「e船団」のドクターがあなたの俳句を診断したものです。


2012年8月29日
星野早苗ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 先日、船団の会で上梓した『季語きらり』の出版記念会がありました。
 その第二部のシンポジウムで、冬の部の「おでん」に収録された

 コンビニのおでんが好きで星きれい  (神野紗希)

 について、「コンビニの」を冠されたおでんは、無季ではないか、と話題になりました。
 コンビニのおでんを買って帰るときのささやかな幸せを、「好き」と積極的に表明したところに、「星きれい」も付き従うこの句は、幸せの二重奏、若々しい自己肯定感溢れる句だと思います。けれども、コンビニの唐揚げやカップ麺ではなく、おでんが選ばれたところに、作者の個性だけでなく、冬の季感もたっぷりと盛られているのではないでしょうか。凍てつくような冬の夜だからこそ、コンビニのおでんの温かさに救われるような気持ちになったのでは、などと考えて、おでんの季語としての横綱ぶりを感じさせられました。
 今年の残暑は、高気圧の二重奏からだとか。はやく、おでんのおいしい季節になってほしいですね。
 さて、今週は、212句の中から。

【十句選】

馬の背の鎬をけずる夕立かな   太郎
 山の尾根を「馬の背」と呼ぶこともあるようです。(もちろん、実際の馬の背として読んでも、魅力は変わりませんが)尾根の急斜面を削り取るように降る激しい夕立。鎬は「刀身の刃と峰との間を一線に走る、少し高くなった部分」で、「鎬を削る」を、文字通りの意味で使われたところが面白いですね。光景が眼前し、臨場感を感じました。

霧流る山の高きに濯ぎもの   きのこ
 霧の流れる山と濯ぎものとの取り合わせ。登山して、谷間の幻想的な霧の景色から目を上げると、ずっと高いところに、洗濯物が干してあったのでしょう。高山にも人の生活があるのですね。

フェリーニの女が坐る西瓜喰ふ   B生
 フェリーニは、イタリアの映画監督、フェデリコ・フェリーニ。「フェリーニの女」は『道―La strada-』 の主人公ジェルソミーナだと思いました。純真、素朴な旅芸人、ジェルソミーナのような女に西瓜はよい取り合わせだと思います。

一分の祈りかなかな時雨かな   今村征一
 黙祷を「一分の祈り」と表現されたところに、いろいろなことを感じさせられました。一分という短い時間は、死者に捧げる時間としてけっして充分ではないでしょう。けれども、生活者には、それでも貴重な祈りの時間なのです。一分間の静寂の中を、透き通ったかなかなの声が、天上から降るように響いています。

刺青や女子決勝の黒水着   大川一馬
 オリンピックの女子水泳の決勝戦に刺青をした選手がいたのでしょう。ヨーロッパでは、若者の間に小さな刺青を入れる習慣が広がっています。黒水着に選手の真剣さが感じられる、国際色豊かな一シーン。大阪では刺青談義がありましたが、世界は広いのです。

苦瓜の育ち風ある夕べかな   紀子
 省エネで、打ち水や緑のカーテンが推奨された今年の夏。苦瓜(ゴーヤ)は、食べても健康に良いので一石二鳥ですね。苦瓜がよく育ち、緑のカーテンが完成した窓辺に夕方の風。「涼しい」という言葉を使わなかったのがお手柄の句です。

野分きておはなし会の膝近し   啓
 夏休み、公民館や町の図書館では、絵本を読み聞かせるお話会が開かれています。図書室の絵本コーナーには、床に座って絵本を楽しめるよう、カーペットを敷きつめたスペースがあります。お話会もそんな小さなスペースで開かれているのでしょうか、膝を折って集まった子ども達と対面する嬉しさが感じられます。窓外の嵐もなんのその、ですね。

叔母の手を巡り遺品の扇子かな   草子
 お母様の遺品の扇子が、伯母様から作者に返されてきたのでしょう。当時年若かった(子どもだったかもしれません)作者が、やっとその扇子の色柄の似合う年齢になられたのだと思います。扇子を手にする作者に、叔母様たちは在りし日の姉を偲ばれたのではないでしょうか。

蛇の衣手にしてあいつとほざかる   たか子
 ヘビの抜け殻を平気で手づかみしていく「あいつ」には、遠い日の悪童の俤があります。「とほざかる」の惜辞に、野山で遊んだ幼い日々が遠のいていく、という作者の感慨が込められているように思いました。

凌霄花のぼりつめたら海を見よ   紅緒
 凌霄に「のぼりつめたら海を見よ」と呼びかける作者は、 旺盛な生命力で蔓を伸ばし夏中咲き継ぐ、この花に、親近感を感じておられるのでしょう。読者の視線も咲き上る凌霄花につれて、上へ上へと上っていき、最後に広い海に解放される一句です。花の緋色と海の青のコントラストも鮮やかですね。

【その他の佳句】

夕闇の真つ直ぐ通る彼岸花   鉄男

手花火や明日あることはかなしかり   B生

捜し物は晩夏の海に落ちている   凡鑽

瑠璃タテハ夏の木魂の中をゆく   豊田ささお

土の色残りて八日目の蝉よ   たか子

真鰯の真青の背に旅路あり   紅緒


2012年8月22日
早瀬淳一ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 夏と言えばバーベキュー。先日家族で、三木市の三木山森林公園というところでバーベキューしてきました。各サイトが木々で隔離されており、隣を気にせずにのんびりと楽しむことができました。公園内にはフィールドアスレチックや広い散策道などもあり、子供さん連れにおすすめです。
 夏はあたりまえですが暑く、どうも俳句モードから離れてしまっています。でも、そろそろ夜は少し秋の気配もしてきそう。ぼちぼち俳句を作っていきたいですね。今回もたくさんの俳句ありがとうございました。では、十句です。

【十句選】

腰に差す踊団扇も躍りだす   今村征一
 も、をが、にされては。も、だと団扇が踊り子と一緒に動いているので当たり前。が、だとあたかも団扇だけが夜の闇の中で踊っているようで、少し奇妙で面白い。下五で躍りの字を使われていますので、ダイナミックな盆踊りが想像されて、雰囲気がよく伝わりますね。

すぐちびる2B鉛筆敗戦忌   せいち
 4Bだともっとすぐちびるけど、線の印象が荒々しすぎる。2B鉛筆は、字にもデッサンにも使えて、便利。そんな鉛筆で、夏休みの宿題か仕事の残りをやっていると、すぐちびて短くなり持てなくなったりする。なんでもない静かな情景と敗戦忌がつかず離れずで、よく合っていると思います。

とぐろ巻く胡瓜もありて今朝の秋   ゆきよ
 これは農家の方か、実際に目の前にあるかじゃないとできない句でしょうね。スーパーの胡瓜はまっすぐのものばかりですが、厳しい気候の地の胡瓜はたくましくぐるぐる巻き込んでいるのでしょう。も、ですから、いろんな形の胡瓜や他の野菜も見えて、いい今朝の秋の時間です。

釣糸のぴくともしない原爆忌   豊田ささお
 ぴくともしない、がよく効いています。魚も全く近づかない。風も凪でそよともしない。太陽だけがじりじりと照りつけて、釣り人の首筋から汗が糸を引いていく。そんな暑い、重苦しい雰囲気が、原爆忌の静かさと響きあっているように思います。

手向けたり3千本のひまわりを   さくら
 佐用市などのひまわり祭りでのデート(?)そこで、この3千本のひまわりを差し上げるよ、という豪快なユーモアというか、ギャグかな。このくらい大げさなカリカチュアした言い方は俳句にあっていると思うし、楽しいと思います。上5がやや硬いので、君にやる、などとしたら、若い感じが出ますね。

出身地は自転車になる蝉の殻   岡野直樹
 今の季節、死んだ蝉がよく転がっています。蝉は死ぬと土に帰り、地面が蝉の出身地。でも、死んだ蝉が自転車の前かごか荷台の上に転がっていたのでしょう。そのことを、ああ、この蝉の出身地は自転車か、と捉えた柔軟な視点に関心しました。蝉の殻、は正確には脱皮した殻でしょうが、この場合、死んだ蝉でいいと思います。

秋立てり少し遠のく巨船かな   たか子
 巨船が出航したのなら、少しずつ小さくなり続けるはずですから、少し遠のいてそこにある巨船というのはあり得ません。すなわち、秋が立って、日の光もやや弱くなって、空気も少し澄んできたようなときに、停泊中の巨船が少し遠のいたような気がした、という感覚の句だと思います。立秋の感じがよく出ています。

人間を休みたくなる冷奴   素秋
 中七で切れています。夕方の冷奴の皿の前にいると、暑かった一日の疲れも忘れてホッとし、思わず二,三日人間から離れて、何か別のものになりたくなりますね。とても共感した句でした。人によって、何になるか考えるのも楽しいですね。私は平凡ですが猫です。

せりせりと楽屋のお岩かき氷   素秋
 川柳と紙一重の句です。どこかの田舎芝居の会場で、幕前か幕間の楽屋で、お岩役の人が装束・化粧もそのままにかき氷をスプーンで崩しています。滑稽感・臨場感があります。四谷怪談を演じるとたたりがあると言いますが、お岩さんもかき氷どうぞ、と一言添えると、容赦してくれそうです。

鮑焼く消防団の団長と  あざみ
 田舎の少しとぼけた感じが出るので、私も時どき消防団などを俳句に使いますが、なにせ実体験がないから弱い。この、鮑焼く、はとてもリアリティーがあり、消防団のほのぼの感とよく合っています。しかも、団長だけで他の団員はいないというのも、さびしいやら可笑しいやら。

【予選句】

声明を唱へるやうに法師蝉   葦人
 法師蝉の季節ですね。声明と法師が洒落のようで面白い。

蜜豆や匙に五つの色を乗せ   涼
 涼しげな感じで、いいですね。

落日を支えに行かむ夏の果て   涼
 落日を支えるという表現が面白い。

フオークの銀叉鋭き溽暑かな   涼
 又鋭き、を鋭さを増す、ではいかがでしょう。溽暑の感じが出ています。

蜜豆のつめたき甘さ淋しけり   涼
 蜜豆は淋しいですね。

わっはっは隣のおばはんあっぱっぱ   凡鑽
 あっぱっぱ、懐かしい。若い人は知らないでしょうね。

棚経の坊主の昼餉Aランチ   凡鑽
 お坊さんが多分一番安いAランチを食べているのは可笑しいです。

鶴嘴を上げたる腕秋の風   学
 秋の風に鶴嘴は意外な取り合わせです。

琉金はスカイツリーの側に置く   学
 スカイツリーが見えるオシャレなホテルの一室に、下町で買った琉金があるのが面白い。

曉紅や杜に膨るる蝉の声   今村征一
 杜に膨るる、という表現がおもしろい。

妙齢の黒を着こなす涼しさよ   今村征一
 妙齢の人の黒っぽい服、好きです。

メロン切るノルマンディーの古戦場   隼人
 古戦場の近くのホテルでしょうか。メロンとの取り合わせが面白い。

新豆腐一徹通す三代目   幸夫
 昔のままの製法の豆腐は美味しいですね。

朝凪や注連の褪せたる神楽岩   幸夫
 堂々たる風景句です。

夏館支柱めぐらし大蘇鉄   幸夫
 支柱めぐらし、がややめずらしい風景に思えました。

夏雲や岩場に続く丸じるし   せいち
 ペンキで描いたものでしょうか。不思議な感じがしました。

ふたつみつよつプチトマトほどの恋   せいち
 軽い感じでリズムもよく、いい感じです。

わが影の先へさきへ展墓かな   えんや
 中七に、さきへと、ととを入れたら字数があいます。影に先導されて、あたかも他の霊たちと墓参りに行くという設定に惹かれました。

水着の子水にひらひらしておりぬ   遅足
 小さい子の泳いでいる感じがよく出ています。

すずしさは母のすずしさ母の郷   遅足
 母の郷に帰ると、気持ち的に涼しさを感じます。

羅やか細き腕に猫目石   太郎
 腕にですからブレスレットでしょうか。涼しげです。

燦々と承知しました百日紅   紅緒
 百日紅が燦々と承知した(ように見えた)と読みました。面白い感覚ですね。

白抜きのLondonの文字秋に入る   大川一馬
 オリンピックでなくても、オシャレなTシャツのようにも読めますね。

すんなりと秋を寝そべる女体山   大川一馬
 山が秋を寝そべる、面白い言い方ですね。

仰向けの蝉の傍ら石の亀   山渓
 死んだ蝉の横に石の亀がいるという、ユーモラスというか、淋しいというか。

朝市の西瓜の味見して回る   山渓
 こんなところがあるのですか。行ってみたい。

火を噴きて青葉若葉のさくらじま   和久平
 火を噴いていても、斜面の緑は変わりなく光り輝いています。

登城門斜めに滑る白き蛇   和久平
 とても印象的な図ですね。目に残ります。

秋声や一途に過ぎる夜の貨車   啓
 一途に行く貨車というのが、真面目というか、いじらしい。

夜食とる仕込終へたる舞台裏   みさ
 準備万端整った舞台裏のほっとした感じが伝わります。

新涼や海野格子の元宿場   みさ
 海野格子がよくわかりませんが、中山道の宿場町を思い出しました。

崖観音地層あらはに灼けいたる   みさ
 リアルで風格のある句ですね。

向日葵や山の麓を焦がしたる   みさ
 向日葵の列は炎のように見えますね。一つの見方です。

新海苔を干すや浦曲の曇りぐせ   みさ
 海苔を干すときになると、癖のように曇るというのは面白い。

雲の影貼り付けている夏の山   岡野直樹
 影を張り付けて、少しでも涼んでいるのかな。

向日葵の用心棒だ子蟷螂   岡野直樹
 子蟷螂の様子がよく見えます。かわいらしい。

目薬をさすと口開く秋日かな   紀子
 秋の一日の感じが出ています。軽みの句ですね。

八月の爪先立ちのヨガの群れ   渡会とも
 こんな光景あるのでしょうか。シュールです。

終戦忌写真直して飾りけり   渡会とも
 静かなもの言わぬ俳句です。いいですね。

三度目の鉢合わせかな夜の秋   茂
 別れの挨拶をしたのにまた会ったりして。こんなことありますね。

画用紙に土俵入りする雲の峰   戯心
 写生の画用紙に土俵入りしてきた雲の入道、面白い見立てですね。

口中の西瓜の種を哲学す   意思
 を、をとにされては。西瓜の種と一緒にする哲学、愉快です。

潮風もくぐり抜けたり茅の輪かな   津久見未完
 茅の輪をくぐった時に、潮風も後ろからついてきた。さわやかです。

幼児の肘より落つる桃の汁   スカーレット
 幼子の桃を食べる様子がよく伝わってきます。

立秋のベンチ少女ら空仰ぎ   とほる
 いつもはかしましい少女も、立秋の頃はふと空を見上げたくなるのですね。

【ひとこと】

◎こうされては?

梨の実やガブリと囓る心有り
・・やは、をでは

みそ汁の蜆は空やとんかつ屋
・・下五を違う言葉にされては

綿シャツに綿パンが好き青リンゴ
・・が好き、を、を着て

処暑といふ黒板拭きで消す罰点
・・下五を、消したもの

つるっ禿入道雲と照り較べ
・・禿頭入道雲と並びゆく

油照り動くともなき観覧車
・・本当は少しずつ動いているのですが、中七を、動かぬままの、とされたら、暑さがより強調されるのでは。

泡あわとシンクの四隅秋たちぬ
・・上五を、つるつるの

雲の峰夕日抱き込み海原へ
・・中七を、夕日を抱いて

街を焼くネオンの華や敗戦忌
・・上五を、街照らす

風の死す夢で逢ひましょまた逢ふ日まで
・・下五を、またの日に

穴あきのジーンズ跋扈敗戦忌
・・跋扈を、歩く

良し悪しは別にして蛇穴に
・・中七を、別にしましょう

◎説明
老犬の落ち蝉見入る虚ろな目

暑さ故ぼんやり静か街の中

蝉に暁け蝉に昏れゆくきのふけふ

ほんとうの雲だけの空原爆忌
・・キノコ雲ではないということですね。

蟻の列原爆二回原発も

蝉の穴抜けて七日の命かな

実の生りし緑のカーテン秋立ちぬ

今日はまた違ふ顔見せ酔芙蓉

◎報告
快き目覚め秋立つ日なりけり

炎天や屋根にソーラー発電機

スタンドを行きつ戻りつ氷菓売

ロンドンへ目覚まし合はせ夏夜明け

雨蛙上目遣ひに吾を見る

晩夏光ユニオンジャックコート埋め

冷房の完備の施設将棋指す

熱中夜胸をはだけて寝ていたり
・・熱帯夜?

木洩れ日を抜け墓原は日の盛り

◎理屈
遠く来て唯足るを知るキャンプの夜

キャンプの荷たためば消ゆるキャンプ村

リハーサルなく夏本番といはれつも

◎言い過ぎ
逞しき二の腕あらは阿波踊

鬼灯や亀虫巧まぬ造形美

船形山に蜻蛉連みし平和かな

すねた児のように枝振る百日紅

◎抽出・具体的に
風抜ける窓辺に冷へて今朝の秋

草いきれ戦後の日本強かつた

蝉時雨やがて悲しき記念の日

◎類想・ありそう
山並みに雲散りながれ秋に入る

末娘の結婚届秋に入る

真夜中の小さき歓声夏五輪・・臨場感ありますが。

草の戸や秋灯滲む厨窓・・なつかしいですね。

鮎釣りの竿のしなるや千曲川

夏霧を透かす日の出や槍ヶ岳

だんじりやははにひかれてをとこのこ・・かなのみは面白いですが

優勝の涙の光る雲の峰

砂礫道ひとすじ光る登山小屋

羅や遠距離恋愛進行中

朝蝉のアーチの中を出勤す

線路にはねこじゃらし生ふ無人駅

日の味を含むトマトを噛りをり

路地裏の低き棚より大糸瓜

やり遂げぬこと多かりき夏の果

◎あたりまえ
街の中静まりかえる酷暑かな

夏草の刈られて放つ香り濃し

老いてなほ漢のお洒落涼しかり・・わかります

語り部の縦じわ深き広島忌

白桃の水はじきたる産毛かな

弱法師駅まで遠き酷暑かな

◎主観
擽れば恥づかしさふに百日紅

黒松は庭の要や蝉時雨

山崩れ跡に乱心夏の蝶

◎言葉がこなれていない
上映前座席静まる冷房館

夏デート殺し文句が出てこない

夕焼けの鉄橋ひかりの列車ゆく

◎ポイントは?・もう一歩
夏の夜の乾く太字のサインペン

夕焼けに羽染まりゆく鳶一羽

ひるがえり水玉こぼすはちすかな

緑蔭や雌牛こちらへ耳を振り

◎よくわからない(言葉の意味)
どおしたんこつちおいない夕端居

金剛の水のあげたる秋の声

老鶯や信濃の湖の水木霊

脇坊主どら打ちならし白露かな

星空にフィリピンバンド暑気払い

キューイの葉つつみていたり秋の風・・キウイですか?

我鬼忌や遠近両用眼鏡買ふ

重き荷を負ひて背曲がる星の竹

このしろは畏まりつつ一周せり

◎よくわからない(俳句の意味)
叱りつつ泣きたる妻の箒草

敦煌の10日前なる出水跡

てにをははハンカチーフにゆだねたる

たしなまぬ酒の銘柄きぬかつぎ

嫉妬とはB面ブルーサルビアよ

こうのとり宇宙へ運び梅雨明ける

冷ゆるまで母の指透く旅支度

秋の雲尖塔隠すジェラシーか

盆踊りあの甲高き電気音

草いきれヤンキー座りの鴨や喰む

野良猫の日輪孕む大暑かな

夕凪やハレの舞台の一里塚

梅雨明や海の底から宝物

炎天下三日天下の父帰る

グジャグジャにスマホを割って終わる夏

はじまりはエリカのエロス油照り

遠雷や忘れようとして思い出せない

墨にじむ素足の裏の患者名

クーラーの中で事実を誤認する

石と紙買う前乳をさらす母

臭覚のおなじ蜥蜴をそばに置く

海の家入るよさそうな声のして

愛された記憶捏造夏の月

◎その他のコメント
流れ星夜空袈裟懸け西東・・ややくどい

)祭獅子上下左右に大威張り・・やや大げさ

友くれし形見となりしサングラス・・少し悲しいですね。

血イ血イと山雀甘え原爆忌・・チャレンジはいいと思いますが・・

ロンドンのニュースドンドン原爆忌・・同

薔薇とばらつなぎし蜘蛛の糸太し・・蜘蛛の糸が太いとは?

立秋のたそがれや澄む水の空・・水面に映る空ですか?少し無理があるのでは。

花嫁菜だいじなことはいいますよ・・つぶやきですね。

同窓の友逝きたるや油照り・・少し重い。

この街のみんなに胡瓜を足しましょう・・何となく面白いですが。

流れ星かねカネ金と唱えけり・・露骨。

天を突く怒髪のごとき祭髪・・言葉が重なっています。

吐息深くただ立ち尽くす御来迎・・気持ち入りすぎ。

どや顔で蹠涼しく着地せり・・体操と思いますが、・・

同列に論ずべからずクレマチス・・何を?

愚痴と愚痴並べて帰る夏野かな・・後味悪い。

ヒロシマやペットボトルに水溢ちて・・取り合わせの関係が?

マヌカンの白き首筋夜の蟻・・同。

ざぶざぶと素麺洗う宿の夫・・自炊の宿ですか。

夜の闇に纏ひつきたる地のほてり・・闇に纏ひつき、が面白い。

行政の認定夏の日を恨む・・言葉が硬い。

首振りの扇風機止め風を聴く・・少しわざとらしい。

終戦日さらりと自滅甲子園・・川柳。

夕焼けの端から端まで日が暮れぬ・・言葉が重なっています。

秋立つや仕事帰りの黒ビール・・川柳。

百日紅揺れし恋人たちの午後・・うらやましい光景。

金曜の夜白桃のまるかじり・・なぜ金曜?

初秋の金のメダルを軽く噛む・・記録。

アキアカネ手も握らずに好きという・・感傷。


2012年8月15日
中谷仁美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 立秋を過ぎても、まだまだ暑い日が続いております。皆様、お元気でお過ごしでしょうか。ロンドンオリンピック、盛り上がりましたね!テレビ観戦で連日睡眠不足だった方も多いのではないでしょうか。今回「辞書引けば盛夏に続く聖火かな」「航平が金を取つたり鳳仙花」。こんな素敵な句をお送りくださった方もおられます。オリンピックの次は、高校野球。甲子園の熱戦から目が離せません。そして、俳句の世界でも、もうすぐ俳句甲子園!高校生の句を読むたびに、ああ青春っていいなあと思ってしまいます。いやいや、575の世界では、誰だっていつだって青春できるはず!皆様もぜひ思いっきり俳句で青春をenjoyしてください。
 では、今回もよろしくお願いいたします。

【十句選】

夕涼み無数の星を抱き寄せる   さち
 夕涼みをしていて空を見上げると無数の星。ここからどう展開するのかと思っていると、「星を抱き寄せる」。なんて大胆!無数の星に包まれているという発想はよく出てくる気がしますが、自分から抱き寄せるというのは新鮮でした。星を美しいと思う気持ちをこう表現できるなんて素敵だなと思いました。

いつまでも父の影ある大暑かな   学
 大暑という目に見えない、包み込むようなイメージのものと、父の影との取り合わせがうまいなあと思います。「大暑」という言葉が父の存在の大きさをしっかりと読み手に伝えます。また、「大暑」ということから、きっと優しいだけでなくときに厳しくときに熱い方だったのではないかと思いました。とても切ない気持ちになりました。

窓と云ふ窓に四角い晩夏あり   今村征一
 窓って、俳句に詠みたくなるものですね。この句の場合、窓から見える「晩夏」の様子そのものについては読者の想像に任されている、そこがいいのだと思います。「四角い晩夏」という言い方が面白く、ぴたっとはまる感じです。

主いづこ風が風鈴売つてをり   今村征一
 なぜか店主が見えず、風鈴だけが鳴っている。その音があまりに素敵で思わず引き寄せられてしまった。小さなお店を想像しました。句の景がすっと心に浮かびます。「風が風鈴売つてをり」というフレーズ、透明感があり、さらりとしていて魅力的です。

飴色に祈る形や空蝉は   豊田ささお
 夏は、祈りにつながることの多い季節ですね。蝉の殻を祈る形と見たところ、鋭い感性だなとはっとさせられました。空蝉の持つはかなさが祈るということとうまく合いますし、「飴色」という丁寧な見方によって、句のイメージに深みが出ていると思います。

塾へ行く子に夕焼の遠くなる   せいち
子と夕焼けの取り合わせと言えば、 「♪夕焼け小焼けで日が暮れて〜♪」。元気いっぱい遊んで仲良く帰る子どもたちという、懐かしい情景を思い浮かべてしまいます。この句の子と夕焼けの関係は、そうではなくてやや寂しい感じ。自然に遠くなるのではなくて、無理やり遠くなってしまうような。現代を詠んだ句だなあと、寂しいながらも納得してしまいました。

筑波嶺や一都六県秋配る   大川一馬
 自然を詠んで、こういうスケールの大きな見方っていいですね。「秋配る」という発想が、なんとも生真面目で、筑波嶺さんって博愛主義で律儀でいい人(山)ね、なんて思わせてくれます。

まよなかもおしりえんてんかもおしり   汽白
 どういうことか、と言われると説明が難しいのですが、ひらがなのたどたどしさと、おしりへのこだわり、真夜中と炎天下という、なんとも大人のチョイスが絶妙で思わず笑ってしまいました。自分のおしりか他人のおしりかはわかりませんが、なにせおしりが気になるのです、この人は。

胸の内晒に巻くやギャル神輿   とほる
 ギャルとひとまとめに言われていても、そのひとりひとりに個性がありいろんな思いがあるはず。こういう見方ってなかなかできませんよね。ギャル神輿を担ぐ人たちの派手さの裏にあるそんな一面をうまく掬っているなあという気がします。

夏薊60代にまるをする   あざみ
 アンケートなどで、年齢が何十代か丸を付ける時のことかと思います。私自身、30代になりたての頃、そこにまるをつけることになんともいえない抵抗があったことを思い出します。この句もそんな気持ちでしょうか。本当は50代もしくは70代なのにちょっと嘘ついて60代にしたと読むこともできますが、夏薊との取り合わせから考えると、心の中の「ちくり」が感じられるので、やっぱり正直に60代にまるをする時の心のひっかかりかな。いずれにせよ日常の一場面をうまく575で切り取っておられて面白いと思いました。

【予選でいいなと思った句】

体内に差し込まれたる炎暑かな   涼
 感覚がよくわかる1句。そう、差し込まれるような、攻撃的なものなのですよね、真夏の暑さって。

緑陰のベンチ今日から一人なり   きのこ
 「緑陰」に、今日から一人ということの寂しさをより引き出す効果があり読み手にさらりと思いが伝わります。

小さな手分け入って採るトマトかな   Kumi
 うれしそうに真っ赤なトマトをもいでいる小さい子どもの笑顔が思い浮かびます。せっかくなので「採る」というところ、「つかむ」など、その小さい手の様子がより具体的に伝わる動作にするともっといきいきとするのではないかと思いました。

また別の肩抱き寄せて夏の星   B生
 おいおい、とつっこみたくなりますが、なんとなく、夏の星ならこんなことも許せちゃうような気がしました。他の季節だとだめですね、この設定は。「また別の」という唐突な切り出し方がいいですね。

食卓の夫寡黙なり遠花火   さち
 こんな理由で寡黙なら許せちゃいますね。

廃校やひまわりの種びっしりと   紅緒
 昨年の種が落ちていて勝手に咲いたひまわりなのかな、など想像がふくらみます。きっと来年も大きなひまわりが咲くのでしょうね。

百歳の百の言霊夏つばめ   和久平
 言霊と夏つばめの取り合わせがうまいと思います。

炎天下じりじり狙っている二塁   せいち
 日差しと、1塁から2塁を狙っているランナーと、じりじりはどちらにもかかっていますね。わかりやす過ぎるかという気もしますが、暑い中がんばっている球児の姿が思い浮かんで、思わずがんばれー!と言いたくなります。青春!!

夏の雲ローカル線に乗り換える   せいち
 のんびり楽しい夏の旅。句のつくりとしては「夏の雲」で切れていますが、ローカル線に乗り換えてもどこに行っても、夏の雲はついてきてくれる、そんな気がしてなんだかうれしくなります。

妻はいまトマトの匂ひ懐妊中   麦
 前半の流れがとてもよく、夫の優しい視線が伝わります。ただ、「懐妊中」という表現がやや直接的過ぎるかもしれませんのでご一考されてはいかがでしょうか。

干梅がゴッホの赤を手に入れる   岡野直樹
 干梅の色をゴッホの赤という感覚、いいなあと思います。干梅の価値がぐっと上昇します。日常のなにげないものをこんな風に大げさに言ってみると新しい世界が開ける気がします。

宇宙語を発信させる扇風機   草子
 まわっている扇風機に向かって叫ぶと、自分の声がまるで宇宙人の声のように聞こえます。こんな遊び子どもの頃よくやったなあと懐かしくなりました。着眼点が光る1句です。

君立てばひまわりそこに咲くごとく   戯心
 大胆な恋の句だなと思います。ひまわりの君だなんて、一度言われてみたいものです。うーん、素敵!ちょっと王朝和歌の雰囲気が漂います。

蓮ひらく音にめざめてハシビロコウ   新・若旦那
 少し前、TVで私の愛するハシビロコウの生態が紹介されていました。(ご存じない方は是非ネットで検索してください。アフリカに暮らす大型の鳥です)。
 そんなことはさておき、この句、蓮ひらく音とハシビロコウの取り合わせというのが新鮮でいいなと思います。ただ、結句に6音を持ってくるとなんだかもたつきがあって、「めざめる」というさわやかな行為が台無しになってしまう気がします。語順を変えてみてはいかがでしょう。或いは、「蓮ひらく音」と「ハシビロコウ」でもう世界は十分できているのかもしれません。

大窓に別の夏あり鳥うたふ   とほる
 10句選に「窓と云ふ窓に四角い晩夏あり」とどちらをとるか悩みました。「大窓に別の夏あり」というところはいいのですが、窓と鳥というのがやや近すぎるのではないかという気がします。ぜひご一考を。

端居する猫のとなりに母がおり   あざみ
 母のとなりに猫、ではなくて猫のとなりに母、というのがこの句の肝。この家では猫の地位が高いのだろうなあと思います。なんだかんだで楽しそうな家族の時間が思い浮かびます。


2012年8月1日
岡野泰輔ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 すこし前になりますが、イギリスのスパイ映画の傑作『裏切りのサーカス』(原題は『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』原作ジョン・ル・カレ)を観ました。PCも携帯もない時代のスパイです、書類は写真に撮り、電話は交換を通す。これが牧歌的かといえば、逆にそこがスリリングですっかり堪能しました。で、俳句なんですが吟行はスマートフォンで、なんて人もでてきました。IT音痴の私でさえ半分以上はPCで作句している感覚があります。今のところいいことづくめで、だからどうだと言うのではないのですが、はい、十句選。今回もたくさんの投句ありがとうございました。

【十句選】

耳たぶの向こうに夏の雲がある     涼
 和製英語らしいのですが、映画の撮影技法にパン・フォーカス(pan-focus) というのがあります。近景から遠景までずーっとピントが合っている絵づくりです。この句がまさにそれ。手前の耳たぶからはるか彼方の夏の雲まで、いっぺんに見せたところにこの句の気持ち良さがあります。あるいは、耳たぶから夏の雲まですーっとピントが送られていくのを想像してもよい。(これも映画によくありますね)実は、どちらにしても、至近距離の耳たぶを凝視している、この視線の異様さに気づく。健康的な夏の雲が救い。魅力的な耳たぶの持ち主は各自想像すればよい。

はつはつに触れしレンズや花菖蒲     太郎
 はじめ、「はつはつ」が分りませんでした。辞書の二番目の意味に「辛うじてとどくさま」とありました。そうか!と分って句がにわかに生動してきました。花菖蒲に群がる写真愛好家の姿が見えてきました。いますよね、花に覆い被さるようにして一眼レフを構えている人達。あれは望遠レンズなのでしょうか。「はつはつ」、憶えました。

白南風や鳶の高さに吹き抜ける     凡鑚
 梅雨晴間の、あるいは梅雨明けの、風の気持ちよさが、さらに鳶の高さを吹くとしたところで増幅されました。実際に鳶の舞っている姿とか、空が見えてきます。鳶は脇役なんですが、白南風という形のないものに、見事に実質を与えました。

売れ残る百合十本の匂ひけり     隼人
 花屋というのは、たいてい交通の便利なところにある。駅前にはあるし、構内にあったりもする。この花屋もそんな駅の雑踏を思い浮かべました。百合が十本売れ残ったこと、匂っていること、その二つのことだけで、できている句ですが、その周囲を足早に通り過ぎる人を想像することで、立体的に読めます。  作者以外の通り過ぎる人も、必ずこの百合の匂いに気づいている。読み込み過ぎでしょうか?

君らの足ぐんぐん伸びる壺の蛸     学
 君らの足という出だしで、誰の足かと思えば、どうも蛸の足(本当は腕)らしい、そう読める。しかし蛸壺からぐんぐん伸びるというのも変だ。ここに至って「おそるべき君等の乳房夏来る」西東三鬼 ではないかと思う。そうに違いない。本当に若い女性の大きくなったこと、特に足が長くなったなあと嘆声をあげている。それにしても壺の蛸が判らない。女性たちのある有り様をいっているのか?

言いだしてそこで止めるな心太     せいち
 うん、わかるわかる、とそこ止まりの句ですが、心太らしく、軽く、後に何も残らないところがいいのではないでしょうか。まるで心太突きから出てくる心太が途中で止まったような、まさに中途半端な感じ。

夕顔のことにはふれず別れゆく     遅足
 一にも二にも夕顔ですね。思わせぶりな、作為の浮いた句づくりですが、夕顔という季語だけでもたせている。源氏物語はもとより、堂上人達の歌材としての夕顔の厖大な蓄積をこの句の背後に思い出しておきたい。子規vs虚子の夕顔論争でいえばこの句は虚子の空想趣味にあたるのではないでしょうか。夕顔を今ここに咲く花ととってもいいのですが、ここにない何か、誰か、ととることもまた楽しい。

ヒマワリの畑の向かうピザの店     恥芽
 有りそうで無さそうか、無さそうで有りそうか、ちょっと不思議な風景です。 一番目の涼さんの耳たぶの句は近景が耳たぶという思いっきり小さいものでしたが、こちらの近景は一面の広大なヒマワリ畑。その向こうにチェーン展開している店でしょうか、看板が見えます。どちらの句も「向こう」という言葉で近景と遠景を繋いでいます。ヒマワリ畑の向こうに見えるお店としてはピザ店は秀逸ではないでしょうか。

吊忍女二人の紫煙かな     功
 ロケーション、小道具、キャスティング、と材料がピタッと決まっています。 こうなるともう、私の読みの暴走は止まりません、いいですか。吊忍から木造家屋、それも小庭のある平屋を想像します。大正から昭和初期ですね、ということでここは妾宅です。それは中七の女二人がそう示唆する。お妾さんともう一人は女中でもいいが、やはりかつての朋輩、そうです二人は芸者上がりです。 紫煙が見事にその辺を表現しています。キャスティングしますよ、遊びに来た先輩芸者は杉村晴子、主演は、そう若尾文子でどうでしょうか。妄想失礼。

ひと年を車の中に夏帽子     えんや
 時間を描いた句と読みました。一般に俳句は今、ここ、だけを読むものとされていますが、それは時間を句の中に詠みこむと、観念が勝って失敗しやすいからです。この句はうまくいっていると思います。理由は分かりませんが、夏帽子が一年中車の中に置いてあった。ただそれだけですが、また夏という季節が廻ってきて、夏帽子が今ここにその存在感を再び示す。同時に一年という時間も前景にせり出してくる。

【予選句】

霖雨庭碧空色に四葩咲く   葦人
 りんうていと読むのか?漢詩みたい。碧空色に咲くはよいが。

しなやかにとうすみ茎を揺すりけり   涼

夏の日の階段教室ハイデッガー   涼
 階段教室にハイデッガーがよく似合う。ただし眠くなりそう。

焼けあとのそのままにあり濃紫陽花   隼人
 前後から焼けあととは空襲の跡ではないかと。

恐竜の某のぞくカタツムリ   遅足
 極端な大小対比。某とフルネームを不精するのも俳味。

黴匂ふ四百年の三和土かな   今村征一

蓮の葉のこの世のごとく混みあって   ∞

箔を打つ灯り洩れ来る路地涼し   今村征一

ダリの髭十時十分夏ぐにゃり   素秋
 ぐにゃりとしているのは髭か夏か?

宵山や京のいもうと腹違い   素秋
 みんな京都に腹違いの妹が欲しい。

梅雨明けや皿をはみ出す海老フライ   茂

会長も抽選当たる夏祭り   茂
 会長は運が強い。でも反則ではないか?

鉄線のこぼるる路地やポンプ井戸   功
 吊忍句と比べて、こちらは材料がいかにも。本郷界隈か。

夏帽子その下に住む痼疾かな   大川一馬
 痼疾がくるしい、いっそ病(やまい)でいいのでは。あるいは具体名を。

凌霄花人影のなき駐在所   紀子

冷そーめん終ひの一筋逃げまはる   えんや
 面白い、そーめんの音引きと旧かなのミスマッチがいいかどうか?

父と子の男の話夕端居   よふ

阿弥陀籤炎昼辿る保線員   おがわまなぶ
 漢字が思いっ切り暑苦しい、その効果。

雲の底じりり照らすダリアかな   永山太一
 雲の底を照らすダリアというビジョンは素晴しい。じりりはじりじりの誤記か?

タンカーの迫りて来るや梅雨明ける   和久平
 これもいい。季の交代とタンカーの動きが絶妙。十句に入るべきだったかも。

三本の足縺れたる百足かな   邯鄲

空蝉の手鉤届かぬ悟りかな   戯心
 手鉤がいい。悟りがどうか?

腹筋を鍛えています青へちま   紅緒

2012年7月25日
えなみしんさドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 お暑うございます、と書きだそうと思ったら、今日は昼間が15℃。池袋のフラフェスティバルがカワイソウ。 住民で植えたわたしのマンションの花壇も、長雨で日々草300本が全滅です。残ったブルーサルビアも青息吐息。代打で植えたマリーゴールドと千日紅に声援を送りたい!!。
 今月は、198句。僭越ながら、やや梅雨湿りぎみか。スカッと抜けた青空になりますように。

【十句選】

夕焼を見ていて妹いなくなり  B生
 なにか、悲しい空ろな気持ちにさせる句です。それは、「いなくなり」というフレーズが死を連想させるからではないでしょうか。「夕焼を見ている」ことは悪いことではない。でも、その事が「妹いなくなり」を引き起こす。大げさにいうと不条理というのでしょうか。人の心にある喪失感のようなものを思い出させる句だと思います。「川を見るバナナの皮は手より落ち/虚子」のような、「ただごと俳句」の逆の「ただごとではない句」なのかも知れません。

夕虹を七度眺め七曲  太田紀子
 七度は、ナナタビと読むのでしょう。つづら折りの山道をクルマで走っていると、こんな事があるのかな、と思って読みました。わたしはクルマに弱いので、酔ってしまいそうです。「夕虹をななたび眺め七曲り」のような表記はどうでしょうか、「な」の頭韻がはっきりするように感じます。

重力をひっぱっている蝸牛  遅足
 蝸牛の歩みをイメージすると、まさにこんな感じだなと思いました。そう言ういえば、ことしはカタツムリを一度も見ませんでした。だんだん季語と遠くなっていく、悲しいことだなぁ。良くできている句なので、もしかしたら類句があるのかもと思いつつ。

朝刊の第一面で蠅を打つ  せいち
 「第一面」が具体的でいいですね。一面ですから、政治家の写真があるのかも知れない。スポーツ紙なら、なでしこジャパンの写真があるのか。などと具体的な想像が涌く。それから、置いてあった新聞に手を伸ばしてパンと打ったので、一面だったのかとも考えられますし。

蝉の声頭の内か外なのか  飛鳥人
 蝉が鳴き声は、梅雨明けの合図なんだそうです。最初は蝉を意識して聞くこともありますが、その内に耳についてくると、寝ても覚めてもないている。そういう気持ちが良く表されている。句の発想が新鮮でした。

よどみなく談合終わり夏料理  茂
 まず「談合」と「夏料理」の思いがけない取り合わせがいい。そして、談合を修飾する「よどみなく」が実に効果的。皮肉たっぷりでありながら、夏料理がうまそうなのが川柳と一線を画しているところかも。これは何かを成し遂げた後の食事はうまい、という真理を踏まえているからではないでしょうか。

えじぷとのうみをわたってきたたいこ 汽白
 「エジプトの海を渡ってきた太鼓」では意味一辺倒。ひらかな表記が、不思議な詩情を呼ぶのがこの方の句の魅力です。ですから、きっちり論理があるような言葉の構成だと詩情が生まれにくい。ゆるい意味のつながりで言葉が流れていて、全体でひとつの雰囲気を醸し出す。この辺りに悩まれているのではと推測します。この句は絵本のタイトルにもなりそうな、あれこれを想像させる言葉の運びになっていると感じました。無季の句です。俳句と俳句以外のポエムの境目にあるような創り方なので、どちらかというと季語を入れられた方がいいように思います。

これほどのオートメーション握り鮨   恥芽
 寿司でいうと、寿司ネタ。俳句で言うと句材が新鮮だと感じていただきました。回転寿司には、客の目の前に職人がいて握ってくれるタイプと、注文から納品までオートメーションのタイプとあって、この句は、その後者。寿司も、寿司ロボットが握ってくれているので工場のようです。たとえば「鈴茂器工」という会社は、そのロボットを造っていて世界からも注目されている会社です。句としては生なので、このネタでもっと出来るように思います。

割りばしは二人一膳心太  すずすみ
 オヤッと思わせる句。それは、割り箸は、二本一膳だからですね。この「二人一膳」は、ふたりで一つの心太を食べたと思わせて、夏の盛りの仲の良いカップルを浮かび上がらせてくれます。

夏座敷まだ生きている老女優  あざみ
 最近も老女優が亡くなりましたが、おっとこの方は健在なのか、という方がいらっしゃいますね。有馬稲子、淡路恵子さんとか(失礼ながら)。夏座敷に、そういう老女優が背筋を伸ばしている景がよろしいと思います。生きている人を「まだ死んでない」と感じ、それを「まだ生きている」と逆の逆のようにとらえたのがオヤッと思わせる句を生んだのでしょう。

【10句に入らなかった気になった句】

水打てばホースの口のへの字かな  B生
 風景は良く見えるのですが、当たり前の風景のように感じました。

麦焦がし鉄格子よりゴッホの眼  学
 病床句なのか、あるいはゴッホを思っての想像句なのか、がはっきりつかめませんでした。

美濃尾張切り裂く大河鬼薊  遅足
 木曽川でしょうか。大きな風景と小さなものの対比で悪くなのですが、オヤッと思うものがないのは、最初の12文字が常套句だからかも。

梅雨呆けと言われてみてもムンクの絵  茂
 突然に現れる「ムンクの絵」が面白い。が、その前のフレーズとの意味がイマイチ掴みにくい。たぶん「言われてみても」に原因がありそうです。

寝そびれて獏通り過ぐ熱帯夜 佳子
 オヤッと思って目が停まったのですが、考えてみると「漠」は夢を食べる動物。リクツが通り過ぎているのが面白くないかも。天使とか、大名行列とか別のものが通る方がいいのかも。

清拭に覚めしねむりよ晩夏光  啓
 清拭セイショクは、カラダを拭いてもらうこと。病床句でしょう。晩夏光なので夜ではなく、午後のことでしょう。時間や季節の移り変わりをイメージさせる晩夏光が効果的です。「よ」はいりませんよね。

蓮の葉のこの世のごとく混みあって   ∞
 お釈迦さまの乗る蓮の葉でありながら、この世のように混んでいるという発見が良いと思います。と、思いつつなぜか新鮮に思えなかったのは、どっかで見た気がしたのかも。

蘭鋳やスカイツリーの横に浮く おがわまなぶ
 金魚鉢の蘭鋳が、遠景のスカイツリーの横にある、というのは悪くないと思いました。分かりすぎて面白くない。「や」と「の」のあたり、てにをは、を考えてみてはいかがかと。

巴里祭バルドーボルドー空けてゆく 秋山三人水
 バルドーはブリジット・バルドーでしょう。バルドーがボルドーワインを一瓶飲むということか。「空けてゆく」が不消化でした。

風車花七つ道具は腰に揺れ  草子
 「七つ道具」は、弁慶の七つ道具に始まり、料理人、美容師、看護婦などいろいろあります。それを分からないと景が定まりません。

曲線の交わるまでの夏木立  紅緒
 直線ではなく、曲線である所が、豊かな自然を思わせてくれました。意味だけでなく、韻律も考えられるといいのでは。たとえば「まじわるまるい夏木立」みたいに頭韻をそろえて見るとか。


2012年7月18日
朝倉晴美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 皆さま、こんにちは。
 このたびも、多くのご投句をありがとうございました。
 今回は、挑戦句が多くみられ、わくわくしながら拝見いたしました。楽しいひと時でした。新しい言葉を使ってみたり、大胆な発想を表現してみたり、もちろん失敗や、言葉足らずであることも多いでしょう。
 しかし、その挑戦あってこそです。次回も、果敢な挑戦句をお待ちしております。わたくしめを、ドキドキハラハラさせてください。
 なお、今回のアドバイス句は、僭越ながら「直すと良くなりそう!おしいわあ…」という基準からの選です。

【十句選】

二秒後に風鈴を聴く二人かな   涼
 なぜ二秒後なのか、果たして二秒後でなければならない明確な理由はあるのか、指摘されるのは、おの点でしょう。たぶんに、やはり二秒後が最適。なぜなら、三秒後は常套。定番の「三」。チキンラーメンも三分。キューピーも三分クッキング。一秒後はあまりに一瞬で余韻なし。四秒後以降は、どれも冗長です。
 また、「二秒」と「二人」の計算尽くの作者の意図が見えるでしょうが、二秒という一瞬より一拍長いその空白は、「二人」を助けることはあっても、邪魔はしないことでしょう。
 ふとしたきっかけから二秒後という、そのタイミングの妙に酔ってしまいました。
 〈風鈴があればかなしき時あらん 細見綾子〉

ガガ気取り腰より歩むサングラス   今村征一
 旬な句ですね。ですが、川柳とは全く感じません。季語のサングラスをもって、ガガの形容が余すことなく伝えられ、サングラスもまた、「ガガ」によって、灼熱の夏を感じさせます。真夏の太陽手照りつける海辺にいるよりも、夏を感じさせる句。
 〈サングラスかけて妻にも行くところ 後藤比奈夫〉

三陸の何もなかりし天の河   学
 ふと、〈五月雨を集めて早し最上川  芭蕉〉を思い出しました。ああ、そうだ、両句ともに、礼賛の挨拶句なのです。

青紫蘇を揚げおり雨の上がるらし   太郎
 僭越ながら〈紫蘇の葉を粗く刻んで雨を呼ぶ  晴美〉を。私も、大の紫蘇好き。一時はベランダ栽培をしていたのですが、バッタで全滅…。せっかく叔父からもらった株でしたのに。
 「おり」「らし」の押韻も秀逸です。こんな気分で梅雨を乗り切りたいです。

痩身は鋼よりなる水馬   遅足
 句姿、調べ(口調)ともに美しく、痩身という漢熟語。「はがね」という和語。その両方が、結果として「水馬」の形容をはっきりと出しています。過不足なく、実にベストな選択眼です。
 〈水すまし水に跳ねて水鉄の如し 村上鬼城〉

芙美子忌の噴煙黒き桜島   隼人
 忌日俳句は難しい、というのは定説。それをひっくりかえしそうな勢いのある句。
 芙美子さんもさぞおよろこびでしょう。まだまだ言いたいことがあった芙美子さんに代って、桜島が語ってくれています。鹿児島人とともに生きている桜島だからこそ、芙美子の気持ちもわかり、芙美子もまた代弁を許すのでしょう。
 〈安宿のネオン音出す芙美子の忌 岩田岩雨〉

円高や廚に潰す油虫   邯鄲
 円高と厨が、最高にナイスな取り合わせです。そして潰された油虫。リアリテイ満載で、ブラックなユーモアも。たぶんにエスプリの効いた一句。なんだか、カタカナ評になってしまいましたが、片言の妙を感じた一句でもありました。円高も、油虫も愉快でないけれども、ここでは、笑えてしまう力を持っています。
 〈書斎派と厨派のをり油虫 鈴木鷹夫〉

蟻の列大仏殿を後にする   せいち
 蟻と大仏。小と大の取り合わせは、食傷気味なくらい散見されますが、掲句の良さは、「大仏殿を後にする」と、蟻が主体で、蟻が主人公の作りなのです。また、受動的な行動ではなく、蟻がはっきりと意思をもって、後にしている気分が読めます。余談ですが、蟻ってとても賢いのですよね。ファーブル昆虫記で知りました。離れた巣穴に帰ることができるのは、蟻酸や触覚のおかげではなく、どうやら視覚のようです。景色を記憶しているらしいのです。驚きです。まあ、そんなことを知らなくとも、蟻が大分殿に背を向け、フォーカスが蟻の先頭の正面と思うだけて、愉快になり、雄大ですらあります。饒舌な句ではないのに、饒舌に語っている句です。
 〈正倉院蟻が蝶ひく刻しづか 河原枇杷男〉

雨蛙プロポーズまでの十五秒   岡野直樹
 あぁ、私もプロポーズされたい…不謹慎な意味ではありません。プロポーズってトキメキそのものですよね。ただ、昨今の結婚事情をきくと、何年経っても(もちろん妙齢の男女の付き合いで)プロポーズもしなければ、プロポーズを保留にしてるカップルが、珍しくないのですって。確かに、厳しい時代ですし、女性の収入も結婚の重要な条件らしいですから、決断にはそうとうの覚悟がいるのかもしれません。その気持ちは分かるつもり。
 そんなことを、この十五秒に考えてしまいました。
 〈雨蛙ねむるもつとも小さき相 山口青邨〉
 追記 単なる雨蛙の求婚でも面白いのです。雨蛙だって熟考するのです。

海月スイング宇宙にもう還りたい   紅緒
 海月は孤独なんだろうか、群れていてもさびしいのだろうか…。分からなくはないです。集団にいても、拭うことのできない孤独感を持つことは、私たち日本人はよく知っています。
 〈原爆の海に月夜の海月かな 角川春樹〉

【予選句】

夏の朝踵くしゃりとスニーカー   涼

空蝉の縋りつきたる柄杓かな   涼

二十年住めば都ぞ枇杷熟るる   今村征一

つばめ魚食うてびゆんびゆん泳ぎたし   葦人

原発を背追ふ牛の背夕焼けて   学

水音のはればれとせり夫婦滝   太郎

旅北へ百万石の青田風   山畑洋二

豪雨止め紫陽花土下座してござる   飛鳥人

鉄棒の水たまりにもあめんぼう   きのこ

見るだけのテレビ体操夏の朝   古田硯幸

複眼に映る八月十五日   遅足

電線に老鶯の声おく朝   茂

いかづちや開かずの門の蝶番   茂

新顔と背で聞く言葉溝浚へ   よふね

昼顔や鉄階段の非常口   隼人

炎天を海へ向きたる風見鶏   隼人

スカイツリー尺取虫の野望かな   邯鄲

借金を頼む古文書紙魚の穴   邯鄲

夕立過ぐ圧力鍋の吹き出して せいち

美女柳レディ・ガガの眉ひらく   素秋

花梔子ねじれ解きつつひらきをり   太田紀子

ハンカチをもちつぐや母ねむりつぐ   啓

五月雨に負けずに摂ろうカルシウム   岡野直樹

紫陽花を挨拶もなくすれ違う   ∞

でんでん虫独立独歩の父に似て   紅緒

夾竹桃守衛深く敬礼す   津久見未完

何事ぞ土曜の朝のはたた神   とほる


【アドバイス句】

御来迎浴びて頂き雄叫びが
 「浴びて」が不要です。

尾を振って蛇石垣の穴に首
 「尾」か「首」か、どちらかに視点を定めましょう。

五月雨や願掛け石のしとど濡れ
 「ししど濡れ」が不要です。

ほうたるの言葉をさらうリキュール酒
 「ほうたるの言葉」を読者が分かるように具体的に。

誕辰のカラスに起きる半夏生
 上五、「誕生日」で良いでしょう。

天を押し上げ向日葵の自画自賛
 「自画自賛」が言い過ぎてはいませんか。

文身や基地の女のサンドレス
 上五、「刺青や」もしくは「刺青かな」で。

かたつむりウィンク上手ほらねほら
 「上手」が言い過ぎています。

そらまめの鞘にまぎれしは帯留
 リズム、一句の流れを好くしましょう。

廃校にオルガン一つ夏の霧
 「廃校」と「オルガン」、似合い過ぎの着き過ぎです。

メロン様回転寿司の皿の上
 「メロン」より、もっともっと意外な楽しいものを乗せて下さい。

素裸の嬰児蹴る掴む大宇宙
 上五を「すっぱだか」と。嬰児に元気がでます。

箸置けば海平らなる夏料理
 「箸置けば」が無難すぎます。

只黙ってゐるだけでいい水中花
 「〜だけでいい」は、作者が出過ぎているでしょう。

あぢさゐの静脈白く少女譚
 「少女譚」が甘すぎます。

ああいうことそういうこと田水沸く
 上五、中七にもう一歩工夫が欲しいところ。

どうやら空もスランプからから梅雨
 「どうやら」が安易な印象を与えます。

オジギソウちょんちょん突き下校の子
 中七、推敲の余地がありそうです。

蝉しぐれ休止符ですかと総昼寝
 休止符=昼寝、分かりすぎて読者が退屈かも。

早朝のゲートボールや梅雨晴間
 当たり前すぎて、ゲートボールの楽しさが十分に伝わってきません。

きょろきょろと左右確認とかげかな
 「きょろきょろと」が不要。

マイ箸に納豆まつはり青嵐
 「マイ箸」の良さを、もっと出してください。

山椒魚鰓除れたれば山に入る
 ウイット感が伝わりにくいように思います。


2012年7月11日
南村健治ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 頸椎ヘルニアを患って5カ月目に入る。ボクの突きでた腹は7カ月目ぐらいだと、友人たちは言う。とくに女の友達は懐かしさもあるのかよく触りながら、うなずいたり、なっとくしたりする。それはそれでひとつの触れ合いにはなるのだが、頸椎ヘルニアはいまだにキツイ。首筋から左肩、腕。少しは痛みがとれてきたが、とくにパソコンに向かっているときがキツイ。
 キツイのですよ〜〜〜。

【十句選】

中庭に朝日をためて枇杷熟れる   茂
 明るく電球を灯したような枇杷の実は見ていても心を和ませる。ただ、鬱蒼とした葉の多さは時に気分を憂鬱にさせることがある。この中庭の枇杷の木には朝日が差し込み、枇杷の木全体が明るく輝いているのだろう。それは作者のその日の輝きでもある。

百歳をひょいとまたぎし夏の雲   茂
 「ひょいとまたぐ」ということだから百一歳になられたのだ。あるいは、雄大な夏雲が百歳のご本人をまたぐ、つまり、夏の雲によってパワーを得られたのかもしれない。いずれにしても、やがては止む無く老いて行く者に元気をもたらす句だ。

ウエデイングドレス鈴蘭より歩む   今村征一
 いい句だなあ、、、、。鈴蘭がいい。バージンロードを歩くのだが、胸に抱いた鈴蘭をほんの少し強く握りしめ、そして、少し誇らしげに一歩を踏み出す。そのたびに、小さな鈴蘭の花が、微かな鈴の音を鳴らすのだろ。た耳をそばだてれば周囲の人にも聞こえるかも。皆が幸せな気分になる句だ。

ひね胡瓜koんな顔した奴がゐた   せいち
 Koは「こ」の打ち間違い。たとえば、自分がどんな顔に例えられているのか、、、、それはなかなか気になるところ。友達の間では通じ合っているのだが、本人に伝わることは稀、と言ったが、稀が稀でない場合いもある。「おい、ひね胡瓜」なんて面と向かって言いあえる仲間は羨ましくも憧れる。「ゐた」だからもういないのだ。そんな関係を思うとすこし切ない。それにしても、「ひね胡瓜」はどんな顔、いや、性格をしていたのかがとても気になる。

雲海を歩くペンギンすぽすぽぽ   山上 博
 とんでもない発想だが、これぐらい突飛であれば逆に面白い。「すぽすぽぽ」はなんだろう。ペンギンの足音だろうか。体をゆすりながら「すぽすぽぽ」と歩いてときどき雲海から抜け落ちるペンギンもいるかもしれない。童話的というより、ゲームの一場面なんかを想像する。ペンギンが落ちたらゲーム終了なのだ、すぽすぽぽっと、、、、、、。

雲の峰妻留守子留守猫の留守   ∞
 とある家庭の一場面。一人取り残され、途方にくれ、それでも入道雲はもくもくと力を増し、天空に張り出して行く。家の中の静かな時間の経過と、実際はそうでもないのだろうが遠くに見える入道雲は静かにその勢力を増して行く。真昼の不思議な時間の経過が面白いし、なにより同じ字の繰り返しが面白い。

白紫陽花 今日も女の 生あくび   ひねもす
 今年はやけに白い紫陽花が目につく、、、、、、そんなことはないだろうか、、、、、。ま、それはそれとして、女が生あくびをしている。眠いのか。そうではなく、退屈なのだろう、、、、、人によっては白紫陽花は退屈な花、、、、、、かも、、、、、、ね。と書いてきたが、解説になっていない。正直どうかけばよいのかわからないが、魅了する俳句だ。

夕立を 連れていつもの 部屋に来る   ひねもす
 で、これもそう。先の句よりは分かりやすい。なにが、といわれそうだけれど、書いてある通り。夕立とともに来て、夕立とともに去って行くのだ。俳句ならではの言いようになっていて、面白い。困った奴だとみるか、そういう友達がいてもそれはそれで、観念するのか。ボクは観念する。あくまで俳句の世界での出来事なのだから。

おまえなど大阪湾に浮いてこい   秋山三人水
 どういう経緯があってこんな言い草になったのか。それは分かりにくいが、それぞれの間柄、関係を斟酌すると意外とおもしろいのではないだろうか。そしてそこから経緯がいくらかは垣間見えるかもしれない。友人同士。先輩と後輩。野球の監督と選手。妻と夫。いろいろあって、でも、「浮いてこいが」意表を突いている。普通はその筋では「大阪湾に沈めてまうぞ」がセオリーなのに。ともあれ、ボクは、夫婦間の言い争いの最後のオチと読んだが。

引く波のはないちもんめ浜昼顔   紅緒
 童話的というか、幻想的というか、言葉そんなに無理なく繋がっていて、とても魅惑的な句。はないちもんめは子供っぽいようで、浜昼顔は大人的で、そこに引き波が何かを攫って、またべつの何かを寄せてくる。遊びとしてのはないちもんめのくりかえしと、引き波、寄せ波の繰り返し。終わりも始まりもない何かが起こっているようだ。だから幻想的。

【予選句】

ブルースの鬱なる響き濡れ紫陽花   葦人

吾知らず蛇皮を脱ぐときめきを   涼

桐咲くや空は深さを拡げたり   太郎

どうどうと南風吸ひ込む古墳かな   きのこ

夕焼の野を長々と貨車通る   きのこ

一人かがみみんな屈みて蟻の穴   まゆみ

黒人の深き沈黙冷房車   学

睡蓮や闇を拓きし水の音   学

梅雨晴間棚田に残るバスの影   太田紀子

ドーナツの穴や八月十五日   遅足

新説は地震に龍巻雷に妻   素秋

子供らが舌見せあってかき氷   B生

油蝉鳴いて腹筋鍛えけり   おがわまなぶ

イチジクのイチのあたりを覗くなよ   秋山三人水

立葵校章となりて百余年   津久見未完

水中花恥じ入るやうに濃くなりぬ   たか子

細君はラグビーボール亀鳴いて   麦子

夜の窓に素足を映すおんなかな   豊秋



2012年7月4日
星野早苗ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 紫陽花の美しい季節になりました。
 梅雨に入って、平凡社ライブラリーの『クオーレ』を読んでいます。
 うっかり、電車の中で読み始めると、涙が止まらないので注意が必要ですが、エンリーコの日記には、父母のアドバイスや、担任の先生の「今月のお話」まで入っていて、大人になっても充分読めます。(有名な「母を訪ねて三千里」は、五月のお話)。
 『クオーレ』を、感傷的で笑いのない教育物語とする向きもありますが、統一戦争を終えたばかりのイタリアの徹底的な貧しさを背景に、エンリーコが尊敬をもって描くクラスの友だちは、今も魅力的です。彼らの大半は、身なりの貧しいのは勿論、身体さえ不自由です。(その割合の多さにも圧倒されます)けれども、どの子も精一杯自分の役割を果たそうとしています。イタリアの児童文学と言えば『ピノッキオ』ですが、統一国家イタリアの根っ子には『クオーレ』のあることも覚えておきたいと思いました。さて、今回は、202句の中から。

【十句選】

石楠花や山は一朶の雲育て   太郎
 山中、木洩れ日の中に咲くシャクナゲには、夢のような浮遊感がありますね。薄暗い林の中にシャクナゲを見て、目を上げると空にはぽっかりと雲。「や」で切って、花と雲を離して置いたところに広がりが生まれました。

窓開けて島ごと昼寝してをりぬ   今村征一
 人通りの途絶えた昼下がりの一刻。島全体が眠ってしまったかのような一体感に驚きながら、どの家の窓も開け放されていたことで、旅人にも決して閉鎖的な印象を与えなかったでしょう。開けっぴろげの明るさと背景に波音が聞こえるのもいいですね。

つばくらめ祈りは人を重くして   遅足

 燕の飛び交う空の下に、心に祈ることのある人たちを想像して見ました。燕が空にあり、地に人があるのは自明の構図なのですが、人が地にある理由を「祈りは人を重くして」に暗示されたような気がしました。

思ひでをはいてゐる靴道をしへ   啓
 何十年ぶりかで訪れた土地で、歩いてみると迷わずに歩け、記憶も甦ってきたことに、作者自身が驚かれたのだと思いました。かつては、歩き慣れた道だったのでしょう。道おしえが前を行く静かな山道を辿りながら、靴が勝手に歩いてくれているような感慨を持たれたのだと思います。

背番号どれも大きく行々子   ∞
 少年野球の子ども達が、どの子も小さな身体に真っさらなユニフォームで、大きな背番号を背負っています。子ども達にとっては、背番号をもらえることは勿論、ユニフォームを着られることさえ、大きな喜びなのでしょう。「行々子」はよしきりの別名。

蟻に遇ふ度立ち止まるウルトラマン   スカーレット
 ウルトラマンは、大きく強い。けれどもまた、小さな蟻にも興味津々、遇うたびに立ち止まります。「ウルトラマン蟻に遇ふ度立ち止まる」ではなく、あえて句またがりの形をとったところに、幼児の歩きぶりが出ているように思いました。

汗かいて佐川急便クール便   おがわまなぶ
 暑い中、汗をかいて運んで来られる宅急便。汗をかいているのはもちろん人間ですが、クール便が汗をかいてやって来た、と感じさせるトリッキーな句です。現代生活の断面を上手く切り取っていると思いました。

スペイン語来て香水の過ぎ行けり   隼人
 スペイン語で話しながらくる人たちがいたのでしょう。彼ら(彼女ら)が通り過ぎた瞬間、香水が香った、とても明快な句です。目からの情報がないことによって、彼ら彼女らの様子をさまざまに想像できる、魅力的な句になりました。南欧の夏を感じます。

百歳を超へて少年ラムネ飲む   和久平
 百歳を越えた人が、少年のようにラムネを飲んで、少年の笑顔になったのでしょう。その瞬間、「百歳を超へた少年」が誕生したのですね。百歳を超えて、なお少年とはステキです。「翁童」というテーマを「ラムネ」という新鮮な素材で表現した点に惹かれました。

着流しの関取連れて薫風は   遊朋
 薫風の中を歩く着流しの関取。青柳がゆれ、浴衣の着流しが涼しげです。関取という強く、重量感のあるものを、薫風が連れ歩いている、という見立てがユーモラスな句。薫風と関取を着流しが上手くつなぎ、関取の男ぶりも上がりましたね。

【佳 作】

病む夫眠り遠嶺さらに青し   草子

離宮の水澄みて真白き四葩かな   大田紀子

まいにちはきのうの記憶沙羅の雨   秋山三人水

犀星を諳じながら実梅もぐ   今村征一

ポストから文字ぬけ出でり蟻の昼   啓