
| 日刊:この一句 最近のバックナンバー |
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2001年12月31日
二村典子 12月、たとえば市場に買い物に行くと、「ご主人、これはどう?」と何かをすすめてくっついて来るおばさんが必ずいる。本当のおばさんに出会ったりすると、どこまでもついてきて、「この忙しいのに!」と腹を立てたりする。ともあれ、おばさんに限らず、いろんなものがくっついて来るのが12月。金魚の糞のように、あれこれを長く引きずって私たちは生きている。そのひとつに「おばさん」もあるのだ。 今日の句の作者は、詩人が漂泊することが長く疑問だという。おそらく、ひきずっているもろもろを断つために詩人たちは漂泊してきた。あるいは、この世を抜け出すことで、逆にこの世を見つめなおした。一句を作ることも常にちょっとした漂泊である。(坪内稔典) 2001年12月30日
廣瀬直人 「白露」は飯田龍太の「雲母」廃刊後に出されている「雲母」系の雑誌。主宰の直人は、「視野点描」というエッセーで、「雲母」初代主宰の蛇笏の句「山風にながれて遠き雲雀かな」を鑑賞している。「眼前の景の瞬時の変化をこうしておおらかにゆったりとしたリズムに乗せるのは蛇笏俳句の見逃せない世界の一つ」だ、と。(坪内稔典) 2001年12月29日
藤田湘子 昨日は水上博子の「鷹に聞く空の最も高い場所」という気の晴ればれする句を引いた。寺山修司にも「目つむりいても吾を統(す)ぶ五月の鷹」がある。ところが、私はその鷹をはっきりと見たことがない。鷹狩の隼を、たとえば同類の鳶などから類推してはいるのだが。飛翔する鷹を見たい。 さて、湘子だが、先の雑誌に以下のようなことを書いている。正月以降は、カルチャーなどの講師をやめ、「それで生み出した時間を昭和の名句礼賛に当てようと思っている。私が育つとき大いに勇気を与えてくれた作品の数々を、しっかり書きのこしておきたいのである」。2002年に76歳になる人の決意だ。(坪内稔典) 2001年12月28日
児玉硝子 ところで、今日の句は今年最後の句会で出会った作。その句会は25日にあったNHK文化センターの句会。「水仙抱く人を助けているような」(寺田良治)、「行き先をくるりと変える白い息」「だぶだぶの一日だったほうれん草」(小枝恵美子)、「鷹に聞く空の最も高い場所」「スーツ着て星ともなれずクリスマス」(水上博子)、「マネキンの首のぐらつくクリスマス」(鶴浜節子)などが当日の話題作。私も投句したが、元旦の新聞用の作品だったので今は伏せておく。私にとって仲間との句会は、まず第一に試作品の出来栄えを試す場所である。(坪内稔典) 2001年12月27日
寺田寅彦 「しばし待て僕焼芋を買はんとす」「十字架や暖炉の上の水仙花」「哲学も科学も寒き嚏(くさめ)哉」「地蔵堂に子守来る日の落葉哉」「先生の銭かぞへゐる霜夜かな」「灯のうつる水車の軒の氷柱哉」。これらが寅彦の冬の句だが、発想が自在、そして、なんだかおかしい。焼き芋や銭の句が示しているように、自己の客観化にユーモラスなまなざしが伴っている。つまり、自己を飾ることなく、徹底して客観化している。ここが寅彦のとても素敵なところ。寅彦は1935年12月31日、57歳で死去した。(坪内稔典) 2001年12月26日
寺田寅彦 2001年12月25日
正岡子規 子規にはクリスマスの句が5句ある。「会堂に国旗たてたりクリスマス」「贈り物の数を尽してクリスマス」など。正岡家で実際にクリスマスを祝った記録はないようだが、西洋好きの子規はクリスマスに一家団欒の楽しさを感知したのだろう。子規は、随筆「病牀六尺」で一家団欒は平和の基だと述べている。 さて、その「病牀六尺」などを集めた『子規随筆』が沖積舎から復刻された。大正初めに出た『子規随筆』『続子規随筆』の2冊を一冊にまとめたもの。私が簡単な解説を添えたが、贅沢気分で読書が楽しめるに違いない。本はやや高く6800円+税。文字が大きく、中村不折の挿絵(漫画)が入っている。(坪内稔典) 2001年12月24日
尾崎放哉 1926年(大正15)のこの句は放哉の代表作。吉村昭の放哉を描いた小説は、たしかこの句にちなむ「海も暮れ切る」という題名だった。 ところが、今度の全集が明らかにしたことは、この句が荻原井泉水の直した句であるということ。こんどの全集には井泉水の元にあった句稿から2700句余りが収載されたが、その句稿では、「すつかり暮れ切るまで庵の障子あけて置く」となっている。 昨日、雑誌「ちくま」12月号の村上護との対談が弾んだ、と書いたが、井泉水のこのような添削などをめぐって話が盛り上がったのである。放哉というと、孤絶の人というイメージがあるが、実際は井泉水との共同を楽しんでいたらしい。(坪内稔典) 2001年12月23日
尾崎放哉 放哉というと自由律俳句の代表者だが、今度の全集には定型句もたくさん集められている。「欄干に若葉のせまる2階かな」「飯蛸や1銭に3つちぢかまる」「象に乗て小さき月に歩りきけり」「何処からも見ゆる東寺や草を摘む」など、とても光景が鮮明だ。この放哉が自由律になるのは大正時代、30代になってから。 今回の『放哉全集』の意義などについて、雑誌「ちくま」12月号で編集委員の村上護と対談をした。話が弾んだ。(坪内稔典) 2001年12月22日
三橋敏雄 天金とは本の小口(こぐち)、つまり洋装本の上端に卵白などを用いて金箔をはりつけたもの。私の手元にある本では、山口誓子の句集『凍港』の特製本が天金だ。かつては詩集や句集にこの天金が多かったが、最近はかなり減った気がする。少部数の詩集や句集は、美術品あるいは工芸品として、贅を尽くした作り方があってもいいのではないか。丁寧に作られた天金や革装の本は、手にするだけで豊かな気分になる。 ところで、今日の句は句集『まぼろしの鱶』(1966年)にある。敏雄を追悼した池田澄子のエッセー(「毎日新聞」12月9日)に、「氏は器用で丁寧で何事にも完璧を期し、原稿は見事に美しかった」とある。天金の本の似合う俳人だった、敏雄は。(坪内稔典) 2001年12月21日
大野林火 人文書や専門書、つまり堅い本の取り次ぎとして知られた鈴木書店の倒産が話題になっている。堅い本がますます売れなくなるのではないか、と危惧されているのだが、俳句の本などはそもそも流通に乗らないできた。あまり売れないので取次ぎや書店に相手にされなかったのだ。その傾向は今後も続くだろう。ことに、句集の場合は少部数で足りるのが宿命というか伝統である。 というわけで、私の新句集『月光の音』(毎日新聞)はこの欄を介して直接販売を試みる。詳しくは昨日の本欄を見て欲しい。(坪内稔典) 「日刊:この一句」バックナンバーへ戻る |