです(どなたかのエッセイにて拝読)。文具店にても、「ポストイット」だそうです。それが、嘆かわしいとは断言できませんが、個人的には日本語が好きです。(レインブーツじゃなくて長靴、レストルームじゃなくてお手洗い、パウダールームなどは意味が違うんじゃないかしらと思う。)余談が過ぎました。
 掲句には、「メモパッド」が不可欠でしょう。
 〈夏の蝶一族絶えし墓どころ   柴田白葉女〉

指揮棒の宇宙に飛びぬ月見草   学
 指揮者の指揮棒って本当に感動します。あの、直径何ミリかの棒先が、実に正確にリズムを刻み、曲の解釈を伝えているのですから。まさに、無限の壮大な宇宙へ私たちをいざなってくれています。
 一方で、「月見草」。無理なく読むために、野外音楽会と解釈しました。最近は、日本でも、夏の高原などでの野外舞台が定着しています。そもそも、能なども、もともと野外舞台ですし。そんな、夏の夜の良い気分が、読者にあますことなく伝わってきます。
 〈月見草はらりと地球うらがへる  三橋鷹女〉

黒南風や違うところに同じ猫   遅足
 一読して、プッと笑ってしまいました。いえ、うちの実家の猫も、帰宅中などに見かけ、「あっ脱走している!」と捕まえかけたら、別猫だった、ということがありましたから。
 掲句、猫は一匹、ととりました。涼しい場所を探す名人の猫。風を求めて、猫がいつの間にかに移動しているのでしょう。音も気配も無く。
 一方で、「同じに見える」猫、と解釈しても楽しく読むことができて良いかとも思います。
 〈白南風や古きジャズ弾くピアノ・バー   角川春樹〉

時報より少し遅れて冷奴   孝志
 時報、多分に正午でしょうか。真昼の冷奴が、なんだかとてもユーモラスで選にいただきました。時報がなって、「お昼だお昼だ、さあ、あっ醤油がない」とかなど言って、昼食を摂る様子が見えたものですから。夕刻の冷奴より、正午の熱さの中の冷奴の方が、美味かもしれませんね。お嫌いな方も少ないですし。
 冷奴礼賛の一句です。
 〈冷奴いの一番の客であり  角川春樹〉

六月の暦に記す魔法陣   伍貮拾
 魔方陣、古くから魔除けけや護符としてあったようですね。パズルとしてのみの魔方陣ではなく、そのような意味合いを含んだ魔方陣であると、句の世界も少し神秘的な様子になりそうです。六月という、お天気も悪くうっとうしい気分の月であることも、合っているようです。 ちょっと、お楽しみで記してみたのか、メモがわりなのか、わかりませんが、六月の気分がとても伝わってくるようです。
 〈六月を奇麗な風の吹くことよ   正岡子規〉

ひとりゐてやがて哀しき蝿叩き   草子
 〈晩夏晩年角川文庫蠅叩き  坪内稔典〉を思い出しました。
 「ゐてやがて」という表現が、時間の流れのなかの、人物と蠅叩きをうまく表しているでしょう。ちょっと、蠅叩きに気の毒な気もいたしますが、蠅叩きを人間と同等に詠んだことが魅力です。

揺れ支ふ素足の先の鳳仙花   尋太
 素足が、夏の日の様子を、より表現し、鳳仙花の揺れをはっきり読者に意識させる効果があるようです。
 鳳仙花、派手な花ではないのですが、印象的です。もちろん、種がはじけ出ることもそうですが、あの花弁の形状にも大いに魅力があると思います。「爪紅」ともいい、まつわる昔話が多いのも、鳳仙花にニュアンスがあるからでしょう。。そこに素足が、日常を醸し、過不足なくまとまっています。
 〈落日に蹴あへる鶏や鳳仙花  飯田蛇笏〉

薯植うる水の地球のすみつこに   たか子
 「水の地球のすみつこに」が、とても良いです。「薯植うる」という、特に特徴があるわけでもない季語を、情感豊かに、またスケール大きく詠まれたことが、読者に良い気分を与えていることでしょう。
 〈種芋を栽ゑて二日の月細し  正岡子規〉

かろやかやただ会釈する時の日よ   啓
 「時の日」制定は、意外に古く、1920年、大きく戦前のことでしした。日本書紀の記述に基づいて、6月10日と定めたことといい、なかなか由緒正しい(?)記念日のようです。
 そんな記念日に、「ただ会釈」という普通さがとても良いです、会釈だから、二人以上の人物がいるわけですが、その人々が、お互いにさりげなくやり過ごすその一瞬が、なんとも素敵に感じられました。人生も、そんな風にかろやかに、さりげなく、いけると良いのでしょうね。
 〈パン食ふや時の記念日凡に過ぐ  清水基吉〉

【次 点】

すかんぽ齧る曇天に死なんとす   学
 「すかんぽ」と「死なんとす」の押韻が愉快。

郭公鳴き合宿初日の点呼かな   津久見未完
 溌剌とした合宿風景が眼前に迫ります。

サングラス娘別人角曲る   一梲
 サングラス美人が面白い。

そないなこと知らしまへんわ水羊羹   洋平
 正しい関西弁が魅力。「知らしまへんわ」、生粋でなければ言えません。

万緑やわがふるさとは政令市    戯心
 仙台の若葉を思い浮かべました。杜の都ですもの。

【予選句】

鉄筋の古びし社宅枇杷熟れて   せいち

居眠りをして橋の揺れやまず   遅足

モノクロの報道写真藤見ごろ   恥芽

時の日やクォーツ時計の発祥地   山渓

柿の花不良雲助認定証   茂

大方は粒餡好み梅雨篭り   茂

老鴬や墓標の向きのまちまちに   茂

良く喋る鳥は何色明け易し   ジョルジュ

郭公や牧草ロール一列に   太郎

紫は杖の色なり花菖蒲   えんや

衛兵やエデインバラ城白夜明け   大川一馬

あぢさゐや母を諭せし齢になり   余一

月並みに生く母の臥す夏座敷   余一

成長の過程の梅を漬けにけり   コッポラ

頬っぺたの内側噛んで梅雨に入る   岡野直樹

油照六角レンチの角六つ   伍貮拾

明易し六人部屋に七八人   伍貮拾

一節の竹を宇宙に蝸牛   戯心

吊皮に肘の色白夏に入る   戯心

ニーチェでも読んでみるかと梅雨晴れ間   雪男

花とべら沖に湧きつぐ羊雲   美佐枝

梅雨晴れ間総義歯を看る研修医   勇平

蠍座が背骨を起こす明けの空   紅緒

急かされて田植え定規のままならず   豊田ささお

蚊遣火に顔をしかめる子猫かな   衣谷

白服や金輪際の誓い立つ   意思

青葉木莵無口だけれど小言好き   あざみ



2011年6月22日
南村健治ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 じゃが芋の花が咲きました、と云っても栽培しているわけではありません。台所のどこかで行方不明になっていたじゃが芋がある日ころんと現れて、芽が出ていて、それではというので家内が植木鉢に埋めて、すくすくと伸びて紫色の小さな花がほつほつと咲いたのです。写真を撮って、このところ閲覧者が増えた(ような気がする)ボクのブログ「阪神沖釣クラブ無駄無駄庵日記」に先達の句とともに載せました。
 では、ブログを見た人から順に十句選をどうぞ(笑)。

【十句選】

どくだみや他人行儀にすれ違う   らっこ
 そのじゃが芋の植木鉢の近くまで裏の家のどくだみが押し寄せて来て、「抜こうか」と思っていると小さな花が咲いて、それなら、まあ、そのままでという具合で梅雨の日々を過ごしている。と、町なかですれ違ったのは裏の家の旦那さん。その人はじゃが芋の鉢とどくだみがそんな事態になっているとは知らなくて、だからこちらだけどことなくいつもと違った態度で接して、いやいや、どうも、などと他人行儀な挨拶に終始してしまった、という句。

すこやかなひとに遅れて更衣   涼
 句の通り、病気がちな自分はそうでない「すこやかなひと」に少し遅れて今年もまた衣更えを済ませることが出来た、という充足感に満ちた句。その充足感を感じさせるのは「すこやかなひと」、、、、日常の会話ではあまり使われる場面がないように思う軟らかな言葉の響きのせいだろう。作者は、張りのある生活のひとこまを句にして、好ましいひと。

豆ご飯昼間の豆はかしましい   輝実江
 果たして、そうなのか。でも、言った者勝ちという言葉があるように「昼間の豆はかしましい」のだ、と観念してしまう。観念だから「かしましい」とはとか、「昼間の豆」ってどんな状態かと詮索してもそれは「昼間の豆はかしましい」以外に何もないのだ。つまり、何もない、意味がないところにこの句のオモシロさがある。

老いたればアラビア文字の午睡かな   学
 アラビア文字ってなにかふにゃふにゃしていて、メリハリにかけるというか漢字のように力強さがなくて、だらだらと横に繋がって、なるほどどうだと言わんばかりの若者の大の字昼寝ではなく「老いたれば」の「午睡」の感じにぴったり。この句も言った者勝ちだけれどアラビア文字の具体性に説得力がある。

逆立ちて紋章となる守宮かな   啓
 ほんと、守宮は動かないですね。それを「紋章」としたところにオモシロさというより奇異な気配が漂っています。逆さまの守宮。中世ヨーロッパの怪奇な城に住む伯爵かなにかの紋章、、、、って感じがします。奇怪さに、一票。

かたつむり微分積分なめくじり   らっこ
 「微分積分」。この文字は見ただけで頭が痛くなります。教師は日本語ではない日本語を喋り、数学の授業は悪夢の時間でした。だから、「かたつむり」と「なめくじり」とが「微分積分」で表わされるというかその違いが「微分」と「積分」との違いのようだと言われても、頭が痛くなるばかりです。ああ、ふらふらしてきました。でも、この句、リズムが抜群にいいです。そういえばαやr、y=fなんていうのはかたつむりやなめくじりの形に似ていないこともありません。

祝ふべきこともなき日の豆ごはん   伍貮拾
 ああ、いいですね、こういう生活ぶりは。あまり句の意味を詮索せずにちょっといつもと違った日の夕食と解しました。豆ご飯を食べることの幸せがよく出ています。豆ごはん党を創りましょうよ。

風を追ふ児を母が追ひたんぽぽ野   たか子
 少しリズムがたどたどしいのですが、何度か読むうちにこの句の様子が不思議と映像として現れてきました。なぜかな? 典型的な光景と云ってしまえばそうですが、「風を追ふ」の不可思議な様子が最後でたんぽぽの冠毛を追っている様子だとわかり、今のご時世、ほのぼのとした気持ちにさせてくれるからかな。

手の平の螢火つまの息遣ひ   余一
 「私」が手の平に蛍を載せているのですね。それを妻にさしだすと、彼女が顔を近づけて覗きこむ。そのとき妻の息遣いが「私」の手の平にかかった。場面としてはそんな感じ。ただ、「蛍」ではなく「蛍火」としたところにこの句に怪しさが生まれたのではないでしょうか。「妻」の息遣いが「蛍火」を通していくらか生臭く変わったように「私」には思えたのです。私小説。ロマンチックを通り越して、エロチックな世界に到達した句。

忌の家のとんがり靴と白日傘   紅緒
 忌の家らしからぬ様子に少したじろいたのでしょうか。「とんがり靴と白日傘」=「女性」という構図を通していくつものドラマ的な場面を思い浮かべることが可能ですが、ここはそうではなく、単純にそのらしからぬ光景が忌の家であることをより印象付けたと読みました。とてもいい句です。

【次点句】

花菖蒲だらりとたれるロバの耳   津久見未完

合歓の花高木恭造の方言詩   学

雨粒の緑に跳ねて柿若葉   まゆみ

香水や監視カメラの死角地点   茂

黒南風虫食い葉っぱの日本地図   すずすみ

ゆすらうめ熟れて雨読の一日かな   せいち

よく喋る奴が突然梅雨茸   せいち

木葉木菟鳴きて里山明けにけり   太郎

鉄線の風をかかへてをりにけり   太郎

昼顔や屋根職人は雲に乗り   啓

アマリリスクラスに一人女の子   恥芽

どくだみや雲垂れこみし昼下がり   豊田ささお

タイサンボクたなびく雲に花を載せ   豊田ささお

前日も翌日も田の蛍かな   コッポラ

夏蝶のごとくブラウス飛んでくる   遅足

尺取の刻むリズムはアンダンテ   勇平

猫の夏おおきな夕日ゆっくりと   ロミ

老鶯や吊橋までを半里ほど   美佐枝

ホオジロのすらすらと読む候文   草子

咲く前のあじさい同じひとばかり   紅緒



2011年6月15日
星野早苗ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 沖縄はもう梅雨明けと聞くと、日本は本当に南北に長い国なんだなと思います。 関西では梅雨最中ですが、盛夏までまだ少し日があると思うと気分的に助かります。家の外にも中にも、暑くなる前にやっておきたいことはいっぱいありますね。大半はできずじまいに終わってしまうのですが、梅雨籠もりという便利な言葉もあります。本格的な夏が来る前の一呼吸、梅雨もいいなぁと思うようになってきました。年のせいで夏を怖れる気持ちが増してきただけのことなのかも知れませんが…。皆さんは梅雨をどのようにおすごしでしょうか。
 さて、今回は152句の中から。

【十句選】

さへずりの転々とする森の奧   涼
 さへずりは春の季語ですが、ここではもう緑豊かな森になっているのでしょう。鳥の姿は見えませんが、にぎやかに囀る声が転々と森の奧で場所を移しているのです。小鳥たちの生命の喜びと、それを育む森の豊かさを感じました。

退治するつもりの蜘蛛の巣に嵌る   今村 征一
 よくあることかも知れませんが、「嵌る」という大げさな言い方が読者の大きさの感覚を歪め、作者は蜘蛛の巣に嵌るほど小さな小人になることに成功しました。俳句ならではのファンタジックな世界ですね。

それぞれの音色違へて草の笛   恥芽
 草笛などの遊びを子どもたちは見よう見まねで覚えていきます。けれども、一生懸命に真似て、同じように吹いているはずの草笛も、その音色は一人ずつ皆違っている、と作者は気付かれました。草笛の音色は、それぞれの子どもたちの個性を現しているのかも知れませんね。

こぼさじとこぼしひかれり子のゆすら   啓
 ユスラウメの色づく季節になりました。小さい手に山盛りのユスラウメを採って、こぼさないように気をつけながら、親子で家に帰る帰り道なのでしょう。子どもの小さな手からは、どうしてもユスラウメがぽろぽろこぼれてしまいます。つやつやしたゆすらの赤い実に、こぼすまいとする子どもの真剣な表情と小さな可愛い手も見えて、ほほえましく、印象的な作品です。
 「ひかれり」を「ひかれる」とされても。

真剣な汗交わつて土俵かな    雪男
 今年の春場所は、賜杯や懸賞を辞退した「技量審査場所」となりましたが、力士たちは稽古に励み、真剣な取り組みを見せました。テレビ放映もされませんでしたので国技館に足を運んだファンも多かったと思います。作者も、間近に見る力士たちの真剣な汗に、土俵本来の姿を感じられたのでしょう。

源流の谺となれり夏鶯   戯心
 鶯は夏には山に帰って行きますが、源流の辺りには夏鶯の声だけが谺する深山の静けさがあるのですね。姿の見えない鶯を、まるで谺になって消えてしまったように感じるのも、神秘的だと思いました。

迎え梅雨校舎の蛇口上向きに   余一
 校舎の外側にある手洗い場を想像しましたが、ずらっと並んだ蛇口がみんな上を向いていたのですね。本格的な梅雨を前にした蒸し暑さに、体育を終えた生徒たちが一斉に顔を洗ったり水を飲んだりしたのでしょう。実際によく見る光景ですが、上向きの蛇口で梅雨を迎え撃つような、ユーモラスな感じも受けました。

心電図低きをわたる夏の蝶   伍壱堂
 夏の蝶は思いがけず大胆に、低いところを飛んでくることがあります。所謂、蝶の道というのでしょうか、同じ高さを道を辿るように飛んで行きます。本句は、心電図と夏の蝶との取り合わせの句ですが、心電図の描く線が蝶の道に見えなくもありませんね。

くちなはや遺影の中の少年期   豊秋
 親しかった人の遺影の中に、少年時代のものもあったのでしょう。その少年の風貌に、作者は、懐かしい時代を感じられました。野山を駆け回った少年時代、くちなは(蛇)も案外親しいもので、しっぽを掴んで振り回す、くらいのことはやってのけたのかも知れません。誰もが貧しかった時代、汚れたランニングシャツを着て、お下がりのズボンを穿いて…、と、「くちなは」から少年の風貌がいろいろと想像できました。作者は、この写真を見て、故人のひととなりを今更により深く理解されたのだと思います。

エッシャーの階段のぼる蝸牛   衣谷
 エッシャーの騙し絵の中では、上下が入れ替わっていたり、出っ張りが凹みだったりします。この蝸牛も、昇っていた階段をいつの間にか降りていたりするのだと思いますが、蝸牛や昆虫などは、どんなところも上下に拘らず進んで行きますね。三次元的な空間の概念を持たず、一次元の世界に生きている蝸牛の生態が知的に表現された魅力的な作品だと思いました。

【佳 作】

山路来てカムイなる名の青岬   伍壱堂

はつなつのかろき衣の弥陀の肩   啓

跫音を沈めて深き木下闇   戯心



2011年6月8日
早瀬淳一ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 週末に大阪での「ベルギー・ビール・ウィークエンド」に行ってきました。専用グラスとコイン・3100円分を入り口で払い、あとは好きなビールやフードをコインで買うシステムです。多くはベルギーの修道院で作られるもので、小麦で作った白いビール、度数が12度もあるダークビール、果汁を含むフルーツビールなどがありました、私は、「シメイ・ホワイト」が気に入りです。会場の新梅田シティは面白いところで、すぐ裏に里山が作られていて、池の中で合鴨が虫を突いていました。
 それでは。

【十句選】

薔薇の香やお一人様にフルコース   ジョルジュ
 今薔薇が盛りですね。阪急岡本駅の西100mの一角の薔薇園が見事です。(ローカルですみません)。薔薇園があるガーデンのレストランに設えてもらった一人用の席の豪華なフルコース。アラフォーの女性?連れ合いを亡くした70代の男性?「おひとりさま」はやや旬を過ぎた言葉になってしまったけれど、たまには自分へのご褒美としてプチ豪華な料理を食べる恥じらいを薔薇が慰めている。

夏の月ついてくるなら吉祥寺   啓
 夏の月がついて来てくれるのなら、吉祥寺にでも行きましょう、という句。前半の言葉は吉祥寺に行く理由としてはもちろんよくわからないけれど、それだけに散文の理屈から自由になれて、逆に説得力があるように思う。吉祥寺がおしゃれな感じで、とても都会的なしゃれた詩になっている。

春嵐修司詩集をポケットに   学
 寺山修司の詩集をポケットに入れると、すぐにでも高校時代に戻っていけるような気がします。また、いつも人を驚かせようといたずらっ気たっぷりの笑みを浮かべ、また本業を聞かれるといつも「僕の職業は寺山修司です。」と答えた修司の気分になれそう。梅雨の頃、強い風が吹いたら、修司詩集を読んでみます。

夕焼けに席をゆずって立ち上がる   遅足
 最初「立ち上がる」が「ゆずって」でわかることなので言葉がもったいない気がして、「運動場」のように場所を入れたらどうだろうと思いましたが、いろいろ考えると、そのままのほうが読者が自分の好きな場所を思い浮かべられていいのか、と思い直しました。「夕焼けに席をゆずって」がいいですね。一つの表現、一つの抒情の発見。

蛇衣を脱ぐや鬼六逝きにけり   伍貮拾
 SM作家、ピンク映画脚本家として名を成した鬼六さんと脱皮をする蛇という、何ともいえない取り合わせが面白いというか、問題作。蛇は情念のこもった女性を思い出させ、通ずる世界がありそう。脱皮をしてさらに強く生まれ変わっていく蛇という自然の摂理の中で、鬼六さんはあっけなく逝ってしまった。なにか、人間の男の哀れさみたいなものを感じます。

ハイウエイ旗振り人形青葉風   岡野直樹
 「ハイウェーの」とされたらどうでしょう。雨や炎天下で交通整理のために旗を振っておられる人というのも見ていて大変だと思います。最近は旗を振っている人形や電光看板の画面上で等身大の人が旗を振っているのを見かけるようになりました。それはそれで滑稽で、なにかおかし哀しいような気がします。青葉風が動かない。面白いものを見つけられましたね。

ファーザァーズ・ディあの雲の下まで行こう   ロミ
 ファーザァーズ・ディは父の日。父の日の俳句というと、かわいそうなお父さんを笑っているような俳句がよくみられる。この句はそんなよくある演出は一切なく、やや甘いけど、ただあの雲の下まで行こうという一種のさわやかさがいい。「父の日」ではなく「ファーザァーズ・ディ」という表現も、乾いた感じ、中性的な感じを出している。

梅雨入りてひそひそ話は両隣   勇平
 「梅雨入りやひそひそ話す両隣」、に勝手に直しました、失礼!梅雨に入ったけれど、末期のようにまだ雨が強く降らない頃。ひそひそ話す声が聞こえることから、家と家が軒を接した市井の様子が見える。そのひそひそ声が片方だけでなく、両方の家からしている。俳句ではそれがどうした、とは言っていないが、江戸時代の長屋を舞台としたような、いつの世も変わらない我々庶民の生活、思いが伝わってくる。

緑さす飛び石伝い「古文の会」   草子
 新緑の頃、月に1回の「古文の会」に三々五々メンバーが集まってくる。会場は指導してくれる先生の昔ながらの大きなお屋敷か、お寺のような作りの公民館。メンバーが緑の木漏れ日の中、飛び石を踏みふみ静かに集まっている情景がとてもいい。あまり聞かない「古文の会」というのも効果的。

はっはーんアナゴであること隠してる   あざみ
 このままでも面白いですが、「本当はあなたはアナゴなんでしょう」としても面白いかも。何食わぬ顔の周りの人たちも本当は、正体は何か分かったものではありません。タコか、ナマコか、クラゲか、シャコか。昔「タコが言うのよ」というギャグもありました(古っ)。しかし、この俳句で言われた人は焦ったでしょうね。

【予選句】

柿の花落ちて頭上を仰がしむ   吉井流水
 ふとした気づきがいい。

海滑るヨットの後を富士が追ひ   一梲
 漫画的な風景が面白い。

大甕の波打つ揺れの目高かな   太郎
 メダカの泳ぐ大甕が平和。

峰雲やかたまり歩む牛の群   太郎
 かたまり歩む、がいい。

夏近し走って抜ける他所の庭   ジョルジュ
 気の置けないご近所ですね。

アネモネを活けて落ち着く部屋となる   涼
 ・・・とても共感できる。

薄き刃のナイフを刺して夏蜜柑   涼
 少し危うい感じがいい。

点点と街灯ともり迎え梅雨   啓
 迎え梅雨ってそんな感じ。

夏北緯五十六度の城の兵   大川一馬
 北欧の古城のよう。

薔薇咲くやバスを降り来る傘の列   山渓
 薔薇に降りかかるきれいな雨。

聖五月異人の長き長きキス   せいち
 うらやましい。

夏薊曲がれば真正面に富士   せいち
 ・・・私も見てみたいです。

初夏を描く偕老の背を合せ   えんや
 このような偕老同穴、いいなあ。

ビール券胸にずしりと別れかな   えんや
 ビール券と別れが可笑しい。

霧笛背に乙女の足の長きかな   茂
 「霧」は秋。最近の少女は足が長い。

園外の水面に向かう糸蜻蛉   茂
 主役はどこかへ行ってしまう。

新緑や紅茶に浸すマドレーヌ   学
 この食べ方、一度やってみたい。

草笛やハングル文字に○多し   学
 なるほどの発見ですね。

マンゴーの沖に白雨を見てをりぬ   学
 マンゴーの沖、の表現が面白い。

朝ドラの目下戦時下鉄線花   恥芽
 場面が見え、音遊びも面白い。

脚線の素直に延びて南風   遅足
 これも少女でしょうか。

いまだなほあの海は見ずサングラス   伍貮拾
 どこかの海へのこだわりがかっこいい。

薫風や子らも交えて村おこし   チョコ
 子らも交えて、がいい。

新緑やなぜにあなたは謹慎中   岡野直樹
 なぜか可笑しい。


胡瓜もて空のあたまを叩きけり   宗次
 自分を笑っているのがいい。

蟹を飼ふ部屋が欲しとてうつりけり   宗次
 引っ越しした理由がサイコー。

梅雨寒や婦長に入院誓約書   伍壱堂
 ・・・面白いが、つきすぎ。

迷ひなき母の一打や蠅叩き   紅緒
 強い母ですね。

蔵壁に葉桜の影重なりぬ   美佐枝
 なつかしい光景。

卯の花腐し誰も渡らぬ歩道橋   山内睦雄
 最近取り残された歩道橋ありますね。

郭公の鳴く道が好きポンジュース   山内睦雄
 ポンジュースとの取り合わせが面白い。

青き六月・原発・無職・大借金   ロミ
 ・・・言葉の連なりだけが凄みを出している。

脱サラし高層ビルに地のアナゴ   勇平
 脱サラしてアナゴを売っているのが可笑しい。

玉巻く葛稲垣足穂はハゲチャビン   あざみ
 よくわからないが面白い。

それぞれの名の木艶めく夏初め   まゆみ
 よく知らない木もみんな慕わしい。

【ひとこと】
*報 告*
餌の麩を鯉と取り合ふ通し鴨
道の駅中高年の初夏の旅
風薫る美し白鷺田に憩ふ
麦秋やにわか雨きて縁ぬらす

*理 屈*
煙草止めまこと新茶の美味きかな
悲しめば罰するがごと蚊をたたく

*言い過ぎ*
伐れど伐れど樟若葉は生れにける
柿の花尽きむばかりにこぼれけり
鳥の来ぬ侘しき巣箱庭若葉
夕立の一途に迫る摩崖仏


幼な恋楊桃剥けば酸き匂ひ
・・・楊桃がよくわからない。
招霊に帝揚羽の円舞曲
・・・円舞曲が常套。
薔薇の園河畔に擁壁土嚢かな
・・・描写がくどい。
川風をたおやかに受けバラの園
・・・たおやかに、が常套。
そら豆は虚空をつかみ昼寝かな
・・・抽象的。
煌々と一村を照らす麦の秋
・・・を、がいらない。
航跡をぐいぐい伸ばす青嵐
・・・なんの航跡かわかりにくい。
雪解富士岩肌顕四辺押し
・・・言い方が固い。
赤城にも湖にも降りて緑雨かな
・・・地名がもう一つ効いていない。
一山を赤あか白の躑躅かな
・・・色の描写がありそう。
八重桜きみ黒髪を束ねしや
・・・少し古い。
春深し水子の風車からからと
・・・水子の風車、がわからない。
月涼し隣り町月窓寺まで
・・・隣り町月窓寺、がわからない。
ノラ青し行き交いて飛ぶ夏つばめ
・・・行交いて飛ぶ、がくどい。
昭和の日「百合の木」の名を想起せり
・・・想起せり、がいらない。
風薫る英王宮のバルコニー
・・・絵葉書風。
浜風やローマ字の日のヘボンぼ碑
・・・墓碑? ローマ字の日の、がわからない。

被災地は瓦礫の侭に梅雨に入る
放射線黄沙混りの雨かとも

・・・この2句、ともに被災地の描写のみで苦しい。

葺替に結ひの心というものを
ボウフラのくねくね体位梅雨に入る
大楠の膨らむ最中の若葉力

・・・以上3句、説明。

若葉風ゼリー切りたく駆け抜けり
・・・シンプルに。
さくらんぼ狩の脚立や双子の子
・・・やをに、にされたら。
巣燕や屋根に石置く深庇
・・・景がつかみにくい。
水張りの棚田眩しき五月かな
・・・あたりまえ。
アカシアの雨に暮れゆくメランコリー
・・・情緒過多。
田水張る田と言ふ漢字整然と
・・・一工夫を。
頤裏の美しき子猫の大欠伸
・・・頤裏が難しい言葉。
水底の雲に跳び乗る水馬
・・・ある世界。
野良猫の足早に去り草いきれ
・・・もう一歩。
弱者に目奪われており青嵐
・・・震災?これだけではわからない。
青空の写真を埋める青野かな
・・・を埋める、を、のなかの、にされたら。
長足の若さみなぎる夏景色
・・・長足の若さみなぎる、がわからない。
あご先の汗笑ひ合ふ節電下
・・・川柳。
天空に剥落続く新樹光
・・・やや抽象的。
一点に目玉を二つ鬼やんま
・・・一点が分かりにくい。
青空へ水輪ひろげる若葉かな
・・・水輪ひろげる若葉、がわかりにくい。
遠足の帽子も映えて深緑
・・・平凡。
栴檀の花もきらめきこぶ白鳥
・・・こぶ白鳥が?
ゴム風船の文字縮む母縮む
・・・「風船の文字が縮んで母縮む」、では。
ほうたるや東の闇をちょと照らせ
・・・ちょと、が苦しい。
一匹の蛍終りてしじまあり
・・・蛍終わる、の表現がこなれていない。
長雨やこぶしが効いて蛙の子
・・・擬人だが、おもしろい。
地球の一点素足で蹴って五月かな
・・・の一点、を、ごと、にされたら。
産声高く泰山木の花空へ
・・・何の産声かわからない。
白鷺や青田に立ちて見得を切る
・・・擬人が成功していない。
花ショウブ 露をまといて あざやかに
・・・全部言った。
みどり映ゆ とりどりの色 雨の中
・・・みどり映ゆとりどりの色、が重複。
風薫る象を見ながらカレーうどん
・・・うどんはパンではだめですか。
新緑の光届けり尖塔に
・・・景が鮮明に浮かばない。
ビル影も気にせず映す植田かな
・・・説明。
扇風機まはれるかぎり首を振り
・・・そのまま。一工夫を。
ままごとをやめて子らくふ豆御飯
・・・ままごとの後の子どもに豆御飯、では。
日と月とふたつながらの白夜かな
・・・ふたつながらの、がくどい。
封切のポン酢の香に立つ夏料理
・・・香に立つ、を、香る、とされては。
母子草道の裂け目に凛と咲く
・・・凛と、が常套。
おかわりの深呼吸です梅雨の森
・・・おかわりの深呼吸です、がわからない。
席ゆづる青年高し新樹光
・・・高し、が?
詰め合って寄せ合っているさくらんぼ
・・・くどい。
供花販ぐ小屋の羽目板燕の巣
・・・材料が多すぎ。

陽炎の気の向くままの道案内
昼下がりゴリラ蛙の目借り時

・・・以上2句、よくわからない。

すかんぽやキャラメルなんかいるもんか
・・・状況が?
青梅雨や後藤比奈夫や金子兜太や
・・・大物二人は多すぎ。
豆飯を炊く米国の竜巻を見る
・・・アメリカに竜巻が来て豆ご飯、では。
青い髪のヘビィメタルや夏台風
・・・面白いですが...
お寺へと右へ左へ道をしへ
・・・そんなもの。
非行蟻コンビニの灯に集ひ来る
・・・非行蟻が?
梅雨晴間空身(からみ)となりて逝くをとこ
・・・宗教臭のありすぎ。
明朗や宙返りせしつばくらめ
・・・明朗、が言い過ぎ。
芽山椒野地蔵へのみち獣道
・・・情景が込み入りすぎ。
長靴やいま晩春の水たまり
・・・つきすぎ。
病室の窓打つ火蛾を片想い
・・・片想い、が?
源流の瀬音幽かに夏鶯
・・・ある世界。
六道の辻に躊躇う道おしえ
・・・躊躇う、ためらうと書かれた方が。理屈。
乳房より貰ひ受けたる新樹光
・・・誰の乳房?
万緑や脚を曳き摺る孕犬
・・・悲惨すぎ。
義経忌古語に滑舌奪われし
・・・言い方が固い。
ボサノバのタレ目のひとの白書かな
・・・誰のことかわからない。
業平忌朝から同じ顔といる
・・・といる、を、ばかり、とされたら。
桐の花二号までなら許します
・・・二号が分からない。
梅雨に入る傘を何本買うだろか
・・・そのまま。
分かれ道右か左か蝸牛
・・・もう一工夫。
Yの字のつぎは三角蜘蛛の糸
・・・よく見ている。


2011年6月1日
中谷仁美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 六月、本格的に梅雨の到来です。みなさまいかがお過ごしでしょうか。洗濯物が乾かない、食べ物の衛生面が気になる、思うようにお出かけできなくてストレス、蒸し暑い、などなどマイナス面が思わず思い浮かんでしまいますが、こんな時こそぜひ楽しい俳句を詠んで楽しい時間を創造してみてください。
 わたくしごとですが、1月に出産して育児に追われています。久しぶりの十句選、たくさんの俳句をお送りいただき、久しぶりに俳句の世界を満喫させていただきました。ありがとうございます。今週もよろしくお願いいたします。

【十句選】

もののけの羽化する五月修司の忌   伍壱堂
 「5月」と「修司の忌」というのは季重ねかと思いますが、「もののけの羽化する五月」というフレーズの力が圧倒的に良いと思います。五月というのは、さわやかなようでどこかうっそうとしてあやういものを持つイメージがあります。もののけが一斉に夏に向かって羽化する、その不気味さと、暗い影を持つ寺山修司の忌という取り合わせは絶妙です。

緑雨なれ瓦礫の山に降る雨も   伍壱堂
 時事詠というのは、どの切り口で詠むか非常に難しいものです。真正面から取り組むと事実そのままになってしまう。下手に取り合わせをすると不謹慎な作品ができてしまう危険性をはらみます。この句に惹かれた理由は、さらっとしていて読後感がさわやかであること、それでいて「緑雨なれ」のひとことに込められた思いに自然と共感が持てることと、そして今回の震災に限らずずっと、普遍性を持つ作であるということです。季語の持つ力を活かした句だと思います。

麦秋や校歌二番をくりかえし   津久見未完
 懐かしい気持ちになる、青春の句だなあと思います。きっと「麦秋」という季語だから。校歌2番、きっと素敵な歌詞でお気に入りなのでしょう。校歌って、いつまでも覚えているものですよね。学生が歌っているととってもいいし、大人がふと思い出して口ずさんでいるととってもいいですね。

青芒父の記憶は矢のやうに   学
 矢のように・・・と言葉を残して終わるところに、父への思いというものが感じられます。矢のようによみがえると読むことも、矢のように厳しいものなのだという読み方も可能でしょう。いずれにせよ、「矢のよう」はに父という存在の大きさを感じさせる比喩だと思います。

まっすぐな胡瓜の時間刻む朝   遅足
 詠まれている情景はすぐに思い浮かび胡瓜を刻む音が聞こえてきそうですが、言葉の問題として「まっすぐな」がどこにかかるのかという問題があります。「まっすぐな胡瓜」なのかそれとも、「まっすぐな胡瓜の時間」なのか。それによって微妙に読みが変わってきますね。私は「胡瓜の時間」という時間があったら楽しいなあと思い、後者を選びました。まっすぐな胡瓜のおかげで、時間もまっすぐとでも言いましょうか、説明が難しいのですが、さわやかな朝が実は胡瓜の時間なのだという発想が楽しいと思います。

画用紙の河馬飛び出して五月かな   雪男
 五月というと、学校では遠足の季節です。私は小学校に勤務していますが、だいたい二年生が動物園に遠足、帰ってきたら図工の時間に動物の絵を描くというのはよくあることです。子どもが勢いよく大きく大きく描いた河馬は画用紙から飛び出しそう!いきいきと楽しい句です。

大ジョッキ干して楷書が丸くなる   小市
 「楷書が丸くなる」って楽しいですね!自分が楷書のつもりで書いた文字が丸かったのかもしれませんし、楷書で書かれた文字が丸く見えたのかもしれません。いずれにせよ、だいぶ干したなあという感じ。酔いにもいろいろありますが、文字と結びつける発想が面白い。そんな酔い方いいなあと思います。

降り初めの雨粒まるし柿若葉   太郎
 「あ、雨」と空を見上げると、降ってくる雨粒がまあるく見えた、発見が楽しい句です。雨粒がまるいというところがかわいらしく、まさに一瞬を五七五で切り取ったような感じですね。季語の選び方もつきすぎずはなれすぎずいいバランスかと思います。

熱帯魚手品のごとく裏見せる   えんや
 熱帯魚がひらひら泳ぐ姿を手品師がハンカチを裏返して「たねも仕掛けもありません」とやっているところと熱帯魚の泳ぐ姿を結びつける発想に「やられた!」という感じです。様子が鮮明に思い浮かぶ素敵な句だと思います。

わらび餅失敗談なら聞いてやろ   せいち
 食べ物の季語+会話調というのはよくある形かとも思いますが、食べ物の選び方ひとつで印象が決まりますね。「わらび餅」の涼しさ、やわらかさが、失敗談を受け止めるというイメージにつながります。また、「聞いてやろ」というそっけなさがまたいい。うまい!と思います。

【次 点】

初夏の水を踏み抜く土踏まず   遅足
 足の中でも「土踏まず」と限定したことで、ぐっとこの句が感覚的なものになりいいものになっていると思います。踏み抜くのだから当然土踏まずにまでその感触があるのですよね。私事ですが、つい先々週もみまきの手伝いをしてきました。そのとき水を張った田に入ったのですが、こんな感じがしたなあと納得しました。

肉塊がグラリとゆれて立夏かな   すずすみ
 ここでの肉塊は肉体だと読みました。季節を感じるというのは、とても感覚的・肉体的なことであると思います。この「グラリ」。夏ってさわやかでからりとしたものですが、すこしずらした感覚をもってきたところがいいなと思いました。ただ一点、グラリ=ゆれてなので、そこは言い過ぎになってしまったかなと思います。

梔や閉じたままなる母の家   ジョルジュ
 「閉じたままなる母の家」と「梔」との取り合わせがぴったりかと思います。お母さんへの思いそのものが、白い梔の花の姿に象徴されていて、読み手の心をひきつけるように思います。

蓮華草背を向け合って輪になって   岡野直樹
 懐かしい光景ですね。蓮華畑があって、みんなで集まって遊んでいて、輪になっている。自分の子供のころこんな感じでした。誰が具体的に何をしているかは書かれていませんがこの五七五で十分情景が浮かびますね。こんな姿、今はあんまり見られないかも・・・こういう句に弱いです。

石仏のほくろ飛び立つてんと虫   衣谷
 あれっ、石仏にほくろ、だとおもったらてんとう虫だった。何気ない出来事ですが、仏様にほくろという見方が楽しいなと思いました。

ダッシュして蹴り返されて風青む   たか子
 ダッシュ・蹴るからサッカーの練習をしているところかと想像しました。具体的に何をしているというのはかかれておらず、動作+季語の形で読者の想像を引き出しています。「風青む」というさわやかな季語の力がこの一句の雰囲気をうまく作っていると思いました。


2011年5月25日
小西雅子ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 みなさんの俳句を拝見していると、自身の知識のなさを申し訳なく思うことがあります。今回いただいた俳句のなかに「万緑をリビア国旗と思いけり(朱雨)」がありました。情勢が緊迫しているリビア。なんと国旗は緑一色でした。イスラムの大切な色とされる緑です。この句、私のようにリビア国旗を知らなければ採れないし、知っている人は「くっつき過ぎ」と思うかもしれません。「思いけり」を工夫すればその両方に受け入れられる可能性のある素敵な句です。この句のおかげで、新緑・万緑・緑雨・青葉のころ、きっと私はリビアを思い浮かべるでしょう。朱雨さんありがとうございました。

【十句選】

しばらくは波音ばかりしらす干し   涼
 前後に「し」と「ら」が出てきてリズムがよく、すぐに覚えてしまいました。光景もよくわかり、シンプルです。木箱に入ったしらすがずらっと並ぶ海辺。波音がしらすをいっそう美味しく感じさせます。今回一番気に入った句です。

高階の猫の見下ろす藤の棚   茂
 藤棚は下から見上げるものとばかり思っていました。ビルの高層部で猫が見下ろしていたなんて楽しい句です。猫から藤の花は見えないのだろうなあ、といろいろ想像しました。

漆黒の闇に魚をり月見草   学
 これは不思議な句です。魚と月見草でとても妖艶な感じがします。いろいろな情景を想像することができます。句会に出されるときっと高点句となりいろいろな感想を述べられるでしょう。

相席もラーメンランチ山笑ふ   えんや
 「相席も」は「相席の双方も」という意味ですね。この大雑把な言い方をどうするべきか考えているうちに「ラーメンランチ山笑う」のダイナミックさに押されてしまいました。そして、「些細なこと」は吹き飛ばされました。現代の風景をどんどん作ってください。

休日の午後のアンニュイ走り梅雨   大川一馬
 その気分はとてもよくわかります。前半が後半の説明になっているのではないかと思いましたが「梅雨」ではなく「走り梅雨」なので、少し前の(まだ晴天が続いていたころの)「休日の午後」との対比がとてもうまくいっていると納得して採りました。

宿坊をパン担ぎゆく蟻の列   戯心
 「宿坊を」の「を」で軽く切れていて、そのあとパンくずを担いだ蟻の列が登場。青年僧の列がお米を担いでいて、蟻の列がパンを担いでいて、と考えると楽しいです。よく見る光景をうまく和洋折衷にまとめられました。

クローバー方位磁石を置いてみる   岡野 直樹
 作者の考えを表面に出さず、情景だけを切り取った上手い俳句だと思います。クローバーの花の白と葉っぱの緑、それに方位を指す赤。これらの色も表面には出ていませんが感じ取ることはできます。青春のペーソスも感じました。うまいっ!

新入りのくづさぬ膝や葛桜   美佐枝
 「くず」と「くず」の音、「ず」や「ざ」などザ行の音、それらがうまく絡み合ってリズミカルな俳句になりました。新入りの緊張した気持ちが透明な葛桜の表面に映っているようで楽しい句です。

フキこごみ本日我家は草食系   草子
 「草食系」という言葉が流行っています。「我が家」にまでやって来ましたか。「本日」が新鮮さを増し、フキやこごみがおいしそうです。なるほど山菜も「草食」ですね。逆に「普段は肉食系」よというところでしょうか。キャッチコピーのような覚えやすさがあります。

くちなはのうしろ行きけり人の妻   豊秋
 ヘビ(くちなは)の後ろを通った女性が人の妻であろうとなかろうと関係なさそうなものですが、そういうことを俳句にするのが俳人ですね。「人の妻」でちょっと意味深な雰囲気も感じられます。

【次 点】

青芝や米軍基地の白き家   葦人
 基地のなかに白い家があり、その家の青芝の句。魅力的な句だと思いました。しかし、白い家のなかに青芝があるのであれば上五と下五に分かたないで接続したほうがよさそうです。青芝が別のところのものならそのことをはっきりしたほうがいいと思います。が、とても端正な俳句で好感が持てました。

格子窓するりとぬける若葉風   津久見未完
 私は、この句を拝見してから、格子窓をみるたびにそこから若葉風がすりぬけてくるような気がします。十句にいれようか迷いました。

風薫る大路小路をつなぐ路地   せいち
 道だらけの句。視点がとてもユニークです。大路小路をつないでいるのが路地であるというのはあたりまえのようであたりまえではありません。道を縫って風が薫っていくという発想がステキです。

囀りやクヌギ林のふくらみぬ   豊田ささお
 「ふくらみぬ」が抽象的だったかもしれません。気分はたいへんよくわかります。にぎやかな囀りのころ。若葉から青葉へと林がこんもりしてゆく様子がよくわかります。ただ、くぬぎの花のころと鳥の囀りのころが重なっているのが惜しいです。「雑木林」などのほうが良いかと。

花の宴の座興に一句詠みにけり   山渓
 いいなあ。こんな場面あこがれます。どんな句を詠まれたのでしょう。句を披露するお仲間 にも恵まれていらっしゃるのですね。

五次元の光年の先薔薇の闇   勇平
 思い切った句。ちょっと詰め込み過ぎかもしれません。光年は現実の距離なので五次元と矛盾するのでは・・などと考えてしまいました。「光年の先薔薇の闇」だけでもうじゅうぶん読者にインパクトを与えています。この挑戦には拍手をおくります。

雨粒やひとつひとつのえごの花   くまさん
 えごの花の白さには感激しますね。「ひとつひとつ」で丁寧に花をごらんになっている様子がうかがえて共感しました。

天災も人災もとほく梅を干す   余一
 惜しいです。このままですと「とほく」がよくわかりません。ずいぶん遠い地域だったのか、もうずっと昔だったのか。いずれにしてもそのことと「梅を干す」はとても良い取り合わせです。

白服のピエロはしゃいでゆきのした   紅緒
 ファンタジーです。ゆきのしたとピエロは幻想的でいいと思いました。問題は「はしゃいで」です。ピエロは本質的に「道化」なのではしゃいでと言わなくてもはしゃいでいるイメージはあります。発想の豊かな句で十句にいれようか悩んだ句です。

【気になった句】

青梅や風の葉裏に尻揃え
 楽しくてよくわかる句です。観察が行き届いています。すべてが狭い範囲にありますので少し視点を離した方がよいかもしれません。

春満月榛名は大きな湖を持つ
 一目見ていい句だなあと思いました。「はる」と「はる」、満月と大きな湖、気持ちの良い句です。この句の場合、「榛名大きな」または「榛名は大き」として中七を七文字にするほうがリズムが整うような気がします。

網を干す浦の全き五月かな
 この句も気持ちの良い句です。日本の美しい海辺の様子が思い出されます。個性的な言葉を何かひとつ。

旅かばん重すぎないか夏飛行
 ちょっと工夫すれば高点句になりそうです。作者のセンスも光っています。私が気になったのは「夏飛行」です。この省略のしかたは無理があると思います。

カーナビに無き木天蓼の山路駆る
 木天蓼(またたび)は秋の季語ですが木天蓼の花は夏の季語です。「カーナビに無き」で道ということはわかるのでこの時期なら「木天蓼の花の山」などでいかがでしょう。

噴水をはさんで見つめあう二人
 これはとても自然な句ですね。この場合「見つめあう」が不要です。「はさんで」と「二人」で見つめあっていると読者は受け取りますから。噴水のそばにいる男女に何か作者の固有の視点があればこの自然な感覚を生かせます。

図書館の道の全てが薄暑かな
 「図書館の道」というのは何か考えています。「図書館に通じる道」でしょうか。「館内のすべての通路」でしょうか。それがわかればとても良い句になると思いました。

【おたずねに答えて】

Q:「ある句会にて、〈受験子の部屋の明りや夜のふくる〉を投句しましたところベテランの人から、ふくるは、更けるの間違いと指摘されました。文語ではカ行二段だと思いますが如何でしょうか」というおたずねがありました。以下、簡単ですが・・・。

A:口語の「更ける」は文語では「更く」。カ行下2段活用です。この場合、終止形ですので口語なら「更ける」、文語なら「更く」です。「更くる」は文語の連体形ですので「更くる夜」のように、体言に連なる場合に使います。ついでにこの俳句ですが、受験子と言えば「部屋の明り」ですし「部屋の明り」と言えば「夜」ですし、言葉が重なりすぎていると思います。作者がどこから見ているか、家族なのか、道を歩いていて明りを発見したのか、そのあたりを入れられると良いと思います。おせっかいですみません。


2011年5月18日
小枝恵美子ドクター : 今週の十句  (到着順)

【初めに】

 連休中は色々と家の雑用に追われましたが、本棚の整理をしていて鈴木六林男の全集を見つけました。俳句を始めた頃に古本屋で買ったのですが、その中の『荒天』にある、≪遺品あり岩波文庫「阿部一族」≫ の句は、とても有名な句です。≪あきさめにあさねをしたる顔ほそく≫ ≪木に寄れば風音ありぬ秋の雲≫ ≪わが影を少女ら踏めり芝枯るる≫ 等、戦争に行く前の句は少し抒情的ですが、あらためてゆっくりと読みなおしたいです。
 さて、今週の十句は若葉の季節となって、活気あふれる句が多かったと思います。

【十句選】

たらの芽の風駆けめぐるアイヌ墓地   たか子
 タラノキの若芽はウドに似た香りがあり、その風が駆けめぐるのはとても生気に満ちていると思います。アイヌの人々の暮らしの中でも食糧としていたことでしょう。「たらの芽の風」で、原初の生き生きとしたアイヌ民族の姿が想像でき、その墓地が誇りに満ちていると思いました。

大股に銀座の街を若葉風   津久見未完
 銀座といえば、高級なお店が並んでいて若葉もしなやかに揺れている感じがします。どかどかと大股で歩く街ではないと思いますが、そこが面白いですね。上五に「大股に」ともってきたのが良かったです。若葉風が大股に歩く姿を爽やかなものにしています。

憲法九条風はみどりに立ち上がる   遅足
 憲法九条についてはさまざまな論がありますが、「風はみどりに立ち上がる」を鑑賞しますと、初夏の若葉の爽やかな緑の中を風が立ち上がるように吹いているということでしょうか。「立ち上がる」という言葉に少し作為が見えないこともないですが、新緑のような清々しさを持って、風が吹いていると鑑賞しました。気持ちのいい句です。

胸鰭に夏めく人を分けて行く   遅足
 胸鰭は魚にあって対をなしていますが、街中で人をかき分けていくときの気分が、水中を行くように感じたのだと思います。「夏めく人」は少し汗ばむような陽気の中を歩く人の生気に満ちた顔が浮かんできました。「胸鰭」「夏めく人」と、あまり具体的ではないですが、光あふれる瑞々しい時だからこんな幻覚もあり、ですね。

行く春のたっぷり掛ける花かつお   せいち
 春の終わりへの惜別として、「たっぷり掛ける花かつお」は、お好み焼きに掛けることを想像しました。花かつおのゆらゆら揺れている感じが、明るい光の中の「行く春」とひびきあっていて、巧い句です。

母の日の似顔絵展の大き唇(くち)   大川一馬
 小学生の描いた絵は、あちこちとび跳ねていたり、ゆがんでいたりして見るだけで楽しくなります。お母さんの唇だけがなぜかアンバランスで、大きく描かれていて面白いと思います。子供にはよくおしゃべりをしてくれるお母さんなのかも、あたたかな絵ですね。

友情やワラビにこもる日の匂ひ   豊田ささお
 ワラビに日の匂いがする、というのは都会育ちの人ではなくて小さい頃に山村で過ごした人ではないかと思いました。ワラビを摘んだときの日の匂いに、幼いころから続いている友情をふと思い出したのでしょう。友情の温度が日の匂いで、素朴な感じがいいです。

ランボルギーニー買ひたし薔薇の花白し   宗次
 ランボルギーニーを買いたいという気持ちと薔薇が白いということとの取り合わせですが、白い薔薇はあきらめの気分なのでしょうか。作者は薔薇が白いとしか提示していませんが、「買ひたし」「白し」の「し」に未練の気分が表現されていると思いました。

柏餅ねぐせあたまのまま食へり   宗次
 「ねぐせあたま」をしているのは子供、または男性か、いずれにしても家の中で気楽に柏餅をほおばっている姿が微笑ましいです。ひらがなで「ねぐせあたま」としたのが、やわらかな雰囲気を巧く表現しています。

あんパンとおにぎりだけよ躑躅咲く   岡野直樹
 あんパンとおにぎりだけの朝ごはんかなと思いますが、子どもに語りかけている感じですね。それだけでもおいしそうなのは、躑躅のあざやかな風景が一面に広がっているからでしょう。

【予選句】

人ひとり点景となる春野かな   涼
 春の野原で人がひとり、点となって見えたのでしょう。夏、冬、秋の野原よりも、やはり春のほうが光のやわらかな美しさがあると思います。

柏餅ひとつ食べては子の遠し   まゆみ
 柏餅を買ってきて食べているときに、遠くにいる子供のことを想って「どうしているかなあ」と、いつまでも子供のことは気になりますね。

憲法記念日のぬるきコーラかな   朱雨
 コカコーラはアメリカ産ですが、「ぬるき」にやや批判めいた感情を表現されていると感じました。太平洋戦争敗戦後に新憲法が出来ましたが、人それぞれの論があると思います。
 できれば、食べ物、飲み物はおいしく戴きたいですが。

藍色のハンケチ首に遠回り   茂
 スカーフの変わりのように藍色のハンカチを首に結んで、ぶらっと遠回りをして、楽しそうな顔が浮かびました。藍色が爽やかさを表現しています。

春惜しむ君とプリンの仲だもの   せいち
 「春惜しむ」と中七からのフレーズがどう響き合うのかと少し考えました。恋人はプリンが大好きで、それは少しやきもちに似た感情だけど、プリンも含めて一緒に春を惜しむということなのですね。「汝と我相寄らずとも春惜しむ」(阿波野青畝)の気分ですか。

仮名書きの墨の香りやかしわもち   戯心
 今、書いたばかりの「かしわもち」の字の墨の香りが気持ちよく伝わってきて、柏餅も出来たてのおいしさが感じられます。

岩登る少年春を惜しみけり   意思
 「岩を登る少年」を見ながら、作者は春を惜しんでいると鑑賞しました。山の岩肌を登っている少年の生き生きした後ろ姿に、春の終わりを楽しんでいるのでしょう。

初夏の日に右の奥歯の歯が取れて   意思
 この句は報告めいていて、そこが残念ですが、「初夏の右の奥歯の取れた穴」とすると、面白くなると思いました。


2011年5月11日
岡野泰輔ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 震災から二ヵ月が過ぎ、もう立夏。狭庭にこれでもかとばかり植えた花木、モッコウバラの白と黄が今満開。山吹、ライラックが終り、ナニワイバラがちらほら咲き出した。この二ヶ月間心落ち着かず、俳句もできない。しかし句会があると作っちゃうから、不思議。当コーナーも一週間毎の締切があるからいいのか、今回もたくさんのご投句をいただきました。さっそく。

【十句選】

どの畦も母につながるゆすら梅   まゆみ
 郷愁、思い出、素材はいかにもという感じですが素直に納得できます。上五中七までの調べによどみがなく、作者の想いに乗ることができますが、下五ゆすら梅が破綻なくも平凡。ここはもっと強度のある季語をもってきたいところです。

雲影のまた過ぎゆけり芹を摘む   太郎
 きらきらと輝く野川の水と芹の緑、そこを雲の影が通り過ぎてゆく。「また過ぎゆけり」の「また」も芹摘みに執している時間を思わせ効果的です。絵画性に富む俳句らしい俳句。気になるのは雲影という漢語表現、うんえいと読むのでしょうか?六文字になっても「雲の影の」としてしまう手もありそう。

逃水に足袋を濡らして母逝けり   たか子
 逃水がそもそも幻影、この幻に足袋を濡らすという虚の世界の遠い母の姿がきれいです。一句目と同じく亡き母を詠んだ句ですが、こちらは、この芝居じみた(一歩間違うと田舎芝居ですが)詠みぶりがありがちな「母もの俳句」の域を脱しています。

眼球の模型に映る花の色   遅足
 ものすごく特殊な状況設定で、作者の作為にはまっているかもしれません。眼球模型とは医学教材で、鬼太郎の父親の目玉おやじみたいなものですね、ええ調べましたよ。生理的には気味悪いものですが、桜花との取り合わせはおもしろい。ある種の詩を発現させているともいえる。桜がもともと変なものを呼び込むんですね。

母の日や四人姉妹のみな奥目   えんや
 事実このとおりなんでしょうが、これが俳句になると直感した作者に拍手です。年老いた母親のもとに集まっている、それぞれいい年になった四人姉妹を想像しています。一族の解剖学的特徴は年齢がいくほど顕になるもので、それが奥目というところに何ともいえぬおかしさ、愛しさ、さらに言えば「あわれ」まで感じてしまいます。他に言いようがないものの、奥目という言葉の卑俗な響きも効果的です。

マーキュロや五月の恋の小休止   茂
 句中唯一の具体物マーキュロがほとんどこの句の実質です。中七以降は調子を整えるためだけのようなもの。マーキュロにまつわるさまざまな記憶を喚起される仕掛けになっています。五月に生まれたこの恋は遠からず復活して盛夏の恋となるでしょう。マーキュロですから傷は浅いんですね。

風光る象の鼻より観覧車   ゆきよ
 風、象、観覧車と陽光のもとの動物園併設の遊園地を思わせる明るい景。でもひとつひとつの言葉の輪郭は鮮明なのに、一句としてみると風景はとらえにくい。これは何よりもこの句に問題があるのだろう。無理矢理読んでみると、手前に象がいて、後景に観覧車が、丁度象の鼻のあたりにかかってゆっくり回っている。一瞬、象の鼻の中から観覧車が出現するようなとんでもない景も見てしまう。複数の風景が一句のなかで揺れ動いてしまって、ひとつの像を結ばない。概ねその俳句は問題がありますが、稀に成功することもあります。私自身そこに興味があるので、この句の欠点を承知で採りました、言訳。

生まれかわる緑の中にバスを待つ   啓
 若葉、新緑を「生まれかわる緑」と言いかえただけですが、そのことだけで句が格段の光彩につつまれました。確かに若葉の下には古い葉が落ちています。ただバスを待っているだけの静的な場所に、緑の動きまで感じるようです。

葱坊主癌病棟は何階だ   伍壱堂
 この乱暴な疑問形の下五には微かな怒りを感じる。しかし一句全体は、素材の深刻さにもかかわらず、元気で健康的であるとさえ言える。それはひとえに葱坊主の形姿、キャラクターによるところがおおきい。この季語自体が擬人化ですが、坊主頭の人を連想してしまうのも避けられない。

目をつぶり囀りの中泳ぐかな   豊田ささお
 囀の句でこのように詠んだ句をあまり知りません。敢えて聴覚だけの世界に遊ぶ作者の贅沢な時間を彷彿させます。一力茶屋の大石内蔵助のように身体を泳がせている作者は芸妓ならぬ鳥の恋の歌に右往左往しています。傍から見れば狂気ですね、ちょっと永田耕衣を思いました。泳ぐは夏の季語ですがまったく問題ないでしょう。

【予選句】

芳草や方位磁石は常に北   コッポラ

先生の箴言ほのか五月晴   余一
 ほのかがどーかなあ?先生の箴言は脈あるとおもいます。

初蛙朝日田水を走りけり   太郎

遊園の砂新しき端午かな   たか子

春雷や投票箱に穴二つ   せいち
 とてもいいと思いますが、たまたま別々の句会で二度もこの「投票箱の二つの穴」に出合ってしまいました。ここがキモなんで、それで。それがなければ十句に入ります。

行く春にしっぽありせば手繰り寄せ   紅緒
 春のしっぽは面白いが、ありせばが説明的ではないか?ストレートにしっぽを手繰ったほうがよくはないか。

魑魅住む乢とも落花また落花   今村征一
 乢→たお、たわ、と読むんですね!尾根の鞍部、知らなかった。

どくだみや十指に余る糖衣錠   美佐枝
 どくだみがそもそも薬なんで、そこが気になった。

風呂掃除の窓全開や遠蛙   山渓
 前半が漢字ばかりで、特に「窓全開」がいただけない。なんとかならないか。気分はとてもよくわかる。

次々とバス降り来たる遍路笠   山渓
 遍路笠でお遍路さんを表す換喩がぴたりと決まった。

すべすべにおしりをあらう鳥雲に   汽白
 個人的には「あらう」が疑問。鳥雲とおしりの無関係な関係には好感。

チューリップちょっと頭が重たいの   岡野直樹

わたくしの庭に来ますか花菜風   れい
 このやさしさが花菜風にぴったり。

若葉風こんなところにポケットが   啓

主婦どちて黒蜜党の葛の餅   茂
 黒蜜党は黒蜜糖の間違いではないですよね?党は面白いんですが。

土曜日ノマチネアリマス修司ノ忌   伍壱堂
 きれいなんですが、フランス語マチネーのおしゃれな感じと寺山修司が主宰した劇団天井桟敷の芸風と合わない感じがしました。(これは私の偏見か?)

母の日やバスにひとりの運転手   くまさん

田の土を零して家路耕運機   草子

花冷や乾ききつたるコツペ麺麭   豊秋

葉桜や東京駅で飲みなおす  あざみ

君子蘭夫はいつでも笑いすぎ   あざみ
 夫(おっと)と読ませて「いつでも」を「いつも」にするのは?あまり変わらないか?夫→つまと読ませるのが、この場合私は気になる。


2011年5月4日
えなみしんさドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】
 3月11日以来、句会も、クラス会も、温泉の会も、みな自粛。全く俳句モードになりませんでした。立ち直るきっかけは、岩手の地酒「南部美人」の蔵元の「もっと酒を飲んでください」という呼びかけ。東北を応援しながら、自分も元気になりたいと思うようになっています。東北の酒たくさん飲んで、がんばろう日本!

【十句選】

書き込みのありし三月十一日   涼
 NHKテレビの俳句で「2011に春の宵なく」が特選で選ばれていました。掲句のようなさりげない表現もあるナと感心しました。

奧利根のもつとも奧の仏生会   太郎
 それは一体、何という村なのでしょうか。こう含みを持たせて言われると、長く広くつづく利根川の自然と人の営みに思いを馳せずにはいられませんでした。

一山を絵巻にしたる落花かな   太郎
 この句のヘソは落花でしょう。落ちるという動きが、一句に生きていて豪華な句になっています。ただ、「一山を絵巻にする」という表現はすでにありそうな気もしました。

星までのはるかな時空犬ふぐり   まゆみ
 犬ふぐりは、花とネーミングの乖離が多きい。なぜあんな名前が、と思わずにはいられません。が、この句では星との対比で、犬ふぐりが生きています。頭からの流れるような57〜。いいですね〜。

気が付けば人妻ばかり磯遊び   穂高
 なぜ人妻ばかりか気をもたせる句。実は親子づれで参加して子供は寝てしまったとか、そんなのかも知れませんが、これが言い方の妙というもの。面白いと思います。

眼張いま三割びきと云ふ時刻   くまさん
 メバルは、目がぱっちりとして個性的というか、愛嬌があるというか、そんな魚。それが三割引の時間って、どんな時間なのか。魚屋の台の上から夕焼けの町が広がって面白い。「目張」はピンと来ない。「めばる」はイヤですか。わたしならメバルでもいいと思いますが。

花吹雪より乳母車あらはるる   くまさん
 この句も決まってますね。既視感、現実感があり、美的でもある。ただし、乳母車句はしばしば現れて、この句も、もしかしたらすでにあったかも(失礼ながら)。

春風やゆつくり進む物忘れ   せいち
 「春風」と「物忘れ」の取り合わせ句。こうやって表現していみると、思いがけないことだったんだな〜と感じました。また、実際に、わたしに起きている事でもありますな〜、ご同輩。

ふらここを押しやれば子は空の子に   啓
 実は、そうとう不満なのですが、「空の子」になるというのがステキなので十句にとらざるを得ませんでした。不満とは言い回し。「ふらここを押しやれば子は」がもたつく。「押しやる」という言い方がキライ。で、「ぶらんこを/押せばわが子は/空の子に」などの改良はどうでしょう。

木蓮が羽ばたくまでの十日間   岡野直樹
 確かに、木蓮は段々と広がって、またたく間に(そうか、10日間くらいかも知れない)落ちてしまいます。それを「羽ばたく」と捉えたのが、なんともステキで、感動してしまいました。

【予選句とひと言】

覆水の返らぬことも黒き春   涼
 たしかに黒き春だったと納得。被災の今は分かる句です。

白魚の黒目映りしものはなに   涼
 面白いレトリック。技巧的なので実感に至りませんでした。

剪毛を了へた羊の目のちから   たか子
 これも面白い視点、レトリック。涼さんの〈白魚の・・・〉と同じく実感には至らず。

天に散り地に舞ふ桜吹雪かな   くまさん
 素晴らしい風景が目に浮かぶが、ありがちな表現かも。

街おぼろ物忘れ科に予約取る   せいち
 面白い句だと思った。「街おぼろ」があいまい。

クレヨンに足らぬ色あり春惜しむ   美佐枝
 目にはとまるが、思わせぶりで、結局腑に落ちぬまま。

反対色和える老シェフ木の芽晴   コッポラ
 老シェフが活きていないように思う。

震災地のタンポポ手書きの新聞   学
 面白いと思ったが、今だけイメージが湧く句かも。

へこむことあっても平気/花水木   紅緒
 「思ったこと+季語」の作り方。季語のぶつけ方が不満。

商店街やなぎに空を誂える   紅緒
 「やなぎを空に」を工夫してこうしたのか。でも分かりにくい。

ぼくはねぼくはねってイモリの子   あざみ
 語り口で読ませているが、いまいち腑に落ちないものが。

 以上、たくさんの投句ありがとうございました。今月も被災句が多く、まだ常態ならざるものを感じました。また、なぜこんなに難しい字を使うかとうような漢字をいくつも見かけました。人に伝えるのですから、その事も考えて言葉を選ばれたらいかがでしょうか。。肖らむ(あやからむ)、倣う(ならう)、暈(かさ)、霾天(ばいてん)、眇(すがめ)など。では、また次回を楽しみにしています。