「e船団」のドクターがあなたの俳句を診断したものです。


2015年4月29日

星野早苗ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 若葉の美しい季節ですね。生き生きした草花、空中でホバリングしている昆虫、蜥蜴や蟻も活動的で見飽きません。できるだけ戸外に出て、リフレッシュしたいと思います。登山やスポーツの嗜みが無いのが残念ですが……。
 ゴールデンウィークも始まりました。事故無く、楽しい一週間をお過ごし下さい。
 さて、今回は、179句の中から。

【十句選】

春キャベツぱりりと犬の喰いつぷり   きのこ
 野菜の好きな犬もいます。犬は、それが春キャベツだからといって特に有り難がるわけではありませんが、予備知識のない分、その食べっぷりが、おいしさのバロメーターになりますね。春キャベツを食いちぎるときの音、「ぱりり」が効いていると思いました。

みすずかる信濃青麦畑かな   今村征一
 「みすずかる」は信濃にかかる枕詞です。「みすずかる信濃」とわざわざ言ったところに、千年前の景色も伺えそうな面白みを感じました。広々とした青麦畑を見て、信濃の豊かな風土を瞬時に感知されたのではないでしょうか。

くつきりと古径を描く落花かな   戯心
 山間の古道に、桜の花びらが降り積もって、桃色の道に見えたのだと思います。今まで周囲に溶け込んで、はっきりしなかった古い小道が、落花のこの時期にだけ現れるのですね。艶やかな色に染められた古道のある風景は、絵のような美しさだと思いました。

清明祭水と油も集まりぬ   紅緒
 清明祭は、沖縄地方で旧暦三月の清明節に親族揃ってお墓参りをする行事だそうです。そりの合わない親戚も、この日ばかりは一緒に祖先の墓に詣でるのでしょう。清く明るい気が満ちるという清明の日なので、水にも油にも、清新な明るさを感じました。

朝桜ランナーだけどサラリーマン   さわいかの
 朝、ジョギングをしながら会社に向かう人なのでしょう。ウェアもシューズも揃えて、しっかりトレーニングをしている人なのだと思います。市民ランナーとしての自覚や矜恃を「だけど」とサラリーマンに繋げたところがユーモラスです。今はランナー「だけど」会社に着けばサラリーマンもやっています、ということなのでしょうね。

花時の風ふんだんに円位堂   みさ
 円位堂は江戸時代に俳句道場として作られた鴫立庵にある小さなお堂で、西行の座像が安置されています。「願わくは花の下にて春死なむ……」の西行の歌は有名ですが、「ふんだんに」吹いている花の風は、西行の願いを死後も叶え続けているようです。また、円位堂という名前も、あらゆる方向の風を迎え入れてくれそうで、面白いと思いました。

散り際の晴れ晴れとして糸桜   みさ
 糸桜は枝垂れ桜の別称。その中にも様々な品種があると思いますが、風に揺れる糸桜の散る直前の姿を、「晴れ晴れとして」と詠まれています。人のあり方とも重ね合わせて読める作品だと思いました。

朝桜映して湖面たちあがる   瀬紀
 朝になり、明るくなった湖にまず映ったのが朝桜だったのでしょう。湖が夜の闇から立ち上がってくる瞬間が、迫力をもって描けていると思いました。湖を囲む満開の桜だったのではないでしょうか。

チューリップがんばっている町役場   ∞
 役場の前の花壇にチューリップが咲いているのでしょう。チューリップの花時は短いですが、一茎一花の単純な造形と大きな花びらの鮮やかな色は、「咲いています」と強くアッピールしてくる花ですね。町役場も、がんばって働いてくれています。チューリップとの取り合わせが、とてもいいと思いました。

どつさりと菓子を撒きたる春祭   瑠璃
 山車や祭壇からお菓子を撒く春祭りがあるのでしょう。スイーツやスナックと呼ばれるおしゃれなお菓子ではなく、いろいろな駄菓子の袋詰めが、どっさり撒かれたのだと思います。子どもにも、お菓子を用意する大人にも、楽しい祭りだと思いました。

【その他の佳句】

少年の背をなぞるごと春の水   西
湖ありて山ありて花吹雪初む   山畑洋二
たかんなや鳥と話してみたくなり   春生
落椿水輪とともに流れけり   太郎
若夏のうなじを見せて波返る    紅緒
水割って赤き金魚をすくいだす   遅足
ふらここや木の実のやうな小さき背  草子
陽炎やこの世ではない世に在るか   利恵



2015年4月22日

谷さやんドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 ロシア語同時通訳者だった米原真理さんの豪快な著書『ガセネッタ&シモネッタ』(文春文庫)を読んでいました。米原さんたち通訳者が一番苦労するのがユーモアの通訳で、なかでも絶望的になるのが、言葉遊びや掛詞や駄洒落の類だそうです。「笑いほど時代や国情や立場文脈依存度の高い、つまり他言語に転換するのが難しい代物はない」と。ということは、俳句の真髄であるユーモアもまた、他国の人には伝わりにくいかも知れないなと、ふと思いました。
 その恨み骨髄のはずの駄洒落を、同時通訳者たちの多くが、病気じゃないかと思われるほど好きなんだ、と文章は続いています。そのわけを「通訳者は仕事の上では常に意味のみを訳すことに縛られているため、意味から解き放たれる解放感にたまらなく惹かれるのではないだろうか」と分析しています。俳句作りのいいヒントをもらったような気がしています。

【十句選】

三合の炊き込みご飯庭桜   ロミ
 蓋を開けて、炊き上がった三合の炊き込みご飯の匂いが立ち上る。桜とご飯の取り合わせは見かけるが、炊き込み飯もいいと思った。「桜咲く」などにして「庭」はここでは必要ないように思う。

さくらさくら本日明けのビル管理   鉄男
 ビル管理の仕事の夜勤明け。いつもなら疲れを感じながらの帰宅なのだが、舗道の桜に、かえって仕事の充実感を味わうことの出来る朝。それが桜の力か。晴れた気分が「さくらさくら」のリフレインによく出ている。

遠足の列よこになる象の前   隼人
 遠足の季節。動物園の象の檻の前に、子どもたちが到着した様子。縦に進んでいた列が、檻にそって横になる。最後の「象の前」で、そのまんまの動きを描くことが出来たと思う。横一列に象を見上げている黄色い帽子や爪先だった小さな靴が見えてくる。絵本みたいだ。

夕暮れの桜は一まわり太る   岡野直樹
 ほう、と考えこんでそんな気がしてきた。「夕桜」だとセンチメンタルだが「夕暮れの桜」だとちょっと違ってくる。なるほど、夕暮れにはどすんと立っている気がする。辺りの騒音や眩しさが静まり、一本の桜の木が際立ってくるのだ。いやこの人、太る理由をきっと知ってるのだ。

春草や盲導犬と男伏す   紫
 盲導犬を見かけるのは、私は電車の中が多い。主の前で静かに伏している。この句は、春の草の上に休んでいる男性の隣に盲導犬が寄り添っている光景。散歩の途中か寄り道か。ここにもまた静かな空気が流れている。

春の泥東京駅に滑り込む   幸久
 「春の泥」と「東京駅」の取り合わせが興味深い。春の泥はどこから舞い込むのだろう。タクシーに乗り込んだ靴に泥が付いていて、そのまま東京駅に滑り込んだのだろうか。大都会の人ごみの中に紛れ込んだ、かっこ悪い春の泥に親しみを覚えた。

ままならずマッチ着火の春焚火   豊田ささお
 マッチで火をつける時のじれったい様子に思わず笑ってしまった。「焚火」だと悲壮感が漂って笑えないのだが、「春の」なので少し余裕はある。焚火をあまり見かけなくなったが、それでもドラム缶や小さな畑に焼き跡が残っていたりすると、ほっとした気持ちになる。

真ん中のお重はおはぎ犬ふぐり   中 十七波
 「お重」の「お」は接頭語で「重箱」を丁寧にいった女性語、と辞典に書いてある。何気なく使っていたけれど、いい言葉だなと思う。
 野遊びに出かけてみると、かわいらしい犬ふぐりが咲き誇っている。敷物を広げて、お重を開いていくと真ん中の箱にはおはぎ。手の込んでいるお重だ。ちなみに「おはぎ」は「ボタ餅」と同じで、季節柄「ボタ(牡丹)餅」なのだろうが、「牡丹」が「犬ふぐり」とさわるので、「おはぎ」を使ったのだろうか。美味しそうなのには変わりない。

いずこの海見て来たるのかさざえ焼く   利恵
 魚ではなく、「さざえ」に問いかけているのがいいと思った。ふつふつと湧きだす栄螺の壺焼。焼き上がっても、壺にはまだ何処かの海の匂いがするだろう。ここ愛媛でも、佐田岬漁港で「サザエ漁」が解禁された記事が載ったばかり。海士(あまし)がどっさり水揚げした栄螺は、松山や関西全域に出荷されるとのこと。嗚呼、食べたいなあ。


2015年4月15日

久留島元ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 今年の桜は、あいにくの雨天続きでしたが、急に冷え込んだためか、雨にめげずよくもっていたようです。
 桜といえば、かつては入学式の定番でしたが、最近は3月末から4月頭に見頃を迎えることが多く、すっかり「卒業式」の定番になりました。そのため、ヒットする音楽も「門出」ではなく「卒業」「別れ」をテーマにしたものが多くなっているようです。
 桜をうたった名曲、名歌、名句の数はあまたありますが、それでも現代の感覚でよみなおすことはできるのだろう、と思います。
 今回の投句は、すこし少なめで170句でしたが、常連に加え、20代・30代の若い投稿者が増えたのが特徴でした。

【十句選】

遠足や白地図に描く噴火口   伊藤五六歩
 遠足に行った場所、あるいはこれから行くところ? なにもない白地図に、噴火口を描きこむというワクワク感、単なる遠足が冒険のように魅力的です。

何時きみは桜の花にぼくも生れ   ロミ
 桜の花に転生するふたり、ロマンです。すこし表記を変え「いつ君は桜の花にぼくも生まれ」としてはどうでしょうか。

いいわけも愚痴も頷く養花天   紅緒
 聞いているやらいないやら。もとより空模様が気になるくらいから上の空。友情も愛情も、その程度のあいづちが長続きの秘訣かも知れません。

春雷や三半規管反応す   石塚 涼
 春雷から三半規管への発送の展開が、とても俳句的です。「反応す」がややあいまいなので、三半規管がどう反応したか、具体的になるといっそう際立ちます。

窓全部開けて春風欲しいまま   山畑洋二
 春風の気分を満喫する気持ちの良い句ですが、「谺して山ほととぎすほしいまま 杉田久女」の名句があり、いささか及ばないのが残念です。

捩れしまま桜は謳うわたし私   瀬紀
 うーん、なんだかアニメ的世界観ですが、桜が強烈に自分を主張しているというとらえ方は、ある意味でとても現代的なソメイヨシノの姿かもしれません。
 なお、今回「猛るだけ猛る絶唱千本桜」の一句もありました。古典的な「桜」の風情を打ち破る新解釈ともとれますが、こちらは本当にネットでヒットした楽曲「千本桜」をふまえるとごく単純な句になってしまいます。

イソギンチャク銀河の果ても知っている   川嶋ぱんだ
 一見、奇想のようですが、イソギンチャクのもつ、動物とも植物ともつかない不可思議な感じは宇宙的といえます。その意味ではとてもわかりやすい一句。

いろいろの弁当で受く花吹雪   きのこ
 花見を詠んだ句としてはありがちかも知れないな、と思いつつ、一句の情景を思い浮かべたとき、お弁当の彩りがおいしそうで、おもわずいただいてしまいました。

春日傘ときおり亀も裏返る   さわいかの
 亀、裏返って起きられるのでしょうか。いささか心配になりますが、のどかな春爛漫の情景。

貝拾ふ子の足跡を春の潮   草子
 やわらかな春の浜辺の情景で、こちらも類想があるだろうと思いつつ、「足跡を」で止めたところが技あり。読者は足跡の続く浜に「春の潮」が打ち寄せる様子をリアルに想像できます。

【選外佳作】

龍天に昇るジャンパーが臭くって   さわいかの
 春の気持ちの良い季節に、なんという句。まるで臭さにやられて龍が逃げていくような。とてもおもしろいのですが、臭いので1点マイナス。

山茱萸の花や和菓子のうす緑   太郎
 おいしそうで悪くない句ですが、「桜餅」「草餅」「柏餅」など和菓子にも季語がたくさん。具体的にしたほうがより情景がよく見えます。

この桜見せたかったなゴッホには   B生
 俳句によく出てくる芸術家が数名いて、たとえば「峯雲の贅肉ロダンなら削る 山口誓子」という句がありますが、ゴッホもよくそのひとり。「見せたかった」では多くのゴッホ句のなかではまだまだ。

遅き春女も俺といふところ   大川一馬
 地味な句ですが、旅行吟の感じがよく出ています。

起こし絵の重なり合へる暗さかな  たか子
 「起こし絵」が季語で夏なのですね。立版古の模型は見たことがあります、微妙なところに眼が行き届いた句ですが、季が違うこと、起こし絵がわかりにくいところが難点。

累々たる貝の抜け殻春の磯   ∞
 細かな貝の抜け殻を「累々」と見立てたところが手柄ですが、「春の磯」はネタバレというか当たり前。

淀みつつ図形を作る花筏   意思
 「図形」があいまいでわからないのですが、花筏という風情ある季語に算数で習うような「図形」を見いだしたところがおもしろい。これは三角形か平行四辺形か、それとももっと複雑な幾何学模様でしょうか。

 ところで、こちらの一句。

 はなむけや高速事故の命拾い

 うーん、季語がない?? 作者コメントによれば、高速事故で命拾いしたことが社会人になる息子さんへの「はなむけ」になったとのこと。無季句が悪いわけではありませんが、これは個人の日記であり、読みも広がらない、ということであまり評価できません。あえていえばサラリーマン川柳の世界。
 俳句は、個人的な発見、個人的なつぶやきが、季語や、ほかの言葉とぶつかって展開していく、そういうおもしろさを持っています。次回のご投稿をお待ちします。


2015年4月8日

中居由美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 桃の節句といえば3月3日ですが、私が子供の頃は、ひと月遅れで祝う風習がありました。花々が一斉に咲く華やかな季節です。雛壇が作られ、母が巻き寿司やしょうゆ餅を作ってくれました。ごちそうを重箱に詰めてみんなで食べました。赤や緑の水羊羹や土筆の卵とじが必ず入っていたと記憶しています。私が俳句を作る根底には、こんな思い出のかけらを大切にしたいという願いがあるのかもしれません。過去と現在をクロスさせ、俳句の風景を再構築できればいいなと思っています。今週もたくさんのご投句ありがとうございました。

【十句選】

ローマ史の活字小さく春の宵   石塚 涼
 はるかな時の彼方に思いをはせる春の宵。時代は違っても生きている人間の姿に変わりはありません。「活字小さく」が語り切れない歴史の重みを具体的に示しており、句を引き締めていると思います。

花杏われはいずれの木に宿る   伊藤五六歩
 杏の花のイメージよりも、むしろ杏の実を連想しました。命を終えた魂は木に宿り、美しい花を咲かせ、馥郁とした果実をもたらすのでしょう。

啓蟄や支流支流の水集ふ   太郎
 どの水音からも春の喜びが溢れています。水が集ってどんなおしゃべりをしているのか聞いてみたくなります。虫が顔を出し、花が開き、鳥が鳴き声を交わしています。「支流支流」で作者の立ち位置が見えてきます。

永日や君と掃除機のリズム   西
 面白い発想だと思います。はっとした句です。そうか、君にリズムがあるように掃除機にもリズムがある。君はのんびりと、掃除機は律儀に。永き日だからこそ発見できたのですね。

劇場の傘入袋花の冷え   紫
 傘入れ袋についた水滴や底に少したまった水。見向きもされないものに焦点が当てられています。心地よく暖房の効いた劇場と傘入袋の対比が面白いですね。

春宵一刻エンケラドスと交信す   春生
 「春宵一刻」という言葉が、エンケラドスとの出会いによってロマンティックにも科学的にも変身しています。この空間も遠い宇宙に浮かぶ白い星に繋がっていると思うだけで心が広々としてきます。ただ、「一刻」まで言わずに「春の宵」とシンプルすると上五が締まってくると思うのです。

買うでなく風船売りを離れぬ子   瑠璃
 ふわふわの感触、鮮やかな色。幼い子どもはみんな風船が好き。風船人気は不動です。買って欲しいけれどそれを言えない子のいじらしさ、駄々をこねる子もいますがそんなことはできない子です。それでも興味ある対象へまっすぐ向かう正直さを少しだけ眩しくみている心理が描かれています。

わたし今母の母かも朧月   紅緒
 年老いた母親への娘の戸惑いを素直に詠んでいます。ふとこんなことを思う一瞬が確かにあります。若い感性で詠む句もあれば、年を重ねてこそ詠める句もあります。これは後者ですね。「朧月」が効いています。

うりずんの島はひとつの蕾です   紅緒
 初夏の沖縄の麗しさと美しさを「蕾」によって具体化しています。やがて花開く島!なんと瑞々しい感覚でしょう。今週のイチオシです。

啓蟄やストッキングのよく伸びて   中 十七波
 昨今のストッキングは優秀でストレッチがよく効いています。啓蟄との因果関係はありませんが、そう思わせるところがミソ。蕾はほころび花は咲き、巣ごもりの虫たちは動き始めます。ストッキングも伸びる!伸びる!ああ無理もありません。春だから。ユーモアあふれる一句。


2015年4月1日

内野聖子ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 あっという間に3月も終わり、4月になりますね。年度替わりということで、いつもに増して公私にわたって多忙な毎日をお過ごしの方が多いと思います。心身ともにストレスのかかりやすい時期だと思いますが、少しでもなにかほっとする時間を作って、ご無理のないようにされてくださいね。
 さて、先日京都で満開の河津桜を偶然見ることができました。濃い花の色が燃えるようで、言葉もないまましばらく見とれていました。心を奪われるというのはこういうことなんだなと思いました。

【十句選】

桜咲く一期一会の桜咲く   京子
 桜の花は季節が来ると、毎年咲くものではあっても、去年の桜と今年の桜とは違います。そう思うと桜は毎年「一期一会」なんでしょうね。さらにそこに別れと出会いの時期でもあるということで、ほかの意味も含まれているのかもしれません。
 リフレインが効いていて心に残りました。

折紙は清く正しく春兆す   石塚 涼
 折紙の様子から春の気配を感じるという発想が新鮮でした。清々しい佇まいから感じられる春の訪れも素敵だと思います。

万愚節死んだふりして死んでいる   伊藤五六歩
 ブラックジョークのような句。
 「万愚節」はエイプリルフールのことですが、許される嘘と笑えない嘘がありますね。精神的なことを指していると思いますが、「死んでいる」のが何なのか、とても気になります。

仲良しのフライドポテト卒業ね   西
 「卒業」というのが、大好きなフライドポテトをもう食べない!ということなのか、フライドポテトをいつも一緒に食べていた仲間と離れ離れになるというのか、いろいろな意味にとれます。
 フライドポテトの手軽さと卒業の取り合わせがいいですね。

房総の海の光や金盞花   洋平
 色鮮やかなビタミンカラーの金盞花とその向こうにある穏やかに晴れてキラキラ光っている海の光景が浮かび、一枚の写真や絵画のようだと思いました。
 海の青色と金盞花の鮮やかな色彩の対比が際立って綺麗です。

弁当のさてどの春を摘まもうか   せいち
 春になると店先には弁当箱や関連グッズが並びます。弁当は一年中あるけれど、この季節はやはり特別ですね。弁当を開いて、中に入っている旬のものをわくわくしながら眺めている弾んだ気持ちが伝わってきます。

ふらここは見向きもせずに見つめ合い   B生
 ふらこことはブランコのこと。何に見向きもしないのか、誰が(何が)見つめ合っているのか、など様々なとらえ方ができる句だと思います。一般的によく見る横に並んで設置してあるブランコなのか、向かい合って乗る形のブランコなのかでも読み方が変わってきますね。

蝌蚪群るる少女にもある変声期   孤愁
 蝌蚪とはおたまじゃくしのこと。おたまじゃくしが成長するにつれて姿を変えていくように、少女たちも成長するにしたがって変わっていきます。そしておたまじゃくしが群れている様子は、少女たちが集団で行動する様子と似ているかもしれません。思春期の少女特有の何ともいえない内面に何かを秘めている感じがおたまじゃくしを使って上手く表現されていると思いました。

春の虹ふたりのりなら乗りたがる   さわいかの
 虹に乗るというファンタジーはよくありますが、虹が二人乗りという発想が面白いと思いました。一人ではちょっと勇気がでないけれど、またはあまり気が進まないけれど、二人なら乗りたいという気持ちはよくわかります。
 楽しい句だと思います。

剪定やジャック豆の木登りだす   をがはまなぶ
 剪定の作業をするため高いところに登っていく人を見ていて、童話の「ジャックと豆の木」のジャックが連想されたのでしょうか。若しくは作者の体験からの連想かもしれませんね。
 どちらにしてもきっとこの日の空はとても澄んで青く、どこまでも登っていけそうな気持ちになれたのではないでしょうか。


2015年3月25日

山本たくやドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 初夏並みに暑い日が来たと思えば、また寒の戻りと、まさしく三寒四温の日々が続いています。これでは体調を崩しても不思議ではありません。それに加えて、年度末。お仕事をされている方は、事務処理などに追われる時期でもあるのではないかと思います。心身ともに辛い時期ですが、春はもうすぐそこです。
 それでは、今週の十句選です。

【十句選】

青春の痛みよもっとレスポール   西
 無季という潔さがある一句です。その潔さはどこか「青春の痛み」にも通じます。「レスポール」とは、ギターの形の一種で現代でも若者に人気のある形です。そう考えると、「レスポール」と「青春の痛み」は近い関係だとも言えます。どうせなら、「レスポールをかき鳴らす」などとして、「青春の痛み」を表現してみましょう。その方がもっと、無季の勢いや青春性を醸し出せると思います。

翅閉じて思索の内に蝶のゐる   石塚 涼
 蝶が羽を閉じる行為が、作者の瞳を閉じる行為のメタファーになっているのだと読みました。とても哲学的な作風なのですが、やはり難解です。こういう作風を基調に置きつつ、もう少し簡素な言葉に置き換えて表現を試みてください。

啓蟄や亀もパンダも俳句する   古田硯幸
 春が芽吹き始める時期に、色んな人が俳句をする。もしかしたら、動物も俳句をしているかもしれない。そう思うと、非常に穏やかな気持ちにさせてくれる句です。ただ、「亀」と「パンダ」という組み合わせがあまりにアンバランスというか、なぜこの組み合わせ?と疑問を感じます。もう少し接点のある動物同士でも良かったと思います。

春の虹君の向こうにかかる嬉しさ   瀬紀
 大胆な破調です。こういう試みは嫌いではありません。しかし、「春の虹」と「君」の「嬉しさ」というのは、言葉として付きすぎています。虹が出て嬉しさを感じるのは至極当然とも言えます。ここまで過剰に言ってしまうのも面白い試みかもしれませんが、やはり甘ったるい感じもします。「君の向こう」にかかるものを、もう一度推敲してみてはいかがでしょうか。

結氷の光の粒の水の音   酒井とも
 一見美しく見えるのですが、景が散乱しています。光なのか、水なのか、焦点をもっとはっきりさせてしまった方が、より美しくなります。言葉にできないほどの感動と言ってしまえばそれまでですが、やはり、文字で美しさを表現する以上限界があります。

冴返る3.11といふ忌日   吉井流水
 「冴返る」が季語としてありますが、景の中心は「3.11」です。ここはあえて、「3.11」を季語として扱い詠んでも良かったのではないかと感じます。安易に季語を取り合わせてしまうと、せっかく震災を詠んでいるにも関わらず、どこか他人ごとのような、重みを感じない句に仕上がってしまいます。

ば〜ばよりじ〜じがだいぶ春ですよ   せいち
 ひらがな、カタカナ、漢字と日本語には多くの文字が使われています。俳句を作るとき、私は同じ言葉であっても表記に気を配ります。同じ言葉であっても、ひらがなとカタカナでニュアンスが変わってくるからです。掲句は「ばあば」、「じいじ」とするところを、あえて「ば〜ば」、「じ〜じ」としています。この表記だと、大分幼児性が高まった表現になるかと思います。ですので、そんな「じ〜じ」が「だいぶ春」であるという状態は、惚け始めた状態とも感じとれます。作者の意図がそこにあるのであれば問題ありませんが、そうでないなら、表記を考え直してみても良いかもしれません。

花疲れ佐村河内も小保方村も   孤愁
 言いたいことは何となく察すれますが、川柳のような仕上がりになっています。「花疲れ」の状態を、「佐村河内」の名字で集約しすぎです。「佐村河内」に動きや表情を加えて、「花疲れ」を表現してください。あと、「小保方村」は誤字でしょうか?お気を付けください。

ホワイトデー鏡に著き紅や "LOVE"   孤愁
 松任谷由実の「ルージュの伝言」のような世界ですね。ただ、季語が「ホワイトデー」ですので、「LOVE」と鏡に書いたのは男性ということでしょうか。それはそれで一種の違和感を覚えます。作者に確固たるイメージがあるのであれば、季語などをもう一度推敲した方が良いかと思います。

君逝けりパンパカパーンと春の水   幸久
 「君逝けり」と重たい言葉から始まり、中七では「パンパカパーン」、そして「春の水」へとなる様子は、あまりにも緩急を付けすぎです。しかし、この句の感じは私好みでもあります。これもまた表記の仕方でもっとよく見せられると思います。もし、俳句という形式にこだわらなければ、多行形式にしてみても良いかもしれません。もしくは、
 君逝けり(パンパカパーンと)春の水
 のようにかっこを使って、緩急を付けるのもありかもしれません。あくまでも、参考にしてください。

【秀句六句】

ウクライナ亀鳴く声を皆が待つ   大川一馬
春光をポニーぱかぱか踏み散らす   きのこ
水仙を八方美人に生けにけり   京子
種袋振れば祖父母の音すなり   今村征一
風光る少年少女その他亀   さわいかの
古書店の奥行深く春の蝿   瑠璃



2015年3月18日

えなみしんさドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 「船団の会」の季刊誌「船団」の今月号(104号)の特集が「俳句を壊す」です。
 季語にもなじみ、575も身体に入ったあたりから、俳句が平凡になってくる。それを、ど〜するか。「うまい俳句を作ろうという目的意識をやめる」「自分を壊す」「句会で取ってもらおうと思わない」。など、刺激的な言葉がいっぱい。まさに、わたしはエグラレル思いで読みました。
 今月は196句。
 開けてみたら、今村さんの句が4句でしたが、そのままにさせてもらいました。

【十句選】

セロテープのどこが始まり春の夕   京子
 句材がうまいですね。包装に使う紐なんかも、こんなことがあります。セロテープの透明感と春の組み合わせもいいと思います。ただ「春の夕」は、一考すればもっと良くなるような気が。

雛壇の下に大小箱あまた   東えんや
 雛を詠んで、壇の下にしまった箱に目をつけたのが面白かったです。この雛壇をかざった人や、その作業が感じられて。つまり、舞台裏に目をつけた句。

一つまみ負けて水雲を売り尽す   今村征一
 水雲が読めませんでした。モズクで春の季語。地方ののんびりした朝市を思いました。「一つまみ負けて」が人との交流を感じさせる、いい風景です。 この句は、縦書きで読みたいですね、しかたありませんけど。

ひらがながもう読めるって水温む   せいち
 「水温む」は、どちらかというと文語。それに対して、頭からの12文字は口語。文語、口語が入り交じって、実感がこもった、いい雰囲気の句になってます。

種袋買うて播く場所なき事を   今村征一
 種袋は、デザインもきれいだし、かさばらなくて手頃な価格なので、植えられなくても、つい買ってしまいますよね。そういう共通の思いがあるから、この句にひかれるんだと思います。買ってじゃなく「買うて」の音便もいいし、「なき事を」で終わらせたのもいいと思いました。

トンネルを抜け春風の束となる   遅足
 春風の句はたくさんあるけど、「春風の束」が新鮮でした。その理由を述べると、普通はリクツになってしまうんですが、この句では詩になっていて、いい感じで受け止めました。

火を入れぬままで寛ぐ春炬燵   スカーレット
 春炬燵というのは、寒い日はありがたいが、暖かい日は、そろそろお役ご免の存在なんじゃないでしょうか。仕舞おうか、でもあると寛いでしまう。その頃の気分を春炬燵でうまく言い当てていると感じます。

陽炎を抜けて入港ロシア船   今村征一
 英国船でも、オランダ船でもない、ロシア船が、妙に生々しく実感できました。たぶん、ちょっとだけ予想外という感じがあるからだと推測します。「陽炎を抜けて」は、「陽炎の中より」もあると思います。わたしなら、後者かも。

去る者も逝きしもありて雛の宵   戯心
 雛は、決しておめでたいだけの人形ではない。人形だからブキミ、飾られるときの外は暗闇で寝ている。家代々の悲しい思いでも背負っている。そんな事を感じさせてくれる句でした。

うきうきとして来し大地木の根明く   今村征一
 頭からの12文字がいい。「木の根明く」は知らなかった。木の根っこの土がドーナツのように解けてくる事なんですね。春の芽吹きがいきいきと伝わってきます。

【今週の選外と一言】

アスパラガス茹で過ぎ過ぎず夫婦仲   伊藤五六歩
 夫婦仲をアスパラであらわしたのが面白い。茹で過ぎ過ぎず、がイマイチ。

春や春予定調和のごときなり   夢幻
 そうかも知れないが、「ごときなり」と言われる反撥したくなる。

木喰のそわそわおわす日永かな   鉄男
 ちょっと俳句らしすぎる気がしました。

ロボットよりロボット的な新社員   紅緒
 これは句材で、ここから先が表現なのでは。

よそ者も村人となり春祭   正保
 これは全くその通り。みんなが思うことなのでは。

沈丁花既視感あるに新しき   くみこ
 「既視感あるに新しき」が、感覚で伝わるといいのですが。

なないろの春なないろの雨となる   春生
 ちょっと言葉に流れすぎて、実感がなくなったかも。

風船と空へ旅立つ少女かな   春生
 メルヘンチックな世界。ちょっと甘いかな〜。後は好みの問題。

絵凧より飛び出し富士の悠然と   春生
 凧が富士から飛び出るのでは。その逆は考えにくかった。


2015年3月11日

須山つとむドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 大阪北端の能勢では、ちょうど今 春と冬とがせめぎあう季節。電車の一駅分ほどを歩き、城山に登った昨日、ついに『鶯の初鳴き』との出会が。おぼつかない鳴き出しであったが、終わり方は「ケキョ」と、とても明快でうれくなった。標高が200m?台の尾根筋を歩いていると、北から黒雲が迫り、霰の襲来。今回も挑戦的な俳句など、楽しませていただきました。

【十句選】

三寒のゴリラ四温のキンシコウ   せいち
 読んで快感が湧く。口誦性に優れ調子がいい。意味は不確かだが、ふわりイメージが立上がる。不思議な、そして愛すべき句であると思った。

勝訴状掲ぐ韋駄天寒明くる   孤愁
 肉太文字の『勝訴』を手に掲げ、担当弁護士が支持者の集団に駆け下りてくる、TVニュースでお馴染みの景。韋駄天は、伽藍を守る神、小児の病魔を除く神でもあり、よく走る神との俗伝が句の中で明るく躍動する。

飯たこの脳の重さを買ひにけり   今村征一
 たこ壷から出されたばかりのイイダコ。側面に金の環状紋が走る『あたま』を手掴みすると、ズシリ伝わる意外な充足感。『脳の重さ』の措辞で、待ちきれない春の味への想いがリアル。

ツナ缶を開けてサラダに多喜二の忌   隼人
 期待も充実感も希薄な、ツナ缶を開けた時のニュートラルな気分。それがサラダに和えた後にも尾を曳く。厳寒の2月、拷問と獄中で死を見つめている多喜二の姿に重なる。

もう来てるひよこ色した春帽子   草太
 毛糸の手編みだろうか、プリント柄か? どんな色を持って来ても春帽子にはフィット。誰よりも早く着いたつもりが、既に先客がお持ちかね。ひよこ色の何とも可愛い躍動感、それが春。

古草や手許に家庭医学本   戯心
 居間の硝子戸越し、庭の若草に枯れずに残った去年の草を見つけた。古草→薬草の連想から、家庭医学書との類縁が少し気になる。でも、懐古的な情趣と音感を持つ季語の斡旋がいい。

春うららロシア船より女ごゑ   たか子
 富山湾に蜃気楼が立つ季節。碇泊のロシア船から元気な船員の声、女性だ。ビヤ樽みたいな後ろ姿がデッキに見え隠れする。景の描写は見事だが、下五に丁寧な措辞を心掛けたい。

薄ら日や鰊選る父居るごとし   たか子
 薄ら日の小魚選別作業棟。季節労働者として作業する若者たちに混じり、渡り漁夫として鰊を選る父の姿を見た。写真でしか知らないはずなのに、六十年前の父の姿。幻想か望郷か。

十三階のベランダに啼く浅蜊かな   瑠璃
 舌を突きたて、水を噴く浅蜊。その姿を『啼く浅蜊』と見立てたユーモア。しかも高層マンションの十三階での春宵のドラマのシーン。

幕末の袴のほこり風信子   紅緒
 どの自治体にも幕末の政変に関わる歴史的遺産がある。街の歴史資料記念館で見た、ガラスケースに展示された弾痕と血痕の残る袴。陳列棚のコップに一輪の風信子。ヒヤシンスでなく、『フウシンシ』と読みたい一句。

【その他の佳句】

あけぼのの畷を駆ける雉子かな   太郎
 この句を心地よく読もうとすると、『畷』はナワテ(あぜ道のこと)、『雉子』はキギシ(キジのこと)との発声が必要だろう。自己陶酔でなく、読者への配慮や思いやりも必要だろう。

芹洗ふ水面に顔の触るるごと   瑠璃
 香気高く,春の七草の一つの芹。この句、景としてよく見える。でも、早くから先人は、季語『芹の水』を用意していた。この季語で一句に挑戦してください。

春の夜のエレベーターの深度かな   ∞
 同じ句の『下五』に、速度、深度、密度、硬度、と四つの同形の単語を当て嵌めて、いずれが句として成り立つかを検討しようとした大胆な試み。その中では、深度 が成功したのか?

ライオンのドアから来てねマリア様   糸代みつ
 石のお城にお姫様が捕われたままだ。月の夜、姫は神様にお祈りを捧げる。『ライオンの透かしのドアから、マリヤ様、キット助けに来てください』と。メルヘンと不思議さを醸す句だ。

御祝儀はピンクの豚へ卒業式   中 十七波
 卒業式で、思いを伝えておきたい一番の後輩は『ピンクの豚』ちゃん。それなら、彼女に残すものは、まさか 御祝儀! (キミが男子なら)せめて 金のボタン ではないのか。


2015年3月4日

星野早苗ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 三月になり、暖かい日もふえてきました。
 先日、廃園になる京大農場の果樹園で、桃の枝の無料配布がありました。まだ花芽は小さく米粒ほどでしたが、真っ直ぐ伸びた枝は赤みが差して元気そうです。帰宅後、四〇度のお湯に数分浸けて水切りし、たっぷりの水に活けて、温かいところに置く、と教わりました。湯気の立つお風呂場などが良いそうです。一週間経った今、花芽は二倍の大きさになりました。なかなか部屋の温度を保てず、雛祭りには間に合いそうにありませんが、無事に咲いてくれるのを楽しみにしています。
 さて、今回は196句の中から。

【十句選】

椿咲き何処に行くにも遠回り   伊藤五六歩
 椿が咲いたので遠回りをする、という不思議な句です。椿の花は色も形もさまざまなので、どこへ行くにもその近くの椿についつい立ち寄ってみたくなるのでしょうか。少し遠出したくなる春の気分が感じられる句ですね。

噴煙の南へ流る余寒かな   太郎
 噴煙が南に流れるということは、風は北からです。まだまだ寒さは残っているのでしょう。風を感じるのに、吹き流しでも旗でもなく、「噴煙」をもってきたスケールの大きさが、一句をきわだたせていると思いました。

春光の大いなる日となりにけり   山畑洋二
 具体物が何も読まれていない句ですが、草木の枯れ尽くしたままの二月は、確かに、春光だけの季節だと思います。ロシアでは、二月を光の春というそうです。寒さの中にも日光は力を増していて、まだ何も無い大地を明るく照らしているのでしょう。

亡き人の付けし名前や風信子   遅足
 風信子はヒヤシンスのことですが、俳号か雅号だと読みました。その号を付けてくれた人も、今は亡き人。春に咲く香り高い花の名を与えてもらったことを、ありがたく、また自然なことのように受けとめているのだと思いました。

天と地をひとつにつなぎ春の雨   ∞
 しとしとと降る春雨の一日。そんな日は、靄が立ちこめていることも多いですね。「天と地をひとつにつなぎ」は、天も地も朦朧と、春雨に包み込まれた状態をいうのでしょう。春雨が、生暖かい原初のカオスを出現させたのだと思いました。

釣竿のぴしゃりと叩く春の雲   ∞
 「ぴしゃりと叩く」が愉快な句です。仕掛けを振り込もうと回した竿の先が、春の雲をぴしゃりと叩くかのように見えたのでしょう。まだ釣りは始まったばかり、今日一日ずっとつきあう春の空です。

その中に孫の作なる草の餅   たか子
 幼い子どもたちが懸命に作った草餅が出来上がり、並びました。同じように見えても、その中の一つは孫の作ったもの。じっと見守っていた作者には、孫の作った草餅がどれか、きっと分かっているのでしょう。不揃いな草餅の匂いや柔らかさが、子どもたちの姿にも重なって見えますね。

早春やヒトあるところ花ありぬ   豊田ささお
 春になると、私たちの暮らしのかたわらに必ず花があることに改めて気づかされます。掲句は、ヒトのカタカナ表記が、花を植え、育てることは、ヒトの本性なのだと主張しているようです。古い時代の遺跡にも花は出土していますから、たしかにヒトは、太古から花を愛する動物だったのだと思います。

空掬ぶごとく手袋落ちてゐる   えんや
 「空掬ぶ」は「くうむすぶ」と読みました。落ちていた手袋が何かを掬い取ろうとするかのような形であったことに心ひかれたのでしょう。もはや意志を持たず、ただ無心にその形をとどめている手袋であればこそ、空は掬えるものなのかも知れません。

春泥を川面に濯ぐズック靴   スカーレット
 ぬかるみを歩いて泥だらけになった靴を川で濯いだ、という、とても自然な行為を詠んだ句です。けれどもそれは、歩いてきたのが舗装道路ではできず、川面が遠い整備されすぎた川ではできず、履いてきたのが革靴だったならできず、何より、びしょ濡れのズック靴を冷たいと感じる日にはできなかった行為です。春泥に川にズック靴、全てが揃った奇蹟のような春の日だったのですね。

【その他の佳句】

衿もとを押さへることも早き春   石塚 涼
行間にうれひをふふむ梅便り   今村征一
しばらくは雛の間として華やげる   山畑洋二
去るものは去りて潟面に風光る   山畑洋二
南天の火を啄みて火の眼   遅足
生きのびし学徒を師とし菊根分   隼人
小指からほどけていって春氷   岡野直樹
小面のしづかな時間初ざくら   春生
折箱に匂ひ残せし桜鯛   紅緒
春の色ひらがなだけを読むみたい   さわいかの
白線の色濃く引かれ新年度   くまさん