「e船団」のドクターがあなたの俳句を診断したものです。


2014年2月26日

えなみしんさドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 ことしは雪の当たり年です。雪の日に東京から京都に行った先週、京都も雪でした(雪の金閣寺をみました!)。帰ってきたら、東京はまたまた雪でした。東京は案外、雪の降る町です。1984年には、年間で92センチ、27日もの降雪がありました。2月の雪は、ぼたん雪のような淡い雪を思いますが、こんなに降ると、「春の雪」のイメージが変わってしまいそうです。

【十句選】

宿六のシャツ裏おもて朧月   伊藤五六歩
 宿六とは、また古風な表現を。八代目文楽さんの裏返る声が聞こえてきそうです。もう、ほとんどその措辞だけで、ひとつの世界ができてしまうのだから、言葉って大事です、今更ながら。

東風頬に新系統のバスに乗る   大川一馬
 「新系統のバス」と言うのは、新設されて今までなかったコースを走るバスということだろう。そういうバスに乗るといつもの町が別の町のようにおもえるだろう、きっと。その気持ちを「東風頬に」で強調したかったのだと思うが、やや説明的。文章も散文になっている。ここは「朝東風や」「雲雀東風」のように切りたいと思いますが、いかが。

干からびたままの雑巾多喜二の忌   せいち
 多喜二忌は2月20日。拷問によって虐殺。警察権力の横暴を忘れてはならない。多喜二の悲劇を、干からびた雑巾にこめて、秀句。

今朝生まれましたわたくしふきのとう   せいち
 俳句はジグソーパズルのようなモンだなぁ、と、この句を読んで思いました。「今朝生まれ/ましたわたくし/ふきのとう」と、句またがりになりながら、カチッと言葉がはまっていて、だからこそ、ふきのとうのういういしい感じが伝わってくるんだろう(句もそうだが、この文章もヒラカナが多いぞ)

春日傘くるりと銀座四丁目   今村征一
 「春日傘くるり」が銀座四丁目と響き合って、はなやか。その景が見えるようです。振り返ったら、若き日の、若尾文子だったら、どんなに好いかなあ。

啓蟄や皆さんセコムしてますか   おがわまなぶ
 言ってみれば、テレビで拾った言葉に季語つけただけの句なんだけど、季語が効いてますねぇ。長嶋さんがにゅっと現れて、甲高い声で語りかけてくるようです。大成功!

奪衣婆に寝巻剥がさる朝寝かな   邯鄲
 「脱衣婆」とは、三途の川の渡し賃を持たずにやってきた亡者の衣服を剥ぎ取る老婆。ここでは、母上か、あるいは奥さんでしょ。これは、明らかにあんたが悪いよ。この句も「脱衣婆」の言葉で決まり!の句。

絎け縫いの前へ前へと日脚伸ぶ   草子
 「絎け縫い」クケヌイ、読めませんでした。和装で「折ってある布と布を縫う方法」らしいです。こまかくかがって、次のハリは少し飛ばして縫う。とうことはぐいぐい進む。この感じを「日脚伸ぶ」と捕まえた。面白い目のつけどころだと思いました。

スノーマン町の人口増やしけり   スカーレット
 スノーマンって雪だるまのことだと思うけど、スノーマンじゃないと、人口が増えることにならないからダメ。実にスノーマンが効いてます。カナダかどっかの小さい町のことなんかが想像できて、好いですねぇ。

雲と雪狭間の人間世界かな   スカーレット
 わたしには、なんか難しい句でした。じゃ、なんで採ったかというと「狭間の人間世界」という表現がいいと思ったからです。「雲と雪」というのは、曇りの空が、雪になる。あるいは、雪と曇りが交互にくるような気候だと思うんですが、どうもピンとこない。「雪と雲」の方が、雪の実景がみえるから、まだ分かりやすいんじゃないですか。

何時の間にニット王国箪笥の上   意思
 タンスの上のニット王国という表現がいいなぁ。セーターが畳んで置いてあるだけかも知れないけど、どうも手作りセーターっぽい。思うに、網掛けのセーターや手袋やなんかが、いくつも、置きっぱなしになってるんじゃないかなあ。

【十句の候補句】

天に月路地には猫の声冴ゆる   今村征一
 天と路地の対比が面白かった。冴ゆるだから冬の季語だけど、路地の猫だから春っぽいと思う。猫の恋で作るのでは、決まりすぎかな。「天に月」の後をちょっと開けると読みやすいのでは。

酒飲むか薬を飲むか春の風邪   とほる
 たしかにそうなんだけど、俳句というのは少ない言葉の組み合わせで、言葉以外の何かを感じさせるとか、思わせるとか、そういう詩形なんだと思います。半分は、自分に言ってます。

春障子男同士じゃはじまらぬ   せいち
 何が始まらないのだろう。春障子だから、ひな祭りのようでもあるが、どうもそういう事ではないようだな。

寝て起きて食べてあらもうまた春が   鴨川美知
 俳句は動詞がひとつが原則、なのに3つも入って面白い句です。「あらもうまた」が意味がだぶっています。そこに手をくわえると、もっと良くなる、きっと。

煮ひじきの縄文の砂かもしれぬ   紅緒
 「縄文の砂」を見て、「これは煮ひじきだ!」と思ったという事でしょうか。ちょっと意味をつかみかねた。

春大雪ずぶずぶずぶずずぶずぶず   スカーレット
 面白いんだけど「ずぶ」の繰り返し回数が多すぎて、まとまりに欠けたと思います。「春大雪」も説明的かも。「ずぶ」の繰り返しで、その大雪感がだせるといいんですけど。

松風や魚氷に上がる昼の月   山歩
 「魚上氷」・・(うおこおりをのぼる)というのが、72候(24節をさらに3つに分けたもの)にあって、その珍しい季語をつかった句です。古い季語を古い言葉と組み合わせたので、俳句が古くなってしまった。たとえば「魚氷にあがる/真央ちゃんも」(オソマツ)とか、新しい言葉で作りたい。

仏膳に熱めのお茶や今朝の雪   とよこ
 仏壇の写真と共に暮らしている日々が伝わってきて、好ましい句でした。

寒鮒の鰓を無口の水動く   戯心
 「無口の水動く」が作者のオリジナル表現。ジッとしてる鯉の鰓は、静かに水を吐き出しているという事でしょう。うまく言えてると思うのですが、なにやら漢文の読み下しのようで、わたしはニガテなんです(わたしが悪い)。

【その他、気になった句】

手袋の中の拳や星の朝   太郎
 手袋をして拳を作ってるのではないでしょうか。「手袋で握る拳や」などでしょうか。星の朝はいい。

「もったいない」が地球を救ふ水の春   古田硯幸
 水を節約しましょう、という事と思えてしまうと、詩がうせてしまう。

バレンタインチョコ先生に照れてます   きのこ
 チョコが照れている、と読めます。それとも「チョコ先生」なのでしょうか、意味が伝わりにくい。

ヒヤシンス恋に恋する人の常   京子
 「恋に恋する」は、昔からある言い方ではあるが、使い方次第のフレーズだと思う。「人の常」としてつまらなくなってしまった。

かくしごとかくせない性質猫柳   紅緒
 かくしごとがかくせない、という言い方が面白いが、「性質猫柳」がおざなり。

ストーブは落ち着き払って居るばかり   意思
 アラジンのような昔からのストーブを思いました。面白い表現だとおもうのですが、ピンときません。カンロクがある、ということか。地震でも来たのだろうか。

 以上


2014年2月19日

岡野泰輔ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 二週連続の雪で既に雪掻きにうんざりしている自分がいます。雪国の方からみたら笑止千万か?春の雪は余情あふれた美しい季語ですが、慣れぬ雪掻きで痛めた腰では美しい句はできそうにもありません。寒いしね、ソチより寒い。
 さて雪の中届いたみなさまの句楽しませていただきました。

【十句選】

並木座を出てシネパトス柳絮飛ぶ   伊藤五六歩
 俳句における固有名詞の効果の好例です。シネコンの増加により、都心の映画館が次々と閉館しました、特に掲句のような名画座が。既に無くなったものを詠んでいるので、郷愁が漂います。それで柳絮飛ぶという季語が特に効果的です、銀座の柳ということを超えて。

母を訪ふ淡雪溶ける畑を抜け   きのこ
 俳句に母がでてくると、ちょっと身構えてしまいます。俳句に限らずとかく母モノは難しい。表現上、母という無条件の価値観からの距離がとりにくいからでしょう。その点この母は無色、読者それぞれが自らの母親像を代入できます。淡雪の文字通りの淡さがこの句を気持ちよい春の田園に広げています。

竹炭の火花弾けて猟期果つ   学
 竹炭を焼くことも、狩猟も私には経験がありませんが、なんとなく憧れはあります。寡黙な男の感じ、健さんですね、いかにも冬の山野の生活。ただこの句はそのような冬のイメージが先行してリアリティーは希薄です。

水仙の香りおもたし四畳半   遅足
 何よりも先ず、この四畳半という空間の容量が「香りおもたし」を説得的にしています。「おもたし」は心理的な重さまで読み込むのもありだと思います。

料理ぐらいできなきゃあんた寒椿   ロミ
 気っぷのいい姐御にばっさり切られたように言われた感じです。男はこう言われてしまったら首をすくめるだけ、特に料理のできない私などは。伝法な会話体で切れて、さっと下五の寒椿に飛ぶ呼吸が気持いい。この寒椿はいろいろに読めますが、きりっとしたこの会話の主、姐御のたたずまいともみえます。

大寒の騎馬像奥に青テント   隼人
 これは景がすぐ目に飛び込んできます。見たことがある、と思わせられます。もしかしたら、その記憶はこの句を引金に私の頭の中で合成されてしまったものかもしれない。どこかの公園の騎馬像、楠木正成とかそういう武人。それに青テント、私はホームレスの住居(あ!変だな?)と思いました。それぞれ別個の視覚体験として読者のなかにあったものが一句をきっかけにひとつの追体験になる、そんなことを考えさせられました。この句自身は印象鮮明な写生句です。

宝くじちょっと当たってぼろの市   邯鄲
 俳句では世田谷のぼろ市をさして冬の季語とするそうです。そういう意味ではローカルな季語。古着、古道具、日用雑貨など、いずれにしても高価なものはありません。ちょっと当たった(数千円か?→私なら)勢いで不要不急の品でも買う気になっている、この小市民的なところがうれしい。「ちょっと当たる」との言い方がその時の弾んだ気分も表して気が効いている。

犬小屋に眠る鎖や霜の花   佐々木博子
 中七「眠る鎖」がちょっとした謎を呼びます。@犬は脱走して鎖だけが残されている。A鎖だけが外に出て、犬は小屋の中。鎖で犬を表す換喩的語法。このように解が分かれてしまうのは俳句では一般によくないとされているようですが、私はそうは思いません。詠むたびに犬小屋の中の犬の像が明滅して、そういう句のあり方も魅力的です。季語「霜の花」はベストではないような。もっと大らかな季語で、季語自体が後景に引いて鎖がより焦点化されるという方法もあると思います。

日脚伸ぶのの字に混ぜる天ぷら粉   佐々木博子
 気持の弾みが料理しない私にも伝わる解りやすさ。のの字の具体的動きが効いているのでしょう。厨の作業に時候の言葉を取り合わす句型はよくあるとはいえ瞬間的に解る快もまた俳句のもの。類句類想と紙一重ですが恐れずに多作あるのみ。そんなわけで上五季語の部分は無数に取り替えがきくことも事実なんですが。

想像の翼あるべし鶯餅   紅緒
 前句が実感の句ならこちらは少し観念が入っています。でも鶯餅の観念としては素敵です。色も形も鶯に似せた鶯餅に呼びかけているととりました。問題は「想像」で、この言葉は無くてもいいかな?う〜ん、ここはちょっと歯切れが悪いです。冒頭の「想像の翼」は、ん?なんだ?と思わせて以下への誘引効果抜群ですが、解ってしまうと、結論はつまらない。

【予選句】

ひらがなの様に舞くる午後の雪   まゆみ
 午後とわざわざことわったのがちょっとした個性化。

草色の暖簾に風や蓬餅   山上 博
 蓬餅で草色とくるので、そこが惜しいと思うが、その重複は気にしない立場?もあり、とにかく句中に春らしい風の吹いている気持のいい句。

古草も同じ日差しの中にあり   戯心
 古草、なんて渋い季語、若草に交じる前年の草、そもそも季語の目のつけどころが俳句的ですね。知りませんでした、勉強になります。

立春の窓を開けば墓ばかり   ∞
 ちょっとびっくりする状況で、作者も驚いています。「墓ばかり」に気持が出すぎていて、墓が無数にあると淡々と叙述したほうが効果的だと思います。おもしろい目のつけどころです。

アメリカへ行く船追ひて都鳥   邯鄲
 事実はこのとおりだとして、句にすると大げさな面白さが出現。

凍滝や乳房の中のしこしこ   あざみ
 わ!怖い。凍滝がこんな登場の仕方をするのにまずびっくりします。びっくりした後で凍滝と「しこしこ」の感覚的一致に妙に納得、男の私でさえ。

寒の水まだ生きている顔洗ふ   利恵
 きっぱりとした強さ。「生きている」と「顔洗ふ」の動詞の畳みかけが効果的。「いる→ゐる」か「洗ふ→洗う」に一句のなかでは仮名遣いはどちらかに統一。

初春や文楽もたこ焼も美味し   利恵
 大阪よろし、文楽がんばれ!

東京も田舎のひとつ深雪晴   小林 飄
 この二週間ばかりの風景はたしかにそう。東京が第二の故郷になった人の感慨とも読める。

冴え返る百通りあるふしあわせ   紅緒
 トルストイ『アンナ・カレーニナ』の冒頭「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが不幸な家族はそれぞれの不幸の形がある」(望月哲男訳)の本歌取りのように読めます。本歌取りは小さな容れものに大きな世界を閉じ込める有力な方法。「冴え返る」は内容に近すぎるか?

【最初のチェック、あるいは気になった句】

丸善に冬帽子買ふ青き色   石塚 涼

黄昏の白鳥嘴(はし)を胸に埋め   太郎

春泥ごと涸れて久しき曠野かな   夢幻

早春や車夫の法被の洗ひたて   伊藤五六歩

福は内アンパンマンの面付けて   古田硯幸

牛蒡煮て豆煮て立春湯気の中   きのこ

地球儀にソチ見付けたり二月雪   大川一馬

冬さうび緘黙症のごと固し   えんや

山鳩の声渡り来る桜東風   まゆみ

多喜二忌や拭いても拭いても取れぬ染み   せいち

梅の香や宮の撫牛輝きて   山歩

かきくけこ口角自在に春や春   茂

もてなしの野点の席や春火鉢   みさ

寒明の日を撥ねゐたる舫ひ杭   みさ

菜の花の野にふわふわと児の帽子   山上 博

健診の脱いだり着たり春隣   ロミ

軒下の生めく白さ懸大根   隼人

減るだけの脳細胞や梅真白   隼人

寒牡丹天満宮の百の息   智弘

笹子鳴く携帯電話無音の日   智弘

寒明けの頃がユルキャラ心地よき   智弘

神主の刈り上げ眩し春の風   ∞

春兆す曲がって曲がって知らない地   秋山三人水

美(うま)し国濁世ぱみゅぱみゅ菜の花忌   孤愁

家族葬静かに門を春の雪   草子

ランナ−のこれより復路風光る   たか子

貝の口結びに梅のひと枝かな   佐々木博子

君を待つ春一番を待つように   豊田ささお

音もなく窓を叩くや春吹雪   スカーレット

初鏡眉ひき過去は過去とする   利恵


2014年2月12日

朝倉晴美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 みなさま、こんにちは。
 遅くなりましたが、今年もよろしくお願いいたします。
 さて、松明け、立春前の句がたくさん届き、豊かな冬の気分をいただきました。その二百余りの句のなかで、句材や表現の新しさを感じるものを中心に選んでみました。
 2014年が、皆様にとって、新しい俳句との出会いであることを・・・。

【十句選】

男ならこの指止まれ青目刺し   茂
 「女なら野球選べよ一月尽  晴美」、拙句を失礼しました。何というのか、ジェンダーの問題などではなく、「男なら」「女なら」と、句で遊べるって楽しいと思います。特に、掲句は、「この指止まれ」という可愛さ、愉快さがあります。人物像を、子ども、と限定しなくとも、楽しく読めます。そして、なぜか、青目刺し。鰯の姿が美しくも、可笑しみがあると感じて、絶妙の季語です。
 紹介句は、同じように目刺しの色を詠んだものです。
 <火にぬれて目刺の藍のながれけり  渡辺水巴>

仮の世を仮に祝うて小豆粥   孤愁
 リフレインが生きています。掲句は「仮の世」だけでも「仮に祝う」だけでもいけません。「仮の世を仮に祝う」からこそ、小豆粥から見える心の平安や、日常の喜びが生きてくるのです。邪気払いができるという小豆粥。それは、この世を慈しんで生きるひとつの景色ではないでしょうか。私は、作者の優しい心根を感じました。
 <明日死ねる命めでたし小豆粥  虚子>

水仙や百万の「好き」青き空   山上 博
 すっくとたった水仙だからこその、表現、作句です。お見事です。水仙を好きでも、別の何かを好きでも、誰かを好きでも、この「好き」には、とても力強い力と、言われた側のうれしさがあります。なんだか、こんな風に告白されたくなってしましました。おりしもバレンタインデイが近いですし。(我が家は、私が家族に要求しています。)
 また、色彩の美しさが、この句の清々しさを増長させています。真っ青な青、そこに屹立する水仙の深緑と白と黄色。芸術的な美しさであります。
 下記は、ある句会での一句。
 <水仙のすっくと立ちて背を正す  H氏>

これからが本音の話手袋脱ぐ   邯鄲
 「本音の話」、聞きたいですね。手袋を外して始まる本音の話。私、ここ数年、友人知人から、いろんな話を聞くようになりました。本気だったり、本音だったり。決して明るい話でなくとも、そこに絶望はないのです。掲句も、不思議に暗さは感じません。「これからが」という口語調の表現に助けられているのでしょう。
 これまでの句にも、手袋を脱いだり嵌めたりと、さまざまに詠まれていますが、掲句のように、「脱ぐ行為」に気持ちをのせているものを紹介します。
 <手袋をぬぐ手ながむる逢瀬かな  日野草城>

待春の絵本の中の夜汽車かな   浮游子
 絵本や文庫本をいう句材は、「ずるい」という意見もありますが(労せず、句がそれなりの情感を持ってしまうから)、あまりタブーを作ると、また句もつまらなくなりますから、句材として利用しましょう。個人的には、絵本は本当に素晴らしいものだと思います。幼少期の心の栄養は絵本から、ではないかと思うほどです。
 掲句の「絵本の夜汽車」。作品名が何であるか、が大切なのではなく、夜汽車の持つ雰囲気を感じたいと思います。そこに、季語の「待春」。「夜汽車」と「待春」が、お互いを生かし切っています。もうそこまで春がきているころ。絵本には夜汽車が走っている。春へと向かう人々の優しい気持ちが、溢れています。
 <待春や良きこと包みオムライス  利根川妙子>

日脚伸ぶドアスコープにウインクを   小林飄
 なんて楽しい、なんて小粋な訪問なんでしょう。カタカナ語の多さを嫌う方もおられますが、掲句の場合、必然です。また、「日脚伸ぶ」というどちらかというと古風な季語を、リフレッシュさせた感もあります。取り合わせ、大成功です。以下の句も、「日脚伸ぶ」との組み合わせです。
 <ひと〆の海苔の軽ろさや日脚伸ぶ  鈴木真砂女>

百人に百の天運龍の玉   遅足
 「○人に○」という表現の例句は、過少ではありませんが、掲句は「天運」が勝因です。そして、形状の可愛らしい「龍の玉」それぞれの百の天運が、それぞれに豊かで楽しいものであることが想像できる句です。同じように、生きることを感じる句を挙げます。
   <竜の玉升(のぼ)さんという呼ぶ虚子のこゑ  飯田龍太>

初句会電池新たな電子辞書   山歩
 電子辞書の電池、とは素晴らしい句材です。季語「初句会」は、何をつけてもおさまりが良いものですが、掲句の電池ほど、ジャストミートのもはないでしょう。
 以下は、ジーパンと取り合わせた句。
 <ジーパンの端座続かぬ初句会  井上綾>

二月の健全なるはブドウパン   あざみ
 「ブドウパンが健全なる」とはどんなことか、なぜ二月でなければならないのか、と。理詰めで答えるのは、苦しいところですが、一年で一番寒い時期のブドウパンは、買い手(食べる側)に媚びていなくて、なおかつ美味しそうな感じがしませんか。干しブドウの風合いもなんだか、好ましく似つかわしいような。私自身が、ブドウパン好きということも関係しているかも、ですが。
 以下も、豆菓子という「粒」である食べ物との取り合わせ。
 <豆菓子の色のいろいろ二月かな  稲葉ちよこ>

嘘といふうそをつきけり寒鴉   浮游子
 「寒鴉」が上五、中七を助けています。ともすれば、常套な内容になるところを、下五でピリリと締めました。また、意外に美しい寒鴉の姿。これが、「嘘」と似合っています。ただ美しいだけの鳥ではいけません。鴉のように賢い鳥だからこそです。深読みをすれば、鴉に見透かされているような気がしてるのかもしれません。冬の鳥には、雁や梟、ミソサザイ、そして多くの水鳥がいますが、「嘘」にはやはり「寒鴉」でしょう。
 以下は、梟の例句。寒鴉とは違った趣きです。
 <梟淋し人の如くに瞑る時  原石鼎>

【次点】

大寒やムンクの叫び丸き口   石塚 涼
 ムンクの「叫び」の絵はあまりに有名ですが、大寒と合っています。句の後半が、少し、説明調子であるかも。

せんべいの売上伸びし空っ風   太郎
 「せんべいの売り上げ」という句材が良いです。

貨車に雪 客車はエデンの東まで   伊藤五六歩
 「貨車」と「客車」の組み合わせが魅力。

立春やコーヒー館のゆで卵   山歩
 とても良くわかる句で、立春の良い気分です。

オムレツにハート描いて春隣   きのこ
 なんて幸せな春を待つ気分なのでしょう。見習います。

日脚伸ぶ蓋の開きたるマンホール   隼人
 ちょっと、「気を付けて!」といいたくなりますが、「動き」があるのも春への景色のひとつでしょう。

懐手株価表示を見てゐたり   隼人
 株屋さん(証券会社)の電光掲示板の前の和服の男性でしょうか・・・。意味ありげです。

犬放つ春にはゲーテ捨てちまオ   ばんの
 犬好きは、いただいてします一句です。ゲーテより犬と散歩です。

春寒やダリの時計の動かざる   春生
 ムンク、ときて、ダリ、です。こちらは、寒さとの取り合わせ。合っています。

寒の夜の星座全しき構図あり   今村征一
 冬の星座、大好きです。空気が澄む冬夜空、礼賛の句です。

交番に跳ねて転がる霰玉   戯心
 交番と霰の取り合わせが、町の交番の存在を感じます。

パレットのゑのぐ乾涸ぶ二月かな   天野幸光
 絵具の乾いた景、私も使ってみたい魅力的な表現です。

自転車のかたちに春の光くる   ∞
 意外な表現が魅力です。

パン咥えラグビーのごと鴨走る   おがわまなぶ
 ラグビーという例えが良いです。

冬ざれやターナーの船の動かざる   秋山三人水
 こちらはターナーの絵画でしょう。ターナーらしいです。

春塵を払ひて曾良の旅日記   伍詞堂
 曾良の旅日記という句材に魅力。

春浅し自然解凍なる男   あざみ
 愉快な表現です。

海見れば埋めたがる国鯨来る   紅緒
 シニカルな視点に注目。鯨という大きな景も良いです。

雪女郎乳母車より犬の顏   とほる
 昨今は、時に見かける景。「顔」が印象的。

愛されているかのように雪そそぐ   利恵
 「いるかのように」とは、「愛されていない」ということ。クールさが効いています。

ゆいちゃんのゆりかごラララ春三日月   草子
 あかちゃん礼賛の一言です。ゆいちゃんが成長していたとしても、生命礼賛の佳句です。

【予選】

富士は富士雪を冠りて仁王立ち   いつせつ

繊月に引かれて睦月の明の星   まゆみ

大寒の滝千年を脈々と   山畑洋二

皸も母とおなじく成りにけり   二百年

鞦韆を漕ぐ手でつかむ二番星   伊藤五六歩

読初は仏教史なりナンマイダ   洋平

犬みんなガウガウ駆ける春隣   きのこ

小春日や樵の声のボブディラン   学

あら嫌だ鶯餅の粉膝に   茂

竜の玉松田聖子ももう中年   凡鑽

鈍行にのつて幸せ冬日和   えんや

登録の富士と和食に此処の春   大川一馬

春泥のふるさと遠し泥絵かな   夢幻

モザイクのコバルトの空 春の氷面   夢幻

月と日とあんたとオレと冴返る   ロミ

とことんと以下省略のしまきかな   たか子

凸凹のうつつに生きて山眠る   柳川紀真

声高にアベノミクスをマスク越し   戯心

白紙にゴム印試す春隣   智弘

立山にのれんかけたり寒のもち   京子

立春や孫は何故左きき   邯鄲

湯ざめしてリンスインシャンプー怒る   ヤチヨ

枯木立皇帝ネロは言いました   岡野直樹

春三日月恋心乗せ降りてくる   スカーレット

けんけんで足袋の履けない年となり   豊田ささお

冬の雨後ポストは乾燥早くない   意思


2014年2月5日

久留島元ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 このコーナ−、自分の選評を書く前に、よく他のドクターの選も参考にさせていただきます。そうして見ていると、投句者のお名前に、ちらほら見覚えのあるものが。常連の方の句を見ていると、やはり発想の飛ばし方がおもしろい。普通の人と見ているところが違うな、ちょっと言えない表現だな、と思うものが多いのです。
 逆に、あまりおもしろくないものは、次のような句です。
  たんなる事実報告。状況説明的な句。
  当たり前の意見表明。新聞の「声」欄を切りとったような句。
 というわけで、発想に飛躍の見える、「今週の十句」です。

【十句選】

立春や袋小路の喫茶店   伊藤五六歩
 立春の候、散歩の途中で道を間違えたのかたまたまなのか、袋小路へ入って見つけた一軒の喫茶店。まだ肌寒い季節に、おいしいコーヒーを飲みたいですね。

大寒の緩む隙間にヨーグルト   きのこ
 朝食でしょうか。寒い一月の、ふと気温が高くなった食卓をとらえた何気ない日常ですが、そんな季節の「ヨーグルト」には、なかなか注目できません。

海螺廻し水金地火木土天海   孤愁
 「海螺廻し」貝を使ったコマ遊びとのこと、恥ずかしながら今回始めて勉強しました、ありがとうございます。コマ回しから宇宙への発想がいいですね。
 ところで「見つめらる潤目鰯目敵愾心」は「うるめ鰯め」でしょうか?「敵愾心」が意味不明でした。

山茶花や散る踏む歩む振り返る   ロミ
 山茶花の赤い花びらが散る、踏んでいく。そして、振り返る。冬の景から一気にたたみかけて、一年を回想させるよう。「咳一つつづけて一つチョコレート」は咳で苦しいところ、チョコレートが違和感。

ぎすぎすのわたしが嫌い霜柱   紅緒
 「嫌い」などの直接的な感情表現を俳句にするのは難しいのですが、霜柱の感触と、自己嫌悪のむずむずうじうじした感じは、とてもうまく合います。

嫁に行くなんて言うから月が出る   遊飛
 父親の、なんともやるせない気分。嬉しいような、悔しいような、悲しいような、というところでしょうか。「月が出る」めでたいような、あっけないような。

話し易い人を知ってる炬燵かな   おがわまなぶ
 すでに何人かで話しこんでいる炬燵に遅れて入ってきて、ちゃっかり「話しやすい人」の隣に座って話に混じっているとか。ほほえましい、あたたかい感じ。

舟底をこんがり焼いて春を待つ   津久見未完
 船を焼く風習、知りませんでした。「舟」という実用的なものを「こんがり」焼く、と見立てたところに「春を待つ」やわらかな空気が響きます。

大寒の空晴れ渡りドレミファソ   スカーレット
 冬空は、きんと晴れて気持ちがいいですね。トラップ一家の気分。

寒椿こころおきなく笑うがいい   あざみ
 豪快さと、ニヒリズムを感じさせるかっこいい句。

【選外佳作】

一天をおし広げたる空つ風   太郎
 相当に決まった、格好いい句なのですが、言い回しの固さとともに、やや既視感あり。

雑煮餅歳の数ほどいただいて   桃
 さてこれ、いったいいくつなんでしょう?

せんべいの丸い看板日向猫   まゆみ
 こちらはなんでもない風景ながら、ほっとする句。何も言わないよろしさがあります。

画鋲刺す指の力や寒に入る   遅足
 リリカルな視点がいかにも俳句的。

誰かしら訪ね来し夢冬の風   山上 博
 誰か訪ねてきたと思ったら夢だった、すこし寂しい句で「空っ風」はいかにもすぎ。改作案「初夢に誰か訪ねて来たりしか」

フクシマへ帰村したとて寒見舞   大川一馬
 年賀状ではなく「寒見舞」であるところが意味深です。「とて」はやや説明的なので、私なら「フクシマへ帰村しました、寒見舞」とします。

どこまでも落葉どこまでも御堂筋   遊飛
 見事な冬の風情。

寒椿坂道ダッシュの二人組   岡野直樹
 元気だなぁ。

三行のメールが遺墨冴返る   今村征一
 「メール」が「遺墨」という発見とともに、作者の感情が伝わる句です。

バイソンの角の先から寒明ける   ヤチヨ
 雄大な光景、それとも案外、動物園?

まっさらの下着と雪と内視鏡   ∞
 はじめ読んだときは検査の風景かと思いましたが、レントゲンならともかく、内視鏡検査で下着姿にはなりませんね。どういう情景なのでしょう?

茶の花や畑を下る山羊の声   豊田ささお
 のどかな風情。

自転車のスタンドが浮標(ブイ)なり木枯   意思
 海に棄てられた自転車の部位を「浮標」と見立てたのでしょうか。やはり語感が気になります。「自転車のスタンドが浮標空っ風」ではいかがでしょうか。


2014年1月29日

谷さやんドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 今回からドクターを担当させていただく谷さやんです。初めて会う人からは、よく「男性かと思っていた」と、驚かれます。女性です。どうぞよろしくお願いいたします。
 ここ四国松山も今年は厳寒となりました。でも、晴れた日にはその冷たさが気持ち良く肌に感じることもあります。そんなぴりっとした感覚で作品と向き合いたいと思います。

【十句選】

卵巣に毒持つ魚や雪催   石塚 涼
 毒を持つ魚を河豚くらいしか知らない。この句では、怖いというより哀れな気がした。毒を使っても、毒を持ったまま死んでも。そういう気持ちにさせるのは「雪催い」の季語のせいだろう。魚の上にも、暗い雪雲が垂れこめて来ている。雪が降ってくると、毒を持つ魚がまた違って見えてくる。

雪吊や雲版叩く僧の昼   太郎
 「運版」は、寺で時報などを知らせるために打ち鳴らす青銅または鉄で作った雲形のもの、だそうだ。僧が叩く運版の音あるいは叩いているいつもの景色に、今日からは「雪吊」が加わった。いよいよ厳しい冬が来るぞという感慨が「雪吊や」と、思わず言わせたのだろう。僧は、その姿からして寒さがいっそう染みそう。

風邪薬健康食品の如く飲む   いつせつ
 原句は、「風邪薬健康食品如く飲む」だったが、中七フレーズが八文字になっても「の」を入れた方がいいと思う。労働者にとっては、風邪は病気の内に入らない。風邪ごときで仕事を休むわけにはいかないのだ。一方、老人は風邪をこじらすと命にかかわる。いずれの立場も症状に過敏で、風邪と察知すると、もうサプリメントのように飲むのである。

和をもって尊しとなす初句会   吉井流水
 思わず笑ってしまった。わたしが参加している句会で「和をもって尊しとなす」などと言うと集中砲火を浴びそうである。あ、でも偉い人を中心とするこんな句会は案外多いのかも知れない。ともあれ普段は忌憚のない言葉のつぶてが飛び交い、ともすれば取集が付かなくなるこの句会。「初句会」くらいは、おだやかに終わってほしいと願う、ある参加者の切なる心の呼びかけようである。

渡良瀬に連凧空を傾けて   まゆみ
 正月の広い空に揚がる連凧。連凧が空をぐっと傾けている、という把握がいいなと思った。空を傾けながらぐいぐいと揚がって行く。ワタラセと、母韻の「あ」の音が明るく響く土地の名が、その気持ちの良さを加速させる。足尾銅山の重い歴史がちらっと脳裏にちらつくと、傾く空が一層青く深くなるようだ。

日脚伸ぶパン割って湯気ふわとたつ   きのこ
 自家製のパンだろう。「パン割って湯気ふわとたつ」と、読み終わった瞬間に出来立てのパンの芳しいばしい香りが匂い立つ。 昼間が昨日よりも長くなっていることに気づいた「日脚伸ぶ」日の、ささやかで幸福な時間を、共有させてもらった。

初弘法押されて入りて押し出され   せいち
 東寺では「弘法市」といって、毎月弘法大師の命日である21日に縁日が開かれる。一月の縁日を「初弘法」と、いうのだそうだ。普段の市より賑やかなことは想像できる。「押されて入りて押し出され」で、どうにもこうにも参拝まで至らない様子が描きだされて、可笑しい。最後は「押し出され」るので、ご年配であろう。縁日の日は毎日拝みに行っているに違いない。
 同じ作者の「風邪の神こんなじじいが好きなのか」の「こんなじじい」が、私も好き。

雪激し白き麒麟の歩みけり   山上 博
 目の前が閉ざされそうなまでに、降りしきる雪。麒麟もまた、雪の白さに覆われていくのだが、白い麒麟なのだ、と言い切ったところに強く惹かれた。今まで目にしたことがなかった色の麒麟が、ゆっくりと吹雪の中を歩きだす。

雪掻きも三連休となりにけり   中 十七波
 来る日も来る日も雪掻きに追われる。でも、気が付けばこの三日間は、雪を掻かないで済んでいる。日が射して少しゆるんだ雪の情景が浮かぶ。勤め人の「三連休」がそうであるように、うれしさが良く伝わり、「なりにけり」に安どの気持ちが出ている。

影といふ影の空っぽ冬の月   紅緒
 「影といふ影の」まではすっと読み下したのだが、「空っぽ」で意表を突かれた。「空っぽ」と言われれば、確かに影はそうである。凍てた月の光に生まれたこの句の空っぽの影に、落とし穴のようにはまってしまった。


2014年1月22日

星野早苗ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 明けましておめでとうございます。
 今ごろのご挨拶で、すみません。七草、成人の日、小正月も過ぎて、20日はもう、大寒でしたね。
 15日、下賀茂神社へ行きました。ちょうど小正月で、小豆粥の振る舞いがありました。振る舞いと言っても300円でしたが、あっさりした塩味で、小さなお餅がよく伸びておいしかったです。下賀茂神社の境内には、鴨長明の「方丈」の復元模型が建てられています。柴垣に囲われた簡素な庵は、移動しやすく、長明は何箇所かに移り住んで暮らしたようです。夏は涼しい所に、ということは可能でしょうが、どこへ移っても冬の京都は辛かったろうなと思いました。そのすぐ近くには、美人祈願の鏡絵馬の奉納所があり、今時メイクのかわいらしい丸顔が並んでいます。行き帰り、糺の森の陽を浴びて歩き、何となく清々しい気分になりました。
 今年もよろしくお願い致します。
 さて、今回は、197句より。

【十句選】

茶の花や一朶の雲の動かざる   太郎
 整然と刈り込まれた茶畑に白い花が咲き、空には一群の白雲。晴天で日射しのまぶしい日なのでしょう。何気ない風景なのですが、日常の良さ、安心感を感じました。シンプルで美しい景色ですね。

一本の樺に始まる雪野かな   今村征一
 白樺、岳樺、と、樺の木にはいろいろな種類がありますが、冷涼な地域に多いようです。車窓などから、樺の木を見つけ、さらに進むと雪野が広がっていたのでしょう。省略の効いた景が美しく、一本の樺が雪を呼んだかのような効果をあげています。

初夢の父母降りてくる梯子   遅足
 亡くなった父母が天から梯子で下りてくる初夢を見た、とも読めますが、初夢に見た父母が、天から下りてくる梯子があれば、という子の願いを詠まれたのかもしれません。思いの強さに惹かれました。

園児服干すベランダの四温晴   天野幸光
 雪に濡れたのか、汚れて洗濯したのか、ベランダに干された園児服に目が留まりました。幼稚園の制服は、小さいながらもスーツのようで、子どもが社会に出る最初の改まった服ですね。園児服を整え、外界にチャレンジしている子どもを支える家庭に、四温晴れはよく合っていると思いました。

初寝覚今年はひとつ若返る   山上 博
 数え年の昔は、皆が一斉に年をとるのがお正月でしたが、「今年はひとつ若返る」という発想がユニークです。今年は、と期するところがあるのでしょうか。若返っていくお正月、いいですね。

木守柿母亡きあとの父の髭   秋山三人水
 母亡き後の父は、何かと気がかりだと思います。母亡き後、髭を蓄えている父と、木守柿の取り合わせに、いろいろなことを感じさせられました。

鶴歩くビニール傘の老夫婦   智弘
 雪の降る中、大自然を行く老夫婦。その寄る辺なさと強さに、鶴のイメージが重なるのは、ビニール傘の視覚的効果も大きいかもしれません。(原句…鶴歩くビニールが傘の老夫婦)

おでん鍋ポルトガル語の紛れをり   伍詞堂
 居酒屋のおでん鍋を囲んでいて、ポルトガル語を耳にしました。話していたのはブラジルの人たちかも知れません。ブラジルには日系人がたくさんおられ、日本への就労が盛んです。寒い日本の冬を、おでん鍋で乗り越えてほしいですね。

手袋のなかの静かな会話かな   春生
 「手袋のなかの会話」を、手袋をしたままつないだ手と手の会話と読みました。親子でも恋人同士でも、手をつないで黙って歩いている二人には、心の中で相手に語りかけている言葉があるのではないでしょうか。

寒の水己ひとりの米を研ぐ   利恵
 水の冷たい時期も、毎日きちんと一人分の米を研ぐ。かつて家族のためにしていたように、一人になっても台所に立ち続けるのは、強い矜恃があってのことだと思います。寒の水に響き合う内容の句だと思いました。

【その他の佳句】

野のみどり吹き匂はせて七草椀   きのこ

紀ノ川を跨ぎて太し冬の虹   きのこ

湯に埋めたからだは無色初日記   ばんの

コ・オリナの浜の初風娘の嫁ぐ   孤愁

初売りの野菜と並ぶ福寿草   夢幻

四十年前の一会や賀状書く   隼人

花もよう着る子や寒の遠ざかる   京子

編むよりは根気で解くモへア糸   彗星

初雪や園庭に色あふれ出し   とほる

待春のふんはり冠るベレー帽   春生

往還をごめ〜んごめ〜んと雪女郎   ∞



2014年1月15日

早瀬淳一ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 みなさん、こんにちは。この冬休みは、『ニッポン居酒屋放浪記』・太田和彦・新潮文庫(3巻)を読んでいました。著者は全国の地方都市をひたすら旨い酒と肴を求めてほっつき歩くのですが、土地の地酒や特産だけでなく、いろんな面白い・素晴らしい・不思議な・変な人々とも出会います。また自分のダメさ加減も客観的に書かれてあり、笑えます。そのまち・お店に行ってみたくなること、間違いなし。
 それではお付き合いください。

【十句選】

初富士の触るるばかりの旦かな   洋平
 新年のおめでたい句を1句頂きました。眼前の初富士の大きさ、くっきり感を触るるばかり、と大胆に表現されたところに、作者の気持ちが出ています。気持ちを述べずに気持ちをどこかににじませる、という句がいいと思います。
 外にも出よ触るるばかりに春の月  中村汀女

大年のデパ地下に聞く第九かな   洋平
 年末に聞く第九は恒例ですが、その聞く場所がデパ地下というのが変すぎずありそうで、面白いですね。デパ地下を俳句に使うことに賛否があるかもしれませんが、このような俗語を自由に使えることも、俳句の楽しみ。売り場のざわめきも聞こえてきそう。

冬銀河鉄道にのり赤子くる   京子
 冬銀河の空の下、お孫さん連れの家族が帰省してくるのでしょうか。面白いのは、冬銀河鉄道という宮沢賢治の鉄道に乗って赤ちゃんが一人でやって来るというふうにも読めるところです。一気に素敵なファンタジーになりますね。

煤籠りホットコーヒーモダンジャズ   すずすみ
 煤払いをしているときに、邪魔にならないようにほかの部屋にこもらされている老人と子供たち。作者はご老人でしょうか。その部屋で、ホットコーヒーを飲みながらモダンジャズを聴いて過ごすとはオシャレ!3段切れっぽいですが、ストーリーがあり名詞のみで、そこが魅力。

小半(こなから)の燗熱うせよ熱うせよ   みさ
 小半とは、2合半なんですね。そのかなり大振りな熱燗徳利を熱くしてくれと言っているだけなのですが、小半という言葉が古風で、江戸時代の居酒屋にいるようなユーモラスな響きがあり、調子の良さが作者のいい気分を伝えます。今度熱燗飲むときに口ずさんでしまいそう。

着脹れて着ぶくれている人のなか   遅足
 これもリフレインが効いています。初詣の雑踏のなかか、満員電車のなかでしょうか。周りの着膨れている人に心のなかで文句を言いそうになって、ふと気づくと自分も着膨れていた、という感じ。リフレインには、まだまだ宝物が埋まっている感じですね。

おのおのに冬日入り来るチャペルかな   学
 おのおのに冬日の当たるチャペルかな、ではどうでしょう。地方の小さな教会。クリスマスの少人数のミサで、聖歌をみんなで歌っています。その一人ひとりに意外に鮮明なでも柔らかい冬日がやさしく当たっています。チャペルという場所が少し意外でよかったです。

綾取の橋を渡らむ冬うらら   学
 冬の日が綺麗に当たる暖かい部屋で、大人と子どもがする綾取り。やや複雑な橋が見事に出来上がりました。この橋を渡ってみたら楽しいだろうね、と言葉を交わす。童話のような光景ですね。

雪達磨がっかりすると痩せてくる   紅緒
 普通は雪が溶けて痩せてくると、雪だるまががっかりして見えるというところを、雪だるまががっかりしたら痩せてきた、と逆に詠んだところに面白さがあります。私も、このような発想をうまく逆転させた俳句を作りたいのですが、その好例ですね。

方言を訳すテロップ春隣   佐々木博子
 方言アイドルというひとがいるそうですね。昨年は岩手弁がブレイクしました。そのようなばりばりの方言を話されるお年寄りの方などの話の意味が、テレビの下のところに出ているのですね。その方言の暖かさと、春隣がよくあっていると思います。

【選外佳作】

褞袍着て高下駄履いて射的場   いつせつ
 地方の温泉場でしょうか。いい味です。

木枯らしにそっと聞いてねその事は   石塚 涼
 思わせぶりが面白い。

湧水の落ち合ふ小道除夜の鐘   まゆみ
 湧水が人のように落ち合うのですね。

楪やはらから共に老ひいそぎ   まゆみ
 ゆずりはと老いる、がよく合っています。

来世は猫か吾輩日向ぼこ   孤愁
 猫になりたい願望、私もあります。

甲高き二羽の鶏声冬田かな   太郎
 冬の農村の感じが出ています。

通院日真っ先に書く初暦   洋平
 うちのお袋もこのとおりです。

極月の鯉水底に青く住む   きのこ
 青く住む、がいいですね。

紀伊水道ほのと輝き初明り   きのこ
 スケールの大きな句。

スキーポールついて市場に老夫婦   京子
 季語として少し弱いですが、老夫婦と意外な取り合わせ。

鏡餅洋酒の並ぶ真ん中に   せいち
 豪華そうな洋酒ですね。

こいさんははしゃぎやさんや宵戎   せいち
 お転婆な末娘さんの感じが出ています。

師の賀状いつとはなしに来なくなり   天野幸光
 少し悲しい句です。

伊達巻のほどけてやもめ雑煮かな   山上 博
 帯とも食べ物とも読めて面白い。

読み初めのサガンはずっと赤ずきん   秋山三人水
 サガンさんは赤ずきんをしていたのでしょうか。

初雀すでに姿のなかりけり   遅足
 静かな元旦の様子。

初暦勘亭流の屋号入り   草子
 渋い好みの大振りな暦です。

烏瓜舞姫の朱のトウシュ−ズ   学
 少し不思議な感じの句です。

頑固さは隔世遺伝鏡餅   隼人
 隔世遺伝って、よくないところが似るようです。

日向ぼこ江戸城跡の天守台   隼人
 江戸時代の天守台が残っています。

雪下す屋根の上より女声   隼人
 女声が少し意外。

勝独楽のいまだ気負ふや仁王門   邯鄲
 仁王のような気分の勝独楽です。

初富士や滑りてみるか滑り台   邯鄲
 久しぶりに子供の気分で滑ってみるかという気分。

初夢や馬走らする土星の環   佐々木博子
 幻想的な初夢を見られました。

故郷の湯に遊ばせし氷柱かな   佐々木博子
 露天風呂に氷柱で遊んでいるのでしょうか。羨ましい。

強霜や子らを遠くに生きてをり   たか子
 少し悲しい句です。

捨鐘や狐の提灯ひそと行く   たか子
 柳田國男・遠野物語の世界ですね。

石段を危ふき下駄の初詣   戯心
 その光景が見えるよう。

初景色種も仕掛もありません   ∞
 いつもの景色なのに、神々しく見える不思議。

太箸や笑いを貰い転げ落ち   勇平
 元旦の朝の楽しげな食卓が見えます。

赤丸の二つつきたる古暦   奥野とほる
 何の予定だったのでしょう。きっといいことですね。

【ひとことクリニック】

◎こうされては?
古足袋がよくよく似合う若き嫁
・・古足袋が意外に似合う若き嫁

古暦飼ひ猫の名は十年(ととせ)かな
・・飼ひ猫の名前は十年古暦

ふゆざれやスローモーション鯉の鰭
・・ふゆざれやかすかに動く鯉の鰭

雄弁の無口ふたりのメリー・クリスマス
・・雄弁で無口なふたりクリスマス

干大根利根の河原の広ごれり
・・干大根利根の河原は広々と

幼児の指差す御空初鴉
・・幼児の指差す方の初鴉

胸張りて坂を登るる初日かな
・・胸を張り坂道登る初日かな

三日はや山なす洗ひ物こなす
・・三日はや小山のような洗ひ物

弁当にたこのウインナ四日はや
・・弁当にウインナーもある四日かな

作業衣のままに駆り行く初詣
・・作業衣の数人混じる初詣

どこにでもありそな万両特売で
・・どこにでもある万両が特売に

海老蔵が大見得きりし雑煮かな
・・海老蔵が大見得をきり雑煮かな

母へ吐く嘘の手紙や落椿
・・母へ書く嘘の手紙や落椿

初凪やシーサイド部屋通されて
・・初凪や海側の間に通されて

粕漬や鼻につんとくる小正月
・・粕漬のつんと匂ひて小正月

初日射す野良猫一匹病んでをり
・・野良猫の一匹病んで冬温し

実千万両の区別や外に出る
・・実千両いや万両と争へり

梅噛んでひょっとこ顔だできあがる
・・梅噛んでひょっとこ顔となりにけり、梅だけだと春の季語。

◎報告
寒菊や赤むらさきの明けの空

初笑口に手をあて声殺す

吟終えて盛り上がりたる新年会

冬の雨花屋に入りて浄土かな

歳時記のカバー取替え初景色

供え餅地蔵見ぬまにリスのもの

出す賀状貰ふ賀状も減つて来ぬ

さざめきや玉砂利鳴りぬ初詣

初風と洗濯物と日光と

スカイツリー冬夕焼けの雲をさす

マネキンの毛皮の下に何も着ず

襷継ぐ箱根駅伝息白し

賀状来ぬ友にメールで安否問ふ

除夜の鐘毛布をかけてくれる人

◎説明
二日来て二年居続けボヘミアン

アルファ波海馬むっくり初句会

花八手言葉選んで黙る妻

奇声あげ児ら飛んでくる初笑

水仙や潮騒の音にリズム有り

午前四時受験子あふれる初社

初炊ぎタイマー正午に合わせをり

鏡餅薄き緑のアクセント

紅さしてただそれだけの都鳥

◎類想
湯豆腐にものも言わずに箸はこぶ

冬凪や牧舎の馬の嘶ける

ふるさとの遠くなりたる初日かな

元朝の荒磯に聳ゆ富士の山

初茜はるけき世界遺産富士

初便り電子メールで届きけり

下つ闇ひゆうひゆうと泣く雪女郎

着脹れて鏡のなかに父の貌

初夢に扉を抜けて来たる母

時雨来てもう仲直り考える

福寿草出窓に朝の日を受けて

雪掻や爺は時折腰伸ばし

冬帽を脱ぐや成人式の子に

テレビつけ消しては点けて四日かな

一湾の光をあつめ野水仙

初湯して早くも落とす年の垢

退職の年手作りの松飾

のら猫ののそりのそりと四日かな

◎つきすぎ
初山河鳶果てしなく天翔ける

しじまなる駿河の海や初明り

数の子をばりばり食うて寿

おめでとう笑顔の息の白きかな

クリスマス星の降りくる耶蘇の塔

襷継ぐ箱根駅伝息白し

冬晴やかなたに富士の盃ほどに

霜焼や東司掃除の修行僧

折々に潮の香のある淑気かな

弓なりの僧息白き鐘を撞く

青島の波穏やかに初詣

◎抽象
残像は海馬にありて去年今年

命をね削ることはね冬の夜

雪女影から始まる物語

野積蜜柑色即是空只管打坐

新年をトポロジカルに迎へけり

仮の世の理想の住まい嫁が君

◎意味が取りにくい
曇のちおでんちくわぶなくて雨

畳替六畳あれば独り立ち

初日射す金のなる木の背丈ほど

レイにキッス時差ぼけ隠す冬帽子

熟読し見上ぐる空や寒昴

くちびるに塗る凩の贈り物

父は山に母は海にて水涸るる

傘寿らのトロット軽き新年会

序でにと脳にも仕掛く成木責め

つごもりの撞座に音の別るとき

百歳(ももとせ)の啄木日記もがり笛

絵歌留多の幼児と老いの膝栗毛

宿場町のおもかげ捜す間の内

鉄紺の襷突き上げ息白し

焼き立てのフランスパンをマフラーに

正月や癌ドクターの煙草吸ふ

カメレオン虎落笛など知りません

初雪と駆け落ちしたの犬のアユ

狐火や復路のたすき立つあたり

エゴイズムの斜めに進む冬帽子

胃の脱けしあとのこだまや虎落笛

吊革の手袋赤き骨の谷

青島の洗濯板や初詣

初旅や逆さ福の字中華店

冬の暮首が三つ四つ飛んでゆく

若松は舳先にかかぐ海しずか

初吟詠太陽黒雲ともにあり

けんけんぱ靴下を履く初日の出

日常の初を頭に戻りけり

一日中パジャマ断ち切る冬の風

時雨くる君待つ小屋や六段目

◎言い過ぎ
よき出合い強い握手で年迎ふ

初句会衣の下の鎧かな

初ゴルフ箔を付けたる富士を背に

己の糞を喰らふ句作や去年今年

華やぎの老人ホーム手毬唄

初日の出池に祈りし愛は勝つ

皮剥かず食べる焼芋宇宙図に

◎川柳
ひめ始めを繰り広げたる白き雲

ひめ始め無縁の漢夢に美女

なんとなく指ばかりみるひめはじめ

今年より年玉もらふ身となりぬ

◎あたりまえ
冬晴れや陽あたるものの照り映えて

日の本の淑気の容(かたち)不二の山

年玉ににはか長者となりし子よ

初夢の続きを見んと二度寝かな

旅始まなかひの富士厳かに

大空の中でぽつんと年明くる

元旦の新聞十二単かな

福笑ひアバンギャルドに仕上りぬ

食べて寝る食べて寝るだけ三が日

幼子の鸚鵡返しの御慶かな

◎主観・観念
幸せかしら白猫の日向ぼこ

またひとつ白寿へ勇む大旦

風音はベートーヴェンか寝正月

初夢や宇宙をつなぐハイウェイ

電装の木々の疲れやクリスマス

思い込みそれぞれにあり冬銀河

幻の柚子風呂今も夢の中

初雪の身悶えしつつ肩に消ゆ

◎理屈
我が生に繋がる位牌年用意

非日常とっくに日常四日かな

◎言葉の重複
米買ひに米穀通帳冬うらら

水切りの石ジャンプして年男

◎その他
初宮の列に温故の顔見つけ
・・温故の顔と言いますか。わかりません。

窓辺より高きに拝む初日かな
・・初日が高いのはおかしいのでは。

碧落へ雪を積み上げ嶺々晴るる
・・字数が多いのでは。

貼りたての障子を過ぎる寒すずめ
・・障子貼る、も冬の季語です。

寒犬や毛皮の靴を自慢げに
・・寒犬、の言葉ありますか。毛皮も冬の季語。

大根の肩まで土をかける人
・・農業がわからず、わかりません。すみません。

縁側に蒸籠干しある昼下り
・・蒸籠は季語になりますか。

丸餅だイヤ角餅と福寿草
・・餅も冬の季語。

初釜の風炉先屏風紅の帯
・・材料多すぎ。

除雪車の著き音にて目覚めけり
・・著い、が?

荒崎に海の光や万羽鶴
・・万羽鶴で季語になりますか。


2014年1月8日

芳野ヒロユキドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 あけましておめでとうございます。みなさまにとって穏やかな1年でありますように。
 さて、今回は177句を拝見しました。ほとんどが視覚的、近況報告的な句ばかりでした。ものをよく見る、じっと見る、観察するのは俳句を作る上でとても大切だと思います。でも、それだけでは句作りに行き詰ってしまいますよね。私は俳句総合誌を読みません。俳句を作り始めた頃からです。面白いと思う俳句がないからです。先日、俳句結社誌70冊に目を通しましたが正直、面白いと思うものはありませんでした。同じような俳句ばかりだからです。つまり、俳句が上手になりたいと思ったら俳句だけを勉強してはいけないことになります。いくつか本を紹介します。参考にしていただければ幸いです。

 「日本名句集成」(学燈社)
 図書館に行けばあると思います。俳諧や俳句の歴史を作品で手軽に確認できて勉強になります。
 「俳句のユーモア」坪内稔典著(講談社選書メチエ)
 巻末にブックガイドがあるので、そこも参考に。
 「俳人名言集」復本一郎(朝日新聞社)
 文庫もあると思います。
 「現代詩入門」杉山平一(創元社)
 ものの見方や発想を広げるには最適。楽しく読むことができます。
 「日本の詩歌 25」(中公文庫)
 「レトリック感覚」佐藤信夫(講談社学術文庫)
 どれも実際の作品や表現に即して書かれていますからわかりやすいと思います。

【十句選】

年の市高倉健に似た男   石塚 涼
 高倉健、好きなんです。でも視覚どまり。「に似た男」を「と手をつなぐ」とすると読者へのインパクトが違ってきます。

ドンタカタドンドンメリークリスマス   汽白
 音や声だけで表現しようとしている作者の姿勢が良いと思います。

枯野まではとどかぬ歯冠ブラシの穂   智弘
 歯冠ブラシが歯ブラシなのか歯間ブラシなのかよくわからないのだが、いずれにせよ「穂」が枯野とブラシの取り合わせを成功させていると思います。大胆な発想によって何らかのもどかしさが上手に表現されています。

門礼の人魂ひらりふわりゆく   京子
 正月から人魂を見ることができてうらやましい。人魂になっても挨拶を忘れない義理堅い人物が想像できてどこか滑稽でもあります。

裸木や今なら何でも咲かせます   スカーレット
 希望に溢れた俳句ですね。「何でも」は曖昧なのですが読者は好きなものをここに当てはめる事ができるので逆にイメージが鮮明になります。

白葱を刻むうどんの茹で上がる   ヤチヨ
 切り取っている情景は句の材料として素晴らしいのに状況報告に終わっていて残念です。「白葱を刻むうどんは耳から食う」とかに仕上げるととてもおいしそうなうどんの出来上がりを待っている気持ちが表現できると思いませんか。

透き通る女将の声や白障子   くまさん
 障子があって女将の姿は見えませんが声をたよりに美しい女性を思い描いているところがよいと思います。

寒鴉ヒッグス粒子発見す   ∞
冬木の芽炎の中へ放り込む   ∞
 この二句は上五の季語と中七下五との取り合わせがうまくはまっています。

庭師の手冬の光を生捕りぬ   とほる
 「庭師の手」とあるので視覚的になってしまう。「冬の光」でさらに抽象的になってしまう。「生捕りぬ」が面白いだけにもったいない。「万両の実の一粒を生捕りぬ」とすれば触覚になるし、作者の表現したかったことにちかづくのではないでしょうか。


2014年 1月 1日

岡野泰輔ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 あけましておめでとうございます、と、この文章を2013年のクルスマスイブに書いています。この12月は佐藤康子という素晴しいソプラノを知る機会に恵まれてヴェルディのアリアを数回聴くことができました。(ヴェルディ生誕200年とのこと、同時にワグナーも)言葉は求愛の歌から誕生したという説もあるほど、人間の声の有無を言わせぬ力を堪能しました。言葉は当然意味を引き連れてくるけど、意味が届く前に(イタリア語だしね)直接身体(脳?)に届きたちまち快に変換してしまう声の力。で、例によって俳句の声とは?なんて考えてしまいました。

【十句選】

木枯らしや壁にダ・ヴィンチ人体図   石塚 涼
 円の中で両手両足を広げているあの男ですね。あの男、そしてダ・ヴィンチの厳しい表情と木枯はピッタリではありませんか。不満をいえば「壁に」が説明以外の役はしていないこと。人体図が直接木枯に曝されているというふうにできたら最高。あと「木枯らし」の表記は俳句では「木枯」のほうが締まる。

初氷人差し指を這わせけり   津久見未完
 ああ、そうそう。あるある。と誰でもそのときの感覚を思い出すのではないでしょうか。何かを云おうとしてはいない、最小のヒントで読者に思い出してもらう。見事に決まると最も効率のいい俳句らしい俳句になります。もっともこの道はちょっとゆるむとすぐ月並へ一直線ではありますが。人差し指の具体性と這わせるという言葉の選び方は的確。

枯れ切って夕日透け行く薄かな   太郎
 これも誰もが思い出す景。薄や蘆の間から夕日がちらちら見えるのはいかにもこの季節。おそらくこの周辺で五万とつくられているでしょうが、枯れ切ってと強調したことで理屈ではないんですが感覚的に納得がいきます。

冬晴に吸ひ上げらるるエレベーター   きのこ
 よく晴れた冬の青空の透明度は、じっと見ているともうそれだけで吸い込まれそうになります。その共有できる感覚を基に、多分ガラス張りのエレベーターから青空を見ていればその感覚はさらに強まるでしょう。エレベーターという足もとの不安定な場所だけに一層です。

狐火のある日一気に老いにけり   学
 読むのが難しいが、一種説明のつかないおもしろさがあるので採りました。 句頭から順によんでいけば狐火が老いてしまうというおかしなことに。狐火でいったん切れると読むのでしょう。ある日を境に一気に老いてしまうのは、この作中主体である誰か。助詞の「の」が微妙な働きをしていて句の複雑化に寄与しています。もともと狐火は物語を誘う言葉ですから。

魚介系黄色パスタ開戦忌   智弘
 前半十二音が拙い言い方で、音数が不足のような気もします。黄色は「きいいろ」と読ませるのでしょうか?それにしても黄色パスタって?もうちょっと他の言い方はないでしょうか。と文句をいいながら採っているのは、いまや国民食にもなりそうな飽食日本のイタ飯の開戦忌へのイロニー効果。1941年12月8日なんて今や誰も意識してませんものね。たしかこの戦争では餓死、戦病死のほうが被弾死より多かったはず。

トポロジーれんたんれんこんこんぺいとう   ∞
 楽しいモノ尽くしです。5回も重ねられた撥音節の調子のよさ。それがちゃんとトポロジーを想起させるしくみ。でもこのトポロジーがまとめすぎ、答になりすぎでは?面白がって、はい、終り、ということになっている。ここが考えどころだと思います。

しんがりの赤子の嗤ふ枯野かな   浮遊子
 ちょっと怖い民話のような物語に誘う俳句です。しんがりが赤子とはどんな行列なんだ?しかも嗤う(あざわらう)とはどんな赤子?どんな状況?読者それぞれが触発されて物語を紡ぐおもしろさ。枯野とは百鬼夜行の物語の沃野です。

出ておいで私を捨てた冬の鹿   あざみ
 冬の牡鹿は淋しい、雌鹿と離れて森の奥にひっそりと隠棲している。そんなことを思わせるやさしい呼びかけです。相手が秋の繁殖期を終えすっかり体力を消耗した牡鹿だけにこの相聞句はすこし魅力的に屈折しています。ちょっと盛りを過ぎたプレイボーイへの恋句か。

淋しいを淋しいと言うミカン山   あざみ
 淋しいという感情を敢えて口に出して淋しいと言う。こういうものの言い方だけで内実はない、読者に渡してしまう。ずるいとはいえ上手いやり方。用意されているのはミカン山という舞台設定のみ。このミカン山が淋しさには程よい距離で気が効いていると思いました。私の勝手な思い込みで瀬戸内の小さな島が見えます。ミカン山のカタカナ表記は疑問、「蜜柑」はともかく「みかん」では?

【次点句】

最悪の巨人の迫る12月   豊田ささお
 一読「戦争が廊下の奥に立つてゐた」渡辺白泉 を思い出します。言葉もむきだしで場合によっては逆選候補になるかもしれません。しかし言葉を半端に磨かない、そのむきだし感の強さが新鮮で共感しました。同じ作者の「十二月軍靴のひびき吾後に」の既視感よりずっといい。それにしても・・と、ああここでは止めておくか。

【予選句】

竹林のかんかん鳴るや冬ごもり   太郎
 「かんかん」がいいい。

エンディングノート余白未だあり年暮るる   彗星
 余白が人生の余白にも読めてふくらむ。

雑煮餅目には見えねど国境(くにざかい)   伊藤五六歩
 雑煮餅が何かの喩になっているとも読めるが不発気味。

枯木立北へ流るる煙かな   飛鳥人
 このなんでもなさがいい。

ケータイの身震ひ頻り雪催   孤愁
 身震ひと雪催、うまくできています。

わが胸の淡きところを雁の列   学
 ややナルシスティックに過ぎるが、美しい。

冬林檎芯に一顆の光あり   ばんの
 あの蜜のところか。いい得ている。

くれないの葉はかがやきぬ冬の雨   ロミ
 シンプルながらあまりない組み合わせの句。美しい。

布靴に跳ねては転ぶ初霰   えんや
 的確な写生。布靴なのが意外にいい。

店頭の聖樹の星に触れて入る   えんや
 こういうことってたしかにある。

雪達磨足跡残し消えにけり   山上 博

羽子板市端の暗きに占師   隼人

画かれしはひめはじめかも「歌満くら」   大川一馬
 この春画展がなぜ日本でできないのか?

ブルースがタンゴにかはり暖炉燃ゆ   今村征一
 レトロ!日本における洋風建築と洋風の生活様式、映画の中にしかなかった。

ひと日漕ぎまた漕ぎいのち福寿草   草子
 毎日の積み重ねを漕ぐとしたのはいい。

コロッケを頬張って聞く除夜の鐘   邯鄲

影という影出払って冬の月   紅緒

車窓より雪の裏側ながめおり   くまさん
 雪の裏側という発想はいい。