月刊:ことばを探る 最近のバックナンバー

月刊「e船団」 「香りと言葉」2006年10月号

香木(こうぼく)(2) 沈香

 香木の王者はなんと言っても沈香です。ええ、まあ、「沈香も焚かず屁もひらず」なんてあられもない諺で有名ですが、実は、ネットで百科 (1)に、

 香道の要は一木の沈香を賞用し,その美を窮めるにあるが,その修錬の方途として組香という文学と香との結合に想到した。世界の諸民族で芳薫を珍重しないものはないが,文学的雅境を匂いに構成した文化は日本のみである。日本独自の美に対する愛惜と特異な思惟様式を香道にみることができるのである。

と書かれている、その日本が世界に誇れる文化である香道を背負って立っているのです。

 左の写真はその沈香がたった今掘り出されたところです。香木なのに地下から見つかるのかって?そうなんですよ。不思議な不思議な香木なのです。


 右の写真は1990年の花の万博に出展されていたジンコウ属の1種・アクイラリア シネンシスです。私が撮った写真なので説明板の文字がぼけていますが、

Aquilaria sinensis
アクイラリア シネンシス
ジンチョウゲ科
中国原産の常緑高木です。高さ約30mになり、春に黄緑色の花を開きます。この仲間の樹脂は沈香(じんこう)と呼び、燃やすと芳香を発します。


と書かれています。

 「沈香」がとれるのはジンチョウゲ科、ジンコウ属の植物。インドおよび中国からマレー諸島に約15種が分布するといわれ、そのうち、Aquilaria agallocha、A. crasna、A. sinensis、A.malaccensis、A. microcarpa、A.moszkowskiiなどから沈香が採れるとされる(2)。中でもAquilaria agallocha(ジンコウ)が有名なので、その植物学的な位置をこちらのに示した。
 ジンコウの木から「沈香」が採れる、と言っても、ジンコウの材自体は木の匂いがするだけで「沈香」の香りはなく、「木質部にさまざまな外的要因によって樹脂が凝縮し、樹木自体が枯れていく過程で熟成されてできる」とされている(2)。「さまざまな外的要因」とぼやけた表現になっているのは、木に傷がついたときに樹液が出てそれが固まるのだとか、微生物が繁殖してそこに樹脂が溜まるのだとか、説が一定しないからである。
 いずれにしろ、木が倒れて土中で朽ちても樹脂が溜まった部分は朽ちずに残り、それが「沈香」として珍重されることは確かである。もっとも沈香がありそうな木を切り倒して土に埋めておいて時期を見て掘り出す、ということもあるという。

 「沈香」と呼ばれるのは文字通り水に沈むからで、「沈水香」とも呼ばれる。日本には産しないが、沈香の渡来については日本書紀にも何か所か出てきます。

 たとえば推古天皇の頃のこと。
 三年の夏四月、(注:西暦五九五年)、沈水、淡路の嶋に漂著(よ)れり。その大きさ一圍あり。嶋の人沈水を知らずして、薪に交ててかまどにたけり。その烟気遠く薫りしかば、異なりとして献る
とある。丁度聖徳太子が摂政をしておられたとされる頃のことで、話がこう伝説風にでき上がったものと思われるが、実際はもっと前に仏教伝来とともに入ってきていたと考えられている。正倉院には今でも大きな沈香が残っており、中に蘭奢待と呼ばれる有名なものがある。長さ156センチ、重さ11キロ余といわれ、上記の日本書紀に出る一抱えもある沈香もそう誇張とは言えないであろう。

 それはともかく、この話で面白いと思うのは、沈香を拾った民が、竈にくべて焚いて初めて良い香りがするのに驚いた、というところ。実はこれこそが沈香の大きな特徴なのだ。日本書紀を書いた人はこの沈香の特色をバッチリ把握していたことになるわけで、只のお話じゃないのだなあ、と感動した。

 もうひとつ、同じくジンコウの木から同じような過程でできる香木に伽羅(きゃら)がある。香道では沈香の最高級品という位置づけがされているが、近年香料の世界では香気や油質の違いから別けて考えられるようになってきた。
 伽羅と沈香のいちばん大きな、分りやすい違いは、伽羅は焚かなくてもよい香りがすることである。昔、私も色々な伽羅や沈香のカケラから香りの成分を抽出して分析したことがあった。そのとき、炭酸ガス抽出という最新式の方法で採りだした伽羅の精油は、ほんとうにこの世のものとも思えない、うっとりするような香りだった。ある化粧品会社へ持ち込んだところ、部長さんが身を乗り出され、是非使いたいから値段を出してください、とおっしゃる。帰社して計算してもらったら、なんと1キロ2千万円を越えるという。部長さんと2人でうーん、と唸って、話はおじゃんになった。
 しかし、このときの研究では別にもうひとつ面白いことがわかった。伽羅でない沈香は、なぜ焚かないとよい薫りがしないか、その訳がわかったのである。伽羅も沈香も「クロモン類」と呼ばれる匂いのない成分を含んでいて、それが、ほんの少し加熱するだけで分解し、香りの良い物質を放出することが証明されたのだ。同じ沈香と呼ばれる香木でありながら、一片一片が焚けば微妙に違う香りの世界を創れるわけも、そのままでも良い香りのする伽羅が、焚くことで更に幽玄なる香りに変るわけも、それぞれ何種類かのクロモン類を違う割合で含んでいるからだったのですね。

 このとき私は、もうひとつ、「これで沈香の品質を科学的に決められるゾ」、と勇み立ちました。でも、さんざん沈香や伽羅の手ほどきをして下さったある線香会社の社長さんはおっしゃいました。

 「中原さん、そんなめんどくさいことせんでも、ええ方法おしえまひょか。値札をみなはれ」
 「!」

 香道という世にも優雅な遊びへ進む筈だった話が殺風景なことになってしまいましたね。
 すっかり秋めいてきた風にあたって、また出直すことにいたしましょう。

 ではまた来月。
                                  中原幸子

〔参考文献〕
(1)ネットで百科(有料: http://ds.hbi.ne.jp/netencyhome/
(2)谷田貝光克監修『香りの百科事典』(丸善、2005年)

月刊「e船団」 「香りと言葉」2006年11月号

ボジョレー・ヌーボー

 ボジョレー・ヌーボーのポスターが目立つ季節になりましたね。今年の解禁は11月16日(木曜日)だそうですが、Googleで「ボジョレー ヌーボー」を検索すると、100万件もヒットしました。
 昨日某デパートでパンを買ったら、「ボジョレー・ヌーボー」の予約リストが入っていて、なんと30品目もあり、何種か組み合わせた「飲み比べセット」まである。「Beaujolais」と「Nouveau」の日本語表記が「ボジョレ」「ボージョレ」「ボジョレー」「ボージョレー」と「ヌーボー」「ヌーヴォー」、更に間に「・」の入ったの、スペースのあるの、何もないのなどなど、実に「あいまいな日本語の世界」だ。ここでは「ボジョレー・ヌーボー」で行きますね。

 そう言えば・・・、と思い出したことがあって、古い出張日誌を出して探してみたら、1978年11月17日(金曜日)にジュネーブの「GOLF CLUB DE GENEVE」というところで、「今年初ものの1978年のボジョレ」をご馳走になった、という2行が出てきた。私は下戸の上にスイスの葡萄ジュースが大好きだったので、食事にもそればっかり飲んでいたが、その日だけは回りの興奮につられて、ひと口よばれてみたらしい。味を書き残して(残せて?)いないところがいかにも下戸だ。でも、11月17日の金曜日、ってヘンな日ですよね。で、ちょっと調べてみたのですが、ボジョレー・ヌーボーの解禁日にも歴史があったのですね。

 『さらに極める―フランスワイン―(入門)』(1)という本によれば、
  ワインにランクがつけられるようになったのは、ワイン選びに便利だからではない。 きっかけは、1930年代にぶどうの不作や経済の悪化が続いたことだった。それに追い討ちをかけるように、産地名を偽ったワインが大量に出回るようになり、フランスのワイン業界は大打撃を受けた。そこで対抗手段として法制化がすすめられ、現在EU諸国の基準になっているワイン法が誕生した。
と、いうことだ。新酒の解禁日も、1950年ごろは12月15日だったが、1967年、ボジョレー・ヌーボーの解禁日が11月15日となった。しかし、日を固定すると、その日が週末に当って出荷できない年ができるので、1985年に11月の第3木曜日と決められたのだという。もとはと言えば、ボジョレー地区で新酒のできを祝って飲まれていた日だというが、それがパリでもてはやされるようになり、今や世界中で同じ日に、午前零時を待って売り出されるようになったのである。私が始めて「ボジョレ」なんて言葉を知った頃には、まだ解禁日にスイスへ届くなんてことはなかったのでしょう。

 で、ボジョレー・ヌーボーはいったいどこがよそのと違うのか?
まず、原料の葡萄。ボジョレー地区はフランスワインの一大産地・ブルゴーニュ地方の最南端に位置する。森の多い起伏に富んだ地形で、その花崗岩を主とした土壌がガメ・ノワール種という葡萄の栽培に最適なのだそうだ。よそのガメ種には真似のできないフレッシュでフルーティーな味が出せるのがボジョレーのガメ種だという。すみれの香りがする、とも言われるが、どんな香りかしらね。

 それから醸造法。前述の『さらに極める―フランスワイン―(入門)』(1)によれば、カルボニック・マセラシオン法というちょっと変わった方法だ。
 収穫後、つぶさないままのぶどうを、ステンレスのタンクに目いっぱい詰め、タンク内に炭酸ガス(フランス語で「カルボニック」)を充満させる。そのまま数日置くと、酸化や微生物の反応ではなく、ぶどう自体の成分変化が起こる。果汁が流れ出して発酵するときも、果皮や種を発酵液に浸したままにしておく。これを「かもす(フランス語で「マセラシオン」)という。この方法だと葡萄の収穫から30〜50日で仕上がるという。これがボジョレー・ヌーボーなのだ。

 ここらあたりのことは、名古屋の創業60年になる酒屋「合資会社 泉屋」が運営するホームページ「わいん商 アン・ベロ」の「ボジョレーヌーボーが出来るまで(製造工程)」(2)にも詳しく出ている。ややこしい「免責事項」を堂々と明記しているだけに、逆に信頼感がありますよ。

 さて、生まれたてのボジョレー・ヌーボーは「ぶどうのかぐわしい香りが何とも魅力的な、みずみずしいワイン」(1)だというが、それってどんな香りなのであろうか。実は、ちょっとがっかり且つびっくりしたのは、冒頭でご紹介したボジョレー・ヌーボーのリスト。見出しには「香り豊かなヌーボーを集めました」とあるのに、それぞれのワインの説明に、香りのことなんかひと言も触れていないじゃないですか。ワインは色味香りを味わうものとされていて、香りの情報は欠かせないはずなのに。でも、まあ、それもしようがないかなあ、とは思う。何しろ、ワインの香りはちょっとパンフに書くにはややこしすぎる。

 例えば、東京工芸大学女子短期大学部の久原泰雄先生のホームページ「ニューラルネットワークを使用したワインの鑑定」(3)ではワインの鑑定について詳しい情報が提供されている。そのうち、香りについては、品種に由来する第一アロマ、醸造に由来する第二アロマ、熟成に由来するブーケが鑑定の対象になるとされ、例えば赤ワインの香りの表現用語がこんなふうに紹介されている。

果実の香り  :ストロベリー、ラズベリー、ブルーベリー、カシス、チェリー、プラム、アプリコット
干し果物の香り:レーズン、イチジク、プルーン、ジャム
花の香り   :バラ、スミレ、ジェラニウム
野菜の香り  :ピーマン、ジンジャー、ユーカリ、ミント、マッシュルーム、トリュフ
スパイスの香り:胡椒、クローブ、シナモン、ナツメグ、甘草
乾物の香り  :紅茶、コーヒー、たばこ、葉巻
植物の香り  :青草、干草、藁、シダ、杉、樫、枯葉
カラメルの香り:ココア、チョコレート
動物の香り  :獣,生肉、血
鉱物     :
化学物質   :硫黄、インク

 他にも木樽由来のバニラ香や、熟成から生まれるなめし皮やドライフルーツの香りも感じ取られるという。何しろワインの中からは600以上の香り成分が同定されているそうで、ちょっとやそっとの熟練では手も足も出ない世界のようだ。 でも、ボジョレー・ヌーボーは熟成されていないのだから、きっと第一アロマと第二アロマだけの、モトのぶどうのイメージをたっぷり残したフルーティーな香りなのでしょうね、きっと。
 百聞は一見(ひと嗅ぎ?)にしかず、皆さん、今年は是非「嗅ぎ比べセット」でも買って嗅いでみることになさっては如何でしょうか。
 それにしても、毎度毎度同じことを言ってますが、本当に、香りを言葉で表現するのにもっといい方法がみつからないものでしょうかね。

 ところで、ボジョレー・ヌーボーってちゃんと歳時記(4)に載ってるんですね。

 フランスのローヌ=アルプ地方で最多産出を誇るボジョレという土地で出来る葡萄酒の新酒のこと。11月の第三木曜日と定められている新酒の出荷解禁日には、日本でも時差の関係で真夜中に試飲会を行ったりする。近年ワインは健康指向ともあいまって、気楽に楽しめる軽い飲み物として人気がある。

 ボジョレヌーボー祝ぐ言の葉を待ってをり・・・嶋田麻紀
 巻舌でボジョレヌーボー小突くなり・・・・・・松浦敬親


でも、この解説、これでいいんでしょうか、ね?

ではまた来月。

中原幸子
〔参考文献〕
(1)弘兼憲史著『(さらに極める)フランスワイン(入門)』(幻冬舎、2003年)
(2)わいん商アン・ベロ:http://www.envelo.co.jp/special-issue/beaujolais/info-03.html
(3)久原泰雄氏ホームページ「ニューラルネットワークを使用したワインの鑑定」(http://www.media.t-kougei.ac.jp/~kuha/doc/iiyamamem16nn4vin.htm)
(4)飯田龍太他監修『カラー版 新日本大歳時記』(講談社、1999年)


月刊「e船団」 「香りと言葉」2006年12月号

香妃(こうひ・シャンフェイ)

 香妃は中国3美人のひとりで、生まれながらに身体から芳香を発する「挙体芳香(きょたいほうこう)」(挙体異香)の人として知られています。他の2人、西施(春秋時代)と楊貴妃(唐)もそうだったと言い伝えられています。

 『香りの百科事典』に紹介されている「香妃伝説」(1)によれば、
 18世紀、清の乾隆帝の時代、シルクロードの中国西域、カシュガル地域に勢力を有したウイグル族の王ホジハーンが清に反乱を起こしたが、逆に滅ぼされ王は殺された。その王妃は香妃といわれ、絶世の美人のうえ、身体からえもいわれぬ芳香を発していた。探検家スウェン・ヘディンはその著書『皇帝の都、熱河』のなかで香妃について記述している。「香妃はまつげが長く、唇はサクランボのように赤く、漆黒の髪の形はふくよかな両肩にたれ、すらりと背は高く、手は白玉の彫刻のように透けて見えた」
 かねがね香妃の噂を耳にしていた皇帝は香妃を大切に北京に迎え入れ、後宮に入れた。ときに皇帝50歳、香妃20歳。皇帝は、美人のうえに天与の芳香を放つ香妃を愛し、寵を与えようとしたが、これを拒み、かえって隙があれば夫ホジハーンの敵として皇帝の命を狙うありさまであった。これを皇帝の皇太后が心配し、皇帝の留守に香妃に自刃を迫り、香妃もこれを受け入れた。ときに香妃27歳であった。皇帝は大いに嘆き悲しみ、亡骸を輿に乗せ、多くの供をつけてカシュガルに送り帰したという。現在カシュガルに香妃出身のホージャ家一族の墓が安置されている廟があり、この中に香妃の墓もある。


 が、さて、実像はどうだったろうか。
 台北の国立故宮博物院から出版された『文物光華』(2)には、「香妃の玉碗」と題する、6ページに亘る解説があるのだが、そこには「史料不足のために概略的な考証しかなしえない」としつつも、次のように綿密な香妃像が述べられている。ちなみに回部はウイグル、和卓はホージャである。

 香妃は回族の貴族の身分として清宮に入った。『清史稿』〔后妃伝〕に、「和卓氏回部台吉和礼麦女」と記され、清宮に入ったのは乾隆21―2年(1756―7)の頃である。この時期は回部が遣使して清の保護を求めた頃にあたる。したがって本文でとり上げた玉碗は、おそらくはこの時に香妃とともに朝貢されたものと思われる。香妃は当初「貴人」と称され、乾隆27年に「容嬪」の封冊を受け、さらに乾隆32年に「容妃」の封冊を受けた。死んだのはそれから20年も経った乾隆53年のことである。一方皇太后は乾隆42年―つまり、香妃より11年も先に亡くなっているのである。

 ここにはまた、康熙・雍正・乾隆の3帝に宮廷画家として仕えたイタリア人画家・カスティリオーネ(中国名は郎世寧)による軍服姿の香妃の肖像があり、香妃が乾隆帝の狩に侍した際の姿であろうと推測されることや、この考証のタイトルになっている「玉碗」に刻まれている乾隆帝の御製についての詳しい考察も述べられている。その詩からも、香妃が乾隆帝によって真実大切にされていたことが読み取れるという。

 香妃の肖像と言えばもうひとつ、軍服ではなく、鮮やかな赤い衣服をまとい、翡翠らしい髪飾りや耳飾り、腕輪をつけて、ゆったりと腰掛けた美女の像が「世界の歴史」(3)に紹介されている。こちらも同じくカスティリオーネの筆になるもので、凛々しさとあでやかさの違いはあるが、その形のよい唇は見事にサクランボの赤さである。

 では、香妃の「えもいわれぬ香り」はどのような香りだったのだろうか。カスティリオーネは肖像を描いたばかりではなく、その画につけた事略に「生れて体に異香あり。薫沐を仮らず」と書き残している。香妃が挙体芳香のひとだったことの実証である(2)。

 この、香妃の挙体芳香に興味をもった作家の井上靖は、シルクロードを追ってカシュガルに赴き、そこで土地の古老から「それはかぐはしい棗の花の匂いがした」と聞いて帰ったという。この棗の花は、日本でもよく見かけるナツメ(クロウメモドキ科)ではなく、沙棗(さそう)というグミ科の植物だというが、その沙棗の香りを追って、資生堂と高砂香料とが共同で、シルクロード沿いに調査隊を派遣したのは1985年のことだった。
 壮行会をする段になっても、尚、危惧の声があったというその調査隊は、しかし、出発後数日にして沙棗の花に出会う。その花は、『香りの世界をさぐる』(4)によれば、「葉のもとに10個から20個ほど群生し、長さ7ミリから8ミリの小さな釣鐘型で先端が4つに分かれ、花びらは三角形で黄色だった」という。
 また、当時の最先端の技術を使って、出来るだけ自然のままに持ち帰られたその香りは、こうだった(4)。
 花の香りには違いないが、エステル様の、強く甘い果実の香りを伴っている。それに、くせのある動物臭もある。その動物臭は、ビーバーの香嚢(こうのう)から取るカストリウム(海狸香:かいりこう)の、鼻からのどに抜けるような、鋭くて、手につくとたやすくは離れない、持続性と重さのある香りだ。後で分析して分ったことだが、それは桂皮酸のエステルが50パーセントも含まれる、極めて珍しい組成であった。これが独特な香りに関係していた。このような成分組成の花の香料は、これまでに見いだされていなかった。

 例によって、香りを言葉で説明されてもよくはわからない。でも、なんだか爽やかだけれども濃厚で、魅力的な異界からの香りがするような・・・。まあ、しかし、どうせ香妃の体臭は乾隆帝に聞かなければわからない、のですけどね。それでも、せめて香妃の移り香のカケラなりとも・・・、と思われる方は、資生堂がこの調査の成果をもとに開発した沙棗シリーズのフレグランスが今も手に入るようですから、味わってみてください。

 さて、こんなハナシを聞けば誰でも、私もそうだったらいいな、と思いますよね。昔の人もそう思いました。そして挙体芳香を人工的に手に入れる処方が作られたのです。永観2年(984)、丹波康頼が、中国の隋唐時代の医学を集大成して著した日本最初の医学書『医心方』に載っている「体身香」がそれです。ちなみに1両は約15グラム、1分は1両の4分の1です。
 処方とその製法(5)は:

 丁子、カッ香、零陵香、青木香、甘松香、各3両。ビャクシ、当帰、桂心、檳榔子、各1両。麝香、2分を混ぜ合わせて細かによく搗き砕いて粉末にし、絹の篩にかけてふるい、この微粉末に蜜を混じ、杵でついて丸薬とする。

 服用法とその効果(5)は:

 まずナツメ大の丸薬を口中に含み、よく噛んで唾液とともに呑み込むこと一昼夜。それから3日間、小丸薬12を連続服用すれば、口中が芳しくなる。5日めには身体から香気が発するのがわかってくる。10日めには着用している衣服にも匂いがうつり、20日めにはすれちがう人も気がつく程の佳香となる。25日めには、手や顔を洗った水まで香気芬芬とするようになる。1月たつと子供を抱いても佳香がうつる。

 『医心方』には他にも「美色細腰」や「身体全体の容色(ポース・pose)をよくする」薬剤の調合内容と服用方法が掲載されているという(5)。この『香料 日本のにおい』(5)の著者・山田憲太郎先生は、香料にたずさわる者にとっては神様みたいな方、というより神様で、何か発表するときには「憲太郎サンがなあ・・・」と怖がったものです。

 ところで、丹波康頼が『医心方』をまとめることができた、ということは、隋唐の医薬の知識が手に入ったということですよね。日本で一番有名な挙体芳香の人は『源氏物語』の薫大将でしょうが、紫式部は薫の人物造形に体身香のことなどを参考にしたのでしょうかね?

 香妃のことを調べていて、私は『書剣恩仇録』(6)というすてきな小説に出会いました。その第3巻が「砂漠の花 香妃」というのです。香妃がまるで香りの精のように描かれ、文字通り匂いたっています。全4巻。お正月の楽しみです。

 ではまた来年。どうぞよいお年をお迎えください。
                                      中原幸子

〔参考文献〕
(1)谷田貝光克編『香りの百科事典』(丸善、2005年)
(2)ケ淑蘋著「香妃の玉碗」(『文物光華(一)』(国立故宮博物院、中華民国77年(四版)))(3)「世界の歴史」(週刊 朝日百科93号、朝日新聞社、1990年)
(4)中村祥二著『香りの世界をさぐる』(朝日新聞社、1989年)
(5)山田憲太郎著『香料 日本のひおい』(ものと人間の文化史27、法政大学出版局、1978年)
(6)金庸著・岡崎由美訳『書剣恩仇録』(徳間書点、1997年)



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