
| 日刊:この一句 バックナンバー |
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2007年4月30日
三好達治 昨日、大輪靖宏の意見を紹介したが、彼は句集『夏の楽しみ』のあとがきで、「俳諧というものは、もともと和歌や連歌というようなまっとうなものではないというところから発達したものだから、何をどうやってもいいのだという意識が私にはある。」と書いている。そうなのである。俳諧は、そして俳諧に発した俳句は、元々「まっとうなものではない。」この観点がとても大事だ。ところが、人はとかくまっとうになりたがる。まっとうになれば、俳句的な力はおのずと弱くなる。(坪内稔典) 2007年4月29日
大輪靖宏 靖宏は句集と時期を同じくして『江戸文学の冒険』(翰林書房)を編んだ。靖宏はその本の巻頭に「江戸時代の文芸の新しさ」というエッセーを載せている。芭蕉の俳句が現代の人々に古いと見えるとしたら、それは芭蕉のしたことが広がって当たり前になったから、という趣旨を述べている。つまり、芭蕉はとても斬新なことをし、それが成功して広がったというわけである。これ、大事な見方だ。(坪内稔典) 2007年4月28日
西東三鬼 2007年4月27日
時実新子 新子が広く知られるのは、1987年に出た『有夫恋』によってだが、『新・川柳への招待』においてもっとも期待されている現代の川柳作家が新子であった。新子は本年3月10日、78歳で死去した。(坪内稔典) 2007年4月26日
山尾玉藻 「俳句朝日」は6月号で休刊になるが、俳壇では俳句人口の減少、高齢化などが話題になっている。特に高齢化が急速に進んでいる。元々、俳句には中高年の人が多かったが、今ではその中高年だけの集団という結社が多いのではないか。異なる世代が混交していないと集団は活力を失う。さまざまな機会に異世代の交流を意図的に仕掛けないと俳壇は魅力を失うだろう。(坪内稔典) 2007年4月25日
阪本四方太 さて、四方太の句だが、菜の花も季語だから、季語が2つある。明治のころ壬生寺の周辺には一面に菜の花が咲いていたのだろう。その菜の花の上に舞台が組んである。ずいぶんのどかな、いかにも春の風景である。(坪内稔典) 2007年4月24日
寺田良治 良治は1932年生まれ。ユーモアたっぷりの俳句を作る名手だ。「春の水プランクトンがごっつんこ」「恋ポッとほうれん草の根のところ」。これらが良治の代表作である。 俳句はできるだけ大胆に作りたい。あまりにユニーク過ぎると独善に陥るが、独善になるぎりぎりのところを目指したいものだ。古来の傑作はそのぎりぎりのところから生まれてきた。平凡なうまさが俳句の大敵だ。(坪内稔典) 2007年4月23日
仁藤さくら 「船団」72号には「仁藤さくらと飛び立つもの」という評論が出ている。筆者はこの春に大学を卒業した倉橋愛。「森が空気や水を浄化して世俗に還すように、彼女は自分の感じたものを身の内に受け入れ、俳句という形に浄化して生み出している。それは俳句を詠む上で最も基本的な形なのだが、彼女の森を通って生まれる言葉は飛び立っていくのだ。」愛のさくらへのオマージュである。(坪内稔典) 2007年4月22日
尾崎淳子 最新の「船団」72号は「ザ・団塊」という特集である。船団会員の団塊世代の座談会が目玉だが、木村和也の「定型を壊しつつ、定型を有する。そのバランスで俳句を作りたいなあと、そういう風な思い」という発言、また、南村健治の、団塊をひとくくりにして見る見方は「もういいやんかと思う」という発言などに読者の共感が寄せられている。 ちなみに、今日は私の誕生日。63歳になった。すごい年齢だ。ついこの前まで、この年齢になる自分を考えたことがなかった。多分これからも年齢のことはあまり考えないだろう。なるようになればいい。(坪内稔典) 2007年4月21日
江渡華子 昨日、杉山平一のエッセー集『詩と生きるかたち』(編集工房ノア)を紹介したが、杉山は1914年生まれの詩人。私は小学生時代、この人が選者の新聞に詩を投高した。つまり、私の詩の先生なのである。それはともかく、この本は面白い。刺激的で示唆的だ。たとえば、三好達治などが戦争詩を書いたことにふれ、誌が上手だったから注文が来た、下手な詩人には注文がなかったというだけ、と論じる。「戦争詩はCMだった。つまりお世辞だった。」こうしたハッとする見方がこの本のあちこちにある。江渡華子をはじめ、若い人に勧めたい。もちろん、中年や高年の方々にも。(坪内稔典) |