月刊:ことばを探る 最近のバックナンバー

月刊「e船団」 「香りと言葉」2008年10月号

お香あれこれ(7)名

 うつほ物語、源氏物語の薫物はやっぱり、ちょっと、でした。ごめんなさい。
 いつも更新直後に読んでくれる50年来の友人から、「今回はなかなか読めなかった。しかも、丁寧に読んでいたら頭が痛くなりそうで、後の方はそこそこになった」とメールが来たのが10月10日。でも、ちゃんと校正ミスを見つけてくれたりして、わたしっていい友達を持ってるなあ、と自分をほめてしまいました。

 さて、私の名前は幸子と書いて「さちこ」と読みます。私の世代の女の名前では2番目に多いそうですが、それでも「さちこ」は断固私の名前であって、他のオンナの名前ではない。俳句や短歌や詩や小説、いろんなところに出てくる「さちこ」はみんな私。「さちこ」を詠み込んだ恋の歌なんかに出会うと、それはワタシです!と手を上げる。

   なんでこんなことを言うかといいますと、香道がこんなに奥深いステキな世界に育った原点は「名をつける」ことだった、と思うのです。

 香道の始まりが平安時代の「薫物合(たきものあわせ)」つまり薫物の優劣を競う遊びだったのは確かですが、それと現代の「香道」とは連綿と続いた世界ではなく、いちど大きな転機を経ているのですね。「薫物」はいろいろな香の材料を配合し、練り合わせて丸めた練香ですが、「香道」では香木そのものを焚く。そうなったのが室町時代のことでした。この頃には薫物合と香合(こうあわせ)が平行して行われていたといいます。

   『香道への招待』(1)に、こんな風に出ています。
 東山文化の中心人物たる(足利)義政自身が東山泉殿に於て主催した香会の記録が「五月雨日記」に出ている。文明10年(1478)11月16日の「六種薫物合」と、文明11年5月12日の「六番香合」との二つの香会である。
 前者は薫物合なので、あとの「六番香合」を見ると、連衆(れんじゅう)は六人で各人二種の香を秘して持ちより、左右三人ずつに分れ、左座からたき出して右座の者に聞かせる。そして、左は右に、右は左に香銘を問い、判者はこれによって優劣を定める。香は計十二種あった。
 香合に用いられた香銘は左
(下記)の如くみえる。

一番   とこの月 山した水
二番  雪のそで かはらや
三番  しほやき衣 こりずま
四番  春光 うらふじ
五番  たまみづ 萩の戸
六番  ねぬよの夢 やまぶき

 これらが、当時選り抜きの教養人たちによって競わせられ、香りの優劣・名の優劣が決められたのである。
 この記述の出典、「五月雨日記」(2)は香道の祖と言われる三条西実隆(1455〜1537)の著で、将軍義政から香合をするから香を2種もって来るように、との手紙が来た云々、というところから始まるが、そこに面白いことが書かれている。
 「香りで勝っても名で負けたら負け、香りで負けても名で勝ったら勝ち」、つまり「名」の勝負なわけですね。
 それからまた、香が良いよりも名が良いのがよい。香がよくて名がよく伴っていれば、勝ちは言うまでもない。更に、それまでに何度も香合に出した香木でも、新しい名をつけて出すのはOKで、その名がよければ作者の手柄だ、とまで言っているのです。

 例えば、ちょっと一番の勝負を見てみましょうか。

一番
 左。勝。
とこの月。
 右。
山した水。


   香りはどちらもよかったのです。で、名の勝負になったのですが、命名の元歌(証歌)が、「とこの月」は新拾遺和歌集の伏見院の御製で、

 あき風のねやすさまじくふくなべにふけて身にしむとこの月かげ

「山した水」は藤原俊成(長秋詠草)で、

 にほひ来るやました水をとめゆけばまそでにきくの露ぞうつろふ

 「とこの月」の方は匂いだの煙だのに関わらないで、永遠の月をもって来たのが「凡慮の及ぶところでない」と評価され、「山した水」の方もいいことはいいが香の名に「菊の香」は前例があるよ、ということで、月の勝ち、なのです。

 香に名を付ける、それも和歌を踏まえた名を付ける。それによって香と文学の取り合わせがスタートした、と、私は思うのです。いえ、それは、私だけじゃないでしょうが。ここから香の世界は美を深め、文化として花開いた。そうですよね?
 ちょっと思い出して頂きたいのですが、源氏物語の「梅枝」でも薫物をあれこれと比較していて、あれは薫物合のわけですが、あそこで出てくる薫物は黒方(くろぼう)とか、侍従とか梅香(ばいか)などと呼ばれていましたよね。あれは普通名詞なのですね。あそこで誰かが自分の薫物に明石の姫にちなんだ名をつけて届けたら、面白かったのになあ。

 さっきからずっと名、名、と言っていますが、『香道への招待』では「香銘」と書かれていましたよね。でも、「五月雨日記」では「名」です。銘と呼ぶようになったのはもっと後なのではないでしょうか。
 ふと、今は、名よりも名前という語をよく使うけど、名と名前はどう違うのかな、と思い、ちょっと調べて見た。名の方は『時代別国語大辞典』の古代編(2)に既に出ているのに、名前の方は室町編にも出てこない。そして、『角川 古語大辞典』(3)に出ている「名前」の用例はなんと明治時代のもの。ついでにおさらいをしますね。(漢字は新字体にしています)。

な【名・号】名(1)個体、個物に対して与える呼称。いわゆる固有名詞がほぼこれに相当する。個人および国郡郷里など行政上の区域は固有の名を持つのが常である。山川原野湖沼、神仏、氏、家なども名を有することが多く、そのほか、団体、建造物、船、著作物、飼育する馬・犬・鷹、あるいは伝来・秘蔵・愛玩の器物などにも固有の名を与えることがある。なお、刀剣、楽器、茶器などの名を銘(めい)という。

なまへ【名前】名 名(な)に同じ。人や物の呼び名。人に関して用いるときは、姓名についても、姓に対して個人に付けられた名についてもいう。「此節空嚢ゆへ、貴家御名前拝借相希(ひ)候」〔菊池五山書簡・年月未詳十四日・亭宛〕


 菊池五山(1769〜1849)は江戸後期の漢詩人。
 なんで名に前がついたのかも興味あるところですが、それはまだ調べがついていません。

 いよいよ香道へ入っていけそうで、うれしい秋です。
 では、また来月。
                      中原幸子

〔参考文献〕
(1)北小路功光著『香道への招待』(宝文館出版、1969年)
(2)塙保己一編『群書類従・第19輯』中の「五月雨日記」(続群書類従完成会、1979年、訂正三版第四刷)
(3)『時代別 国語大辞典』(古代編、室町時代編)(三省堂、2000年)
(4)『角川古語大辞典』(角川書店、1999年)


月刊「e船団」 「香りと言葉」2008年11月号

お香あれこれ(8)銘

 今年も正倉院展が始まりましたね。
 わたしはまだ拝観していないのですが、早やばやと行かれた方から図録(1)を頂きました。で、開けてびっくり、今年の1番は「全浅香(ぜんせんこう)」です。

 図録の解説には、
 宝庫には長さ1メートル、重さ10キログラムを超える沈香が二切伝わる。ひとつは全浅香、他のひとつは黄熟香(おうじゅくこう)であり、宝庫の代表的な香木として「両種の御香」といわれる。前者は『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』に記された「全浅香一村重大卅四斤」に当たり、後者は「蘭奢待」と称された歴史上著名な香木である。『国家珍宝帳』で香木を「一村」と記すのは「一材」の間違いではないかとも推定されている。沈香は樹脂の沈着状況に応じて品質の優劣が決まるといわれ、浅香・黄熟香は芳香の違いによる分類名である。浅香の大材が全浅香であり、「紅塵(こうじん)」の雅名が付けられている。「紅塵」は六十一種の名香のひとつで、香味は苦甘辛とされ、この全浅香がそうであるといわれる。

  とある。(沈香は2006年10月号などでご紹介しています。)

 『国家珍宝帳』は光明皇后が、聖武天皇の七七忌にあたり、その遺愛の品々を東大寺の蘆舎那仏(大仏)に献納された際の目録(『東大寺献物帳』)のひとつ、「天平勝宝八歳六月二十一日献物帳』のこと。同じ日に献納されたもう1巻が『種々薬帳(しゅじゅやくちょう)』でそこには60種の薬物が記されています。巻末には、これらが蘆舎那仏に献納されたものであるとともに、病者がこの薬によって病苦から救われんことを願っているとの光明皇后の願文がついています。

   平成9年の第47回正倉院展では、全浅香と黄熟香が並んで出展されました。その図録(2)で、黄熟香のことがこう解説されています。

   黄熟香
 (略)早く中国を経て輸入されたものとみられる。もとは東大寺に伝わった。建久四年(1193)の記録に「黄熟香一切」として初めてその名が見える。香道がさかんにとなった中世以降は「蘭奢待」の別称で知られる。蘭奢待とはその文字の中に東大寺を隠した雅名である。現在この黄熟香には足利足利義政、織田信長および明治天皇がこれを載りとった旨の付箋がある。記録によれば他に、足利義満、足利義政、徳川家康の事例がある。


 全浅香の「紅塵」、黄熟香の「蘭奢待」、こういうのが香銘です。
 「全浅香」の解説に「『紅塵』は六十一種の名香のひとつで、香味は苦甘辛とされ、この全浅香がそうであるといわれる」とありますが、ここを順番にみて行きたいと思います。

   まず、です。の字のもともとの意味は、広辞苑に書かれているように「(金属に)しるすこと。書きつけること。転じて、心に刻んで忘れないこと」なのでしょうが、『香道の歴史事典』(3)には、
 (めい):香木それぞれに付けられた固有名をいう。その付け方は伝来の由緒、所持者、その香木の持ち味、または日本に輸入された年などから付けられる場合が多い。
 名香(めいこう):平安時代には「みょうごう」と呼び、十六世紀頃より「めいこう」と呼ばれるようになる。世に名高く優れた香や非常に良い香りのする香木を指す。
 銘香名香に一つ一つの雅名、つまり銘を付けたものを銘香と呼ぶ。和漢の故実や詩歌、典籍、所持者、来歴、木色などによってその特色を表現し、名付けられる。六十一種銘香や六十六種銘香などがある。

 と、なっています。
 ここにも六十一種銘香が出てきますね。
 本によって一致しない点もありますが、例えば、『香道の歴史事典』(3)にはこう出ています。
 六十一種名香:室町幕府八代将軍足利義政の台命により志野宗信が選んだ61種類の名香の総称である。三条西実隆が選んだ66種類の名香をもとにして選ばれた。「名香六十一種名寄せ文字鎖」という唄が作られるほど、その香銘は代表的なもので、覚えておく必要があったのだろう。

 志野宗信(1443〜1523)は香道志野流の始祖とされる人、三条西実隆(1455〜1537)は、流派を問わず、香道の祖と仰がれる人です。

 六十一種名香の銘とは、
 法隆寺、東大寺、逍遙、三芳野、紅塵、枯木・・・と続く、このリストのようなもので、香道をたしなむ人には基本の中の基本だったようです。
 で、これを覚えるなんて、ひと苦労だ、という人のために、これらを七五調にアレンジして、好きな節回しで口ずさんで覚えられるように「名香六十一種名寄文字くさり」というものまで作られました(4)。
 それ名香の数々に、にほひ上なき蘭奢侍、いかにおとらん法隆寺、逍遥・三吉野・紅塵(こうじん)や、やどの古木の春の花、ながれたえせぬ中川と、とくに妙なる法華経は、花たちばなの香ぞふかみ・・・。
 思い出しますねえ、中学生のころ「さーさしっかりアレキサン・・・」なんてやりませんでした?

 先月、「五月雨日記」(三条西実隆著)のころは薫物合(たきものあわせ)と香合(こうあわせ)が平行して行われていた、と書きましたが、その後は香合が主流となり、17世紀には空前の繁栄をみるようになってゆきます。そして普通品の香木だと単に「香合」、名香なら「名香合」と呼ばれるようになって、銘香もどんどん増えたのです。百二十種名香、二百種名香、新六十種名香・・・。婆娑羅大名の佐々木道誉も香木のコレクションで有名で、百七十七種の名香を所持していた、と言われています。
 沈香は1種類の香木の筈なのに、こんなにうじゃうじゃと銘香が生まれる。それが沈香の不思議であり、その不思議が香道をこうも奥深い楽しみにした訳ですが、ひと口に言えば、沈香が、単にジンコウノキを伐ったら採れるものではなく、材の一部が樹脂化してできたものであり、小さな一片の沈香と言えども、部分部分で違う香りをもっているからなのですね。だから、手に入れた沈香を細かく切って、その一片一片を嗅ぎわけ、文学的センスのよい銘をつける能力があれば、いくらでも銘香をふやせる訳なのです。
 でも、こうも数が増えると、分類や評価の方法が必要になります。
 上の、全浅香のところに「香味は苦甘辛・・・」と出ていたのがそのひとつで、味覚の用語を借りて、その香木の香りを表現し、また産地によって分類することも行われました。それが六国五味という分類です。来月はそこらをご紹介したいですね。
 では、また来月。
                                中原幸子

〔参考文献〕
(1)奈良国立博物館編『第六十回 正倉院展』(仏教美術協会、2008年)
(2)『平成九年 正倉院展目録』(奈良国立博物館、1997年)
(3)神保博行著『香道の歴史事典』(柏書房、2003年)
(4)三条西公正著『香道 歴史と文学』(淡交社、1977年、再版)


月刊「e船団」 「香りと言葉」2008年12月号

お香あれこれ(9)六国五味

 先月、佐々木道誉(導誉とも)というバサラ(婆娑羅)大名が177種もの名香を所持していた、とご紹介しました。その177種とはこのリストのようなものとされています(1)。「名越」に「伽」、「暁露」に「マ」などと注のようなものが付いていますが、これが先月ちょっと触れた「六国五味」という分類法による香木の種類です。「伽」は伽羅、「マ」は眞那賀・・・と、全部でこの6つです。

 伽羅(きゃら)、羅国(らこく)、眞那賀(まなか)、眞那蛮(まなばん)、佐曽羅(さそら)、寸門多羅(すもたら)。

 これらは木所(きどころ)と呼ばれ、もともとは産地や積み出し港に由来する言葉なのですね。香木はすべて輸入品ですから、産地によって分類しようというのは合理的に見えますが、実用的ではなかったようで、実際の分類は香りに基づいて行われるようになっていきました。現在のように、顕微鏡で木の組織を観察したり、科学的に成分を分析したりできる時代でも、産地の特定は難しく、また産地によって香りの質がはっきり違う、というものでもないので、これは当然でしょう。沈香というのは、このページの2006年10月号でも触れたたように、小さな一切れ、一切れが違う香りを持つものですから。

 では、六国とはいったいどのような国々なのか。
 『香道』(2)にも、
 是に於てか頗る不思議に堪へぬは、其の六国の名称である。南洋印度の群島中に、唯一つ「スモタラ」と云ふのがある許りで、他は地球上更に見当らぬ国名であることである。
 とあり、ちょっと冒険か、と思いつつも推定してみたことがあります。もう25年も前のことですが、それがこの地図です。

 ・伽羅:六国の最初に置かれているが、これは地名ではなく、サンスクリットで黒を意味する「kala」を語源とすることが知られている。沈香の良品は黒いことによる。
 ・羅国:羅斛とも記されるが、羅斛は中国ではタイのロフリ地方を指すので、これはタイであろう。
 ・眞那賀:これはマラッカ。17世紀にはマラッカは「まなか」と呼ばれていた。
 ・眞那蛮:音の類似からインドのマラバル海岸とする説と、琉球に残っている交易の記録に「まなばん」という地名があり、これがシャム(タイの旧称)を指すので、シャムだとする説がある。私は後者を取った。
 ・佐曽羅:皆目見当がつかない。
 ・寸門多羅:スマトラ。

と、いうようなことでした。現代でも、香道に使われる香木は、六国のどれに当たるかを鑑定するのが大変重要で、香木を扱うお店では権威ある先生に依頼しているようです。

 一方「五味」は、

  甘、苦、辛、酸、鹹

 の5種。味覚の用語をそのまま借りてきたもので、六国に比べれば馴染みやすいが、それでも沈香の香りの違いは微妙なので、素人に簡単に分かるというわけにはいかない。
 そんなこんなで、私は機器分析で沈香の品質を鑑定することを思い立ち、樹脂分の含量を測ったり、特有成分の量を測ったりしてみたが、やはり香りの、何というか、品のようなものは数値で表すことは不可能だった。ある線香会社の社長さんが「中原さん、沈香の品質を知りたかったら、分析なんかせんと値札をみなはれ」と教えてくれましたが、口惜しいけれど当たってますね。

 さて、道誉の所持品だったという177種の名香ですが、冒頭でお見せしたリストに木所が書かれている、というのは実はおかしいのですね。六国五味の分類は16世紀初めごろから始まり、確立したのは17世紀のことで、道誉は14世紀の人ですから。でも、道誉が集めた香木は没後足利義政のもとにもたらされ、そこで整理されて後の香道につながって行ったのですから、道誉が香道に貢献したことに間違いはないでしょう。

 話は突然変わりますが、「今週のねんてん」(11月16日号)で紹介された佐高信著『福沢諭吉伝説』(2)を読みました。伝説もこれだけ集まると、ひとつひとつの話の虚実などとは関係なく、諭吉という人の心棒みたいなものが見える気がしました。
 同時に、必要にかられて復本一郎著『芭蕉古池伝説』(3)を読んでいて、こちらは「あなたの信じている伝説はホントはこうなんですよ」と解き明かしてくれる本なので、「伝説」というものを考えさせられることになりました。

   うーん、伝説って何だ?
 と、改めて思ったのは、きっと、佐々木道誉が、香道界きっての「伝説」の人だからだと思います。
 佐々木道誉という人は、広辞苑には、
ささき・たかうじ【佐々木高氏】
 南北朝時代の武将。京極氏。法名、導誉。近江半国守護。足利尊氏に従い初期の室町幕府に重きをなし、出雲・飛騨の守護をも兼ねる。太平記にはバサラ大名として描かれているが、和歌・連歌に秀でた文化人であった。(1306〜1373)。


とあるように、武将として「政治情勢の変転きわまりない内乱期に,いわゆる権謀術数を駆使することで、よく京極家の家運をひらいた」(4)顔、「連歌撰集『菟玖波集』を勅撰に准ぜしむべく、自身奏聞の任に当」った(5)と言われるような文化人の顔、そして爆発的エネルギーで世を驚かせたバサラ大名の顔、といくつもの顔をもつ男でした。

 その佐々木道誉、『太平記』のなかで生き生きと活躍していますが、それが実は他の資料で検証できないものが多い、というのです(5)。
 『太平記』点睛の豪華版(5)、という貞治5年(1366)3月4日の「道誉大原野花会事」もその1つで、他の資料には皆目見えないのだとか。舞台は小塩山大原院勝持寺(花の寺)。どんなバサラ振りかと言えば、
 ・本堂の庭の十抱えもある桜の木4本に1丈余の真鍮を花瓶なりに鋳掛けて、さながら一双の立花に作りなした。
 ・ふた抱えもある香炉を並べて1斤もの香を焚いた。
などというもの。

 ステキな伝説!次はもう少し詳しくバサラと香道の関係をみてみたいと思います。
 では、また来年もどうぞよろしくお願いします。
                              中原幸子

〔参考文献〕
(1)杉本文太郎著『香道』(雄山閣出版、1969年)
(2)佐高信著『福沢諭吉伝説』(角川学芸出版、2008年)
(3)復本一郎著『芭蕉古池伝説』(大修館書店、1988年)
(4)「ネットで百科」(http://www.kn-concierge.com/netencyhome/(有料)
(5)秦恒平著「佐々木道誉」(『人物日本の歴史 7』(小学館、1976年)


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