月刊:ことばを探る 最近のバックナンバー

月刊「e船団」 「香りと言葉」2008年7月号

お香あれこれ(4)空薫物(そらだきもの)

 あっという間にもうお盆の月ですね。関西では8月ですが。
 『供養具と僧具』(1)という本、これは「日本の美術」シリーズの283号なのですが、ここには仏様をもてなす用具が156点、ずらりと並べられ、そのうち40点ほどが「香」にかかわるものです。直接香を供養するのでなくても、たとえば、表紙裏は、法隆寺の玉虫厨子の須弥座正面腰板に描かれている舎利供養の場面なのですが、その中央にあるのは大きな脚付きの据(すえ)香炉で、その左側にはひとりの僧が柄(え)香炉を捧げて座っています。柄香炉というのは文字通り柄のついた香炉で、いわばケータイ香炉です。
 玉虫厨子といえば天平のもので、つまり、この絵はそのころの香供養の盛大さを伝えるのですが、香りの不思議な、というか有り難いところは、仏様への供養の香りがそのままその空間を満たして、そこにいる人々をも包むことでしょう。そして人々はなんとはなしにいい気持ちになっているのに気付く・・・。

 さて、そうなると、「これ、ウチにもほしいなあ、ちょっと客間や居間で焚けたらなあ」と思うのが人情というものでしょう。実際、そうなっていったのです。
 むろん、高価でもあり、また、たとえお金があっても手に入りにくかっただろうから、そんなことを許されるのはごく限られた人々であろうが、それでも実際に、香は仏前を離れて生身の人間の生活へ入っていったのである。その結果、仏への供養である「薫物」に対して「空薫物(そらだきもの)」という言葉が生まれた。何が「空(から)」かと言えば、つまりその香煙には「祈りが籠っていない、カラっぽだ」ということでしょうね。「空薫物」という言葉、『香道の歴史事典』(2)にはこう書かれている。

そらだきもの 空薫物
 空香(そらこう)とも呼ぶ。神仏に供えるための香(供香)に対し、貴族たちが自分たちの居間で練香を?きしめて楽しんだことをいう。例えば厠香(かわやこう)・厨房(ちゅうこう)といったものがこれにあたるが、さらに範囲を広げ衣服や髪に香をきしめることもこれに含まれる。


   厠香! おお、トイレの消臭剤って、そんな昔からあったのですね。いったいどんな香りだったのか、興味深いところですが、それは後日のことにして、『角川古語辞典』の「空薫」はちょっとニュアンスが違うのですね。こうです。

そらだき【空薫】
名・動サ変@衣服などの個々の物に香をたきしめるためではなく、ある場所全体にどこということなくにおうように、香をたくこと。空薫物(そらだきもの)とも。「火取に空薫するにや、馥(かうばし)く聞(かが)ゆ」〔今昔・一七・三三〕「にほひくる花橘のそらたきはまがふ蛍の火をやとるらん」〔夫木・七〕
(後略)

そらだきもの【空薫物】
名空薫(そらだき)@のための薫物(たきもの)。また、空薫@。「そらたきもの、こゝろにくゝかをりいで、名香のかなど、にほひみちたるに」〔源氏・若紫〕「そらたき物するやらんと、かうばしき香しけり」〔宇治拾遺・九・一〕「夜寒の風にさそはれくるそらたきもののにほひも、身にしむこゝちす」〔徒然・四四〕


 では、実際にはどう使われていたのであろうか。『時代別 国語大辞典』(3)の上代編にはこの語そのものがなく、用例は『角川 古語大辞典』(4)より 『日本国語大辞典』(5)の方が古くて、こうある。

そらだき‐もの【空薫物】
 来客のときなどに、どこからともなく匂ってくるようにたく香。
*宇津保〔970〜999頃〕国譲中「例のそらたき物などして参り給ふ」


 宇津保物語は、「ネットで百科」によれば、
 平安中期 (10 世紀末) の作り物語。作者は古来の源順(みなもとのしたごう)説が有力。 〈うつほ〉には〈洞〉〈空穂〉をあてることがある。初巻に見える樹の空洞に基づくもの。

 とされるが、その 第二部、〈国譲〉に「そらだき物」が出てくる。本文は(私には)殆ど意味不明なので、現代語訳(6)をみてみると、

 〔一六〕仲忠、忠こそを招き女一の宮の加持祈祷を頼む
 (略)
 (仲忠が忠こそ(真言院阿闍梨)を)こうして、「座にお着きになってください」と促される。南庇(ひさし)に、趣味のよい屏風がを立てて御座がしつらえられてある。例のごとく薫き物を漂わせて席にお付きになる。そのようななか、女一の宮に典侍(ないしのすけ)が申し上げる。「たいそう意地悪でご幼稚ななされ方ですこと。これは、どこがわるくてご気分がわるいのではございません。お知らせ申し上げにならないので、右大将様はあわてふためかれなさるのです。そのことはともかくも、生身の仏で利生を与えてくださるとご評判の方が加持をなさるのですから、何か不都合がありましたら困ります。このような祈祷僧というのは、どのようなことのために祈祷するのか、心設けしてからこそ加持を行うものなのです。ほんとうに恐ろしいこと。右大将様に申し上げましょう」と申し上げると、女一の宮は、「どうして気分が悪いのか分りません。たいそう苦しいのは、きっと死ぬからなのでしょう」とお返事をなさるので、典侍は、「まあお意地のわるいこと」などとやきもきしていらっしゃる。

 女一の宮は懐妊していて、それで気分が悪いのだが、右大将(仲忠)は懐妊を知らされておらず、病気だと思っておたおたと祈祷を頼む。典侍は妊娠と病気では加持祈祷の仕方も違うのに、早くお知らせしないと、と気をもんでいるのである。
 上記の、忠こそが薫き物を漂わせて席に着くところは、原文では「例の空薫物(そらだきもの)などして参りたまふ」となっている。そして注には「『空薫き』はどこからともなく香りが漂ってくるように、香をたくこと」とある。
 ここでは、どう考えても、忠こその着衣から香りが漂う、と読むのが自然であろう。ただ、まあ、忠こそが歩くにつれて、その空間が香った、のは確かだが。

 一方、この、日本初の長編物語といわれる宇津保物語には、多くの貴族が登場する訳ですが、『宇津保物語 本文と索引』(7)を見ても他にはどこにも薫き物を漂わせている人物が出てこないのですね。更に、「例の空薫物」とあるからには、忠こそが歩くと香るのは、決して、仏前に供えた香が衣服にしみ込んだのではないことになる。
 なんだかいきなり、混乱してきたが少なくとも「空薫物」の「空」が空間を意味するかのような『角川古語辞典』の解説はちょっとヘンではなかろうか。

 もうひとつ、もしかして、これは、薫物が生活の中で楽しまれるようになった始めは僧侶の身だしなみだったことを意味するのだろうか、という疑問も湧く。源氏物語では日常茶飯事のごとく、それも男女を問わず、こぞって薫物をたのしんでいることから考えて、それもちょっと考え難いが。
 これは、宇津保物語のころの薫物をもう少し詳しく調べてみないといけないですね。
 中途半端でごめんなさい。では、また来月。
                              中原幸子

文中、文献の引用は茶色文字、ネットからの引用は青色文字です。

〔参考文献〕
(1)『供養具と僧具』(日本の美術第283号、至文堂、1989年)
(2)神保博行著『香道の歴史事典』(柏書房、2003年)
(3)『時代別 国語大辞典 上代編』(三省堂、1967年)
(4)『角川古語大辞典 CD−ROM版』(角川書店ほか制作、2002年)
(5)『日本国語大辞典(第2版)』(小学館、2000〜2002年)
(6)『うつほ物語(3)』(新編日本古典文学全集16、小学館、2002年)
(7)宇津保物語研究会編『宇津保物語 本文と索引』(笠間書院、1973年)


月刊「e船団」 「香りと言葉」2008年8月号

お香あれこれ(5)続・空薫物

 『香道の歴史事典』(1)にいう「神仏に供えるための香(供香)でなく、居間で練香をきしめて楽しんだ」のが「空だき」なのか、『角川古語辞典』(2)のいう「衣服などの個々の物に香をたきしめるためではなく、ある場所全体にどこということなくにおうように香をたく」のが「空だき」なのか・・・。この一か月というもの、ずっと引きずって歩いて、まだすっきりしない、困ったものです。いきなり愚痴っぽくてすみません。

 「そらだきもの」が宇津保物語に一か所だけ出てくることは、7月号でご紹介しました。「国譲り・中」で、仲忠が忠こそ(真言院阿闍梨)を女一の宮の為に加持祈祷をしてもらう部屋に案内するところで、改めてご紹介しますと(3)、

【原文】
かくて「まうのぼり給へ」とあり。南のひさしに、よき御びやうぶたてたり。れいのそらたき物などしてまいり給。
【現代語訳】
 こうして、「座にお着きになってください」と促される。南庇(ひさし)に、趣味のよい屏風がを立てて御座がしつらえられてある。例のごとく薫き物を漂わせて席にお付きになる。

 原文で「れいのそらだき物などして」となっているところが、現代語訳では「例のごとく薫き物を漂わせて」となっている。
 わたしがつまづいたのは「空間にただようように焚かれる」から空だきものなのか、衣服についた薫りでも、それが漂って空間が薫れば空だきものなのか、あるいは真言院阿闍梨の忠こそが法衣に、あたりに漂うようないいにおいを染み込ませるいう、供養でない薫りの使い方をしているのが空だきものなのか、どれもみんな空だきものなのか、という点でした。

 改めて原文をよくみると、忠こそは「そらたき物」を「してまいり給」うのですね。結果として、「薫き物を漂わせて」席についたとしても、「たきもの」と「空たきもの」の相違にこだわって現代語訳をするならば、「例のごとく空たき物をしておいでになる」となるのではないでしょうか。そして、そうだとすると、これは供養ではなく日常生活で楽しむ薫香という解釈が正しいと思われます。

 で、源氏物語(4)も調べてみました。こちらは3か所あります。現代語訳だけ見る、というズボラは先月で懲りましたので原文も併記します(5)。

若紫
【原文】げにいと心殊に由ありて、同じ木草をも植ゑなし給へり。月もなき頃なれば、遣水に篝火ともし、燈籠などにも参りたり。南面(みなみおもて)いと清げにしつらひ給へり。そらだきもの心にくゝ薫り出で、名香(みょうごう)の香などにほひ満ちたるに、君の御追ひ風いとことなれば、内の人々も心づかいすべかめり。
【現代語訳】なるほど、同じ木草でも、格別心して風流に植えていられる。月もないころなので、庭の遣水に篝火をともし、燈籠などにも灯が入っている。南正面の座敷をたいそう綺麗に支度しておありだった。空だき物奥床しく薫って来、ご仏前の香の匂いなども一面に漂っている所に、君のご衣裳の香はまた格別ゆえ、奥にいる女方も気を使っているらしい。

花宴
【原文】そらだきもの、いとけぶたうくゆりて、衣の音なひいと花やかにふるまひなして、心にくく奥まりたるけはひは立ちおくれ、今めかしき事を好みたるわたりにて、やむごとなき御方々物見給ふとて、この戸口はしめ給へるなるべし。
【現代語訳】そらだきものが、たいへんけむたくかおって、衣ずれの音をわざとひどく花やかにさせてふるまうというふうに、奥ゆかしさ、深みを思わす感じは少なく、当世風(モダーン)な事を好んでいる邸であって、高貴な方々が物見をなさるからと言って、この戸口を占領しておいでなのだろう。


【原文】いといたう心して、そらだきもの心にくき程ににほはして、つくろひおはするさま、親にはあらで、むつかしきさかしら人の、さすがにあはれに見え給ふ。(略)内よりほのめく追ひ風も、いとゞしき御にほひのたち添ひたれば、いと深くかほり満ちて、かねて思ししよりもをかしき御けはひを、心とゞめ給ひけり。
【現代語訳】殿様はたいへん心を配って、空薫物を奥ゆかしい程度に匂わして、世話をやいていらっしゃるご様子は、親ではなくて、困ったおせっかい者の、それでもよくまあこれまでとお見えになる。(略)内からのほのかな追い風に、さらに優れた殿さまの香(こう)のにおいが加わったので、ひとしお深い薫りがへやに満ち、宮は予想した以上にすばらしい姫のご様子に、お心を引かれなさった。

 「若紫」では、源氏が加持を受けに行った北山で、恋い慕ってやまない藤壺女御にとてもよく似た少女(後の紫の上)に出会うわけですが、その少女が祖母の北山の尼君とともに身を寄せるているのが尼君の兄、北山の僧都の房ですよね。
 そこで源氏が迎え入れられた部屋には、仏前に焚かれる名香(みょうごう)とともに、空だきものが奥ゆかしく薫っていました。
 「花宴」では教養のなさの象徴のように「けむたく」焚かれ、「蛍」では「心にくく」焚かれているが、供養とは無関係である。

 尾崎左永子著『源氏の薫り』(6)では、

 当時のくらしのなかの薫香は、大別すると大体三つにわけることができます。
 一つは仏前にくゆらす「名香(みょうごう)。
 二つめは衣類に香りをつける「衣香(えこう)」。
 三つめは室内にくゆらす「空薫物(そらだきもの)」です。


 とされている。なるほど、とは思うものの、「若紫」ではその空薫物が薫っているのが僧都の房であることに、やや引っかかる。「名香(みょうごう)」はいい薫りはしても明らかに供養の為だから、客を迎える為には別に「空薫香」(供養ではない)を焚いたのだ、との解釈も可能ではないだろうか。

 そうこうしていて、ふと思い出したのがずっと前に読んだ「香料史、その周辺」(7)。
 そこには、「空薫物(そらだきもの)とは空しくいたずらなる物の意とは倭訓栞(わくんのしおり)の説明だが虚空をよぎる微かな香りが人生に大きなインパクトを与えることだって有り得る」とあった。『倭訓栞』は安永6年から明治20年にかけて刊行された国語辞書だそうで、古語・雅語・俗語・方言の語彙を広く蒐集、語釈を加え、用例・出典を示してくれているという。これを調べれば、来月はいよいよ空薫物がはっきりするだろうか、そう願いたいなあ、と願いつつ。
 では、また来月。
                              中原幸子
※文中、文献の引用は茶色文字、ネットからの引用は青色文字です。

〔参考文献〕
(1)神保博行著『香道の歴史事典』(柏書房、2003年)
(2)『角川古語大辞典 CD−ROM版』(角川書店ほか制作、2002年)
(3)『うつほ物語(3)』(新編日本古典文学全集16、小学館、2002年)
(4)柳井滋ほか編『源氏物語索引』(新日本古典文学大系 別巻)(岩波書店、1999年)
(5)玉上琢弥訳注『源氏物語 全10冊』(角川ソフィア文庫、1966年初版)
(6)尾崎左永子著『源氏の薫り』(朝日選書449、1992年)
(7)本間延実著「香料史,その周辺」(「香料 No.176」、日本香料協会、1992年)


月刊「e船団」 「香りと言葉」2008年9月号

お香あれこれ(6)薫物

 え、まだ続くの、と、実はわたしも思うのですが、もう一か月だけお付き合いをお願いします。
 「空薫物」と「薫物」の関係、なんとかもう少しはっきりさせたいのです。
 でも、この「たきもの」という語、意外とそうたくさんは出てこないのですね、うつほ保物語(1)にも源氏物語(2)にも。薫物や空薫物の出るところを一気にお読みになりたい方はこちらをどうぞ。これって結構しんどかったですが、でも、いろいろと見えてくるものがありました。

 で、ちょっと整理してみたいと思います。

 その前に、この2つの物語の成立期間ですが、うつほ保物語(1)は、その解説によれば、円融帝の天元以後一条期の初期にかけてのほぼ10年間と推定することが可能だという。西暦だと970年頃からの10年間ほどということになる。『源氏物語』はといえば、今年、千年紀で盛り上がっているように、寛弘5年(西暦1008)11月1日に若紫の巻が書かれ、発表され、読まれていた、ということだけがはっきり言えることだ、と、これも解説にある。
 まあ、うつほ物語は源氏物語はよりも30年程前に書かれたということらしい。

 作者は、うつほ保物語は、「いまだにその落ち着くところを知らない」と同解説にあるが、説としては源順、藤原為時、源為憲などが候補に上がっている由。源氏物語はいうまでもなく紫式部。

たきものが出る回数は、
 うつほ物語:17回
 源氏物語 : 7回

そらだきものは、
 うつほ物語:(終わり頃に)1回。  源氏物語:(たきものより前に)3回。(宇治十帖では出ない)

 薫物は、竹取物語にはもちろんのこと、伊勢物語にも現れない。それがうつほ物語になると色々な用語が出て来、合わせ薫物という、源氏物語には出ない語も出る。ここらをきちんと見ていけば、薫物が受容され、文化として育って行く足跡が垣間見えるのではなかろうか。
 と、思った理由のひとつが、うつほ物語の「吹上・上」の巻に出る「唐の合わせ薫物」の一語だった。ともかくそのくだりをご覧ください。

(あて宮)
【原文】かくて、その時になりて、御車数のごとし。御供の人、品々装束きて、日の暮るるを待ちたまふほどに、仲忠の中将の御もとより、蒔絵の置口の箱四つに、沈の挿櫛よりはじめて、よろづに、梳櫛の具、御髪上げの御調度、よき御仮髻、蔽髪、釵子、元結、衿櫛よりはじめて、ありがたくて、御鏡、畳紙、歯黒めよりはじめて一具、薫物の箱、白銀の御箱に、唐の合はせ薫物入れて、沈の御膳に白銀の箸、火取、匙、沈の灰入れて、黒方を薫物の炭のやうにして、白銀の炭取りの小さきに入れなどして、細やかにうつくしげに入れて奉るとて、御櫛の箱にかく書きて奉れたり。
  唐櫛笥あけ暮れものを思もひつつみなむなしくもなりにけるかな

【現代語訳】こうして、お出かけの時刻になって、お車は定まった数に整えられる。御供の人は身分に応じた装束を着て、日の暮れるのをお待ちになっている間に、仲忠の中将のところから、蒔絵の縁飾りをした箱を四つ、その一つには沈木製の挿櫛をはじめとして、各種の梳櫛の調度、二つ目の箱には御髪上げの道具、上等の御仮髻、蔽髪、釵子、元結、衿櫛をはじめとして、珍しい品々、三つ目の箱には御鏡や畳紙、歯黒めの料をはじめとして一揃い、四つ目は薫物の箱で、銀製の箱に舶来の合せ薫物を入れて、沈木製のお膳に銀製の箸を添え、火取には調合用の匙をつけ、沈木の灰を入れて、黒方を薫物に用いる炭のような形にして銀製の小さな炭取りに入れたりして、こまやかに美しく整えてあて宮に献上しようとして、御櫛の箱にこのような歌を書いてさしあげる。
 唐櫛笥あけ暮れものを思もひつつみなむなしくもなりにけるかな
 (今まで明けても暮れても、ずっとあなたのことを思い悩んできましたが、それもみな無駄になってしまいましたよ)


 ご覧のように「唐の合はせ薫物」は現代語訳では「舶来の合せ薫物」となっている。この語には注はないが、黒方(くろぼう)に「薫物の一種で、丁子香などを練った練り香」、と注があることから見て、これが調合され、仕上げられた練り香なのは確かであろう。
 私にとって、これは一大事だった。「えーっ!調合された薫物も輸入されてたの?」と。でも、よく考えてみればこれは当然のことですよね。貿易をするなら、材料やレシピだけでなく完成品も積んで行くのが普通でしょうから。というか、完成品だけでも不思議ではない。
 ふと気付いたのですが、「黒方を薫物に・・・」の「薫物」は、単なるモノではなく、香を焚くコト全体を指していますね。
 源氏物語の注を見ても、「若紫」の「そらだきもの」には「室内を薫らすためにたく香」、「梅枝」の薫物には「種々の香木を粉にひいて練り合わせた物」など、とあり、薫物という語の守備範囲の広がりがみられる。つまり、源氏物語の頃には、わざわざ「合せ」と断らなくてもよくなっていたのではなかろうか。下記の、「行幸」に出る唐の薫物も、明らかに合わせ薫物だし。
【原文】中宮より、白き御裳、唐衣、御装束、御ぐしあげの具など、いと二なくて、例の、壺どもに、唐の薫物、心ことに薫り深くて、奉り給へり。
【現代語訳】秋好む中宮からも、白い裳、唐衣、御装束、御髪上げのお道具など、またとないほどの出来で、いつもの通りいろいろの香壺に、中国からの薫物、格別好い香りのするのを、差し上げなさった。

 さて、うつほ物語で、もっと驚いた薫物はここです。

(国譲・中)
【原文】「(略)宮もかしこを参らずとのたまふめるに、今宵なむ参らせむと思ふ。藤壺参りたまひなば、装束の薫物のやうなるべし。鼬の間の鼠としも仕うまつれとてなむ」とのたまへば、(仲忠)「いかなるべきことにか侍らむ。仲忠はいかでか取り申さむ。殿の御ためにやごとなきことなり。それによりて、侍らむ所に思ひ疎まむも、苦しうなむ。(略)」
【現代語訳】「(略)東宮も、梨壺のことを、参内しない、とご催促なさっておいでのようだから、今宵参内させようと思っています。藤壺様が参られたら、装束の薫き物のような添え物程度のお扱いになるでしょう。鼬のいぬ間の鼠のように、この機会に存分にお仕えしなさい、とのとのことでそうすることにしました」とおっしゃると、右大将は、「どうしたものでしょうか。わたしには何も申せません。父上のためには一大事でございます。けれども、そのことによって妻に疎まれてしまいますのも、辛いことです。(略)」

 なんと、薫物が衣装の添え物!
 うーん、そう言えば、今でも香水なんてほんの添え物、という人もいれば、これぞおしゃれの仕上げ、センスの見せ所、と思う人もいる、というのはありますが。でも、ここがあるお陰で、源氏物語での薫物の扱われかたが一層光る気がします。ちょっとオーバーに言えば、薫物が文化に育っているなあ、という感じ。

  そして、うれしいことにも出合いました。
「絵合」の巻では文字通り絵巻の絵を合わせる、つまり競わせるわけですが、竹取物語とうつほ物語の勝負も行われ、そこではうつほ物語が装丁の取り合わせの良さで高く評価されます。 さすが、紫式部。「取り合わせ」を深く深く理解していたようです。

 で、「空薫物」は、衣装に焚き染めて使うものだった「薫物」の新しい楽しみ方だったのでは、というのが今現在の私の結論です。仏教辞典の類に「そらだき」が見つかったら、また考え直さないといけないかも知れませんが。
 それと、こうして薫物の文化が急速に進んだのは日宋貿易、つまり日本と中国との民間人による貿易が盛んになって、香がその文化ごと輸入されたお陰のようで、そこらもきちんと知りたいところです。

 お付き合い、有難うございました。10月は楽しい話題を見つけたいと思います。では、また来月。
                              中原幸子
〔参考文献〕
(1)玉上琢弥訳注『源氏物語(付現代語訳)』(角川ソフィア文庫、2007年)
(2)『うつほ物語』(1)〜(3)(新編日本古典文学全集14〜16、小学館、1999、2001、2002年)


戻る