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月刊「e船団」 「香りと言葉」2010年1月号 ローマの釘2010年、明けましておめでとうございます。ことしもどうぞよろしくお願い申し上げます。 ローマの釘が出てきました。「思い出」とラベルを貼った古いスーツケースから。長さ67ミリ、頭の長径が22ミリ。 ![]() 1968年、イギリスで、PPLという香料会社の研究所長・リジボス博士から頂いたものです。私が、法隆寺は世界一古い木造建築だ、とか自慢したら、これはもっと古いよ、と。 頂いたときはピカピカに磨かれて、銀そっくりだったが、いまではいぶし銀になっている。でも、いったい、何で出来てるんだろう、どう見ても鉄の錆び方じゃないなあ、と思っていたら、何と「千年錆びない鉄の釘」ってあるんですってね。静岡県のホームページの「静岡県の人づくり」にある草柳大蔵の「人づくりちょっといい話」(36)に出ていて、もう、びっくり! さて、その錆びない釘ですが、白鷹幸伯(しらたかゆきのり)という鍛冶屋さんが、有名な宮大工の西岡常一さんに、薬師寺の西塔を再建するために「千年もつ釘」を作ってほしい、と頼まれ、ローマの釘を手本に2万本もの錆びない釘を作ってしまった、というのです。 そのとき、白鷹さんが調べて見ると、 千年ももつ塔に打ってある釘の起源はローマ帝国だった。その釘がシルクロードを伝わって西安に来て、西安から韓国を通って日本に来ている。それを突き止めて、ローマ帝国の釘がローマ時代にどんな形だったか、イランではどうなったかということをすべて調べた。白鷹さんは37歳で「木屋」を辞め、釘に取り組みます。(略) 一回、鉄を真っ白に光る手前の千度の温度で焼いて取り出し、パーッと純酸素をぶつけます。そしてイオウとリンを燃やして、温度が下がったものをまたもう一回釜の中に入れて仕上げるというんですよ。 どうやら、私が頂いたのは、こんなすごい釘だったのですね。なんか、猫に小判で、ちゃんとお礼を言わなかった気がするのが、にわかに恥ずかしく、申し訳なく思えてきました。 こちらは、アマゾン流域で見つかったという魚の化石。私が持っているものの中で一番古いモノです。 ![]() 1974年の、秋だったか、ブラジルから研修に来ていたM君のプレゼント。というより、「折角持ってきたのに、誰も欲しがらない・・・」と持て余しているのを見つけて、「貰う!貰う!!」と飛びついて貰ったのでした。荒縄で縛って持って歩いたのがいけなかった、というか、私にとってはラッキーだった、というか。長径21センチ、短径10センチ、魚の身長(?)17センチ。 それから、これは暮に頂いた「VINUS」21号です。 ![]() 「VINUS」は「国際香りと文化の会」の会誌で、21号のテーマは「お茶」です。 熊倉功夫・中村祥二両氏による対談「世界のお茶文化」で、「飲み物としてのお茶」「文化としてのお茶」が広く、深くしかもわかり易く、面白く語られるのを初めとして、「茶の香り」、「茶の機能・効能」、「福建の茶文化と陶磁器」、「浮世絵にみる江戸の喫茶風俗」、「入間市博物館・お茶の博物館」と、さまざまな角度からお茶の世界、というより、お茶の宇宙、という方がぴったりくるような世界を堪能させてくれます。 あ、対談の終わりに、熊倉氏がお茶席のお客の「取り合わせ」に触れておられて、興味深かったです。「人と人との関係をどうデザインするか」という表現にはっとしました。「取り合わせ」とは「関係のデザイン」である! お正月早々、何をわけのわからないこと言ってるの?と、お思いでしょうね。 でも、この3つが、6畳しかない私の仕事部屋に同居しているのを見て、なんか、とても不思議な縁を感じたのです。それにしても「古」ってことをあまり考えて来なかったなあ、と、なぜか、思いました。そして、私の大好きな「古いもの」の正しい(?)観方を思い出しました。 年希堯(ねんきぎょう)は陳舜臣の短編「景徳鎮からの贈り物」(1)に登場する、雍正帝のころの、失脚したとは言え元高官です。美しいものが好きで、同じく美しいものが好きな友人の唐英と二人で、よく骨董屋の奥の間で酒を飲む。その店の娘・兆蘭は17歳、熟れかけた白桃のような頬をときどきほんのりと赤らめたりする。 二人はおもに陶磁のことを語った。ときどき主人にめぼしい品物を持ってこさせ、さまざまな批評をした。 「これはこれでよい。・・・」 これが年希堯の口癖である。なにやら奥歯にもののはさまった言い方なのだ。 兆蘭は不思議に思って、何か不満があるのか、と訊ねる。すると、年希堯は答えるのである。 「たとえばこの五彩(赤絵)は」と、年希堯はやさしい声で言った。――「いまから二百年前の嘉靖の窯のものだね。これはたしかにすばらしい。だけど、もし・・・いいかね、もしもだよ、この私が作るとすれば、こんなものは作らない。これはこれで完成しているからね。・・・そんな意味で言ったのじゃよ。」 兆蘭は重ねて訊く。「新しいってどんなものでしょうか?」と。年希堯は答える。 「困ったね、そんなふうに訊かれると。・・・これから生まれる赤ん坊の顔を訊かれるようなものだ。・・・まだ生まれていないのだから」 まるで、俳句について話し合っているみたいでしょう? 年希堯は、過去において完成したもの、それはそれでいい、しかし自分は、その中にはない美しさを心の中で思い描くのだ、作るならソレを作りたいのだと言うのです。 そして年希堯は、ソレを創ります。 「取り合わせ」ってことを、こういう角度から考えたら・・・「関係のデザイン」? ところで、私は今月から「香道」の教室に通うことにしました。来月からは目に見える「取り合わせ」をご紹介できると思います。 では、また来月。 中原幸子 〔参考文献〕 (1)陳舜臣著『中国工匠伝 景徳鎮からの贈り物』(新潮社、1980年) 月刊「e船団」 「香りと言葉」2010年2月号 組香のお稽古「あ、さちさまですか?」と、迎えられて、きょとん、としていると、「香席では姓ではなく、名前で呼ぶのですよ。下に「コ」がつく場合は「コ」は省かれます」とのこと。 その、和服の、指の美しい、しとやかな風情の中にどことなく現代風なテキパキ感のある女性が先生でした。京都市内の、とある志野流の講座です。 案内書に「数種類の香木の香りを競技形式に仕立てて聞き当てる『組香』をします。香道は礼儀作法、立居振舞など約束事の多い世界ですが、その原点は香りを楽しむことにあります」とあり、「白のソックスと扇子を持って来てください」ということでした。 廊下の隅で白いソックスに履き替えて、扇子を手に、うろうろしているうちにメンバーが揃い、一同、扇子を前に置いて先生に「お願いします」のご挨拶。 傍らの薄暗い控えの間で、さまざまな準備が行われている気配がしばらく続き、やがて順番に着席。足の運び、正座の仕方、廻ってくる重硯(じゅうすずり)や記紙(きがみ)の受け取り方、次の人への送り方、もう、あのややこしい茶道を更に極めた複雑さで、昔何度か体験させてもらったのが、文字通り「体験」にすぎなかったのだ、と身にしみてわかりました。 まあ、今日は見学のつもりで、ということで、先生の右側の席を頂き、「万歳香(ばんざいこう)」というのが始まった。「初めてなのに、今日は難しいのが・・・」と気を使って下さったのも道理、なんと10個も聞くのですよ、この組香は。構造式に書くとこうなります。 ![]() お正月だからおめでたい組香とのことで、證歌は「君が代」。 君が代は千代に八千代に細石の巌となりて苔のむすまで 歌の中の4語がそのまま香の名前になっているのですね。難しい解釈がいらないのがありがたいです。 まず試香(こころみこう)が千代、八千代、細石の順に廻ってきます。右手の人が「千代」と告げて右膝の向こうに置いてくれたのを、さっき教わった作法に従って聞き、しっかり覚える。他の2つも同じ。うーん、何だろう、伽羅じゃないなあ、などと香り以外の知識に頼って覚えようとするのが、我ながら浅はかだ。3つが回り終わったところで、いよいよ本香。最初だけ「出香(しゅっこう)」と言って回される。「お、これは千代だ」と割に自信が持てたので記紙に「一」と書く。あ、記紙(つまり、解答用紙です)には、千代は、一、八千代は二、細石は三、試香で来なかった香(巌)だと思ったら「ウ」と書くのですよ、と教わったのです。 隣から「ごあんざ」と声がかかる。「ん?」と思えば、「ご安座」つまり楽にしていいですよ、ということの由。そう言えば足がしびれかけている。ちょっと横座りにならせて頂く。 次々に廻ってくるのを聞いては一だ、三だと書いていると、先生がのぞき込まれ、「あ、一が4つありますよ。3つしかない筈でしょう?」。で、あわててしまってワケがわからなくなった。まあ、鼻が疲れてしまったこともありますが。結局10のうち4つしか正解できなかったです。 この講座は月に2回あるのですが、2回目は新米に配慮して下さったのか、シンプルでした。そのかわり1回に2席。 ![]() ![]() どちらも3種の香を使い、試香が2種出され、本香は3つだけです。これは両方ともバッチリでした。全員正解でしょ、とお思いですか?それがそうでもないのですね。だって、一つ取り違えると2つ、運が悪いと3つともペケですから。 回答ですか?記紙に筆で書くのですが、これが返して下さらないのですよ。香席の記録は執筆が作法通りに記録して、みんなに回して下さるのです。その記録は成績の一番よかった人が頂けるのですが、ちょっと写真を撮らせて・・・とは流石の私も言いかねる雰囲気でした。いつかソレを頂ける日があったらお見せしますね。 万歳香のときは殆ど進行について行けていなかったので聞き逃したのですが、2回目はややマシになり、それぞれの香銘を覚えて帰ることが出来ました。 松竹梅: 松―朝霞、竹―幾里、梅―千代の匂 梅烟香: 梅―朝雪、烟―庭、 香―うぐひす こうして家でゆっくり眺めると、言葉の取り合わせが実に美しい風景を作っていますねえ。しかも、それぞれの香銘は本香が回り終わったあとで明かされるのです。ああ、そういう世界だったのか、ともう一度それぞれの香りを思い起こして、余韻にひたる・・・。今回はそこまではとても行きませんでしたが、次回はきっと! ところでですね、私は香席が終わってからの会話を(勝手に)楽しみにしていたのです。 「今日のお香はよかったですねえ・・・」 「とくに『千代』はけっこうな伽羅で・・・」 「『梅』はとても珍しい香りですが・・・」 それが全くなく、おいしいお菓子で玉露を頂いておしまいでした。銘の説明も六国五味もなく。正直、「えーっ!お香の話は!?」とかなり落胆して帰ったのでした。このままだったらさっさとやめてしまうことになったと思うのですが、なんと、ここでいつもの、不思議な偶然がまっていたのです。 1月18日(月)、NHKテレビ「こころの時代」の再放送を見ていましたら、冷泉家二十五代当主・冷泉為人氏がこんなことをおっしゃったのです。(タイトルは「和歌(やまとうた)の魂を守る」でした。そっくりそのままには書き写せていないと思います。ごめんなさい。) 若いときは型を否定的にみていましたが、冷泉家当主になって型が悪いとも言っていられなくなりました。(略)型を伝えることが家を伝えること。芸道は殆ど型をもっています。茶の世界で言えば「守・破・離」ということがあります。守って破って離れる、その離れるところで出るものが個性です。(略)一子相伝はものを伝えるひとつの智恵です。 また、「歴史をみていると、うたが変わらなければならないとき(時代が大きく変わるとき)はそのようになっている、と思う」ともおっしゃっていました。変わるときは変わるのだ、冷泉家の役割は変えることではない、守ることだ、とおっしゃっているようにお見受けしました。 そうか、何の説明も聞かず、見様見真似で覚えることで「伝える」という大事なことに協力してるのか、と納得(間違ってます?)。時期が来たら、私があれこれ訊かなくても先生が教えて下さるのでしょう。あるいはわかってくるのでしょうか。もっとも、前の人や横の人が男性だったらやみくもに真似しちゃいけないのが辛いところ。たとえば手。女性は手を膝に置かないのです。 では、また来月。 中原幸子 〔参考文献〕 (どこでどう引用、というのではなく) (1)杉本文太郎著『香道』(雄山閣、1969年) (2)香道文化研究会編『図解 香道の作法と組香』(雄山閣、2002年改訂版) (3)三条西公正著『組香の鑑賞』(理想社、1965年) 月刊「e船団」 「香りと言葉」2010年3月号 組香のお稽古(2)2月は恐ろしいお稽古しました。3月号では、組香のお稽古とは違う話題にした方がいいかと思っていましたが、あまりにも緊張を要したので、もう、誰かに聞いてほしくて。「難波香(なにわこう)」というんですけどね。 ![]() 5種とも試香(こころみこう)が出るんでしょ?どこが・・・?と思われますよね。 でも、なんと、記紙(きがみ)を下さらないんですよ、本香を全部聞き終わるまで! 5種のお香が順番に廻ってきて、その香りを覚えておくだけでも(私には)大変なのに、本香で順不同に廻って来るのを何番目が試香の何番目だったか、アタマの中で照合しながら記憶していかないといけないのです。 初めの2つほどはまあ、なんとか、「これは試み香の3番目だったな」、「あ、これは2番目だったような・・・」と。3つめぐらいから混乱して来る。さっき覚えたのも・・・インプットしたデータが鼻の中で勝手に交流し始める感じ。聞き終わって、記紙がまわってきた頃には「???」となっていました。 結果、正解は「三、二、五、一、四」 私は、「三、二、五、四、一」 全部正解の方はいらっしゃらなかったので、そして4つ正解はあり得ないので(1つ取り違えると最低2つ間違えるでしょう?)、3つでも一応好成績だったのですけどね。改めて、当たる・当たらない、ではなく、香道は香りを楽しむもの、と入門書に書かれている意味がわかりました。だって、香りを楽しむどころじゃなかったですもの、当てよう、とやっきになっていると。 さて、それぞれのお香の銘と、執筆が記録紙に書く名、これも銘というのかなあ、を( )内に示すと、下記のようになります。今回は六国も教えて頂きましたので、ご参考に。 一 (梅): 東山 (寸門多羅) 二 (桜): 都の春 (羅国) 三 (橘): 梅の下枝 (真那賀) 四 (菊): うぐひす (真那蛮) 五 (月): − (佐曽羅) ただ、折角の六国ですが、これまた、実体験がほぼゼロなので、違いがよくわからない。試香が廻ってきたとき、すぐに「あ、これは寸門多羅だ」とか判断できれば、覚えるのもラクだった筈なんですが。少しはお香を手に入れて、せめて基本なりと鼻に叩き込まなくては。 それにしても、銘をみれば、これも美しく流れるような春の景色です。ただ、難波香、というのに、京の都の景色なのですね。「東山」がなければ、難波宮という想像も出来るのですが・・・。 で、帰ってから本を探してみれば、「難波香」って今回教えて頂いたのとは違う形もあるのですね。『香道』(1)のはこうでした。 ![]() これだと、もろに「難波」ですね。日本国語大辞典』(2)で、まず「難波津」を見てみると、 難波津: なにわ‐づ 一(一)古代、難波江にあった港。海外との交通が開けるとともに、海路の要港として栄えた。墨江(住吉)の津・大伴の御津などが含まれた。(中略) *伊勢物語〔10C前〕六六「なにはづをけさこそみつのうらことにこれやこの世をうみわたるふね」(中原注:「難波津を今朝こそみつの浦ごとにこれやこの世をうみ渡る舟」=「難波津を今朝とうとう見ることになりました。浦ごとにゆきかうこれこそがこの世を海渡る船ですね」)(以下略)。 とありました。他の地名については、こんな風に出ています。 見津浦:立項されていない。また、ジャパンナレッジ(2)の全文検索でもヒットしない。 堀江(ほりえ):大阪市西区の南部、木津川・西横堀川(現在は埋めたてられて上を高速道路が走る)・道頓堀川・長堀川(現在は埋めたてられて長堀通)に囲まれる地域の呼称。江戸時代は木津川口の廻船の発着所で、材木・薪炭の問屋が多かった。元祿一一年(一六九八)中央部に堀江川が開削され、南北に分けられた。 住吉(すみよし):摂津国(大阪府の古郡名。古くは「すみのえ」と呼称され、「すみよし」の呼称は平安初期以降。(「堀江」には「大阪市内を流れる淀川の古称」も出ているが、これは違うでしょう。) 茅渟海(ちぬのうみ): 大阪湾の旧称。特に東部をいう。 『香道』の「難波香」の項には證歌は出ていないのですが、「難波津」の用例の伊勢物語の歌には「みつの浦」という言葉が出ていますから、「難波津を今朝こそみつの浦ごとにこれやこの世をうみ渡る舟」が證歌である確率はかなり高いのではないでしょうか。「みつのうら」ならば、「御津の浦」として、こんな風に出ていますし。 みつ 【御津・三津】 難波(大阪)の港津。難波の御津、墨江(住吉)の三津、大伴の御津などとも呼ばれた。官船の出入を尊んでいう。御津の浦。御津の埼。御津の浜。 こちらの「難波香」は、京の東山をめぐる春の風景とは一転して、ややもの悲しい難波の物語になるようです。当然、焚かれるお香の組み合わせも変わってくるのでしょうね。 そして驚いたことに、『香道 蘭の図』(3)にもあるのですよ、また違うのが。 こちらは白梅方、紅梅方の二組に分かれて競うのだそうです。他に「競(きそひ)香」(一名競馬香)という、同じく2組にわかれて競う組香も出ています。いつか私も実際に経験できるとうれしいのですが。 それにしても、同じ名前の組香でも、内容がこんなに大きく違うのですね。流派によってもきっと違うのでしょうねえ。 それにしても、お香を学ぶネックが記憶力と正座力とは。 病牀の匂袋や浅き春 子規 では、また来月。 中原幸子 〔参考文献〕 (1)杉本文太郎著『香道』(雄山閣、1969年) (2)『日本国語大辞典』(ジャパンナレッジ(有料):http://www.japanknowledge.com/stdsearch/display) (3)尾崎左永子・薫遊舎校注『香道 蘭の図』(淡交社、二〇〇二年初版) |