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月刊「e船団」 「香りと言葉」2007年1月号 歳時記のかおり 一月
明けましておめでとうございます。 「九画」の「香」を2個並べた字は、縦に並べても横に並べても「大いにこうばしい」の意。更に1つ加えて3個ならもっとこうばしいのかと思えば、ただ「かをり。香気也」と書いてある。うーん、どういうこと? 「五画」の病垂に香。これが「呼吸の病い」。 「十三画」の、香りを2個並べて下に烈火をつけた字。これは「義不詳」とされるが、これこそ沈香のことではなかろうか、と想像が脹らむ。なぜなら沈香は加熱してこそ真価を発揮する香木だから。みなさんはどういう意味だと思われますか? と、いうふうに興味尽きない「香部」であるが、でも「香」だけで、もう十分眺め飽きないおもしろさだ。「香」のつく熟語が11ページにも亘って並んでいるのだ。 その『大漢和辞典』によれば、「香」の字は会意文字で、もとは「黍」と「甘」の合字であり、「甘はよいかおりの意。故に香の本義は黍などのよいかおりをいう」とのこと。その意味も「か。かおり」「かんばしい」の他に、「凡て声や色・様子・味などの美しいこと」という項があり、あとに続く熟語の数々がその守備範囲の広さをよく示している。曰く、 【香海】 香気のただよう海。 【香亀】 香を焚けば尽く口中に之を承け、游幸に遇えば再び香を吐き出すというかめ。 【香蟻】 酒の異名。 【香血】 美人の血。 【香骨】 美人のほね。 【香象】 青い色に香気を帯びた象。 【香毛】 ははこぐさ。 という具合。(『大漢和辞典』は旧仮名、旧字体ですが、ここでは新仮名、新字体に変えています)。 で、「屠蘇」は去年の正月にのぞいてみたので、今年は「香燈籠」を。 前述のように「香燈籠」は新年の季語で、「こうどうろう」と読み、『図説 俳句大歳時記』(3)には次のように解説されている。 沖縄では前年中に弔いのあった家では、正月の十六日に初めての墓参りをする。これを新十六日(みいじゅうろくにち)と呼び、餅と煮しめを供えて紙銭をたき、それに香燈籠を供える。香燈籠は普通、紙張りの四角な燈籠に色紙で飾りをつけたものであるが、家によっては六角・八角の絵模様入りのぜいたくなものもあれば、渦巻形の棒線香にちょっと色紙をはりつけたものもある。香燈籠はそのまま墓で雨風にさらされて一種のあわれさを感じさせるものである。(比嘉春潮) これが、『カラー図説 日本大歳時記』(4)では、「新十六日(みいじゅうろくにち)」とともに「十六日祭」の傍題として収載され、下記のように解説される。 沖縄本島では旧正十六日、前年中に弔いのあった家が、この日を新十六日と称して初めて墓参りをした。宮古・八重山諸島などでは、墓の庭にテントを張り、茣蓙(ござ)を敷き、親類が集まり、泡盛を酌み交し、興がのると、三味線(さんしん)(蛇皮線)を弾き唄い踊る。昔は香燈籠を供えたものだったという。色紙で飾りをつけた四角や六角な燈籠、渦巻形の棒線香に色紙をつけただけのものもあったそうだ。墓で風雨にさらされた香燈籠のさまは哀れなものであったに違いない。 『図説 俳句代歳時記』の初版は1965年、『カラー図説 日本大歳時記』は1981年である。前者が「墓参りをする」などと現在形で書かれているのに対し、後者は「墓参りをした」など過去形になっているのが興味深い。この20年足らずの間に「新十六日」という風習はすたれてしまったのであろうか。 尚、どちらも写真や絵はなく、巻線香がどのようなものかはわからない。今、私たちが、誰かが亡くなったときに、四十九日まで仏前に供え続けるあの巻線香と似たようなものであろうか。 香燈籠は『日本国語大辞典』(5)にも出ているが、巻線香については何も書かれていない。また、『大漢和辞典』にも「香燈」はあって、「香と燈明のこと」と書かれているが「香燈籠」はない。が、ここでは面白い記述にであった。「漢の武帝、太乙を祀るに至って初めて香燈を用いた」というのである。 しかし、結局「香燈籠」がどんなものなのか、また、香燈籠というからには、普通の燈籠のように蝋燭が灯されるのでなく、線香などが焚かれるだろうか、と、いうような疑問は解決されないままに終わってしまった。多分沖縄に行けば、行事は廃れていても記録は残っているだろうと思われ、是非一度行ってみたいものだ、と思う。 インターネットで探してみても、「新十六日」は何件かヒットするが、香燈籠の画像には終にであえなかった。その代わり、というのもおかしいが、こんな巨大な巻線香が見つかった。 これは、香港の文武廟の風景だという(6)が、この大きさ!下で拝んでいる方(跪いている!)が3人ほどは、らくらく入りそう。 というような次第で、前途多難ですが、今年もどうぞよろしくお願いします。 ではまた来月。 中原幸子 〔参考文献〕 (1)俳句嚢編集委員会編『俳句嚢(CD−ROM)』(日外アソシエーツ2002年) (2)諸橋轍次著『大漢和辞典(巻十二)』(大修館書店、修訂版、1998年) (3)角川書店編『図説 俳句代歳時記』(角川書店、1965年) (4)講談社編『カラー図説 日本大歳時記』(4)(講談社、1981年) (5)『日本国語大辞典』(小学館、第二版、2001年) (6)CCT JAPANのホームページ( http://cctjapan.com/hongkong/hongkong.htm)より 月刊「e船団」 「香りと言葉」2007年2月号 歳時記のかおり 二月
春の香りはかずかずあれど、二月はやっぱり梅ですね。「梅が香」は去年ちょっとやったので、今年は「梅花(ばいか)」でどうでしょうか。
日本で練香を初めて合わせたのは、閑院左大臣藤原冬嗣(775〜826)とされる。この人は嵯峨天皇の信任を得ていた人で、施薬院を復興した、というから、香にも詳しかったのであろう。その後多くの宮廷人たちが季節の情趣を表現しようと秘法を競いあった。もちろん、苦労して仕上げた処方は秘中の秘であったが、仁明天皇の代(834〜850)に各家から六種の薫物を献じ、その後、醍醐天皇から村上天皇のころには、各自勝手に薫物を作ることが禁じられたりもしたという。 わが崇拝する山田憲太郎先生は、現在に残っている処方を調べられる限り調べられた(と、私は思う)((1)、(2))。全部あげるのも繁雑なので、今月の話題である「梅花」を例にあげてみる。
(単位は「両」)
『香譜』は中国で12世紀初め頃に洪芻(こうすう)によって、また、『薫集類抄』は日本で12世紀の終り頃、藤原範兼よって著されたものであるが、中国では5世紀に、すでに范曄(398−445)によって合香(香の調合)の専門書『和香方』が著されており、5・6世紀には合香家という職業まであったという。また、『薫集類抄』の「梅花」の処方は閑院左大臣の処方であることが明記されており、この処方がすでに9世紀の初めに使われていたことは確かであろう。ちなみに表の数字の単位は「両」(量目の単位)に換算されている((1)、(2))。 材料のうち、薫陸は乳香、・糖香は・糖樹という橘に似た木の枝葉を煎じたもの、零陵香は今ではよく解らなくなっているが、正倉院御物にはその名がある、と『香道の歴史事典』(3)に出ている。茴香は小茴香(フェンネル)ではなく大茴香(スターアニス=八角)であろう。 こうして処方ができても、薫物の調合は、ただ混ぜればいいというものではなく、調合に適した時期、材料の準備、配合の順序、搗きかた・篩い方などに細かい注意が払われねばならない。そうして材料が整うと、蜜(蜜蝋)・あまずら・梅の肉などで練り合わせて丸め、床下などで寝かせて熟成させるのである。さらに、その薫物がちゃんと真価を発揮するように焚くのもまた難しいそうですが・・・。 ところで、上記の2つの処方を比べると、『薫集類抄』の方、つまり日本の処方の方がかなり複雑であるが、私が特に注目したいのは「丁香」つまり丁子(クローブ)である。 つい先日届いた「香りの本」(4)最新号によれば、梅の花の香りは三つに大別される。 (1)白梅に多くみられ、酢酸ベンジルを多く含むタイプ (2)淡いピンクに多く、オイゲノールを多く含むタイプ (3)紅梅に多く、ベンズアルデヒドを多く含むタイプ (1)の酢酸ベンジルはジャスミンの花の主香成分であり、また(3)のベンズアルデヒドは杏仁豆腐でおなじみの杏仁(きょうにん:杏の核)の香りだが、なんと、オイゲノールは丁香、クローブの主香成分なのです。中国の「梅花香」に比べて、きっと日本の「梅花」はより梅の花の香りを彷彿とさせる香りだったに違いありません。 もっとも、丁香は六種の薫物のどれにも配合されており、閑院左大臣藤原冬嗣が、庭の梅の香りと丁香の香りに共通点があることに気付いて丁香を配合した、とは断言できないところが残念なのですが。 そんなこんなで、薫物は部屋でくゆらしたり、衣服に焚き染めたりするほか、薫物合せで勝ち負けを競うことも盛んに行われました。平安時代のこの薫物の世界がいちばん美しく繰りひろげられるのは、なんと言っても「源氏物語」の「梅枝」の巻でしょう。光源氏は、ただ一人の実の娘である明石姫君の裳着の準備の一環として、薫物の用意をします。自らも、選び抜いた材料を使って腕をふるうだけでなく、紫上をはじめ、花散里、明石御方、朝顔前斎院にも依頼します。集まった薫物で薫物合せも始まり、当時の薫物狂いが生き生きと描かれるとともに、入内する姫君の持ち物として薫香がいかに大切なものであったかが伝わってきます。「源氏物語」には「梅枝」以外にもあちらこちらで薫物が出、六種の薫物が四種まで登場すると、尾崎左永子著『源氏の香り』(5)にあります。この本、是非、ご一読をお奨めします。 歳時記(6)の春の部に現われる「香り」も調べました。索引をしらみつぶしに。でも、やっぱり香りは梅が香。もちろん香りのよい花はいろいろあります。「香」のつく季語も、 鬱金香(うっこんこう=チューリップ)、芸香(うんこう=沈丁花)、香水木(こうすいぼく=ヘリオトロープ)、香雪蘭(フリージア)、香散見草(かざみぐさ=梅)、香栄草(かはえぐさ=梅)、五香水・五色水(甘茶)、瑞香(ずいこう=沈丁花)、海苔の香、花の香、結香の花(むすびきのはな=三椏の花)、夜香蘭。他に「匂」や「芳」のつく語もいくつか。 「梅花香」はお近くの香のお店で買えます、多分。春の夜のひとときに、お香をどうぞ。ではまた来月。 中原幸子
〔参考文献〕 (1)山田憲太郎著『香料博物事典』(同朋舎、1979年) (2)山田憲太郎著『ものと人間の文化史・香料』(法政大学出版局、1978年) (3)神保博行著『香道の歴史事典』(柏書房、2003年) (4)「香りの本」第232号(日本香料協会、2006年) (5)尾崎左永子著『源氏の香り』(朝日選書、1992年) (6)角川書店編『図説 俳句代歳時記』(講談社、1981年) 月刊「e船団」 「香りと言葉」2007年3月号 歳時記のかおり 三月
正岡子規の〈毎年よ彼岸の入りに寒いのは〉は有名ですが、関西では、「まだ、お水取りがあるしぃ・・・」というのが3月上旬の暖かい日の挨拶です。お水取りが済むまでは、暖かくても油断しちゃいけないのです。 ![]() 『東大寺お水取り』(1)より 昔は時間を計るのに香時計を使用した。香の盛り方により多少、時間が異なる。6本の串の頭に日中、日没、初夜、半夜、後夜、晨朝と彫られている。 とあり、別のページの「時香盤」の説明には、 37センチ角、深さ20センチほどの木箱に灰を敷き、山道形のくぼみをつけて香を盛る。所々に串を立てて標識とし、香の一端に点火して燃え進む寸法で時刻を知る。現在では実用に堪えないが、初夜勤行の前に処世界が点火し、時香の問い合わせに応答するしきたりが守られている。 とある。でも、上の写真の香時計は正方形とは見えず、幅も高さの倍以上はありそうだ。何種類も使われていたのであろうか。それにしても、山道形とはよくも名付けたり、という感じ。 さて、6つの標識だが、それは修二会で勤修される1日6回の悔過法要(けかほうよう)、すなわち「六時の勤行」の各時のことで、日によって多少違うが、この本の3月3日の記録では、 日中(にっちゅう):13時5分頃 日没(にちもつ):13時40分頃 初夜(しょや):19時40分頃 半夜(はんや):23時頃 後夜(ごや):23時45分頃 晨朝(じんじょう):1時頃 となっている。時香盤が登場するのは3月1日の18時10分頃。初夜の勤行の準備の一環として、処世界(しょせかい)という役の人によって点火される。ただ、現在では、実際に時間を計るのに使われているのではなく、しきたりとして行われているのだそうだ。 それにしても、こんなに丹念に準備の経過が記録されているのに、なぜ時香盤の準備については何も書かれていないのだろうか。香の種類、粉砕や混合の方法、香の盛り方など、ひとつ間違っても勤行の運行に支障を来たす筈なのに。不思議だ。 まあ、香時計というものは『香りの百科事典』(3)にも載っていて、おぼろげながら想像がつく。 ・・・箱に灰を敷き詰め、そのうえに木型を用いて溝をつくる。これに抹香を盛って端から火をつけ、香の燃え進んだ長さによって時の経過を知るという仕組みである。 また、平成2年の「正倉院展」(4)には「時香盤のごときものであったかと考えられている」という「香印押型盤」(右の写真)が出展された。美しいですね。 ![]() 『平成二年 正倉院展 目録』(3)より 図録によれば、左の「黒漆塗平盆」は、右の「香印押型盤」に被せられる大きさであり、しかも、エックス線で調べたら同じ材から切り出されたものだったという。それで、「香印押型盤」の模様に香を詰めて、その上に灰をしきつめ、上から「黒漆塗平盆」を被せて、よいしょ、とひっくり返せば香印ができあがる、と想像されているという。ただ、お水取りの「時香盤」がこういうやり方で作られたとは思えませんが・・・。 そして、いよいよ明日から修二会という2月末日、「香薫」といって、大広間の奥に火舎火鉢(かしゃひばち)というもので香を焚き、あらゆるものを清めて参籠宿所に送り出すのだそうです。香は修二会の時空に密接に関わっていたのですね。 もうひとつ、これも是非ご覧下さい。 ![]() 『東大寺お水取り』(1)より みんな、いい手。その手のちょっと上のあたりで、ぴかりと光って見える丸いものは香水杓です。 ではまた来月。 中原幸子
〔参考文献〕 ((1)相賀徹夫編著作『東大寺お水取り― 二月堂修二会の記録と研究 ―』(小学館、1985年) (2)谷田貝光克編『香りの百科事典』(丸善、2005年) (3)『平成二年 正倉院展 目録』(奈良国立博物館、1990年) 戻る |