「e船団」のドクターがあなたの俳句を診断したものです。


2014年10月29日

久留島元ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 風が秋めいてきた、と思ったらたちまち寒くなってきました。季節の変化のせいか、周りでも風邪っぴきが増えています。健康第一で俳句を楽しみましょう。
 さて、今回の投句は191句。
 全体に、秋の季語は静けさのなかに情感のあり、使いやすい季語が多いといえます。皆さんから寄せられた、秋の佳吟を読んでいきましょう。

【十句選】

くるみ割りにくしトルソー抱きにくし   伊藤五六歩
 「くるみ」を割って食べる状況と「トルソー(胸像)」を抱いて、移動する?状況とのつながりがよくわかりませんが、工房の風景でしょうか。気むずかしげな芸術家の風貌が浮かびます。芸術の秋。

読書する夜に鮟鱇泳ぎ来る   糸代みつ
 鮟鱇は冬の季語。落ち着いた「読書の秋」ではありませんが、あの独特の風貌で近づいてこられたらぎょっとします。

個室には三人でした青蜜柑  さわいかの
怪獣が現れました吊し柿   幸久
 食欲の秋を2句。どちらも「事柄+季語」の形式ですが、前者「個室には三人でした」という報告をする状況を考えると、なにか事件の事情聴取のような、不穏な感じもします。
 後者「怪獣が現れました」は非日常ですが、「吊し柿」の郷愁をさそうほどの日常性がまさり、まあ怪獣が出てもちょっと暴れて帰るのだろうという程度の、庶民のしたたかさを感じます。

弟の感じが出てるさつま芋   岡野直樹
 これは弟の作った芋なのでしょうか。「さつま芋」を見て「弟らしい」と思う、その感じとり方は、家族ならでは。いい句だと思います。

同姓の浜の墓標や草の花   学
 同姓の墓標、気になりますね。「浜の」がやや過剰に思えたので、秋の浜辺とわかる季語に入れ替えるといいと思います。

台風が来るよモスラとゴジラ岩   中十七波
 大型台風が多かったためか、怪獣句が多かったですね。掲句は岩の名前ですが、「天狗岩」などではないのがいい。「ガンダム岩」なんかもあるのでしょうか。

ふあふあの雲ふあふあの秋祭   ロミ
 「ふわふわの雲」は当たり前ですが、「ふあふあ」で、さらに秋祭へつながる楽しげな感覚がいい。

その昔満月だった海星かな   B生
 ヒトデが「星」なのは字のとおりですが「満月」だったというのは変化球。

引き千切る芒の茎の馬鹿力   意思
 芒を引きちぎろうと思ったら思いのほか丈夫で驚いた、という句。一般に、「よくある発見」を比喩的に表現するのは「月並」句におちいりやすく、この句も例外ではありません。しかし「芒の茎の馬鹿力」という表現は、案外捨てがたい。作者の驚きが、粗雑な言葉遣いのなかで生き生きしている。名句か駄句か、悩むところ。

【選外佳作】

朝寒やシャドーボクサー種痘痕   伊藤五六歩
 シャドーボクシングをしている人に「種痘痕」を見いだした、というのは発見です。しかし「車道ボクサー」という言い回しは変なので、「ボクサーに種痘痕あり朝の秋」などはどうでしょう。

秋の灯を映すピアスや夕厨   山上 博
 山上さん、前回に続き「化粧」句に挑戦。掲句は地味ながらきれいな秋の風情です。「耳に鈴赤きへの字の案山子かな」も気になりましたが、「赤きへの字」がやや言葉足らずで違和感。

こほろぎや声出して読む私小説   学
 こおろぎと朗読との交響。私小説ってかなりどろどろしてますけれども。

不知火や明日は別れる人と逢ひ   せいち
 ドラマチックですが、内実は旧い友だちが訪ねて来ただけ、なのかも。

地球儀の日本赫々鷹渡る   孤愁
 故国と思えばその赤々しさも誇らしく、気恥ずかしく。

腹たてて横になるなり炭俵   糸代みつ
腹たてて横になるなり膝枕   糸代みつ
 よく似た句ですが、私なら後者を採ります。前者は「炭俵」を擬人化した言い回しで、やや気取りが見えますが、後者は、腹を立てているにもかかわらず妻(母?)に甘える人物像が微笑ましい。

苛めるもいぢめらるるも虫すだく   ほりまき
 人生いろいろ。虫の声もいろいろ。

失ってやさしくなって秋桜   紅緒
 一年も四分の三をすぎた、秋ならでは。

【添削をいくつか。】

人数減りラジオ体操冬隣   大川一馬
 「冬」で「人が減る」のは、当たり前。五七五でそろえるなら「人の減るラジオ体操冬隣」としてはいかがでしょうか。

ハレの日の新米よそう大女将   茂
 「ハレの日」「新米」がつきすぎ。いっそ「仏滅に新米よそう」のが俳諧です。


2014年10月22日

中居由美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 スポーツの秋です。みなさんは、どんなスポーツがお好きですか?私は、健康のため水泳とストレッチを続けています。この秋に開催された「アジア競技大会」では、テレビ観戦を楽しみました。そこで思い出したのが、『船団』95号の「スポーツを詠む―オリンピッ句」という特集。スポーツも俳句も、瞬発力というか、瞬間芸?的なところが必要で、そこが似ている点かもしれません。熱気に煽られないで冷静に詠んだ句には、普遍性があるなあ、と再読しながら思いました。
 今週は、205句から。想像の余地がある句(言い過ぎていない句)を意識して選ばせていただきました。

【十句選】

笑わせて泣かせてラ・フランスひとつ   せいち
 見かけはよくないが、味は濃厚、香りもよい果物。ラ・フランスという語感も軽やか。転がしながら笑わせたり泣かせたり、いろいろな状況が想像できる。「ひとつ」が効いている。

天高しざっくばらんに告白す   加納りょうこ
 恋の句かなあ。それとも??・・・。告白という重い言葉を俳句に取り入れ、軽い言葉に転じている。高い秋空と地上の些事の取り合わせが面白い。

ハーモニカ秋の野を行く猫の耳   山上 博
 猫の耳に句の焦点があり、秋の野を移動していく。どこからか聞こえるハーモニカの音色。視覚と聴覚がメロディーを奏でているような一句。

てんでんに出かける家族菊日和   のざきまみこ
 菊日和の一日。それぞれの用事があり、めいめいに出かける家族。残されたのはお父さんだろうか。ちょっと淋しそうな姿が浮かぶ。

飛火野の青信号を人と鹿   隼人
 飛火野という固有名詞が効いていると思う。古代の火の赤を連想させた後で信号機の青を登場させる。人と鹿が同等に信号を待っている姿がおかしい。

秋灯や織部の碗のうすみどり   えんや
 焼物に詳しくないので心もとないが、織部焼は緑色が特徴だとか。この句を読んで、懐かしく静かで落ち着いた空間を連想した。秋冬の食卓には、質感のあるみどり色の食器がよく似合う。盛り付けた料理も美味しそう。

陽の沈む地平に石と芒かな   戯心
 シュールな世界。写生句ともとれるが、何度も読み返しているうちに不思議な句だと思うようになった。この光景、この世の始まりか、この世の終わりか・・・。

大阪の女は嫌ひ花八手   ほり まき
 確かに好き嫌いあるだろうなあ、とニヤリ。地方に住んでいると、大阪人の積極性に圧倒されっぱなし。その反面、みなぎる活力に羨望も。作者は後者であろうか。

南洋に台風の目トースト焼く   宮田和典
 今年は、秋になってから大型台風が相次いでやってきた。災害も発生し大変な年となった。しかし、どんな時でもおなかは減る。まずは食べなくちゃ。トーストの焦げ目から南方の気配も伝わってくる。

夕暮れの早き山里蕎麦の花   とほる
 以前、訪ねた蕎麦畑はまさしくこんな光景だった。一面の白い花が可憐に、したたかな強さをもって咲いていた。山里の秋の夕暮れは早い。色彩がとても美しい句。


2014年10月15日

えなみしんさドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 ふとある感慨が浮かび575に収めようと思ったが、うまく行かずに、あげくの果てに何を思ったかすら忘れてしまった。
 こんなことはありませんか(わたしは、しょっちゅうです)。どんな事でも俳句にできないものはない、とある俳人が言ってますが、実際は、そううまくは行かない。でも、その575に収めにくいものを俳句という形に定着させる努力。これが大切なのだ、と改めて思わせてくれた池田澄子百選でした。
 今月は、210句からの選でした。

【十句選】

開け胡麻閉めよ卓上胡椒瓶   伊藤五六歩
 作者は、胡麻から「開け胡麻」を思った。そこから、対比させて「閉めよ卓上胡椒瓶」とつなげた所が非凡。愉快な句になりました。胡麻は秋の季語ですが、掲句では無季と考えた方が良さそうです。横書きの場合は、胡麻の後を1文字空けるのも良いかと思いました。

五輪五種競技に散歩秋うらら   伊藤五六歩
 五輪に散歩があったらなぁ、と思う人はいるかも知れませんが、その「あったらなぁ」は省略して「五輪五種競技に散歩」と575にしたのが冴えています。

一周り下のひとには爽やかに   石塚 涼
 「爽やか」は、秋の気候をあらわす季語ですが、掲句のように気持ちの持ちようや生活態度を表現する秋の季語としても使われます。年ばかり食って偉そうにしがちな私の自戒をこめて、選びました。

蚯蚓鳴く骨にナイフの当たりけり   石塚 涼
 春は亀が鳴いて、秋は蚯蚓が鳴く。順調に事が運ばなかったときの気持ちのズレを表現する季語です。ここでは、食事の時のなにげない出来事を表しています。ちょっとユーモラスでもあります。

背広着て銀杏拾ふ丸の内   大川一馬
 「丸の内」というのは、皇居の近くのオフィス街です。実際に銀杏の木もあったように思います。なにげない句ですが、「背広着て」が効いていて、写生だなあ、と思わせてくれます。

喪服脱ぎこの世にあまる月夜かな   遅足
 「この世にあまる月夜」が面白い表現と感じました。「喪服脱ぎ」がややダンドリっぽい上5ですが、「あの世、この世」の対比を思わせるで、良いと思います。同じ作者の句で「月光を脱いでこの世にあまりけり」がありましたが、同じ理由で掲句がすぐれていると思います。

柿ふたつ夫亡きことをふと忘る   ほり まき
 実感だなぁ、と感じさせてくれました。たぶん「柿ふたつ」のさりげない切り出し方や、技巧のない素直な表現がそうさせているのだと思います。

名月の吐き出されたる大欠伸   戯心
 名月の夜に大あくびをしたという事でしょうが、真横から見た人の顔が口を開け、月を吐き出している図を思い浮かべて愉快でした。

行き過ぎる雲 立ち止まる赤とんぼ   紅緒
 やさしい言葉の対比の句。「行き過ぎる雲」とあって、次の「立ち止まる赤とんぼ」がちょっと意外性があります。雲と赤とんぼで、大きな景が浮かびます。このような口語チックな句は、一文字あけも効果的だと感じました。

柿食ってニーチェは悩む生きる意味   秋山三人水
 俳人が柿に特別な思いを持つのは、柿を食べるとどうなるのかという例の有名な句があるからです。作者は、その延長で、生きる意味を模索するニーチェに思いを馳せたのでしょう。結果、たかが柿で大騒ぎすることへの皮肉も伝わってきます。

【候補句】

木耳や芳一の耳たぶ固し   伊藤五六歩
 芳一の耳と木耳の取り合わせは秀逸。557の調べが悪いと感じます。「固し」もいまいちなので、考え直せばきっともっといい句になると思います(無責任でスイマセン)。

三越の地下はすっかり秋になり   石塚 涼
 デパートの地下の食品売り場が秋になっている。珍しいことを詠んだ句だと思います。

毒茸のデカイ悔しさ蹴つ飛ばす   ポンタロウ
 面白そうな句ですが、文脈がつかめませんでした。特に下5。

骨の音低く響けり銀河の夜   加納りょうこ
 なにやらブキミで面白かったのですが、「骨の音低く響けり」というのがイメージできませんでした。

凍りたる秋刀魚の涙指に解く   遅足
 「指に解く」まで言わないで、秋刀魚の涙まで凍っている、というだけで良いように思いました。

どれもみなゆれてゆめみて草の花   ∞
 心良い響きなのですが、最後「草の花」と来て、季語を説明したあたりまえの句になってしまったように思います。

完走の深き一礼青蜜柑   璃瑠
 「完走の深き一礼」は、共感するフレーズです。季語がどうでしょうか。

神無月一人足りない荒川線   あざみ
 わたし事ですが、ある吟行が別の予定とぶつかり行けなくなった事があります。その時に、こんな風にわたしの事を詠んでくれたらうれしいだろな、と思って目にとまりました。


2014年10月8日

岡野泰輔ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 他人の俳句について書くということ――始めはなんとも思わなかった俳句も書きすすむうちに、すっかりその句のファンになっていることがあります。逆に見た目のよさで手を伸ばした句でも、書くうちに俳句としての欠陥が露になってくることもあります。読むのと違い、書くということのおもしろさと恐さでもあります。というわけで私は今回が最後になります。皆さまの句をネタにあれこれ勝手に書くことで、逆に私が俳句の勉強をさせていただきました。
 長い間ありがとうございました。

【十句選】

秋尽くや遠き朋より空メール   伊藤五六歩
 俳句の中にちょっとした事件があります。単純ミスかもしれないが(多分そう)本文の無いメールには不穏な匂いも。空メールだけで、遠隔地の友との関係をいろいろ想像できます。こうみると空メールという言葉が句の中で大きな力を発揮しているのがよくわかる。

角打ちで締める谷中の秋七日   伊藤五六歩
 角打ちという言葉を知りませんでした。酒屋の店頭にもうけた場所で立ち飲みをすること。いかにも呑み助らしいこれだけの内容が「角打ち」のたった四音で間に合う、効率がいいです、俳句向きです。何軒か回った後で、まだ帰りたくなくて、一人で寄る、そんな渋い酒飲みの姿が「締める」で決まった。谷中という地名もかっこいい、よすぎるくらい。「秋七日」とは七夕、これがどうかな?

帆船のごと遠ざかる秋日傘   きのこ
 秋の陽をいっぱいうけた日傘を帆船とは大げさですが気持いい比喩です。見逃せいないのは帆船の比喩で、この日傘の人の遠ざかるスピード、非常にゆっくりした時間が表現されたことです。それと、いつまでも見送っている作者の視線も。

エリエールするする抜きぬ月の夜   加納りょうこ
 この場合、固有名詞「エリエール」が「クリネックス」より勝る。(急いで付け加えればスコッティ、ネピアよりも)舌頭に千転までせずとも交互に二三転すればわかる。中七「するする」に抵抗なくつながる語呂のよさ。R音の働きか。こういうのを程よい取り合わせというのだろう。ティッシュのあえかな質感と抜くときの手に残る感触と涼やかな月光。いいと思います。

その中に桔梗も入れ供華とせり   まゆみ
 なんてことのない、平凡な報告のような姿ですが、工夫されていて捨てがたいと思いました。「その中に」でいきなり始める省略のしかた。仏前に供える花々、多分、黄や白の菊など想像する、その中。桔梗も供花としてはびっくりはしないが、この句中では文体もあって、その紫の姿に焦点が絞られた。きちこう、くげ、という硬いK音の連なりに、最後の「せり」が強く、全体をきりっとみせています。

盆唄や河口の街の遠い酒盛り   木下昌子
 最後七音の妙な間延びが効果をあげて、不思議な叙景句となりました。旅人が初めての街を眺めるような、映画のような視線です。「遠い」の効果でしょうか。遠いと書かれていても酒盛りの様子は分かる、唄も聞こえてくる、そのくらいの絶妙な距離。視点人物と酒盛りの間に幅広の河の水がある。後半の具沢山の散文的な文体に、ひと昔前の前衛俳句、社会性俳句の匂いを感じます。今こういう文体は忌避されていますが、個人的には可能性を感じます。「や」で始まる文語と「遠い」の口語の混交も、一般的には禁じ手ですが、「や」を俳句の固有-共有タームと捉えれば、私の中では共存します。遠き酒盛りではこの映像が生まれない気がするんですよ、私には。

福島の猪身にしみてなほ荒るる   学
 書かれている内容は切々とそれこそ身にしみます、ある怒りを伴って。こういう題材を俳句にするのは(成功の確率は低いながら)大いに賛成です。
 ここで問題にしたいのは季語「身にしむ」の置き場所。身にしむのはあくまでも人間、掲句の位置では猪の感覚になってしまいませんか?福島の猪は今なを荒れている、そのことがひときわ身にしみて感じられる秋の冷気よ、との内容でしたら、句頭か句末に置いてみてはいかがでしょうか。

捨団扇隙間のあれば差し込めり   をがはまなぶ
 扇に比べて、この頃の団扇の安っぽいこと。その安っぽい団扇の扱いがぞんざいになる、そのことを微苦笑とともに納得します。この隙間に差し込むという単純な行為が家庭内における団扇の地位を端的に物語っています。うちも新聞紙の下、本棚の本の間、とばらばら、いくつかは来年の夏まで同じ位置か?
 捨団扇というこの季節感も味わい深い。

天空の花野に出かけ朝帰り   草子
 天空の花野が象徴性高く、美しい。幻想、幻視の句として読む。彼岸、異次元からの帰還と読める。ご家族の現実がおありのようですが、それを超えた普遍性を獲得しています。「空へゆく階段のなし稲の花」田中裕明を思い出しました。

三日月にぶらさがっている象の鼻   ロミ
 俳句で描いた絵。奥行が浅く、舞台装置のようでもある。これは貶しているのではなく、俳句でこのような世界ができたことがおもしろい。
 古来三日月の図像はその上に人が乗ったり、そこから何かがぶらさがったりする場所だった。そういう三日月図像の蓄積がこの句を舞台装置のように感じた理由かもしれない。サーカスのポスター或はテント内の空間のようにも。

【予選句】

父母のいますお墓に秋の蝿   古田硯幸
 秋の蝉でも蚊でもなく蝿であることが味わいを生んでいる。

黙祷に始まる会や秋深し   吉井流水

毒茸図鑑納まる書の隙間   伊藤五六歩
 図鑑の想像される厚さと隙間の関係で躓く。

ストレスを静かに爆破木の実落つ   とれもろ
 あまりにも直接的でびっくり。「静かに」が恐いです。

長き夜折りたたみても鬱こぼれ   とれもろ
 同じ作者、「折りたたみ」が工夫。ストレスとか鬱とか使わないで同内容を表現したい。

金木犀地図作りたくなる季節   ゆきんこ
 内容は共感。下五の「季節」が最大の欠点。「作りたくなる」も冗長。

田三枚伸ばす散歩やきりぎりす   太郎
笑ひ茸うぬも笑へと放尿す   大川一馬
月光にまみれてホラー映画めく   せいち

公園の時計見上ぐる素十の忌   洋平
 なんでもないのが素十らしい。

レモン噛むもう一度噛む競技場   津久見未完
 なんの競技か分かればいいのに。

白桃や怪獣図鑑見る少女   邯鄲

霧笛にも雌雄ありしか呼び交はす   山上 博
 「雌雄のありし」と断定した方が強い。

母逝きし齢となりて墓洗う   戯心

月青くわたしは生きてリスカする   秋山三人水
 リスカ=リストカット恐い、この省略言葉はもう定着しているのか?

秋海棠ばかり目に入り三千院   京子

身に入むやアンフォゲタブル父娘の声   をがわまなぶ
 文句なし、この素材。いいなあ、また聴きました。

長き夜や尻尾のことを思い出す   岡野直樹
 視点のおもしろさ。「長き」が微妙に喩になってしまって損かも?

新藁の中に沈みしかくれんぼ   瑠璃
アンテナもぽっきり折れる曼珠沙華   さわいかの
曼珠沙華だけを残して比良の里   ∞

ペン先に滲むインクや曼珠沙華   糸代みつ
 三句とも曼珠沙華の類想に陥っていない。

長き夜や鯛のあら煮の目玉吸ひ   隼人

蓑虫や「掃除不要」の札下がる   紅緒
 状況が分かりにくい。季語が喩になっている、それがいいのか、わるいのか?

秋の蝶南無大師山の細きみち   豊田ささお

【曼珠沙華問題】

 今回、季節もあって曼珠沙華の句が多かった。

天空へ火焔のごとし曼珠沙華
傾城の赤き眦曼珠沙華
曼珠沙華殺意秘めたる艶姿

 それぞれ別の作者ですが、この傾向の句は実に多い。この花の色、姿、漢字の字面、などがこのようにヘヴィーな世界に誘うのでしょうか。それぞれ力作で悪くはないのですが新鮮ではありません。この世界で詠むのでしたら、よほどの工夫が必要でしょう。


2014年10月1日

内野聖子ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 ようやく本格的な秋が訪れてきて、過ごしやすい毎日となりました。
 季節の変わり目なので、体調を崩される方も多いと思いますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?
 さて、秋には「○○の秋」などと「○○」に様々なことばがあてはまりますが、私の場合はやはり「食欲の秋」が一番にきてしまい、先日久しぶりに体重計に乗ったところ、かつて見たことのない数字に悲鳴をあげてしまいました。
 ショックから立ち直れない状態のままテレビに目をやれば、現在韓国で開催中のアジア大会で選手たちが頑張っている姿を見て、私も頑張ろうと固く心に誓ったのでした。

【十句選】

長月や子々孫々と蒙古斑   伊藤五六歩
 「蒙古斑」ということばを久しぶりに目にした気がします。蒙古斑はアジア人特有のものなので、西欧では時々児童虐待による傷と誤解されることもあるらしいと以前知った時にはショックを受けました。
 子にあった蒙古斑が孫にも同じように存在しているのを見ると、脈々と受け継がれていくものを感じ、感慨深いのではないでしょうか。

露たちがなにかそうだんする今宵   加納りょうこ
 露を擬人化することで、かわいらしいファンタジーの世界ができています。発想が新鮮な句ですね。

豚動き子どもら動き秋うらら   古田硯幸
 豚が動くとそれを見ている子どもらもつられて動いているのか、豚も子どもらもそれぞれに動きまわっているのか、様々なとらえ方ができますが、リフレインがうまく効いていますね。
 穏やかな秋の一日の微笑ましい情景が浮かびます。

だし巻きがふわりと焼けて小鳥来る   ポンタロウ
 だし巻き卵って作るのが結構むずかしいんですよね。それがふわりと上手に焼けるとそれだけでうれしくなってしまいます。
 その楽しい気分と小鳥がうまく合っていて、明るい句になっています。

廃駅の時間は葛の花の中   せいち
 寂れてしまった駅に葛の花だけが一種独特な雰囲気を放ちながら咲いているといった光景が浮かんできます。
 以前は確かに生き生きと流れていたはずの「時間」が、今はもう葛の花の中にのみ留められているような少しさびしい情景でもあります。
 とても雰囲気のある句ですね。

菊膾三日の旅に三日雨   学
 菊膾は主に東北地方で食べられている、菊の花びらを茹でて三杯酢や甘酢で和えた料理。旅行中ずっと雨という少し沈みがちな気分を菊の鮮やかな色が少し明るくしてくれるような気がします。

八朔や海風通る勝手口   茂
 風の通る家って気持ちいいですよね。海からの風が通っていく勝手口に置かれた八朔の黄色が爽やかさを強調しています。海の青も連想されて色彩の対比も鮮やかです。

猫ののむ水の音する月明かり   戯心
 静かな月が明るい夜に猫が水を飲む音だけが聞こえてくるという情景が浮かびます。月明かりに主眼を置くなら、「月明かり猫の水のむ音のして」ではいかがでしょうか。

伸びんとす草は草なり草紅葉   糸代みつ
 草紅葉は樹木の紅葉とは違った趣がありますね。「草」を3回重ねることで印象深くなっていますが、人によっては多少好き嫌いが分かれるかもしれません。
 また、「伸びんとす」にもう一工夫あってもいいかなと思いました。

雁来紅唇の皺深くあり   あざみ
 「雁来紅」は葉鶏頭の別名。雁がやってくるころ葉の色が鮮やかになるのでこの名がついたと言われています。花は目立ちませんが、派手な色彩の葉が綺麗です。因みに花言葉は「不老不死」「情愛」だそうです。
  雁来紅が口紅を連想させ、さらに唇の深い皺からあまりもう若くない女性のイメージが浮かびました。身に沁みる句です。


2014年9月24日

須山つとむドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 元気のなくなってきた凌霄花(ノウゼンカズラ)が、花の後に長い莢果(キョウカ)を付けはじめた。次の世代の種を遺す準備をはじめたのだろうか。
 句会ならパスして済ます次の難解単語と向き合う。これって、『今週の十句』の恩恵かも。
 ・夢ピリカ:ネット検索で、「ゆめぴりか」(北海道のブランド米)のことだろう。
 ・敗荷:歳時記をていねいに読み、 「やれはす、破れ蓮」を見付けた。
 ・石龕:漢和辞典と広辞苑の世話になり、セキガン(石の塔、石の厨子)と理解した。

【十句選】

秋の戸は引き戸なるべし雨三日   伊藤五六歩
 「上五、中七」の強い断定が心地よく、仲秋の季節感とライフスタイルへの拘りといったものが、ユーモラスに伝わる。反して、「雨三日」はやや理に落ち、再考を待ちたい。

蜩や塔婆の筆の逞しき   まゆみ
 板塔婆に墨くろぐろと走る梵字や戒名の雄渾な筆跡。故人の活躍や往時の生きざまを彷彿とさせる。まだ日が高いのに蜩が鳴いた。あのだみ声はもう聞く事ができないのだ。

トレパンの二本の脚や大案山子   えんや
 スポーツウエアでは無い。あの頃、皆で愛用していた晒し木綿の白のトレパン。「や」で強調された(太い)二本の脚から、案山子君の益荒男振りと田園の景が、クッキリと見える。

突つかれて怒る芋虫また突つく   ポンタロウ
 隠蔽と顕示のための巧みな擬態。愛すべき色彩と姿態、しかも無毒。でも、触りたくはない。こんな芋虫との距離の取り方が、「また突つく」で、旨く描きだされた。快哉の句。

敗荷や新規開業接骨医   南 次郎
 新興住宅の立ち並ぶ街はずれには、まだ蓮池が残る。最近、その一角にモダンなデザインの医院が開業した。新旧の無理のない『取り合わせ』の句。敗荷と接骨とに、やや類縁を見た。

本物の十五夜掲げ忠治かな   邯鄲
 取入れの済んだ村に、旅の一座が小屋を掛けた。出し物はなんと、『国定忠次』。芝居はクライマックス。ホリゾントに懸かる丸い月が、今宵は何と、正真正銘の十五夜とは。『掲げ』が、はたしてベストな選択か。機知と溢れるユーモア、作者の得意顔に拍手。

爪切りの三つ四つも出て花梨の実   ∞
 花梨の香に誘われ、久方ぶりの帰郷。お袋に「爪切りは?」と頼むと、出るわでるわ。ゴツゴツして香りだけの花梨の実と、素っ気ない爪切り。この取り合わせの妙に俳味が薫る。

泡風呂に浸る二百十日かな   ヤチ代
 厄日の二百十日も難なく過ぎようとする一刻。プラズマ湯ではない。お馴染みの泡風呂に、安堵と喜びにゆったり浸るオトコの姿。さりげない措辞『浸る』のもつ現実味を評価した。

手術痕見せ合うてをり小鳥来る   璃瑠
 手術痕を見せ合える(男同士の)関係が句の焦点。無二の親友、母系の従兄弟・・など想像する楽しさが。結句『小鳥来る』から、おまけのように得た嬉しさや楽しさが想像される。

鵙がなく雑木林に風が吹く   豊田ささお
 直截な表記で、句風に新味を与ようとした作為をおいに買う。但し、「なく」は鳴く、啼くを選ぶほうが分りやすい。まさか『無く』ではないだろうと思うが、作者は?

【気になる五句】

打ち橋に農夫が屈む赤とんぼ   たか子
 「打ち橋」は掛け外しができる仮の板橋。現実の景としてはまず見られない。天袋に仕舞ってある掛軸の山水画に出てきそうな景色。あまりに懐古的だが、赤とんぼの朱色が救い。

少年の巣立ちの朝や鬼やんま   邯鄲
 日本最大、黒と黄の斑の目立つトンボ、鬼やんま。親の庇護を離れた少年の、大いなる未来を暗示する。「巣立ち」では、学校から実社会に出る春期を連想しがち。旅立ちの朝では?

うわあああ歩道橋から満月だ   をがはまなぶ
 上五の感嘆詞のユニークさに惹かれた。歩道橋に固有名詞を当て、さらに臨場感を演出してみるのも一考。

分かれ路吾亦紅咲く方をゆく   利恵
 毅然としながら、しかも頼りなく揺れて咲く吾亦紅の景がよく見える。が、分かれ、咲く方、ゆくと、性情や動作を示す叙述が多すぎ、句の焦点がぼやけた。

虚子句集読み返しゐる良夜かな   とほる
 見事にまとまりを見せた一句。「読み返しゐる」だけでは、作者のオリジナリティーが意外に見えてこない。既視感のある句から抜け出す挑戦にも期待。


2014年9月17日

星野早苗ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 空も雲も、秋らしくなってきましたね。みなさん、お変わりありませんか?
 先日、駅へ急いでいると、プラットホームの先に、こぼれそうなほどたくさんの若者がいました。近づくと、全員、こちらを向いてカメラを構えています。が、勿論、被写体は私ではありません。間もなく播州赤穂行きの新快速列車が通り過ぎました。どこかの大学の鉄道研究会でしょうか。田んぼに面したホームには、秋の日差しがいっぱいでした。
 さて、今回は、220句の中から。

【十句選】

秋の灯や百名山の写真集   大川一馬
 秋の夜、百名山の写真集を広げておられるのでしょう。空を背景にした様々な山容。そこには、夏山も冬山も、思い出の山もあるのかも知れません。一抹の寂しさはありながら、秋灯の下に百名山を置く、という、ファンタスティックな味わいもある句だと思いました。

大文字まみずのごとき火となりぬ   遅足
 大文字の燃えさかる火が、いつしか静かになり、青く冷たく透き通ってきた、と読みました。亡き人への想いも、年月と共に、真水のように変化して来たのではないでしょうか。けれどもそれが、消えがての火ではなく、安定した絶頂期の火を思わせるところが、この句の妙味だと思います。

早稲酒や新しき夜始まりぬ   とれもろ
 早稲酒とは、新酒のこと。新酒が出回れば、それまでの酒は、古酒となります。新酒を酌み交わすことで、蒸し暑い熱帯夜に別れを告げ、これからの涼しい夜を予祝しておられるのでしょう。新しい季節、秋は、まず夜から始まるのですね。

愛猫の耳遠くなり蝉時雨   夢幻
 呼べば応えてくれていた猫が、呼んでも振り向かなくなりました。猫も年をとったのだ、と思うと同時に、人の何倍ものスピードで年をとっていく愛猫に哀れを感じられたのではないでしょうか。生命の絶頂期を歌い上げる蝉時雨とのコントラストもいいと思いました。

手をふれば誰か手を振る舟の秋   今村征一
 運河を行く舟。岸の人が手を振れば、舟の誰かが応えて手を振ります。また、舟の人が手を振れば、岸の誰かも応えてくれます。もとより知らない同志ではあるのですが、お互いに手を振り合ったことで、旅の楽しさが膨らみます。秋麗らかな情景ですね。

放牧の尻連なりて鰯雲   璃瑠
 牛か馬が放牧されているのでしょう。牛馬がまばらにいて草を食んでいる光景を、空いっぱいに広がる鰯雲と取り合わされたところが、雄大でいいですね。

どの雲も突破してくる曼珠沙華   紅緒
 「突破」という言葉が、雲のはげしい動きを表しています。青い空と白い雲に、朱い曼珠沙華……、色鮮やかで勢いのある句だと思いました。

ひょうたんの影うすうして長うして   ∞
 瓢箪は色もうすみどりですが、その影がうすくて長い、と言うのですから、日の暮れの景色でしょう。所在なくぶら下がる瓢箪の影が、より瓢箪の姿をデフォルメしているところが愉快でも、もの悲しくもあります。

おしろいの柵を潜りて咲きにけり   意思
 オシロイバナはちょっとした空き地や道端に咲く花です。知らない間に咲いていて、通りがかりに香りで気付くような花ですね。毎年咲くオシロイバナが、今年は柵を潜って育っていたのでしょう。オシロイバナのある情景をよく捉えていると思いました。

油絵の描き方という冬支度   幸久
 長い冬に備えて油絵を習い始められたのでしょうか。「油絵の描き方」を「冬支度」と結びつけたところが面白いと思いました。長い冬も、油絵を描きながら過ごせば、創造の季節になりますね。こんな冬への立ち向かい方もあるのです。

【その他の佳句】

ゆふづつのランプをみがくすすきかな   山上 博
親不孝蛍袋に入れておく   秋山三人水
貝拾いたくて子は一心に砂丘ゆく   由紀子
キーホルダー愁思の一つ下げて居り   をがはまなぶ
我が道を我が歩幅にて秋野ゆく   利恵



2014年9月10日

谷さやんドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 ベランダのプランターに、今年も朝顔が咲きました。5本の棒を蔓がのぼり、9月に入っても毎朝2つ3つ開いてくれてます。柔らかく開いた花の風情も良いのですが、額からすっと伸びる白い部分が、朝の清々しさそのもののような気がします。
 今年一月に開催された船団フォーラムで、田中修先生から配られた資料「朝顔の七不思議」には、なぜ種があんなに硬く厚い皮に包まれているのか、その理由が書かれてありました。そして、五月の初夏の集いのゲストだった宮本輝さんの小説『三十光年の星たち』には、次のようなセリフを見つけました。「・・自分の鉢で朝顔を咲かせてみなはれ。この鼠の糞みたいな一個の種のなかに、どれほど凄い命ちゅうもんがあるか・・・」
 子どもの頃からなんとなく好きだった朝顔を見直しました。

【十句選】

鯊日和突堤沈むほど人出   ポンタロウ
突堤や魚篭の小鯊に来る小雨   大川一馬
 どちらも鯊釣りの句。しかも突堤が出てくる。発想しやすい取り合わせなのだろう。が、趣は違う。鯊はわけなく大量に釣れる魚らしい。ポンタロウさんの句。釣れ易いから人出も多くなるのだろうが、まさか突堤が沈む心配はないだろう。だから笑ってしまう。
 大川さんのは、傍らの釣れた小鯊を気にしている句。降り出した雨が、魚篭の中にも水輪をつくり始めた。しばらく釣りを続けるのか、魚篭の鯊の数に充足して切り上げただろうか。

茹で加減ややアルデンテ月見豆   大川一馬
 月見豆は、十五夜に、莢(さや)ごと茹でて供える枝豆のこと。山本健吉編「最新俳句歳時記(秋)」の解説の中には「緑色の莢がふくらみ、押すと青い豆が小石のように走り出る」とある。アルデンテは、スパゲティなど「歯ごたえが残る」という茹で上がり状態を示す言葉。とすると「茹で加減」は省略すべき五文字かも知れない。ただ「茹で加減ややアルデンテ」と引っ張って、月見豆が意表を突くので効果が無いと言えなくもない。
 ともあれ御下がりの月見豆に、「アルデンテ」という言葉が出てきたのが、面白い。

蜩や一重の浪に島の影   学
 蜩の世界の中にすっぽりと嵌ったひとつの景色。近くに見える島の影でも良い。あるいは、海辺の足もとに寄せる一枚の低い大きな波は、遠くの島の影を引き連れてきているにちがいない、という思いのなのかもしれない。かなかな鳴く美しい蝉の声も波の音も、不思議と聞こえない静かな作品である。

爽やかにプーと大きく響きけり   せいち
 例えば「プー」は、トランペットとかコルネットなどの吹き始めの情けない音。まだ下手なので、広場か土手の澄んだ秋の空気を破って響かせている。いや、誰かの放屁のような気もしてきた。きっとこっちだ。ところ構わず出てしまう、爽やかさ。

朝顔を咲かせて不足なき暮し   今村征一
 冒頭に書いたのだが、朝顔が好きなので「朝顔」の句であることにまず惹かれてしまった。ただ、確かに朝顔は「不足なき暮し」と思わせてくれる庶民的な一面のある花。私がそんな気持ちになるのは、朝カーテンを開けて花が目に入ったときだけなのだが。

直ちゃんはうちの子じゃないサルスベリ   秋山三人水
 どういう状況なのだろう、と立ち止まった句。「直ちゃんはうちの子じゃないのよ」と告白するには、サルスベリの片仮名表記が軽い気がする。「百日紅」と置くと、重い秘密をまだ胸に秘めている気配になる。「直ちゃん」「うちの子」と直接的というか日常語が並ぶので、この句に対する素朴な戸惑いが生まれた。

稲刈りにバイクで帰ってくる兄貴   岡野直樹
 田植えの時期と稲刈りには、兄が手伝いに来るのだろう。粉っぽい稲の穂の光の道を、バイクがバリバリと音を立てやって来る光景が鮮やかに目に浮かぶ。兄貴、という親しい呼び方が田舎っぽくていい。兄を迎える実家の弟の姿も見えてくる。
 余談だが、「兄貴」からは、コント赤信号の小宮さんの「兄貴ぃ!兄貴ぃ!」と叫ぶポーズを思い出して大変懐かしかった。

虫鳴くや因数分解の()だ   あざみ
 因数分解がどんなものだったかすっかり忘れたが、なんだか()でいっぱい閉じていったような気がする。因数分解とは関係ない文章か、あるいは記号の中に()を見つけて「あ、因数分解の()だ」と頭に浮かんだのではないだろうか。虫すだく声と難解な因数分解のイメージが重なる。「だ」が口語の強い断定なので、「や」という強い切れ字を使うよりも「虫の声」くらいに抑えていいかと思った。

まっしろは真っ黒に似ている濃霧   紅緒
 なんとなく抑え込まれるように納得させられた句。周囲が何も見えなくなることから、濃霧は真っ黒に似ている、という思いつきに肯けるのだ。


2014年9月3日

久留島元ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 今回の投句は、182句でした、ありがとうございます、お疲れさまでした。
 近頃の雨は、降り出すとたちまちゲリラ豪雨になるのでとても物騒。被害にはあいませんでしたが、自宅は手の住宅街なので、決して他人事ではなく、これから防災情報に気をつけようと思います。
 岡野さんがメッセージを寄せて下さいましたが、本当に「やさしい夕立」が恋しい。
 しかし季語は案外したたかで、「夕立」が使えないなら、東南地方にあわせた「スコール」を使ってもいい。
 したたかに、現代の俳句を楽しみましょう。

【十句選】

秋湿(あきじめり)食ふ寝る太る引きこもる   伊藤五六歩
 連日の豪雨。これでは肥るのもやむなし(言い訳)。

これでもかこれでもかと言ひ障子洗ふ   とれもろ
 力一杯洗っている感じがよく出ていますが、中八のためリズムが悪いうえ「と言ひ」は説明的。「これでもかこれでもかって障子洗ふ」ではどうでしょうか。

リードなき老犬来るよ秋暑し   南次郎
 犬好きにとっては歓迎でしょうが、犬嫌いにとって「リードなき」犬の接近は、恐怖に違いない。しかし「老犬」というあたりが淋しげで、しかし「来るよ」の軽さが滑稽。読み返すほどじわじわと残ります。

夏雲や呼びかけられぬきゅんは旬   さわいかの
 「きゅん」は、呼びかけられて胸きゅんする瞬間、ということで理解したのですがよろしいでしょうか。「きゅんは旬」がいい。

凌霄花ゆらゆら今を否定する   紅緒
 「今を」はかなり主観的ですが、「ゆらゆら」否定という軽さにひかれます。

駅舎出ですぐ畦道や雲の峰   璃瑠
 内容は実景報告ですが、季語がさわやかで姿のいい句です。

蜜豆や名を改めて真打に   智弘
 ごひいきの歌舞伎役者、または噺家さんの襲名披露というところでしょうか。「蜜豆」という名前の噺家でもおもしろいですね。

秋はようピンポン玉の弾みだな   ロミ
 「秋はよう」、この乱暴な呼びかけ。俳句ではめったに見ませんが、そのうえ強引な比喩。おもしろい。

西瓜だし踊りたいなら転がろう   岡野直樹
 おもわず笑ってしまう大胆な句。「西瓜」が転がる、それを「踊る」と見立てるだけなら類想の範囲ですが、順番を変えるととても魅力的になります。

愛人や紫式部の花は実に   あざみ
 「愛人や」の大胆な切れ字によって、愛人として過ごす時間の経過を凝縮させています。

【選外佳作】

初秋やロックお好きと聞かれても   石塚涼
 「初秋」はつまらない。同じく石塚さんがお使いの「蓮の実や」などのほうが、突拍子もない質問に驚いた感覚が出るのでは。

二人してさがす墓標や蝉しぐれ   B生
 文豪の墓碑めぐりをして楽しむ人などもいると聞きますが、これは自分の先祖の墓標?

天国を信じています酔芙蓉   せいち
 信仰告白とも見える内容ですが、信じたほうが楽しく過ごせますね。

黄色にも寂しき色の女郎花   紅緒
 改変。やや技巧めきますが「黄色にも寂しき黄色女郎花」ではどうでしょうか。

マンゴーの解釈変更◎から●   秋山三人水
 「皮肉と洒落です」と作者コメントがありましたが、これは不要。作って出した以上は読者がどう読むか、ということが重要であり、作者から意図を押しつけるのは野暮というものです。
 さて、それをふまえて、「マンゴー」の解釈を「◎から●」に変える、文字ならではのおもしろさですが、いみがわかりそうでわからない、しかも内容がなさそうな感じが、時勢と離れて面白いと思いました。

鳳仙花どのみちこのみちまよいみち   ∞
 鳳仙花がはじける感じとあいますが、ややつきすぎか。

露草や目の色きょうはこれにする   山上博
夕空にルージュの思ひ足す晩夏   山上博
 常連の山上さん。今回はやや不調でしたが、化粧を使った句に挑戦するアグレッシブな姿勢です。

 せっかくなので少し詳しく申します。
 上の2句、俳句としては、やや「露草や」のほうがいい。おそらくカラーコンタクトを日によって使い分けているのでしょう。詳しく言わず、登場人物の年齢や性格、生活が思い浮かびます。
 しかし「ルージュの思ひ」はなんの「思ひ」なのか。思わせぶりなだけで、ちっともわからない。「思ひ」も重いですが、「足す」うえ「晩夏」とくれば重量オーバー。
 「思ひを足す」のように類型的、そのうえ叙情的な言い回しは、17文字のなかで使ってはもったいない。何度も考えて、「これ以外言い換えられない最適のフレーズを考えていきましょう。

炎昼やこんな所に焼肉屋   有明海
 「こんな所に○○」は、実は俳句の常套句、驚きと、かすかなユーモアがあるので結構万能、そのためついつい使いたくなる危険なワードです。ご注意を。