月刊:ことばを探る 最近のバックナンバー

月刊「e船団」 言葉を探る 2001年12月号

二語文

 野地澄晴(すみはれ)くんは、生後10か月と3日でものを言い始めた。「マ」とか「マンマ」と言って、もっと蜜柑が欲しい、という意志を言葉で伝えられるようになったのだった。
 澄晴くんは蜜柑が大好きである。6か月と11日目に、ひとりでに這いはじめたのも、おばあさんの家で、遠くにころがっている青い蜜柑をめがけてのことだった。 もうすぐ11か月になろうとする頃には、朝早く目覚めると、寝ているお父さんのほっぺたを突っつきにいったりするようになった。
 お隣のおじさんに、抱っこして鶏を見せに連れて行ってほしい、とねだったりもできるようになった。

 と、いうようなことが詳しく分かるのは、澄晴くんのお父さん、言語学者の野地潤家が長男・澄晴くんの成長、ことにその言語獲得の過程を克明に記録し続けたからである。その、誕生から7歳になるまでの記録は、『幼児期の言語生活の実態』全4巻(1)として、昭和48年4月から52年12月までの満4年半をかけて出版された。総ページ数3786ページ。インターネットで見つけて、送られてきたとき、持ち上げるのにウッと声が出る重さであった。

 たとえば、もうすぐ11か月になろうとするころの記録にはこうある。

 昭和24・1・31(月)
 〇ア ア ア。(→母・父)
(注:澄晴くんが母と父に向かって言った、という意味)。
 人さし指でものをさしながら、このように言って、さかんにものをほしがる。あらゆる好奇心と欲求とを、この一語にこめる。それがみたされないと、はげしく泣く。

 また、この頃、大人の言葉を「ききわけ」られるようになった。この場合の「ききわけ」は「ききわけのいい子だ」という場合とは少しちがい、例えば「スミハレチャンノ オハナハ?」とお母さんに聞かれると、自分の鼻を指し示す、といったように、相手のいうことを理解して正しく応答できることである。

 ききわけができるようになるのは一人で立つことができるようになるのと殆ど時期を同じくしており、「バ」「ロイ、ロイ、ロイ」などの音が出せるようになり、両親の唇の動きを見つめて真似ようとし、急速に言葉を覚えていく。「オッパイ(お乳)」「タイタイ(魚)」「ネン ネン ネン」「ウマ」「オッター(居た)」など。
 このころの記録にこうある。

 前歯が上下に二本はえてから、舌の動きが、それ以前とはかわってくる。今までは主として、唇をつかって、[ba][ma][pa]などを言うか、唇やその他を用いぬ[a][]などであったのに対して、歯がはえてから[ta][tai]などを発音しはじめる。舌のさきがその歯ぐきにあてられるさまがゆるやかで、気をつけていれば目にとまるほどである。
 そして、この歯を発音に用いはじめた時は、やはりたどたどしく、ういういしく、ひくめに使いはじめ、しきりにやさしくくりかえしている。聞いていて、ほんとうにほほえましくなってくる。
 そして「オッタ。」とも、言えるようになり、母が「オッタ。」と言えば、そのひとくぎりの発音を「オター。」というところまでいきつく。
 また、生後十・十一ヶ月ころから、のどのほうを使っていろんな声を出すようにする。「アッ」とか「ウッ」とかいうのである。これは、こどもらしくない、ませたやりかたのようで、やはりわらえないものを持つ。[a]母韻などはつよく、気音[h]などは、やわらかく出はじめてくる。
 かんしゃくなども、もちろんびっくりするほどに出るようになる。

 いよいよ、1歳のお誕生日。記念写真の撮影で、まわりをてこずらせた澄晴くんは今や3、4歩ひとりで歩くことができ、出せる音も、ア、イ、ウ、エ、オ、シ、ナ、マ、ム、ロ、ヤ、ヨ、ン、バ、ブ、チャと増えた。

 一語文から二語文へ伸びていくきざしは、澄晴くんと両親との会話の中で芽生える。
 1歳2か月ころのある朝、

 昭和24・4・28(木)
 〇オトーチャン ハイ。(母→)(1)
 〇オトーチャン ハイ。(→父)(2)
 母が弁当箱を持たせ、(1)の文のように言って、父に渡すようにさせる。すると、たどたどしく、(2)の文のように言って、父に渡す。一語文から二語文へ伸びていこうとするようすがみられる。

 この頃には、出会う音を一々自分で真似てみるようになっている。お父さんやお母さんの言葉、電車の音、何でも真似て、たちまち上手になる。上記の「オトーチャン ハイ」はまだお母さんの口真似だが、4日後には、自分からそう言ってお弁当を渡すようになっている。もっとも発音がきれいに出来ているわけではなくて、そう聞こうと思えば聞ける程度、「雪がかかったような」表現、と記録されているが。

 澄晴くんの2語文は「オトーチャン ハイ」に始まり、6日後には「アケテ チョーダイ」が加わり、急速に増える。そして父や母が見えないときには「オトーチャン ワ?」「オカーチャン ワ?」と聞くことを覚え、ついに最大の武器「ナン ネ?(なあに?)」を手にいれる。1歳8か月ころのことである。以後は「ナン ネ?」を連発、語彙が急速に増える。間もなく、寝ている母を起こそうと「オッキ オッキ シー」と呼びかけ、父に「ワンワン トッテ チョーダイ」と、言葉で頼めるようになる。

 明日は2歳のお誕生日という日、澄晴くんはお父さんと次のような会話を交わす。

 昭和25・3・8(水)
 〇モー ナイ ヨ。(→父)
 〇ホント?(父→)
 〇ホント ナイ ヨ。モー チンダ。ホントニ ナイ ヨ。(→父)

 お父さんにうんこをさせてもらって、済んだ、もう済んだ、と保証しているところである。こんなふうにして、もう一度育て直してほしい、と、ついつい思ってしまうような風景ではないか。

 ところで、「どさ」「ゆさ」という会話をご存知ですか。東北地方の言い方で、「どちらへ」「お風呂屋さんまで」という意味だそうだが、これこそ究極の二語文だ。幼児が一語文から二語文に進むことにはどういう意味があるのだろうか。

 「言語学百科事典」(2)によれば、
 大抵の人は、「真の」文法は幼児が2つ以上の単語をつなぎ合わせたときから始まると考えている。これが起こるのは生後18か月頃であるが、傾向として、突然起こるのではなく、ふつう移行期間がある。複数の単語が一緒に現れるのだが、その語連続は、単一のリズムをもった単位として発せられるのではない。例えば、Daddy. Gone.(パパ。行っちゃった)といった具合である。(中略)
 こうした二語文が表している意味については、これまでにいくつかの研究が行われた。


 とあって、ちゃんと研究が行われているらしいのだが、ここで、ふと、「文」ってなんだろう、「文法」ってなんだろうと思ってしまった。
 次号はそこを考えてみたいと思う。

(中原幸子)


参考文献

(1) 野地潤家「幼児期の言語生活の実態T」(文化評論出版、1977年)
(2) ディヴィド・クリスタル「言語学百科事典」(大修館書店、1992年)
(3)文部省「学術用語集」(言語学編)(初版、1997年)


月刊「e船団」 言葉を探る 2001年11月号

一語文

 ようやく赤ちゃんが片言を話し始めたところで、道草をしてしまった。
ところで、「片言」という言葉は学術的には使われていないらしい。「文部省・学術用語集」には「1語文(one-word sentence)」と「2語文(two-word sentence)」が載っていて、私たちが日常会話で片言と呼んでいる段階の初期に相当するようだ。「3語文」、「多語文」という語もよく見かけるが、これも学術用語集にはない。
 「一語文」は広辞苑では「1単語からなる文。幼児の『わんわん』『まんま』や、感動文の『ありがとう』『火事』など」。大辞林では「一単語からなる文。『泥棒!』『痛い!』などや、幼児が言う『おんも』『だっこ』など」とある。2語文は両方とも載っていない。よけいなお世話だが、「おんも」はちょっと古いんじゃないでしょうか? 8月号でご紹介したナオ語辞典では、「きーぽー(救急車)」や「ぼーぼーしゃ(消防車)」などが早くに出てくる。

 最近私は澄晴(すみはれ)くんという男の子と仲良くなった。お父さんである国語教育学の権威・野地潤家の「生いたちの記―父よりわが子へ―」という本を読んで。
 澄晴くんは1948年3月9日生まれである。この本の「まえがき」には、「(長男澄晴の生後10ヵ月のころ)私はふと、長男澄晴の生いたちの様子を本人に向かって語りかけるように、書きつけておこうと思い立った。長男が成長して、自ら文章が読めるようになった時、かつて自分の幼時、父が書きつけておいたものを喜んで読んでくれるかもしれないと思ったのである」とある。
この本は、153編の記録が思い出ふうに綴られた、生まれる前の、今日か明日かと誕生を待たれている頃からのエピソード集である。どれも「澄晴ちゃん」という呼びかけで始まっているのだが、読んでいると澄晴ちゃんが他人とは思えなくなり、いつの間にか私の中では澄晴くんに成長してしまった。

 その澄晴くんの「言いはじめ」をご紹介したい。

    澄晴ちゃん!
  澄晴ちゃんが、一番はじめにものを言ったのは、生まれてから、十ヵ月もたってからでした。
  それまでにも、「バア、バア。」だとか、「マン、マン、マン、マン」だとかは、言っていましたが、それは、ただそのように、調子よく言うだけでした。
  ところが、十ヵ月ばかりたった、昭和二十四年の一月十五日(土)に、お母さんにおんぶして、お蜜柑を一つ一ついただいているとき、一つたべおわると、「マンマ!」とか、「マ。」と言いながら、お母さんに、おみかんをさいそくしました。お母さんの背中にいて、お母さんがおみかんをおいているところを知って、さいそくするのでした。お母さんは、澄晴ちゃんが「マンマ!」とさいそくするたびに、一つずつわたしました。
  澄晴ちゃんは、おみかんが好きで、いちどに、二つもたべることがありました。おみかんのたべかたは、はじめからたいへん上手でした。はしの方をきって、吸いやすくしておきますと、それをお口にいれて、おいしそうにお汁を吸いました。
  お汁のたくさんあるおみかんは、小さな澄晴ちゃんのお口にあまって、よだれかけが、べたべたにぬれてしまうこともありました。
  よだれかけは、一日に二度も三度もとりかえました。
  澄晴ちゃんが、ものをいいはじめた日は、ひろしまにも、雪がちらつく寒い日でした。(昭和24年1月15日稿)


 この本には「澄晴(すみはれ)」という、文字はともかく、読みの非常に風変わりな名前についても書かれているが、お父さんの潤家さんは、この名を考えるころすでに立派な国文学者で、だから、「はじめてものを言った」と言えるのは、ただ調子よく「マン、マン・・・」と言った時ではなく、ちゃんと「もっとおみかんがほしい」ことを伝えようとしている「マンマ!」であると説明してくれている。

 また、「言語学百科辞典」では、「『一語』段階は、ふつう生後12か月から18か月の間にもっとも顕著であるが、もっぱら『単語』の観点からのみこれについて語るとすれば、誤解を招くことになる。多くの点で、こうした初期の発話はあたかも文のごとき機能をもっている」とする。このことについては改めて考えてみたいと思っている。

 人類が立って歩けることと言葉を持つことが出来たことには、切っても切れない関係がある。このことは、簡単ながら、「ことばを探る」1月号、2月号で述べたが、伊藤克敏著「こどものことば」では「大体、満一歳のころ、歩けるようになると一語文が発せられるようになる。これはどうしてであろうか」と設問し、概略以下のように答を出している。

 1語文が発せられる、満1歳ごろまでに達成される身体的発育の過程はというと、
 (1)胎児期の発達
  ・10週目:人間らしい形が整い、脳と心臓部がはっきりしてくる。
  ・2ヶ月:頭や腕を動かす。すでに嫌悪や快感をもっている。
  ・4ヵ月半:目、耳、鼻、口などの形がはっきりし、表情が生まれる。口も開閉できる。
  ・6ヶ月:母の聞く音楽に反応する。ビバルディやモーツァルトだとおとなしく、ロックやベートーベンだと暴れる。母親の感情に敏感になる。
 (2)産まれてからの発達
  ・生後6日で、早くも母親の舌出しを真似た例がある。
  ・1ヶ半〜2ヶ月:人の笑顔に反応して微笑する。
  ・6ヶ月〜8ヶ月:周囲のものごとに積極的に関心を示す。
  ・8ヶ月〜:這い這い、つかまり立ち、伝い歩きなど、運動能力の急速な発達。動き回れることによって周りの認識や意味の場の共有へ。
  ・10ヶ月:指差し動作。但し、ジェスチャーによって欲しいものを伝えるというようなことは2ヶ月くらいで始まる。
  ・12ヶ月:歩き始める。

   この間に脳も急速に発達する。ヒトの脳細胞の数は約140億であり、産まれた時すでにこの数になっている。死ぬまでこれ以上増えることはなく、損傷しても回復はできない。だが、重さは生後6ヶ月で倍になり、10歳までに大人の90%に達する。その後もゆっくりと成長し20歳ぐらいで完成するといわれる。
 生後約1年、側頭葉にあって、言語の理解に重要な働きをしている「ウェルニッケ野」、前頭葉の後下部にあり、主に言葉の符号化に係わっている「ブローカ野」が機能し始め、立って歩けるようになることで喉頭部の構造が言葉を発することのできる状態になり、話すのに必要な100以上もの筋肉が力をつけることで、初めて「1語文」は生まれる。立って歩くのに必要な腹筋の力は、また、話すのにも重要な働きをしているのである。
 言うまでもないが、1語文の頃はまだ言葉もその発音も未熟である。このことについてはホームページ「ことの葉」をおすすめしたい。 (http://www.geocities.co.jp/Technopolis/8625/index.html)
母音、子音の作られ方や、幼児の間違った言い方について分かりやすく説明されている。

 それにしても大辞林の「泥棒!」が一語文だというのは正しいのだろうか?
 誰だったか、著書の売れ行きを心配して出版社へ「?」と電報を打ったら、「!」と帰ってきたとかいうエピソードを読んだことがある。記号侮るべからず、と思うのだが。

(中原幸子)


参考文献
・野地潤家「生いたちの記―父よりわが子へ―」(渓水社、1996年)
・ディヴィド・クリスタル「言語学百科事典」(大修館書店、1992年)
・文部省「学術用語集」(言語学編)(初版、1997年)
・伊藤克敏「こどものことば・習得と創造」(勁草書房、1999年)

主な参考ホームページ
・ナオ語辞典:http://ysneph.hoops.ne.jp/nao_dic.html
・ことの葉:http://www.geocities.co.jp/Technopolis/8625/index.html


月刊「e船団」 言葉を探る 2001年10月号

無言ということ

 ときどき「『無言』の使い手」というような人に出会う。ふっと黙られると、もうどうしようもない。「おぬし、できるな」というあれだ。展覧会「蕪村・その二つの旅」を見たときも、「言わないことの力」を何とよく知っている人だろうと思った。絵における空白、俳句における空白。

 思い切って恥ずかしい告白をしますと、実は「表現」というコトバがわからない、具体的に焦点を結ばない、ということに悩まされ続けていたのです。それがひょんなことからわかりました。「わかった!」と思うのです。

 先日「牛乳一合ココア入り」というラジオドラマを聞きなおす機会に恵まれた。1992年にNHK・FMで(特集・オーディオドラマ'92、脚本:坪内稔典・近藤峰子、演出:角井佑好)放送されたものをテープで聞かせてもらったのだ。
 このドラマの主人公・正岡子規はもう末期の脊椎カリエスである。子規が痛い痛いと唸り、叫ぶところからドラマは始まる。キーワードは「痛いことも痛いがきれいなこともきれいぢや」という「仰臥漫緑」に出てくる言葉。
 集中したいときの癖である、眼鏡を外し、両手のひらで両目をふさぎ、頬杖をついた姿勢でその叫びを聞いているうちに、私は「あ!」と思った。表現って痛いときに痛いと言うことなんじゃないか、と。そして「痛いことも痛いがきれいなこともきれいぢや」に至る、そのことなのじゃないか、と。うれしかったなあ。

 で、胸がすっとしたついでに、言わないということもれっきとした表現である、と思った。

 「谷川俊太郎の33の質問」(筑摩書房、1986年)が大好きである。笑いたいときいつでも良質の笑いをくれるから。中でも私が特別に気に入っていて、そらで言えるところが2か所ある。

 その1.質問27に対する岸田今日子の答え
 質問: 宇宙人から『アダマペ プサルネ ヨリカ』と問いかけられました。何と答えますか?
 岸田:アイ キャン ノット スピーク イングリッシュ。

 その2.質問31に対する大岡信の答え
 31 . 最も深い感謝の念を、どういう形で表現しますか?
 大岡:おれ、いままで一度も成功したことないから、何とも言えない。(笑)

 私もあるときとても深く感謝することがあって、なんとか表現しようと足掻いたができなかった。そのとき、口に出すと心が薄れるなあ、とつくづく思った。それは多分私の表現力の不足であろうが、でも、大岡信でさえできないのに、私にできるわけはないやろ、と納得したのだった。こういうときは無言しかない、とついつい思ってしまう。

 そうこうするうちに、「『言わない社会』と言葉の力」というサブタイトルのついた本に出会った(1)。
 そこでは、「力のある言葉をもつ社会とは、言葉をよく使う社会、使うことが生活を続ける上で不可欠だった社会である。そこでは言葉のもつ力への信頼がある。言葉が力強く機能していて、その役割は多方面にわたり、言葉がいかに人間、そして人間が生きることと不可分離であるかが知られているといえよう。」とし、日本社会はこのような状況から程遠いとした上で、日本社会の言葉の使い方には「言わない」という一つのきわだった特徴を挙げることができるという。

 この本が挙げている「言わない」場合とは、
 (1)「言ってはならない」から「言わない」
 (2)「言う必要がない」から「言わない」
 (3)「言い表せない」から「言わない」
の3つである。

 「コーヒーですか? 紅茶? それとも緑茶?」と訊いたとき、「なんでも結構です」と答える人を私は好まない。「緑茶結構です」という人も好まない。お茶を淹れるからには、お好きなものをあげたい、という心に水を掛けられたような気になる。そのくらいなら「ビール!」と答える人の方がずっと好きだ。私は下戸だから、うちにビールはないけれど。

 しかし、このケースは日本社会の言葉の使い方の本質に関わっているらしい。
 井上ひさしは加藤周一との対談で「『言わぬが花』『言うだけ野暮』『腹芸』と私たち日本人は、ホンネは腹の底に蔵しておくもの、言葉になったものはほんのタテマエという考え方でやってきました」と言い、また、「外交では(中略)。常に関係を作ってから言葉を探す。関係が言葉を作る。言葉で関係を作ることが苦手ですね」と言っているという。
 つまり、よその家でハッキリと好きなものを要求するなどは「言ってはいけない」ことなのだ。そして私は「言ってはいけないこと」を言わせるような質問をせず、例えば「ミルクティーでもいかがですか」と、その人がそのときに欲しいものをズバリとおすすめし、「言う必要がない」状態を作らなければいけないのだ。「なんでも結構です」と言われたからといって、本当に何でもいいんだと思うなんて、とんでもないことだ。そして、「なぜ、『今何が飲みたいか』というような簡単な質問にも答えられないのか」という質問に答えてもらえないのは、それは「言い表せないから」。「言っても相手には分からないであろう」から。

 「言語文化学の視点」には、「お好きなものをあげたいのに」という私の不満のもとの解明に役立つ話も載っている。或る英国人(夫)と日本人(妻)の夫婦の話。妻はよく「〜しなきゃ」と言って行動し、夫は「〜したいから」行動するのでなければおかしい、と言って妻の行動原理を理解できず、嫌っている、という。結婚歴25年で! 「言語文化学の視点」の著者は、この夫婦が、ずっとそれぞれの母語を使い続けるのでなく、どちらかの言語だけによって生活していれば、その言語の考え方によって行動するようになったのではないかと述べている。

 こうみてくると、どうも、私の方がちゃんとした日本社会の日本語の使い方をしていないようにもみえる。
 「言いたいなら言う」「言わなければわからない」ということをきちんと理解し、そう行動するのが、日本社会にある言葉への不信を乗り越えて、力のある言葉をもつ社会をつくることにつながるらしいのだが、しかし、私にはなんとなく雄弁よりも沈黙が好きなところがある。日本人だ。

(中原幸子)


参考文献
(1)氏家洋子著「言語文化学の視点」(おうふう、1996年)
(2)C.オクデン、I.リチャーズ著、石橋幸太郎訳「意味の意味」(新泉社、2001年新版)
(3)長尾真「わかるとは何か」(岩波新書、2001年)
(5) 文部省「学術用語集」(言語学編)(初版、1997年)

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