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言葉を探る−バックナンバー
月刊「e船団」 「香りと言葉」2012年2月号

醍醐(だいご)

 だいご、ダイゴ、とつぶやいてみて浮かんでくる言葉は、醍醐天皇、ゴダイゴ天皇、あれ?後だったかな、御だったかな、醍醐寺、醍醐味、京都の地下鉄に醍醐駅ができたし・・・、というようなところ。
 醍醐味という言葉が、大昔の乳製品からきている、とは聞いていました。が、実は先月号の「蘇」の味が醍醐味、みたいな、不十分な、ハッキリ言えば、間違った知識でした。  それにしても、いま、この、世界中のおいしいモノが氾濫する中で食べても「おいしい!」と思ったのですから、大したものです。

   こんな美味なるものをどうやって作っていたのか、の、もうひとつの方法が、先月おしまいにちょっとご紹介した、有賀秀子・帯広畜産大学教授(論文発表当時)の「酥・醍醐の再現と古代の乳利用に関する研究」(1)に出ています。
 この論文では牛乳の五味といわれる「乳・酪・生酥・熟酥・醍醐」が実に綿密に調べられているのですが、ありがたいのは、文献調査にとどまらず、実際に作って、4200人もの人に食べて貰った結果まで報告されていることです。

 この論文によりますと、日本人は薬として、また食品としての牛乳の利用を、まずその搾り方からして、中国から、朝鮮経由で、教わった、といいます。そして、「牛乳の飲用や効能をわが国に伝える力になったのは、仏教であるという判断がある。仏教では肉食を禁じているが、牛乳についてはその飲用を認めているのみならず、牛乳・酸乳・バターなどは供物として神聖視されていた。」とも述べています。
 これが6世紀ごろのこと。

 ところで、週刊朝日百科「世界の食べもの」125号(「乳と乳製品の文化」)(2)はこんな風に始まります。

乳利用の歴史

 狩猟採集や農耕がもたらす肉食も果食も、要は雑食性動物である人間のカーニボラス(肉食的)かつハービボラス(草食的)な特徴の反映であり、雑食的傾向をもちはじめた高等猿類の食性の延長としてみることも、不可能ではない。ただし猿が他の哺乳(ほにゅう)類の乳を飲むという話は聞いたことがない。人間は哺乳類に属する。哺乳動物はすべて、幼児期に母乳を飲んで過ごす。そしてやがて、それぞれに肉食なり草食なり固有の食性を獲得して離乳し、けっして他の哺乳類の乳を飲まないのが原則だ。爬虫類のなかには、羊の乳を吸うものがいるが、哺乳類のなかでは、人間のみが他の哺乳類の乳を食用とするようになった。  いったいだれがこんなことを思いついたのだろうか。ローマの創立者であるロムルスは、狼の乳を吸って育ったという。しかし、それは神話である。民族誌的記述で、じかに動物の乳を吸う話は聞いたことがない。家畜化のある段階で、母を失った子のために、他の動物の乳をとるということが考え出されたのであろうか。
牧畜、それは動物を肉として殺すのではなく、飼って増殖して、部分的果実としての乳や肉を得る生活である。それは巧妙な食物獲得の戦略であり、人と動物の共生の姿である。人類は家畜化を通じて、水の得られぬ砂漠でも、自らついてきて水分とたんぱくを供給してくれる生きたドリンクス・マシンをえ、乳利用でその生活域を大いに広げえた。しかし、同時に、乳用家畜飼養という生活は、動物にも人間にも、種々の強制を課したことも事実である。
(後略)

 長い引用になってしまいましたが、それにしても、この短い文章にこの内容。なんという名文!
 いえ、名文というだけでは足りないですね。あまりにも奥深い、というか、ゆたかな、というか、そういう世界が展開されていて、こう簡単に引用していいのだろうか、と思ってしまいます。筆者は谷泰(ゆたか)京大教授(執筆当時。現・名誉教授)です。

 このすぐ後に、紀元前3000年紀、メソポタミア初期第3王朝期のテル・アル・ウバイド宮殿のレリーフに見られる乳利用の図、というのが掲げられていて、
乳利用の図

右から左に、子牛を使った催乳による搾乳、乳を容器に入れて分離しているところなどが描かれ、乳利用文化の存在を明らかに示している、と解説されている。

このころから3000年以上もたって、日本でも乳が利用されはじめるのですね。 日本では、他の哺乳類の乳を飲む、ということがこんなにも遅く、他国の人に教わって初めてスタートした、ということには、何か深い訳がありそうに思えます、よね?まさか、誰も思いつかなかった、とは思えませんもの。誰か研究しておられるかしら。

   さて、しかし、スタートしてみれば、おいしい蘇が作られたのは、先月ご紹介した通りです。あれは延喜式に出ている方法でしたが、有賀氏らはあえて中国の本草書、『本草綱目』に基づいて作った、といいます。氏の論文の最後に書かれているのですが、延喜式の方法では、出来た「蘇」を食べるのが目的であり、一方『本草綱目』では「酥」は「醍醐」に至る通過点であることを考えれば、当然でしょうね。その実験の流れがこの図です。

醍醐作りの流れ図

 牛乳を原料の3割程度になるまで加熱し、静置して上澄みを除き、凝固した部分を更に加熱すると熟酥と呼ばれるものになる。ここが延喜式の蘇とちがうところで、延喜式ではこの工程を経ず、乳全体が濃縮されている。この熟酥を一旦冷やして凝固させ、溝をつけて(又は穴をあけて)、38度〜43℃に保つと、オイル状のものがにじみ出る、それが醍醐、そしてそのえもいわれぬ味が醍醐味というわけ。
 有賀氏らはこうして得られた熟酥や醍醐を科学的に綿密に分析し、熟酥が加熱濃縮系食品であり、醍醐はバターオイルである、との結論を得たのです。

   まあ、要するに、蘇も酥も醍醐も、どれもチーズではないわけで、私はいったいどこから蘇は昔のチーズだという知識を仕入れたものやら。
 でも、やっと正しい知識にたどり着いたのだから、それはいいとして、前述のように有賀氏らは出来た酥の味をちゃんと報告してくれている。
 室温だと口中で滑らかに融ける感じを与え、スティック状で凍結して食べると適度な歯ごたえと口当たりが感じられて、ホワイトチョコレートを少し淡泊にしたような風味だそう。  帯広市、旭川市、札幌市で行われた男性1200名、女性3000名に及ぶ嗜好調査では80〜85%が好むと答えた!
 もちろん、昔の人がお八つに、「おいしいね!」と食べていた訳はなく、貴重な貴重なお薬だったわけですが、でも、ホワイトチョコだと思って、今年のバレンタインデーは、蘇でいく、というのもいいかも知れませんね。ではまた来月。  
中原幸子
【参考文献】
(1)有賀秀子著「酥・醍醐の再現と古代の乳利用に関する研究」(「酪農科学・食品の研究」、1994年4月号)
(2)「週刊 朝日百科」No.125(朝日新聞社、1983年)