
| 月刊:ことばを探る 最近のバックナンバー |
|
月刊「e船団」 「香りと言葉」2008年1月号 歳時記のかおり 一月 墨初め
明けましておめでとうございます。 ![]() 右が本物の麝香で、左3つが合成品。残念ながら香りの奥深さも保留作用の強さも本物には適わない。でも、有り難いことに今では膠の質がぐんと上がって、昔のように臭くはないので、私に買える値段の墨でもよい香りがする。あ、保留作用というのは、香料業界の用語としては、香り成分の蒸発を抑える作用です。防腐・防カビ作用のある竜脳が飛び去るのも防いでくれる筈です。 二日は書初めですね。なにをお書きになりますか? 今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 では、また来月。 中原幸子 〔参考文献〕 (1)陳舜臣著『景徳鎮からの贈り物』(新潮社、1980年) (2)ネットで百科(有料)(http://www.kn-concierge.com/netencyhome/) (3)関口真大著『匂い・香り・禅』(日貿出版社、1972年) (4)奥田治著『香りと文明』(講談社サイエンティフィク、1986年初版) (5)植村和堂著『和硯と和墨』(理工学社、1980年) 月刊「e船団」 「香りと言葉」2008年2月号 歳時記のかおり 二月 沈丁花
ぼーんやり歩いていて、ふと、久しぶり感のある甘い香りに気付く。見なくても分かってるんだけど、やっぱり用のない方へ角を曲がってしまう。お、咲いてる、と咲いてるに決まってるのに、うれしくて、鼻をよせる。沈丁花ってそういうトコがありますよね。 沈丁花という名前は、香りが沈香に似ていて花の形が丁子に似ているから、とも、沈香と丁子の香りを併せもつから、ともいわれるが、『花ことば』(4)にはこうある。 学名Daphne odoraは「匂(かお)りのよいダフネ」という意味である。ダフネはアポロンに追いかけられてローレルの木になった森のニンフの名前だとも、「音をだして燃える」というギリシア語が語源だともいわれている。英語の一般名でもdaphne(ダフニ)といっている。 イギリスの花ことばではローレルと共通していて、この属に「光栄」「不死」(常緑であること)という意味があり、「ジンチョウゲ」は「百合の花に色をぬる」(よけいなことをするという意味)という寓意になっている。フランスではこの木をやさしい(かわいらしい)木」(boisgentil)といっているので、「やさしさ」「おとなしさ」「気にいろうとする望み」という寓意になっており、春早くに咲く花なので「幸福の復帰」という意味にもなっている。「やさしい木」というのはダフネの伝説からでた名前であろう。 『世界花言葉全集・附園芸辞典』(5)という昭和5年発行の本にも面白い話が出ている。(総ルビ、旧字体、歴史的仮名遣いだが、現代の形にあらためた)。 欧州大戦の折に、戦前の叢に一夜をあかした将卒共は酷烈なる異香に目覚めて敵の毒瓦斯だと騒ぎを起したが夜明けてダフネの艶を競うて咲き誇っているのに気付いたと言う。 そう言えば、沈丁花がたくさん一か所に植えられているのを見たことがないが、もしかしたら香りが強すぎるのかも。中国では千里香とも呼ばれるそうだし。 さて、ジンチョウゲの花の香り。ジンチョウゲはこんなに香りが強いのに、香料の世界では香料の抽出品はおろか、この香調の製品も、私は、見たことがない。が、香り成分の研究はされている。 上述の「香料」(2)にも、Watanabeらがジンチョウゲの花から145もの成分を同定した、と紹介している。主成分はシトロネロール、ゲラニオールといったバラの香りなどにごく普通に見られる化合物で、ジンチョウゲ特有の香りの成分は特定されていない。ただ、丁子の香り成分であるオイゲノールが見出されていないところからみて、名前の由来とされるのは花の形の方、という推測は成り立つだろう。 ジンチョウゲの香りの研究報告を調べていて、ヨーロッパに広く自生するというジンチョウゲの仲間、ダフネ・メゼレウムの香り成分の報告に出会った(6)。研究されたのはスエーデン中部産の花で、色はlight-purpleとあるから日本のより淡いのであろうか。香り成分も、分析方法が違うとはいえ、リナロールが圧倒的に多いので、日本のとはちょっと違う香りのように思われる。研究のきっかけが、この花に蜜蜂が集まることから、受粉につながる香り成分の解明で、とすると、随分群れて咲くのだろうから、上述の、将卒が毒ガスと間違えた、という話も真実性を帯びてくる。 ところで、ジンチョウゲの実って、ご覧になったことがありますか? ジンチョウゲは実のなる木がめったにないとかで、そう言われれば見たことないなあ、と思ったのですが。長い間雌雄異株だと思われていて、しかも雄株ばっかり輸入されたので、実がならないのだとされていたが、解剖してよく見るとどの花にもちゃんと雄蕊と雌蕊が備わっていたのだという。「平成11年度 種苗特性分類調査報告書」というのにミナリジンチョウゲというのが出ているから、その研究が実を結んだのでしょうね。実のなるのなる品種も香りは強いままのようで、目出度い。 花はもうちょっと先ですが、もう薄緑の固い蕾がいっぱいついていますね。 では、また来月。 中原幸子 〔参考文献〕 (1)「特集・花の香り」「香料(香りの本) NO.232」(日本香料協会、2006年) (2)「香料(香りの本) NO.234」(日本香料協会、2007年) (3)谷田貝光克編『香りの百科事典』(丸善、2005年) (4)春山行夫著『花ことば』(上)(平凡社、1996年) (5)西島楽峰編『世界花言葉全集』(春陽堂、1930年) (6)BORG-KARLSON A-K et al.「Floral Fragrance chemistry in the early flowering shrub Daphne mezereum」(Phytocemistry,1996) (7)財団法人 日本花の会「平成11年度 種苗特性成分調査報告書」(2000年) 月刊「e船団」 「香りと言葉」2008年3月号 歳時記のかおり 三月 桜餅
桜餅、みなさん、関東風と関西風、どちらがお好きですか? ![]() 上段左が関東風桜餅、右が関西風桜餅。 下段左は麩の焼き、右は椿餅。 同じ名前は姿が違う、違う名前は姿がそっくり。 虎屋文庫の今村規子氏によれば(1)、 桜餅、くず餅、きんつば、どら焼き、大福など、今も親しまれる菓子の多くは、江戸時代に庶民の間で生まれたものである。 桜餅は花見客で賑わう隅田川堤の長命寺門前で売り出され、亀戸天神の名物にはくず餅が考案された。 ということだが、田中千博氏の「江戸の食事」(2)には、それは享保年間(1716〜1721)のことで、「桜の名所長命寺の門番、山本新六の考案によるもので、塩漬けの桜の葉と餅の甘さが評判となる」とある。 ![]() カットには「隅田川名物 さくらもち」の店の絵(上図)が使われている。 一方関西風はと言えば、「ネットで百科」(3)の「桜餅」の項には「大坂ではこれ(中原注:江戸での大ヒット)にならって北堀江の土佐屋という店が、天保 (1830‐44) ころから売りはじめ、好評を得たという」とある。 「え?」と思いますよね、ここで。江戸にならった、と言うにはあまりにも違いすぎません?いかに箱根の関を越えたとは言え、こんなに変わるものだろうか。と思ったら、こんな記述に出会った。同じく「ネットで百科」の「和菓子」の項に、 道明寺 (乾飯(ほしいい) )を使うのは平安時代から名の見える椿餅で、どういう理由があるのか,蹴鞠 (けまり)の催しのつきものとされていた。あんを入れるものと入れないものがあり、それを2枚のツバキの葉ではさむ美しい菓子である。(鈴木 晋一) と、あったのだ。そうか、大阪人は、昔からある椿餅の椿の葉を桜の葉に変えることを思いついたのか、と思った。証拠はないが、週刊朝日百科「世界の食べもの」(4)にはナマの桜の葉を使った桜餅も出ていることだし。そう言えば関東風も、あの形のヒントはこれでは?と思う写真が『御前菓子をつくろう』(5)にある。この本では、本邦初のお菓子の本『古今名物御前菓子秘伝抄』(享保三年(1718))のレシピが再現されているのだが、そこで目を見張ったのが冒頭にあげた図の左下、「麩の焼き」。千利休が好んで茶席に供したという。門番の山本さんがこれにヒントを得た、というのはありそうですよね。 ただ、江戸も大阪も、桜の葉が花より後で出るのは同じ。これだけは同じところに行き着かざるを得なかった。桜の葉を塩漬けにして次の年まで持たせるというアイデアも、当然山本さんから出たと思われるが、塩漬けの樽からあの独特のニオイが洩れ始めたときには、さぞびっくり仰天したでしょうね。それを、仰天して捨てたりせず、そのまま使うなんて、なんて偉いんでしょう、山本さんは。 で、あの桜餅独特のニオイは主としてクマリンという化合物によるが、ナマの葉の中ではクマリン酸グルコースという不揮発性、つまりニオイの無い物質として含まれている。それが塩漬けにされることで、これも葉の中に含まれている加水分解酵素(β−グルコシダーゼ)の働きでクマリンになる。そこに関心をもって、実験室でこの過程を再現してみたのが、兵庫県立姫路東高等学校の村上忠幸先生(6)。 「どうしてさくらの葉から、サクラモチ臭が出てくるのか?」という疑問に答えるため、サクラの葉40枚ほどを採集、試薬屋さんから100mg6600円でβ−グルコシダーゼを買い、ニオイを確認するために25g900円でクマリンも買って実験されたらしい。そしてめでたく「桜の葉から桜餅の香りのクマリンが発生する」ことを実証された。 こういう授業だと化学の時間も楽しいでしょうね。ついでに家庭科の先生も巻き込んで、ホントの桜餅のニオイと較べてみたりしたらもっと楽しくて美味しいかも。 上述のように田中千博氏は「塩漬けの桜の葉と餅の甘さが評判となる」と簡単に書かれているが、香りも大きく寄与していると思われる。クマリンの香りは『香りの総合事典実』(7)に「トンカ豆様の香気で甘いややスパイシーな香気を有する。希薄な状態では新しい干草様の香気である」という、この、「希薄な状態では・・・」というのがミソで、あのほど良い濃度のクマリンなくしては桜餅はあり得ないと思う。「牡丹餅の塩と女の口の過ぎたのは取り返しがつかない」というが、実は、クマリンの香りも過ぎると取り返しがつかないのです。 ところで、桜の食べ物、いくつご存じですか? 十?二十? いえいえ、澤山茂氏の「食品としての桜の花と葉」(8)には95種類も紹介されているのです。羊羹やだんごはともかく、「桜たいやき」「桜明太子」には参りました。 では、また来月。 中原幸子 〔参考文献〕 (1)今村規子著「時代の華、和菓子文化と歴史」(「食の科学」,2002年4月) (2)田中千博著「江戸の食事」(11)(「明日の食品産業」、2005年9月) (3)ネットで百科(有料: http://ds.hbi.ne.jp/netencyhome/) (4)週刊朝日百科「世界の食べもの」109号(朝日新聞社、1983年) (5)鈴木晋一監修『御前菓子をつくろう』(ニュートンプレス、2003年) (6)村上忠幸著「サクラモチ臭の発現機構を探る」(「化学と教育」、43巻4号、1995年) (7)日本香料協会編『香りの総合事典』(朝倉書店、1998年初版) (8)澤山茂著「食品としての桜の花と葉」(「製菓製パン」、2002年2月) 戻る |