「e船団」のドクターがあなたの俳句を診断したものです。


2011年12月28日
南村健治ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】
 路地の奥に山茶花が咲いて、、、♪しもやけおててがもうかゆい・・・この歌はなんという題だったのか・・・子供のころはひどいしもやけに悩まされた。痒くて掻くと痛い。痛いけど、痒い。その繰り返しで手の指も足の指も耳たぶも赤黒く変色した。栄養不足と云うことのようだがこれに効く薬など我が家にはなかった。唯一、お正月に行く親戚の家で肝油をお年玉とともに貰うのが例年のこと。裕福な家だったのでお年玉は子供には多すぎるぐらいくれたけれど、なぜか肝油はたいした量を持たせてくれなかった。半世紀以上昔のハナシ・・・肝油の量を怨んではいませんよ・・・山茶花が咲くとこの事をいつも思い出すだけです。では、怨みっこなしで、十句選をどうぞ。

【十句選】

本堂を背負い投げするすす払い   津久見未完
 力いっぱいの大掃除。背負い投げにするぐらいの気力と体力で溜まった埃(煤)と厄災を打ち払う。乱暴だけれど実感ありです。きっといい新年が来ます。

鳥獣戯画ぬけだして冬日向まで   遅足
 抜け出したのはどんな動物たちだろう。いや、この絵巻物には人間だって登場するのだから抜け出した彼らがたまさかの冬の暖かさを満喫していると云う、そんな自由な発想が楽しい。

外套を脱いでバレリーナとなりぬ   孤愁
 よほどいいことがあったのだろう。あるいはショーを見ての帰りか。人気の少ない街路を照らす灯に自分の姿、爪先立ってポーズを取った姿が影として映っている。脚を上げたり、くるりと回ったり。自分でない自分が映っている。昂った気持ちが外套を脱ぐという言葉に強く出ている。

鵙の朝ご飯ふつくら炊きあがる   山渓
 鋭い鵙の鳴き声から、青く晴れ上がった冬の朝空を想像する。それは緊張感というか張り詰めたような気分に近い。でも、その日一日の幸せを約束してくれているようにご飯がふっくらと炊けて。緊張と緩和。その取り合わせが上手。

寒柝や昂る父の声ありぬ   たか子
 このごろでもボクの住む地域では夜回りの拍子木が響く。「火の用心 マッチ一本火事の元」。変わりのない声が近隣に響いて、ああ、寒いだろうな、ありがたいな、と思う。作者はその中に「昂る父の声」を聞いたのだ。それは夜回りに懸命な声であると同時に、「寒いけどがんばってるでえ〜、心配しいなや〜〜」と家中にいる我が子供へのメッセージ。それは父の少しユーモラスな「昂る」でもあり、ほのぼのとした気持ちになる。

かまくらや婆様らしきが付いて来る   たか子
 かまくらにやんちゃな子、おしゃまな子、賢い子、そうでない子。いろんな子が集まりだして、ふと気付くと、婆様を供にした子が居る。乳母日傘の子・・・皆がヒクが本人はそれが普通。そしてその子の振る舞いに他の子も慣れて行く。童話的、アニメ的な句。

薄氷をつついて妻の顔を見る   小市
 なぜ、妻の顔を見るのか・・・わからない、むつかしい、手強い・・・けれど興味があるというか魅かれる句。そういえば少しまえ、京都の東寺に行った。信心深くはないが、痛いところ、悪いところ治してくれるという亀の頭を撫でて、なぜか妻の顔を見た。なんでやろ、、、、?

雪雲の巨大なお尻窓枠に   友萌
 窓枠に雪雲のお尻がドデンとくっついているような鬱陶しい気分になるのは「お尻」「巨大」という言葉のためか。でも、その度を越した表現は例えば雪国なら難儀さや鬱陶しさだけではなく、やがて降る雪と対峙するぞ、降るなら降れ、巨大なお尻と戦うぞ、の決意ありと読みましたが。

「おとうさん」呼ばれて出れば寒波来る   豊田ささお
 誰が「お父さん」を呼ぶのか、、、、と、まあ、それはさておいて、とにかく呼ばれて出てみたら「寒波来る」だった。寒いことはもろに寒いが寒波ですってあなた、そんな漫画みたいな、、、、ぶるぶる震えるだけの寒波ですって、、、、、バカボンのお父さん的なオチがキョトンとして、つまらなくてオモシロイ。

蘇鉄の実原始の服ははだけてる   紅緒
 「蘇鉄の実」の素朴な風情と「原始の服」の簡素な様子が上手く取り合わされています。ことに「はだけてる」が巧みでこの言葉から原始時代のある種の無防備さと荒々しさを実感することが出来ます。

【チョッと一言】

齟齬に齟齬重ね重ねて日短
 リフレインに工夫ありですが・・・。

きみといてますます白くなるオリオン
 「白くなる」が示すものは作者の感情?時間の経過?

重い重い重いライタークリスマス
 う〜ん、重すぎませんか。

冬帽子戦後映画の男達
 「男達」・・・孤高な男を描くなら「男かな」でどうかな。

新巻を提げてごつごつ闇の道
 荒巻→ごつごつ→闇・・・上手く出来ているが予定調和。

冬の駅カフカの鳥を待っている
 「カフカの鳥」って?虫は平凡だけれど。

着てるのはサインコサイン丹前か
 最後のオチが笑いどころ・・・ですが。

合言葉山川山川山眠る
 この句もオチが甘いですね。もっと大胆に。

おのおの方もそっと近こう鮟鱇鍋
 鮟鱇鍋っていまや普通の鍋物では。

湯豆腐の向かふかつてのアナキスト
 「かつて」ではなく、現役のほうが湯豆腐との対比が生きてオモシロイのでは。

まばたきを夢に忘れる冬の蝶
 羽ばたきかとおもった。

過去からの架け橋一瞬冬の虹
 見方はオモシロイけれど、一瞬は余分。

蒼すぎる空の栞となる枯れ木
 取捨にずいぶん迷いましたが、「蒼すぎる」は言い過ぎでしょう。


2011年12月21日
星野早苗ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 クリスマスが近づいて来ました。クリスマスと言えばサンタクロースですが、オランダのシンタクロースは、聖ニコラスの誕生日にちなんで、12月5日にプレゼントを持って来るそうです。それに先立ち、シンタクロースは11月の末にオランダに上陸し、お供のピートを連れて町々を回ります。シンタクロースは子ども達の一年の行いを書いた本を携えて来るので、迎える子ども達も神妙で、また、シンタクロースからのプレゼントには必ず手紙が添えられているのだそうです。
 大人も子どもも何日も前から懸命に準備するクリスマスを、オランダの絵本で知りました。昔、日本のお正月もそうでしたね。
 さて、今回は179句の中から。

【十句選】

餅つくや農機具小屋に婚約者   津久見未完
 婚約者を紹介するために、二人で帰省されたのでしょう。その時、実家で餅つきがありました。農機具小屋に婚約者がいることが、新鮮な驚きだったのだと思います。

枯野から棚田へ町営無料バス   きのこ
 町営の無料バスがあるのですね。町内の各地区をもれなくまわってバスは進んで行きます。枯野の風景が棚田に切り替わる意外な展開が面白いと思いました。

寒声や坂の途中に能の家   ジョルジュ
 能を稽古する家が坂の途中にあったのです。それと知れたのは謡の声のおかげですが、「寒声(かんごえ)」(声音を良くするために冬の早朝や深更に声曲の稽古をして喉を鍛えること)を実際に耳にした作者は、芸事の厳しさを感じたのでしょう。

骨董のミシンの金字冬ぬくし   洋平
 骨董のミシンは外国製で、おそらく金の飾り文字でSINGERなどと書かれているのでしょう。冬日が当たって黒塗りの胴体も金字も光っています。足踏みミシンの活躍した時代をなつかしく思い出させてくれる句です。

霙るるやぐしゃぐしゃといる湯船の子   啓
 外には霙(みぞれ)が降り、湯船にはたくさんの子ども。「ぐしゃぐしゃといる」という形容がユニークだと思いました。音の面白さ、取り合わせの面白さが強くアピールしてくる作品です。

桜鍋片膝立つる者も居て   恥芽
 桜鍋は馬肉の鍋。お酒が進み顔も桜色になった人たちが、片膝を立てたりあぐらを組んだりくつろいだ姿勢になってきた様子が目に浮かびました。

塩引やホモ・サピエンス背より老ゆ   たか子
 塩鮭を焼きに立った寒い季節に、背中から老いを自覚しました。ホモサピエンスが二足歩行をはじめたその人類史じたいに老いの起源を求めたところから、スケールの大きな句が生まれました。

短日や校門出づる部活の子   山渓
 ユニフォームを着た子ども達が三々五々校門を出てきます。夏ならまだ明るい時間帯ですが、今はもう真っ暗。そんな中を、疲れとともにある種の満足感を帯びた中学生たちが帰って行きます。

笹鳴きや単身赴任の夫帰る   とほる
 笹鳴きは鶯のまだうまく鳴けない様子ですが、かすかな幸福感のようなものを暗示しています。単身赴任の夫がかえってきた、という事態とよくあった季語だと思いました。

イヅハラデハ…風弱ク雪、人かしら   KQ
 ラジオの気象情報は「イヅハラデハ……」などと言っています。しかしラジオの声は聞き流していて、気になるのは外の物音。それを「人かしら」と自問しています。

【佳 作】

大関のふともも程の大根引く   恥芽

野の草を煮ている魔女も咳きて   啓

エコストーブ持ち込まれたる雑木山   豊田ささお

天辺を切り揃えたる冬構え   吉井流水

はみ出した耳が人気の鯛焼屋   芽々女



2011年12月14日
朝倉晴美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】
 みなさまこんにちは。
 先の日曜日は月食。月食も良かったのですが、凍月の冷やかさにちょっと感激していた朝倉です。冷たい空気大好き!自宅のリビングが東向きですので、朝陽が昇るとき、窓を開けて寒気を入れるのが快感です。(家族には不評ですが)
 さて、此度も、多くの投句を、本当にありがたく思っております。
 今回は、刺激的な言葉や、印象的な言葉遣いがたくさんありました。とても、楽しく、言葉の魅力に、ハッとしたりしました。

【十句選】

三島忌やパンタグラフの火花散る   涼
 三島の最期は11月25日の鮮烈な出来事。パンダグラフの火花との取り合わせには、その強烈さを強調するような句材。賛否両論でしょうが、一瞬の火花というものが、三島由紀夫を、さらに魅力的にしているととりました。
 三島忌や多弁の鸚鵡(あうむ)少しよごれ  上西平八

図書館の席に眠れば冬晴るる   きのこ
 「図書館で眠る」→「晴れた冬空」とういう因果が、絶品だと感じます。からっと晴れた、凍ててはいるけれど、空気のきれいな冬空。その気持ち良さが、図書館の窓ガラス越しに伝わってきているようなのです。情景を的確に詠むことも、もちろん大切ですが、読者に、気分を思いっきり感じさせてくれる俳句というものも大切です。
 冬晴れが瓶のあんずに及ぶかな   細見綾子

水鳥や瑞々しいお尻が雌   B生
 句またぎではありますが、「み」の音の連続や、丁寧語の「お」のニュアンスの良さで相殺されていると思い、一票を。上句での「や」切れも、口語調の「お尻が雌」を、引き締める効果を持っているのではないでしょうか。
 水鳥なのだから、お尻が濡れているのは当たり前ですが、「瑞々しい」という語感には、生気の満ちている感があります。生命眠る冬と、ほのかに感じさせる水鳥の生命観。これもまた、コントラストある取り合わせです。
 水鳥のおもたく見えて浮きにけり  鬼貫

白鳥の眠たくなれば首埋め   恥芽
 「眠たくなれば」という順接の助詞(ここでの「ば」の働きです。)が大変生きています。それが、この句の最大の魅力です。また、白鳥という首が強調される水鳥。水に浮かんで(浮き小屋でも眠りますが)眠る様子が、とても美しく、また、情感豊かに感じられます。音のない静かな情景ですが、その冬の冷たさが増長されて、冬の魅力溢れる一景となっています。
 静謐を感じます。
 白鳥はおほかた眠る白鳥湖   細見綾子

一本の洗いざらしの冬木立   せいち
 「洗いざらし」の比喩、それが「一本」。(冬木立の本意は、樹木の群生ですが)お見事です。冬木立の侘しさ、というよりも、清浄な冬の光景です。洗いざらしのジーパンや、パジャマにあるような、愛着さえ感じるようです。
 また、冬であるだけに、すべてを洗い捨て去ったような、すがすがしさもあります。
 あかつきの息をひそめて冬木立  石原舟月

ポケットにそっと秘めたき冬の虹   茂
 秘めたい虹ってどんな虹なんでしょう。それも、冬の虹です。この、抽象的な気持ちでありながら、具体的な動作として表現されているところに、掲句の作品としての強さがあるのでしょう。
 冬の虹消えむとしたるとき気づく  安住敦

自転車の雪をかむりて眠りたる   遅足
 自転車も眠るのですよね。自転車だって、車だって、楽器だって、みんな生きているのでしょう。ものの魂ですね。「雪をかむりて」という光景の美しさも魅力ですが、自転車に対する愛情に感動いたします。「かむる」という表現が、雪ではなく自転車が主体であることが素晴らしいのです。
 むまさうな雪がふうはりふはりかな 一茶

フランスパン抱へる余熱風邪ごこち   素秋
 焼き立てのフランスパン。そのほんのり感じる余熱。でも、私は風邪かもしれない。でも、焼き立てのフランスパンがあるなら、微熱があっても良いか、などと楽しく、そして少し色っぽく読めました。「風邪ごこち」という表現でしょう。熱けのある潤んだ瞳が、その気分にさせます。
 風邪ごころ坂は電車もしづかなる  石田波郷

茶の花のしずく零して秘書不在   泰
 「秘書不在」という事実が絶妙。人物の存在はないけれど、茶の花がしずくを「零す」動きがあります。静(=しずく)のものが動。動(=秘書)のものが静(無)。その、コントラストが素晴らしく、句の魅力となっています。
 ほんのりと茶の花くもる霜夜かな   正岡子規

こちらから全て喋って冬はじまる   コッポラ
 下五が「冬はじめ」では、いけなかったことに、作者の意図を感じました。もちろん、口語調ということもあるでしょうが、動詞「はじまる」という動きにこだわりを感じました。こちらの人が喋って、冬がはじまるのです。こんなはじまりはどうなんでしょう。素敵なのでしょうか、ちょっと嫌気がしているのでしょうか、それとも恋の始まり?さまざまな、冬のまじまりを連想、夢想して、楽しくなります。今年の冬は、なんだか違うはじまりかも、という気配が、掲句の大きな魅力です。
 前垂の手織木綿の冬始まる   草間時彦

【次点最高点】

セーターの青い太陽抱き寄せる   B生

三度まで生まれかわりて冬の虹   遅足


【次 点】

冬晴れや青空高く縁見えず   いっせつ

木枯らしとコーラの缶の凹みかな   涼

淋しさに真上より見る寒牡丹   涼

赤蕪のぽっと置かれし厨かな   涼

白き足伸ばす夜中の寒蜆   きのこ

山里のラインダンスや懸大根   山畑洋二

すり足で友を迎える冬の朝   津久見未完

両の手に授かる美男葛かな   まゆみ

錦秋の赤朱紅の中の恋   ゆかり

言祝ぎを分つ五尺の鰤を割く   今村征一

試し切りさるる訳有り大根かな   今村征一

このKissは及第点だ温め酒   山本たくや

雪の富士送電線が吊るごとし   輝実江

時雨来るドアスコープの右に片寄る   小川学

覗き穴人見る前の十二月   小川学

峡の駅自分が入れば時雨けり   周松

葉が落ちてベンチの上のくしゃみかな   茶娘

前後ついでに足裏浜焚火   邯鄲

霜月や胃カメラ古希の入り口へ   茂

抜けてゆく母の匂いの冬座敷   遅足

吊の松泰然としてゐたり   みさ

薄味のわが生なりき霜の華   戯心

花八手天狗になった人の勝ち   岡野直樹

山茶花や独り立ちたる阿修羅像   和久平

Sサイズ更に約めて歳の市   大川一馬

バケツにて水仙を売る瀬戸物店   ∞

聴力検査のごと水琴窟聞く冬深し   奥野とほる

シャガールの蒼き馬とぶ凍てし夜   川崎洋子

地下鉄の蝶どこへ行く大晦日   小市

バスを待つ母子じゃんけんする小春   くまさん

片時も離れぬ犬や冬青空   ポリ

靴に付く落葉階段まで来たり   意思


【選外句から】

鎌風や有平棒が渦巻ける
 有平棒、散髪屋さんのサインポールですが、そうだとはっきりわかる方が、読者に親切かもしれません。有平、という言葉は、飴にもあるように、雰囲気のある良い言葉ですが、伝わりにくい気がいたします。親切すぎる必要は、まったくありませんが、不親切すぎるのも、おすすめできません。

ざあっと来てざあっと見限る小鳥かな
 「ざあっと」と二回使った対句表現が、生きているか、どうかです。「ざあっと」ではない、もっと印象強い擬態語、擬音語を、私は求めたいです。

からからと校庭駆ける枯葉かな
 「K」音がとてもよく響いていて枯葉の風景らしいですが、情景は少しありがちな風ですね。

金借りる雪女(以下「乙」といふ)
 ユーモラスですが、賛否が大きく分かれるように思います。

アリスめく庭となりたり綿虫来
 「アリスめく」の解釈が難しいのでは。

折込みの厚きチラシや師走来る   天野幸光
 師走の光景としては、重々承知のことですね。ちょっと面白みに欠けます。

初雪や喪中葉書に銀あまた
 とてもきれいなのですが、初雪に意味を持たせすぎかも。

小春日や不意の講師の訛かな
 「小春日の講師ついっと訛出る」。「かな」の用法が強すぎると感じまし たので。

山茶花の花びら二枚ほどの恋
 きれいな作品です。が、山茶花と恋は常套です。

狐罠昭和は遠くなりにけり
 本歌とり(草田男の「・・・明治は遠くなりにけり」)は、難しいですね。もっともっと思いきった季語が良いのではないでしょうか。

パスカルとヘクトパスカルいかのぼり
 言葉遊びは楽しいです。いかのぼりという季語によって、上手く化学反応がでると最高です。

荷物提げ妻の後追ふ年の市
 「年の市」で、少し当たり前の光景になってしまいまいました。残念です。「後追ふ」が、もっとユーモラスに感じられる季語が良いと思いました。

着ぶくれてロボットの声くり返す
 「ロボットの声」が、わかりやすいと楽しく読めたはず。残念です。

湯豆腐や二男達者かいつ帰る
 次男さんへの文句をもっともっと思い切って詠まれてはいかがでしょう。きっと、読者も膝を打つことでしょう。

干柿と黒豆買うて雪の富士
 句材がすべて整い過ぎているように感じました。

冬銀河鼻ひくひくと向けにけり
 ワンちゃん、犬の鼻でしょうか。冬銀河と犬は、とても良いので、あとほんの少しだけ具体的に。


2011年12月7日
中谷仁美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 あっという間に師走、今年も残すところ20日余りとなりました。みなさま、2011年、名句は生まれましたでしょうか。
 年末には少し早いですが、今年最後の担当日となりますので、少しばかりご挨拶を。今年も1年間たくさんの句をお送りいただきありがとうございました。よいお年を!
 では、今回もよろしくお願いいたします。

【十句選】

花八つ手老いてないしよの恋をして   せいち
 「ないしよ」とひらがなでいうところ、かわいい恋を想像させます。ほかの花があまり咲かない寒い季節に咲く可憐な花八つ手と老いてからの恋というのは、ややつきすぎなのかなと思いつつもうまい取り合わせだと思います。

冬の日や後足から老いる犬   B生
 以前、雑誌で人は背中から老いるという記事を読み、思わず自分の背中を鏡に映したことを思い出します。この犬は、きっと野良犬で、冬の道をとぼとぼ歩いて、後ろ足をひきずっていたのかななどと想像しました。けがをしたのか、あるいは歩き方が重そうに見えたのか。とにかく、そこに何らかの「老い」があった、その見方が面白いと思います。「冬の日」が、老いのさびしさに追い打ちをかけてやや寂しいのですが。

冬構え庭師の寡黙木の寡黙   啓
 厳しい冬に備えて、庭木に囲いなどしているのでしょうか。寒い中作業をする庭師は黙々と作業を進める。そして、寒空の下にすっと立つ庭木も寡黙。木を擬人化したことで寒く寂しい様子がよく伝わります。

不意に冬がさつな髪を束ねおり   コッポラ
 がさつというのは、本来言動のことを言うので、がさつに髪を束ねるというのが自然な表現かと思います。が、ここではさつなのは髪。きっとあちこちはねているのでしょう。髪を擬人化したところが面白い。そして、「不意に冬」という始まり方も唐突でいいですね。冬が来たことと髪を束ねることとはあまり関係がないのかもしれませんが、気合が入ります。オトコマエな女性を想像しました。

てんとう虫前世はねこサにゃにゃ星サ   てる・るるる
 にゃにゃ星サってなんだろうと思ってよくよく考えたら、てんとう虫はナナホシだから猫になるとにゃにゃ星なのですね。いやいや猫に星はありませんよとつっこみたくなりますが、前世と星というのはつながりのある言葉で、おもしろいだけでなくうまいしかけがあるなあと思いました。

土に足ふれぬ一日神の旅   遅足
 1日家にこもってすごしたのでしょうか。それとも訳あって外出できないのか。いずれにせよ土に足をふれないままに過ぎた1日というのはあまりうれしいものではありません。きっと不本意だったのでしょう。そんなとき、ふっと神様の旅だって、土に足はふれないじゃないかと気づく。確かに!ちょっとしたユーモアで自分の1日が明るくなる、発想が素敵な句だと思います。

実万両村にひとりの嬰あやす   たか子
 小さく赤い万両の実と赤ん坊の取り合わせがいいと思います。また、赤ちゃんがひとりしかいない村=過疎の村を想像したのですが、そのような現実の厳しさを「実万両」のイメージが和らげてくれると思います。「村にひとり」の赤ちゃんは、きっと村じゅうで愛され大事にされているのでしょうね。なんとなく、中島潔の絵を思い出しました。

点滴やぽとりぽとりと冬すすむ   とほる
 点滴を受けている間って、何もできなくて結局点滴の薬がぽとりぽとりと落ちるのを眺めていたりしますね。薬液がすべて落ちるまでの時間ってものすごく長く感じます。それでも、ぽとりぽとりと落ちるこの間にも確実に時は過ぎて行っている。そのことをうまく詠まれていると思います。ぽとりぽとりというオノマトペはもの悲しいのですが、「冬すすむ」という表現は、冬がすすんでいつか春が来る、明るい未来を読み手に感じさせてくれると思います。

実紫ばってん並ぶ原戸籍   草子
 「原戸籍(はらこせき)」という言葉を初めて知りました。実紫のしっとり落ち着いた雰囲気と原戸籍との取り合わせがうまいなあと思います。また、ばってんという言い方にあたたかみがあって、原戸籍に載っている身内のことにしみじみと思いをはせる感じが伝わってきます。

底冷えす三十年目のニュータウン   小市
 ニュータウンも30年たつと、できた当時の新しさ華やかさや若々しさがなくなり、寂しい街へと姿を変えてしまっているというのをニュース等でよく目にします。「底冷え」にそんなニュータウンへの思いがあらわれています。

【予選句】

純情な林檎を一つくださいな   KQ
 愛媛のまじめなジュースです、というのはポンジュースのキャッチコピーですが、ここでは純情な林檎が登場です。とてもかわいい句なのですが、林檎というと、どうしても島崎藤村の「初恋」のイメージが強く、純情とはつきすぎてしまうおそれがあります。違うものでチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

懐に大志を育て冬に入る   今村征一
 冬の間、大志をあたため続けて春を待つのだろうなあと想像しました。素敵な句なのですが、どうしても虚子の「春風や闘志抱きて丘に立つ」を連想させるため、そこが問題点かなと思いました。

あれこれと揃えて入る炬燵かな   きのこ
 この句、ものすごく共感できてしまいます。入ったらものを取りに動かなくてもいいようになんでも揃えて入ってしまいますね、こたつって。思わずくすりと笑ってしまいました。

秋惜しむ小さき画廊に立ち寄つて   せいち
 小さい画廊で、おそらくあまり有名でない画家の小さな個展を見て、行く秋を惜しむ。画廊に立ち寄るというのは、芸術の秋を連想させますし、小さいというのは秋を惜しむもの寂しい気持ちとよく合います。

紅葉散る真鯉緋鯉に水亭に   えんや
 色鮮やかな情景が思い浮かびました。ただ、紅葉、鯉、水亭、あまりにもきれいにまとまりすぎているので少し外してもいいのかも。

満天の星のマントを着て帰る   B生
 ロマンチックで、童話的な世界だなあと思いました。きっと素敵なところに帰っていくのだろうなあと想像しました。

木枯や駅の屋台に娘婿   恥芽
 待ち合わせしたのか、偶然会ったのか。木枯と屋台というのはやや月並みな取り合わせですが、サザエさん的な世界で、ほのぼのあたたかい気持ちになる1句です。

百年を吸い上げられて椎茸に   岡野直樹
 とても古い木からから作られた原木を用いて椎茸を栽培しているということだと解釈しました。素材が面白いなあと思います。ただ、「吸い上げられて椎茸に」の部分がややひっかかります。椎茸が百年分のなにかを吸い上げて育っている、という作りにしたほうがうまくまとまるような気がしました。

あの人に笑窪が三つ小六月   友萌
 恋の句でしょうか。笑窪、ひとつやふたつならよくあるのですが、三つというのがなんとも楽しい感じがします。きっとその笑窪が好きなのだろうなあと思ったりして。小六月という季語はそんな気分にぴったりです。

大地凍つ幸福量を自答して   たか子
 ブータン国王夫妻の来日に伴って、国民総幸福量というのが話題になりました。「大地凍つ」と取り合わせると、どうがんばってもあまり幸福でないような気分になってしまいます。「自答して」というだけでも手放しに幸福と言えない雰囲気が漂うのでここはもう少し明るいもしくはドライな感じの季語でもいいのかなと思ったりします。

リヤカーに白菜の尻揃へけり   山渓
 きっと大きくておいしそうなお尻なのだろうなあと思います。何気ないワンシーンなのですが、「白菜の尻」という言い方にひかれました。

  ウナギパイ買う妻いとし冬の旅   小市
 うなぎパイってお土産の定番ですが、久しぶりの旅行にうきうきしてお土産物屋でお土産をたくさんたくさん買いこんでいる妻とその姿を見守る夫の微笑ましい姿が想像されていいなあと思います。あたたかい、素敵な冬の旅ですね。

のびている炬燵の中の猫のヒゲ   豊田ささお
 猫はこたつで丸くなるものですが、あたたかくて気持ち良くて、こたつの中でわがもの顔をしていて、ひげがぴんと伸びている、そんな猫の愛らしい様子と飼い主の猫かわいがりっぷりが伝わります。

この街に猟場の記憶小鳥等来   葉家
 今は猟場ではなく平和な町なのでしょう。でもふとした瞬間に猟場だったことを思い出す、または街角に何かが残されている。「小鳥等来」の明るさが効いています。

来しかたを語らずままに冬銀河   津久見未完
 具体的な状況はわからないのですが、語らなくても美しい冬銀河が許してくれる、そんな気分になりました。


2011年11月30日
小西雅子ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 今年、我が家の柿は、生り年でした。小さめの久保柿で干し柿を作りました。第一弾は十月後半に吊るしましたがカビが生えて失敗。気温が高すぎました。反省して第二弾は十一月中旬に。冷たい風も吹きはじめ、気温も少し下がり、今のところ好調です。毎日顔を近づけて覗く家人に「息をかけるべからず」と張り紙をしました。こんなささやかな日の連なりで一年を暮らし通せることに今年は殊更感謝してしまいます。たくさんの俳句ありがとうございました。

【十句選】

初冬やホモ・サピエンス住居跡   涼
 ホモ・サピエンスというのは私たちでもあるわけですが、この場合は少し前の、例えば縄文人のような。人がいるようでいないような感覚の隙間を寒気がすうっと通り抜けます。佳句。

立冬はのど飴舐めて帰ろうぜ   山本たくや
 「立冬」・「帰ろう」などリズムが良く、すぐに口遊める句。ラップにして歌えそう。ただ、冬→風邪→のど飴と連想することは容易く、内容はリズムに勝てなかったとは思います。

サフランの涙がひとつ咲きました   遅足
 サフランは紫色の可憐な花。「涙が咲く」というのはとても詩的。かすかに見える雌蕊の赤色がより哀しく思えてきました。ステキです。

猫の耳十一月の風さがす   くまさん
 「十一月の風」というのは秋から冬へと変わる少しひんやりした風。猫の耳がその移ろいをキャッチするのですね。耳の動きが見えるようです。

秋うらら少女マンガのキリンの目   岡野直樹
 キリンの目は愛らしくてちょっと淋しげ。竹久夢二の絵に出てくる女性の目のようです。当然少女マンガにも登場するでしょう。「秋うらら」という季語の選択が秀逸でした。

頭から囓る干物や雪催   邯鄲
 美味しそうな干物。もちろん炙った干物。絶対日本酒。それも熱燗。頭から齧るという豪快さと「雪催」の対比も良いと思いました。

しょうが湯の茶碗をつつむ僧侶の手   小市
 一見ありふれた句のようですが、最後の「僧侶の手」で十句に採りました。一杯のしょうが湯にあたたかさと、うまく言えませんが「和敬清寂」のような気持ちを感じることができました。

鳥かごはいつも空っぽ冬苺   ∞
 油絵にしたいような風景です。「いつも空っぽ」なので「冬苺」を主役にすることができました。

いい夫婦とかとかいい日神の留守   草子
 「とかとか」が楽しいです。リズミカルで。神様がお留守でもいい日はいっぱいあるのよ、というケ・セラセラの句。こちらまで幸せな気分です。

冬の波こぞって跳ねる白兎   紅緒
 メルヘンチックかつミステリアスな句ですね。「兎」は季語ですがこの場合は「冬の波」が主たる季語ですので問題ないと思います。作者は白波を兎に見立てておられるのかもしれませんが、たくさんの兎がダンスして沖へ沖へと進んでゆく、あるいは、冬の波が立つころ森の中で兎がいっせいに飛び跳ねるという想像もできます。不思議な物語。

【次点】

縁談も大詰めなりしおでん突く   津久見未完
 下五の「おでん突く」は「おでんつつく」でしょうか。そうすると六文字になり、この句の場合リズムをくずすように思います。「おでん鍋」なら十句に採っていました。

テーブルに株式チャート冬のカフェ   B生
 現代のカフェの様子。いいですね。「テーブルに」と説明するより「株式チャート」の状態(紙とか雑誌とか)を工夫されるとどうでしょう。

花八つ手老いてないしよの恋をして   せいち
 この感覚素敵です。八つ手の花はないしょの恋にぴったり。リズムも良く十句に採ろうか迷いました。

錦繍や秘仏開帳講釈師   三人水
 平仮名は「や」のみ。最期にお寺の名前が来るのかと思えば「講釈師」。笑いました。少しずらしていい句になりました。

鳥除けのペツトボトルや柿熟るる   山渓
 「ペットボトル」という六文字がうまく収まりました。よくある風景ではありますが柿が美味しそうです。

禁煙の書と小半時山眠る   たか子
 「禁煙」と書かれた紙のそばに禁煙を目指すご本人がいらっしゃるのですね。「山眠る」という季語は付かず離れず、良い選択だったと思います。ただ「小半時」はちょっと古いと私は思いました。10句に採ろうか迷いました。

冬田道白のトラック轟音す   意思
 良い句だと思います。冬田道を白いトラックが大きな音をたてながら通り過ぎる、その一瞬を詠まれています。映画の一コマのよう。

行く秋やたらに握手を乞う男   余一
 「行く秋」は「行く秋や」ではないでしょうか。「握手を」の「を」は不要かも。俳句は十七文字なので一字の加減が出来を左右します。「や」を足して「を」を引けば十句に採っていました。佳い句なので惜しいです。

【良いと思う句】

枯木立その先広き平坦地   葦人
 「平坦地」は抽象的ですのでもう少し具体的な方がいいかも。リズムの良い句。

鶏頭や窓に広ごる浅間山   太郎
 鶏頭と浅間山はとても良い組み合わせだと思います。

二川の交はり柳散るところ   今村征一
 惜しいなあ。良い句なのですが「ところ」は不要だと思います。「柳散る」の前か後ろに別の三文字を。

経あげる巡礼時雨るる六角堂   きのこ
 「経」「巡礼」「堂」、そろいすぎました。たとえば「背の高き巡礼」などとするとちょっと違った視線に見えます。「時雨るる六角堂」は良いフレーズですので再考を。この破調は魅力的。

ペンギンが背筋伸ばして冬が立つ   てる・るるる
 楽しい句です。〜が〜して〜です。という散文調になっていますので語順を入れ替えるとオシャレな句になりそうです。

霜月や胃カメラ映像ぴくぴくり   茂
 「ぴくぴくり」があまりにリアルすぎました。「霜月」と「胃カメラ」は変わった取り合わせで魅力的ですので「霜月」を生かすオノマトペに替えていただけたら。

鶏頭花語尾の濁れるお国柄   コッポラ
 「お国柄」は「お国訛」のことでしょうか。外国語のことでしょうか。下五が「国訛り」なら句会でも点数が入りそうです。

氷上に練達の技終へし顔   大川一馬
 フィギアスケートはまだあまり俳句になっていませんので先駆けて名句を生み出すチャンスです。この句の問題は「練達の技」です。これは作者の主観ですので、読み手が選手の魅力をイメージし易いような言葉が必要かと。しかし、この挑戦には拍手を送ります。

三人ゐて一人が鳴らす瓢の笛   えんや
 これぞ俳句。瓢の笛は瓢の実の笛。あとの二人はどうしたの?というところを言わない良い句だと思いました。

帰り花時を忘れし恋に似て   素秋
 「帰り花」も「時を忘れし」も時間に関する言葉なのでもったいないです。気持ちはとてもよくわかりますが。

西は老婦人の夏ここは小春   啓
 「西」と「小」。えっ「小西」?そんなはずはありません。これはとてもお洒落な俳句です。が、「夏」と「小春」は無理がありますので。どちらかを別の言葉に。

九条葱煮たり焼いたり炒めたり   葱坊主
 九条葱が美味しそうです。しかし、「煮」「焼」「炒」はそろいすぎです。その一つを変えたらどうでしょう。たとえば「九条葱煮たり焼いたり笑ったり」とか。

みちのくの辛めの味噌よ冬じたく   すずすみ
 辛めの味噌、いいですね。上手くまとまっていると思います。「味噌を作る」は冬の季語ですので「冬じたく」をほんの少し推敲されるといいかも。

冬麗五百羅漢のうつらうつら   戯心
 「ら」が響きあってリズミカルな句です。ただ「麗」と「うつらうつら」はあまりに近すぎました。

鮟鱇の目方当て合ふ吊し切り   みさ
 鮟鱇の吊るし切りと、その周りに集まる人々。ていねいにデッサンされた端正な句です。独自の視点があれば。

侘び助のこの世の不思議ひそひそと   川崎洋子
 「侘助」と「不思議」はぴったり。「ひそひそ」も良いと思います。抽象的だという人が多いかもしれません。

大縄跳び会場ひとつの息となり   とほる
 大縄跳びといえば「ひとつの気持ち」「ひとつの息」。雰囲気はとてもよく伝わるのですがわかりすぎました。たとえば「ひとつの呼気」とするだけでも句は変化するのでいろいろお考えください。大縄跳びも現代のものですのでまだ名句は少ないです。挑戦を。

山茶花や女と笑ふブルドッグ   豊秋
 面白い句だと思いました。「山茶花」「女」「笑う」「ブルドッグ」と素材が多すぎたようです。

【気になった句】

怒れるか焼き芋すればエレジーやむ
 作者の思いが強く出過ぎました。少し脚色してでも気持ちを風景に変えると読み手にわかりやすくなると思います。焼き芋されたのですか。美味しそうですね。

冬日和帆の影多し地の果てに
 途中までは良いのですが「地の果て」が極端でした。もう少し実景を。

ひとつかね雁来紅の夫の墓
 「ひとつかね」がわかりませんでした。「雁来紅の夫の墓」はとてもステキ。

天高し白地図に立つ50人
 「白地図」と「50人」は良いのですがもう少し手掛かりがほしいです。そうすれば良い句になるかもしれません。

松手入れこの筋の家みな済みし
 わかり過ぎました。「みな済みし」のかわりに何かないかなあと考えましたが適当な言葉が見当たりません。たとえば「みんな留守」のようなちょっとした個性が必要かと。

甘酒を吹いて一服酉の市
 酉の市はにぎやかなのでしょうね。「甘酒」は夏の季語ですがこの風景はとてもよくわかります。甘酒ときたら「一服」は不要です。一服している姿は想像できていますので。

冬銀河身捨つるほどの星ありや
 「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや(寺山修司)」をもとにされているのでしょう。「銀河」に「星」をさがすのでは単純すぎるかも。本歌を越える何かを。

早仕舞して長き夜を長き夜に
 わかります、わかります。しかしこれは理屈に走り過ぎました。長き夜がもう一段と長くなったということをイメージしやすい物に変換できれば。


2011年11月23日
小枝恵美子ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 もう十一月の半ばを過ぎてしまいました。今年もそろそろ終りに近づきましたが、投句数が多くなり、創作意欲が旺盛ですね。この一年間で作った俳句を全部書きだして見て、作句にどんな変化があるかを考えるのも面白いかもしれません。

【十句選】

猿危険落石危険紅葉川   今村征一
 紅葉のシーズンで、投句の中にも十数句ありましたが、紅葉を詠むのは難しいですね。この句は、紅葉川付近の立て看板を見て、「猿危険落石危険」と詠まれたのだと思いますが、そういう危険な場所ほど紅葉がきれいなんですよね。中七までのリズム感も良くて、紅葉の美しさを詠まずに季語の本意をずらしたのがとても良かったと思います。

鴨の尻集めて池のあたたまる   コッポラ
 鴨の尻だけをクローズアップしたところが面白いです。ぽこぽこ浮いている鴨の尻がふくよかで、池がほんとにあたたまる感じがします。毎年のように鴨がやってきて、池がにぎやかになるのを眺めるのは幸せですね。そういう作者の心も伝わってきます。

高架下の串カツ屋混み冬に入る   きのこ
 高架下の小さな店舗の一軒が串カツ屋。寒くなって来ると、アツアツの串カツで一杯飲みたくなります。混んでいるほうがおいしそうで、人々の話声も暖かい。まさに現代の「冬に入る」風景だと思います。

冬の朝中田金型製作所   B生
 「冬の朝」と「中田金型製作所」とを繋いだシンプルな作りですが、カ行、サ行、タ行音の響きに、冬の朝の仕事場が活気づいているのが想像できていいと思います。働く人の息遣いも感じられました。

立冬の耳はミッキーマウスかも   山本たくや
 「りっとう」と「ミッキー」いう語感がいいですね。冬の始まりに耳は少し冷たくて、歩いていてもピクピク動く感じがします。「ミッキーマウスかも」で、漫画的な楽しさと、立冬の耳の生き生きとした様子が伝わってきます。

長き夜のひと部屋ごとにある時間   せいち
 秋の夜長のひととき、昭和の時代と違って、家族が集まって居間にいることが少なくなりました。「ひと部屋ごと」で過ごし、それぞれの時間を過ごします。その時間もひとりひとり違うのだと、気付かされる句です。

「すぐきあり」上賀茂岩ヶ垣内町   泰
 「すぐきあり」と書いた張り紙が目についたのでしょう。それと京都の地名だけを繋いだのですが、地名のカ行音の響きが良くて、酸茎の瑞々しさがその地名から感じられます。。これから京都の冬野菜はおいしい季節になりますね。

白い歯のあははと笑ふ林檎かな   邯鄲
 「白い歯」に焦点を当てたのが良かったです。爽やかな白い歯が、笑ったあと林檎を齧るのを想像し、真っ赤な林檎と白い歯がくっきりと見えて、映像的にもきれいです。また「うふふ」ではなく「あはは」が、爽快さを醸し出しています。

鴨の陣コンサートマスターは私   岡野直樹
 鴨が隊列しているのを眺めていると、音楽が流れてきそうですが、「コンサートマスターは私」というのは面白いですね。管弦楽団の第一バイオリン首席奏者として水辺の音楽を奏でるのでしょう。「コンダクター」だと平凡ですが、「コンサートマスター」が良かったです。

菊がすき昔話の雲がすき   KQ
 中7からの「昔話の雲がすき」で、なるほど、と思いました。信州の昔話に「でえだらぼっちでえらんぼう」という大男が山の中に住んでいて、大きな息を吸い込んで雲を吹き飛ばす話があります。大輪の菊を見て昔話の中に入り込んだような、雲のほんわかとした懐かしさが感じられます。

【予選句】

ゆっくりと老いて真紅のマフラーを   涼
 「真紅のマフラー」から暖かさが伝わり、老いることに余裕の感じられる句です。

秋の丘リュックにまがふ園児かな   太郎
 丘の上を行く園児のリュックにポイントを絞ったのがいいです。澄んだ空も見えて、リュックがもこもこ動く様子が楽しい。

秋澄むや結婚話は大詰めに   津久見未完
 快い季節に結婚話が決まりつつあるのはうれしいですね。「大詰めに」で、その緊張感が伝わってきます。

手のひらに包む山河や黒葡萄   遅足
 「手のひらに包む山河」という表現が、「黒葡萄」と巧く響きあっていて、瑞々しさが感じられます。

満月や劇中劇が始まりぬ   ジョルジュ
 「劇中劇」は劇を演じることが、ある劇の筋立ての一部として演じられている場面。満月が効果的です。

冬制し皇帝ダリア高らかに   大川一馬
 皇帝ダリアの花は大きくて、背の高い茎の上に咲き誇っています。まさに冬を制するかのように。

どんぐりを片掌にあつめ社長かな   葉家
 誰にでも童心があって、団栗を見ている社長の笑顔が見えるようです。

新米を研ぐや溶けさう刺さりさう   えんや
 新米を研いでいるときの様子の「溶けさう刺さりさう」で、瑞々しさが感じられます。

根深汁呼べば藤枝梅安来   伍弐拾
 鍼で人を生かし針で悪人を葬る、仕掛け人の藤枝梅安は、「根深汁」と相性が良さそうです。

ビッグイシュー300円なり今朝の冬   三人水
 ホームレスが売る雑誌を「ビッグイシュー」といいますが、カギカッコを入れたほうがいいのでは。「今朝の冬」という季語で、寒々しい現代の世相がよく表現されています。

食卓にひとつ吐き出す柿の種   山渓
 「柿の種」というと、おかきの「柿の種」という人が多くなったらしい。もちろんこの句は、果物の、柿の種をひとつ吐き出したのですが、その種がため息のようで面白い。

東屋に不貞寝してゐる冬帽子   たか子
 公園の東屋で天井向いて、ふて寝ている男の姿を想像しました。冬帽子が暖かです。

鶏のふりして冬へ出て行けり   ∞
 「永き日のにはとり柵を越えにけり」不器男の句を思い出しますが、冬へ出て行く様子を想像すると、赤い鶏冠が、ぱっと眼に浮かびました。鶏のふりをして出ていくのはユニークです。

橙やお寺で開くオペラ会   紅緒
 熟した橙が明るく輝き、お寺で開くオペラの華やかな様子が目に浮かびます。

【気になる俳句】

底冷えや檻のゴリラの抱き枕   葦人
 「ゴリラの抱き枕」が面白いです。「底冷え」だとあまりにも寒そうなので、季語を変えてみてはどうでしょうか。

黒々と制服を吐く秋の暮   吉井流水
 この句も中七までが面白いのですが、「秋の暮」では制服の黒がすっきり見えてこない気がします。「冬の朝」だと制服が生き生きとしてきますが。

人肌で呑むおじさんはアトム好き   テ・ル・ルル
 アトム好きのおじさんがいいと思いました。季語の「温め酒」を用いて、リズム良く仕上げたほうがいいように思います。


2011年11月16日
岡野泰輔ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 明日は江ノ島へ吟行です。晴れるといいんですが多分大丈夫でしょう。吟行で目に入ったものをさっと句にするというのがどうも苦手です。岸本尚毅がかつて「恒信風」という同人誌のインタビューで「写生というのは景色が飛んで来そうなところに言葉を立てて待っていることなんです」と言っていたそうです。(サイトからの引用で、実際に読んだわけではありません。ですから前後の文脈も不明ですが)うーん、言葉を立てて待つか・・・明日は。

【十句選】

手袋の架かる電線冬桜   茂
 たしかにこのような景色を見たことがあるなと思いました。不確かなんだけど見たような気がする。工事の手袋なんでしょうか、モノとしてのリアリティがあります。電線に架かった凧とか、紐とか、我々は既にたくさん見ている、その記憶が手袋のリアリティを補強しているのでしょうか。上五中七までの言葉がゆるぎないだけに、ここでは季語「冬桜」が少し嘘くさく、不安定。視線は手袋だけに向けておきたいのですが。

晩秋といふハミングのやうなもの   今村征一
 AはBであると定義しています。こういう俳句の型はあるような気がします。 ここで見逃せないのは「といふ」「のやうなもの」の冗長とも思える語法の効果です。残りは晩秋とハミングしかありません、というかそうしています。残った二つの言葉、晩秋とハミングが≒で結ばれることに共感できるかどうかがこの句の分かれ目です。私は共感しました。二つが離れすぎても分からないし、近すぎたら興ざめです。ハミングのメロディーは読者それぞれに楽しめます。

寝返りをうって全身月の猫   遅足
 猫は実に気持ちよさそうに全身で伸びをします。まずその図を思い浮かべました。でも実はこの句がよく解っていません。寝返りをうったのは猫なのか、私なのか、あなたなのか、誰なのか?月夜の屋根の上の猫も魅力的ですが、あなたが月光を浴びて猫になっている図も捨てがたい。いろいろ読めてしまうのはこの句の場合欠陥なのでしょうが、描かれた世界が何れも魅力的なのでいただきました。

神の留守妻には妻の旅鞄   啓
 神は出雲に旅立って留守、その間にこちらも旅をしてしまおうというわけで、この季語を上手に使っておられます。歳時記には神の留守のあいだの神社周辺のもの寂びた景を詠んだ句が多いのですが、もうそんな句は要らないですね。
 「妻には妻の旅鞄」は当たり前のようでいて、夫の弾んだ気分が出ていて、いいのではないでしょうか。あまり妻、妻、と言われると鼻白んでしまうのですが、このくらいなら。仲良くていいですね。

悴んで心小さき海鼠かな   雪男
 海鼠の擬人化か、海鼠に投影した自画像か。句全体に自嘲の気分が色濃く蔽っています。悴むも、小さきも、マイナス方向の言葉になっていますが、それがこの場、むしろ魅力です。「心小さき海鼠」とは素敵なフレーズ、印象的です。
 海鼠自体にこのような詩想を誘発するものがあるのでしょうか。

深秋の夜の薄つぺらなるテレビ   せいち
 表面上の句意は薄型テレビですよね。「深秋の夜の薄型テレビかな」でもいいわけです。「薄っぺら」という措辞一発でテレビがテレビ番組へと換喩化されます。たしかになあ・・・と共感の溜息でこの句を読みました。特に民放地上波の薄っぺら具合はひどいですね。とかいいながら、さっきまでお笑いオリエンタルラジオ藤森慎吾のチャラ男芸を見ていました。句としては深秋の深と薄の対比も効いています。あくまでも外形としてのテレビの薄さから読んでいき、番組内容の浮薄さがやるせなく立ち上がってくる、という読みがいいと思います。

ラフランス論語読む会始まれり   和久平
 今や全国でこの手の読書会が開かれているのではないでしょうか。いわゆるカルチャー教室はもとより、先生を置かず、同好の有志だけでつくる会も多いようです。「論語読む会」とはいかにもで、納得です。暇が出来たら一度通読してみたいという古典は誰にもあって、この「論語」などはその典型なのではないでしょうか。このような句は読む本に何をもってくるかが肝で、ここがあまりマイナーですと説得力を持ちません。さて、ずーっと言及を回避してきた上五「ラフランス」ですが、正直いって困りました。この離れ方がいいような悪いような・・・と、煮え切らないんです。はい、結論は離れ過ぎで、句の印象を拡散させてしまっていると思います。

背伸びして手を掛けてみる鰯雲   岡野直樹
 ガリバーか?と思わせる大胆な句作りに一票。鰯雲にはそうだなと思わせる実質があります。たしかに空一面に拡がった鰯雲はその広大な平面性が強調され(雲の天井)、手を掛けてみるという思ってもみなかった発想が無理なく共感できます。子どものつくる童心の俳句とすれすれですが、手が届きそうとか、手を掛けたい、とせずに実際に手を掛けてしまったところで、成功したと思いました。

鶏頭花着払いにて恋届く   あざみ
 秋の日に映える燃えるように真っ赤な鶏頭と恋の取り合わせは悪くないですけど、まあ普通。恋が手紙とか荷物のかたちで送られてくるのも悪くはないがびっくりはしない。じゃあなぜ採った?といわれそうですが、この届いた恋が着払い指定であるところに立ち止まってしまいました。本当にこの「着払い」だけなんです、この一語が鶏頭と恋のありがちな世界(ここは類型に押さえた作者の作為か)を俄然面白くしています。着払いによって、この恋の送り主のキャラクターを読者は様々に楽しめます。ちょっとした謎を提示するだけで後は読者がそれぞれ完成する、俳句はそういう文芸でもあります。

毛糸ほつれています珈琲うまいです   草子
 これも読者の想像の余地の多い句です。毛糸のほつれたセーター(多分)を着ているのは誰?女?男?ここはどこ?私は静かな喫茶店を想像しました。ほつれといっても本人には気がつかない小さなほつれ。それを見つけるのですからこの句の語り手のセーターの人物への関心がうかがわれる、そう読んでもよい。その人の性別はどちらでも、それなりのシチュエーションを楽しめます。
 ですますの脚韻で対にされた毛糸と珈琲はよく似合っています。

【予選句】

古九谷の五彩鏤め紅葉谷   山畑洋二
 「五彩鏤め」で字面も含めて全体がごてごてしてしまったか。

君佇ちしあたり翳あり暮れの秋   涼
 君は居ないということか?暮れの秋は暮の秋の方が。

芋焼けば隣家に物音起こりけり   葉家
 世界はバカバカしい因果に満ちている。

通院のどの近道も末枯るる   えんや

朧月不味くはならないボンカレー   伊賀づだぶくろ
 目立ちました。わりと好きです。でも季が春なんで、そこで予選止まりとしました。

「以上でよろしかったでしょうか」文化の日   せいち
 これは困った、でもとても気になる。この延長上に何かある。

白地図のここより花野とおりゃんせ   ジョルジュ
 白地図に幻のように花野が現れて、遠く童謡が聞こえてくる。いいです、十句に入ってもよかったです。

どんぐりをたどってゆけば音楽会   泰
 森の音楽会、メルヘンの世界と読みました。

道標曲がつて小さな冬がくる   くまさん

湖にホテルの灯り初しぐれ   恥芽
 平明すぎるくらいな風景描写。でも初しぐれの景として魅力的。

胡桃割る胡桃の闇を諸共に   B生
 〈胡桃割る胡桃の中に使はぬ部屋  鷹羽狩行〉の本歌取りにしてはそのままか?

コスモスのガールズトーク盗み聞き   岡野直樹
 日差しと笑い声の明るい景。

秋思ふと同じ頁に行き着いて      たか子
 どんな本なのか、想像している。

古文書の一語解かるる水の秋   たか子
 現句は「解るる」になっていましたが、「解かるる」の意かと。古文書の埃っぽさと澄んだ秋の水の対比が鮮やか。

秋蝶来一等兵のままの墓碑   戯心

ヒロインはわたしみたいな秋の雲   あざみ
 無防備な風通しのよさ。

筵敷く女庭師の松手入れ   山渓
 そのまんまの写生なんですが、景色が見える。

茶の花や昔医院の垣長し   山渓
 茶の花がいい感じですが「昔医院」という言い方に無理がある。

わたしたち黒い瞳よ鷹渡る   紅緒
 北から鷹が渡ってくる、ということはロシア民謡?のあれですか?そうだと「わたしたち」という措辞もよくわかる。

介護とは子育てに似てあかのまま   紅緒
 そうですね。ストレートですが、あかのままで救ったか。

すじ雲や退院というセレモニー   余一
 退院の情景がうかびます、すじ雲が効果的。

ままごとのコップくるりとまはる菊   余一
 菊一輪がくるりまわる一瞬、いいです。「ままごと」がいいかどうか?


2011年11月9日
えなみしんさドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 とても個人的な事ですが、2週間ほど前に、胆石の手術をしました。現在、腹に穴が4つ空いたまま(テープでとめてある)なので、笑うと腹が痛い状態がつづいています。ところが、突然、間寛平のギャグを面白く感じるようになってしまいました。寛平ちゃんが、パワーをおくるウンバラバーを聞いていると、その度に抱腹絶倒。苦しくてしかたありません。手術して感覚が変わるということがあるのか。ちょっと怖い気もしながらの鑑賞です。今週は192句。自分との会話もしながら、読んでいきたいと思います。

【十句選】

寡黙して妻の後追う秋遍路   しゅう
 秋の暮れ、夫婦の遍路。寡黙な夫。下手から現れて上手の妻をおいかけて暗転。虫の声まで聞こえて、まるで芝居の中の一場面のような情景だと感じました。「寡黙して」がややこなれの悪い日本語ですが、ここでは効果的です。

言い訳はブドウを食べた後にする   山本たくや
 ブドウはおいしい上に、食べるのに口のあらゆる部分を駆使するので、話をしている暇がない。そういう事もありますが、人間はとりあえず目先の事に追われているという事でもあります。言い訳なんて、その程度の事でして。幸せな事があると、何で喧嘩していたかも忘れてしまったりしますもんね。

筆の穂の曲がつて乾く文化の日   まゆみ
 台湾に行った時に、日本は休みが多くていいですね、と言われたことがあります。この文化の日は、11月3日。日本国憲法が発布された日でもあり、明治天皇の誕生日でもあります。(憲法が施行されたのは5月3日の憲法記念日で、この日も休み)。文化も、文化の日のネーミングも、なにやら怪しげ。そんな気持ちが込められています。筆の穂をとりあげたのも、記念日にふさわしい。

稲刈りて棚田に作る芝居小屋   邯鄲
 これは事実か、フィクションか知りません。でも、田が作る共同体意識は、わたしのような都会暮らしの人間には分からないものがあるように思います。能登や十日町で見た美しい棚田のオマージュと受け止めました。

即席の味噌汁に浮く新豆腐   えんや
 即席をインスタントと読みました。インスタントの味噌汁に新豆腐はないだろうと思うのですが、日本の広告ならやりかねませんね。お手軽文化をカリカチュアした句とも取れるし、旬の味はもうインスタントの中にしかないのよ、という嘆きとも取れます。

林檎買うなかの一つは眠り姫   遅足
 「ほんとは怖いグリム童話」という本があります。ほとんど覚えてないのですが、元々の話は性的倒錯や死体愛好趣味なども混じり、ちっともかわいい話ではない。その代わりに、とても怖かったり、面白かったりします。毒林檎と言えば、白雪姫。眠り姫は、眠れる森の美女で別の話なんですが、グリム童話の世界を生き生きと表現していて素晴らしい。

どの窓も空に飛び立つ小六月   啓
 小六月というのは、旧暦10月の別称だそうですが、まるで旧暦6月のような気候だな〜というニュアンスのある表現でいいですね。この句では、その空に、窓が飛び立というとしている。窓が飛び立つ、という発想がいいですね。下から見上げているわたしも、空に飛び立ちそうな、そんな情景を思い浮かべます。

街道に「左いせみち」萩ゆるる   川崎洋子
 この句がいきいきとしてるのは、「左いせみち」のひらかな表記だと感じます。それは、幕末の「ええじゃないか」に代表されるような、大衆のエネルギーや、庶民の楽しみだったお伊勢さんをイメージさせてくれるからです。街道、道標、萩、時代劇みたいなしゃれた設定です。

そんなこんなでひと好きになり温め酒   あざみ
 「人肌」という言い方もありますね。「温め酒」という表現も、物理的にホットだという以上のニュアンスがあります。それは、どんなニュアンスかというと、この句の頭からの12文字(じゃなく14文字です)のような事です。季語からの発想の句だと感じました。

売る気なきをとこ林檎を齧り売る   今村征一
 軽トラにできそこないみたいな果物積んで、駅の側などで売るともなく売っている。わたしも、良く見かけます。こういう風に、みかけた風景を17文字に活写する力。わたしに足りないものなので、大いに敬意を表したいと思います。「売りにけり」ではなく「囓り売る」が良い。

【次 点】

コスモスやおっとり受ける投げキッス   ジョルジュ
 どういう男女(あるいは親子)なんだろうか。コスモスだから成り立っているような。

木守柿一つ任命碧き空   大川一馬
 「任命」が上手。上5、下5が入れ替えられる形なのが弱点か。

散歩する犬にも愁思あるらしく   大川一馬
 犬と人間の関係とは、こんな風かも知れません。視点が面白かった。「秋思」なのでは。

おちびさん魔女帽脱いで葡萄食ぶ   大川一馬
 「おちびさん」がかわいくもあり、客観性を欠くようでもあり。

邯鄲を図鑑と地図であらためる   大川一馬
 地図が出てくるのは、中国に「邯鄲市」があるからのようなのです、実は。

子の囃子日々調いて祭りくる   幸代
 地方を旅していて、こんな風景を見かけたことがあります。実感。

わが村の後期高齢運動会   邯鄲
 「後期高齢運動会」が妙に韻を踏んでいて面白かった。

シャガールの馬も嘶く星月夜   洋平
 絵画俳句。すでにありそうな気がする句ですが「嘶く」がぴったり。

競ひ合ふ海を隔し秋二つ   戯心
 大きな俳句で、十選にするかどうか迷いました。「競ひ合ふ」がわたしには響かなかった。

猫の尾に振り払はるる秋の蠅   えんや
秋の蠅の弱々しさを猫の尾で、上手に表現している。

【選外の句】

枯枝の同じところに小鳥来る
 ・・・言われてみればそんな気がしました。

利き足で蹴る物多し冬の鵙
 ・・・面白かったのですが、意味がとりにくい。

そこはかと雨の匂ひや藁こづみ
 ・・・風情のある句だと思いました。

空中のプランクトンだトンボ群
 ・・・大げさ。こんなにトンボがいた頃が懐かしい。


2011年11月2日
朝倉晴美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 秋、秋、秋!秋一色ですね。投句も、さまざまな秋を堪能致しました。堪能というよりも、気づかされることの多い句の数々でした。毎回、ありがとうございました。
 失礼ながら……2カ月ほど、ここで、お会いしないうちに、レベルをずいぶん上げられたなあ、というのが一読目の所感です。そして、とてもうれしくなりました。自分の句が上達するのももちろんうれしいことですが、このように接している方々の句が上達なさることの喜びを感じました。わたくしも負けてはいられません。秋も終盤になってまいりましたが、詠めるだけ詠んで、何かを掴みたいと思っているところです。
 (この度は、十句選、次点句、そして、選外から一言、という評にさせていただきました。勝手ながら、ご了承くださいませ。)

【十句選】

一隅を照しかけたり曼珠沙華   伍弐拾
 〈つきぬけて天上の紺曼珠沙華 山口誓子〉 一隅と、天上。どちらも魅力的です。強烈な季語であるにもかかわらず、このように、さまざまな視点をもって詠めることを見せて下さっています。誓子は、「紺」と色を用いることによって、色のコントラストで句をまとめているようです。かたや、伍弐拾さんは、「照(ら)しかけたり」と動きを(もしくは時間の経過を)、句の焦点とされています。
 どちらも素晴らしい、秋の一景。そして、そこにあますことなく、人の心が見えてきます。

宵闇へ向かいて並ぶ飯茶碗   ジョルジュ
 あえて難を申せば、なぜ、茶碗が宵闇に「向いて並ぶ」のか分からない、となるのですが。そこは、省略の文芸、俳句として鑑賞したいところ。
 〈宵闇の裏門を出る使かな 高浜虚子〉も、宵闇の使の人物像に迫る思いで句を作ったと思われますし、掲句も、飯茶碗を使う人物に思いをはせたいと思います。

小春日や猫に十色の癖のあり   遅足
 小春日と猫は似合いすぎるほど似合っています。いわゆる付きすぎですが、「十色の癖」が勝因です。たくさんの猫たちを人間になぞらえる妙。そうすると、見目麗しくない猫もおり、憎々しい性格の猫もおり、と楽しい猫ワールドに誘ってくれます。結局は、人間もそんなもんさ、というオチもありそうです。
 こちらも猫と小春の句。〈猫の眼に海の色ある小春かな 久保より江〉

即答が出来ぬ月夜の伯父と姪   コッポラ
 ああ、まるで我が家の実景のよう・・・と思わせる力のある句です。(実際、うちの一族も叔父と甥が喧嘩中)。月夜であるから、「伯父と姪」が似つかわしいように思えます。明朗な夜であるのに、即答が出来ない二人。日常が、情感豊かに句になっていると感じます。

秋茜壁一面のミックジャガー   B生
 秋茜とミックジャガーの取り合わせを賞賛。ミック・ジャガーはマイケル・ジャクソンほどの知名度はないにしても、まずまず周知されていると判断しました。ただ、解釈にブレがあることを容認できるかどうか、です。部屋に入ってきた秋茜なのか、ミック・ジャガーは壁に貼られたポスターなのか、など。
 〈赤とんぼとまればいよゝ四辺澄み 星野立子〉

先生に妙な癖あり通草の実   茂
 〈あけび熟れ文は三くだりにて足れり 橋關ホ〉
 どうやら、通草の実というものは、面白いものと取り合わせると成功するようです。たぶんに、通草の実そのものが、ちょっとユニークだからでしょう。深刻さが似合わない果実、とでも表現しましょうか。(では、深刻な果実って何、というと柘榴や水蜜桃などでしょうか。梨は真面目な果実という気がします。)でも、秋の野趣に富んだ味覚ですし、蔓はさまざまな工芸品に。漢方薬にも多用される植物です。そんな、多芸多才な通草であるのに、滑稽。それが魅力となって俳句に生かされています。

人生の岐路に立たされ猫じゃらし   泰
 〈秋はまづ街の空地の猫じやらし 森澄雄〉
 猫じゃらしは、重要事項です。秋は必ず、猫じゃらしで、誰かをくすぐらなくては。でも、人生を賭けるほどではありません。しかしながら、人生に迷ったときは、猫じゃらしの傾く方を選んでもよいかもしれません。猫じゃらしに決めてもらったら、後悔しない気がしますし。
 楽しく、心豊かに読める二句です。

家族という枠におさまる青みかん   岡野直樹
 やはり、みかんは家につくのか・・・やっぱり猫と同じか・・・なんて、思ってしまいました。しかしながら、掲句は、「青」みかん。ただのみかんにはない、屈折感が魅力です。
 〈嫁がねば長き青春青蜜柑 大橋敦子〉
 こちらも、私にはとても魅力的です。未婚であろうと既婚であろうと離婚であろうと、この「青蜜柑」の気持ちは、全女性の実感です。

十月やひるの小径に種拾う   KQ
 〈十月の日影をあびて酒造り 飯田蛇笏〉
 蛇笏のいう人は、〈芋の露連山影を正しうす〉にも見られるように、食べ物の捉え方が見事です。KQさんの句も、「種」というものの捉え方がお見事です。十月という秋深い時候。たぶんに真昼である小径。その種は異次元にさえ誘ってくれそうです。

遺言に書くものありや穴惑ひ   紅緒
 穴惑いから、離れた事象(=遺言)を取り合わせ、そのうえ、「書くものがある」という俗なところに魅力があります。遺言や葬儀などは、あっさりと何もない方が、人品上等な雰囲気がありますが、やっぱり言いたいことは言った方が良いだろうし、上品ぶってばかりもいられません。私たちは、世俗に生きているんですもの。世俗って悪いものではないと思うんですね。
 「穴まどひ」、参考の一句は、誓子の妻、波津女さんを。ちょっとした、日常をユーモラスに描き、幸せ感もあります。
 〈穴まどひわれにおどろくわれもおどろく 山口波津女〉

【次点句】

落葉松を急ぐ色鳥沼暮色   まゆみ

実柘榴の弾けてわが家は一人っ子   三人水

稔田が「はやぶさ」の窓横つ飛び   葦人
蒟蒻の泥芋宇宙人に似て   葦人

甲高き子らの叫びに木の実落つ   いっせつ

ホイッスルの合図確かめきのこ狩り   津久見未完

口ずさむごと深まりて秋のうた   涼

虫の闇にも縄張りのありぬべし   今村征一

ピアスしてポッキーの日の初デート   山本たくや

ピアニシモに叩きて残る鉦叩   きのこ

コスモスの地面みんなこちら向く   滝男

コスモスや王朝滅ぶとき乱れ   伍弐拾

コオロギやひとりぼっちの二十畳   ジョルジュ

延命の措置は要らぬと今年酒   隼人

そこかしこ南瓜提灯急にふえ   大川一馬

心臓はみつかったのか赤とんぼ   伊賀づだぶくろ

金の雲銀の雲生れ朝芒   山畑洋二

松茸よりエリンギが好き六十歳   すずすみ

飛ぶはぜるくっつく食べらる種の旅   豊田ささお

砂に引く平面図が愛秋の雲   輝実江

地球儀をゆるり回すや雁渡る   邯鄲
林檎剥く左ぎつちよの早さかな   邯鄲
燕帰る山手線の駅育ち   邯鄲

ヴィオロンの蔦文様や秋深む   啓

輪唱のなかのソリストちんちろりん   素秋

一日に五便のバス停をみなへし   たか子

猫消えて泡立草の輝いて   ∞
葬式の話はずんで秋の昼   ∞
秋の雨夜の湖面を研磨する   ∞

荒れ畑を守る猫ゐて柿たわわ   とほる

ぶっきらぼうの手が結うリボン赤のまま   草子
自転車を男乗りして刈田道   草子
切抜きの束処する日の小春かな   草子


【一言アドバイス】(選外の方から)

魔女ルックの店員照れて十月尽
 「照れて」が不要。感情を直接表現する単語(例:うれしい、かなしい)は、原則避けると良いです。五七五にもったいないですから。

照紅葉愛でて岩魚にかぶりつく
 「愛でて」が不要。愛でているからこそ、俳句にしているわけですから、違う表現が求められますし、それによって、より読者に情感が伝わることでしょう。

真紅なる林檎ひとつを裾分けに
 「裾分け」では当たり前すぎて、平凡になってしまいます。どんな、おすそ分けだったのでしょう。自治会の集金、とありましたが、それならば、それを具体的に詠みこんでみましょう。「集金のおつりは林檎深紅なり」など。

青空や風の峠の草紅葉
 「青空」「風の峠」「草紅葉」、たくさんのステキな言葉で、読者はちょっと溺れてしまいそうです。言葉は、対比によっても生きてきますから、どれか一つに絞って、まわりは、その言葉を生かす言葉でうめていきましょう。

天高し日の山噴きて海へ果つ
 眼前の風景をとても丁寧に描写されています。その表現力は、俳句には不可欠なのではありますが、情景描写だけになってしまうと、読者がおいてけぼりです。作者の心を揺り動かした感情は何か、を読者は知りたいと思っているはず。そして、追体験を望んでいるのです。

妻の留守厨も寝間も火恋し
 「火恋し」が残念。留守中ですから、「火恋し」は当然。きっと、愛妻家であることも承知。そこで「火恋し」ではなく、妻がより魅力的に見える言葉があると、とても愛しい句となることでしょう。

沿線にずらりと案山子コンクール
 「ずらり」よりも、案山子の特徴を詠まれてはいかがでしょう。案山子が魅力的に伝わる句に。きっと読者も楽しいはず。

案山子立つ本家の嫁にさも似たり
 惜しいです。お嫁さんと案山子が似ているなんて、ちょっとユーモラスで良い感じ。秋の豊作も感じられるよう。「さも似たり」より、もっともっとユーモアのある表現を期待します。

伸び縮み萎み膨らみ椋の群れ
 とてもお上手に詠まれていますが、その「椋」に対する情感が弱い気がいたします。リフレインの魅力が生かされきっていないかもしれません。「椋群れて伸びて縮みて膨らみて」も一案です。

校庭を越してどこゆく蜻蛉かな
 「校庭を越して蜻蛉は明日へと」などとしてみました。「どこゆく」という漠然とした投げかけよりも、具体的な視線が良いのではないかと思いました。

リンゴ剥く皮は切れずに五尺なり
 リンゴの皮が「五尺」という点が面白いですから、もっとおもしろくいたしましょう。「リンゴの皮」に「五尺」ですと、「剥く」も不要になります。

屋上の鷺秋空へ七変化
 「七変化」が、俳句では常套かと感じてしまいました。「屋上の鷺」はオリジナルで良いです。

古文書の一語解けたる夜長かな
 「夜長」が付きすぎてしまって残念。夜長を楽しく感じさせる季語などいかがでしょう。

秋の蚊と同居を始め二日経つ
 語順を推敲なさると良いかもしれません。「二日目やわれ秋の蚊と同居する」など。

冬に入る山家の薪のうづたかし
 「うづたかし」ではなく、もっともっと山盛りである薪の様子が欲しくなりました。たっぷりの薪が描写されることにより、冬の山家の楽しさ(本当は厳しいのでしょうが)が伝わる気がいたします。