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言葉を探る−バックナンバー
月刊「e船団」 「香りと言葉」2008年9月号

【付録】 『うつほ物語』と『源氏物語』の薫物
文中、黒字は原文、茶色文字は現代語訳です)



『うつほ物語』のたきもの


吹上・上
【原文】かくて、種松調ぜさするほど、贈り物に、一ところに、白銀の旅籠一掛、山の心ばへ組み据ゑて、それに唐綾、薄物など入れて、白銀の馬に沈の結鞍置きて、白銀の男に引かせたり。沈の檜破子一掛、合はせ薫物、沈を、同じやうに沈の男に引かせ、丁子の薫衣香、麝香などを、破子の籠ごとには入れ、薬、香などを飯などのさまにて入れて、沈の男に担はせたり。蘇枋朸簏一掛、色々の唐の組を籠目にしたり。よき絹どもを三十疋づつ入れてより、蘇枋の馬に負ほせて、同じ男に引かせたり。海の形を、白う白銀散らして鋳て、合はせ薫物を島の形にし、沈の枝に作り花をつけて、島に植ゑ集めて、さやうのものを、鹿、鳥に作り据ゑ、いとをかしげに大きやかなる黄金の舟据ゑ、それに色々の糸を結び、袋におもしろきものを結び据ゑて、薬、香を包みて、組して上を包みて舟になし、沈の折櫃に白銀の鯉、鮒を作りいれ、白銀、黄金、瑠璃などの壺どもに、さやうのものを入れて、麻結などして担ひ持たるにて、舟子、楫取立てて、三ところに同じごとしたり。
御衣櫃一掛、清らなる旅の御装束ども、三日に上りたまふべし、一日に一装着たまへとて、三装色々にしたり。

【現代語訳】こうして、種松が調えさせた品々は、贈物として、客人一人に、銀製の旅籠を一荷、これは全体を山の趣向に細工をして、それに唐綾や薄物などを入れて、銀の馬に沈木の結鞍を置いて、銀で作った男に引かせている。沈木製の檜破子を一荷、これは合せ薫物。沈木を同じやうに沈木製の男に引かせ、丁子の薫衣香、麝香などを破子の籠ごとに入れ、薬や香などを飯のように入れて沈木製のの男に背負わせている。蘇枋の木で作った簏一荷、これは色とりどりの唐の組紐でを籠の目のように編んである。それに上質の絹などを三十疋ずつ入れて括り、蘇枋製の馬に背負わせて、同じ蘇枋製の男に引かせている。州浜の台は、海の様子を白く白銀を散らして鋳て作り、その海中に合せ薫物を島の形にして浮べ、沈木の枝に造花をつけてその島に植え集め、合せ薫物で鹿や鳥を作って島に置き、非常に風流で大きな黄金の舟を海に据えて、その舟には色とりどりの糸を美しく結んだり、風情のある袋の口元を結んで乗せてある。また別に薬や香を包んで組紐で上を括って舟に見立て、沈木製の折櫃に白銀の鯉や鮒を作り入れ、白銀、黄金、瑠璃などの壺にも同じように立派なものを入れて、麻紐などでそれを担い持っている様子で、船頭や楫取を作り立たせた。ほかの三人の方にも同じようにした。御衣櫃一荷には、美しい旅の御装束どもを、三日かかって上京されるであろうから、一日に一着ずつお召しになるようにと三装束を色とりどりに用意なさった。

菊の宴
【原文】かくて后の宮の御賀、正月二十七日に出来る乙子になむ仕りたまひける。設けられたる物、御厨子六具、沈、麝香、白檀、蘇枋。香の唐櫃など、覆ひ、織物、錦、御箱、薫物、薬、硯の具よりはじめて、御衣は女、御衾、御装ひ、夏、冬、春、秋、夜の御衣、唐の御衣、・御裳。御箱の折立、ちらしろかね置きて、千鳥の蒔絵して、内の物、色に従へてありがたく清らにて、なずらへ据ゑたり。御手水の調度、白銀の手つきの御盥、沈を丸に削りたる貫簀、白銀の半挿、沈の脇息、白銀の透箱、唐綾の御屏風、御几帳の骨、蘇枋、紫檀、夏、冬、ありがたし。御几帳の帷子、冬、香ぐはしき御褥、御座、いふばかりなし。御台六具、金の御器に黄金の毛打てり。これらよりはじめてせぬことなし。
【現代語訳】さて、大后の宮の六十の賀のお祝いは、正月二十七日に出てくる下旬の子(ね)の日に催された。この日のために用意されたものは、御厨子六具、これらは沈木や麝香や白檀や蘇枋で造ってある。香木の唐櫃の覆いは織物や錦、御箱には薫物や薬を入れ、硯箱の道具をはじめとして、御衣裳は女の装束、御衾、装束は夏冬春秋用のもの、夜の御衣、唐の御衣、御裳。御箱の折立はちら白銀を置いて千鳥の蒔絵を施して、中に入れる物も種々の品々を珍しく立派にして並べ据えた。御手水のお道具類は銀製の手のついた御盥、沈木を丸く削って編んだ貫簀(ぬきす)、銀製の半挿などで、沈木製の脇息、銀製のの透箱(すきばこ)、唐綾の御屏風、御几帳の骨は蘇枋、紫檀で、夏物、冬物など珍しく立派なものである。御几帳の帷子は冬用のもの。御褥や御座所などの立派なさまはいうまでもない。食膳の台が六具、黄金の食器には黄金で細い象嵌が施されている。これらをはじめとしてあらゆるものを整えた。

あて宮
【原文】かくて、その時になりて、御車数のごとし。御供の人、品々装束きて、日の暮るるを待ちたまふほどに、仲忠の中将の御もとより、蒔絵の置口の箱四つに、沈の挿櫛よりはじめて、よろづに、梳櫛の具、御髪上げの御調度、よき御仮髻、蔽髪、釵子、元結、衿櫛よりはじめて、ありがたくて、御鏡、畳紙、歯黒めよりはじめて一具、薫物の箱、白銀の御箱に、唐の合はせ薫物入れて、沈の御膳に白銀の箸、火取、匙、沈の灰入れて、黒方を薫物の炭のやうにして、白銀の炭取りの小さきに入れなどして、細やかにうつくしげに入れて奉るとて、御櫛の箱にかく書きて奉れたり。
  唐櫛笥あけ暮れものを思もひつつみなむなしくもなりにけるかな
とて、孫王の君に、夏冬の装束して心ざす。御使、さし置きて帰りぬ。

かくて源中将、夏冬の御装束ども、装ひなどうるはしうして、沈の置口の箱四つに畳み入れて、包みなど清らにて、かく聞こへたまへり。

【現代語訳】こうして、お出かけの時刻になって、お車は定まった数に整えられる。御供の人は身分に応じた装束を着て、日の暮れるのをお待ちになっている間に、仲忠の中将のところから、蒔絵の縁飾りをした箱を四つ、その一つには沈木製の挿櫛をはじめとして、各種の梳櫛の調度、二つ目の箱には御髪上げの道具、上等の御仮髻、蔽髪、釵子、元結、衿櫛をはじめとして、珍しい品々、三つ目の箱には御鏡や畳紙、歯黒めの料をはじめとして一揃い、四つ目は薫物の箱で、銀製の箱に舶来の合せ薫物を入れて、沈木製のお膳に銀製の箸を添え、火取には調合用の匙をつけ、沈木の灰を入れて、黒方を薫物に用いる炭のような形にして銀製の小さな炭取りに入れたりして、こまやかに美しく整えてあて宮に献上しようとして、御櫛の箱にこのような歌を書いてさしあげる。
  唐櫛笥あけ暮れものを思もひつつみなむなしくもなりにけるかな
  (今まで明けても暮れても、ずっとあなたのことを思い悩んできましたが、それもみな無駄になってしまいましたよ)
と書いて、孫王の君に夏冬用の装束を心ずけとして贈る。お使いはこの歌を置いてそのまま帰参した。

さて、源中将は、夏冬用の御装束などを立派に調製して、沈木の置口のある箱四つに畳み入れて、包みの布なども美しくして、このように歌をお詠みになる。


あて宮
【原文】源中将のもとより、沈の破子十荷、入れたる物、飯には白粉振るひ入れ、敷物、袋など、めでたうして奉れたまへり。藤中将。白銀の透箱十、合はせ薫物、沈の鶴したる透箱、筆、黄金の硯瓶など据ゑ、唐の錦のいと清らなる沈の箱に、白銀、黄金の筋遣りて、白銀の碁石笥に、白き瑠璃、紺瑠璃の石作り盛りて、双六の盤、調度、かくのごとくにて、さま変へて、碁手の銭、白銀にて、同じ箱にて奉れたり。おとど見たまひて、正頼「あやしく、わづらはしきわざせらるる中将たちかな」とのたまふ。
【現代語訳】源中将のもとより、沈の破子十荷、入れたる物、飯には白粉振るひ入れ、敷物、袋など、めでたうして奉れたまへり。藤中将。白銀の透箱十、合はせ薫物、沈の鶴したる透箱、筆、黄金の硯瓶など据ゑ、唐の錦のいと清らなる沈の箱に、白銀、黄金の筋遣りて、白銀の碁石笥に、白き瑠璃、紺瑠璃の石作り盛りて、双六の盤、調度、かくのごとくにて、さま変へて、碁手の銭、白銀にて、同じ箱にて奉れたり。おとど見たまひて、正頼「あやしく、わづらはしきわざせらるる中将たちかな」とのたまふ。

蔵開・上
【原文】五日の夜、あるじのおとど、同じくいかめしうしたまへり。男皇子たちも、さまざまにいかめしうしたまへり。攤打ち、物かづきなどしたまふ。
かくて六日になりぬ。女御、麝香ども多くくじり集めさせたまひて、裛衣・丁子・鉄臼に入れて搗かせたまふ。練絹を綿入れて、袋に縫はせたまひつつ、一袋づつ入れて、間ごとに、御簾に添へて懸けさせたまひて、大いなる白銀の狛犬四つに、腹に同じ火取据ゑて、香の
合はせの薫物絶えず焚きて、御帳の隅々に据ゑたり。庇のわたりには、大いなる火取によきほどに埋みて、よき沈、合はせ薫物、多くくべて、籠覆ひつつ、あまた据ゑわたしたり。御帳の帷子、・壁代などは、よき移しどもに入れ染めれば、そのおとどのあたりは、よそにてもいと香ばし。まして、うちにはさらにもいはず。しるしばかりうちほのめく蒜の香などは、ことにもあらず。
【現代語訳】五日目の夜の産養は、主の右大臣殿が三日目の夜と同じく盛大になさった。男宮たちもさまざまに立派な贈物をなさった。攤(だ)を打ったり、参列者に禄を与えたりなどなさる。  こうして六日目になった。女御は麝香を多くえぐり取り集めなさって、裛衣香(えいこう)、丁子を鉄臼に入れてお搗かせになる。練絹に綿を入れて、袋の形にお縫わせになって、一袋ずつにその調合した香を入れて、一間ごとに御簾に添えて懸けさせなさった。また大きな銀製の狛犬四つに、腹のところに同じく銀の香炉を取り付けて、そこで合せ薫物を絶えず焚いて、御帳台の四隅に置いた。庇の間では、大きな香炉に火を入れて良質の沈や合せ薫物を多くくべて、籠で覆ったものを一面に置いた。御帳台の帷子や壁代などは、香炉ですばらしい香りを染め移したので、その寝殿のあたりは、外からでもとても香ばしい。まして寝殿の内ではえもいわれぬ香りである。ちょっとばかり臭い蒜(ひる)のにおいなどは、まったく問題にならない。

蔵開・中
【原文】かくて巳の時、うち下りてのほどに、青鈍の綾の袴、柳襲などいと清らにて、今日の移しは、麝香、薫物、薫衣香、ものごとにし変へたり。さて参上りたまへば、昨夜の俊蔭のぬしの集を読よませたまふ。読み暮らして暗うなりぬ。
【現代語訳】こうして巳の刻の下刻の程に、青鈍の綾の袴、柳襲の下襲などをたいそう美々しくお着けになって、今日の移しの香は、麝香、練香、薫衣香などを、衣一枚ずつに薫き染めてある。さて、帝の御前に参上なさったところ、帝は昨夜からの俊蔭の殿の詩集をお読ませになる。一日じゅうお読ませになって、日も暮れた。

蔵開・中
【原文】女御の君の御前にあたりて、庇に横ざまに立てたる御厨子なり。母屋の御簾を上げて、御帳立てたり。宮の御前には、御火桶据ゑて、火起こして、薫物どもくべて薫き匂はし、御髪あぶり、拭ひ、集まりて仕うまつる。
【現代語訳】御厨子は女御の君の御前にあたるので、庇に横向きの角度で立てられている。母屋の御簾を巻き上げて、几帳を立ててある。宮の御前では火桶を置いて、火を起こして、薫物などをくべて香りをにおわせ、それで髪の毛をあぶって乾かし、湿り気を拭きとるなどの役を女房たちが集まって奉仕している。

蔵開・中
【原文】その夜は、梳髪せさせ、湯殿などせさせたまふほどに、中納言殿の御消息きこゆ。  涼悔いこそ設くといふなれ、かねてこそはとなむ。名取川とも聞こえさすめり。 とあり。御使どもには、さまざまの禄あり。
かくて、大殿籠りて、仲忠「今日、恥づかしきところにまからむずる」とて、よき直衣装束取り出でて、
御薫物どもせさせ、宮の立ち走りたまへるを見て、仲忠「右近の乳母のむつかるなりし御髪は、損はれざめるは。あやしくもかこちしかな」とて。
【現代語訳】その夜は髪を梳らせ、御湯浴みなどをなさっていると、涼の中納言殿よりお便りがあった。
 悔いを設けるといいますが、「名取川」とでも申し上げましょう。
とあった。お使いたちにはさまざまな禄が被けられていた。
こうして、大将殿はお休みになられて、「今日は気の張るところに伺うので」とおっしゃって、上等の直衣やご装束を取り出して、
薫物などをさせて、女一の宮がその準備のために忙しく動き回っていらっしゃるのをごらんになって、「右近の乳母が文句をいったとかいう宮の御髪だが、何も悪くなっていないではないか。ひどくわたしを非難したことよ」とおssたって・・・。

蔵開・下
【原文】おとど「みな人かかることすれど、あやしくものの具など、ありがたく清らにするところにこそあれ。この桂添ひたるは、御前に奉れ。唐衣添ひたるは、内裏の御方の参らせたまはむ料に奉れたまへ」。宮、女一宮「片方は三条に奉れむ」。おとど「あな見苦しや。片隅に籠り居たる生おんなの着るべきものかは」などのたまひて、その日はおはしまし暮らして、またの日、仲忠「三条にまかりすべきこと侍り」とて、袍装束清らにして、薫物どもして出でたまひぬ。
【現代語訳】大将殿「誰でもかずけ物を授ける、といったことはするものですが、不思議に、女装束一式などでもめったにないほど美しくあつらえるところです。この桂を添えたものは、あなたがお召しください。唐衣が添えてあるほうは、仁寿殿の女御が内裏に参内されるときのために献上してください」。女一の宮、「一つは、三条殿の内侍様のところにさしあげましょう」。大将殿、「まあ、こんな衣装を身に着けたら見苦しいですよ。片隅にこもっているおばさんが着るような衣装でしょうか」などとおっしゃって、その日は一日じゅう宮のもとでお過ごしになり、次の日に、「三条に行ってなすべきことがございますので」とおっしゃって、束帯を麗しくお召しになって、薫物を焚き染めてお出かけになった。

国譲・中
【原文】「(略)宮もかしこを参らずとのたまふめるに、今宵なむ参らせむと思ふ。藤壺参りたまひなば、装束の薫物のやうなるべし。鼬の間の鼠としも仕うまつれとてなむ」とのたまへば、仲忠「いかなるべきことにか侍らむ。仲忠はいかでか取り申さむ。殿の御ためにやごとなきことなり。それによりて、侍らむ所に思ひ疎まむも、苦しうなむ。
【現代語訳】「(略)東宮も、梨壺のことを、参内しない、とご催促なさっておいでのようだから、今宵参内させようと思っています。藤壺様が参られたら、装束の薫き物のような添え物程度のお扱いになるでしょう。鼬のいぬ間の鼠のように、この機会に存分にお仕えしなさい、とのとのことでそうすることにしました」とおっしゃると、右大将は、「どうしたものでしょうか。わたしには何も申せません。父上のためには一大事でございます。けれども、そのことによって妻に疎まれてしまいますのも、辛いことです。

国譲・中
【原文】かくて、「参上りたまへ」とあり。南の廂によき御屏風立てたり。例の空薫物などして参り給ふ。かくて、宮に典侍の申したまふ。(典侍)「いと腹汚く、幼くおはします。これは何の罪にてある御心地にもあらず。知らせたてまつりたまはねば、おとどは騒ぎたまふ。それはとまれかうまれ、生きて働きたまふ仏といはれたまふ。加持参りたまへば、ともかうもこそあれ。かかる人は、さる心してこそ加持参れ。いと恐ろし。おとどに聞こえむ」と申せば、宮(女一宮)「何心地とも知らず。いと苦しきは、死ぬべきにこそあんめれ」とのたまへば、(典侍)「あなさがなや」など、むつかり居たまへり。
【現代語訳】(仲忠が忠こそ(真言院阿闍梨)を)こうして、「座にお着きになってください」と促される。南庇(ひさし)に、趣味のよい屏風がを立てて御座がしつらえられてある。例のごとく薫き物を漂わせて席にお付きになる。そのようななか、女一の宮に典侍(ないしのすけ)が申し上げる。「たいそう意地悪でご幼稚ななされ方ですこと。これは、どこがわるくてご気分がわるいのではございません。お知らせ申し上げにならないので、右大将様はあわてふためかれなさるのです。そのことはともかくも、生身の仏で利生を与えてくださるとご評判の方が加持をなさるのですから、何か不都合がありましたら困ります。このような祈祷僧というのは、どのようなことのために祈祷するのか、心設けしてからこそ加持を行うものなのです。ほんとうに恐ろしいこと。右大将様に申し上げましょう」と申し上げると、女一の宮は、「どうして気分が悪いのか分りません。たいそう苦しいのは、きっと死ぬからなのでしょう」とお返事をなさるので、典侍は、「まあお意地のわるいこと」などとやきもきしていらっしゃる。

楼の上・上
【原文】殿、兼雅「いでや。そのおとどこそ、目につきて覚えたまふらむな。身の上めでたく、今めかしくおはしますを見たてまつりたまひて後こそ、おのれをも思ひ落として、かく恥の限りのたまひ出だせ」とのたまへば、俊蔭娘「例のことよ。さりとて、病したることわりなれば、口塞げ」とて、薫物などよくせさせたまひて、遣りたてまつらせたまふ。
【現代語訳】殿は、「いやはや。あなたはその大臣殿ばかり、よいように気にかけていらっしゃるようだ。左大臣殿がご身分もすばらしく、当世風でいらっしゃるのを拝見なさったあとでは、わたしのことも見下して、こんな恥辱の限りをおっしゃるのですね」といわれるので、尚侍は、「まあ、いつものお僻みだわ。そうはいっても、誰にも短所はあるのが道理ですから、少しお口を慎みなされ」ということで、尚侍は、右大臣殿のお召物に香を十分にたきしめさせられ、宰相の上のところへ出立させてさしあげられる。

楼の上・上
【原文】尚侍(かん)の殿の御方より、心殊に設けたまへるかづけ物、南の庭より取り続き歩みたる、色々にし重ねたる、いと清らにうるはしく、薫き物の香など匂ひめでたし。六位の蔵人には、織物の三重襲の小袿、三重襲の袴、帯刀には、薄物の小袿、一重襲の袴なり。
【現代語訳】尚侍(かん)の殿の御方より、心殊に設けたまへるかづけ物、南の庭より取り続き歩みたる、色々にし重ねたる、いと清らにうるはしく、薫き物の香など匂ひめでたし。六位の蔵人には、織物の三重襲の小袿、三重襲の袴、帯刀には、薄物の小袿、一重襲の袴なり。

楼の上・下
【原文】まづ、おとど御具賜はりて、下に、右のおとどに譲りきこえたまひて、いぬ宮下ろしたてまつりたまふ。右大将抱きたてまつりたまひて、几帳の前に童、こなたにも、褥、火取、・薫き物に、白銀、黄金の壺二つ据ゑたる物、脇息と取りて歩みたり。
【現代語訳】まず、左大臣殿が御道具をいただいて、下にいる右大臣殿にお渡し申され、いぬ宮をお下ろし申しあげられる。右大将がいぬ宮を抱きかかえられて、几帳の前に女童を歩かせて、几帳の後ろにも女童、褥、火取り、薫き物に、銀と金の壺二つを据え付けたもの、脇息という順で持って歩いていく。


源氏物語のたきもの


若紫(第五巻)
【原文】げにいと心殊に由ありて、同じ木草をも植ゑなし給へり。月もなき頃なれば、遣水に篝火ともし、燈籠などにも参りたり。南面(みなみおもて)いと清げにしつらひ給へり。そらだきもの心にくゝ薫り出で、名香(みょうごう)の香などにほひ満ちたるに、君の御追ひ風いとことなれば、内の人々も心づかいすべかめり。
【現代語訳】なるほど、同じ木草でも、格別心して風流に植えていられる。月もないころなので、庭の遣水に篝火をともし、燈籠などにも灯が入っている。南正面の座敷をたいそう綺麗に支度しておありだった。空だき物が奥床しく薫って来、ご仏前の香の匂いなども一面に漂っている所に、君のご衣裳の香はまた格別ゆえ、奥にいる女方も気を使っているらしい。

花宴(第8巻)
【原文】そらだきもの、いとけぶたうくゆりて、衣の音なひいと花やかにふるまひなして、心にくく奥まりたるけはひは立ちおくれ、今めかしき事を好みたるわたりにて、やむごとなき御方々物見給ふとて、この戸口はしめ給へるなるべし。
【現代語訳】そらだきものが、たいへんけむたくかおって、衣ずれの音をわざとひどく花やかにさせてふるまうというふうに、奥ゆかしさ、深みを思わす感じは少なく、当世風(モダーン)な事を好んでいる邸であって、高貴な方々が物見をなさるからと言って、この戸口を占領しておいでなのだろう。

絵合(第十七巻)
【原文】院はいと口惜しくおぼしめせど、人わろければ、御消息など絶えにたるを、その日になりて、えならぬ御よそひども、御櫛の箱、うつみだりの箱、香壺の箱ども、世の常ならず。くさぐさの御たきものども、薫衣香、またなき様に、百歩の外を多く過ぎにほふまで、心ことにととのへさせ給へり。おとど見たまひもせむに、と、かねてよりや思し設けけむ、いとわざとがましかめり。
【現代語訳】院はたいそう口惜しくお思いになるけれども、外聞が悪いので、お便りなども絶えてしまっていたのだが、入内の当日ななって、すばらしい御装束の数々に、お櫛の箱、打乱りの箱、香壺の箱を幾つも幾つも、並たいていのものではなく、いろいろのおん薫物や薫衣香は、ほかにないほどの、百歩の外を遠く過ぎても匂うまで、特に心をこめておそろえになった。大臣が御覧なさりもしようかと、かねてからお心づもりなさっていたのだろうか、たいそうわざとらしい感じであった。

(第二十五巻)
【原文】いといたう心して、そらだきもの心にくき程ににほはして、つくろひおはするさま、親にはあらで、むつかしきさかしら人の、さすがにあはれに見え給ふ。(略)内よりほのめく追ひ風も、いとゞしき御にほひのたち添ひたれば、いと深くかほり満ちて、かねて思ししよりもをかしき御けはひを、心とゞめ給ひけり。
【現代語訳】殿様はたいへん心を配って、空薫物を奥ゆかしい程度に匂わして、世話をやいていらっしゃるご様子は、親ではなくて、困ったおせっかい者の、それでもよくまあこれまでとお見えになる。(略)内からのほのかな追い風に、さらに優れた殿さまの香(こう)のにおいが加わったので、ひとしお深い薫りがへやに満ち、宮は予想した以上にすばらしい姫のご様子に、お心を引かれなさった。

常夏(第二十六巻)
【原文】御方見て(近江)「をかしの御口つきや。まつと宣へるを」とて、いとあまえたるたきものの香を、かへすがへす焚きしめ居たまへり。紅といふもの、いと赤らかにかいつけて、髪梳りつくろひ給へる、さる方ににぎはゝしく、愛敬づきたり。御対面の程、さし過ぐしたる事もあらむかし。
【現代語訳】これをおん方が見て(近江)「結構なお歌ですこと。待つ(松)とおっしゃっているのですもの」と、ひどく甘ったるいを何度も何度も着物に焚きしめていらっしゃった。紅をたいへん赤く付け、髪をすいて化粧なさったのは、それはそれで、派手で愛敬があった。 お目にかかる時に、出すぎたこともあったでしょう。

行幸(第二十九巻)
【原文】中宮より、白き御裳、唐衣、御装束、御ぐしあげの具など、いと二なくて、例の、壺どもに、唐の薫物、心ことに薫り深くて、奉り給へり。
【現代語訳】秋好む中宮からも、白い裳、唐衣、御装束、御髪上げのお道具など、またとないほどの出来で、いつもの通りいろいろの香壺に、中国からの薫物、格別好い香りのするのを、差し上げなさった。

真木柱(第三十一巻)
【原文】暮るれば例の急ぎ出で給ふ。御装束の事なども、めやすくしなし給はず、世に怪しう、うち合はぬ様にのみむつかり給ふを、あざやかなる御直衣なども、え取りあへ給はで、いと見苦し。よべのは焼け通りて、うとましげに焦がれたる匂ひなどもことやうなり。御衣どもに移り香もしみたり。ふすべられける程あらはに、人もうし給ひぬべければ、脱ぎ替へて、御湯殿など、いたう繕ひ給ふ。木工の君、御たきものしつゝ、
(木工)「ひとり居て焦がるゝ胸の苦しきに思ひ余れる焔とぞ見し
名残なき御もてなしは、見奉る人だにたゞにやは」と口おほひて居たる、眉いといたし。されど、いかなる心にてかやうの人に物を言ひけむ、などのみぞ、覚え給ひける。情けなきことよ。

【現代語訳】夕方になるといつも通り急いでお出になる。お召し物のことなども、見苦しくないよう調えることもなさらず、とても妙で、ぴったりしないと苦情ばかりおっしゃるけれども、すっきりした直衣なども間に合わすことがおできになれないで、ひどくみっともない。昨夜のは焼け穴ができて、気味悪く焦げた匂いがするのも異様だ。御下着にもその匂いが移って染みついている。やきもちをやかれた跡がはっきりしていて、あちらの人もお嫌がりになさるの決まっているから、着替えてお湯殿にお行きになったり、ひどくめかしていらっしゃる。木工の君は、新しいお召し物に香を焚きしめながら、
(木工)「奥様がお一人残されて、ご主人を恋い焦がれる胸の苦しさに、思い余っての炎と存じます。
打って変わったお仕打ちは、おつきする私どもでさえ、黙っていられましょうか」と口もとをおおっている。その眉がたいそう美しい。しかし大将は、どんな気持ちでこんな女になれ染めたのだろう、と、そんなことばかり思われなさる。ひどいですこと。


梅枝(第三十二巻)
【原文】正月のつごもりなれば、おほやけわたくしのどやかなる頃ほひに、薫物合はせ給ふ。大弐の奉れる香ども御覧ずるに、なほ古へのには劣りてやあらむと思して、二条の院の御倉開けさせ給ひて、唐の物ども取り渡させ給ひて御覧じ比ぶるに、(源氏)「綾錦なども、なほ古き物こそなつかしう細やかにはありけれ」とて、近き御しつらひの物の覆、敷物、褥などの端どもに、古院の御世の初めつ方、高麗人の奉れりける綾緋金錦どもなど、今の世の物に似ず、なほ様々御覧じあてつゝせさせ給ひて、この度の綾うすものなどは人々に賜す。
 香どもは、昔今の取り並べさせ給ひて、御方々に配り奉らせ給ふ。(源氏)「二種づゝ合はせさせ給へ」と、聞えさせ給へり。贈り物、上達部の禄など世になき様に、内にも外にもこと繁く営み給ふに添へて、方々に選り整へて、かな臼の音、耳かしがましき頃なり。

【現代語訳】正月の月末なので、公私ともにお暇な時に、薫物を調合なさる。太宰の大弐が献上した香などを御覧になると、やはり昔の香には劣っているであろうかとお思いになって、二条の院のお倉を開けさせなさって、中国から渡来の品々をいろいろ取り出して持って来させて、見比べなさると、(源氏)「綾錦などでも、やはり昔の物の方が親しみもあり上等であった」とおっしゃって、お傍のお道具の物のカバーや、敷物、座蒲団などの縁といった物に、なき上皇御治世の初めの頃に、高麗人が献上した綾や緋金錦など、近頃の物には似ないで、それぞれ適当な物をあれやこれやにと御鑑定になって、やはりお使いになり、今度の、大弐が献上した綾羅などは女房たちに御下賜になる。
 数々の香は、昔のや今のを目の前にお取り揃えになって、御婦人方にお配り申し上げなさった。(源氏)「二種類ずつ香を作って下さい」と、申し上げさせなさった。裳着の時の贈り物、上達部への禄の品物など、又とないほど結構で、六条の院の内でも外でも、お忙しくお作りになるとともに、あちこち御婦人方の所でも材料を選び準備して、鉄臼の音が喧しく聞こえるこの頃である。


梅枝(第三十二巻)
【原文】まことに明け方になりてぞ、宮帰り給ふ。御贈物に、自らの御料の御直衣の御よそひ一くだり、手触れ給はぬ薫物二壺添へて、御車に奉らせ給ふ。宮(兵部)「花の香をえならぬ袖に移しもてことあやまりと妹やとがめむ」
とあれば、(源氏)「いと屈したりや」と、笑ひ給ふ。御車がくる程に追ひて、(源氏)「珍しと古里人も待ちぞ見む花の錦を着て帰る君
又なき事と思さるらむ」と、あれば、いといたうからがり給ふ。次々の君達にも、ことごとしからぬ様に、細長小袿などかづけ給ふ。

【現代語訳】本当に夜明方になってから、兵部卿の宮はお帰りになった。宮へのおん贈り物として、御自分の御召料のおん直衣のおん装束一揃いに、手をおつけになっていない薫物二壺を添えて、お車にお差し上げになった。兵部卿の宮は、
(宮)「いただき物の花の香を、いただき物の結構な衣装の袖に移して帰りましたら、女と過ちをしたのかと、妻が咎めだてするでしょう」
とあったので、(源氏)「ひどくしょげていますね」と、お笑いになる。お車に牛を付ける間に追っかけて、
(源氏)「珍しいこととあなたの家の方も待ち受けて御覧になりますよ、花の錦の美しい衣装を着て帰ってゆくあなたのことを。
めったにないことだとお思いでしょう」と、あったので、宮はひどく辛がりなさる。それ以下の君達にも、大仰でないように、細長や小袿などをおやりになる。


若菜・上(第三十四巻)
【原文】その日は寝殿へも渡り給はで、御文書きかはし給ふ。たき物などに、心を入れて、暮らし給ふ。宵過ぐして、睦まじき人の限り四五人ばかり、網代車の、昔おぼえて、やつれたるにて出で給ふ。
【現代語訳】その日は寝殿へもいらっしゃらないで、お手紙をやり取りなさる。薫物などに気をつけて一日をお過ごしになる。宵が過ぎるまで待って、親しい者ばかり四、五人ほどをつれ、網代車の昔を思い出させる粗末なのでお出かけになる。

宿木(第四十九巻)
【原文】やうやう腰痛きまで立ちすくみ給へど、「人の気配せじ」とて、なほ動かで見給ふに、若き人、「あなかうばしや。いみじきかうの香こそすれ。尼君の焚き給ふにやあらむ」。老人、「まことにあなめでたの、ものの香や。京人はなほいとこそみやびやかにいまめかしけれ。天下にいみじき事と思したりしかど、東にてかゝる薫物の香は、え合はせいで給はざりきかし。この尼君は、住まひかくかすかにおはすれど、装束のあらまほしく、鈍色青色といへど、いときよらにぞあるや」などほめゐたり。
【現代語訳】だんだん腰が痛くなるまでも立って動かずにいらっしゃるが、人がいる気配をさせまいとして、そのままじっとして見ていらっしゃると、若い女房が、「まあいい匂い。すばらしい香のにおいがします。尼君がお焚きになっているのかしら」と言う。年とった女房が「本当に結構なにおい。京の人は尼になっても風流でいられる。御主人は一番すぐれているとお思いだけれど、東国でこんな薫物の匂いは、作り出しなされなかった。この尼君は、住まいはこのようにささやかでいらっしゃるが、衣装は素晴らしく、鈍色や青色の着物といっても、とてもきれいです」などほめている。


〔作成〕中原幸子
〔参考文献〕
(1)玉上琢弥訳注『源氏物語(付現代語訳)』(角川ソフィア文庫、2007年)
(2)『うつほ物語』(1)〜(3)(新編日本古典文学全集14〜16、小学館、1999、2001、2002年)

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