月刊:ことばを探る 最近のバックナンバー

月刊「e船団」 言葉を探る 2004年10月号

新しい(1)

 東海道新幹線の開通は昭和39年(1964)、いまから40年前でした。「えー、『新』幹線?もっと速いのができたら恥ずかしいのに」と思いました。ひねくれた感想ですよね。でも、まあ、前々から「新」ってどんどん古くなるなあ、と不思議に思っていたわけです。

 「新ナントカ」ってもういっぱいあります。あれこれと辞書を見ていましたら、「新しい」の定義に「古くない」というのがあって笑ってしまいました。まあ、そうです、確かに。だって、新しいものって生まれた瞬間から古くなり始める運命ですから。でもそう思う一方で、ちっとも古くならないモノもあるなあ、とも思います、よね? 「新しい」ってなんだろう。

 で、突然ですが、『子規百句』(1)という本がでました。1冊貰ったから言うわけではないですが、「へえ、子規って俳句が下手だとか言われてるけど、ええ句ばっかりやなあ」と思いました。とても新鮮で、なんか、子規が顔を洗って出直してきたみたいな印象で。もちろん、文庫サイズで、1ページに1句ずつの鑑賞、という読み頃の長さや、その鑑賞に工夫があることも新鮮さの要因だと思いますが。

 ここ半月ほどずっと、新しい、新しい、と考えていたこともあって、なんで1世紀も前のヒトの俳句がこんなに新鮮なんやろ、と思った。そしてふと思い出したのが何年か前に読んだ『法然の哀しみ』(2)。こんな文に出会ったのだ。梅原猛が『観無量寿経』の十三観を読んで書いたという文である。

 まず、念をもっぱらにして西を想う。西を想うにはどうしたらよいか。日没の頃、西に向かって、心をかたくして思を移さずひたすら夕陽を見続けよ。そしたら目を開いても、目を閉じても、ありありと夕陽は、目に浮かぶのである。こうしてもはや、心はいつも西に向かっているわけである。そして水の清いのを見て、その水を明らかに思い浮かべ、心が散り乱れることがないようにせよ。そして次に氷を見て、氷の透明な様を思い浮かべ、さらにそれが瑠璃であるという思いを起こせ。そしてその瑠璃こそはかの極楽の大地なのである。こうして極楽の大地がありありと目に浮かぶようになる。(中略)
 つまりまず極楽の背景から始めて、想像を中心部へ向かって進めて行く方法である。恐らく、いちいちの想像力の熟練、すなわち、水なら水、瑠璃なら瑠璃が、「鏡の中において、自分の像を見るように」明らかに思い浮かべられるようになるためには、何十日、あるいは何か月かの必死の精神集中を要するであろう。(『仏像――心とかたち』)


 梅原猛によればこれは「狂気に近い想像力の訓練」だそうで、実に実行不可能なマニュアルだ。でも、そのとき私は、これこそ山川草木、花鳥風月、更には山なす言葉と俳人との究極のつきあい方だ、と思った。見つめるとはホントはこういうことなんだろうな、私には無理だけど、でも及ばぬながら精一杯見つめればいいのではないか。その目の奥から何かが浮かぶのではないか、そう思ったのだった。

 ここで、もう1冊の本を思い出した。『永沢まことのとっておきスケッチ上達術』(3)。
 私は絵も苦手で、上手な人がうらやましい。上手になる、という本を見ると、ついつい買ってしまう。この本は赤い帯に黒字で「なぜペン1本でここまで描ける? スケッチの名手が、あなたにも必ずできる方法を伝授!!」と書かれていたのだ。
 冒頭に「INTRODUCTION」がある。
 大きなゴシックで「すべてはあなたの観察力から始まる」と見出しがあって、それより小さ目のゴシックで「木の根っこを見る」とあって、(引用したら売れ行きの妨害かなあ、永沢さん、ごめんなさい)、こうある。

 近所の公園などに出かけ、気に入った木の根元に腰をおろします。
 幹から派生するように伸びた根が、八方に枝分かれしつつ、大地に吸い込まれ潜入していく様子が見てとれます。
 それに「ほう」と興味を持ったら、そこに目を付けたまま一分間ほど眺め続けてみて下さい。
 少しガマンが必要です。私たちは古代人が持っていた「何かを静かに見続ける」という習慣をすっかり忘れており、とてもアキっぽくなっているので。
 一分から二分、さらに三分くらい見ていると、根元の小さな世界の中に驚くほどさまざまなモノがあることに気がつきます。


 ウソでしょう?と思いながらもやってみました。うちの近くの川端通りの公園に、お誂え向きの大木があるのを思い出したのです。ついでですが、「茨木市立川端康成文学館」もあるんですよ。まあ、だから川端通りなんですが。

 で、永沢さんのおっしゃる通り、1分間見つめるってホントに大変なことがわかった。たった1分なのに頭の中をチラチラと他のことがよぎる。もう1分たったかなあ、と時計もみたくなる。そうか、ここがガマンか、とガマンして見つめた。何度か繰り返した。木も換えてみた。けっこう疲れたけど、「ああ、見つめた!」という満足感は得られなかった。あきらめて出直すことにし、帰りに大きな白い百合の花を買って帰った。木の根は無理でも花一輪ならもうちょっと見つめられるかな、と思って。

 ひとつだけ、すごいことが見えた。私が知らなかったこと、という意味で。花弁が合わさって花の中が狭くなるあたりに、棘のようなものが生えていて、それが全部出口を向いている、つまり、昆虫が蜜を吸って帰るとき、足がかりとして使える形になっているのだ。百合は、受粉を手伝ってくれる虫たちが花のそとへ出やすい形を自分で作り上げてきたのですね、きっと。

 以来、見つめることに成功したことはまだないが、今度『子規百句』を読んでもうひとつ、『歴史とは何か』(4)という昔読んだ本を思い出したのは、この経験のおかげだと思う。
 この本は1961年に、E・H・カーがケンブリッジ大学で行なった、「歴史とは何か」と題する連続講演が出版されたもので、翌1962年に早くも岩波新書から日本語版が出たことをみると、よほど注目された講演だったのであろう。私の手もとのは1982年の第28刷で、毎年1回以上増刷されたことになる。読んだ私が仰天して、以来忘れられないのは、第1章の「歴史家と事実」のなかの「歴史家が歴史を作る」という小見出しとその中味、なかでも次の一文だった。

 1910年、アメリカの歴史家カール・ベッカー(Carl Becker,1873−1945)は、わざと刺激的な言葉を用いて次のように申しました。「歴史上の事実というものは、歴史家がこれをこれを創造するまでは、どの歴史家にとっても存在するものではない。」

 そして、「現在の眼を通して見る」という小見出しのところはこう始まっている。

 第三の点は、現在の眼を通してでなければ、私たちは過去を眺めることも出来ず、過去の理解に成功することも出来ない、ということであります。

 私は不勉強で、「歴史とは何か」の探求の現状を知らないが、でも、『子規百句』をつらつら眺めて、「文学史も文学者が作る」んだなあ、と実感した。こういう文学史の書き方をしてもらえば、私の目にも新しい子規が見えるんだ、と。いいものはいつの時代にも新しい、というのは、ホントにいいものなら、その時代の人の目にさらされたとき、過去の人がみたのとは違うものをその目に訴えることができるということだったのか、と。

 つまりね、私にとって一番新しいものは今この瞬間の私の目じゃないかなあ、と思うのです。私って、こんなにちっぽけだけど、それでも地球が生まれて以来、初めての存在なわけですから。そこに写るものこそ一番新しい、そんな目を養い、意識して生きたいな、死ぬまで。

 新米の季節ですね。では、また来月。

 あ、これを読んで下さった方、あなたの「新しい」の定義を書いて送って下さるとうれしいです。

                            中原幸子

〔参考文献〕
(1)坪内稔典・小西昭夫編『子規百句』(創風社出版、2004年)
(2)梅原猛著『法然の哀しみ』(小学館、2000年)
(3)永沢まこと著『永沢まことのとっておきスケッチ上達術』(草思社、2003年)
(4)E.H.カー著、清水幾太郎訳『歴史とは何か』(岩波新書、1962年(初版))


月刊「e船団」 言葉を探る 2004年11月号

新しい(2)「あらたし」と「あたらし」

 先月は私家版「新しい」のようなものを書いてしまいました。でも、だからでしょうか、お便りを頂いたのです。
 1通目はKさんからで、10月号の「新しい」を読まれて、「わたしは、イギリスのハイ・ランドの荒れ地とか荒れ野とかのイメージが…」というユニークなお便り。10月15日の「この一句」が〈まなこ荒れ/たちまち/朝の/終わりかな (高柳重信)〉だったので、そこからの連想もおありだったらしく、「ことばを探る」に「荒」をリクエストしたい、と。そう言えば「あらたまの」という枕詞は「新玉の」とも「荒玉の」とも書くようですが、これ、面白いですね。うまく関連づけられるといいのですが。

 もう1通はGさんから。この方は、「新しいってことは次の瞬間すぐ新しくなくなるのかもしれませんね。すると、新しいという言葉こそ永遠に新しいのでしょうね。どうでしょう?そして、その言葉がついてるものは古くなっても、ずっと新しいのでしょうね。新幹線みたいに・・・。でも、わかるようなわからないような・・・」と。おっしゃる通り、わかるようなわからないような、でも興味しんしんのお便りでした。

 改めて「あたらしい」という言葉をちゃんと知りたいと思いました。で、Gさんのご意見をちょっともじった格好ですが、「新しいという言葉はどれくらい新しいか」というところからいきたいと思います。

 『広辞苑』の「新しい」には『枕草子』以前の用例は出ていないが、『古語大辞典』(1)にはとても興味深いことが載っていた。

 あたら・し【新】形シク 上代から用いられた、惜しい、の意の「あたらし」に対して、「新」の意の「あたらし」は、『古今・大歌所御歌』の「あたらしき年の始めにかくしこそ千歳をかねて楽しきをつめ」などから確認できる(この歌は『琴歌譜』には「阿良多之支年のはじめに・・・」とある)。古く「新」の意味は「あらたし」で表されたが、語音が転倒して「あたらし」となったものか、または、もと、すぐれている、の意味も表した「あたらし」が「新」の意味をもおおうのに至ったのか、決めにくい。しかし「新」の意味の第一・二拍は平平、「惜」の意味の「あたらし」のは上上のアクセントを持ったことが『名義抄』に示されている。(後略)

 あたら・し【可惜】形シク 「あたら」を語幹とする形容詞で、すぐれたさま、惜しむべきさま、の両義をもつ。「新」の意味の「あたらし」とはアクセントが異なる。(後略)。
ちなみに、この「可惜し」の用例はすでに古事記に見られる。

 つまり、今私たちが使っている意味の「新し」は古くは「あらたし」であって、「あたらし」は古今集に初めて出てくる、というのだ。しかも『琴歌譜』には「阿良多之支年のはじめに・・・」とかかれている、という。これは、古今集の歌はホントに「あたらしき」だったのか、「あらたしき」の書き間違いの可能性もあるのではないのか、という疑問を投げかけているのだろうか?

 『琴歌譜』などというものを、私は聞いたこともなかったが、「ネットで百科」(2)によればこんな書物である。

琴歌譜(きんかふ)
宮中の大歌所(おおうたどころ) で教習した,宮廷歌曲伴奏の和琴 (わごん) (やまと琴,6 弦) の譜本。全 1 巻。 1924 年 (大正 13) 陽明文庫蔵の写本で発見された。天元 4 年 (981) 写の奥書に大歌師多安樹 (おおのやすき) の名など見え, 多氏に関係深いらしいが,筆者不明。原本の成立は平安初期か,編者未詳,筆写当時すでに希有の書とされた。漢文の序文は中国の古典音楽論を引いて音楽を世界の調和のかなめとし,特に琴歌を高雅として,律令の法と礼楽とを相関させる。ついで,多く記紀歌謡に通じる歌曲の名のもとに,万葉がなの歌詞 21 首 (異曲同詞を含めれば 22) と,それらが実際に歌われた長短緩急の声調なり生態なりを併記し,和琴の奏法を朱書する。宮廷風の編曲もあろうが,調弦法はなお解読できない。 8 首の歌詞は記紀歌謡,神楽歌,《古今集》などに同様のものが見え,あるいは歌曲の由来をも記すが,伊勢神歌など 13 首は本書のほかに見ない。書法史上も貴重である。(本田 義憲)


 古今集は平仮名で書かれたわけですが、これも「ネットで百科」(2)によれば、

 (略)集中の作者はすべて 127 人,代表的歌人は 4 人の斤者のほか,六歌仙 (僧正遍昭,在原業平,文屋康秀,喜斤法師,小野小町,大友黒主),伊勢,素性法師らがあげられる。 〈読人しらず〉の作は全体で 6 割に達し,おおむね伝承歌的な色彩があり,かなり古い時代の作を含んでいると考えられる。(略)

とあるから、古今集に収載される前は万葉仮名で表記されていたものも多いであろう。古今集の成立は905年から914年の間とされるが、〈読み人知らず〉の歌は作者不明であるのみならず、作年もそれ以前としかわからないのが多いであろう。そうすると、この、

 【古今和歌集巻第二十】
 大歌所御歌(おほうたどころのおほむうた)
 大直日(おほなほび)の歌
 (1069)あたらしき年の始(はじめ)にかくしこそ千年をかねてたのしきを積め

という歌が古今集から『琴歌譜』に連れて行かれたのではなく、『琴歌譜』の著者が古今集とは別に、この歌の万葉仮名バージョンを知っていて、その通りに書いたとも考えられる。

 ところで、古今和歌集の編纂の主導権をとったのは紀貫之だが、その貫之には「新しい」の意味の「あたらしき」を使った歌がいろいろある。『国歌大観』(3)の「貫之集」に7首あって、

 ・あたらしき年とはいへどしかすがにからくふりぬるけふにぞありける(延喜14(914)年)
 ・から衣あたらしく立つとしなれば人はかくこそふりまさりけれ(延喜17(917)年)
 ・あたらしくあることしをも百年の春のはじめと鶯ぞ鳴く(延喜御時)
 ・桜よりまさる花なき春なればあたらしさをばものとやはみる(延喜10(910)年)
 ・あたらしき年のたよりに玉鉾の道まどひする君がとぞ思ふ(天慶2(939)年)
 ・白妙に雪のふれれば草も木も年と共にも新しきかな(天慶5(942)年)
 ・藤衣あたらしく立つ年なればふりにし人はなほや恋しき(延長8(930)年)

 ご覧のように、「あたらしき」「あたらしく」「あたらしさ」「新しき」などと使われ、しかも「あたらし」と「ふる」を対比させていて、「あたらしい」は完全に「新しい」であって「可惜し」ではないことがわかる。

 どうやら「新しい」は、「あらたし」のみ → 「あらたし」と「あたらし」の混乱期 → 「あたらし」と「あらたし」の両立期、という具合に変遷し、貫之の頃には「新しい」の意味の「あたらし」も市民権を得ていた、と思ってよいのではなかろうか。

 ところで『国歌大観』の万葉集は、万葉仮名表記の右に片仮名の、左に平仮名の訓が施されている。例えば3947番の歌はこんな具合。

【万葉仮名表記】
新年乃婆自米尓 豊乃登之 思流須登奈良思 雪能敷礼流波
【右側の訓】
アタラシキ トシノハジメニ トヨノトシ シルストナラシ ユキノフレルハ)
【左側の訓】
あらたしき としのはじめに とよのとし しるすとならし ゆきのふれるは)

 「え?」と思って凡例を見れば、「万葉集については西本願寺本を底本とし、本文の右に西本願寺本による訓を、左に現代の万葉研究の立場で最も妥当と思われる新訓を施した」とある。西本願寺本というのは鎌倉後期の写本とされているが、そうすると、その頃万葉集の「新」は「あたらしき」と読まれていた、ことになる。

 もう一度「え?」と思って『校訂 万葉集』(4)をみてみたら、同じ「新年乃婆自米・・・」で始まる歌でも上記の3947番は「あたらしき」と訓がつけられ、万葉集最後の一首、

 新年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰

には「あらたしき」と訓がつけられている。もう、わからない。まさか、まさか、校正ミスなどではないでしょうね。何か深いわけがあるのでしょうか。
 そして、気が付けば、おそろしくこんがらがった世界であることだけがわかって、「新しい」という言葉については殆ど進歩しなかったです、今月は。次はもうちょっとは。

 では、また来月。

                               中原幸子

〔参考文献〕
(1)『古語大辞典』(角川書店、初版、1982年)
(2)『世界大百科事典』(有料:ネットで百科http://ds.hbi.ne.jp/netencyhome/)
(3)新編国歌大観編集委員会編『新編国歌大観』(貫之集)(角川書店、1988)
(4)中西進著『校訂 万葉集』(角川書店、1995年)


月刊「e船団」 言葉を探る 2004年12月号

新しい(3)あらたまの

 古今和歌集の巻頭をかざるのは、在原元方の、

 としのうちに春はきにけりひととせをこそとやいはむことしとやいはむ

ですが、来年も旧暦では年内立春のようですね。太陽暦ではお正月と立春の間が1か月以上もありますが、太陰暦だと立春をはさんで一か月位の間にお正月がくるようで、新春という言葉が今よりしっくりしていたのかも知れません。

 さて、「あらたまの」は古事記にも出てくる古い枕詞で、その創始者は美夜受比売(みやずひめ)、つまり倭建命(やまとたけるのみこと)の奥さんだそうです(1)。 倭建命が父・景行天皇の命を受けて東国の平定を果たし、行きがけに結婚の約束をしておいた美夜受比売と尾張で再会したときのこと・・・。以下はインターネットで見つけた現代語訳(2)です。

 (・・・)ここでご馳走をもらい、美夜受比売が酒を注ぎました。その時、美夜受比売の打掛の裾に月の物がついていました。それを見て、(倭建命は)、

 ひさかたの 天の香山
 利鎌に さ渡る鵠、
 弱細 手弱腕を
 枕かむとは 吾はすれど、
 さ寝むとは 吾は思へど、
 汝が著せる 襲の裾に
 月立ちにけり。

 とうたいました。そこで、美夜受比売が、答えて

 高光る 日の御子
 やすみしし 吾が大君、
 あら玉の 年が来経れば、
 あら玉の 月は来経往く。
 うべなうべな 君待ちがたに、
 吾が著せる 襲の裾に
 月立たなむよ。
 とうたいました。
 そこで、結婚すると、佩びていた草薙の剣を美夜受比売のもとにおいて伊服岐山の神を討ちに出かけました。


 なんか、ステキなシーンですよねえ。これがナミの女性だったら、「抱きしめようと私はするけれど/寝ようと私は思うけれど/あなたが着ている襲の裾に/月が出てしまった」などと言われたら、身の置きどころがなくて逃げ出すところでしょうが、「待ちかねて月が昇ったのでしょう」なんて歌を返して結婚しちゃうんですから。ここで全部引用する必要ってないのですが、ついお見せしてしまいました。

 ちなみに美夜受比売は他にも2つ、今も広辞苑に載っている枕詞を創始している。ひとつは「高ひかる(日の御子)」、もうひとつは「八隅しし(我が大君)」。と言っても、勿論この頃は「枕詞」とは呼ばれていなかった。「枕詞」は『古語大辞典』(3)に次のように出ている。

 まくら−ことば【枕詞・枕言葉】〔名〕(1)和歌の修辞用語。一定の語句または音に固定的に冠して用いる、五音または四音の詞句。上古、神名や土地をたたえる呪音に源を発したといわれるが、当初の意味が失われてもそのまま伝承され、声調を整えるなどのために用いられているものも多い。枕詞という語が現代のような意に用いられるのは中世以後で、江戸時代には冠辞などとも称された。「只、足引きの山、あらかねの土など言ふ心までぞ。――までぞ」〈日本書紀抄・坤〉。(2)寝物語(この項略)

 それはともかく、こうして生まれた「あらたまの」は、古事記では「年」にかかるのも「月」にかかるのも「阿良多麻能」と表記されている。現在、広辞苑では、
あらたまの【新玉の・荒玉の】
《枕》「年」「月」「日」「夜」「春」にかかる。「あらたまの年」は新年の意で〈季・新年〉。古事記(中)「―年が来経(ふ)れば、―月は来経(へ)ゆく」


と、ごく簡単に記されているが、上記『古語大辞典』(3)ではよくわからない言葉であることがよくわかるように(!)説明されている。

あらたま‐の【新玉の・荒玉の】〔枕〕語義・かかり方未詳。「年」「月」「日」「春」「きへ」などにかかる。「――[阿良多麻能]月は来経(きへ)ゆく」〈記・中・景行・歌謡二八〉。「――[璞之]伎倍(きへ=地名)が竹垣編み目ゆも妹し見えなば我恋ひめやも」〈万葉・11・2530〉
語誌:万葉集では、「荒玉」「璞」と表記されることが多いことから、掘り出したままの荒玉を砥(と)ぐの意で、同音で始まる「年(とし)」にかかるとする説や、荒玉は角ばっていて「鋭(と)し」ということから、「年(とし)」にかかるとする説などがあるが、「年(とし)」のトは乙類、「砥ぐ」「鋭し」のトは甲類であり、いずれの説も当たらない。ただ、万葉時代に、そういう意識のあったことはうかがわれる。また、遠江の国の郡の名に「麁玉(あらたま)」があり、まずその地名「伎倍(きへ)」にかかり、やがて、「来経(きへ)ゆく年」〈万葉・5・881〉などの用法から転じて、「年」にかかるようになったとする説、「あらたま」は新たまるの意で、「年」にかかるとする説など、があるが、定説をみない。[小池清治]


 ところで、ここに『万葉集枕詞辞典』(4)という本がある。そこに記されている「あらたまの」の語義が、(私には正しい、正しくないの判断は無理だが)興味深い。ちょっとご紹介すると、

 「あらたま」の原意は「新た間=あらたま」、つまり、「新しい時」のことで、「絶え間なく変わり行く歳月」を想わせる歌語であったのである。この歌語に「磨かれていない玉」を意味する文字が使われたのも、「磨く間もなく流される時」の意味ではなかっただろうか。我々が歳月のことを「月日」といい、古代の暦は月歴であった。つまり我々の祖先にとって歳月の流れは、「月の形の変化」であった。視覚的にいっても、玉の形をした「月」は月面の疵(黒い蔭)のために、磨かれた玉とはいい難く、常にその形を変えていく「荒玉」にたとえられたのだと私は考える。
 「玉=たま」が「時」の意味に使われている日本語に、「たまに」「たまたま」がある。これは「たまに=時々」「たまたま=その折り=その時ちょうど」と代置できる言葉であるから、「あらたま」は「新たな時・絶えず変わり行く歳月」の意にとって、少しも無理がないといえよう。


 ところで、「新玉の」と「荒玉の」とでは、文字から受けるイメージがひどく異なる。「荒」からはどうしても、「海が荒れる」だの「肌が荒れる」だのを思い出してしまう。「荒」が草冠なのもなんだか納得がいかない・・・。
 「荒」ってどういう意味の漢字?・・・と、いつもの『字統』(5)を見てみれば、音読みは「コウ」、訓読みは「あれる・すさむ・おおきい」とあり、「〔説文〕に『蕪(あ)るるなり』と荒蕪(こうぶ)の意とするが、ただの荒野をいう字ではなく、荒凶のために多数の餓死者が出て、野にうち捨てられていることをいう」などとあった。これで「荒(コウ)」と草との縁はわかってきたが、「磨かれない玉」とのつながりは見えない。万葉集には「荒玉の」以外にも「真草刈る荒野(あらの)・・・」などと「荒(コウ)」の意の漢字を「荒(あら)」と読むケースがあることから考えて、こうした用例から音だけをもらって使ったのであろうか。「野生・自然のままで、洗練されず、柔和さの加わっていない」さまを意味する「あら」が日本書紀に出てくるようだし。もちろん、素人がそう簡単に言うのは危険だが。

 と、いうようなことで、わたしの「あらたまの」はケリのつかないまま年末を迎えました。果して、あらたまの年の初めはどうなりますでしょうか。

 では、また来年もよろしくお願い申し上げます。
 少し早いですが、どうぞよいお年をお迎えください。
                                 中原幸子

〔参考文献〕
(1)福井久蔵著・山岸徳平補訂『枕詞の研究と釈義』(有精堂出版、1960年)
(2)ホームページ「みくにかる」(http://miku-nical.hp.infoseek.co.jp/kojiki/02027.htm
(3)中田祝夫他編『古語大辞典』(小学館、1983年)
(4)朴炳植著『万葉集枕詞辞典』(小学館、1990年)
(5)白川静著『字統』(平凡社、1984年)


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