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月刊「e船団」 「香りと言葉」2009年7月号

お香あれこれ(16)十種香


 先日、もうじき卒寿だ、という人と話をしていて、何でそうなったんだか、「あんまり、ヒトのモノは欲しがらないようにしてるので・・・」と言うと、「なんや、つまらん子やな!」とひと言。子、って、私、71歳なんですけどね。
 でも、私だって、どっちがいいか、と競いたい。もちろん、勝ちたい。この本能(ですよね?)がなかったら、世の中、さぞつまんないことでしょう。(あ、これまで統一を欠いていました「たきものあわせ」と「こうあわせ」の表記は、これから広辞苑に従って「薫物合」「香合」と表記します。ごめんなさい。)

 ま、それはともかく、「勝つか、負けるか」という要素を取り込めば、何でも楽しく盛り上がる。「香(こう)」の世界も、薫物合、闘香、香合、十種香(十香)、組香、と、どんどんゲーム性を高めて盛り上がっていった、と、かなり単純に考えていました。
 ところが、です。先日『組香の鑑賞』(1)という本を見つけました。もっと早くこれを見つけないなんて、何という怠慢、という本で、著者は三条西公正(さんじょうにしきんおさ)。大正15年(1926)生まれで、実践女子大学教授などを勤める一方、御家流香道宗家として日本香道協会会長もつとめ香道の復興・発展に尽力した人。余談ながら公正夫人は、香淳皇后の妹にあたる久邇宮家の信子女王とのこと。
 で、この本の「序論」には「香」の変遷が分かりやすく解説されています。中でも、私がなるほどなあ、と目から鱗が落ちる気がしたのが、次のくだりです。(以下、原文の旧字体は新字体に改めました)。

 (平安時代の薫物合せは)遊びといっても官能の世界の満足が目的であっただけにデリケートでかつ彼等の学芸の片鱗がそこに現われなくては問題にならない。そのために薫物合にも歌合などと同様に判者が設けられ、匂いの良否はいうに及ばず、場所がらや、調整時における作者の意図などを判定資料として優劣を定める。この場合判定の優劣にこだわらないところにこの世界での伝統的なものがある。勝っても負けても、そこに満たされた匂いに官能の喜びを味い得れば、それで満足なのである。こうした気持は永く公家社会に遺っている。ところが、武家社会では勝負は官能の充足というような芸術的なものではなく、常に命が的である。生きるか死ぬかの真剣な問題である。勝たなくてはならないという意志が常に働くので、自ら異なった世界が遊びの上にも現われている。後世の闘香などがそれを物語っている。公家の社会には命を的にする勝負はない。勝っても負けてもその場の雰囲気が官能を満足させれば、それを喜べるように訓練されてしまった結果の現象である。芸術的生活を楽しむのが公家精神であり、実質的生活を味わうのが武家精神である。

 そう言えば、源氏物語・梅枝の巻の薫物合、あそこで、判者を頼まれた兵部卿の宮が、どれもとりえのないのはないような判定をして、源氏に「性質(たち)の悪い審判ですね」となじられるシーンがありました。こうなると、あれこそ名判者だったのでしょうか。

 さて、『組香の鑑賞』(1)では、公家が芸術的生活を営む力をなくしたとき、その一要素であった薫物合による官能の充足も諦めざるを得なくなった、しかし、諦めきれない、そこを「憧憬に浸る」ことで満たすようになった、それが「名香合」だった、という。薫物は麝香など官能をくすぐる高価な動物性香料も加えた混合物であるが、香木は主として沈香(伽羅を中心とする)であり、価格的にも手間の上でも手軽だったのである。

 そこらへんを山田憲太郎は、こう書いている(2)。
 男は沈香を、女は薫物を焚いているといわれた十四・五世紀のころ、薫物の行方はどうであったろう。生活力を失った公家たちに、最早昔の薫物の遊びは無い。乱裡の婆娑羅や権勢を誇る一部の武家の闘香や、世をすねた好事家の名香合せが主体である。しかし前代の薫物はなお一部にわずかな余韻を残している。

 そして、14世紀末の後小松院の「むくさのたね」と15世紀後半の『尺素往来』に記された薫物の製法の、おざなりなマニュアル化ぶりを指摘した上で、次のように締めくくる。

 こうして薫物は定形化し、ともすれば好色の具として存在しているのである。だといってそう言い切れないこともある。それは文明十一年(1479)の六番香合せを記録した『五月雨日記』である。この中に文明十年(1478)十一月十六日の六種薫物合せの遊びがあって、三番を興行している。そしてこの折に焚いた薫物の名は、「なつごろも」「まつ風」「やまびと」「きくの露」「いざり舟」「さかきば」などというものである。互いにその匂いを争い、昔の侍従、梅香などを思い出しているふしもあるが、大体は名のつけざまと風流韻事を主とし、判定は名香合せとほとんど同じである。一部の数寄者が昔の薫物合せを思い出して興行しただけであったろうか。それとも旧の薫物の余燼がなおくすぶっていたのだろうか。

 薫物の「余燼のくすぶり」と見るか、「憧憬に浸る」方向へ歩き始めたとみるか、おそらくは、くすぶりつつ彷徨いつつ、後の香道へと進んでいたのではないでしょうか。

 では、いったいどのようにして香の世界に「当てっこ」が導入されたか、と言えば、そのはじめは、十種香という遊びだったようです。

 十種香、と聞けば文楽の「本朝二十四孝」の中の「十種香」の場を連想される方も多いでしょうね。謙信の娘八重垣姫が、許嫁の勝頼が死んだと聞かされて以来、ひと間に閉じこもって勝頼の絵姿を前に香を焚いているあの姿。でも、あの十種香は、まさか亡き人の絵姿の前で遊ぶなどということはなく、『日本国語大辞典』(3)に出ている、こちらの方でしょうね。

 じしゅ‐こう[:カウ] 【十種香・十香】〔名〕
 10種の香の名。普通、栴檀(せんだん)・沈水(じんすい)・蘇合(そごう)・薫陸(くんろく)・鬱金(うこん)・白膠(はっこう)・青木(せいぼく)・零陵(れいりょう)・甘松(かんしょう)・鶏舌(けいぜつ)をいう。
 いろいろな香材を混ぜた、焼香用の香。
 *浄瑠璃・本朝二十四孝〔1766〕四「絵像のそばで十種香の、煙も香花となったるか。


 そして、組香の始まりとしての十種香は、「香道の最も基本的な組香。一、二、三と呼ばれる三種の香を三包ずつ、さらに客香と呼ばれる一種を一包の都合一〇包の香を順不同として香炉に(た)き、その異同を聞き分けるもの」と解説されているのですが、その用例は、
*言国卿記‐文明八年〔1476〕八月二六日「十種香御興行あるべきとて御用意也。予をめされ、沈をきらせられ、こしらへさらるる也」
*実隆公記‐文明一八年〔1486〕二月二〇日「入夜、還御本殿之後、於黒戸有十香」
*御湯殿上日記‐長享二年〔1488〕正月二五日「小御所にて十しゆかう御かきあり」

など15世紀の末から始まっています。
 やっと組香の例をみてみる、というところで、今月はおしまいです。

 ところで、薫物姫って、ご存じでしたか?織女星のことなのだそうで、びっくりしました。
 今年の旧暦の七夕は8月26日とのこと。是非、薫物姫にゆかりの香を。
 では、また来月。
                              中原幸子

〔参考文献〕
(1)三条西公正著『組香の鑑賞』(理想社、1965年)
(2)山田憲太郎著『香料 日本のにおい』(法政大学出版局、1978年)
(3)『日本国語大辞典』(ジャパンナレッジ(有料):
http://www.japanknowledge.com/stdsearch/display

月刊「e船団」 「香りと言葉」2009年8月号

お香あれこれ(17)薫姫(たきものひめ)


 佛教大学8号館の中庭には、七夕祭りにもってこいの竹が何本か植えられていて、七夕の夜、みんなで短冊に願いを書いてつるしました。短冊を外したら、もとのそよそよ竹。エコでしょう?

 さて、旧暦の七夕は今月26日。
 万葉集には七夕を歌った歌が132首もあるそうですし、漢詩集「懐風藻」にも6編の七夕詩があるそうで、そればかりか、古事記にも「天の安の河」として出ているとのこと。中国では、なんと、紀元前1100−600年頃の詩集にすでに「織女」の記述があるのだそうです。
 まずは小尾信彌著『星座と神話の謎』(1)で七夕伝説のおさらいから。
 父の天帝のいいつけで、いつもはたを織っていたため織女と呼ばれていた天女は、天の川の西側に住んでいました。しかし、向こう岸に住む牛飼いの若者牽牛と結婚してからは、すっかりはたを織るのをなまけるようになってしまいました。怒った天帝は織女をつれもどし、二人を天の川の両側に、わかれわかれにさせてしまいました。
 悲しみにくれる二人を見て天帝は、一年に一度だけ二人が会うことを許しました。それは七月七日の夜で、もし雨が降らなければ、かささぎたちがならんで橋をつくり、織女はそれを渡って天の川がこえられます。しかしこの晩雨が降ると、来年まで待たなくてはなりません。
 これは中国の伝説で、中国では七月七日の夜が晴れるように、星祭りが行われていました。わが国に伝わったのは平安時代といわれ、貴族のあいだで行われました。
 江戸時代になると、一般の人々のあいだで広く行われるようになり、“たなばた”の行事として今日まで続いています。


 えっ、織女と牽牛の間は15光年ほども離れているそうなのに、織女の方から会いに行くの!それに、別れさせるなら目に見えないトコまで離してくれればまだしもなのに、あんなところに光らせとくなんて、あんまりだ。え?見える方がいい?

 柳田国男は「犬飼七夕譚」(2)で喜界島(きかいがしま)に伝わる伝説を紹介してくれる。ちょっと長いんですけどね。
 この島では天人をアムリガー、すなわち天降子(あむりこ)と呼んでいる。昔々一人の若い牛飼があった。姉妹の天降子が天から降りて、野中の泉の傍の木に美しい飛羽(とびはね)を掛け、水を浴びているのを見つけて、その飛羽の一つを匿(かく)した。姉の天降子は驚いて飛んで天へ還ったが、妹は何と頼んでも牛飼が飛羽を出してくれないので、困ってとうとうその牛飼の嫁になった。それから幾年か仲良く暮らして後、二人は天とうへ親見参(おやけんぞ)に行くことになった。その時は以前の飛羽を出して着て、夫を脇にかかえて空を飛んで行った。飛びながらその女房がいうには、いつ迄も私と離れたくないならば、天とうへ行って親たちが縦(たて)に切れというものを、必ず横に切りなさいと、固い約束を夫にさせた。
 天とうではちょうど胡瓜の季節で、二人の取持ちに畠から胡瓜を採って来て出した。そうして男が包丁を手に持っている時に、不意に親がナイキリー(縦に切れ)といったので、うっかり女房の戒めを忘れて、その瓜を縦に切ってしまった。そうするとたちまち眼の前に大きな川が出来て、天女と牛飼とは両方の岸に分かれてしまった。それが七月七日で、二人はそれ以来、一年に一度、この日でなくては逢えないようになってしまった。


 ところで、薫物姫のことをお話しするのでしたよね、今月は。
 それが、お恥ずかしいことに、ちゃんと歳時記に載っている季語だったのですよ。「七姫(ななひめ)」という美しい秋の季語があったのです。傍題にその七人のお姫様が並んでいます。

秋去姫(あきさりひめ):秋去衣(あきさりごろも)、つまり秋になって着る着物を織ったところからきた名。
朝顔姫(あさがおひめ):牽牛(けんぎゅう)を「あさがお」と訓むところから。
糸織姫(いとおりひめ):糸かり姫とも。織女とおなじ。
梶の葉姫(かじのはひめ):むかし、七夕に梶の葉に歌を書いて祭ったところから。
ささがに姫:蜘蛛姫、細蟹姫などと書く。7月7日に蜘蛛を香箱に入れ、巣の張り具合で吉凶を占った中国の風習による。
薫姫(たきものひめ):乞巧奠の際に終夜机上で薫物をたいたところから。乞巧奠(きっこうでん)は陰暦7月7日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなばたつめ)の伝説や祓(はら)えの行事とも結びつき、民間にも普及して現在の七夕行事となった。
百子姫(ももこひめ):天の川の異称といわれる百子の池によるもの。

 ちゃんと薫姫の俳句もあるのですね。
 あまえてやたきもの姫のむつがたり  季吟
 衣ずれは薫姫か夜明けきし  廣瀬直人
   「むつがたり」って、「睦語り」と書くんだそうで、「ええ?大丈夫?香が消えたら叱られるよ」、と気になりますが、もしかして、これは新婚の喜びにうつつをぬかして、機織りを怠けてしまった織姫伝説を踏まえた俳句なのでしょうか。
 それにしても、乞巧奠の際は終夜香を焚いたのですね。「星の薫物」という季語まであって・・・。その風習って、いつ消えてしまったのでしょうね。香は天上に願いを運んでくれるもの、そこを省略してしまったら、折角の願いも届かないでしょうに。
 来年は「七夕」という銘の香木を見つけて、朝まで、とは言わないまでも、みんなで焚こうかな。組香を楽しむ、というのは、とても無理だから。もちろん、七夕をモチーフにした組香はあって、先月ちょっとご紹介した『組香の鑑賞』(3)にも載っています。
 七夕香、玉橋香、星合香。

 これは御家流の宗家三条西尭山氏が昭和初期に考案した構造式です。その香席で香がどんな風に出されるが図式化されています。七夕に縁のある組香なので、それぞれの右端に出ている数字がみんな「7」なんですって。ここから先は、また来月に。
 それから、新しい、うれしい本が出ました。『香道秘伝書集の世界』(4)です。いいですねえ、秘伝!では、また来月。
                              中原幸子

〔参考文献〕
(1)小尾信彌著『星座と神話の謎』(大和書房、1985年初版)
(2)柳田国男著「犬飼七夕譚」(『年中行事覚書』、講談社学術文庫124、1977年初版)
(3)森谷明子『七姫幻想』(双葉文庫、2009年)
(4)掘口悟著『香道秘伝書集の世界』(笠間書院、2009年)

月刊「e船団」 「香りと言葉」2009年9月号

お香あれこれ(18)千種香(ちぐさこう)


 七夕にちなんだ組香が中途半端なままになっていますが、せっかく秋になったので、七夕はまた来年のことにして、秋の組香、そうですね、「千種香」というのはどうでしょうか。
 『組香の鑑賞』(1)に出ている構造式は、こうです。
 構造式というのは、先月ちょっと中途半端にご紹介しましたが、御家流の宗家三条西尭山氏の考案による、その香席で香がどんな風に出されるかを図式化したもので、この図で何が分かるかと言いますと、

・この組香の名は「千種香」という。
・この香席の要素は3つで、3種類の香木が焚かれる。
 ここでは、要素は一、二、三と数字で示されていますが、先月の星合香では牽牛、織女、仇星、というように言葉で表現されていましたね。
・一の香は2包作られ、そのうち1包は試香に使われる。
・二と三の香は3包ずつ作られる。
・この香席では試香が1包、本香は一の1包、二、三の各3包、合わせて7包が順不同に焚かれる。

 これだけのことを一目瞭然、誤解なく伝えることができる、構造式とは実にスグレモノだと思います。
「試香」は「こころみこう」または「ためしこう」と読み、単に「試」と書いて「こころみ」とも「ためし」とも呼ぶ、と『香道の歴史事典』(2)にあります。「組香を行なう際の一形式で、本校の前に名前を明かして焚く香のこと」とのこと。

 でも、仕組みはわかっても、これで「千種香」のイメージが湧いてくるというわけには行きませんよね。『組香の鑑賞』(1)の解説をみてみましょう。まず證歌が出ています。

 緑なる一つ草とぞ春は見し秋は色々の花にぞありける

 證歌が、題しらず、よみ人しらず(3)というのも、なんだか風情がありますね。『組香の鑑賞』(1)の解説をみてみましょう(漢字は新字体に代えました)。
 證歌は古今集です。実感そのもので、春は誰でもこの歌のように若菜を眺めたでしょうし、それが秋になると、色とりどりの花を咲かせますから、驚嘆するほかありません。時には人倫に適用されても、何か意味がありそうです。だからきっと組香作者も公式的表現法を用いたのでしょう。仮に一を春草、二を秋、三を花と解したら、どんなことになるでしょうか。一だけに試香を付しているのは、それが一般性を意味しているためではないでしょうか。二と三は不可分の関係にあるので、等量の香が配されているように思われます。あるいは證歌によって次のように考えることもできます。一に試香をおいて「春は見し」の意を現わしているのです。何故なれば一は試香で既に知っているのですから、本香の場合、それは過去を表現していると考えることができます。二三は今日あるいは明日の有様を表現していて、予期せぬ花が開いて行くのに驚嘆している趣を取り扱ったので、試香をつけないのです。

 うーん、実にうまく想像力をかき立ててくれる素晴らしい組香ですね。そして、この鑑賞も、まさに「組香を読む」という感じです。
 さて、一、二、三にどんな香を選ぶのか。そこが香元の腕のふるいどころ、感性と教養の見せどころ。いえ、その香席に招待するメンバー選びからそれは始まっているのでしょう。もちろん、日時、場所、香道具・・・出来ることならお天気も選びたい・・・。どう取り合わせるのがベストなのか。

 ここで、先月ちょっとご紹介した『香道秘伝書集註の世界』(4)を思い出しました。
 『香道秘伝書』というのは、寛文9年(1669)に、それまでの代表的な香道関係書伝本を集めて出された、印刷物としては日本初の香道関係書だそうです。
 その註釈書としては、まず、延宝4年(1676)に手書きの註解書『香道秘伝書抄』、次に、元文4年(1739)の『改正香道秘伝』とあり、そして寛政11年(1799)に、『香道秘伝書抄』と『改正香道秘伝』の註釈部を引用した上で著者の説を加えた『香道秘伝書集註(こうどうひでんしょしっちゅう)』が出た由。
ぱらっとめくって、いきなり目に飛び込んできたのがここです。口語訳でご紹介しますね。

 香道秘伝書
 香道の心構えの事
 一
 「たき組香(=継香(たきつぎこう))」の催しがある時は、(招待者は)参加する連衆(れんじゅ)へ当日より前に予告し、(参加者は)香の数種類を持って出席され、縁を良く取り合わせておきになるようにするべきです。およそ、およそ、連歌の付合などに似ていますでしょうか。(香席順の前の人が)「雲井」と(いう銘の香を)お?きになりましたら、「有明」とき、また「うたたね」とく時は「ねざめ」などとくようにすべきです。四季の香、また恋の香など、いずれも縁を良く取り合わせておきになることは、もっともでございます。

 とあるのですね。ここに書かれているのは「たき組香(=継香)」、「たき合わせ」という香道の一種で、香元がその香席の趣旨に基づいた香をき、そこから次々に香をき継いでいくものですが、その心得の第一が「縁の取り合わせ」なのですね。
 きっと組香の作者が香を選ぶのに、もっとも心すべきことも、この「縁の取り合わせ」なのではないでしょうか?香の世界で、こんなに「取り合わせ」が重要視されていたことを確認して、ホント、うれしいです。

   千種は、もともとは「たくさんの種類」を意味する八千種(やちくさ・やちぐさ)で、万葉集にも「夜知久佐(ヤチクサ)の花は移ろふ常磐なる松のさ枝をわれは結ばな〈大伴家持〉」がありますし、歳時記にも「秋草」の傍題に「千草」として出ていますね。でも、例句にはあまり恵まれないようなので、みなさん、頑張って一句つくりましょう。

 さて、この「千種」の世界を組香で味わうには・・・?。では、また来月。
                              中原幸子

〔参考文献〕
(1)三条西公正著『組香の鑑賞』(理想社、1965年)
(2)神保博行著『香道の歴史事典』(柏書房、2003年)
(3)窪田空穂著『古今和歌集評釈(上巻)』(東京堂出版、1960年)
(4)掘口悟著『香道秘伝書集の世界』(笠間書院、2009年)
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