「e船団」のドクターがあなたの俳句を診断したものです。


2016年4月27日

内野聖子ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 熊本県を中心とする大地震が発生してから一週間以上が経ちました。
 私の住んでいる地方でも激しく揺れて、二度目の本震の後もずっと揺れている感じで、その夜は一睡もできませんでした。時間が経つにつれて被害状況が明らかになっていき、報道等で知る度に本当に胸が痛みます。終息の見えない状況の中で、被災地の皆さんはどんなにか不安な毎日をお過ごしのことでしょう。被災された方々が一刻も早く平穏な日常に戻る事ができ、ゆっくりとお休みになられる日がきますように、心からお祈り申し上げます。

【十句選】

一つ病み一つ癒えたり花は葉に   まゆみ
 病を得てしまい、それが癒えるまでの時間の経過を花(桜)が咲いて散り、葉になったという変化で表しているのでしょう。闘病中はなかなか季節の移ろいに気づきにくいと思います。いつの間にか葉桜になっている事に気づいた時のふとした驚きが伝わってきます。

渦巻いて匍匐前進花の塵   大川一馬
 散った桜の花びらが風に吹かれて地面を舞っていて、それが風向きによってこちらに向かってきている情景が浮かびます。桜の花と匍匐前進というミスマッチが微妙な味を出しています。

散り頃といふ見頃あり夕桜   今村征一
 確かに桜の見頃というと、満開の頃を言うことが多いようです。でも、満開だけが見頃だというわけではないんですよね。咲き始めの頃が一番好きだと思われる方もいらっしゃると思うし、散り頃が見頃だという方も当然いらっしゃるでしょう。
 「夜桜」ではなく「夕桜」が儚さを感じさせて良いなぁと思います。

点滴の春光を溜め落ちにけり   たいぞう
 点滴とのどかな春光の取り合わせが新鮮です。点滴をしているという状況はあまりよろしくないんでしょうけれど、春の光をいっぱいため込んだような点滴がぽとりぽとり落ちていく様子を見ていると、少しは心が安らぐのではないでしょうか。

蕎麦処花見の後の暗さかな   中 十七波
 花見をした後に食事をとろうと蕎麦屋に入ったところ、店内のほの暗さに驚いたのでしょう。ぱっとした桜の明るさと室内の暗さの対比が効いていると思います。

ヒヤシンスゆっくり値切る旅プラン   みなと
 「ゆっくり」がわかりにくいですが、どんなやりとりがあったんでしょうか。 旅プランの内容も気になります。

未熟なる恋の誘ひや春の宵   戯心
 ストレートな表現のみなので、もう少しひねりが欲しい気もします。
 春の浮き立つような少し独特な雰囲気の中で、ぎこちない恋愛をしている様子が見えます。春は色んな事が始まる季節でもあるので、もしかしたら恋愛デビューなのかも知れませんね。

うまそうにほくほく起きる春の土   草子
 春の土を掘り返した時のあたかそうなほっこりとした感じが伝わってきます。
 「うまそうに」を他の表現にするなど一工夫してみられてはいかがでしょうか。

春うらら紙芝居屋のうはずる声   鷲津誠次
 明るい春の日に観客を集めて紙芝居が始まりますが、少々緊張しているのか、力が入りすぎたのか、読み手の声が上擦っているというユーモアの感じられる句です。のどかな春の一日と紙芝居というレトロな存在の取り合わせがいいですね。
 ところで紙芝居屋さんって、最近は観光地くらいでしかお目にかかれないような。

草餅や浅葱の暖簾短めで   瑠璃
 和菓子屋さんの暖簾が何となく短いようで気になったんでしょうね。店内で草餅を食べながら暖簾に注目していたのか、草餅を買いに行って暖簾の短さに気付いたのかわかりませんが、視点が面白いと思いました。

【ひとこと】

シャガールの女とけゆく春の闇   まどん
 「女」を「男女」とすればよかったかということと、季語についてお悩みのようでした。
 前者に関してはどちらを使われても良いと思います。季語に関しては、「春の闇にとけゆく」ということで馴染みやすいと思いますが、ありきたりな感じなので、変えてみられてもいいかも知れません。又は「とけゆく」を変えて「シャガールの女の後ろ春の闇」や「シャガールの男と女春愁い」ではいかかでしょうか。


2016年4月20日

山本たくやドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 私は大学院で俳句を学び、昭和期に活躍した俳人・中村汀女を研究対象にしていました。汀女は熊本県熊本市の出身であり、研究をしていた私にとっては身近に感じる県です。そんな熊本が先日大きな地震の被害に遭い 、他人事では済まされない気持ちを感じました。
 船団会員やこのHPを観てくださる方が被災されていないかも心配です。
 一刻も早い復興を願います。

【十句選】

春菊やざんばら髪で四股を踏む   伊藤五六歩
 「春菊」の葉と「ざんばら髪」の取り合わさがとても良いですね。「四股を踏む」の表現も力士の大きくゆったりした動きを彷彿とさせ、「春菊」のイメージをより豊かにしてくれます。

天草市発足十年復活祭   大川一馬
 「復活祭」は本来キリストの復活を祝う日のことで、春の季語です。被災した熊本がいち早く「復活」してほしく思います。

ぶらんこがおおゆれに揺れ春休み   たきお
 「ぶらんこ」の大きくゆったりした動きが、「春休み」の空気感とよくマッチしています。

春の月頬杖に乗る腑抜け顔   せいち
 詠まれている景は平凡ながら、「頬杖に乗る」の表現が秀逸。

おぼろ夜のあら炊飯器OFFのまま   せいち
 掲句も景は平凡ながら、「おぼろ夜の」と軽く切れがあってから、「あら」と一拍おいているところが絶妙。

桜東風豚いっせいに夢見中   古田硯幸
 「豚いっせい」の表現が極端であり、それによって面白味が生まれています。

チューリップ一本ぐらいよそ見しろ   高木じゅん
 真っ直ぐに咲くチューリップですが、確かに一本ぐらいはこっちをみて咲いてほしい気もしますね。「よそ見しろ」と命令口調なのも良いと思います。

春雷やおっぱい山の喘ぐなり   高木じゅん
 「春雷」・「おっぱい」・「喘ぐ」と、官能的な言葉が多く使われ過ぎです。「おっぱい」一択でも良いでしょう。

ほのあおくジュラ紀の匂う蕨かな   瀬紀
 「ジュラ紀」という遥か昔の、漠然とした大きな視点から、小さいながらも具体的な「蕨」への視点のクローズアップが心地よいです。

逆上がりできぬ記憶の花吹雪   瀬紀
 さが上がりに挑戦するがなかなか出来ない、花吹雪の中で頑張る子供の姿が絵画的に詠まれています。


2016年4月13日

えなみしんさドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 ことしの桜はいいサクラ。例年なら2週間ほどで散ってしまうところ、「花の冷」がやってきました。これを書いている4月6日。3週間目。ようやく「花ふぶき」が始まりました。花見酒も進みます(笑)。明々後日から京都旅行。仁和寺の遅桜が見られるでしょうか。今週は、149句から。

【十句選】

号外は夕東風に乗り鈴鳴らし   伊藤五六歩
 動詞ふたつのリフレインが心地良い、特に「鈴鳴らし」がいい。東風に乗るのだから吉報と思うのですが「夕」がややマイナーか。「朝東風」ではいかがでしょう。

目借時ベストセラーが膝に落ち   大川一馬
 情景が良く分かる句。ベストセラーというライブ感で現代の句になっています。例えばですよ「六法全書が膝に落ち」「旧約聖書が膝に落ち」では全く別の句です(笑)。

割り勘で割れぬ百円四月馬鹿   せいち
 ワリカンというのは、民主主義と同じくらいに合理的な考えと思いがちですが、実は、高額所得者もビンボー人も同料金。たくさん食べた人も、コーヒーだけの人も同料金。割り切れない時は、どうするんだ?(笑)、という句だと思いました。

手を加へ使ふ歯よ眼よおらが春   素秋
 「手を加へ使ふ歯よ眼よ」が秀逸です。歯だけでなく目もならべたのが手柄。白内障のような手術でしょうか。季語も一茶の晩年を思わせ、いいですね〜。

竹の秋幣のさ揺らぐ手児奈の井   みさ
 言葉のきれいな句。千葉県市川市の昔ばなし「真間の井」ですね。「ヌサノサユラグ」「テコナノイ」の古語が効果的。

黒髪に春の溢るるうなじかな   戯心
 春が溢れる、と言うのがいいですね〜。言葉もきれい。黒髪なので、大正チックな情景を思いました。

春泥を捨て高台の街となる   戯心
 震災句。「春泥を捨て」の発見が素晴らしいと思いました。「高台の町になる」のきっぱりした言い方に希望が見えました。

くるくると掬ふ水飴風光る   紫
 景が見える句。普通は「廻す」などにする所、「掬う」の発見が良かった。「液状・粉末状のものの表面に近い部分を、えぐるようにして取り出す」ですもんね。

陽炎を抜けて私に逢ひに来よ   紫
 「抜けて」が効果的。「来よ」の命令形がいい。陽炎を舞台にドラマチックな景が描けています。

メガネ屋の薦めるレンズ春の雨   豊田ささお
 メガネ屋、わたし、春の雨。この3つがドラマを作っているな〜。何が面白いのか説明できない句もあります(笑)。「レンズ」が意外な効果を挙げているのかも。

【次点句】

諳んじる恩師も親も卒業歌   酒井とも
 卒業式。親も同窓生なのでしょう。いい雰囲気だな?と思ったのですが、先生が校歌を諳んじているのは当たり前なので、そこを工夫されてはどうですか。

手に持ちし財布をさがす四月馬鹿   今村征一
 面白いと思います。「持ちし」は過去形ですから、「手の財布きづかず探す」とか、「目で探す手にある財布」のようにされたらいかが。

二輪草のあはい実定法規範   紫
 「の」がいらないと思いました。二輪草がどうでしょう。「鞦韆やイスカンダルの海光る」もいいと思いました。

制服の肘のてかりや麦青む   ∞
 昔は、こんなだったな?という句。今も制服はこうなのかも。青春だな?。季語もいいです。

夫の名を一瞬忘れ四月馬鹿   ヤチ代
 英語で聞かれたりすると自分の名前が言えなくなったりすることがあります(マサカ)。この方も実話でしょう(笑)。

春休み東京ばなな提げて孫   中 十七波
 東京ばなな、の固有名詞が効果的。「孫」だと急に類型句に思えてしまうので、ここは「友」でしょう。あるいは「父」なんていうのもドラマかも。「寅」じゃ「男は辛いよ」だ(笑)。

行き来する山もん海もん桜咲く   草子
 都会もん、の連想でしょうか。山もん=山の人、海もん=海の人が面白い。上野などの風景を思いました。

しばらくは生ゆるにまかせ春の庭   利恵
 春がきてホッとした感じがでています。夏が近づいたら手入れに励むことになるのでしょう。

春の空写真撮るには四角くて   意志
 春の空とカメラ。何か面白いこと考えているな?と思ったのですが、リクツについていけませんでした。たとえば、春の空が丸すぎる、というような事ならどうでしょう。


2016年4月6日

須山つとむドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 今年も土筆と蓬を摘みに行った。その夜、春灯の下で土筆は袴を取り、蓬は若葉を抓み揃える手作業をつづけた。堆く盛った土筆の、なんて優しい色彩。蓬の包みに手をさし入れた時の、その優しい感触。どれもが、この歳にして知る発見でした。

【十句選】

弓と槍かざる山家の木の芽漬   太郎
 構成素材のどれもが、似た情趣。まとまりすぎた俳句の印象。予定調和を打ち破る 『ちょっとした』勇気を! 中七『山家の』は描写が過多。例えば <木の芽漬山家の壁の弓と槍>など。

ものの芽やハローワークに十二使徒   伊藤五六歩
 ハローワークの着眼は新鮮。十二使徒の具体像は、並ぶ求職者、額の図像、対応する職員? こうしたイメージを、ピンポイントで喚起してくれる『季語』の発見も、俳句の楽しみ。

新しき墓標の家紋春の蝶   茂
 もしかして、蝶紋、平家の末裔? などと、艶麗優美な想像をかきたてる。下五『春の蝶』では時間軸が漠としがち。例えば < 蝶の昼・・ >などと、時刻のクッキリ感を試みては。

手の内に匿くせしジョーカー沙翁の忌   素秋
 マスコミを揺るがす少女監禁の悪夢を思う。シェークスピアの忌日は1616年5月3日。セピア色で展開する重厚な舞台と、ゲーム感覚に憑かれたような社会犯との、重なりが悲しい。

おぼろ夜の隣家に尖る避雷針   たいぞう
 民家でもたまに避雷針を備えている。隣の邸の尖った屋根に、避雷針がクッキリと天頂を向く。雲の後ろに月の在り処をおぼろに感じさせる、心憎い措辞。

ハイと手を上げてウミウシしゃべりだす   ∞
 水族館ブームや、現物を凌駕するネット検索の色の冴。春の季語イソギンチャクやウミウシが、とても身近な存在になった。ひらひらのスカートから手が伸び、元気な一声がとぶ。

入口は出口の隣万愚節   さわいかの
 俳句モードを『 O N 』にすると、日頃見過ごすモノの中からすごい発見があるはず。この句、季語『万愚節』がアタマの片隅に息づいていて、ふと見つけた軽妙なる機智。

小三冶の扇子櫓になる春の宵   草子
 春宵に乗せられて、つい立ち寄った席亭の景。おりしも柳家小三治の熱演中。演し物は・・・?熱烈なるファンならずとも、春灯下の寄席の熱気が伝わってくる。

自転車の補助輪はずし初ざくら   鷲津誠次
 補助輪と初ざくら(その春に初めて咲いたサクラ)は意味がやや重なり、冗長な感も。そのうえ、中七『はずし』は説明が過多。でもこの句、幼子の得意顔と初桜との輝く出会いが。

連翹や側転する子の足長し   スカーレット
 春先、伸びた枝が土につき根をおろすというレンギョウ。側転が得意の子の手と脚の伸びやかな様は、まさに春に向かって転がる大輪、大いなる息吹。

【 注目した5句 】のびやか

目借り時サインコサオカメインコ   せいち
 < サイン コサイン 啼くインコ・・ >などと、口誦性の快を極める挑戦が待たれる。

一打目の鍬高く上げ芋植える   山畑洋二
 春耕の喜びが伝わる。動詞の重なりは要注意。中七の『上げ』を工夫し、景をより鮮明に。

春の日やおっぱい山の滑り台   高木じゅん
 上五のままでは印象が曖昧。<山笑う・・>など、季語との取っ組み合い、格闘技を。

足の指抓まんで菫ユモレスク   糸代みつ
 < 足の指で菫を抓んだアノ感触 >が伝われば、ユモレクスの曲想も生き、理解はOK。

点滴の点を数える花の冷   まどん
 チューブで命繋がれる一刻。固定したままの首で数える一滴。迷い込む ひとひらの花びら。


2016年3月30日

星野早苗ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 「桜の蕾もふくらみ……」と、下校の小学生たちが送辞のことばを口ずさみながら通り過ぎました。卒業式のシーズンですね。別れは淋しくても、進級、進学と、次々に扉の開かれてゆく子どもたちの三月を羨ましく感じました。
 3月後半からは、お花見のシーズン。花の下で転勤の送別会も開かれているかも知れません。別れだけではなく、桜にはいつまでも門出を祝う花であってほしいですね。
 さて、今回は177句の中から。

【十句選】

公魚のかろき魚信(あたり)よ風の中   太郎
 公魚(わかさぎ)は、結氷湖での穴釣りが有名です。氷が分厚くなり人が乗っても大丈夫という安全宣言が出ないと穴釣りはできません。ワカサギは春の季語ですが実際には一年で最も寒い時期に釣れる魚なのですね。けれども、氷の上を吹き渡って来た風には仄かな春の気配が感じられたのではないでしょうか。

カリヨンの告げる正午や麦青む   ポンタロウ
 カリヨンは16世紀頃のヨーロッパで、教会や市庁舎に設置された組鐘です。それが今も使われているのかも知れません。青い麦畑に広がるカリヨンの音色は時空を越えて、古き良き時代のヨーロッパの田園風景と重なります。

鳥雲に嫁せし娘の部屋を掃く   たいぞう
 娘が嫁ぎ、部屋はがらんとしています。家具も減って掃除はしやすくなったのですが、、その部屋の主だった娘のことを思い出すと感慨深くもあり、掃除でさっぱりすることと裏腹に娘の気配が薄らいでいくようにも感じられます。「掃く」という掃除法が句の内容によく合っていると思いました。

母笑うアルバムに咲く桜かな   たいぞう
 母の笑顔の写真がアルバムにあり、傍に満開の桜の写っている写真もあったのでしょう。どの家のアルバムにもありそうな平凡な事柄ですが、作者ははっとしました。それほど母の笑顔が遠いものになっていたのでしょう。そこに桜も咲いていたことが、素直によかったと思える句だと思いました。

黄鳥や能登にも平家物語   今村征一
 黄鳥(こうちょう)は鶯、または高麗鶯の異称。平家物語は、中世以来琵琶法師に語られる平曲として全国津々浦々に広がりましたが、落ち延びた平家の残党も各地に落人伝説を生んできました。平家物語の舞台から遠く離れた能登半島にも、平家縁の人々がひっそりと歴史を紡いでいたのでしょう。

催花雨やいよいよ黒き土に落つ   茂
 催花雨(さいかう)は春雨、花を促す雨なのですね。冬晴れの日から一変、春先にはしとしとと雨の日が多くなります。何日か雨の日があり、潤った土がいよいよ黒くなった頃降る催花雨。この雨に促されて、やっと花が咲くのですね。「いよいよ黒き」がいいと思いました。

眠る児の手の遠くある花の昼   ∞
 眠っている子どもの手、特に眠っている乳幼児の手の可愛らしさは、いつまでも眺めていたいものの一つです。桜の花の咲き満ちた花の昼には明るい賑わいが感じられますが、どこかに眠っている子どももいます。遠くではあっても眠っている子どもの手とのつながりが感じられ、魅力的な花の昼だと思いました。

五年目の海鳴りやまず黄水仙   みなと
 東北大震災から五年がたち、海は何事もなかったかのように凪いでいます。けれども、耳底に震災の日の海鳴りの音の消えない人たちがいて、作者もその一人です。どんなにがんばっても時間がたっても、決して元に戻らない生活もあります。春になれば咲く、明るい黄水仙との対比が鮮やかな句だと思いました。

子猫手にやつぱり俺が先に死ぬ   をがはまなぶ
 掌に仔猫を載せ、その仔猫の顔をつくづくと眺めて「やっぱり俺が先に死ぬ」という言葉が出ました。一般的に生まれたての動物はまだ自分で餌をとれず誰かが世話をしてやらないと生きられません。ですから、仔猫に対してはどんな大人も圧倒的に強い存在です。けれども、未来の時間に目を向けたとき、大人の優越感は吹き飛びます。

ゆるゆると木を伐りをれば日は永し   豊田ささお
 昼からゆっくり出て来たのか、休みながらゆっくり伐っているのか、ゆったりとした仕事のペースです。それでも何の問題もありません。世は春で日は永く、そんなゆったりした仕事ぶりを許してくれるのですから。

【その他の佳句】

鳥帰る幼き時の通学路   太郎
しろつめ草一目散に母の膝   素秋
首立ててキリン見てゐる春の雲   眞人
電線に逆手順手のつばくらめ   紅緒
かぎろひや雲梯に子ら二三人   みなと
桜鯛長き廊下を案内(あない)され   草子
故郷の海は元気と若布来る   瀬紀
耕人や藁の束子で泥落とす   瑠璃
半壊の梁に貼り付く燕の巣   中 十七波



2016年3月23日

谷さやんドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 3月20日の春分の日は、松山では子規記念館で「第21回はがき歌全国コンテスト」の表彰式がありました。船団代表の坪内稔典さんが審査委員長をされていることもあり、今年も出かけて行きました。歌人の永田紅さんや酒場詩人の吉田類さんの講評など、俳句大会とはまた違った、どこか温かい雰囲気に包まれます。
 坪内さんは、「はがき歌には必ず相手がいる。その相手の胸を開くのがはがき歌である。用件を伝えながら、ちょっとした可笑しさを添える」ことがポイントであると話されました。選ばれたのは次のようなはがき歌です。「徘徊の母の気ままに手をそえて夕日もつれてあちらこちらへ 岡田ルミ子 75歳」、「算数のテストなん点だったでしょうこたえはばあちゃんのとしくらいです あちしずく 8歳」、「きいてよねぼくのはなしをよくきいてきのうのこともきょうのことも 田中龍騎 9歳」。
 毎年、締め切りは11月1日。会場を出ていくときには「今年こそあの人にあてて、五七五七七に挑んでやろう」と、意気込みました。

【十句選】

兄さんが古民家風の春休み   伊藤五六歩
 春休みは、宿題がないので夏休みなどに比べて解放感がある。その春休みを、兄さんは古民家風に過ごしているという。弟のその捉え方が可笑しい。オタクっぽい、お行儀の良い、姿勢正しいお兄さんとか、いろいろ想像を巡らした。

まるまるとながながとして水温む   二百年
 「まるまる」「ながなが」は、目の前の池か沼の形だろうか。春がきた安堵感とか冬が終わったゆるやかな気持ちのほぐれとかが、単純なこの二つの言葉に現れている。

ベビー服大の字に干す桃の花   紅緒
 小さな大の字だが、精一杯の大の字にしてやる。大人の洗濯物は差し置いて、大きくなれよ!と、いう気持ちを込める。桃の花咲く家では、のびのびと育ちそう。

シーソーを降りて蒲公英へとダッシュ   今村征一
 シーソーに乗っていた子が、突然蒲公英の花の方へ全力疾走した。きっと蒲公英の辺りにボールか何か面白いものを見つけたのではないだろうか。ダッシュという響きが、蒲公英の黄を鮮やかにしている。

春愁のミルクの底に瓶の底   さわいかの
 ミルクを飲み干したら、瓶底が見える。普段は、そんなことに気を取られることもない。それが「ミルクの底に瓶の底」があることにふと気付いたのだから、これは紛れもなくに春愁だ。
 同じ作者の<春浅し星にはにかむマヨネーズ>も好きだった。<大仏に螺髪は減って蕨餅>には、減る?!と、戸惑いながらも断定の大胆さに惹かれた。

白蓮がみんな拍手でお出迎え   岡野直樹
 「お出迎え」まで読んで笑ってしまったが。確かに拍手のような花びらの形である。咲き誇っている様子を「みんな」と、表現しているのも納得。見送るより、迎えてくれる感じにも共感した。

春風の中のライオン沖を向く   倫敦
 「中の」が必要かどうか。ともあれ、春風に吹かれて沖を見るライオンはいったい何処に立っているのだろう。丘の上、小高い砂浜。絵になるなあ。あれ?「向く」だから、沖を見据えているライオンの像なのか。春風に吹かれる鬣が気持ち良さそうで、ザ・トーキンズの「ライオンは寝ている」を思い出した。

草青む丘に前衛書道家展   草子
 前衛書道というのは、「第二次大戦後に新しい芸術観に基づいて起こった革命的な書道芸術運動によって開拓された新しい書道の分野」だという。地中から草の芽が萌出る、草青むような運動だったのだ。「前衛」と付くと、私などには難しそうに思えてしまうが、草萌の丘での展覧会だと出かけてみたくなる。

うららかにパン屋の売り娘鈴鳴らし   鷲津誠次
 スーパーなどで新しくパンが焼けると、鈴とか鐘が鳴り響く。いかにもうららかな音色だ。「売り娘」は「売り子」でいい。「娘」を「こ」と読むのは強引だし、何より女性と決めつけなくても、男子が鳴らすうららかな音も想像したい。

ぼさぼさの具合がよろし雪柳   スカーレット
 雪柳は、白い小さな五弁の花が咲き揃って一面が真っ白に見える。確かに枝ぶりはぼさぼさな感じがある、ことにこの句で気付いた。この人、剪定をしていい具合にぼさぼさになった雪柳を眺めて悦に入っているのかも知れない。


2016年3月16日

久留島元ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 俳句は切れが大切だ、といわれます。語と語のあいだに生まれる空白、息つぎ。俳句のなかで「切れ」があると大胆な場面展開が可能になり、短いなかで変化が生まれます。
 「桜散る/あなたも河馬になりなさい」
 たまに、「切れ」は、切れ字(や。かな。けり。など)がないといけないと思い込んでいる人もいますが、「切れ」はほかの言葉でも生まれますし、俳句に限らず短詩のなかで飛躍を生むために必然的に使われる手法だといえます。
 一番失敗するパターンの俳句は、「○○すれば〜〜だ/△△」というように、順接でひとつづきの文章になってしまい、意外性がないもの。「切れ(飛躍)」を使って、「短い文(散文)」ではない「短詩」を目指したいところです。

【十句選】

霾やテレビ塔だよ!テレビ塔   二百年
 黄砂が舞うなか、テレビ塔にはしゃぐ作者。スカイツリーやあべのハルカスができた今となっては、いささかレトロな、昭和感ただよう「!」ですが、過去を振り返っているとすればにぎやかで楽しい。

朝の火事タマも家族も無事でした   お茶屋
 火事という大事件から、真っ先に「タマ」の心配をするところ、また「家族も無事でした」の淡々とした報告調が、深刻すぎずおかしい。

げんげ田に深く沈んでいるバール   ∞
 「バールのようなもの」といえば凶器の代名詞。一面のげんげ田に深く凶器が沈んでいるという狂気。

寡婦控除寡夫控除在り二月尽   中十七波
 ご自身はどちらなのかな、または今は違うけれど目に付く年齢になってきた、というところでしょうか。確定申告は現代の季語になりうるかも知れません。

桃咲いて太郎になるまで洗濯す   秋山三人水
 「太郎になるまで」太郎になる前はなんなのか。あたたかな春の空気のなか、不気味なような、楽しいような。

目の前の貌鳥のゐて立ち往生   スカーレット
 貌鳥はカッコウの別称といいますが、古来謎の多い歌語。こう書かれると、なんとなく妖怪めいた存在感があります。

飛花残花あの丸帽よ角帽よ   素秋
 帽子にむかって花びらが舞い散る様子でしょうか。リズムのよい「丸帽よ角帽よ」で花見客の混雑が見えてきます。

伸びきった小枝に鋏春うれい   茂
春の雲のらりくらりとかわされる   瀬紀
梅ひらく君の口癖うつるころ   加納綾子

 「小枝」を切るときの小さな罪悪感、のらくらな感じに合う「春の雲」、ずっと一緒にいる相手との新しい展開を期待させる「梅開く」。作者の等身大の生活から季語へ、小さな飛躍がうまく詩を生んだ句ですね。

【選外佳作】

啓蟄や蛇の目模様の猪口の底   草子
 なんてことはありませんが啓蟄で虫たちがうごく感じと蛇ノ目模様が響いていて、しかしこれはお酒を入れるのがすこし躊躇われるような。

卒業や借りてきた『猫』借りたまま   伊藤五六歩
 すこし入れ替えて、「借りてきた「猫」借りたまま卒業す」と、これは順接で展開しても意外性があります。

空ばかり写る写真や落第す   伊藤五六歩
 写真と落第生とがどういう位置関係にあるか迷いましたが、落第生(自分)の撮った写真を見ながら、ということでしょうか。空ばかり撮ってるからだ、と言いたくなりますね。石川啄木の心境かも。

釣人の魚篭あふれけり蕗の薹   太郎
 釣りをしているはずなのに魚籠は、魚ではなく蕗の薹がいっぱいだった? より明確にするなら「魚籠にあふれて」でしょうか。このままだと下五で切れて「魚籠は魚でいっぱい/景色として蕗の薹」とも読めます。

いいひとになれば春愁っぽい私   紅緒
 まあ「春愁」ってそんなものです。いいひとになる→春愁の流れが、すこし説明的な気がしました。

ねんごろに包みて闇に雛しまう   たいぞう
 うーん、とても面白い句なのですが、語順がやや散文的、「ねんごろに雛を包みてしまう闇」とすると闇が際立ちますね。

暇な午後雨水集めてドレミフォソ   万里
 雨水は二十四節気のひとつ、2月19日ごろ。時候を「集めた」ととると面白いですが、「暇」だから「あまみず」を集めた、では説明的ですね。「暇な午後」が説明的なので、変えたほうがいいように思います。

水仙や断酒道場門堅し   オリーブ
 水仙と断酒道場の取り合わせは意外なのですが、「門堅し」は散文の説明。推敲が必要ですね。

姉帰るアニメソングの暖かし   意志
 うーん、姉がアニメソング好きで歌いながら帰ってきた? 「あ」の頭韻でつなぐところなど、現代的な取り合わせで可能性を感じるのですが、「姉」の年齢、「帰る」がいつごろどこへ帰るのかなど、状況がよくわかりませんでした。


2016年3月9日

中居由美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 春がまた巡ってきました。草花も木も鳥も魚も躍動を開始します。命あるものは、狂おしいほど春を待っていたのだと思います。
 水泳仲間のひとりである高齢の方が、「冬の間、体がつらかったけれど、もうすぐ春が来る、もうすぐ春が来る、と自分に言い聞かせてね。毎日毎日過ごしたのよ」と明るく話してくれました。その言葉に若い人たちもしんみり。心の奥底からひょいとこぼれた生の言葉、軽く言っても凄味があるものですね。

【十句選】

春の鳥句会仲間と居るごとし   太郎
 メジロ、ヒバリ、ツバメ、ウグイス等、馴染みのある春の鳥をあげてみると、なかなか賑やか。春の鳥の明るい囀りは人を快活にしてくれる。春の鳥と俳人が同列に扱われているのが面白い。春の鳥のような句会、覗いてみたいなあ。

いつみても法蓮草のやうな人   芳海拓未
 思わずふっと笑みがこぼれる。周りにいるあの人この人を思い浮かべ、ああ、あの人が法蓮草かも!なんて、つい想像してしまった。法蓮草を思いがけない視点で詠んでいてそこが新鮮。

棟梁の耳に鉛筆ツバメ来る   素秋
 建築現場のきびきびとした動きの棟梁の耳に焦点を当てている。耳に乗せてあるのは短い鉛筆だろう。シンをなめては、設計図にメモを走らせている。野太くたくましい動きに春が感じられる。「ツバメ来る」の押さえもいいと思う。

一斉にめくる楽譜や春立ちぬ   素秋
 指揮者も奏者もいっせいに楽譜をめくる。楽譜のページが、ふわりと春風にめくられている感じも同時に出ている。卒業生を送る演奏会だろうか。演奏の女子生徒たちの髪が小さく揺れる。春立つ気配が心地よい。

蛇穴を出てひざ小僧五つ六つ   たいぞう
 冬眠していた蛇が春の陽気に誘われて穴を出てきた。そこにあったのがひざ小僧。蛇もさぞやびっくりしたことだろう。手足を持たない蛇と膝小僧の取り合わせがユーモラスだ。

こわれもの包みこむよう鬱金香   茂
 鬱金香はチューリップのことだが、漢字表記を選んだのは作者のセンス。壊れ物が中にあると見立てるのだから、チューリップというカタカナの響きではあっけらかん過ぎる。この花は品種も多く色もとりどりで春の花の代表のひとつ。どんなチューリップなのか、もう一工夫が欲しいところ。

春愁や透けて見えたる猫の耳   瑠璃
 春のもの憂さは誰にもある。俳句を作っていると、そんな憂いも季語が引き受けてくれる。夢中で春愁の句を作っているうちに、いつの間にか憂いが消えているのでは?「透けて見えたる猫の耳」が秀逸。

先客は海を見てをる春の鹿   たか子
 海を見るために絶好のロケーション地に来たが、あいにく先客があった。そのがっかり感が、春の鹿に言いとめられていると思う。春の鹿は、毛も抜けてややお疲れモードだ。海を見ているだけの先客からアンニュイな気分が伝わってくる。

二千百二十七円春一日   をがはまなぶ
 金額を数字で書くと、合理的でビジネスライクな感じがするが、漢字で書くととても重みのあるものに思える。先日、月9ドラマの中で、有村架純演じるヒロインが亡くなった老人のポケットからレシートを発見して、亡くなる前の数日間に買ったものと金額をひとつひとつ読み上げるシーンがあり、心打たれた。二千百二十七円は、人が生きている証。春一日の置き方がいい。

早春ってため息が透きとほること   紅緒
 ため息が透き通っているとは思いにくいが、早春という季節は、ため息さえ透き通るのだという断定が面白い。暦の上では春だが、まだ寒さが残っている日の皮膚感覚がある。口語句として成功していると思う。

【その他の佳句】

占いは当たらぬが良し春の風   石塚 涼
瞳孔が陽に透けていて明易し   倫敦
下萌や音合せする女学生   芳海拓未
鈍行の触れんばかりに雪解川   眞人
春の虹たてがみ立てるまで走り   酒井とも



2016年3月2日

内野聖子ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 先日、仕事で越後湯沢に行ってきました。川端康成の「雪国」の冒頭部分「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という描写そのままに、トンネルを抜けると一面の雪景色が広がっていて、一瞬にして心を奪われてしまいました。
 そして、雪に囲まれた数日間を過ごして帰ってくると、河津桜が咲いていて冬から一気に春になったような不思議な気分でした。日本ならではの贅沢ですね。

【十句選】

定年や唯々諾々と春の泥   伊藤五六歩
 定年を迎えて清々しい気分というより、「唯々諾々と」過ごしてきた日々を悔やんでいるとすれば何とも言えない気持ちになります。もの悲しさの感じられる句ですね。

母とゐて梅のふくらみほどの幸   素秋
 お母さんと二人のんびりと過ごしていて、ふと小さな幸せを感じたのでしょう。「梅のふくらみほど」でも幸せを感じられるとほのぼのしていいですね。

あと一つ駅を過ごせば春の海   たいぞう
 例えば天気のいいある日、通勤電車に揺られながらこのまま海を見に行ってしまいたいなぁなんて思うことはよくあるのではないでしょうか。「海」ではなくても「どこか」に行ってしまいたいと思ったり。あと一駅で海なのに、こんなに良い天気なのに、と思いながらいつもの駅で降りる気持ちがとてもよくわかります。

びちょびちょと子猫抱きゆく霙道   加納綾子
 「びちょびちょ」というオノマトペと「霙」の醸し出す何となくほの暗い雰囲気と、あどけない子猫の取り合わせが何とも言えない不協和音を奏でているようです。抱いている子猫の行方がとても気になります。

日本海春燈けせばわっと来る   たか子
 日中はあまり意識していなかったけれど、灯を消したとたん日本海の荒い波の音や昼間見た残像が一気に押し寄せてきたのでしょう。「わっと来る」が効いています。

春風は猫のまつげがお気に入り   紅緒
 そよそよと気持ちのいい春の風がふいてきて、猫のまつげもそよそよと動いている情景が浮かびました。ほんわかしてとてもかわいらしい句です。
 遠景から近景に焦点が絞られていて、擬人法も生きてますね。

春の雨ひとつぶごとの別れあり   瀬紀
 春は出会いと別れが交差する季節ですよね。ここでは「別れ」に絞って詠まれていますが、「ひとつぶごと」がとても効いています。
 ひとつひとつの別れに色んな思いがあるんだと思います。

春陽に透けて見えたる猫の耳   瑠璃
 あたたかく柔らかな春の陽ざしを浴びて寛いでいる猫の耳が少し赤く透けて見えているんでしょう。着眼点がいいですね。

春うらら押し入れの中空にして   スカーレット
 春なので押し入れの整理をするのは引っ越す為なのか、それとも単に陽気に誘われて「断捨離」を思い立ったのか。どちらにしても「春うらら」という季語から明るい春の一日と明るい気分が連想されます。

偉人めく風貌ならぶ日向ぼこ   鷲津誠次
 厳めしい顔つきの方々が日向に泰然と並んで座っている光景を想像すると自然と笑みがこぼれます。「偉人」という固い言葉と「日向ぼこ」というのんびりとした言葉の取り合わせが面白いですね。