日刊:この一句 バックナンバー

2004年1月10日

冬の日や臥して見上ぐる琴の丈  (季語/冬の日)

野澤節子

 松村多美著『せつせつと―野澤節子俳句鑑賞』(文学の森)から引いた。「長い病臥の乙女の万感の思いが琴にこめられている」と多美は鑑賞している。
 さきごろ、姫路に住む金澤史典さんから「琵琶に関するささやかノート」というエッセーをもらった。これが実に面白い。作者はあるとき、夏目漱石の「冷やかに抱いて琵琶の古き哉」という句に出会う。漱石の全集に出ているのは「冷やかに抱いて琴の古きかな」だが、考えてみると、琴を抱くというのは不自然である。それで、これら2句の出所の探索が始まる。各地の図書館、資料館を訪ねてまわるのである。結局、出自のはっきりしている漱石の句は「冷やかに抱いて琵琶の古き哉」であり、琴の句は今のところその出自がはっきりしない。ともあれ、調べることの楽しさに満ちた痛快なエッセーだ。(坪内稔典)


2004年1月9日

俵編む手に覚えあり俵山  (季語/俵編む)

三好万美

 昨日に続いて「船団」56号の「地名への旅」から引いた。この作者は山口県長門市俵山(たわらやま)に架空の旅をした。俵山から作者が出したハガキ(特集ではこのハガキも掲載)には、「今日の泊まりは、長門市郊外俵山の温泉宿。(略)この俵山を下りて北へ行くと、童謡詩人金子みすヾの故郷仙崎に着きます。みすヾが何度となく詩った仙崎の海と町を、明日見に行きます」とある。
 実は、先日、長門市出身の人から「船団」56号の注文があった。そして、長門がすべて長戸になっていると指摘を受けた。あわてて「船団」を開くとその通りだった。校正ミスである。作者に悪いことをした。それで、この句は秋の句だが(「俵編む」は秋の季語)、ここで話題にすることにした。ちなみに、作者は愛媛県明浜町俵津(たわらづ)に住んでおり、「船団」のホープの1人だ。(坪内稔典)


2004年1月8日

星凍てて明治の筋肉うつくしく  (季語/凍てる)

南村健治

 先日、この欄でこの作者に厳しい注文をつけた。実は、年末にこの作者と飲んだとき、「坪内さんは僕の句を褒めてくれませんね」と言われた。それで、何か褒めようと思って書き出したら、逆に厳しい注文になった。その注文、裏返せば褒めているということになるのだが、それでは一般的には分かりにくい。で、今日の句を褒めることにした。
 この句、船団56号の特集「地名への旅」から引いたが、作者は静岡県小田郡美星町明治(めいじ)へ旅し、そこでこの句を作ったことになっている。「なっている」というのは、この特集が地名への旅であり、実際に旅をしたというわけでは必ずしもないから。さて、健治の句は「明治の筋肉」がおもしろい。明治という土地の人の筋肉、そして明治時代の人の筋肉を想像する。その筋肉、凍て星の光のようにしまっているのだ。文字通りに「うつくしく」。(坪内稔典)


2004年1月7日

人日を勢ひづける葱の色  (季語/葱)

ふけとしこ

 「人日」は1月7日。この日、昔の中国では人形を作って呪いをしたという。「人日」は今では季語として残っているに過ぎない。一般に用いることはない。こういう言葉は滅びてもいいのではないか。ところが、今でもなぜか「人日」の句が多い。7日は「七草」が定着しているし、「七草」の日でいいのではないか。わざわざ「人日」という言葉を用いて句を作る意義があるのだろうか。もちろん、趣味として古語を用いる場合があってもいいのだが。
 さて、としこの句(句集『伝言』)だが、人日を勢いづけるかのように葱が青い、というのである。あるいは、人日の頃に勢いがついた葱だよ、ということか。ともあれ、7日の日に葱が青々としていると快い。ちなみに、この正月、わが家で活躍したのは群馬県の俳人からもらった下仁田葱であった。(坪内稔典)


2004年1月6日

冬の夜のちくわの穴はあざやか  (季語/冬の夜)

南村健治

 「船団」57号の「一日一句」から引いた。「お好み焼作る。熱心に」が前書き。まだ松の内の6日にお好み焼きを作るのは大阪らしい風景なのだろうか。ちなみに、鱧の皮にこだわるのは上司小剣の小説「鱧の皮」の大阪人たちだが、健治はちくわの穴にこだわる。彼は生粋の大阪育ちである。「一日一句」の健治の明日の句は「せりなずな父母のくぼみに日がさして」(七草)。
 以上の健治の句から、「春昼の紀文のちくわ穴ひとつ」「大阪に日がさしはしゃぐ正露丸」「せりなずなごぎょうはこべら母縮む」などという自作を私は思い出す。健治は私のもっとも身近な仲間だが、それだけに私とは違う言葉を用い、発想もまた私とは違って欲しい。少し先輩の私の俳句から離れることが健治の世界の確立になる。私のよく使う言葉などは決して使わない、というようであってほしい。(坪内稔典)


2004年1月5日

冬の旅赤き蝋燭海辺に購ひ  (季語/冬)

仁藤さくら

 小川未明の「赤い蝋燭と人魚」を連想する句だ。もっとも、私が真っ先に思ったのは、下関の赤間神宮であった。暮に行ったのだが、本殿のまわりが池のようになっていて、海中の神社のようだった。かつて海中に宮殿があると言い聞かせて幼い安徳天皇を入水させたというが、その海中の宮殿がこの神社なのだそうだ。赤間神宮を出たあと、春帆楼の日清講和記念館に寄った。そして、今はレトロで売る下関の街を歩いた。旧英国領事館がいかにも英国の建物という感じ(品よく重厚)で特によかった。
 今日の句は「船団」57号の「一日一句」から引いた。ちなみに、さくらのこの句には「酒田 日本海へ」と前書きがある。翌6日の句は「旅心やくまなく失くす蝶の空」、そして7日に「ヒヤシンス陽に透き水惑星病めり」(宿にて)。(坪内稔典)


2004年1月4日

鏡餅そのかさね餅いびつ餅  (季語/鏡餅)

河東碧梧桐

 「三十歳の馬齢を重ぬ」と前書きがあり、明治35年の作。自嘲的だが、「餅」の字を3度も用いたところに自嘲を吹き飛ばす笑いがある。
 年末から正月にかけて碧梧桐の句を読んだ。愛媛新聞社から出す郷土俳人シリーズ『河東碧梧桐』を編むためである。よく知られているように、子規死後の碧梧桐は新傾向、自由律へと進む。なぜそのような展開をしたかを私は考えたいと思っているが、こんど分かったことは、彼の定型句には見るべきものがないということ。例外的に「赤い椿白い椿と落ちにけり」がある。これは子規が褒めたので有名になったのだが、このようにすっきりと出来た句は実はほとんどない。たいていは材料が多すぎてごたごたしている。「雪解の焼跡寒し南禅寺」(明治28年)のように。この句など、「雪解」「焼跡」「南禅寺」と強いイメージの言葉が3つもあるので、1句の光景が散乱する。要するに、定型俳句作者としては碧梧桐に才能が感じられない。(坪内稔典)


2004年1月3日

紅させば生きる唇(くち)なり初鏡  (季語/初鏡)

金子せん女

 大正12年の作。この年、作者は44歳だったが、当時はまだ40になると初老だった。そのようなことを考え合わせると、「生きる唇」に説得力が生じる。
 今日の句は松岡ひでたか著『金子せん女 素描』から引いた。この本上下2冊からなり、上巻はせん女の生涯を紹介する。下巻は俳句集だ。せん女は近代女流俳人のはしりであり、神戸の鈴木商店の幹部、金子直吉の妻だった。そうしたことのいくらかを、私はかつてせん女に学んだ伊丹三樹彦から聞いていた。こんどのひでたかの本は、そのせん女について初めて網羅的に紹介するもの。労作である。
 『金子せん女 素描』は自家版。定価は上下揃いで7000円。問い合わせは著者へ(рO790−22−4410)。(坪内稔典)


2004年1月2日

若みどり神の浜松ひねたれど  (季語/若みどり)

小西来山

 「住吉」と前書きがある。大阪の住吉神社のめでたい光景だ。老いてひねた松に新しい芽が伸びて、ああ、めでたいなあという気分の句。そういえば、めでためでたの若松さまよ、という歌があったが、その歌通りの句である。
 今年の私の仕事の1つは、来山の世界を紹介する本を仲間と出すこと。小枝恵美子、水上博子、児玉硝子などと「来山を読む会」を続けてきたが、ほぼ全作品を読み終えた。そこで、来山百句、来山の主要な俳文などを1冊にしようというわけだ。昨秋、その企てをラジオで話したら、早速講読の申込みがあった。この本、初夏までには出るはず。
 ちなみに、田彰子を中心に「田捨女を読む会」も始まっている。自筆句集を読み解こうという会で、年に数回開かれている。ああでもない、こうでもない、と議論することは結構楽しい。(坪内稔典)


2004年1月1日

大旦蛇口ひねれば水溢れ  (季語/大旦)

中林明美

 大旦(おおあした)は元朝、つまり、1月1日の朝である。今年の大旦の挨拶は、この明美の句を借りて行なうことにしよう。蛇口をひねれば水が溢れることは、とりあえずはとても幸せなこと。この幸せを踏まえて、「皆さん、あけましておめでとうございます」。
 1年の計は元旦にあり、という。「船団の会」の会では、今年は恒例の「初夏の集い」を四国・松山で行なう(5月15、16日)。これが船団の会の最大の行事だが、近くは「春の句会ライブ」を3月14日(日)午後に計画している。これは園田学園女子大学819の会との共催の予定。団塊の世代を中心にした句会ライブに先立ち、池田澄子の講演がある。関西で澄子の講演を聞く機会は今までになかったので、これはちょっと楽しみだ。(坪内稔典)