日刊:この一句 最近のバックナンバー

2002年1月20日

外は雪おもわずしたこと君に電話  (季語/雪)

東山佳世

 句集『時計台』から引いた。この句集には[立教大学2001年度作品集]という副題がある。この大学で俳諧などを教えている加藤定彦さんが、授業として10回の句会をし、その人気句を集めたのだ。奥付けに限定11部とある。
 私も半年に10回の句会の授業を京都教育大学でしている。数回もすると、かなり夢中になる学生が出てくる。自分の句が意外な読まれ方をすることが面白くなれば、もうしめたもの。学生たちは自分たちで句会の切り盛りが出来るようになる。
 「冬の蝶友それぞれに未来決め」「いつからのさみしがりやか冬桜」(小川智子)、「初春に予定調和を提案す」(井上幸穂)などは『時計台』の佳作。「大寒波眼ばかり動く金魚かな」は加藤さんの秀句。(坪内稔典)

2002年1月19日

入学試験幼き頸(くび)の溝ふかく  (季語/入学試験)

中村草田男

 今日、明日とセンター試験が行われる。センター試験は入学試験そのものではないが、入学試験にかかわる試験であることは言うまでのない。草田男の句は、試験監督の立場で受験生を見ている光景だろう。彼は教師兼俳人であった。
 ところで、入学試験や卒業試験は歳時記では春の部にある。つまり、春の季語なのだが、今日、秋頃から入試があるし、夏に卒業の大学なども増えている。学校の制度が揺れている時期なので、学校にかかわる季語も揺れているのだ。ちなみに、入試や卒業試験などを、ある時期、大試験と呼んだ。「大試験今終りたる比叡かな」(五十嵐播水)。今でもこの季語で俳句を作る人がある。だが、大試験は今では俳句界の特殊用語になっている。夏井いつき風に言えば絶滅寸前季語だ。(坪内稔典)

2002年1月18日

曳かれくる鯨笑つて楽器となる  (季語/鯨)

三橋敏雄

 この句、大好き。句集『まぼろしの鱶』(1966年)にある。以前にもこの句に触れたように思うが、とてもおおらかで原始的な活力を感じる。その活力は、たとえば画家・青木繁の傑作「海の幸」を連想させる。鯨という巨大な楽器からは、さて、どんな音が響くのだろう。
 実は今日、東京では「三橋敏雄をしのぶ会」が開かれる。私も参加したいのだが、勤め先の用事でどうにもならない。
 ちなみに、私たちの船団の会では、伊豆で行った「初夏の集い」に三橋さんに来ていただき、話をしてもらった。神戸の地震があった翌年のこと。そのとき、伊豆の伊東でもかなり大きな地震があり、会場が激しく揺れて悲鳴があがった。その地震のために帰路の電車が大幅に乱れたりもした。(坪内稔典)

2002年1月17日

まぼろしの白き船ゆく牡丹雪  (季語/牡丹雪)

高柳重信

 牡丹雪が舞うとこの句を思い出す。白い船、それはきっと帆船だが、かすかに揺れながら、帆船はゆっくりと牡丹雪の中を通過する。
 この句は『山川蝉夫句集』(1980年)にある。多行形式で俳句を作った作者だが、この句集は、「友人たちが集まる月例句会の席上で、一句について五分間以上は考えないという制約を厳密に守りながら」作った一行の俳句集。
 「俳句研究」2月号に佐佐木幸綱の講演録「高柳重信の光と影」が出ている。幸綱は「船焼き捨てし/船長は//泳ぐかな」という多行句を引き、「私たちの年代のものにはたいへん衝撃的で、また愛唱された俳句でした」と述べている。その通りで、私なども愛唱し、「船長は」の次の一行の空白に深遠な何かを感じようとした。だが、口ずさむときは、そのような空白の行があまり意識できない。そんなこともあって、今では船を焼き捨てた船長が泳ぐのはごくあたり前、と思うようになった。そのかわり、抒情的で甘い今日の句が好きになった。(坪内稔典)

2002年1月16日

水仙ののぞく手提げを膝の上  (季語/水仙)

中原幸子

 電車の車内の光景だろう。少し誇らしい気分で「水仙ののぞく手提げを」を膝の上に置いているのだ。前の座席の人などが見てくれるとなんだかうれしくなる。手提げからのぞく水仙に早春の気を感じるが、この句は幸子の句集『遠くの山』(2000年)の巻頭句。というより、幸子がもっとも早くに作った初心の一句だろう。この句のそばには、「ごみ箱へシュート決まる日日脚伸ぶ」という楽しい句もある。幸子は基本的に楽しい俳句の作者だ。というよりも、もっとも楽しいことの一つとして俳句を作っているのだろう。
 ところで、わが家の居間には今、知り合いにもらった越前の水仙が活けてある。器は備前。ドアをあけたてするごとに、水仙は清潔に匂う。水仙は清潔さがいい。(坪内稔典)

2002年1月15日

灰皿を中心に置く冬の家  (季語/冬)

平野貴

 座敷の卓の上か、あるいは居間の光景か。大型の灰皿がでんと置かれているのである。やがて、人が登場すると、紫煙がたちこめ、その灰皿が団欒の中心になる。つまり、その冬の家の中心になる。
 以上のような俳句だが、私にとってはこの光景は少し古い。わが家もかつては灰皿がでんと存在したが、数年前に姿を消した。昨日が成人式だったが、わたしは成人式の日から煙草を吸うようになった。煙草が私の大人になった証明だった。だが、5年前に胃潰瘍で倒れたことを機に煙草を止めた。止めたら、体も部屋もきれいになった。当然ながら、部屋から灰皿も消えた。
 今日の句は句集『春星』(本阿弥書店)から引いた。作者は1964年生まれ。「人間は口より汚れ台風後」「雪だるま葬列通り過ぎにけり」「桜咲く日本に不発弾あまた」など、彼の句集には秀句が多い。師匠の今瀬剛一は「子飼いの弟子」と呼んで期待している。(坪内稔典)

2002年1月14日

一月の川一月の谷の中  (季語/一月)

飯田龍太

 1月には決まって思い出す句がある。そのひとつがこの龍太の句。「一月の川」と「一月の谷」を対句のように並べただけだが、そのシンプルさが1月の自然感によくマッチしている。しかも、対句的表現でありながら、「一月の川」は、「一月の谷」の中へ包まれる。つまり、一筋の川の流れが、表現のかたちそのものにも示されているのだ。ちなみに,3つの「の」も流れを感じさせる。
 今日の句は句集『春の道』(1971年)にある。この句集の出たころ、私は俳句に関心を強めた。それだけに、今日の句などが体に染み付いている。どんなふうに染み付いているのか、というと、俳句はシンプルであることが大事という感覚として。つまり、このような句に出会って、私は俳句のシンプルな構造に開眼した。(坪内稔典)

2002年1月13日

グラタンのできる間であり日脚伸ぶ  (季語/日脚伸ぶ)

吉田敦子

 「日脚伸ぶ」という季語を実感する季節になった。つい先日まで、午後5時になるともう暗くなっていたが、今は5時半くらいにまだ明るい。今日の句は、「日脚伸ぶ」という季語のその実感を「グラタンのできる間」に感じ取ったもの。グラタンのいい匂いがぷーんとしてくるではないか。
 敦子は1945年生まれ。大阪の堺市に住んでいる。今日の句は敦子の第一句集『流石』から引いた。この句集、昨年の6月に私家版として出た。敦子は「未央」や「逢坂」に属して活躍している。地味な句風だが、しっかりした手触りがある。「春夕はずしかねゐる耳飾り」「福耳に紅さしてきし日向ぼこ」「漆黒の闇に春著を吊るしおく」「春著着てゐるも頓着なく遊ぶ」「身のまはり何も置かずに端居せり」など。このような句を読むと、心にまで日脚が伸びてくる気がする。(坪内稔典)

2002年1月12日

蝶墜ちて大音響の結氷期  (季語/冬蝶、結氷)

富沢赤黄男

 あたり一面が結氷している時期、その時期にはピーンとした緊張感が張り詰めていて、蝶が墜ちるだけでも大音響がする、というのである。墜ちる蝶もまた凍っているのだろう。氷の世界に、その世界からは遠い蝶を登場させたところが、意外性に富んでいる。
 もっとも、その意外性のために、作り物めいた俳句、という印象もぬぐえない。ところが、この句、句集『天の狼』(1941年)では「結氷期」と題された連作のひとつであり、この句の前には「冬蝶のひそかにきいた雪崩の音」がある。雪崩から結氷へと寒さが厳しくなり、そして、この結氷期の大音響が響くのだ。つまり、句集ではさほど作り物めいた感じはなく、むしろリアリズムに近い。
 「風雪の火焔めらめらはしる雉」も連作「結氷期」のひとつ。この雉、昨日の句の冬蝶に通じているだろう。(坪内稔典)

2002年1月11日

火の山を冬蝶は見たかも知れぬ  (季語/冬蝶)

あざ蓉子

 冬の蝶は人気の季語。だが、私はまだ冬の蝶を見たことがない。実際に見る蝶と、季語としての蝶には、本来的に関係がない。季語の世界は現実や体験とは次元の異なる文化的空間だから。それでも、冬の蝶を実際に見ていないとやや不安になる。季語の文化的空間が現実に接して成り立っているからだろう。
 さて、現実の冬の蝶だが、手元の平井照敏編『新歳時記』によると、「あかたては、るりたては、きべりたてはなどは成虫で越冬し、あたたかい日に飛んで出てくることがある」という。今日の句の冬の蝶もあたたかな日の枯れ草などに止まっているのだろう。あたかも火山のマグマの一滴のように。ちなみに、この句、蓉子の主宰する「花組」14号から引いた。(坪内稔典)

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