この一句・2006
2006年3月18日

鶏のどこかへ行きて日の永き    (季語/日永)

下村槐太

 1926年、槐太16歳の作である。芝不器男の「永き日のにはとり柵を越えにけり」を連想するが、不器男の句も同年の作。槐太の句は『下村槐太全句集』(1977年)から引いた。
 「小鳥屋を買はずに出たり春の風」「晴れし日の荷馬続くや揚雲雀」「合歓散るや遊船湖へ漕ぎ出づる」なども同年の作だが、16歳の少年のこの老成ぶりはどうだろう。不器男の句の情感ととても似ているが、それはきっと老成ぶりが似ているのだ。もっとも、鶏の句はやはり不器男に軍配があがる。槐太の「どこかへ」がやや言い過ぎ。つまり、そこには若さが出ていて、自己を直接は出していない不器男の句の方が老成度が高いのである。


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