月刊:ことばを探る 最近のバックナンバー

月刊「e船団」 「香りと言葉」2010年4月号

證句

 「すごい、って、どういうこと?」と、思ったのは、3月13日の未明、ラジオ深夜便の「こころの時代」を聞き終わったあとでした。坪内稔典さんの「正岡子規の生きる力」で、アンカーの峰尾武男アナが、「・・・すごい人なんですねえ・・・」、「すごいですねえ」、「すごいことを・・・」としきりに感心し、坪内さんが、「でも、子規は、自分は朝から晩まで病人で、病気を楽しむしかない・・・自分が議論をしたりものを書いたりするのは、健康な人が散歩やゴルフをするのと同じだ。それを偉いとか、区別しないでほしい、と、言っていて・・・」というようなやり取りがあって、それでふと。

   「すごい」を『日本語源大辞典』(1)で引いてみると、
すご・い 【凄い】
〔形〕 〔文〕すご・し〔形ク〕
心に強烈な戦慄(せんりつ)や衝撃を感じさせるような、物事のさまをいう語。ぞっとするほど恐ろしい。ぞっとするほどさびしい。ぞっとするほど美しい。◆宇津保 970〜999頃。
[語源説]
(1)逸脱の意の動詞スグ(過)がイ関与によってスゴとなって、ク活用形容詞化したもの。シク活用のスガシ(清)と同源〈続上代特殊仮名音義=森重敏〉。
(2)スゴはシコ(醜)に通じるか〈大言海〉。


 ふーん。
 漢字は、と『字統』(2)の「凄」を見てみれば、
 凄(セイ。さむい・すさまじい。)
 形声 声符は妻(さい)。〔玉編〕に「寒きなり」とあって、寒涼の意。氷の寒冷なるをいう語であるが、また淒と通用する字である。


 ついでに「妻」も見てみる。「髪を整えた婦人の形。・・・結婚のときの盛装をいう」とある。なんと、ウエディングドレスの花嫁に「二水(冫)」という水をぶっかけたのが「凄い」なのですね!納得!!

 すごいと言えば、組香でも面白いのがありました。證歌ならぬ證句、つまり俳句によって組まれた組香です。今のところ見つかったのは2つ、「惜春香」と「誕生香」で、どちらも現代の新組香です。

 まず「惜春香」です。構造式は、

 證句はもちろん、
 ゆく春を近江の人と惜みけり   芭蕉

 この間、友人に、「香席のこと、画像でも入れてくれないと分かりにくいよ」と言われたので、ちょっとやってみます。
これが志野流の聞香の席です(3)。

 床の間を背にした男性が正客(しょうきゃく・上客とも)で、その左の女性が香元です。聞香炉(ききごうろ・もんこうろ)は正客から左手へ(画面でいうと右へ)回されていきます。
 まわって来る聞香炉はこんな形で、右は銀葉の上の香木を上から見たところです。


 惜春香の場合、「ゆく春」「近江の人」「芭蕉」の3種の香木を2包ずつ作り、1包ずつは試香として回ってき、残った3包が本香として、まぜられて順不同になってまわってきます。
 客は、まわって来る香をよくよく聞いて、先の試香と比べ合わせ、判断して記録する、という順序です。
 もう1つは「誕生香」という組香です。

 構造図の「2÷2=1」というのは「焚合(たきあわせ)」と言って、1枚の銀葉に2つの香木を並べて焚き出すのだそうです。こんなでしょうか。


 證句も現代風な俳句で、
 春隣別の命を身のうちに   及川和子

 この組香については、前にもご紹介した『組香の鑑賞』(4)に詳しい解説があるのですが、そこに、この俳句の加藤楸邨評が引用されています。
 あらゆるものが、きびしい冬の中から、新しい命を孕みはじめた気配が、春隣という感を誘う。そういう自然にかこまれた自分の身のうちにも、別の新しい生命が育ちはじめているというのだ。子の胎動を自然と共に感じるところにふくよかな感動が息づく。

 『組香の鑑賞』によれば、この組香の作者・中野八尾さんは、自分も間もなく初めてママの仲間入りをするのだ、という実感から「ほんとうにふくよかな感動」でこの句に共感し、この句を組香の世界に導いたのだとか。中野さんを「ふくよかな感動」に導き、新しい組香の構想へと誘ったのが楸邨の素晴らしい読みだった、ということですよね。

   俳句ってすごい!
 来月は「誕生香」の鑑賞を鑑賞してみましょう。そうすれば、私たちも好きな俳句を證句として組香を作れるかも?

では、また来月。
中原幸子

〔参考文献〕
(1)前田富祺監修『日本語源大辞典』(小学館、2005年)
(2)白川静著『字統』(平凡社、1984年)
(3)杉本文太郎著『香道』(雄山閣、1969年)
(4)三条西公正著『組香の鑑賞』(理想社、1965年)


月刊「e船団」 「香りと言葉」2010年5月号

誕生香

 宮本輝の「三十光年の星たち」(「毎日新聞」朝刊)を読んでおられますか?4月18日は、
 「世の中で、というよりも、我々ひとりひとりの身の廻(まわ)りで起こることに、偶然てものはないってことだよ」
という佐伯平蔵の言葉で終わっていました。
 私は、ここしばらく、待ったなしの偶然にただ流されて、私のさかしらな判断を振り回さずにすんだために転がり込んできたいくつかのボタモチ(詳細はナイショ)を思い出しました。

 そしてふと、昔むかしに読んだ新聞記事も。あるかなあ、と思って古いスクラップをめくってみたら、それは1982年9月2日の朝日新聞でした。
 「世界‘82 核兵器製造禁止 日本は守れるか」というコラムで、タイトルは「今こそ『無為』の哲学に学べ」、著者はロベール・ギラン記者です。アインシュタインが、広島に原爆が投下されたことを知ったときのことで、
 「とうとうやってしまった。あの爆弾は日本に投下されたのです。くらったのは広島です。町は全滅・・・」。
 博士は一瞬、両手で白髪の頭を抱え、無言のまま考え込んで、こう言った。
 「昔の中国人は正しかった。人間は結局何もなし得ないのだ」と。

と、あります。(全文お読みになりたいかたはこちらをどうぞ)。

 そうか、降ってきた「偶然」を貰うかどうかであれこれ悩むなんて、長いこと、なんてバカなことをして来たんだ、と後悔しつつ、また、ふと「偶然」は英語で「by chance」という、と習ったのを思い出しました。「ん?」と、コンサイスを引いてみると、「chance」だけで「機会」の他に「偶然」もあるじゃないですか。機会と偶然が同じ言葉だなんて、英語もやりますねえ!(今ごろ何言ってるの!)
 こんなことを改めて考えたのは、実は「取り合わせ」と「偶然」について先日友人たちとおしゃべりをしたからなんですが、それはそれでまたいつか。

 で、今月は「誕生香」の鑑賞を、というお約束でした。
 「誕生香」は、先月書きましたように、〈春隣別の命を身のうちに(及川和子)〉という俳句から創作された組香(作者・中野八尾)で、構造式は下記です。

 まず、この組香がどのように行われるかをみてみましょうか。
 ここでは「春隣」「身のうちに」「別の命を」という3つの要素を、全部同じ木所で、と指定されていますね。木所というのは、前にちょっとお話しした六国(こちら)のことですが、要するに伽羅なら伽羅ばかり3種で構成してください、ということです。
 香木が選べたら、「春隣」と「身のうちに」を2包ずつと、「別の命を」を1包、合計5包が作られます。「春隣」と「身のうちに」は1包ずつを試香に使い、残りの2包は混ぜてどれがどれか分からなくしてからその1包を取って、「別の命を」とともに本香として使われます。

 さて、準備が整うと、まず試香として「春隣」と「身のうちに」が廻されます。
次に本香として「春隣」と「身のうちに」のどちらか1つと「別の命を」が、1枚の銀葉に並べられた香炉が廻されます。それが何と何であるかを当てるわけです。

 こういう聞き方は「焚合(たきあわせ)」と呼ばれます。まず一方だけを手で囲うようにして聞き、聞き終わったら聞香炉を回してもう一方を聞く、という高度な聞き方で、もちろん私などは体験したことがありません。で、さっきからちょっと実験してみたのですが、やっぱり別々の香りとしてきちんと聞き分けるのは難し過ぎました。

 そして、回答は、要素名ではなく、「聞きの名目」に決められた書き方で記します。
 ・「春隣」と「別の命を」だと思えば「春暁
 ・「別の命を」と「春隣」なら「胎動
 ・「身のうちに」と「別の命を」なら「
 ・「別の命を」と「身のうちに」だと「生成

 また、当否は、記録紙の私の名前の下に、正解なら「誕生」、不正解なら「春隣り」と記されます。これを「下附」といいます。

 むろん当たればうれしいでしょうが、この組香の素晴らしさは、それよりも、證句から導きだされた言葉たち―要素や、聞きの名目や下附など―と香りとが、互いに響きあって、命の誕生の喜びを生き生きと味わわせてくれる、同席者みんなに春への希望を共有させてくれる、このことではないでしょうか。
 そしてね、もうひとつ、季語の力って大きいのでは、と思いました。「春隣」という、冬の季語なのに「春」を含む季語。大野林火は『入門歳時記』(2)にこう書いています。
 春を期待する気持ちに、もう春がすぐそこに来ていると感じられるけはいをいう。厳しい寒さの中で、誰にも春は待ち遠しく、春を待つ・待春という季題も生まれてくる。野山のけはい、雨や風、日の光、なんにでも春の到来を感じ取るのである。

 『組香の鑑賞』(1)の「誕生香」の鑑賞は(もちろん、他の組香のも)素晴らしいので、早くそこへたどり着きたいのですが。
では、また来月。
中原幸子
〔参考文献〕
(1)三条西公正著『組香の鑑賞』(理想社、1965年)
(2)大野林火著『入門歳時記』(角川書店、1980年初版)



朝日新聞1982年9月2日
世界‘82
核兵器製造禁止
日本は守れるか
今こそ「無為」の哲学に学べ

 「あのアインシュタイン博士が、広島に原爆が投下されたのを知った時何と言ったか、皆さんご存じですか?」―米国の著名な女流ジャーナリスト、マーガレット・ヒギンズ女史がこう切り出した。
 1959年か60年のある夜のことだった。東京のプレスクラブのバーに数人の外国人特派員たちが集まっていた。マーガレットが日本へ立ち寄ったので、昔の出来事のあれこれをおしゃべりしていた。
 彼女の夫の名前は忘れたが、米軍の将軍で、あの夜、プレスクラブで語られた内容は、その将軍の伝えるものだった。
 「これは夫から聞いた話なの」とマーガレットはいった。45年8月6日、原爆投下のその時、アインシュタイン博士はどんな反応を示したか。夫はちょうど同じ建物で、博士の部屋の近くで働いていた。
 第一報を受け取ると、夫はアインシュタイン博士の部屋へ走って行き、息をはずませながら言った。
 「とうとうやってしまった。あの爆弾は日本に投下されたのです。くらったのは広島です。町は全滅・・・」
 博士は一瞬、両手で白髪の頭を抱え、無言のまま考え込んで、こう言った。
 「昔の中国人は正しかった。人間は結局何もなし得ないのだ」と。
 アインシュタイン博士は、個人的には全く原爆製造に関与しなかった。だが、広島に原爆が投下された日、彼は同僚の他の科学者たちが科学というものをおそるべき非人道的破壊の道具におとしめたことを知ったのである。
 こうしたことから、博士は突然学問の道を放棄した。人類の進歩に寄与したことを後悔したのだ。進歩の概念を放棄したのみならず、何もしない方がよいことだとも考えた。
 アジアで最も偉い人々、「昔の中国人」たちの教義はなにかといえば、「無為」の哲学である。道教は調和ある自然の秩序を人間が乱さないよう教えている。賢明な人間はことをなすこと、つまり行為をやめ、めい想し知ることで満足するのである。昔の中国人は科学的知識を習得した最初の人類であったが、科学と技術の間にある溝を跳び越えることはしなかった。  日本はかつての戦争の残酷な体験から、核兵器製造の禁止を学んだ。しかし日本はその決議を順守し得るだろうか。そして、少なくともアインシュタイン博士の言葉を思い出し、昔の中国人のように、制限なくことをなすよりも、何もしないほうが価値あることを知り得るのであろうか。
ロベール・ギラン記者(本誌(=朝日新聞)・特約)

月刊「e船団」 「香りと言葉」2010年6月号

組香の鑑賞

 ある句会の飲み会で、Kさんの、にこにこと曰く、
 「なかはらさん、もうそろそろ、あのムツカシイお香の話はやめて、香りの俳句の話にでもしませんか?」
 そうなんですよね、私も、実はそう思っていました。
 で、今月で、おしまいにします、一旦。  

證句:春隣別の命を身のうちに   及川和子

 この句に共感して「誕生香」を創作した中野矢尾という女性は、自らも身ごもっていたのだそうです。初めての子を。だからこそ、ふと目に入ったこの句に「ほんとうにふくよかな感動」で共感でき、「すらすらと組香などが浮かんで」きたとか。こう言ってしまえば簡単ですが、このシンプルな組香には並々ならぬ技法がこらされているのだ、と三条西公正は『組香の鑑賞』(1)で解説しています。以下、この本によって、「誕生香」鑑賞のポイントを見て行きたいと思います。

(1)要素
 ここでは「春隣」「身のうちに」「別の命を」の3つ。つまり證句全体を3つに分けて、順番を入れ替えて要素としているわけですね。そのうち「春隣」と「身のうちに」は試香がありますが、「別の命を」は試香がありません。この、試のない香を「客香」あるいは、客という字のウ冠をとって「ウ香」というのですが、三条西公正の解説によれば「別の命を」をウ香としたところ、これが素晴らしい、というのです。「別の命を」を謎の香にしたことで、そこに秘められた、やがての希望が見られ、また「誕生香」という命名のゆえんも知れる、と。 なるほど・・・、なんだか、この組香の席に連なってみたくてたまらなくなりますね。香の名前を見ているだけ、というこの物足りなさ・・・。

(2)香量
 次は使われる香の量ですが、これは構造式に示されるように、「春隣」と「身のうちに」が2包ずつ、「別の命を」は1包です。ウ香の「別の命を」が1包だけなのは、「主題でもあり、当然のこと・・・二つや三つもあっては大変」ということなのだそうで、だとすれば、試香なしで、本香の一回きりのその香りが、生まれてくる赤ちゃんの心音のようにも思われますよね。

 また、「春隣」と「身のうちに」はそれぞれ2包ですが、それを三条西公正は、「〈自分〉と、その〈別の命〉を意味する」のだと鑑賞しています。本香で2つのうちの1つだけが取り出されて、「別の命」とともに焚き出されるのは、出産によって身二つになることを表現しようとしているのだというのです。しかも「焚合」という形で焚き出すことで、母が子を満足げに凝視している姿を見る心地がする、という。
 ここまで理解して香席に臨めば、まわって来る香の名が聞き当てられるかどうかなんて、どうでもいい気がしますね。あ、いや、自然に当たってしまわないといけないような気もしますが。

(3)香の指定
 構造式の下の方に「全部木所同一」と、香の選択への希望が付記されていますね。このことについては先月お話ししましたが、鑑賞、という面からこれをみると、「全部同一木所の香を使用することは、一面において母の血が通っていることを、香的には意味する」と、三条西公正は述べています。
 この香の選択は難しそうですが、それだけにうまく行くと素晴らしい世界が出現しそうです。母と子は出産という難関を経て別々の個体になり、しかも同じ血が通っている、その感動を、1枚の銀葉から立ちのぼる2つの香りが、聞く者の心に起こしてくれる、なんて。

  (4)聞きの名目と下附
 これも先月お話ししましたが・・・。
 「聞きの名目」は、
 ・春隣、別の命を・・・春暁
 ・別の命を、春隣・・・胎動
 ・身のうちに、別の命を・・・光
 ・別の命を、身のうちに・・・生成

 「下附」は、
 ・中(あたる=正解)の場合は・・・誕生
 ・不中(あたらず=不正解)の場合は・・・春隣り

でした。本香でまわってきたのが「別の
命を」「春隣」だと思えば、記紙に「胎動」と書いて執筆へ送り、当たっていれば執筆は記録紙の私の名前の下に「誕生」と書いて下さる、という訳です。当たらなくても、それは「春隣り」、春はもうそこですよ、だというのは、外れてばかりの私にはうれしい言葉ですが、三条西公正はこれらの評語の当否は、香席で実際に香を聞いた人に任せるべき、としています。この通りに実感できるかどうか、それは私にかかっているのです、確かに!

   このように、組香の鑑賞とは、六国五味をよく聞き分け、深く味わうことのできる人が、その組香の内容をとことん理解して香席に臨み、心を澄ませて聞き当てて、初めて成り立つものなのですね。
   そして、どの世界でもそうでしょうが、こうした鑑賞を完璧に楽しむためには、裏方の技術の支えがとても大事なようです。香木の割り方ひとつ、香炉の灰拵えひとつ、どこかで不備があれば、もう、試香と本香の香りの立ち方が違ってしまう訳ですから。

   この間、女性4、5人が集まったところで、「香りの句で、好きなのってありますか?」と訊ねてみましたが、誰も1句も挙げてくれませんでした。
 ショック!
 こうなったら、香りの名句をそこらにばらまかないといけません。って、大きなことを言って大丈夫でしょうか??
 では、また来月。
中原幸子

【参考文献】
(1)三条西公正著『組香の鑑賞』(理想社、1965年)


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