月刊:ことばを探る 最近のバックナンバー

月刊「e船団」 「香りと言葉」2009年4月号

お香あれこれ(13) 道誉の連歌

 さて、道誉と連歌とバサラです。
 佐々木道誉の連歌は、宗左近の『日本美 縄文の系譜』(1)によれば、「よほど習練をつんでいる。闊達である」ということですが、それはどういう句なのか。まず『菟玖波集』に入集している彼の作品78句(発句6句を含む)(2)をご覧ください。

こちらです。


   連歌はむろんバサラの時代が生んだものではなく、『菟玖波集』という名称も、「和歌・歌道」を「敷島の道」と称するのに対して、「連歌・連歌の道」を「筑波の道」と称したことから来ているとのこと。連歌の起源を「新治(にいばり)筑波を過ぎて幾夜か寝つる/かがなべて夜には九夜日には十日を」という記紀の日本武尊と秉燭者(ひともしびと)との唱和(3)に求めたことに由来するのだそうですね。
 また、庶民による地下(じげ)連歌の狼藉ぶりは、すでに徒然草で、意地の悪い言い方で取りあげられているというのです。それをちょっと見てみると、

 徒然草の第百三十七段、有名な「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」で始まる段ですが、連歌の狼藉のことはこういう風に出ています(4)。
 すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いとたのもしう、をかしけれ。よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず興ずるさまもなほざりなり。片田舎の人こそ、色こくよろづはもて興ずれ。花の本には、ねぢより立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌して、はては、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手・足さしひたして、雪にはおりたちて跡つけなど、よろづの物、よそながら見る事なし。

 いいですね、さのみ目にて見るものかは、なんて。やっぱり現代語訳にしてしまうと、ちょっと原文から受ける感じとは変わってしまう、と思うんですよね、こういうとき。ついでにその現代語訳をご紹介しましょう。
 いったい、月や花を、目で見ると限ったものであろうか。春は家を離れずに、月の夜は寝室の中にいる身で、それらを思い描くときこそが、尽きぬ情趣を味わえるのである。いわゆるよき人は、物事に没頭するようには見えず、興ずるさまも淡泊である。片田舎の人は、万事しつこく楽しむものである。花の木のそばに、人をかき分けて近寄り、わき見もせずに花を見つめ、酒を飲み、連歌をして、興にのったあげく、大きな枝を無分別にも折り取ってしまう。納涼の時には泉水に手足を浸し、雪見には、雪の上にわざわざおりて足跡をつけるという具合で、なににつけても、距離を置いて見るということをしない。

 うーん、ごもっともではありますが、こういう風に田舎者を十把ひとからげに貶めてしまう、というのが、果たして教養ある都びとのふるまいとしていかがなものでしょうねえ、と根っからの田舎者である私は、つい、仕返しをしたくなるんですけどね。

 それはともかく、このような事情だとすれば、バサラの時代の連歌の特徴とはどこにあるのでしょうか。
 その前に、ちょっと道誉の句を見ておきたいと思います。
 と言っても、私は連歌を読むことなど出来ませんので、『京極道誉』(2)の受け売りですが・・・。
 ちょっとこちらをもう1度ご覧いただけますか。
 これらの句が収載されている『菟玖波集』は、上代から当代までの付句2千余、発句約120が収められている訳ですが、道誉は、その成立に尽力したこともあるでしょうが、500名にものぼる作者の中で、堂々、4位の収載句数を誇ります。他の代表作者は救済(ぐさい)、梶井宮尊胤法親王、二条良基、足利尊氏、藤原為家、善阿(ぜんな)らです。
   私が一番に目を惹かれたのはやっぱり香にかかわる句です。例えば【恋】の部にある、26番の、
 これはふせこの下のたきもの
 君がためひとり思となるものを(導誉法師)

を『京極道誉』(2)の著者、渡辺守順は次のように読み解いています。

 前句の「ふせこ」は伏籠で、その中に薫物の空だきの香りが立ちこめているという意味である。それに対する付句は香をくゆらす香炉、つまり「ひとり(火取)」と一人を掛けた言葉を用い、あなたのため、わたし一人の物思いとなるという恋の句にしたのである。思ひに火をかけ、たきものの縁語とした修辞もすばらしく、むかしの貴族が伏籠に衣類をかけて香のしみた衣を着たことも、風流としてとらえている。並々ならぬ作品となっている。

 また、【雑】の35番、
 たきものあはせこれも勝負
 声々に鳴く鶯を籠に入れて (導誉法師)

についても、「前句の『たきもの』は人々が香の名を秘して持ち出し、香を焚いて、その優劣を決め、勝負を争う遊びである。その句に対し、鳴き声を争う鶯合わせを付句に詠んだ」と高く評価しています。
 70番(【雑体】)では富士山と伏籠という極端な大小を「形が似ている」とするユーモアのセンスも見せていますし、46番(【雑】)では、前句の「絵をかけて置く前の花立」へ「雲となる香の煙の一たきに」と付けて、1月号でご紹介した大原野の花見を思わせる場面も作っています。
 このように、道誉は連歌において、きっちりと連歌の作法に則った作品を残しています。また『新続古今和歌集』には和歌も収載されています。
 定めなき世をうき鳥の水隠れてしたやすからぬ思ひなりけり

 道誉の作品は、月並みだとか、本歌取りばかりだとか低く評価されてきたそうですが、なるほど、この歌、そう言われても仕方ないような・・・(生意気ですが)。でも連歌は、宗左近も習練を積んで闊達、と言っていますし、渡辺守順は、作品も再評価したいが、また、道誉の尽力で『菟玖波集』が準勅撰集と認められたことによって、連歌を高く位置づけた功績は大きい、としています。そして私は、177片もの香木に銘をつけた道誉の顔が浮かんできた気がします。

 宗左近は『日本美 縄文の系譜』(1)において、道誉の連歌から、次のような句を抜き出します。10番の、
 夕かさねて秋やゆくらん
 月いづる山は山より猶遠し(導誉法師)

 16番の、
 衣におつる涙いくつら
 行く雁の声より数は少くて(導誉法師)

 51番の、
 その俤や猶もそふらん
 たらちねの別れしほどに身は老いて(導誉法師)


 など、全部で17句の「無常感に貫かれた句」です。宗左近は、無常感はこの時代の感情である、とし、大勢の「断念して生きている」「どこにも救いはないと知って耐えている」武将たちの中で、道誉たちがなぜバサラな生き方を取ったかを考察し、
 正気のままの物狂いである。
と結論づけています。道誉の中の何人もの道誉をピタリと言い当てていると思います。

 湯水のように金を使って高価な香木を買い漁り、香合わせで放出するバサラの道誉と、177片もの香木の香りを丹念に評価して、和歌や連歌で培った豊かなセンスでピッタリの「銘」をつける道誉とが、やっとつながった気がするのです。
 では、もう1度「佐々木道誉所持の百七十七種名香」をご覧ください。

 では、また来月。
                           中原幸子
〔参考文献〕
(1)宗左近著『日本美 縄文の系譜』(新潮撰書、1991年)
(2)渡辺守順著『京極道誉―バサラ大名の生涯―』(新人物往来社、1990年)
(3)加藤楸邨他監修・尾形仂他編『俳文学大辞典』(角川書店、1995年)
(4)三木紀人全訳注『徒然草(三)』(講談社学術文庫430、1982年)

月刊「e船団」 「香りと言葉」2009年5月号

お香あれこれ(14) 名香合わせの今


 ぼつぼつ香の銘のことをもっと知りたい・・・、と思っていましたら、タイミングよく「平成の名香合〜香道 五百年の父子相伝〜」(1)が放送されて、とてもいい勉強をさせて頂きました。

 私は4月12日の再放送で見たのですが、これは、香道志野流500年の伝統を、父子相伝によって伝えて来た蜂谷家の松隠軒で、2009年2月16日に開かれた「平成の名香合」の完全記録。この番組の最後に行われた3番の香合わせに出た名香とは?それは、列席者6名が持ち寄った、自分でもまだその香を聞いたことがない、という家伝の名香でした。いずれも「六十一種名香」の1つです。(六十一種名香についてはこのページの2008年11月号でちょっとご紹介しています)。よろしければ 六国五味もどうぞ。

 列席者は、番組ではどなたも「さん」付けで呼ばれていて、実に平成だなあ、世が世ならタダではすまないかも・・・、と思いましたが、香席での席順で、次の方々です。

 慈照寺住職・有馬頼底さん
 尾張徳川家第二十一代当主・徳川義崇さん
 近衛家次期当主・近衛忠大さん
 冷泉流歌道当主夫人・冷泉貴美子さん
 香道志野流第二十世家元・蜂谷宗玄さん
 香道志野流若宗匠・蜂谷宗苾さん

 6名が1つずつ持ち寄った合計6つの名香で、3番の香合わせが行われ、下記のような結果でした。

五味「勝」の判者香の提供
一番千鳥 苦、酸 近衛、若宗匠 有馬頼底さん
右 勝甘、苦、辛有馬、徳川、冷泉、家元徳川義崇さん
二番左 勝明石酸、鹹、苦 有馬、近衛、家元、若宗匠近衛忠大さん
寝覚甘、酸徳川、冷泉冷泉貴美子さん
三番苦、酸 徳川家元
右 勝花宴辛、酸有馬、近衛、冷泉、家元、若宗匠若宗匠
 画面では、美しい青磁の聞香炉が優雅に廻されていき、その合間、合間に、列席者の感想(というより鑑賞というべきでしょうか)が挟まれていきます。その中で、冷泉貴美子さんのことばが特に印象的でした。

 一番の左「千鳥」に:
 ほんとに、あの、静かな、落ち着いた思いがしました。松にたとえれば、老松という感じかしら。

 二番の左、「明石」に:
 子どもの頃を思い出すようなね、夏のしずかな日本の、白い砂に青い松、というような感じの、遠い、どこか昔見たような風景を思い出す感じがしました。
 三番の左、「紅」へは:
 冬の日だまり、淋しい感じで、そっとした感じなんですけど、どこかほのかに暖かいものがある・・・。

 そして、「あっ、そうだったのか」と思ったのです。
 香を聞いて、「○○の匂いがする」と嗅覚の言葉で感想を述べるのではなく、「老松」、「白い砂に青い松」、「冬の日だまり」、「しずか」、「さびしい」というような、他の感覚の言葉で表現出来ること、それが香りから銘を呼び起こし、証歌へとつながる(逆のケースもあるでしょうが)。銘や証歌が香りとともに聞く人の胸に快く響けば、そこにホンモノの名香が誕生するのだ、と。和歌で鍛えた言葉の感性を持って聞けば、香りは言葉となって立ちのぼるのですね!

 広辞苑に、「一つの刺激によって、それに対応する感覚(例えば視覚)とそれ以外の他種の感覚(例えば聴覚)とが同時に生ずる現象」を「共感覚」という、と出ていますが、香りを五味で表現できるのもまさに共感覚のおかげだし、香木と銘の取り合わせの良さを楽しむことができるのもまた、そう。もちろん、他にも大事な要素はいろいろあるでしょうが。

 「平成の名香合」では、香は座に出された時点では誰にもその銘も提供者も知らされず、ただすっと差し出されたのです。それに対する感想が上に記したようなものでした。だから、銘と感想とは合っていない感じもありますが、それは500年を経て人も時代も変わってしまっているのですから、当然といえば当然かもしれません。快適なエアコン(多分)の中、あかあかとした電灯の下での、平成の名香合わせですものね。

 ところで、500年も前の六十一種名香が、今も名家の奥深くに、当主にも聞かれぬままに眠っていて、それが、焚かれればちゃんと蘇る、というのは驚きですよね。

 宮尾登美子に『伽羅の香』(2)という小説があります。
 主人公は明治27年生まれの女性・本庄葵。帯にこうあります。
三重の山深い村で薪炭商として財をなした本庄家の一人娘・葵は、従兄の景三と曲折の末に結ばれ、二児にも恵まれた。しかし満ち足りた暮しは余りにもはかなく、夫の急逝、両親のあいつぐ死、結核による二児の死と、次々に不倖に襲われる。失意の葵が見出した一条のひかりは、日本の香道復興という大事業への献身であった。
 葵がついた香の師は杉浦秀峯という老人で、18世紀に御家流から分れた大枝流を嗣いだ人、という設定になっている。葵はこの人の下でひたすら名香を聞く修行を重ね、香道を極めてゆくのだが、その途上で、六十一種名香を暗記したり、実際にそのいくつかを秀峯老から譲り受けたりする場面が出てくる。

 自分でも名香を持って、家で一人静かに心ゆくまで聞きたい、という葵に、秀峯老は、「では私の手持ちの物をいささかなりと分けてあげましょう」と言って法華経、楊貴妃、花の宴、目覚、薄紅の5種を譲ってくれるのだが、その値段について、
 「お金を頂くのは不本意なのだが、やはりこれは代金を頂くことにしましょう。この五種類で五百円はいかがかな」
といい、葵はお金よりも秀峯老の厚意に対して心から頭を下げた。
後日貢にこの話をすると、
 「六十一種名香というのは香人垂涎の品で、このせつどんなに焦っても得難いものなのだから、五百円という価格は秀峯老があなたと見込んでお安くして下さったのでしょう」
ということであった。


と書かれている。むろん小説の中のことではあるが、これに続いて、葵の亡くなった夫の初任給が35円で、500円は彼の年間収入以上に当たる云々、と述べられているから、その高価さが推測されるだろう。ここから、六十一種名香なるものが、金さえ出せば手に入るものではないにしろ、金で取り引きされるものであったことが察せられる。
 『伽羅の香』には六十一種名香の筆頭にある「蘭奢待」が香人の手に入る経緯なども出てくるので、興味がお有りの方は是非どうぞ。香のことはおいても、とても面白い小説です。

 では、また来月。
中原幸子

〔参考文献〕
(1)「平成の名香合〜香道 五百年の父子相伝〜」(NHK・BS2、2009年4月12日)
(2)宮尾登美子著『伽羅の香』1981年、中央公論社)

月刊「e船団」 「香りと言葉」2009年6月号

お香あれこれ(15)証歌


 先月、NHKテレビの「平成の名香合」を見て、香木が銘とか証歌にめぐり逢うルーツのようなものを感じたお話をしました。で、証歌について、ちょっと考えてみました。

 改めて『日本国語大辞典』(1)で「証歌」を見てみますと、「証拠となる歌。根拠として引用する歌。歌合においては新奇を避け、表現の伝統性が重視されたところから、証歌がなければ歌合に負けることもあった」となっています。また、『香道の歴史事典』(2)には「主題を和歌や物語に求めることが多い組香において、その主題の典拠となる和歌を証歌といい、物語を証詞と呼ぶ」とあります。

 ところで、先日『かさねの色目』(3)という本に出会いました。「まえがき」にこうあります。
 かさねの色目はもと、一枚の袷仕立の衣(きぬ・袿(うちき))の裏表の裂を合わせた色をいったが、後にはその衣を幾領も着装して表わされる衣色の配合色も「かさねの色目」と呼ぶようになった。本書はその両者の色彩配合をとり上げたものであるが、解説上、前者には「重(かさね)」、後者には「襲(かさね)」の字を用いることにした。

 そして、120種のかさねの色目が美しく、興味深く解説されている、その最初が「梅 むめ」です。

かさねの色目「梅」
 解説を、

 表白・裏蘇芳。(中略)。
 早春、咲き匂う白梅の花の色を表わしたもので、表の白は裏の蘇芳によって暖みのあるものになる。梅に因んだ色目は、他に「一重梅(ひとえうめ)」・「梅重(うめがさね)」・「裏梅(うらうめ)」・「白梅(しらうめ)」があるが、これらの色目の配合は後の一覧表に見るように大同小異である。梅を名とする女房装束の襲色目に「梅の衣」(『女御飾鈔』)がある。(中略)。梅はわが国文学によく見られ、それを詠んだ歌も多い。俳人許六は『百花譜』に梅の風情を、「梅の風骨(清くいさぎよいこと)たること、水陸草木の中に、似たる物はあらじ。・・・生涯を物ずきにくるしみ、風流のほそみに終る。・・・」と、遊女吉野高尾の生涯に比しているのは興味深い。

 君ならで誰にかみせむ梅の花
  色をもかをもしる人ぞしる (『古今和歌集』とものり)


と、いう風に読んできて、この和歌を読み終えたとき、はっとしました。上の図の右側の、白の下からほんのりと透けて見える蘇芳の美しさが、この歌の「色をもかをもしる人ぞしる」とぴたりと重なったのです。蘇芳が、ひっそりと、「あなたにだけお見せするのですよ」とささやきかけているような気がしました。
 これこそ、証歌の力というものではないでしょうか。

 お断りしておかなければなりませんが、昔、「梅」のかさねが初めて考案されたとき、この歌がその命名の証歌だった、と言うわけではありません。『かさねの色目』では、その色目の名がどのような文学にどのように現れるかを、著者である長崎盛輝氏が丹念に探り、その結果を解説で示して下さっているので、言わば現代人が後追いで探り当てた証歌、というようなものです。でも、この歌が置かれることでにわかにこの色目に命が吹き込まれるのを感じてみれば、証歌の力というものは、昔も今もこういうものであることに間違いはないと思います。
 もうひとつ、今度はかさねの色目にも香木の銘にもみられる「白菊」をみてみましょう。
 かさねの色目は表が白、裏が萌黄です。

        
 長崎氏の引用している和歌は、

 心あてにおらばやおらんはつしもの
 をきまどはせる白菊の花(『古今和歌集』凡河内躬恒)


 一方、香木の方の「白菊」は、一木三銘といわれて、一つの香木に「初音」「白菊」「柴舟」と三つもの銘がついている、その「白菊」です。後水尾帝の勅銘とされ、証歌は、『香道の歴史事典』(2)によれば、

 類ありと誰かはいはむ末にほふ
 秋よりのちのしら菊のはな


です。(これ、作者がわからないのです。どなたか、ご存じでしたら教えてください)。
 こう並べてみると、「心あてに・・・」からは色が、「類あり・・・」からは香りが、ものの見事に立ちあがって来ますね!今、香道の楽しみ方は組香が主なようですが、古くから伝わる香木に現代の歌や俳句を証歌とする銘をつけて名香合わせをしてみたら、きっと楽しいのではないでしょうか。

 などと考えながら、いろんなものを読んでいて、薄田泣菫がとても嗅覚の鋭い人だったことが分かり、びっくりしました。泣菫は、旅先からその土地の土を持って帰り、肌ざわりのやわらかな木の葉に包んで手筐の底深く秘めて置き、町住まいの事繁さに堪えられないときにはこの土の香を嗅いで、そのおりおりの旅心を思い浮かべた、というのです(4)。

 泣菫って、お香をどんな風に楽しんだのでしょうね? では、また来月。

                              中原幸子
〔参考文献〕
(1)『日本国語大辞典』(ジャパンナレッジ(有料):
(http://www.japanknowledge.com/stdsearch/display
(2)神保博行著『香道の歴史事典』(柏書房、2003年)
(3)長崎盛輝著『平安の美裳 かさねの色目』(京都書院、1988年)
(4)薄田泣菫著「土の香」(『薄田泣菫全集 第七巻』(創元社)、1939年)

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