月刊:ことばを探る 最近のバックナンバー

月刊「e船団」 言葉を探る 2004年4月号

ことばの力(6)
「ケリ・けり・鳧」

 「ケリをつける」という言葉は、短歌や俳句の末尾に「けり」がよく使われることから来たのだ、ということを聞いたおぼえがありました。ただ、近ごろは「ケリをつける」という言い方をあまり聞かなくなった、みんなケリをつけなくなったのかなあ、という気がしていて、ちょっとインターネットで検索してみました。たとえば「Google」ですと、「ケリをつける」が4900件、「けりをつける」は2020件、「鳧をつける」もあって10件。『借金にケリをつける法』と書名にまでなっています。「時代にケリをつける」「アメリカ文学にケリをつける」などと、意外なものにケリをつける人もいる。まあ、多いとは言えませんが、「ケリをつける」は健在といえるでしょう。

 で、「けりをつける」のページを次々にクリックしていくと、小倉百人一首の中で「けり」で終わっているものが9首、活用形も含めると15首もこの終わり方をしているという記事に出合った。ただ、この人、「けり」を「ける・けれ・けろ・けり」とカエルの鳴き声みたいに活用させていて、冗談だか真面目だかわからない。もしかして、からかわれているのかも、と、私も勘定してみたところ、ちゃんと15首「けり」系で終わっている。ついでながら、歌の途中に「けり」が使われているのも12首あった。なるほど、「けりをつける」の語源が短歌などの末尾によく使われるからだ、というのも頷ける。  でも、ふと気になって「かな」も数えてみるとこれが12首もある。これなら「ケリをつける」だけでなく「カナをつける」も「これでおしまいにしよう」という意味に使われてもよさそうのものだが。  そう思って、あちこちと「けりをつける」の語源を調べてみると、『暮らしのことば・語源辞典』(2)というのがあって、こんなふうに載っているのがみつかった。

けりをつける
物事をしめくくる、決着をつけるということ。
 和歌や俳句をはじめ古典の文章には、百人一首100番の「ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほ余りある 昔なりけり」のように、助動詞「けり」をつけて終結しているものが多いことから出たことばであると普通説明されている。しかし、平曲など語り物・謡い物が「そもそも」と語り出して、「けり」と語り納めることに由来するという説も有力である。

 こう読むと、私などは「そもそも・・・けり」語源説の方に肩入れしたい気がしますが。

 それはともかく「けり」を調べてみよう。『日本国語大辞典』(1)には「けり」が6項目ある。

けり【鳧・計里】〔名〕チドリ科の鳥。(後略)

けり〔名〕履物をいうアイヌのことば。(後略)

けり〔名〕(和歌、俳句など、助動詞「けり」で終わるものが多いところから)物事の終わり。結末。決着。*黒船前後(1935)〈服部之総〉志士と経済・三「これを以て、連島貿易の一件は、けりとなった」


この項には小見出しに「けりが付く」と「けりを付ける」があり、用例として有島武郎の「或る女」(1919)から「大抵鳧(ケリ)がついたから、〈略〉一足先きにここに越して来たのだ」などが引用されている。

け・り【来】〔自ラ変〕(動詞「く(来)」の連用形「き」に「あり」の接続した「きあり」の変化したもの)来ている。やってきた。

けり〔助動〕(活用は「けら・○・けり・ける・けれ・○」)。用言の連用形に付く。過去の助動詞)
 (1)事実としては存在していたにもかかわらず、それまで気づかれていなかったことに気づくことを表わす。発見を表わす。・・・いたのだな。・・・たのだな。(後略)
 (2)すでに気づいていることであるが、なぜ起こっているのか分かっていないことについて、こういう条件があれば、そうなるのが道理であるという筋道を見いだして、納得することを表わす。それで・・・ていたのだな。そういう訳で・・・たのだな。(後略)
 (3)すでに聞き手にもよく知られている神話、伝説、真実、一般的真理などをとりあげて、それが話手・聞手の共通の認識であることに注意を喚起し、再確認する意を表わす。ご存知のように・・・です・(後略)
 (4)語りのなかで、新たに提示する出来事に確たる存在性があることを示す。(後略)
 (5)ある物事が、成り立つ時間に関係のない属性・性質をもつことを表わす。背景や原因・理由などを示す文に用いられる。(後略)


 用例としては、(1)で「古事記(712)上・歌謡「赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装(よそひ)し 貴くあり(ケリ)」や「古事記(712)下・歌謡「引田(ひけた)の 若栗栖原(わかくるすばら) 若くへに 率寝(ゐね)てましもの 老いに(ケル)かも」などが示されている。また「語誌」の最後に「(10)近代では、一般には「けりがつく」「人によりけり」など特別な慣用句中でしか用いない」と書かれている。

 たしかに、私も俳句を作ったり読んだりする場以外で「けり」に会うことは殆どない。それでも「けりをつける」がヘンに気になる。それは多分「ケリ・けり・鳧」という表記のせいだと思う。冒頭で私は無意識に「ケリをつける」と書いてしまっていた。「けりをつける」ではなく、「鳧をつける」でもなく。それはなぜだろう。

ケリという鳥は万葉集にも出てくる。それが、『日本国語大辞典』(1)では、

国巡る子鳥(あとり)鴨(かま)気利(ケリ)行き廻り帰り来までに斎ひて待たね(刑部虫麻呂・万葉集20・4339)

 『日本うたことば表現辞典』(3)では、

 国巡(めぐ)る子鳥(あとり)鴨(かま)(けり)行き廻(めぐ)り帰(かひ)り来(く)までに齋(いは)ひて待たね(刑部虫麿・万葉集20)

となっている。

 時代が下がって『本朝食鑑』(1697)では「計里(ケリ)」となっているし、去来や暁台の俳句では水札(ケリ)も使われている。

 一方、上記のように、決着をつける意味の「けりをつける」も「をつける」と表記されることがある。冒頭に紹介した、インターネットの「鳧をつける」10件のうち、1件は新聞記事だった。1920年(大正9)2月27日の大阪朝日新聞(5)の見出しに、「勢和鉄道の妥協難・相変らず水掛論で委員会復流会となる 果して什う鳧をつけるか」とある。また、「鳧がつく」の例は1件だが、それは梶井基次郎の短編「冬の蝿」のなかにあった。「私の病鬱は、恐らく他所の部屋には棲んでいない冬の蠅をさえ棲ませているではないか。何時になったら一体こうしたことに鳧がつくのか」と。

 「鳧」はヘンな漢字だ。『大漢和辞典』(4)では字音索引、字訓索引ともに「ケリ」としては載っていない。音読みは「フ・ブ」。訓は「かも」。そして「鳧」の項の最後に、【邦】として「けり。(イ)鳥の名(中略)(ロ)過去の意を示す助動詞の「けり」にあてて用ひる。(ハ)和歌などに「けり」で終るものが多く、且つ鳧の字をあてることが多いところから、きまり・かた・終止・決著の意に用ひる」とある。あくまで、日本では「けり」とよまれ、(イ)−(ハ)のように使われている、としているのだろう。尚、インターネットで「鳧」を検索するとき、「日本語のページを検索」という条件を入れると5130件のヒットだが、「ウェブ全体を検索」なら12万6000件もヒットする。他の漢字圏の国々ではけっこう活躍しているようだ。

 切字の「けり」とは離れた話になりましたが、「けり」について調べたり考えたりしているうちに、私は、こういうのも言葉の成長なのかな、と、ふと思ったのです。むちゃくちゃが起こっているように見えながら、でも、「ケリ・けり・鳧」が何かに動かされて、身をよじりながら力を得ていくように思えたのです。
 今回、インターネットで、「よく仕事が終わったり、仕事終わりのめどが立った時などに『けりがついた』『けりをつける』などと言います。この言葉はあまり考えずに使っていますが、ここで言う処の「けり」とは何を蹴るのでしょうか?」などと書いている人がいて驚きましたが、そのうちに「蹴りをつける」という項目が国語辞典に現われる日もあるかもしれません。

 それにしても、「けりをつける」を最初に「鳧をつける」と書いた人、誰だったのでしょうね。

中原幸子
参考文献
(1)日本国語大辞典第2版編集委員会編『日本国語大辞典』(小学館、2000年)
(2)山口佳紀編『暮らしのことば・語源辞典』(講談社、1998年)
(3)『日本うたことば表現辞典・動物編』(遊子館、1998年)
(4)諸橋轍次編「大漢和辞典」(大修館書店、1986)
(5)大阪朝日新聞 (http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00100558&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00100558

月刊「e船団」 言葉を探る 2004年5月号

ことばはみんな力持ち(1)
「役に立つ」

目から鱗が1枚落ちて、タイトルを変えました。言葉に力持ちの言葉とか弱虫の言葉とかはなかったのですね。使い方に上手下手があるだけで。ごめんなさい。
そのことを教えてくれる経験を2つしました。

その1:池田澄子さんの講演
 池田さんは、先日、船団の「春の句会ライブ」で、「私の試み― どんな句を作ろうとしているか」という講演をされた。そのとき、「わたし」と「わたくし」を使い分けておられるのに気づいた。それが実にビミョーなのだ。この「く」ひと文字が。テープを起こすのに「私」でひとまとめにする気にはなれなかった。そのうちに池田さんのご了解を得て、「船団」に掲載される予定らしいので、みなさん、ご自分で分析してみてくださいませ。

その2:高田敏子の『詩の世界』(1)
この本は全国学校図書館協議会選定図書で、でも、茨木市の図書館ではちゃんと大人用の書棚にもあって、私を呼び止めてくれた。ときどきこういうふうに、本に呼ばれたな、という出会いがある。誰もが経験されることだと思いますが。自分で持っていたくなって、インターネットの古本屋で買った。1981年に出た第11刷で500円。ワンコインも力持ちだ、すごい、と思った。余談ですが。

『詩の世界』の第9章は「真実をみつめて」で、「美しさについて」と「名前を忘れて見る」に別れている。
 で、「美しさについて」にこんなことが書かれていた。

 (略)
 わたくしたちは「美しい」ということばが大すきです。「美しい人生」「美しい愛」などと、美しさをもつことをのぞんでいます。
 でもほんとのところ、その美しさの意味について、あまり深く考えていないのではないでしょうか。
 美しい景色を見て思わず、「きれいね」と口にでて、たのしい思いになる、それでもう十分とも思いますが、そのたのしい思いにさせてくれるものの姿をたしかめてみましょう。
 美しいものと、美しくないものと、わたくしはいま、自分の部屋を見まわして、よりわけてみました。
 机の上のペン皿にあるえんぴつ、何本かのえんぴつのなかで美しく目にうつるのは、けずりたてのえんぴつです。シンがまるくなったり、折れたままのは美しいとは思えません。
 お皿に盛ったバナナは、あざやかな黄の色をしていて美しい。でも、実をたべてしまった皮は、皮になった瞬間に、もう美しいとは思えませんし、色もたちまち黒ずんできたなくなってしまいさす。
 けずりたてのえんぴつが美しく目にうつるのは、「どうぞ、いつでもすぐに使えますよ」と、すぐに役に立つ姿を見せてくれているからでしょう。
 バナナの皮も、中に実をつつんでいるという、使命をもっているときは美しいのですが、その使命が終わって皮だけになった瞬間に美しくなくなります。
 こうしたことを思うと、人に心よい感動をあたえる美しさとは、そのものが役にたつという姿を見せているところにあるのではないかと思われます。


 と、こう、書かれている。全部引用したいところだが、そうもいかないので、結論をご紹介すると、要するに、美しいのはそのものが使命を果たしている、役にたつ場を得て活動している、その状態である、という。髪の毛は頭にあってこそ美しい、抜けて食べ物の中に入ったら・・・という例が一番よく分かる。

 次に、必要と実用はちがうのだ、ということが説かれる。ものを訊くときの「すみませんが・・・」や、何かをすすめるときの「どうぞ」などは実用上はなくてもいいが、心を伝えるには必要である、その言葉によってことばも動作も美しくなる、という。また、着古したセーターなど、普通なら捨てられる、見捨てられる、というものをもう一度役にたつ状態にしてあげることが美しくしてあげることだという。

 そして、ここが私の一番惹かれたところです。
 詩のことばも、自分の心を伝えるために役だつ必要なことばを選びだして、それにもっともふさわしい場所におくことで、美しさが生まれます。

 ここに書かれている内容は、これまでにもあちこちで読んだ気がする。多分この部分だけを読んだのだったら、また、知ってるヨ、と、通り過ぎたかもしれない。でも、高田敏子は、えんぴつが削られた状態かどうか、それで文字が書き易い状態かどうか、という極めて日常的なことを例にとって「役だつ」ことと「美しい」こととの関係を説明してくれた。役にたつかどうかが、美しいかどうかの分かれ道だと教えてくれた。きっとバナナの皮だって、それを乾かして工芸品を作ろう、とか、なぜきれいな黄色があっという間に黒くなるのか、その秘密を研究しよう、などと思っている人にとっては、果肉を護っているときよりも美しく見えるに違いない。そうだ、あばたもえくぼってこれだったのだ。ちょっと違うかな?

 私は、これまで「美」と「役に立つ」とを、こんなふうに直接結び付けて考えたことがなかった。もちろん、「用の美」という言葉は知っている。しかしそれも観念的に知っていたに過ぎなかったようだ。

 役に立つってどういうことだろう。

 いつもお世話になっている『時代別国語大辞典』の上代編(2)に次のように出ている。
 [役](名)公用の課役。夫役。人民が朝廷の公用に出て働くこと。エタチとも。(用例略)【考】エ・エタチは、調(ツキ)とともに人民の賦課の様式で、ツキが物品を収めるのに対し、エは労力をもってする。令制では、正丁一人につき歳役として一年間に10日を中央政府の行なう土木事業に、ほかに雑徭として随時に年60日以内を限って地方官の命により地方行政に必要な諸種の労働に従事することを課した。詳細は賦役令にみえるが、実際には戦乱・行幸・遷都その他予期せぬことに関して役(エ)に立てられたらしい。仮名書きの確例はなく、ア行かヤ行かは不明。

 えたち[役](名)(1)公役にあてられて立ちおもむくこと。公役に従事すること(→え[役])。タチは、立(タ)ツ(四段)の名詞形。(略)(2)戦役。たたかい。(略)【考】妙義抄
(中原注・類従妙義抄の略。平安末期成立の漢和辞書)に「役(エタス、エ)・(エタス)」とあるエタスはエタツと同義語か(「」は夫役の意)。あるいは役(エ)に立たすのような他動的意味の語か。(略)もしエタツの語が確認されればエタシとも訓めよう。なお、万葉の「課役徴者(エツキハタラバ)(3847)」にはエタチハタラバの訓もある。

 まあ、乱暴な言い方ですが、古代には、役に立つとは労働で税を払いに行くことだったようですね。

 では、今私たちが使っている「役」や「役に立つ」はどうなのだろう。広辞苑には「役(え)」、「役(えき)」、「役(やく)」が出ている。そして「やく」は呉音なのだという。なるほど、『全訳・漢字海』(3)には「エキ」は漢音、「ヤク(ヰヤク)」は呉音とでている。でも日本へは、漢音は呉音よりも後で入って来たのですよね?では、古代の「え」を文字で書くのに、なぜ「役」の字が? ・・・ああ、わからない。これは、すみませんが後回しにさせてください。

 ふと、『ちいろば先生物語』という小説を思い出しました、三浦綾子の。「ちいろば」とは、イエスがエルサレムに入城されたときに乗っていった小さなロバのことだそうで(ルカ19:29-35)、この物語は「ちいろば先生」と慕われる牧師さんが主人公だった筈。確かめたくて手近の本屋さんに行ってみたが、『ちいろば先生物語』はなく、代わりに『小さな一歩から』(4)という随筆集を買った。そこに「役に立つということ」という一文が載っていたので。

 (略)こんな童話が出来た。
 ぼくは、自分はいったい、この世に何のために生きているのか、と思うことがあります。ぼくはここの家に買われてきて以来、只の一度も使われたことがないのです。箸やお茶碗は、三度々々使われて、毎日のように洗ってもらっています。ぼくは、ろくすっぽ、はたきさえかけてもらえません。

 靴や机やカーテンや、バケツや冷蔵庫など、なんと毎日人の役に立っていることでしょう。ある時、この家の娘が言いました。
 「台所にこんなものを置いておいて、邪魔じゃないの。物置の隅に置いたら?」
 ぼくはその言葉を聞いて、本当に悲しく思いました。この家は近く取り壊しになるそうです。そしたらぼくは、結局何の役にも立たず、一生を終わることになるのではないでしょうか。
 え?ぼくの名ですか?ぼくは消火器です。(略)


 では、また来月。
                             中原幸子

参考文献
(1)高田敏子『詩の世界』(ポプラブックス・ポプラ社、1972年初版)
(2)『時代別国語大辞典』上代編(三省堂、1967年)
(3)『全訳・漢字海』(三省堂、2000年)
(4)三浦綾子『小さな一歩から』(講談社文庫、2001年第7刷)


月刊「e船団」 言葉を探る 2004年6月号

ことばはみんな力持ち(2)
続・「役に立つ」

で、三浦綾子の『ちいろば先生物語』(1)なんですが、「『ちいろば先生』と慕われる牧師さん」は私の記憶違いで、「ちいろば」とはこの小説の主人公・榎本保郎牧師のさとりというか願いというか、そのようなものでした。榎本牧師は24歳のころ、自分は、聖書に出てくる、まだ一度も人を乗せたことのない力無しの子ろばである。だが、その子ろば同様、「主の用なりと言われたら、愚図やけど、イエスさまを乗せてどこへでも行こ」そう思って眠れへんかった、という夜を過ごしたのです。私はこのことをきちんとお伝えする自信がありません。みなさん、ご自分でお読みください。

 そして、突然ですが、陳舜臣の小説、お好きですか? 私は大好きです。なかでもお大師さま(空海です。ご存知ですよね)のことを書いた『曼陀羅の人』(2)はおいしい寝賃です。寝賃ってわかります? 小さいころ、寝る子は賢い、寝賃やよ、とおばあちゃんが寝しなにくれたひとかけのお菓子のことですけど、広辞苑にはのってませんね。

 『曼陀羅の人』は空海が延暦23年(804年)に第16次の遣唐使船に乗って唐に渡り、青竜寺の恵果大阿闍梨から伝法阿闍梨位灌頂を受け、遍照金剛の密号を授けられ、正統密教の第 8 祖となって帰国 (806年)(4)するまでの物語。空海と同じ船で唐に渡った橘逸勢も登場する。逸勢は、嵯峨天皇、空海とともに三筆と称され、平安時代を代表する能筆家であるが、その空海と橘逸勢の考え方の違いをくっきりと示すシーン(後述)がある。

 第16次遣唐使は前年一度暴風雨で船が損傷して引き返し、空海が同行したのはその再派遣で、4船で出航した。空海の乗っていた第1船は遣唐大使・藤原葛野麻呂の乗船で、暴風雨に遭いながらも中国にたどり着いたのである。因みに最澄が乗っていた第2船は明州に着いたが、第3、第4の船は海の藻屑と消えたのだ。空海たちが漂着したのは赤岸鎮とよばれる地域(現在の福建省霞浦県赤岸村)で、六印港という入江に入った。だが、海賊船ではないか、市舶(個人的な貿易船)ではないかとの疑いをかけられて、なかなか上陸させてもらえない。その窮状を救ったのが空海の文章と書であった、というエピソードが有名である。

 小説『曼陀羅の人』によれば、六印港から福州の江に回航された日本船は封艙(フォンチャン:船ごと差し押さえること)された。そこの役人は、空海たちを乗っていた船から降ろしたが、しかし上陸も許さない、というか許す権限をもっていなかった。 上からの指示がくるまでの間どうしたか。水と陸のあいだ、つまり河原に降ろしたのだという。河原に竹を突き刺してならべ、上に帆布をかけて日を遮り、その下に収容したのだ。じめじめと暑くてたまったものではない。病人も出始める。なんとか、せめて船に上がらせてほしい。それを嘆願するのだ。遣唐使の藤原葛野麻呂が、自分で書いた嘆願状をすでに3通も出したが、聞き入れられない。もっと文と書が優れていないとダメだ、と言われるのだ。小説ではその決定権をもってやってきた役人・観察使の閻済美が空海の噂を聞いて興味をもち、その文と書を是非にと見たがったのだという設定になっている。間を取り持つのが道士の杜知遠、空海とは赤岸鎮からの知り合いである。杜知遠は空海にこう伝える。

 ――あなたのことを、私は観察使に申し上げておいた。どうしたわけか、たいそう興味を示されて、あなたの筆になる書状を欲しがっておられる。差出人の名は、もちろん朝臣賀能(あそんがどう:藤原葛野麻呂は唐でこう名乗っていた)でよいが、文章と書とは空海のものであること。・・・それで百余の人たちが助かります。
杜知遠がそう言うと、空海はにっこり笑って、
――ほう、私が役に立ちますのか。
と答えた。驚きの表情も、気取りもなかった。


 空海は書いた。そして、待遇ががらりと変わった。河原の近くにたった2日で13棟もの家が建てられ、藤原葛野麻呂は大使と呼ばれたのだ。このみごとすぎる効果のために、大使の自分を見る視線に何かがこもったのを認めたときも、空海は「(宇宙はこのようなものから成り立っている)という信念があったので、あるがままの状態を、心しずかにうけいれることができた」と陳舜臣は書いている。

 先月号で「役に立つ」を書いたあとで読むと、にわかにこのくだりの重みが増した。いまごろはずかしいが。しかし、こう言ってよければ、橘逸勢もちょっとはずかしいことを言っているのだ。このことの前、赤岸鎮に漂着したばかりのころに。上記のシーンの伏線になっているようでもある。

 (逸勢)「空海よ、副使が字を書いてほしいと申しておる。船に戻ろう」
 (空海)「おぬし、なぜ書かぬ?」
 「わしは字だけなら、ことわることにしておる」
 「仕方がない」
 蓆から腰をあげて、空海は笑った。
 遣唐使船のなかで、空海と橘逸勢の二人は能筆の双璧と知られていた。副使は県へ出す文書の草稿を考え、それを空海に書かせようとしていたのだ。
 逸勢は常日ごろ、
 ――わしは自分の文章でなければ字は書かぬ。
 と豪語していた。
 「おぬしが悪い。気やすく筆をとるからだ」
 と、逸勢は空海に言った。
 (略)
 字のほうは、空海と逸勢というのは定評があり、大使や副使も認めざるを得ない。だから、代筆を頼もうとする。しかし、文章の代作となれば、自尊心が許さないのだ。
 「わたしたち仏法者は、人の役に立つことは、よろこんでしなければならないのだ」
 空海は代筆の仕事を、まったく気にかけていないようだった。


 三浦綾子のキリスト教の世界、陳舜臣の密教の世界、そこに大切な言葉として「用」と「役」がある。

 あ、「役」と「用」と「使」ってどこか似ていると思いません? それに、ふと気がついたのですが、「役立てる」「用立てる」「使い立てる」、とそっくりな使い方がありますね。

 広辞苑には「立つ」と「立てる」が載っている。

た・つ【立つ】(一)《自五》
(1)事物が上方に運動を起してはっきりと姿を現す。
(2)事物があらわになる。はっきり現れる。
(3)作用が激しくなる。
(4)(「起つ」「発つ」とも書く)ある場所にあったものがそこから目立って動く。
(5)物が一定の所に、たてにまっすぐになって在る。
(6)(「建つ」とも書く)事物が新たに設けられる。
(7)物事が立派になりたつ。保たれる。
(8)物が保たれた末に変って無くなって行く。
(9)他の動詞の上に付いてその行為が表立っていることを表す。
(二)《他下二》(→解説:たてる(下一)

た・てる【立てる】《他下一》(文語)た・つ(下二)
(1) 事物に盛んな運動を起こさせ、姿をはっきり現させる。
(2) 物事をあらわにする。
(3) 作用を激しくさせる。
(4) ある所に在るものを他へ目立ってはっきりと動かす。
(5) 物を一定の所に、たてにまっすぐにする。
(6) (「建てる」とも書く)事物をあらたに設ける。
(7) 物事を成り立たせる。保たせる。
(8) 物を保った結果変って無くなって行くようにする。経過させる。過ごさす。
(9) 他の動詞の連用形に付いて、その動作が特に目立っている意を表す。


 また、『字統』(3)によれば、「立」という字は会意文字で、「大」と「一」からなる。大は象形文字で人の正面形、一は記号的な表示で算木を横に並べる計算法をそのまま文字化したもの。「立」における「一」はその立つところの位置をしめすという。
 なんか、しゃんと立ちたくなってきました。
 では、また来月。
                              中原幸子
参考文献
(1) 三浦綾子『ちいろば先生物語』(上・下)(集英社文庫、2000年)
(2) 陳舜臣『(空海求法伝)曼陀羅の人』(集英社文庫、1997年)
(3) 白川静『字統』(平凡社、1984年)
(4) 空海スピリチュアル(http://www.mikkyo21f.gr.jp/index.html


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