月刊:ことばを探る 最近のバックナンバー

月刊「e船団」 言葉を探る 2002年3月号

文と文法(3)

 この間ある飲み会で、「もの」や「こと」と「言葉」とはどちらが先か、という話になった。発端を聞きもらしたので話が締まらないのだが、結局、「『切れ』という言葉が生まれるまで俳句に『切れ』はなかったんだよね・・・」というような次第で、その場は「言葉が先」に落ち着いたのだったが・・・。

 となると、文法という言葉はいつ頃使われ始めたのだろうか。手元の辞典(1)によれば、それは桃源瑞仙著「史記抄」(1477年成立)のころのようだ。前回引用した文法研究の歴史(3)の記述も勿論「史記抄」が参照されているだろう。あの引用は、あまりにも長く、まさかあれを全部読んだ方がいらっしゃるとは思えないのでちょっと戻ると、
 よその国では、
 文法研究の歴史は古く,インドではすでに前 5 〜前 4 世紀ごろ, パーニニがサンスクリットの精緻な文法書を残している。ギリシアでは,gramma (〈文字〉) の学すなわち読み書きの学というほどのものが早くから行われていたが(これが現代英語 grammar などの語源)(中略)。
 とあるのに、日本での文法の研究は、
 日本では,中世に歌学者らが作歌のための手段として助詞・助動詞などの用法の研究を行ったのが, 文法研究の始まりとされる。近世の国学者らはこれにいっそう科学的な姿勢を加えて,いわゆる係り結びや活用の研究,初歩的な品詞分類にも及んだ(後略)、  というように随分と遅いスタートであった。

 更に不思議なことに、歴史の古さではどこにも引けを取らない中国での文法の研究には全く言及されていない。

 私の世代は中学生のころに初めて漢文を習った。教科書の漢文には「返り点」と「送り仮名」が付けられていて、それに従って読み、かつ解釈した。漢文は明らかに「中国古来の文章・文学」(広辞苑)でありながら、私たちはそれを日本語として読んでいたのだ。これを訓読と言うらしい。お前が幼稚だから、と言われれば一言もないが、私はそれを少しも不思議に思わなかった。何年もの間、中国の人も私と同じように「国敗れて山河在り」とか、「千里の馬は常にあれども伯楽は常にはあらず」などと読んでいるのだとばかり思っていた。
 しかし、気づいてみれば、まあなんという不思議な読み方を発明したものだろう。よその国の言葉を自分の国の言葉として読む、などということをしている国が他にもあるのだろうか。

 漢字が日本に入ってきたのは、4、5世紀のころとされる。渡来人たちが漢文を読み書きするのを見て、まだ音声言語しか持たなかった日本人が、それを自分たちの言語の表記にも使いたいと考え、その音を学んで当てはめていった、というあたりは実によくわかる。そうしたことを可能にするには、中国本土や朝鮮半島からの渡来人から漢文について懸命に学び、熟達する必要があっただろう。しかし、単に中国語としての漢文の読み書きを習得するにとどまらず、それを日本語で読み解く方法を考え出してしまうとは。さらに、日本語を書くのにも漢文を使ってしまうとは。

 日本最初の憲法である聖徳太子の十七条憲法(604年)も、この漢文で書かれた日本語だった。脱線するが、十七条憲法の原文は残っていない。その存在さえ疑われているのだという。今残っているのは日本書紀の中でだが、その日本書紀編纂の時点で作られたという説があるのだそうだ。聖徳太子が実在したかも疑う人たちもいるので、私は混乱するばかりだ。それはさておき。

 「日本書紀・推古天皇紀」に記されている「十七条憲法」の第1条はこうである。

 一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。

 もちろん、「。」は私たちが読みやすいように後から入れられたもので、原文にはそんなものはない。ここに返り点を入れると、

「一曰、以和為貴、無忤為宗。云々」

で、訓読はこうなる。

 憲法十七條(いつくしきのりとをあまりななをち)
 一(ひとつ)に日(い)はく、和(やはらか)なるを以(も)て貴(たふと)しとし、忤(さか)ふること無(な)きを宗(むね)とせよ。人皆黨有(ひとみなたむらあ)り。亦達(またさと)る者少(ひとすくな)し。是(ここ)を以(も)て、或(ある)いは君父(きみかぞ)に順(したが)はず。乍隣里(またさととなり)に違(たが)ふ。然(しか)れども、上(かみ)和(やはら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事(こと)を論(あげつら)ふに諧(かな)ふときは、事理(こと)自(おの)づからに通(かよ)ふ。何事(なにごと)か成(な)らざらむ。

 ここには漢語は入っておらず、すべてヤマト言葉で読めるという(4)。

 中国人が見たら「なんということをしているのだ!」と仰天しそうなこの大発明を、日本人は「文法」なしにやってのけたのだろうか。中国人は漢文と一緒に文法をもって来なかったのだろうか。

 そう思って、中国での文法研究の歴史に関する記事をインターネットで探してみた。
 幸いにも、2000年3月28日に一橋大学で博士(社会学)の学位を授与された何群雄氏の論文がその疑問を解いてくれた。(論文はホームページに公開されているが、連絡先が書かれていないので、無断で引用させて頂く。URLはこちらである。
 http://www.hit-u.ac.jp/thesis/ss/sy0003c.html)

 論文題目:中国語文法学の形成期についての研究:『馬氏文通』に至るまでの西洋人キリスト教宣教師の著書を中心に
 著者:何群雄(He, Qun Xiong)
 博士号取得年月日:2000年3月28日

 同論文によると、従来中国では、1898年刊中国人の馬建忠著『馬氏文通』が中国語文法学の嚆矢であるとされていたが、いう従来の説を紹介し、そうした通説が生まれる歴史的政治的背景を指摘した上で、何群雄氏は、13世紀、元朝期に来朝した西欧人の旅行記などを根拠として、フランシスコ会士たちが中国文法学の萌芽を生み出したと推察する。
 そして、中国に於ける文法学がまず外国人によって始められたことの理由づけをこう論じている。

 文法学が出現する必要条件を児童の母語学習と外国人の語学習得の2点とし、中国では前者は漢字の読み書きに終始し漢字の意味と用字法、それに文章の句読をつけることであって、印欧言語のような屈折語ではなく、孤立語で表意文字の漢字で組み立てられた中国語は、grammarを生み出す土壌がなかった。そこで、中国語文法学が出現するのは、成年の外国人が中国語を学習する場合となる。

 そうだとすれば、日本人こそその栄誉を担ってしかるべきだったのに。ちょっと残念。

 「送り仮名」は万葉のころすでに萌芽があり、「返り点」も、その前段階というべき「ヲコト点」を含めれば、平安時代から使われているという。また詳しく調べてみたい。
 私が文と文法について調べてみるなどとは、実に無鉄砲だ、というとき、その「無鉄砲」という言葉が返り点に無縁ではない、というのもちょっとおもしろい。語源を集めたホームページ(5)にこうある。
無鉄砲
●無点法(むてんぽう)がなまったもの
●無点法とは漢文を返り点なく読もうとすること 95/9/27 2000.4.9 177

(中原幸子)


参考文献
(1)中田祝夫ほか編「古語大辞典」(小学館、1983年)
(2)森山卓郎著「ここからはじまる日本語文法」(ひつじ書房、2000年)

主な参照ホームページ
(3)「世界大百科事典」(有料:ネットで百科http://ds.hbi.ne.jp/netencyhome/)
(4)「江戸時代の外来思想である儒教思想の受け止め方」
(http://atlantic.gssc.nihon-u.ac.jp/~e-magazine/004/ronbun-aimi02.htm)
(5)忘備録(メモ集)
(http://www.asahi-net.or.jp/~pu4i-aok/core/memodata/memo200.htm
月刊「e船団」 言葉を探る 2002年2月号

文と文法(2)

 縁というものは存在する、とは何かにつけて思うのだが、まさかウン十年も前に切れたはずの入学試験との縁がまだつながっていたとは。
 文と文法、文と文法・・・と、あれこれ考えている最中に入試センター試験が行われ、翌日の新聞に載った、国語T・Uの第1問はこう始まっていたのだ。

 ことばが語と文法からなるというのは、ことばをある切り口で切ったときの一つの事実ではある。しかしそうして切り取ったことばには、一つ、致命的に欠ける点がある。それはことばのもつ対話性を二次的にしか考えられないという点である。ことばはそもそも他者とのかかわりの場で働くもの。ところが、<語 ― 文法>的なことば観は、しばしば独我論的で、そこに他者とのかかわりが見えてこない。
 もちろん、ことばを道具として獲得したのちには、その道具を使って他者と対話することにはなる。しかしそこにおいて、対話はことば獲得の結果であって、それ以上のものではない。言い換えれば、このことば観のなかでは、ことばが獲得されたのち、それによってはじめて他者との対話が可能になるのであって、他者との対話(もちろんことば以前の)からことばが生まれてくるという発想がない。つまりことばそのもののもつ第一次的、本質的な対話性に目を向ける視点が、そこにはすっぽり抜け落ちているのである。このことば観によっては、ことばが私たちの生活世界において働くその様をありのままにみることはできない。(以下略)。


 その出典として示されていた『「私」とは何か』(1)を買ってみると、この本には「ことばと身体の出会い」というサブタイトルがついていた。そして、センター試験の問題に使われた部分は、第一章の「ことばの世界と身体」の途中にあり、そこでは、「身体で生きている時空世界と別に、もう一つの時空世界を立ち上げる」ためにことばがどう働くか、ことばの宇宙がどのように立ち上がるかが論じられている。

 例えば、
 あっ、雪!
 という短いことばが、真夏にも私たちの身体を雪の世界に立たせ、
 四十代 この先生きて何がある風に群れ咲くコスモスの花 (道浦母都子)
 という短歌が、作者の「全共闘歌人」と呼ばれてきた背景などは抜きに、人を<ここのいま>にない一つの世界に誘う、つまりことばの宇宙を立ち上げる、と。

 私は、ことばをもったものとして生まれたことに改めて感動し、感謝した。そして、文法にも感謝の気持ちが湧いた。だって、文法がちゃんとしていなかったら、私たちはことばの宇宙を大勢の人と時空を越えて共有することができないではないですか。

 ともあれ、文とは「語と文法からなり、意味が完結しているヒトカタマリのことば」という定義も成り立つだろうか。

 ところで、文と文法を考え始めてしばらくしたころ、私は「文が先か文法が先か」という疑問をもった。わからない。困って、文法学者の森山卓郎氏にすがったところ、「文が先、文法が先、というのはむずかしい。規範文法というのと記述文法というのがあり、前者は『これがいい表現なのだ』ということを決めるのですが、後者は、自然にあるありのままのコトバを取りあげて、その中のルールを見いだしていこうとするものです。教育的なものは別にしまして、基本的に、『文法論』という分野は、後者です。その意味で、あくまで、自然に存在している『文』が先ですが、でも、その中には、やはりそれなりのルールがもとからあるわけですから、その意味では、文法が先と言えなくもない・・・」とのこと。
 文と同様、文法もまたおそろしい言葉のようである。
私が「もしかして文法が先なのだろうか」と思ったのは、地球上にこんなにさまざまな言語ができてしまったのは、遺伝子に、たとえば人種毎に違う文法が書かれているからではないだろうか、と考えたからだった。自然に存在する「文」がそれなりのルールに従っているとしたら、そんな可能性もあるのだろうか。

 広辞苑によれば、
 文法 ぶん・ぽう(・・パフ)
 〔言〕(grammar)
 (1)一つの言語を構成する語・句・文などの形態・機能・解釈やそれらに加えられる操作についての規則。
 (2)言語研究における統語論・形態論・意味論・音韻論の総称。ことばの規則体系全般の研究。
 (3)特に生成文法理論で、話し手が脳の中に持っている、当該言語のすべての文法的な文を生成する規則や原理の体系、およびそれを一定の記号で記述したもの。→生成文法。
 (4)正しいことば遣いの規則。規範文法。
 (5)さまざまな事象に内在するきまり・約束ごと。「歴史の―」「恋の―」


 と、ある。辞書というのは不思議だ。引けば、わかっていたはずのことが分からなくなる。一層分からなくなる、ことも多い。

 ついでに逆引き広辞苑で「―文法」を引いてみれば、
 英文法、漢文法、記述文法、規範文法、口語文法、国文法、生成文法、説明文法、脳内文法、比較文法、普遍文法、文語文法。ちょっと文法の本をあければ、他にも格文法、伝統文法、変形文法・・・。
 文法ってずいぶん研究されているものだ、と感心し(あきれて?)また、世界大百科事典(3)を見てみた。とても面白いので、ちょっと長いですが・・・。

[文法研究の歴史と動向]

 文法研究の歴史は古く,インドではすでに前 5 〜前 4 世紀ごろ, パーニニがサンスクリットの精緻な文法書を残している。ギリシアでは,gramma (〈文字〉) の学すなわち読み書きの学というほどのものが早くから行われていたが (これが現代英語 grammar などの語源),やがてプラトンやアリストテレスらによる文法的な考察の萌芽――今日いう文法・論理学・哲学が十分に分化せぬままではあったが――を経て,前 100 年ごろ,トラキアのディオニュシオスが 8品詞を立てての整然としたギリシア語文法書を著すにいたった。前 1 世紀のローマ人ウァロや,6 世紀の東ローマ帝国のプリスキアヌスらは,ギリシア語文法にならって,シンタクスも加えたラテン語文法に関する体系的な大著を残し,特に後者はラテン語の〈規範文法〉をほぼ確立したとされる。近代に及ぶまでヨーロッパでは,ラテン語が学術語・宗教語・共通語としての地位を占めてきたため, 文法といえばラテン語の文法を意味し,その学問・教育は,(読み書きのための〈手段としての文法〉という趣旨が強かったが) 連綿と行われてきた (〈ラテン語教育〉の項も参照)。さらに,そうした伝統的なラテン語文法にならって,やがて当代のヨーロッパ諸言語の文法の研究も徐々に行われるようになり,これらを〈伝統文法〉と呼んでいる。たとえば英語では,19 世紀末にH.スウィートが,また 20 世紀前半にO.イェスペルセンが,いずれも〈伝統文法〉の集大成ともいうべき業績を残している。一方,18 世紀末にヨーロッパ諸言語とサンスクリットなどの類似が指摘されると, 19 世紀には,それら諸言語――一般的な言い方をすれば,歴史的に共通の祖にさかのぼると考えられる諸言語――を相互に比較してその歴史的な関係を究明しようとする〈比較文法〉が興った (〈比較文法〉という語は前掲の〈対照文法〉とは異なり,このように限定的な意味で用いる)。この分野はその後科学的な精緻な方法論を加え,今日も盛んであるが,狭義の文法よりもむしろ音韻についての比較に力を注ぐ面も大きく, 〈比較言語学〉と呼ぶことも多い。 1 言語を対象とする普通の意味での文法とは趣の異なるものである。さて,20 世紀に入って〈構造言語学〉が興ると,これに基づいて文法研究も趣向を変えた。すなわち〈伝統文法〉が概して前述の〈規範文法〉としての色彩を有したのに対し,当該の言語で行われている文法の現状をありのままに記述する方針をとるようになり (これを〈記述文法〉という),研究対象もヨーロッパ以外の諸々の言語 (アメリカ・インディアン諸言語など) に広げて, 〈科学としての文法〉の面を強めた。方法的にも厳密さを高めたが,シンタクスの面では〈伝統文法〉よりかえって後退したうらみもあり,いわばそうした行詰りを打開すべく生まれたのが前述の〈生成文法〉の理論だといえる。この理論こそ,文法研究を真に科学と呼べる水準に高めたものと評してよい。これに基づく研究が今日活発に行われていることは上述の通りだが,最近では,これと同様の目標をもちつつも,チョムスキーとは異なる方法による――たとえば,チョムスキーの理論が〈変形〉という規則を用いる (〈変形文法〉とも呼ばれる) のに対し,その〈変形〉を用いないような――体系もいくつか提唱され,それぞれ関心を集めつつある。なお,近年では,ある言語の文を他の言語の文に〈自動翻訳〉する機械を作るという実用的な目的に基づく,主として工学者による文法研究――まったく新しい意味での〈手段としての文法〉といえよう――も各国で盛んに行われている。

 日本では,中世に歌学者らが作歌のための手段として助詞・助動詞などの用法の研究を行ったのが, 文法研究の始まりとされる。近世の国学者らはこれにいっそう科学的な姿勢を加えて,いわゆる係り結びや活用の研究,初歩的な品詞分類にも及んだ。 本居宣長(もとおりのりなが),富士谷成章(ふじたになりあきら), 本居春庭(はるにわ),鈴木茎(あきら) らにすぐれた業績がある。幕末から明治にかけてオランダ語や英語の文法書に接すると,一時期,これにならった日本語の文法書も次々に現れたが,その後は,いわば旧来の国学者らの文法研究と,欧米における文法や心理学・論理学等の諸研究との双方から,成果を適切に摂取しつつ,日本語の文法研究が進められてきたといってよい。 大槻文彦(おおつきふみひこ),山田孝雄(やまだよしお), 松下大三郎,橋本進吉,時枝誠記(ときえだもとき), 三上章 (みかみあきら)(1903‐71) らがそれぞれ特色ある体系的な研究を残している。現代では,これら先学の研究の継承発展を目ざす努力が続けられる一方,前述の〈生成文法〉に基づく日本語文法の研究も活発になってきている。なお最近は,外国人による日本語の文法研究や,日本人による外国語の文法研究もともに盛んになり,それぞれ,本国人によるすぐれた研究に十分比肩するものも少なくない。 ⇒生成文法


 あ、法という字は調べないの?と思っておられますか。調べました。『字統』(2)を。

 
 8画。
 ホウ(ハフ)。
 のり・のっとる・てだて。
 会意。正字はに作り、(たい)と去と水とに従う。は神判に用いる神羊で、(かいたい)と呼ばれるもの。
(中略)〔説文〕(10上)は字条に「刑なり。これを平らかにすること水の如し。は不直なるものに触れてこれを去らしむる所以(ゆえん)なり」(以下略)とある。神判に敗れた人とその破棄された盟誓とを、敗訴者の提供した神羊とともに廃棄する意、という。恐ろしい文字だ。

(中原幸子)


参考文献
(1)浜田寿美男著『「私」とは何か』(講談社選書メチエ、2001年)
(2)白川静著「字統」(平凡社、1984年)

主な参照ホームページ
(3)「世界大百科事典」(有料:ネットで百科http://ds.hbi.ne.jp/netencyhome/)

月刊「e船団」 言葉を探る 2002年1月号

文と文法(1)

 あけましておめでとうございます。

 12月号を最後までお読み下さって、「次回は文と文法について考えてみたい」というところを読まれた方は、きっと大笑いをなさったことでしょう。私も、調べ始めて3分もしないうちに泣き笑いをしてしまいました。なんと、「文とは何かについては、文法学者の数だけ定義があると言われるほどで・・・」と、『世界大百科事典』(8)に書かれているではないですか。

 でも、まあ、約束は約束です。文と文法について考えてみます。「あけましておめでとうございます」というのは、とてもいい材料のようですから。

 私は漢字が大好きなので、こういうときは先ず文という字について知りたくなる。とにかく『字統』(1)をめくろう。
 
 4画。
 ブン・モン。
 分身・あや・もよう・かざる・ふみ。
象形。分身の形。卜文・金文の字形は、人の正面形の胸部に分身の文様を加えた形。聖化のために、朱などで加える分身をいう。
 〔説文〕九上(中原注:「説文解字」九巻の上)に「錯(まじ)はれる画(くわく)(中原注:画の字は本当は旧字)なり。交文に象(かたど)る」とし、その全体を交錯する線と解するが、字の全体は人の正面形であり、大にくらべて胸郭の部分をひろくしている。卜文・金文の字形は、そこに×形や心字形の文様を加える(後略)。


 『字統』にはこの後、文とはいわば死者の聖記号であって、死葬のとき胸に朱で絵身(かいしん)を加えて屍体を聖化したこと、産の字は出生のときひたい(厂)に×形の文飾を加えて禁呪とするものであること、顔の字は、成人のとき、その文飾を面に加えて廟にお参りする姿であることなどを挙げて、「文身は加入式の儀礼のとき、その聖化の方法として加えられるもので、文字が成立したころ、殷(いん)にもその習俗があり、貴顕のものより一般の人に及ぶまで、一様に行われていたものと考えられる」としている。ちなみに『広辞苑』では、文身は「身体にほりものをすること。また、そのもの。いれずみ」としている。絵身というのは、確認していないが、彫らずに彩っただけの場合ではなかろうか。

 ふと思い出して「魏志倭人伝」(4)を見てみると、あの2000字ほどの中に「文」という文字が7回も出てきて、そのうち4回が「文身」である。「男子は大小と無く、黥面(げいめん:顔にいれずみをすること)文身す」とあり、その理由として蛟竜(こうりょう:竜になる前のみずちという想像上の動物)や大魚などによる危害を払う目的から、後には飾りとしても行われたと書かれている。つまり3世紀ごろ、日本でも盛んに刺青がほどこされていたのである。このほかの「文」の字の使われ方は「文書」「文錦」「異文雑錦」。「文書」の文はおそらく「文とは何か」というその「文」であり、あとの2つは模様の意味と考えられる。錦は絹織物だから。

 ところで、ここに「文」は「字」ではない、という話がある。「文字」というとき、「文」と「字」は別の概念をもっているというのである。「文」は象形文字、つまり日とか月とか、ものの形からきた単体のもので、それ以上分解できない文字であり、「字」の方はいくつかの「文」を組み合わせてできた複体の文字である、と(『漢字道楽』(5))。そこに挙げられている例でいうと、「文」には口・山・女・弓・心・水・火・目・石・自・馬・音・鳥などがあり、「字」には吸・岬・汝・張・忍・沼・烽・眠・砂・鼻・馳・韻・鴻などがある。
 字が作られる方法、造字法は紀元100年の頃、許慎(きょしん)という人によって、象形、指事、会意、形成、仮借(かしゃ)、転注の6種類に分類されたのだが、ここでは字という文字がウ冠(家廟)と子(象形文字)からなる会意文字であり、字乳(やしなう、ふえる)の意味から複体の文字を表すことを述べるにとどめたい。

 こうみてくると、「文」は文字は意味しても、ここで私が知りたい「文」にはならない。今私達は文字の意味で「文」を使うことはまず無いのに、である。文字を意味する文がいつどうして文を意味するようになったのだろうか。

 インターネットを這いまわって、面白いページに出会った(6)。ご紹介すると、
 
【字源】衣服をよく着こなしたさまで、折り目正しく着飾る意。ひいて、鮮やかな飾りの意。転じて、
紋章・多様な字の羅列の意
【意味】言葉巧みに物事を表現する才力を持つもの。見映えよく可憐に彩るさま。気品溢れる気風を漂わすさま。礼儀正しく敬意を払うさま。才覚よく利口なもの。表現豊かで立派なさま。折り目正しく着飾り、見目好いさま。
【人名】あや・いと・とも・のぶ・のり・ひさ・ひさし・ふみ・ふむ・やす・やすし・ゆき・よし。

 他にも(7)「人が大きく胸を開いて立っている姿」、「胸のところで襟が交わっている。襟元が美しい、ひいて綾、模様の意となり。線が交差して作る文字、から文章の意味に用いられた」、「衣服をよく着こなしたさまで、折り目正しく着飾る意。ひいて、鮮やかな飾りの意。転じて、紋章・多様な字の羅列の意」などと説明されている。

 そういうことか。いろいろな文字が並んで模様のように見える状態が、文の始まりだったのか。これは納得のいく説明である。

 勿論文字が並んでいるだけで文にはならない。『広辞苑』では、
 「〔言〕(sentence)形の上で完結した、一つの陳述によって統べられている言語表現の一単位。通常、一組の主語と述語とを含むが、主語を欠くことも多い。構造上、単文・重文・複文の3種に分け、また、機能上、平叙文・疑問文・命令文・感嘆文の4種に分ける。さらにボイス(態)により能動文と受動文、肯定・否定の対極により肯定文と否定文に分ける」とする。
 今回あちこちで出会った「文」の条件に「主語と述語がある。完結している」というのがあった。
 『世界大百科事典』(8)でも、
 文 ぶん
 日常生活では〈文〉と〈文章〉とをあいまいに使うことが多いが,言語学などでは,英語のsentenceにあたるもの (つまり, 文字で書くとすれば句点やピリオド・疑問符・感嘆符で締めくくられるおのおの) を文と呼び, 文が (あるいは後述の〈発話〉が) 連結して内容のあるまとまりをなしたものを文章 (テキスト) と呼んで区別する。 文とは何かについては,文法学者の数だけ定義があるといわれるほどで,とりわけ日本の国語学では,ただ定義を論じるのみならず, 文の文たるゆえんを問おうとするようないささか哲学的な論議も従来から盛んに行われてきた。(中略)
 このほか,文の特徴として〈典型的には主語・述語を含む〉という点もあげられようが,ただし,これは文が成立するための要件では決してない。日本語では主語を明示しない文は珍しくないし,英語などヨーロッパ諸言語の文も常に主語・述語を備えているとは限らない。たとえば〈痛い!〉〈Why ?〉のように一語で文をなす場合もあるわけで,これを一語文という(後略)。


というように書かれている。

 さて、「あけましておめでとうございます」は文でしょうか。主語はないけれど、たしかにヒトカタマリの意味は伝わってきます。きっと文法学者の数だけたくさんの説明が可能なのでしょう。
 ちなみに、「おめでとう」は「愛でたい」であって、「目出度い」でも「芽出度い」でもないとのこと。「芽出度い」はともかく目が出たいひとはいないでしょう。

 文法はまた次に。
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

(中原幸子)


参考文献
(1)白川静著「字統」(平凡社、1984年)
(2)ディヴィド・クリスタル「言語学百科事典」(大修館書店、1992年)
(3)文部省「学術用語集」(言語学編)(初版、1997年)
(4)山尾幸久「魏志倭人伝」(講談社現代新書、1972年)
(5)「漢字道楽」(講談社選書メチエ、2001年)

主な参照ホームページ
(6)http://www.mmjp.or.jp/SEKIMO/ks1/4-2-6.htm
(7)http://www.ens.ne.jp/~a-in/kigen5.html
(8)「世界大百科事典」(有料:ネットで百科http://ds.hbi.ne.jp/netencyhome/)
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