月刊:ことばを探る 最近のバックナンバー

月刊「e船団」 「香りと言葉」2006年1月号

お屠蘇

 明けましておめでとうございます。ことしもどうぞよろしくお願い申し上げます。

 屠蘇散や夫は他人なので好き   池田澄子

 こんなお正月、いいなあ。お宅でもお祝いのお酒はお屠蘇でしたか?
 わたしは、暮に行きつけの薬局でこんなセットをもらいました。

 豪華。突然、「自分でお屠蘇の用意をしたことがない!」と気付いてびっくり。遅ればせながらやってみるか、と裏面の説明書を読む(1)。

 屠蘇散は、中国三国時代に華陀(かだ)という名医が十数種の薬草を調合して、酒に浸してのんだのが始まりと言われています。
 邪気を屠(ほふ)り、魂を蘇らせるところから「屠蘇」と名付けられ、「年の初めにこれを服する時は年中の災厄を避け、福寿を招く」と伝えられています。
 また、日本では昔嵯峨天皇の御代弘仁年間、唐の博士蘇明が和唐使として訪れた際、「屠白散」と称する霊薬を天皇四方拝の儀式に献上したのが始まりと言われています。以後、人々はこれに倣って一年間の健康を祈念する縁起行事として、お正月に屠蘇酒で新年を祝うようになりました。

 大晦日の夜、中袋より屠蘇散を取り出し、180ml(約1合)のお酒に一夜冷たく浸しておき、元旦、雑煮を祝う前に年少者より順次、新年の縁起と長寿を祈念してお召し上がりください。


 なるほど。でも、たしか、井戸がどうのこうのという話を聞いたことがあるけど・・・、と思ったら、やはり、この方法は現代風に簡素化されているらしい。

 『くすり歳時記』(2)にはこんなことが書かれている。

 三〜四世紀の中国医書には、屠蘇酒の製法がある。白朮(びゃくじゅつ)・桔梗・山椒・桂心(けいしん)・大黄(だいおう)・烏頭(うず)・サルトリイバラ、防風(ぼうふう)を細かに刻み、定量を緋色の袋に入れて、大晦日の正午に井戸の底につかないように水中に吊す。これを元日の早朝に井戸から取り出し、温めた三升の酒に浸す。それを屠蘇という。
 暗い大地から滾々と湧いた強い霊力を持つ新年の水、その生命力を薬に感染させ、温めた酒にいれることで薬の成分の浸出を促し、身体にめぐりやすくする。


 新年でなくても、古代中国では一日の最初に汲んだ井戸の水は「井華水(せいかすい)」といって製薬や服薬に珍重したという。池や川の水と違って、井戸の水は土壌で異物や細菌がろ過されているため、伝染病が流行しても井戸水を使っていれば感染しにくく、それが井戸の神様の霊力だと信じられていた、というようなことかも。

 それはともかく、井戸につけておいてから浸出するのと、いきなり酒に入れるのとでは味や香りが違うだろうなあ、と思ってちょっと実験してみた(我が家に井戸はないので水道水で間に合わせた)。どうせなら、ともう一種、味醂のおまけについていたのも。別にケチったわけではなく、近所のスーパーでは売っていなかった。屠蘇散は買うものではないのかも。屠蘇の風習が始まったころも、民衆に配られたとの記録が残っているそうだし。

 で、2種類の屠蘇散をあっちへやりこっちへやり、結果、4種類の屠蘇酒が年末に出来上がってしまった。でも2つの屠蘇散にほとんど差はなかったので、比べてみたのは次の3種類。

 (イ)水で浸出
 (ロ)(イ)から取り出した屠蘇散を酒で浸出
 (ハ)酒だけで浸出

 で、気付いたことは、
 (1)(イ)は強い色と味とニオイがする。舐めると、生薬の煎じ薬そのもの。
 (2)(ハ)は(イ)より色、味、ニオイともにマイルド。意外だった。
 (3)(ロ)は色も無色に近く、マイルドな芳香という感じで、おいしい。臭みが取れて香りが残った、という感じ。これはちょっと予想していたので、ウレシイ。
 (4)引き上げた屠蘇散もまだまだ香りがある。昔は滓を井戸に投げ入れたというが、井戸水の消毒に役立ったかも(保証できません)。

 皆さん、来年のお屠蘇は、まず水につけておいてからお酒に入れる方法を試してみられてはいかがでしょうか。え?効き目?だって、最初この方法だったのですから、大丈夫だと思いますけど。あ、念のためですが、『くすり歳時記』(2)にある屠蘇散の処方のうち、大黄と烏頭は作用が激しいので、今の屠蘇散には配合されていない由。

 さて、この、なんとも独特なニオイ。臭いというか、匂いというか、香りというか。屠蘇酒を知らない人にどう言えば伝わるでしょうか。屠蘇散のニオイを知っていても、屠蘇酒になるとまたちょっと違う。嗅いで、わかったと思っても、口に含むとまた違う。
 前にちょっとニオイの表現のことをご紹介したことがありました(3)が、香りを言葉で伝えるって難しい。もっとも言葉はそううまくは伝わらないもののようですが。でも伝わらないからこそ、さまざまに伝わってしまうのかも。
 「香りと言葉」はこれから、いろいろな方々にいろいろな角度から書いていただく予定です。どうぞお楽しみに。
 では、また来月。
                                    中原幸子
〔参考文献〕
(1)栃本天海堂製「屠蘇散」説明書(2005年)
(2)槙佐和子著『くすり歳時記』(筑摩書房、1989年)
(3)「香りとイメージ」(「ことばを探る」2003年7月号、
http://sendan.kaisya.co.jp/kotobbak200307.html#jul2003

月刊「e船団」 「香りと言葉」2006年2月号

梅が香

 梅が香に昔の一字あはれなり  芭蕉

 歳時記でこの句を見たとき、私は何のことやらわかりませんでした。しばらく眺めて、そうか、「昔の一字」というのは「『昔』という一字」なのか、と気が付いたのですが、でも何があわれなんだか・・・。

 で、加藤楸邨の『芭蕉全句(下)』(1)を見てみると、この句のそばにやや小さく「梅か香に昔の一字あはれ也(笈日記)」とあって、こう読み解かれている。

 「梅が香に対してしずかに思うと、梅は去年とかわらず咲き匂っているが、御子息は俤(おもかげ)のみですでに世になく、早くも一年の昔としなければならない。それにつけて、古人の歌の『昔』という一字がまことに哀れに思いあわされる」という意。

 この句は、芭蕉が、先立った息子の一周忌をむかえた大垣の老俳人・梅丸へ送った手紙に書かれた句だそうで、背景を知れば、私にもしみじみとよくわかる。しかし、「昔の一字」が「古人の歌の『昔』という一字」である、と言われても、「それってどの歌?」というのが正直なところだった。

 楸邨は、
 『徒然草』に「花橘(たちばな)は名こそおへれ、なほ梅の匂ひにぞ、いにしへの事も立ちかへり恋しう思ひいでらるる。」(19段)とある。
 「昔の一字」は業平(なりひら)の「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはもとの身にして」(古今集・恋五、伊勢物語)などのような古歌にある「昔」という一字を心に置いたものか。

 と解説している。
 この、『徒然草』の「花橘は名こそおへれ・・・」、というところを現代語にすると、
 花橘は懐旧の情をかきたてるものとして有名だが、それにもまして、梅の香によって往時がよみがえり、昔が恋しく思い出される。
 となるのですね(2)。ここでやっと、ああ、あれかも、と思ったのが次の歌。

 五月(さつき)まつ花たちばなの香(か)をかげば昔の人の袖の香ぞする

 ちょっと前に雑誌「文学」で「〈香り〉のすがた」という特集があり、「昔の人の袖の香ぞする」という論文(3)で、この歌が詳しく論じられていた。とても興味深く、いろんなことを教えて頂いたのだった。その冒頭にこうある。

 『古今和歌集』夏部の第五首(一三九)。題しらず、よみ人しらずの歌。また『和漢朗詠集』上巻「橘花」の歌。
 香りの歌として、これほど人に知られた作は、おそらく他にはないだろう。橘の花の香をかぐと昔の人の袖の香がする、と、香りに触発される連想の不可思議をわずか三十一の文字によって説きつくした観のある歌である。
 ものの香りは、目に見ず、手に触れず、あるかなきかのかそけき存在であるがゆえに、その感覚はかえって今の現在にはしばられず、過去への思いに人をいざなうことがある。昔の人の袖の香ぞする」とは、そのような思いを詠うのであろう。


 ここのところで、ふと思った。たしかに香りは、その香りを知らない人に言葉で伝えるのが難しい。けれども、それが却って「香りが連想をいざなう」力のモトなのではないだろうか。
 「橘花の香り」は「目に見ず、手に触れない」し、言葉に書き残すこともできない。でも、だからこそ、「あのときの袖の香」として記憶にしみつき、知っている同士の共感を深め、時空を越えて相手を思い起こさせる力を持つのでは。

   そうこうしていたら「芸術新潮」(4)で「ひらがなの謎を解く」という特集をやっているのを見付けた。香りと関係があるなどとは思わず、「ひらがなの謎」という言葉に惹かれて手に取ったのですが。そしたら、何と、こういう歌が!

 梅が香を袖にうつしてとどめてば春は過ぐとも形見ならまし

 この歌も古今集にあって、「梅の花の芳香を、袖に移しとどめておいたならば、たとい春は過ぎ去っても、梅の花のかたみとあるであろうものを」の意(5)。「よみ人しらず」だが、寛平(889〜898)の頃の歌合せに出たことは判っていて、古歌らしいという。「かたみ」は「思い出のよすがとなるもの、その人の形を見るもの」。この歌は、形見にするには、梅の花を色や形を絵に残すのでなく、香りを袖に移すのがいいと言っているわけで、作者は、思い出を呼び覚ますには色や形より香りがいい、と認識していたことになる。
 梅の花の香りは古来日本人の大好きな香りで、香りの良さで橘の花に引けをとったわけではない、と思う。なのに、どうして花橘の歌だけが超有名になり、これを本歌とした歌が続々と詠まれたのだろうか? まあ、兼好法師は梅が大好きだったので、『徒然草』で梅の味方(?)をしている(と私は思うのだ)けれど。思い出すのが「散っていった梅の花」であるより、「昔の人」であるほうがずっとステキだから、だろうか。もしかして橘の花の香りの方が知っている人が少なくて秘密を共有する感じがよく出るのかもしれない。橘の花の香りはそれを知っている人にしか通じない、言葉では伝えられない、ということが、弱点ではなく強力な武器となっているとも思われる。

 「芸術新潮」で話題になっているのは、こういうことではなく、この歌が、

 むめかをそでにうつしてとめたら(ば)はるはすぐともかたみならまし

と、世間に知られたのとはすこし違う(上記の赤字部分)歌形に書かれた寸松庵色紙を題材として、石川九楊氏が「掛字(かけじ)」とか「掛筆(かけひつ)」とかいう、私にとってはびっくり仰天の技法について興味深い話を書いておられるのだ。

 もちろん、芭蕉は花橘の歌や、梅が香の歌や、伊勢物語や、源氏物語や、徒然草や、何もかもをふまえて、冒頭の一句を作り、贈ったのでしょう。亡き人を偲ぶのに、まして2月であれば、「梅が香」以上のものはない、と自信をもって。しかしこの句で芭蕉の心からの同情が難なく通じる、という教養を相手も持っていたわけで、それもすごい。

 ヒトがニオイを感じる仕組みは15年ほど前に、バックとアクセルによってにおい受容体遺伝子が同定されるまで、よく解っていなかった。昨年9月、その画期的な香りの受容体(センサーとかレセプターとも呼ばれる)の研究の歴史について聞かせてくれるというので、「アロマサイエンス・フォーラム 2005」(5)というのに行ってみた。「嗅覚生物学の15年―におい受容体の発見からノーベル賞受賞まで―」のほか、全部で9つの講演があって、人のニオイの受容体は350個だがマウスは1000個もある、というような知識を仕入れてきた。これはこれですごいことだけれど、短歌や俳句の世界では香りというものの本質を大昔からかくも正しく受け止め、コミュニケーションに使いこなしていたのだ。嬉しいような哀しいような・・・。
 ではまた来月。
                                   中原幸子

〔参考文献〕
(1)加藤楸邨著『芭蕉全句(下)』(ちくま学芸文庫、1999年)
(2)三木紀人著『徒然草』(一)全訳注』(講談社学術文庫、1979年)
(3)大谷雅夫著「昔の人の袖の香ぞする」(岩波書店刊「文学」、2004年9・10月号)
(4)石川九楊解説「ひらがなの謎を解く」(新潮社刊「芸術新潮」、2006年2月号)
(5)「第6回アロマ・サイエンス・フォーラム2005 講演要旨集」(フレグランスジャーナル社、2005年)


月刊「e船団」 「香りと言葉」2006年3月号

「草芳し」

 「草芳し(くさかんばし)」は、『俳句大歳時記』(1)では「芳草」などとともに「春の草」の傍題として収載されています。つまり、草という草の中でいちばんかぐわしく香るのは春の草だ、というわけでしょうね。なぜでしょうか? そして、それは正しいのでしょうか?

 1月29日の日曜日、「道端の草を訪う会」、通称「道草の会」に参加した。行き先は「花博記念公園鶴見緑地」。ここは平成2年(1990)の「国際花と緑の博覧会(花の万博)」の会場跡地(約126ヘクタール)で、今では自然とスポーツ・レクリエーションを満喫できる公園になっている。花の万博で大阪市のパビリオンだった「咲くやこの花館」はそのまま残され、ヒマラヤの青い芥子にもアアソウカイというとぼけた名のサボテンにも会える。

 しかし、「道草の会」の目的はあくまでも草である。信じられないようなポカポカ陽気だったとはいえ、まだ枯れススキや枯れパンパスグラスの目立つなだらかな丘陵を、みんなで下を向いて歩いた。
 ホトケノザ、ヒメオドリコソウ、キクバムグラ、カミヤツデ、ヤエムグラ、オランダミミナグサ、スイバ、ヨモギ、ハルノノゲシ、ツクバネウラジロチチコグサ、タネツケバナ、オニノゲシ、アカンサス、ウシハコベ・・・。
 芝が枯れてむき出しになった土に、しがみつくように葉をひろげているタンポポやコハコベ。しゃがんで挨拶したあと、ちょっと葉っぱをちぎって嗅いでみる。うん、やっぱり! あまり香りがしない。葉っぱの中で「みどりの香り」を作り出す酵素は、ちゃんとその季節が来ないと活発に働き始めない、とは聞いていたが、自分の鼻で実感できてよかった。

 そして昨日、あたたかな雨が降った。で、草たちはどうしてるかな、とウチの近所を歩いてみた。ゆたかな自然に全く恵まれない環境に住んでいるので、草もとぼしいがみな頑張っていた。
 ノボロギク、コハコベ、ウシハコベ、タネツケバナ、スズメノカタビラなんかはもう咲いているし、ハルノノゲシ、オランダミミナグサもチラリと蕾が見える。ヤエムグラももじゃもじゃとくっつきにくる。

 どれも葉を千切って裂け目を嗅げば、すぐに「みどりの香り」で応えてくれる。先月の道端からたった1か月で、すごい変わりようだ。香りはそれぞれ目をつむってもわかるほど違うけれど、でもみんな「みどりの香り」だ。なかでも「ああ、みどりの香りだなあ」というのはハコベだろう。ハコベがヒヨコの大好物なのも、春の七草に数えられるのも、「急ぐ道、歩いて息が切れるなら、ハコベの汁をしぼり飲むべし」なんて歌が残っているのも、きっと春いちばんにこのみどりの香りを漂わせ始めるからにちがいない。

 で、どうも春のハコベと秋のハコベはニオイが違うようだ。どこがどう違うのだろう?と考えて、1年がかりで調べたヒトがいます(2)。それがなんとワタシの、香りの世界での恩師・亀岡弘(ひろむ)先生なのです。私は、この先生から、香りの分析方法はもちろん、学会での研究発表の仕方なども手取り足取り教えて頂きました。
 先生は、ご勤務先の大学のある大阪府東大阪市で、5月に8.3Kg、9月に7.0Kgのウシハコベを採集、その香りの成分を、当時最新だった分析機器を使って分析されました。
 その研究によって、ウシハコベの香り成分の総量は春が草の量の0.03%、秋が0.025%であり、春の方がいくらか多いことがわかった。更に、みどりの香りの主な成分である青葉アルコールが、春は秋の30倍近くも含まれていることがわかった。
 ちなみに、先生の口癖は「やってみらなわからん(「やってみないとわからないよ」という意味の泉南弁)と「端っこにモノ置くな」でした。

 香りの研究方法は、その後急速に発達し、今ではウシハコベ1本あれば、当時の10Kgよりはるかに詳しい情報が得られるし、また、道端に生えたままのウシハコベの放つ香りが、朝、昼、晩とどう変わるかなども調べようと思えば調べられるようになっている。でも、亀岡先生以後にウシハコベの香りに興味を抱いた人は、残念ながらいないようだ。

 そのハコベたち、『植物の世界』(3)ではこんなふうにステキだ。

 「はこべら」の名で春の七草に数えられてきたハコベは、『万葉集』の時代から馴染(なじ)みの草である。ハコベの和名は古名の「はこべら」「はくべら」が転訛(てんか)したものだが、語源は「蔓延芽叢(はびこりめむら)」「歯覆(はこぼるる)」「葉細群(はこめら)」など諸説があり、はっきりしない。畑や道端の雑草として、おそらく農耕に伴って世界中に広まった、いわゆる史前帰化(しぜんきか)植物である。その青々とした軟らかい草を、人間もニワトリも、多くの小鳥たちも好んで食べてきたのだろう。英語でもこの草を「チックウィード(chickweed=ヒヨコの草)」とよんでいる。白色で先の割れた5枚の花弁を星形につける小さな花も可憐(かれん)で、いかにも野の花である。属名のステラリアも、ステラ、つまり「星」を意味している。

 コハコベはユーラシア原産とされ、農耕に伴って世界中に広まった史前帰化植物、とも説明されている。ウシハコベはユーラシアや北アフリカから、近縁のオランダミミナグサはヨーロッパから帰化した。みんなナデシコ科、というのはちょっと驚きだった。

 もちろん、「芳草」のかぐわしさのモトであるこの「みどりの香り」は、ハコベだけでなくすべての緑葉に多かれ少なかれ含まれているのだが、なぜ、何のために葉っぱはみどりの香りを作るのか、ということはつい最近まで謎だった。でも、それもわかってきているらしい。
 たとえば、ある木の葉が虫の攻撃を受けると、葉の中で酵素反応が起って、リノレン酸が青葉アルコールに変わり、空気中に放出される。その青葉アルコールの濃度がある程度以上になると、まわりの木々も虫の嫌う物質を作りはじめ、まだ虫のついていない木も、虫にやられるのを防ぐことができるのだという。あるいはまた、青葉アルコールにも、そのお姉さん格の青葉アルデヒドにも強力な殺菌作用があるというし。こうなると、「植物は歩けないのではない。歩かなくてもいいのだ」という言葉も説得力がある。

 そんなわけで、草たちは春にいちばん芳しい。俳句もたくさん詠まれた。そして「春の草はとても芳しいです」というのとは、ひと味ちがう「草芳し」の世界が生まれたようだ。『新日本大歳時記』(4)にはそこらの事情がこんな風に解説されている。

 古くから、若草や春草は和歌の世界では相聞、恋に結びついた情趣が多い。大人も若者も子等も、春には外に出て草を摘み親しんだ時代には、春草は柔らかく手に触れて、匂いとともに、身近で懐かしいものに感じられたのである。そこから春草への特別な情が生まれたのであろう。

  野辺の草草履の裏に芳しき   (正岡子規)
  日毎踏む草芳しや二人連    (夏目漱石)
  黛を濃うせよ草は芳しき   (松根東洋城)
  杖も身もなげうつて草芳しき  (皆吉爽雨)
  十歩めば十歩の草の芳しく  (鈴木真砂女)

 ではまた来月。
                                   中原幸子
〔参考文献〕
(1)『俳句大歳時記』(角川書店、1973年)
(2)亀岡弘、Wang C.P、山口武「ウシハコベの精油成分」(「日本農芸化学会誌」Vol.52 No.8)
(3)朝日百科『植物の世界』(朝日新聞社、1995年)
(4)飯田龍太他監修『新日本大歳時記』(講談社、2000年)


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