「e船団」のドクターがあなたの俳句を診断したものです。


2018年10月31日

谷さやんドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 出たばかりの『朝ごはんと俳句 365日』(人文書院 1,800円+税)を毎日開いて楽しんでいます。「船団の会」会員の一年間の朝ごはんの記録です。
 みんなの一日が稼働する前の、朝の窓を伺う気分です。体がきれいになるような、美味しそうな朝食が並びます。ひるがえって私は、どうも長い年月を、飲まねばならない薬を飲んでいるような朝ごはんだったようで、がっかりです。
 この原稿を送る今日10月28日は水上博子さんの記録。沢山の種類の野菜のサラダに、パンもジャムも自家製ですと。最後に添えられた句は「草雲雀今朝の卵は粗みじん」。ほおーっ。

【十句選】

シュレッダーにつまる恋文秋暑し   短夜の月
 「つまる」がいいのだ。シュレダーしているだけでは句が簡単すぎるだろうから。「つまる」で「秋暑し」がさらに効いてもくる。情けない感じもでてくる。終わった恋のものだろうか。それとも、自分で書いた手紙かも知れない。
 同じ作者の「落ち葉蹴るさよなら遅刻魔クリストフ 」。この句もとても好きだった。「蹴る」が、そのあとのフレーズの勢いに負けていない。申し訳ないですけど「クリストフ」には詳しくありません。アナと雪の女王のクリストフとか、「ジャン・クリストフ」?。友だちだったらもっといい。

林檎すり下ろす静かな祖父の部屋   青海也緒
 「静かな」が、言い過ぎかどうか。私は、この句はいいと思った。部屋の中の祖父の佇まいを想像する。林檎をすり下ろす音が、かすかだが鮮やかに残る。
 同じ作者の「長き夜や父の子守唄メドレー」も好き。最後の「メドレー」への展開が、楽しい。

空に散る詞林檎を放られて   藤井美琴
 会話の途中突然林檎を放られて、驚いて見上げる。言葉が空に途切れていく感じ。「空」は「そら」と読むか「くう」だろうか。私は「そら」と読んだ。景色が広がり、林檎の色も鮮やかだ。そして「詞」も大きく響く。

もう誰もゐない原つぱ後の月   たいぞう
 私の家の近くにも「原っぱ」と呼びたい広場がある。散歩の途中の広場で観た今年の後の月は、すばらしくきれいだった。優しかった。出て来たばかりといった大きな月が浮かんで、まだベンチに集っている若者や走っている人がいた。「もう誰もゐない原つぱ」になる頃は、月はもうかなり高いところで輝いていただろう。

紅葉茶屋ドイツ国旗に風少し   善吉
 「紅葉茶屋」は、季語「紅葉狩」の傍題。紅葉を訪ねた山野に立つ茶屋。この句からは、今どきのカフェのような茶屋を想像する。小さな国旗だろう。「ドイツ国旗」との取り合わせがシャレている。

秋の忙し脱糞の夢のせい   抹茶金魚
 夢で良かったですね、と言ってあげたい。「秋忙し」は、夢から覚めて慌てているのだろうか。面白い気もするが「秋さびし」にすると、また違った「脱糞の夢」の趣が出てくるかもしれない。

山毛欅もみぢ揺らし吊り橋渡り切る   今村征一
 吊り橋を渡るおぼつかない足取りが目に浮かぶ。最後は急ぎ足で「渡り切」ったのだろう。揺らした山毛欅の黄葉がきらきらときれい。

秋空のポキッとおれる音がする   干寝 区礼男
 さわやかな澄んだ秋の空だから「ポキッ」の音が響くのだろう。秋思だなあ、と思う。

体操着袋の口の猫じゃらし   マチ ワラタ
 部活帰りか。猫じゃらしを折って、友だちのように体操着袋に挿して帰る子。いい風景。

赤とんぼ老人のごとベンチの背   眞人
 ベンチの背が老人のようだ、という感じ方に意表を衝かれた。長い年月、人々が憩ってきた古い木のベンチを想像した。時々赤とんぼが訪れて、寄り添うようにとまるのだ。

【気になった句】

スコアボードへ0きざまれて秋時雨   まつだまゆ
 「きざまれて」は、巧い表現と思いました。ただ「0」と「秋時雨」の言葉の距離が近いかと。他にも「花札」と「温め酒」の取り合わせの句も同様で、上手くまとめた感じがかえって惜しいと思います。

片想い淋しかないか秋海棠   冨士原博美
 「淋しかないか」という問いかけが優しい。片思いの人が淋しいのは当たり前だが、秋海棠が片思いしているなら惹かれます。

初時雨結び昆布の煮しめ吹く   茂
 とても美味しそうです。

すなめりの親子の秋や銚子沖   伊藤順女

連れ合ひを探し始めりきのこ狩   中 十七波


2018年10月24日

久留島元ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 「俳句ブーム」だということです。そのためでしょうか、今回の投句数は183句と多めでした。ネットでの投句は比較的手軽ですが、それでも継続するのはなかなか根気が必要です。私もついつい投句を忘れてさぼりがちなタイプなので、レギュラー投句者にはそれだけで頭が下がります。
 さて、多数の投句のなかで今回、偶然にまったくの類想句があり、わかりやすかったので例示してみます。

  息止める杭の先端に赤とんぼ
  止める息杭の先には赤とんぼ

 とんぼを見て「息を止める」「杭の先」、これはどちらもまったく類想だということ。作者が新しい、発見だ、と思っても、実はありふれたことだった、というのもよくあることです。
 まず類想が生まれるのは当然として、類想の次に、どれだけ発想を変えられるかが勝負です。

【十句選】

転がりたがる木漏れ日もどんぐりも   せいち
 「木漏れ日」「どんぐり」がともに「転がりたがっている」という見立ての句。上句の破調から、具体的などんぐりに至る文体がうまい。

すぐそこに台風のいて晴れる葬   酒井とも
 すぐそこに、という表現が台風に使われている面白さと、やはりちょっと無理かなという疑いが半々。「晴れる葬」もかなり舌足らずであやうい表現ですが、台風との対比が妙。

そう言えばこおろぎだったときもある   ∞
 転生俳句は「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子」という傑作がありますが、この句もなかなかおしゃれ。

十月の空を飛びたいモアイ像   じゃすみん
 天高くモアイ像の飛ぶ空、勇壮です。

「人が怖い、時代が怖い」曼珠沙華   比々き
 曼珠沙華のいいしれぬ存在感、不気味さ、それでいてけなげな感じ、などが響いています。

紙もペンもないから身軽天高し   笹泉
 紙とペンだけなら相当身軽ですが、それすらない、俳句なんて小難しいものから離れて。書を棄てよ、の心境。天高しの季語は理屈っぽくなりがちですが、これは気分が良い。

硝子戸に背を預けたり生身魂   まゆみ
 生身魂は、盆で先祖を迎える時期に、生きて迎える側の年長者をさす言葉。これも理屈っぽくなりがちな季語ですが、何も言わず「ガラス戸に背を預け」て休んでいるたたずまい、味があります。

曼珠沙華棚田を血管のごと走る   ちあき
 曼珠沙華を棚田の血管と見立てた発想は非凡。かなり字数が多く、走る、までは言い過ぎかも。「曼珠沙華棚田を血管のごとく」「血管のごとく棚田に曼珠沙華」などではいかがでしょうか。

巡業の相撲部屋あり柿たわわ   太郎
 やや説明的な感じもありますが、大柄の力士が稽古にはげむ様子と柿たわわの対比が面白い。

鵙日和かごに焼きたてフランスパン   彩楓
 実景がよく見え、気持ちの良い句ですが、鵙日和、なのでやや不穏な感じも。

【選外佳作】

 評価の難しい句をあげます。

青空に照柿が映え豚の悲鳴す   干寝 区礼男
 情報量の多い句。照柿だけでも日に照る柿の意味合いがあるので、青空、映える、が畳語になり、さらに豚の悲鳴が聞こえてる案外ふつうの農村のようですが、描写をこれでもかと重ね塗りすることで不条理感が増す、変な句です。

東京タワーから眺めるの秋のゆび   さわいかの
 「眺めるの」の「の」がやや不審、タワーの頂上から「ゆび」を見るのはかなり不思議ですが、下界を指差しているのでしょうか。

秋刀魚から課題あの子に火をつける   さわいかの
 これも句切れが難しい句。サンマから「あの子に火を付ける」という課題を出された?サンマと火が理屈で繋がりそうなところですが、シュールな句です。

プーチンは遅刻して来るそぞろ寒   小野よしえ
 川柳をされているとのこと。季語の使い方などは俳句的ですが、時事という点はとても川柳的。プーチンという固有名詞だけなら注釈でわかりますが、時事ネタが難しいのは、時期を離れると「プーチン」の「遅刻」が日本政治に影響する「そぞろ寒」いイメージが半減すること。どう判断するか難しい。

疑えば電気クラゲがついてくる   銀雨
 これも不思議な句、なにを疑えば、電気クラゲにつきまとわれるようになるのか。こちらは現代川柳的といえるかも。

ロシアのスパイ不覚をとりし星月夜   冨士原博美
 スパイ小説のような一句。やや説明的なので、たとえば上五を固有の人名にするなどの改作がありえるか。

 以下、句意明瞭ながらあと一押しという句。

豆皿のうさぎ隠れり渋皮煮   中 十七波
 かわいらしい情景ですが、主体が不確か。渋皮煮で「隠す」か、渋皮煮の下からあらわれるか、どちらかでしょう。

金輪際逢はぬと決めて菊一輪   まつだまゆ
 金輪際逢わぬという成語の使いよう、いさぎよい句ですが「菊一輪」ではまだ類想がありそう。「花」の可憐さに人生の決意などを取り合わせるのは常套手段なのです。

晩酌のつひの一滴秋深む   伊奈川富真乃
 俳句(文学)とお酒は相性がよく、しかも晩酌に晩秋の取り合わせは類想がありそう。もっと実用的な、たとえば料理酒、醤油などのほうが、生活が見えてくるかも。

おっぱいの絵馬からからと稲の波   藤井美琴
 岡山の軽部神社とのこと。実景がよく見えます。豊穣を祈る神社に稲の波は当たり前ですが、動かしがたい安心感がある。


2018年10月17日

中居由美ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 数日来、気持のいい秋晴れが続いています。いろいろな事が起こった年でしたが、ここにきて、やっとしみじみとした秋の風景を楽しむ余裕が出てきました。黄金色に輝く夕日に照らされ、葉っぱの裏も表も揺れてキラキラ光るのをみたり、澄み渡る山々を近くに感じたり・・・。何でもない普通の日々の大切さを思う今日この頃です。
 今週もたくさんの御投句、ありがとうございました。

【十句選】

小鳥来る仮設校舎の水飲場   たいぞう
 自然災害が頻発した今年、秋になってこんな光景が被災地で見られたのではないだろうか。校舎は子供を育む場所、子供のエネルギーが溢れる場所。それが「仮設」であることが切ない。小鳥の来訪は、沈みがちな心を明るく元気にしてくれる。

きちきちと逆光にぶつかっていく   せいち
 跳びながら翅をキチキチと鳴らす姿を、「逆光にぶつかる」と捉えたところが面白い。バッタは、丹精こめて育てた草花を食うので、苦々しく思っていた。この句に出会って、バッタが急に愛おしくなった。

学校やいつぴき死にし金魚の目   抹茶金魚
 学校では、よく金魚が飼われている。玄関で、廊下で、教室で・・・。この句の金魚はおそらく、教室の金魚。子供たちが、毎日、世話をし、観察している一匹の金魚の死。最後の「目」は、何かを提起している気がするが、それを言わないのが俳句である。

雲は秋石ころひとつ木のベンチ   日根美恵
 「雲は秋」とゆったりとした広い情景を捉え、視点が小さな石ころへと映る。遠景から近景への視線の転換がいいと思った。石ころを座らせている木のベンチの温もりが伝わってくる。

獺祭忌三百グラムのステーキを   眞人
 大食漢であった子規への挨拶句。三百グラムのステーキ、子規なら朝飯前に平らげたかもしれない。飽食の時代といわれる現代を子規が生きていたら、何をどのように食べるだろうか。

月光やマリオネットの座る椅子   紫
 舞台を終えて、誰もいなくなった部屋の椅子に座らされたマリオネット。人から操られて息を吹き返し、拍手を浴びる人形の哀しさを、月光がしずかに照らしている。

秋天や少年院の鼓笛隊   じゃすみん
 秋は大気が澄み、いろいろなものが鮮やかに見える。少年の鼓笛隊の演奏も、爽やかに響いている。それが少年院であるがために、どことなくもの悲しい。季語「秋天」が効いている。

数珠玉を競ひて取りし日のありき   スカーレット
 子供の宝物は、かつて団栗や数珠玉など自然の中にあった。数珠玉は、水辺にあり、果実が実るのを待って、子供たちは競って取ったものである。数珠玉の手触りは、年を経ても確かな記憶として残っている。

秋高し踏み台一つ選びたる   紅緒
 ちょうどこれからが、「秋高し」を実感する季節だ。空が高くなった気配を感じつつ、踏  み台を選んでいる。踏み台に一段、二段とのぼってみると、見慣れた部屋が少し違って見える。空の高さと踏み台を同列にしたところがいいと思った。

曼珠沙華何か忘れてゐるやうな   紅緒
 曼珠沙華は、田んぼの畦や堤などに真っ赤に燃えるように群れて咲く。鮮やかで人目を奪う花である。インパクトの強い花を前にして、「何か忘れてゐるような」というとぼけた言い方が愉快だ。


2018年10月10日

内野聖子ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 ここのところ週末に連続して台風がきたり、天候が不安定だったりして心身ともに不調をきたしがちですが、外に出ると秋の気配を感じることができて少しほっとします。
 さて前回の東京オリンピックの開会式は10月10日で、私はその日に生まれました。私の名前の由来はそこからきています。毎年10月に入るといつもそのことに思いを馳せています。

【十句選】

秋の鯉濡れ新聞に包まるる   太郎
 鯉の泥臭い感じと新聞紙のウェット感が秋の光景として立ち上がってきます。

単純でややこしい嘘秋桜   まつだまゆ
 「単純」と「ややこしい」は相反しているようで、事によっては似ていたりもするんでしょう。可憐だけど実は意外とたくましい秋桜と合っています。

ゴッホ描く渦巻きに似て台風図   短夜の月
 今年は台風が多いですよね。一度に二つの台風が発生したりしてもう何がなんだか。毎日のように目にする台風図からゴッホのシュールな絵を連想したところが斬新です。

殺めたるレモンの虫にレモンの香   ちあき
 何気なくとった行動にはっとさせられた小さな驚きが伝わってきます。当たり前なんだろうだけど、レモンについていた虫からはレモンの香りがするんですよね。

絶つことを止まるいのち小鳥来る   抹茶金魚
 重い内容が詠まれていますが、小鳥の可憐な姿とさえずりに救われることもあると思います。今私の部屋のベランダに小鳥がやってきますが、本当に可愛いです。

一人また失せもの探し来る花野   たいぞう
 秋草の咲き乱れた野には失くしたものがありそうです。春の華やかな野とはまた少し趣が違って、これから枯れていく寂しさのようなものも内包している気がします。

折りたため少し広すぎ秋の空   茶鳥
 どこまでも広くて突き抜けるような秋晴れの青空は気持ちいいけれど、少し心に憂いがあるような時にはそれがかえって負担になってしまうことがあるかもしれませんね。空を折りたたむという発想は素敵なので、表現を少し工夫されるともっと良くなると思います。

軽々と野菊を攫い夜の果てよ   干寝 区礼男
 野菊が何かのメタファーだとしたらかなり意味深な句ですね。「夜の果て」と「野菊」の不協和音が何とも言えない雰囲気を醸し出しています。

ネコは丸くイヌは四角く秋の暮   マチ ワラタ
 着眼点が面白いですね。確かに猫は丸くなって寝ているし、犬は骨ばった感じがします。のどかな秋の暮の景が浮かびます。

虫すだく取り壊されし映画館   をがはまなぶ
 荒涼とした雰囲気の中で虫だけがにぎやかに鳴いている秋の夜の光景が浮かびます。そこにはきっと一筋の月光がさしていることでしょう。

【ひとこと】

電柱に恃む片影ほとほとと   素秋
 「ほとほとと」より「とほほほほ」の方が?というご質問がありましたが、私は「ほとほとと」のままでいいと思います。ただ、かなりニュアンスが違ってくると思うので作者の意図するところがどこにあるのかで変えて頂いても良いのではないでしょうか。


2018年10月3日

山本たくやドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 連日続いた猛暑から一転して、少しずつ秋らしい涼しさが出てきました。
 食欲の秋、読書の秋、芸術の秋など、本格的な秋はこれからですね。平成最後の秋を満喫しましょう。

【十句選】

くすぶる恋鎮火中です鶏冠花   短夜の月
 何だか切なさを感じました。「くすぶ」っている上に、鎮火までしないといけないとは。せめて、一度くらいは燃え上ってほしいものです。

満月のコップの中を跳ねている   銀雨
 「何が?」とは思いましたが、コップの水の中に満月が映っている景は、それだけでも十分にキレイなものですね。

コンテナに「残暑買います」の看板   銀雨
 「何で?」と「どうやって?」と疑問が尽きませんでしたが、何となく存在しそうな気もしますね。この発想は面白いと思いました。

小鳥来る納豆ご飯メッチャ好き   ポンタロウ
 小学生が作った俳句のようあり、また、バカバカしい感じにとても好感を持てました。難しく俳句を考えるより、これくらい単純に作る方が本当は楽しく、良いものができるのかもしれません。

満月や大泥棒にもなる今宵   滝男
 時間軸を「今宵」としたところが、とてもロマンチックに感じました。この泥棒は何を盗むのか。あなたの心かもしれませんね。

打ち水に今日も来ている同じ猫   日根美恵
 「「今日も」としたところの、言葉選びが秀逸。毎日同じことの繰り返しは飽き飽きとしますが、いつも猫が来てくれるとなると

朝冷えの顔ふれるこれは特権   干寝 区礼男
 「朝冷え」に何か特別な思い入れがあるのでしょうか。下五を字余りにしていることで、この「特権」がいかに重要であるかを感じます。

かさぶたを無意識に剥ぐ夜長かな   谷あやの
 特にやることが無く暇な夜長。無意識のうちに、かさぶたに手が伸びているというのは、感覚的にも気持ち的にもよくわかる。また、「無意識に剥ぐ」という表現に、この人の虚無感や虚しさみたいなものを感じる。

どんぐりを集めては放る園児かな   彩楓
 あるある、と納得してしまう俳句。独占欲は強いのに、興味の対象がすぐに変わってしまうのも、幼稚園児の特徴なのでしょう。

菊日和ホールケーキの箱の熊   さちよ
 イラストの「熊」と「菊日和」の取り合わせが、斬新だなと思いました。実際に見た景なのかもしれませんが、それを俳句で表現したところが面白いと思いました。


2018年9月26日

秋月祐一ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 各回の選評を書き終えて思うのは、評を書くことによって、あらためてその句の良さに気づくことがある、ということです。たとえば、ツイッターの140字くらいの長さで、お気に入りの句などの鑑賞文を書くことを継続すると、おのずと作句の力も付いてくるのではないでしょうか。今週は167句の中からの十句選です。

【十句選】

手水して明るい秋になっている   藤井美琴
 神社の手水場などの場面でしょうか。「明るい秋になっている」というシンプルな表現から、ひんやりとした水の感触や、水面に映った秋の光のまばゆさなど、さまざまなものが感じられます。

稲妻にをとこの逃げる非常口   たいぞう
 非常口のマークの走る男を題材にした一句かと。折しも稲妻が光っています。稲妻と逃げる男にはなんの関係もないのですが、稲妻がこわくて逃げているような表現の仕方に、おかしみがあります。

刈りたての頭掻くなり天高し   二百年
 理髪店でシャンプーしてもらったのに、頭が痒くなることってありますよね。ばりばりと頭を掻いたことをきっかけにして、自分と天がつながったような感覚を、巧みにとらえた一句だと思いました。

ベレー帽の達人めいて秋の風   けむり
 ベレー帽をかぶった(絵画の)達人、という意味のほかに、ベレー帽ファッション道の達人という風にも読めるのが、面白かったです。「秋の風」というさらっとした季語との取合せもいいですね。

立てかけてあるだけの琴十三夜   せいち
 八木重吉の詩「素朴な琴」を想起させるような世界。重吉では、秋の午後のあかるさの中だったのを、十三夜の場面に置き換えています。「立てかけて」に生活感のようなものを感じました。

亡き人に腹立てており雁渡し   日根美恵
 「亡き人」と季語「雁渡し」が、遠くへ行ってしまう(しまった)もの、というイメージで繋がっています。「腹立てて」いるのは、それだけ深く愛していたということなのだろう、と想像しました。

ファルセットその先にある鰯雲   マチ ワラタ
 「鰯雲」という季語は、おのずといい感じを醸してしまうので、かえって扱いが難しいですよね。この句の「ファルセット」は、そこに解放感や脱力感を加味して、技ありと感じました。

流星をバケツに受ける漁師の子   ∞
 夕まずめの釣りを終えて帰宅途中の子どもでしょうか。映像的にびしっと決まった句ですね。「漁師の子」という言葉からは、いい意味でのローカルっぽさが感じられます。「流星」と「漁師」の頭韻も。

沢蟹を入れてソムタムもうひとつ   晶
 ソムタムとは、タイの名物料理で、青パパイヤをつかった酸っぱいサラダのこと。これに塩漬けにした沢蟹を入れたりするそうです。「もうひとつ」が作者の工夫のしどころなのでしょうが最適かどうか?

南島の味噌煮のへちま食む子規忌   紅緒
 子規の辞世の句でおなじみの糸瓜(へちま)。沖縄などの南島では、味噌炒めにして食べますね。子規はそのことを知っていたのかしら? 南島から想いを馳せる子規忌というのも興味深く。


2018年9月19日

須山つとむドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 自然の猛威。台風(秋の季語)21号が追い打ちをかけるかのように、大阪の北西部を暴走。息を潜め、北に抜けてくれるのを待ちました。さて,今週も明るい季語との出会いが楽しみです。

【十句選】

竜胆や降りては晴るる峠道   太郎
 雨のあとの束の間の晴れ間。五裂する花冠に水滴がキラリ。藍色に冴えるリンドウはやはり,太陽の光が似合う花。峠の道を秋風が抜けていく。

回り道どんぐりの道けもの道   中 十七波
 一読して三段切れ。・・でも、繰り返し読むうちに、同じ一つの里道を歩いている秋の男に焦点が合って、さわやかな気分がただよう。豊かな秋の自然が見えてくる。

観音に一瞬の笑み稲光   たいぞう
 山裾の白い観音立像が黒雲に覆われた。突如襲うイナズマに、いつも見慣れた慈悲のお顔の上に,さらに 笑みまで現れた。思わず合掌。

生臭き風を束ねて落し水   伊奈川富真乃
 稲を刈る前、田に残る水を落とす。この時、田圃を守っていた水に、生臭ささを嗅ぎつけた。研ぎ澄ました感覚の句。 『束ねて』はやや常套、鮮明な描写の言葉の工夫したい。

虫の声ココナッツピーナッツアーモンド   けむり
 深い,でかいナッツ缶を開けたその時、俳人の耳にミックスナッツの輪唱がこぼれた。芳ばしい香りが鼻をくすぐった。虫すだく長夜。 『ナッツ』の促音は無用だろう。

うにゅーっと凸面鏡にネコじゃらし   干寝 区礼男
 拡大鏡(ルーペなど)を使って野原を観察すると,楽しみが倍増、異次元の発見がある。この句,ネコじゃらしがザウルスに変身! 凹面鏡の鏡像の方が、オノマトペにはまると思う。

子狐のパスタに混ぜる曼珠沙華   ∞
 秋の野は子ギツネ、仔ダヌキには格好の遊び場。ママゴト遊びの茹でパスタに,激辛の曼珠沙華を利かせるなんて、平ちゃら。メルヘンの連想が跳躍する、楽しい句。

青葉風特急やくも自由席   冨士原博美
 振子式電車がカーブの多いを列島を横断する『ゆったり やくも』 。青葉風のなか,伯耆大山も宍道湖も,窓をとびれ去って行く、おおらかな景色。

をみなへし口にくわへしけものの目   紅緒
 美しさ,優しさではなく、同じ季語の持つ、恨み、嘆きの陰の面に着目した句。下五『けものの目』は印象が強烈。『黒目がち』などと、婉曲に物語を始める手もあるだろう。

秋扇の緩まぬ要手のひらに   ぐずみ
 夏が過ぎても、毅然として在る秋扇。上五『秋扇の』の助詞『の』は、秋扇の自己主張だと理解する。また一方で、扇と要(かなめ)は重複して 説明過多だと断定もする。悩ましい。

【注目した5句】

追えど追えどかなかないつまでも遠く   銀雨
  秋初め。『いつまでも遠く』は冗長の感が。『終に姿なく』など、空間描写で言い切っては。

一年のまた巡りきし虚抜菜   みなと
 虚抜菜を、『うろぬきな』と音読できたとき,風のゆれる間引き大根(季語)が姿を見せた。

つるぽこのつるつるぽこりつるれいし   藤井美琴
 口誦性(くちずさみ)を遊ぶ句。季語は霊芝? 下五『つる』は、蔓、吊る・・で迷ったが。

墨付けの糸の緊張秋澄めり   彩楓
 大工道具の墨壺の美を見た。『緊張』を,モノや音の具体物で描写し,句の彩度を上げたい。

新宿の都庁浮き立つ稲光   眞人
 上五『新宿の』では単なる描写。『新宿に』に変えると、少しだが 物語は歩き始める。


2018年9月12日

星野早苗ドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 西日本豪雨、大型台風に続いて、北海道の大地震。収穫前の緑の田畑になだれた生々しい土砂の写真に言葉もありませんでした。この自然と共存していく道を探す大きな課題が残されたと思います。被災地の一日も早い復旧をお祈りします。
 今回は165句の中から。

【十句選】

目薬の素直に落ちて夜の秋   まゆみ
 目薬がいつも素直に目の中に入ってくれないのでしょう。何度も差し直すのが常なのに、今日は「素直に落ちて」一回で上手く差せました。そのちょっとした嬉しさが、ほのかに涼しい夜の秋と合っているように思いました。目薬は、いつも引力に素直に落ちてはいるのですが。

枝豆やをりをり黙る口八丁   伊奈川富真乃
 「をりをり黙る」のは普通何か考え事があってのこと。けれども、食べているときだけ静かな人もいるのですね。果たしてこういう人を口八丁と言えるのかどうか、枝豆を食べながらおしゃべりの止まらない秋の夜だったのでしょう。

秋の蝶水の匂いのする方へ   せいち
 秋の蝶は、蜜の匂いより水の匂いに、秋の水辺の明るさに惹かれていくのではないでしょうか。蝶の吸水活動は、実際には夏に盛んでよく見られます。吸水の必要のあまりない秋の蝶ですが、「水の匂いのする方へ」に説得力を感じていただきました。

見えぬ風見せて花野の黄昏るる   今村征一
 繊細に揺れる花野の草花によって、実際には見えるはずのない風がそこにあるかのように見えたのです。夕方になって風の出てきた花野。夕映えの花野のあちこちが揺れる、有るか無きかの優しい風だったのではないかと思いました。

夕顔や紅を落として歯医者まで   短夜の月
 歯科に行くときは口紅は塗りません。掲句の主人公は、普段きちんと化粧をしてルージュをひいている女性なのでしょう。夕刻、歯科に行くために紅を落とした女性の白い顔と夕顔の花は、親和性のある良い取り合わせだと思いました。

袋菓子ゴム輪でくくり草の花   百合乃
 最近は個包装も多くなりましたが、大きな袋菓子の残りは輪ゴムで括ってとっておきます。煎餅やポン菓子などの素朴な駄菓子と草の花の取り合わせが郷愁を誘います。湿気を防ぐために輪ゴムでしっかり括るという生活感もいいですね。

奥久慈の山むらさきに蕎麦の花   みさ
 茨城県の奥久慈でしょうか。一面に白い花をつけた蕎麦畑の向こうに渓谷の山々がくっきりと見えます。「山紫水明」は山と水の美しい景色の形容句ですが、澄んだ秋の大気の中、奥久慈渓谷の景色はまさに山紫水明だったのだろうと思います。

秋灯や胎膜に透く牛の脚   雪子
 胎膜に包まれたままの仔牛の誕生。牛舎の秋灯の下での牛のお産ですが、そのシーン全体が淡い光の膜に包まれているように感じられます。仔牛の脚の具体性が良いと思いました。

陰干しの黒服軽し晩夏光   紅緒
 黒服は礼服でしょうか。喪服か、或いはリクルートスーツかも知れませんが、片付けようと陰干しをした時に、その軽さに気付きました。夏服のスーツは軽く仕立ててあるのです。重苦しい印象の黒服の、仕舞い際の発見ですね。

コスモスを揺らしてゆけり新学期   中 十七波
 新学期、学校へ行く子どもがコスモスの花をちょっと揺らして行きました。子どもと自然とのふれあいがこれ以上無いほどさりげなく描かれ、好感の持てる句です。新学期に向かう子どもの心をコスモスが過不足無く受け止めています。

【その他の佳句】

月白し缶ドロップの薄荷の香   素秋

人のなか人を遁れて秋のこゑ   たいぞう

かなかなや石を枕に露天の湯   眞人

泥掬ふ物に塵取り台風過   雪子

秋分や夜へ夜へと走るペン   紫

懐かしきもの引き寄せて雷兆す   瀬紀

白粉花寝つき良き夜となりにけり   をがはまなぶ

秋の風洗車の夫のなで肩よ   鷲津誠次

道草も余生も嫌い蓼の花   ぐずみ



2018年9月5日

谷さやんドクター : 今週の十句  (到着順)

【はじめに】

 先日訪ねた北宇和郡松野町の「芝不器男記念館」の庭には、青い柿の実が転がっていました。記念館には冷暖房はありませんが、裏庭の縁側に座っていると涼しい風が惜しみなく吹いてくれます。その日は急な雨が降り出して、軒先の雨だれが木の緑を映しながら、慌ただしくもきらきらと落ちるのを眺めました。待ち人は、何処かで雨宿りをしていたらしく遅れて来ました。着くなり「俳句出来た?」と聞かれましたので「今はまだ」と答えておきました。ぼーっとしていたのです。暑すぎた夏が終わったので、いい句を作りたい秋です。

【十句選】

質問に質問返すまだ残暑   まつだまゆ
 よく意味が飲み込めない質問でもされたのだろうか。「どういうことですか?」と質問を返している場面か。じれったいというか要領得ない質問への苛立ちが「まだ残暑」に現れている。

枝豆や隣家の灯りともりける   太郎
 隣の家の窓が珍しく灯った、ということであろうか。それとも、隣も灯る時間になったと気づいた一瞬なのだろうか。ともあれ「枝豆」がいいと思った。枝豆だから隣家に向ける視線が見えて来る。

向日葵の地平ロケット飛び立てり   銀雨
 「向日葵の地平」がいい。私は広がる向日葵畑を想像した。そのずっと向こうに、真っすぐ発つロケットの姿が現れて鮮やかだ。

珈琲碗今朝は二客の夏邸   茂
 最後「夏邸」と置いて、コーヒーカップの辺りの景色が涼しく広がる。家族が出払って、二人きりの珈琲椀がなお涼しい。

トムといふ守宮夜な夜な風呂の窓   素秋
 作者の注に「トム=ピーピングトム」とあった。調べてもよくわからなかった、というかやっぱりわからない。注が無くても「トムという守宮」は十分面白いと思う。私は守宮がとっても苦手だが「トム」と名付けるとにわかに親しみが湧いてくる。

恙なく一役終へてすててこに   たいぞう
 現在では「ズボン下」とか「ロンパン」といって「ステテコ」とは呼ばなくなったようだ。今思い出しても、父が履いていたステテコはほんとうに涼しそうだった。風通しが良さそうで。ちなみに「すててこ」の名の由来は「一八八〇年頃、すててこ踊りを始めた三遊亭円遊がはいたところから」だという。
 この句、一役終えた開放感がその白いステテコに出ている。

子ら顔を並べ熟れたる柿を食む   青海也緒
 なんとも可愛らしい光景。「顔」を並べたところがいい。机のすぐ上に並ぶ顔。すなわちまだ小さい子ども。そして他でもない「柿」を剥いてあげるお母さんがいいなあと思った。柔らかくなった柿を美味しそうに頬張る子どもたち。

夜行バス発車の窓へ土用餅   日根美恵
 土用「鰻」はもちろん知っていたが「餅」があるとは知らなかった。広辞苑には「夏の土用についた餅。食べると力が出るといい、多くは餡餅」とある。インターネットで見ると、とても美味しそう。帰省する子へ持たせるのかもしれない。「発車の窓」だから、ぎりぎり間に合ったのだろう。

炎天でなければ思ひ出さぬこと   けむり
 「思ひ出さぬこと」って何だろう。でも「炎天」の下だからこそ思い出すことがある、のは何となくわかる。

君と会う助走のような驟雨来る   藤井美琴
 「驟雨」は「夕立」と同じ。「助走」には「驟雨」が合っている気がする。驟雨を恨まないで君と会うための助走、と感じることに共感した。雨を見上げる、きりっとした横顔が目に浮かぶ。

【他にも気になった句】

貝殻を戻して去りぬ秋の浜   せいち
 案外「戻して」が曖昧になっている気がしました。今拾って戻したのか、浜に返しに来たのか。

濡れる手に朝日をもぎしトマトかな   じゃすみん
 いい感じです。「もぎし」の「し」が気になります。

蟷螂のあたま土偶に似てをかし   比々き
 「似て」から後の展開に期待したいです。

エクセルの技の長けたる生身魂   鷲津誠次

半島のニューステレビに白木槿   ぐずみ

 「ニュース」で切れると思いますが「ニューステレビ」と読まれそうです。