| 言葉を探る−バックナンバー |
月刊「e船団」 「香りと言葉」2010年9月号取り合わせ―深い共通点もう、永久に夏なのか、と怯えるほどの残暑も、やや勢いを弱めてきた感じ、皆さまいかがお過ごしですか。今月は「JDreamU」(1)で見つかった「情緒デザインの役割と組織」(2)をご紹介します、とお約束していました。が、これがA4に4枚もある英語の論文だったのです、取り寄せてみると。この猛残暑に、これはキツイ、と思って、取りあえず俳句にかかわるところだけ見てみました。すると、ここでは、 菜の花や月は東に日は西に 蕪村 荒海や佐渡に横たふ天の河 芭蕉 閑かさや岩にしみ入る蝉の声 芭蕉 などの俳句において、 「菜の花」と「月と日」 「荒海」と「天の河」 「閑かさ」と「蝉の声」と「岩」 というような、互いに縁のない言葉が衝突する(collide)ことで、予期しない印象的な光景(impressive sight)または像(image)が発生する、これが俳句の「取り合わせ」(combination)の効果だとした上で、これを商品デザイン(ここではネクタイなど)に応用することが試みられていました。 つまり、俳諧の時代からずーっと俳句がやってきたことを、デザインに応用した、ということだったのです。私にデザインの知識があれば、もっと深く読めるかも知れませんが。 そうこうしているときに、本屋で小西甚一著『古文の読解』(3)に出会いました。これは、初版が1962年に旺文社から出た、という学習参考書で、帯に「今、蘇る伝説の参考書―この一冊で古典がわかる」とあります。 この本の解説(武藤康史)によれば、小西甚一は私が大学受験の頃「大学受験ラジオ講座」で古文の先生をなさっていたとのこと。返す返すも惜しいことをしてしまった。国語のいらない大学を目指していた私は、それを聞かなかったのだ。小西甚一の声、聞いてみたかったなあ。 それはともかく、『古文の読解』は、第五章が「解釈のテクニック」で「その3 解釈から鑑賞へ」の中に「俳句もハイOK!」という項がある。そこで、配合、つまり取り合わせが説明されている。まず俳句の「解釈」とは?、から始まるのですが、例えば、 菊の香や奈良には古き仏たち 芭蕉 は、以下のように「解釈」される。 奈良には、古代からの仏像が多い。どれも、みごとな尊い仏さまばかりである。作者はそれを拝んでまわった。作者の心には、においやかな天平のおもかげと、頭をふかく下げずにはいられない高貴さと、世にも美しい彫刻の美とが、いっぱい立ちこめる。ちょうど菊のさかりである。その菊の美しさは、なまなましい視覚としてよりも、かすかな香として、話主にほのぼのと迫ってくるのだが、そうした優美な美しさが、仏像の高貴な美しさと溶けあって、見事な象徴をなしている。 そして、これだけの解釈がすらすら書けたら、いつでも大学の教師が勤まる、と。 で、この象徴が大事なことばで、俳句の表現は、象徴ということが中心であって、もし象徴ということがわからなければ、俳句がわからないのと大差ない、とし、「象徴とは何ぞや」ということをこんなふうに述べる。 たがいに異なりながら、しかもどこか深い共通点があって、両者を対照することにより、それぞれのいちばん本質的な性格が同時にとらえられるような表現である。 (略) この「深い共通点」をとらえることが、俳句解釈の焦点である。 いい取り合わせの句を読む醍醐味って、まさにこれですよね。何となくいいなあ、という取り合わせに出会って、その「何となく」のモト、つまり「深い共通点」に気付いたときのあのうれしさ。 ただ、ね、「◇俳句もハイOK!◇」にはこんな風に書かれているのです。 和歌とならんで高校生諸君をこまらせるもうひとつの難物が、俳句ということになっているらしい。そんなに手も足も出ないほどの難物ではないと思うのだけれど、何しろ極端に短いから、つかみどころが少ない。わずか十七シラブルで完結する詩は、世界でも例がない。西洋人に言わせると、「ハイカイはそれ自身が題であるかのように見える」よし。つまり、俳句は、西洋の詩の題にあたるぐらいの分量しかないというのである。しかも、そういった短詩型のなかに、ゆたかな思想や感情をうたいこもうというわけだから、つかみどころをよほどよく知っていないと、謎みたいなものになる。「単語はちゃんとわかる。文法的にも疑問はない。通釈は、すらすらできる。それでいて、さっぱり意味のわからないのが俳句だ。」と言えば、そんなベラボーな話があるものかと思う人も無いではなかろう。が、その人は、ためしに、 次の句を解釈せよ。 何の木の花とは知らず匂ひかな という問題を解いてごらんなさい。もし、これを [答案]どういう木の花だかよくわからないけれど、良い匂いがすることだなあ。 と訳したとすると、単語のほうからいっても、文法のほうからいっても、ぜったい減点の余地はない。しかし問題に対する答えとしては1点もやれないのである。なぜなら、それだけでは、俳句の解釈として何事も答えていないからだが、それならどう答えたらよいのか。 と述べた後、先にご紹介した象徴の説明などがあって、その後に示されるのが次の回答です。 《解釈》どこからともなく、何の木の花とも知れない香がほのかに流れてくる。「花」といい、「匂ひ」といい、いずれも気品の高い語であり、そこから感じとられるのは、ふかくその尊さにうたれた感動である。しかも、どこがどう尊いのだと説明できない尊さであり、それは至極無上の尊さなのである。 とでも答えればよい。もし知っているなら、「これは芭蕉が伊勢神宮に参詣した時の作で、西行の『何ごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさの涙こぼるる』を頭において詠んだもの」とつけ加えれば、満点。 今でも、試験にはこう書かないと合格点をもらえないのかしら。 私は、作句の背景を引きずらず、そこに書かれている言葉で読もう、という考え方に賛成なのですが、それでは落第なのでしょうか? 後の方で、「鑑賞」は自由に美しい想像の世界を描いていいのだ、と述べられていますが、でも、正しい解釈はこうですよ、と言われると、鑑賞も引っ張られそうな気が・・・。 そう言えば、「小西甚一は古いでしょ?」と、注意されたことがあったけど、あれにはこういうことも含まれていたのかも。感謝。 脱線しましたが、「深い共通点」をキーワードにすると、冒頭の、商品開発に取り合わせの手法を応用する、ということが見えてくる気がしますね。 つまり、商品開発の場合は、先に「深い共通点」がコンセプトとして示されて、それは何と何を衝突させれば実現できるか、と考える訳でしょう?あ、お茶席や、お香の席の取り合わせも、これに似ていますね。 なんだかこんがらがったままですが、ではまた来月。 中原幸子
【参考文献】(1)JDreamU(http://pr.jst.go.jp/jdream2/)(科学技術振興機構・有料) (2)日原広一著「情緒デザインの役割と組織」(英文標題「THE ROLE AND ORGANIZATION OF AN EMOTIONAL DESIGN」(KANSEI Eng Int Vol.8, No.2、2009年3月) (3)小西甚一著『古文の解読』(ちくま学芸文庫、2010年) |
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