月刊:ことばを探る 最近のバックナンバー

月刊「e船団」 言葉を探る 2004年1月号

ことばの力(3)
「や」

 明けましておめでとうございます。
 今日の新季語拾遺「松の内」によりますと、「明けましておめでとう」は「単に新年になったということではなく、歳徳神(としとくじん)を迎えてお年玉をもらうことを祝う挨拶だった」とか。みなさんの中にはきっと、歳徳神の役をなさる側でいらっしゃる方も多いのでしょうね。
 ことしもどうぞよろしくお願い申し上げます。

 では、「や」の力です。「や」がなかったらお互いこまりますよね。どんなに困るかというと、『日本国語大辞典』(1)の大体5ページ分ほど困るのです。

 その5ページには20項目の「や」が並んでいる。冒頭の「や」はこう始まる。
 【や・ヤ】五十音図の第八行第一段(ヤ行ア段)に置かれ、五十音順で第三十六位のかな。いろは順では第二十九位で、「く」のあと「ま」の前に位置する。
 そして、歴史的仮名遣いで「やうな」「たいやう」「きやう」が現代仮名遣いでは「ような」「たいよう」「きょう」となっていくあたりのことから、ローマ字で「ya」と書くことまで、縷々3分の1ページの説明がある。もちろん平仮名の「や」や片仮名の「ヤ」についても書かれているし万葉仮名のリストも出ている。

 そのあとに19項目の「や」が続くのだが、中でも,私が特に「へー、そうなの」と思ったのは3番目の「や【八】」で、「八」というのは「よ(四)の母音交替形としてその倍数を表したもの」と書かれているところ。そう言えば数を勘定するのに「ひい、ふう、みい、よ、いつ、む、なな、や、ここの、とお」というのがあるが、これってそうなっているではないか。「hu」は「hi」の倍、「mu」は「mi」の倍・・・。ふーん、そうだったのか、と感心してしまった。みなさん、この5ページ、これはお正月の絶好の読み物ですよ。

 ちなみに、「や」の内訳は、文字や字音の説明の他、下記のようになる。
 名詞:八、矢・箭、谷、屋・家・舎、野、様、輻、の7個の他、方言にみられる「や」が2個
 形容動詞:否・嫌(「あら、ヤだ」のヤ。18世紀にもうあったらしい。びっくり。)
 副詞:弥
 感動詞:や
 間投助詞:や
 接尾語:「や」が2個
 助動詞の活用または変形した形:3個

 「や」の守備範囲は私の予想をはるかに越えている。どれも面白そうだが、ここでは俳人(!)らしく切字の「や」を追ってみたい。それは、上記の間投助詞の「や」のなかにチラリと出てくる。

 (一)《間投助》(1)種々の語を受けて詠嘆を表わし、また語調を整えるのに用いられる。

 この「や」には更に(イ)から(リ)までの9項目があるが、その8番目の(チ)である。
 (チ)和歌などの初句にあって体言を受け、場面を提示し詠嘆をこめる。後に俳句の切字となる。*新古今(1205)冬・六三九「志賀の浦遠ざかり行く浪まより氷りて出づる有明の月〈藤原家隆〉」*謡曲・高砂(1430頃)「高砂この浦舟に帆を上げて」*俳諧・春の日(1686)「古池蛙飛こむ水のをと〈芭蕉〉」*俳諧・梅塵抄録一茶連句(1804)10月27日「今打ちし畠のさま散紅葉」〈一茶〉霜の酉日をたのむ帋漉(かみすき)〈成美〉」

 ここでは「後に俳句の切字となる」とだけ書かれていて、いつのことかがハッキリしない。同辞典にももちろん「切字」の項はあるが、やっぱり餅は餅屋、『俳句用語の基礎知識』(2)がとてもよくわかる。

切字
 〔定義〕連歌や俳諧(連句)の発句で、句の中途に用いて句を二部分以上に区切り、一句にひろがりと情趣を与え、あるいは多く句の終わりに用いて一句に独立性を与えることばである。近代俳句においても基本的用法は同じだが、俳句は五・七・五だけで自立完成するものなので、切字の役割は連歌・俳諧よりもさらに大きいともいえよう。切字は、季語とともに、最短詩型である俳句に、暗示性と調べを与える不可欠の仕組になっている。
 「や」「かな」けり」がその代表的なもので、詠嘆の意をもつことが多い。


 続いて、〔歴史〕の項には、連歌における切字の考えの発祥は、すでに寿永2年(1183)の奥書のある『俊秘抄』においてうかがうことができ、この考えが『八雲御抄』の《発句は必ずいひきるべし》という有名なことばに至ったこと、二条良基らの主導する連歌確立の時代には切字の説が生まれ、専順(1411〜1476)は18の切字説を唱え、伝・宗祇(1421〜1502)の『白髪集』がこれを完備させたこと、その18の切字とは、「哉、けり、もがな、し、ぞ、か、よ、せ、や、れ、つ、ぬ、へ、す、いかに、じ、け、らん」、であることなどが述べられている。

 その後切字の数はどんどん増える。『俳句講座・9研究』(3)によれば、
『至宝抄』― (紹巴)― 22字
『無言抄』― (応其)― 33字
『埋 木』― (季吟)― 28字(他、下知9)
『手松明』― (貞木)― 32字
『をだまき綱目』― (竹亭)― 48字(他、下知9)
『新式大成』― (鷺水)― 38字(他、下知8)
『真木柱』― (挙堂)― 56字(他、下知9)
『暁山集』― (芳山)― 18字(下知入ル)

 というような具合で、『無言抄』までは連歌期のもの、『埋木』からは俳諧期のものである。「下知」は「下知切れ(げじぎれ)」で、広辞苑には「発句で、切字(きれじ)が下知の詞(命令形)であること。『昔聞け秩父殿さへ角力取』の類」とある。
 『俳句講座・9研究』によれば、『白髪集』の18の切字にはそれぞれ適切な例句もあげられている。ただし、「や」の例句は「露や色花の木ぬれの朝朗」で、この「や」は切字の例句としてはおかしい、という。どう考えても、この句は「露や」より「露や色」で切れていると思われるから。 それにしても「や」はいろいろに働きすぎて混乱する。それは何も私に限ったことではなく、昔の人にもややこしかったようだ。『真木柱』は元禄10年(1697)刊の俳諧作法書だが、そこには「やの七体」というのが示されている。

 ・口あひのや ― 梅や咲氷もとけてはしる也
 ・切や ― なでしこや絵にかく人を恨らん
 ・捨や ― 木がらしに麦の二葉のめづらしや
 ・中のや ― 降かゝる雪やあられに休らひて
 ・はのや ― 住吉や貝ひろふ日はのどかにて
 ・すみのや ― しのぶやと杉の板戸を口かけて
 ・こしのや ― うつくしき心や常の花ならん
 ・呼出や ― みよし野や かつらきや 小初瀬や

 今更ながら、昔の人の命名力には感心する。
 ともかく、この7つの「や」の中で、本当に切字の働きをするのは、「切や」、「捨や」と、これは弱いが、「はのや」の3つだけである、と『俳句講座・9研究』でこの項を担当している佐野信は述べている。

 今私たちが出会う俳句にも、夥しい「や」が出てくる。句会などでもそこで切れているのかいないのかよくわからず、読みでもめる(?)ことがある。もしかしてそれも「や」の力といえるのだろうか。今、「や」は何体ぐらいあるのだろう。増えたのか減ったのか、調べてみたら面白いかも。

 なんだか、新年早々「や」に力負けしてしまった感じです。
 では、また来月。
                     中原幸子
参考文献
(1) 日本国語大辞典第2版編集委員会編『日本国語大辞典』(小学館、2000年)
(2) 村山古郷・山下一海編『俳句用語の基礎知識』(角川選書、1984年)
(3)『俳句講座・9研究』(明治書院、1970年)


月刊「e船団」 言葉を探る 2004年2月号

ことばの力(4)
「切る」

 さて、「かな」や「けり」はどうなんでしょうか、というつもりだったのですが、その前にちょっと。
 この間から子規全集の『俳論俳話(一)』を読んでいるのですが、「切れ」のことが書かれているのに出合いました。明治29年8月16日の「大阪毎日新聞」に掲載された「質問に答ふ」という記事です(以下、記号や漢字はインターネットで使える字を使用)。

 余の選句に就き或る人質問して曰く

 水車二十日の月の落ちかゝる

 本句を再参読考するに毫も切字なるものを認めず。或は不動切れ、三字切れの積りならんか。去るにても切字となる点あるなし。凡そ何風何流を問はず、発句として切字を重んずるは是れ定則なり、云々。

 答へて曰く、此句「かゝる」の語にて切るゝなり。そもそも切字といふ者は無学俳人の思へるが如く俳句に限りて存する者にあらず。歌にも切字あり、文章にも切字あり。言はゞ切字無かるべからずとは文章を成さゞるべからずといふと同じことなり。即ち切字なくては文章にならぬなり。例へば「人が犬を打つ」と言へば打つの語にて切れたるなり。「花うつくし」と言へばうつくしの語にて切れたるなり。「こゝに家あり」と言へばありの語にて切れたるなり。「明日は帰らねばならぬ」と言へばならぬの語にて切れたるなり。人間苟も口にし筆にする所の言語(げんぎょ)文章にして切字なければ其言語文章は意味を為さゞる者ならんのみ。(切字の外面に現れずして内に潜伏する者あり。ある俳書に大まはし切など言へるが如し)然るに俳句に限りて用ゐられたる切字なる者(及びかな)ありて、しかも俳句には此特種の切字を用ゐること多きがために、古来切字の説起り、今日に至る迄俗宗匠が無学者を衒するの一材料と為り来れるなり。されば切字は無かるべからずといへども、意味ある句には必ず切字あるを知らば、即ち意味あらば切字の穿鑿に及ばざるを知るべし。何切も彼切もあつたものにあらず。若し夫れ切字を用ゐるがために可なると、用ゐざるがために可なると等の区別は修辞上の論にして切字の論に非ず。
 因に云ふ。此句二十日の月とあるは余の見誤りなるべし。十日の月と改むべし。


 よくわかる。芭蕉の「切字に用ふる時は、四十八字皆切字なり。用ひざる時は一字も切字なし」というの、あれってここで子規が言っていることですよね。「切字があるから切れてる」、とか「切字がないから切れてない」とかいう問題ではないのだ、そんなことを言うのは「切れ」ということをよく分かっていないからなんだよ、キミは。と、言っている・・・のですよね。

 でも、「切る」ことについて、この子規の文ほどよく分かる説明に出会ったことが、私は、ない。なぜか、と考えてみると、それは「切れのはたらき」、つまり「切れがなければあらゆる文章は意味をなさない」ことを具体例によって示してくれているからだと思う。

 ためしに俳句用語の辞書で「切れ」を引いてみた。ちなみに『広辞苑』には「切字」はあるが、ここでいう意味の「切れ」はのっていない。項目はあるのだが。「切る」の項にも、「言葉を切る」という意味もあると出ているが、これは「しゃべるのをやめる」ことのようだ。

『俳文学大辞典』(1)
切れ(きれ) 俳句用語。一句の中で強く言い切られるところ。俳句は短いために、ただ言い続けたのでは、文の断片としか感じられない場合がある。一句の自立する効果を上げるためには句の途中、あるいは句末を強く言い切ることによって、そこに詠嘆の気持ちを込めることが有効である(後略)。
切字(きれじ) 連俳・俳句用語。発句が独立性を有するために、句末や句中に用いて切れる働きをする助詞・助動詞などをいう(後略)。


『俳句用語の基礎知識』(2)(「切れ」は載っていない)
切字(きれじ)〔定義〕連歌や俳諧(連句)の発句で、句の中途に用いて句を二部分以上に区切り、一句にひろがりと情趣を与え、あるいは多く句の終わりに用いて一句に独立性を与えることばである。近代俳句においても基本的用法は同じだが、俳句は五・七・五だけで自立完成するものなので、切字の役割は連歌・俳諧よりさらに大きいともいえよう。切字は季語とともに、最短詩型である俳句に、暗示性と調べを与える不可欠の仕組みになっている。

『俳句実作の基礎用語』(3)
切字・切れ
 「や」「かな」「けり」に代表される「切字」は、俳句の句中または句末で強く言い切るために用いる言葉である。
 藤田湘子は実作者向けに、(1)詠嘆、(2)省略、(3)格調を切字の三要素として挙げているが、これが俳句における最大公約数的な切字観といってよいだろう。(略)
 「切れ」とは句中または句末で強く言い切られた箇所をいう。(略)ただし、切れは切字のある場所に限られるわけではない。


 これらの辞典は、「切る」ということは別に解説がいるようなことではないが、俳句では「強く言い切る」ことに特別な意義があるので、そこを解らせてあげよう、というスタンスだと思う。でも子規はまず、「切る」とは何か、を解説することが「無学俳人」(と子規に呼ばれても、私としては一言もない)には大事だとわかってくれているのだ。

 もう一つ、当たり前なことに気付いた。同じく切字といっても、「や」と「かな・けり」では切れ方が違うなあ、と。「や」はたしかに切れるけれども、そこでおしまいというわけではない。一方「かな」や「けり」は「これでおしまい!」ときっぱりしているのだ。そして、「一旦切ったで!」(大阪弁です)という切り方ができて、詠嘆、省略、格調に大いに役立つことが「や」をより大切な存在にしているのだろう。

 あれ? 大切って「切」という字が入ってますね。そうだ、「親切」とかも。他には・・・?

 せつ:
 哀切、一切(いっせつ)、外切(がいせつ)、凱切、急切、緊切、激切、御大切(おたいせつ、ごたいせつ)、懇切、至切、自切、親切、深切、正切(=正接)、凄切、切切、大切、適切、内切(=内接)
 きれ:
 売り切れ、紙切れ、切れ、首切れ、尻切(しきれ)、尻切れ、布切れ、半切れ、一切れ、棒切れ、襤褸切れ、物切れ

 なんだか「せつ」と読むときはいい意味が多いが、「きれ」と読むと切れっ端になるような。「せつ」と「きれ」はどう違うのだろう。ちょっとまた『広辞苑』で。

 【切】(せつ)(呉音はサイ)
 (1)きること。きれること。「切断・切除」
 (2)さしせまること。「切迫・切実」
 (3)しきり。ひたすら。ねんごろ。「―に望む」「祈ること―なり」「切論・切切・親切・大切」
 (4)よく合うこと。「適切」
 (5)すべて。「一切(いっさい)合切(がっさい)」
 (6)→反切(はんせつ)に同じ。

 【切れ】(きれ)
 (1)切れること。きれあじ。「―のいいわざ」
 (2)切って出来た小さい部分。物の一部分。きれはし。「紙―」
 (3)(「布」「裂」とも書く)織物のきれはし。また広く、織物。布地。「ぼろ―」
 (4)数多くの中の、とるにたりないひとり。はしくれ。狂、餅酒「奏者の―です」
 (5)書画などの古人の筆跡の小片。古筆切。「高野―(こうやぎれ)」
 (6)石材・コンクリートの体積の単位。1切は1立方尺(0.0278立方メートル)。
 (7)切ったものを数えるのにいう語。「切り身二―」
 (8)小判についたきず。
 (9)小判・1分金を数えるのに用いる語。


「切(せつ)」は「切」という漢字の音読みである「きる・せまる・するどい」のすべてを守備範囲としているが、「切る」はその中の「きる」だけを守備範囲としているように見えますね。

「切る」も力持ちのようです。来月は是非「かな」や「けり」を。

 では、また来月。

中原幸子


月刊「e船団」 言葉を探る 2004年3月号

ことばの力(5)
「かな」

 さっきウチの下の本屋さん(住んでいるビルの2階にあるのです)をのぞいてみましたら、「俳句」3月号の特集が「切字と切れ」ですね。総論「現代俳句における切れの認識」(片山由美子)はちょうど私が知りたかったことですが、いきなり「切れについての認識は時代とともに変化がみられる」というところでつまずいてしまいました。その変化の歴史について、殆ど知らないのです。でも、切字の認識の歴史って、おもしろそう。

 さて、「かな」と「けり」と、どちらを先にしようかな、とちょっと迷った。それにしても、「や・かな・けり」って何の順なのだろう。「や・けり・かな」とか「けり・や・かな」とかの順に並んでいるのを見たことがない、ですよね?

 まあ、すなおに「かな」からにしよう。毎回、芸のないことで恥ずかしいが、また『日本国語大辞典』(1)によれば、

 か‐な〔終助〕(一)(哉)(係助詞「か」の文末用法に、詠嘆の終助詞「な」が付いてできたもの)文末にあって感動を表わす。中古以後の用法。上代には「かも」を用いた。*常陸風土記(717‐724頃)茨城「能く渟(たま)れる水哉〈俗(くにひと)与久多麻礼流彌津(よくたまれるみづ)可奈(カナ)といふ〉」(中略)*俳諧・誹諧古選(1763)付録「春の海終日(ひねもす)のたりのたり哉〈蕪村〉

とあり、その「語誌」のところに、
(1)上代の「かも」の役割を引き継ぎ、中古、中世にかけて和歌や散文で広く用いられた。(2)上代文献の「常陸風土記」にも唯一ながら用例が見られるので、奈良時代に全くなかったとは言えないが、「俗云」の注記から、口頭語としてだけ存在したかと推定される。ただし、風土記の例を後世の補入とする説もある。(3)和歌では、文中の助詞「も」を承けて一種の呼応をなし、「・・・も・・・かな」のように用いられる例が目立つ。中世以降は連歌、誹諧等の世界において切れ字として用いられた。

 とある。これについては、『時代別国語大辞典』・上代編(2)にも、「考察」としてこうある。
 【考】常陸風土記現存本文の信頼性、ことにこの部分の仮名の用法(訓仮名の「津」が音仮名の間に混用される)などからみて、この一例だけで上代にカナの存在したことを積極的に立証できるか、疑わしい。→かも(助)

 こうして辞典を読んでいると、なんとまあ、ことばは綿密に探られてきていることか、と、ほとほと感じ入る。この欄に「ことばを探る」などという思い上がったタイトルをつけたことが悔やまれる。

 それにしても、なぜ『日本国語大辞典』に「*俳諧・誹諧古選(1763)附録「春の海終日(ひねもす)のたりのたり哉〈蕪村〉」と蕪村のこの句が引かれているのだろう。「かな」はこの句以前にもそれこそ山のようにあるのに。ほかの「かな」とどこが違うのだろう。

 1月の「や」でご紹介した『俳句講座・9研究』(3)の「切字」の章で佐野信は「切字の内容の分化複雑化は、『哉』『や』を最も甚だしいものとする」と書き、「かな」について以下のように記す。

 「かな」には「沈む哉」「浮き(たる)哉」などが本義のほかにあって、例句は(1)「春の水ところどころにみゆるかな」、(2)「名月に旅立つ人は須磨へかな」。(1)は連体形から続いて弱くなるから「浮き哉」、(2)は助詞から続いてその間に省略をおくから「沈む哉」という。「哉」には又別に多くは「五つの哉」を説き、「落着の願哉」「願」「うきたる哉」「しずむ哉」「現在の哉」(『暁山集』所載)などとも説く。
 『暁山集』は『俳文学大辞典』(4)によれば元禄13年(1700)であるが、『山本健吉俳句読本・第1巻・俳句とは何か』(5)には「『かな』についての月並的考察」には明治のころの「十の哉」が載っている。

 「俳句は月並に限りますね」と何時か久保田万太郎氏が言われたことがある。もちろん半分は冗談めかしてであるが、半分は真顔である。こんな注釈をつけて置かないと、イロニーを解さない不風流人から久保田氏は攻撃の的にされかねないから、あえてそのことは付加えて置く次第だ。

と、いうふうに始まるこの文中で、「(切字「かな」は)秋桜子氏や誓子氏以来新しい俳人たちから極端に毛嫌いされた」というように切字の認識の変化の一例も教わった。

 その「かなの十体」というのは、雪中庵雀志宗匠閲、五乳人釣雪編『俳諧提要』という本に載っているのだそうだ。ちなみに雪中庵雀志宗匠というのは、雪中庵九世の斎藤雀志(1851〜1908)という俳人で、山本健吉は「正岡子規に退治された月並宗匠」だと述べている。正岡子規とほぼ同時代の人で、銀行員だったという。

  傘におし分け見たるやなぎ哉  治定の哉
  野ざらしを心に風のしむ身哉  貯心の哉
  白露をこぼさぬ萩のうねり哉  褒美の哉
  色々のこと思ひ出すさくら哉  嘆息の哉
  黄菊白菊其他の名はなくも哉  願の哉
  梅が香にのつと日の出る山路哉  当意の哉
  春立てまだ九日の野やまかな  時節の哉
  杜若かたるも旅のひとつかな  吹流の哉
  蓮の骨あはれは美女の尸かな  返哉
  木がらしの身は竹斎に似たる哉  てには哉
 しかし、これは山本健吉が「・・・これもやはり珍妙なものだから、ここに紹介しておこう」と前置きして引用しているほどで、学問的に納得のいく説ではないようだ。中でも「黄菊白菊・・・」の「かな」は実は「・・・なくもがな」の由、「一緒にするのは無茶というものだ」と山本健吉はあきれている。しかし、「『かな』についての月並的考察」では、これを、いわゆる叩き台として、疑義をただしつつ、いちいち解りやすく解説してくれているので、とても有り難い。何しろ、 私には、ちんぷんかんぷんなのだ。治定? 貯心? え、褒美?・・・という具合で。「治定」はまだ「(国を)おさめさだめること。おさまりさだまること。ちてい。ちじょう」と広辞苑にあるが、「貯心」は広辞苑にもないし。でも、山本健吉は、こんなにややこしく分類する必要はない、とし、「治定と言い、褒美と言い、嘆息と言い、そう思って読めばそうには違いないが、このような区別を設けなければならぬ必然性は考えられない。結局「かな」は治定であり大断定であるとともに、感動であり詠嘆であるのだ。それだけ「かな」はヴォリュームのかかった切字であり、一句の感動の重さを十分支えるだけの坐りを持たねばならないことになる」と述べて、そうした例として「かたまつて薄き光の菫かな(水巴)」以下8句を挙げている。

 ただ、山本健吉は「吹流の哉」には注目したのだという。それは前から自身が「無造作のかな」と称している「かな」がそれだと思ったからで、この例として「或る僧のきらひし花の都かな(凡兆)」や「祖母山も傾(かたむく)山も夕立かな(青邨)」など7句を挙げている。

 また、「俳句」3月号の特集「切字と切れ」では仙田洋子が宗祇の「世にふるも更に時雨の宿りかな」から中村汀女の「行く方にまた満山の桜かな」まで「『かな』の名句30」を選んでいる。1句1句丁寧に読んで、「かな」の分類を自分なりに試みたら面白いだろうな、と思う。どなたか、新しい「かな」を、「かなの力」を、見つけてあげてください。

 あ、『日本国語大辞典』の「*俳諧・誹諧古選(1763)附録「春の海終日(ひねもす)のたりのたり哉〈蕪村〉」。きっと、私が知らないだけなんでしょうね。勉強します。

では、また来月。
中原幸子
参考文献
(1) 日本国語大辞典第2版編集委員会編『日本国語大辞典』(小学館、2000年)
(2) 上代語辞典編集委員会著『時代別国語大辞典』上代編(三省堂、1968)
(3) 三樹彰編集『俳句講座・9研究』(明治書院、1970年)
(4) 『俳文学大辞典』(角川書店、1995年)
(5) 角川文化振興財団編『山本健吉俳句読本・第1巻・俳句とは何か』(角川書店、1993年)


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