月刊:ことばを探る 最近のバックナンバー

月刊「e船団」 「香りと言葉」2011年1月号

鏡 餅

 明けましておめでとうございます。
 本年も、どうぞよろしくお願いします。

 突然ですが、お宅ではどんな鏡餅を、どこへお飾りになりますか?

 正岡子規は明治34年4月11日の「墨汁一滴」(1)に、
 虚子曰、今まで久しく写生の話も聞くし、配合といふ事も耳にせぬではなかつたが、この頃話を聴いてゐる内に始めて配合といふ事に気が附いて、写生の味を解したやうに思はれる。規(き=子規)曰、僕は何年か茶漬を廃してゐるので茶漬に香の物といふ配合を忘れてゐた。

 と書いていますが、私も鏡餅という大事な取り合わせを忘れていました。丸く大きな餅、昆布、橙、串柿、裏白・・・この幾重にも重なった取り合わせを忘れるとは。

 今思えば、私の生家(和歌山県北部)の鏡餅はちょっと変わっていました。
 正月のお餅搗きは必ず12月28日でした。29日に搗く餅は「苦餅」と言って、祖母の忌み嫌うところでした。もちろん、最初のひと臼が鏡餅です。まん丸でなかろうが、しわが寄ろうが、次の臼でやり直しは許されない。神様へのお供えは最初の臼でないといけないのです。この日は、おばあちゃんの言うことはゼッタイでした。
 ひと臼、全部、鏡餅です。大きいひと重ねは床の間に。他に、神棚2つと父の仕事机に1つ。丁重に、モロブタと称する細長い箱に並べられる。鏡餅が出来上がるとみんなほっとし、次からは食べ放題になります。

 で、その鏡餅ですが、広辞苑にはこうあります。
 平たく円形の鏡の形のように作った餅。大小2個を重ね、正月に神仏に供え、または吉例の時などに用いる。古くは「餅鏡」。かがみ。おそなえ。おかざり。円餅。かがみのもちい。かがみもちい。ぐそくもち。そなえもち。おそなえ。〈季・新年〉

 これが一般的な鏡餅でしょうね。
 我が家のが変わっている、というのは、その白い2つのお餅の間に福餅という、茹でた小豆を搗き込んだ、うるち米入りのお餅が1つ入るところです。うっすらと小豆色で、ところどころに小豆の皮も見え、ポツポツと米粒が飛び出し・・・。そうそう、塩味がついていましたね。
 うるち米を入れただけのはぼろ餅と呼ばれて、これは現在、ネットでも売られていますから、全国区ですね。福餅もおいしいですよ。お餅屋さん、頑張って!
 もっとも、「ふくもち」は広辞苑や日本国語大辞典にも、そして『紀州の方言』(2)にも出ていませんから、もしかしたら我が家のまわりのごく狭い範囲の方言かもしれません。と言うのも、「小豆餅」なら広辞苑にも、「(1)小豆あんをまぶした餅。(2)ゆでた小豆を入れてついた餅。」と出ていますし、なんと、すでに「正倉院文書」に出ているというのです。ネットで百科(3)の「和菓子」の項の「歴史」のところに、こうあります。
 《正倉院文書》によると,奈良時代には大豆餅,小豆 (あずき)餅,匙餅(せんべい)(伊理毛知比 (いりもちい)),浮餾 (ふる)餅(布留 (ふる) ),呉床 (あぐら)餅(阿久良形 (あぐらかた)),胡麻狛餅,麦形 (むぎかた)などの餅があった。上記のうち麦形だけは小麦粉を用いたが,他はいずれももち米,うるち米を材料とした。大豆餅,小豆餅はそれぞれダイズ,アズキを加えただけのものだったが,浮餾餅はあめ,呉床餅と麦形は油を用い, 匙餅と胡麻狛餅はあめと油の両方を使っている。(鈴木 晋一)

 こんな古い歴史を持つ餅を、鏡餅に取り入れるって、大したことですよね?どうして他所ではそうしていないのでしょうか?どなたか、ウチではそうだよ、という方がおられましたら、ぜひご連絡下さい。

 で、その鏡餅、『図説 俳句大歳時記』(4)を見てみると、『源氏物語』に出てくる、とあるではないですか。「初音」の巻に。あわてて探してみると、それは、源氏が36歳の正月、紫の上のもとを訪ねたときのことでした。女房たちがあちこちによりあって、
 歯固めの祝ひして、餅鏡をさへ取り寄せて、千年の蔭にしるき年のうちの祝ひごとどもして、そぼれあへるに、大臣の君、さしのぞき給へれば、懐手ひきなほしつゝ、「いとはしたなきわざかな」と、侘びあへり。(5)

という状況。「そぼれあう」はふざけあうことだそうで、歯固めとか言っても、女房たちは賑やかに楽しんでいる様子ですよね。
ここには「餅鏡(もちいかがみ)」となっていますが、これが鏡餅のことで、ひっくり返って「鏡餅」と呼ばれるようになるのは近世以後のことなのだそうです。

 『源氏物語』の「餅鏡」なるものが、どんなサイズで、どのような飾り方をされたのかはまだ調べていないのですが、現在、私たちはお餅の上にいろんなものを飾りますよね。私がぼんやり覚えているだけでも、

 橙:代々続くように。
 串柿:ニコニコと仲睦まじく。
 昆布:よろこぶ。

 というように、ちゃんと理由があって。

で、これは、きっとすごい取り合わせがあるんだろうな、と思ったら、やっぱり!
 ご覧下さい、これ、この賑々しさ!

 「末廣屋喜一郎」という和菓子のお店のホームページ(リンクの許可を頂いてないのです、ごめんなさい)に、「鏡餅のお飾りの仕方。お飾りの意味」というページがあって、詳しい説明が出ています。
 例えば、蜜柑。
 鏡餅の上にのせる「みかん」は、正確に言うと「ダイダイ(橘:たちばな)」と言います。ダイダイ(橘)は、お菓子の神様と言われている「田道間守命(たじまもりのみこと)」が、当時の第11代垂仁天皇のために、不老長寿の薬を求めて中国に渡り、そして持ち帰った不老不死の霊果です。つまり生命再生のサポートをする意味があるのです。

 え?家が代々続くように、じゃなかったの?と一瞬思いましたが、でも同じ意味ですよね。家が代々続くって、生命が再生され続けることですから。詳しくは「末廣屋喜一郎」さんで見て頂くとして、締めくくりが、
 つまり、鏡餅のコンセプトは、「新しい生命」。お飾りも全てこのコンセプトにのっとって、新しい命をサポートしているのですね。
 鏡餅も何気にチームワークなのです・・・


 !!!
 なんか、すっかりうれしくなりました。取り合わせって、たしかに、ある種のチームワークですよね!
 では、また来月。
中原幸子
〔参考文献〕
(1)正岡子規著『墨汁一滴』(岩波文庫、1927年初版)
(2)神坂次郎著『紀州の方言』(1970年、有馬書店)
(3)ネットで百科(有料)(:http://www.mypaedia.jp/netencyhome/)
(4)角川書店編『図説 俳句大歳時記(新年)』(1983年、角川書店)
(5)玉上琢彌訳注『源氏物語 付 現代語訳』(2006年第21版、角川ソフィア文庫)


月刊「e船団」 「香りと言葉」2011年2月号

タイトル

 船団の会の若き会員・山本拓也さんの卒業展を見に行きました。拓也さんは佛教大学の写真研究会のメンバーで、こんど目出度く卒業されるのです。
 ぐしゃっと潰れた、しかしぴかっと光っている赤いモノの写真が目に入り、あ、あれがタクヤだ、とピンと来たので、近付いて見ると、やっぱり! 熟柿かと思ったソレはトマトでした。私がすぐに思い出したのは、

 赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり(1)

 という齋藤茂吉の歌でしたが、これはハズレで、タイトルは「斜陽」でした。
 タイトルは難しい、と、会場で拓也さんとも話しあったのですが、タイトルと作品との間の切れは深いほどよく、しかも見る人の共感を呼ぶ強い絆がなくてはなりません(よね?)。俳句の切れと同じで。
 会場で貰った「作品紹介」にこうありました。
    太宰治の『斜陽』
  「私には、何だって出来るわよ。・・・ヨイトマケにだってなれるわよ。・・・」
  このフレーズがとても印象に残った作品でした。
  ※使用したトマトはスタッフが美味しく頂きました。


 「使用したトマトはスタッフが美味しく頂きました」は余計じゃない? くどいようだけど、ぐしゃっと潰れて、不味そうだったよ、拓也さん。
 それはともかく、このタイトル、どうですか? 私は、見る人に「え?」・・・「あ、そうか!」と思わせる、いいタイトルだと思うのですが。このタイトルで、ただの潰れたトマトがモノを言い始める、という感じで。ただ、太宰治の「斜陽」を知らない人には、この説明自体が分からない、ということに・・・いや、でも、この写真を見れば、広辞苑にある、
しゃ−よう【斜陽】
(1)西に傾いた太陽。また、斜めにさす夕日の光。和漢朗詠集「山は向背を成す斜陽の裏」。(2)比喩的に、時勢の変化で没落しかかること。「斜陽産業」。→しゃようぞく【斜陽族】


の、(2)を、直ちに連想して貰えるでしょう。トマトは光りつつ、潰れてるのですから。しかも、その写真のトマト、自然に潰れたのではなく、鋭い刃物で切れ目を入れてから潰されているのです。そういう意味では、ちょっと分かりすぎるかも知れないですね。作品とタイトルの切れ目から、まさに「斜陽」が、つまり没落貴族のお嬢様・かず子のヨイトマケ姿が読み取れて、ほかの想像を締め出してしまいますから。写真を貰って、ここに入れようかな、とも思ったのですが、わざとそうしないことにしました。
 別のタイトルをつけたら、どうなるんだろう、などと考えたりして、「また、宮本輝ぅー?」と言われそうですが、『草原の椅子』(2)を思い出しました。このなかで宮本輝は、鍵山誠児という、『翼』と題する初めての写真集を出したばかりの青年に、こう言わせています。
 「うん。『翼』っちゅう題は記念としてつけた題やから・・・。そやけど題って難しいんやで。題のええものは、だいたい中味もええんや」

 題のええものは、だいたい中味もええ、というのは、説得力があるなあ、などと思って、ついつい、昔、冒頭の数行で嫌いになって、それっきりだった『斜陽』(3)をわざわざ買って読み直してしまいました。
 写真の説明にあった「ヨイトマケ」は、第二次世界大戦で没落した貴族の娘である主人公のかず子が、戦争末期に徴用されてモッコ担ぎやヨイトマケをやらされ、それに耐えてみせた、というもので、それは没落の象徴であり、拓也さんにとってはものすごく新鮮な驚きだったのでしょう。でも、私は、それより、その次の章にこんな「取り合わせ」が出て来てびっくりしました。

 かず子が、20年も前に「お母さま」が編んでくれたのに、色が嫌いで使わなかった淡い牡丹色のぼやけたような毛糸の頸巻を、ほどいて、コバルトブルウの毛糸を混ぜて、セエタに編み直そうとしているところです。
 (長いことうち捨ててあった)それを、ことしの春、死蔵品の復活とやらいう意味で、ときほぐして私のセエタにしようと思ってとりかかってみたのだが、どうも、このぼやけたような色合いが気に入らず、また打ちすて、きょうはあまりに所在ないまま、ふと取り出して、のろのろと編みつづけてみたのだ。けれども、編んでいるうちに、私は、この淡い牡丹色の毛糸と、灰色の雨空と、一つに溶け合って、なんとも言えないくらい柔かくてマイルドな色調を作り出している事に気がついた。私は知らなかったのだ。コスチウムは、空の色との調和を考えなければならぬものだという大事なことを知らなかったのだ。調和って、なんて美しくて素晴しい事なんだろうと、いささか驚き、呆然とした形だった。灰色の雨空と、淡い牡丹色の毛糸と、その二つを組合せると両方が同時にいきいきして来るから不思議である。手に持っている毛糸が急にほっかり暖かく、つめたい雨空もビロウドみたいに柔かく感ぜられる。そうして、モネーの霧の中の寺院の絵を思い出させる。私はこの毛糸の色に依って、はじめて「グウ」というものを知らされたような気がした。よいこのみ。そうしてお母さまは、冬の雪空に、この淡い牡丹色が、どんなに美しく調和するかちゃんと識っていらしてわざわざ選んで下さったのに、私は馬鹿でいやがって、けれども、それを子供の私に強制しようともなさらず、私のすきなようにさせて置かれたお母さま。私がこの色の美しさを、本当にわかるまで、二十年間も、この色に就いて一言も説明なさらず、黙って、そしらぬ振りをして待っていらしたお母さま。

 この後、すごく重要なシーンに続くのですが、それはともかく、嫌いで嫌いでたまらかなった色が、組み合わせる相手次第でこんなにも美しい調和を生むことを、かず子に天恵のように悟らせ、同時にその母の素晴らしさを認識させる、この太宰治の「取り合わせ」の力への深い理解とその力の使い方の巧みさに、私はすっかり降参してしまいました。

 余談ですが、この新潮文庫の『斜陽』、何と、注解が付いているのですね。初版は1950年ですが、そのとき注解がついていたとは思えず、多分2003年に百四刷めで改版が出たとき付けられたのではないかと、私は推測するのですが。ちなみに、私がいま見ているのは2009年の122刷です。
 *牡丹色 紫色がかった紅色。
 *コバルトブルウ 酸化コバルトと酸化アルミニウムからなる青色顔料。明るい青色。
 *頸巻 えりまき。マフラー。

と、いう工合。それにしても、拓也さんのタイトルから、思いがけない「取り合わせ」に出会ってしまって、棚から大きなボタモチという感じ。どうもありがとう。

 ところで、昨年「e船団」に写真のページを開設したのですが、見て下さってます?
 「空気魚」の南村健治さんも「風島」の渡部ひとみさんも「題もキャプションも、原則、ナシで行きたい」とのことで、今、写真だけなんですが、こうなると、何かつけてみたい気がします。では、また来月。
中原幸子

〔参考文献〕
(1)土屋文明編『斎藤茂吉短歌合評 上』(明治書院、1985年)
(2)宮本輝著『草原の椅子(上)』(幻冬舎、2001年)
(3)太宰治著『斜陽』(新潮文庫、2009年)


月刊「e船団」 「香りと言葉」2011年3月号

香りと言葉の間には・・・

  この間、NHKテレビの「美の壷」で香水瓶を取りあげていました。流石!という内容で見とれてしまいましたが、特に興味深かったのはウォルトの香水「ジュルヴィアン」にまつわるお話でした。あ、こんなところでも、「取り合わせ」がいい仕事をしている、と。 フランス語の「ジュルヴィアン(JE REVIENS)」が、香水の本などでは「また来るわ」と訳されている、とは一応知っていたのですが、この、女言葉の訳でいいのかな、と思わせられるストーリーでした。

 番組もあと5分、最後の見せ場に入ったころ、画面に突如、行軍する兵士があらわれます。そして、背後に「I make a date for golf/You can bet your life・・・」と「Everything Happens to me」が流れるなか、古野晶子アナウンサーのナレーション。(ナレーションは私の記録なので、間違いはお許しください。また、香水瓶の画像は昔見た展覧会の図録などから借りたもので、NHKで放映されたのとぴったり一致はしていません。)
 で、こうです。
 第2次世界大戦の最中、形と名前が相まって、人々の心を掴んだ名品があります。
 戦場におもむく兵士が恋人に贈った香水、ジュ・ルヴィアン(Je Reviens=私は戻ってくる)、夜のビルディングをイメージしたデザイン、平和が訪れたときには華やかな街で楽しく過ごそう、そう語りかけてくるかのようです。
 この香水、もとは、戦争がはじまる前に発売された5連作の1つでした。


 と、その5つの香水瓶が、次々に紹介されて行きます。瓶のデザインはいずれも香水瓶に革命をもたらしたルネ・ラリックの作です。


DAND la NUIT
(真夜中に)
(1924年)

満天の星を模した瓶。恋人たちの甘いささやきが聞こえて来そうです。

VERS le JOUR(夜明け前に)
(1927年)

 気が付いたら夜明け間近か、朝焼けが空を染めて行きます。

SANS ADIEU(さよならは言わない)
(1929年)

さよならは言わない。なぜなら・・・

JE REVIENS(私は戻ってくる)
(1929年)

必ず私は戻ってくる。

VERS TOI(君のもとへ)
(1933年)

君のもとへ。

 5つがつながると、香水によるラブレターになるという仕掛け。

 真夜中に → 夜明け前に → さよならは言わない → 私は戻ってくる → 君のもとへ

 個性的な色と形を並べると1編のポエムのようです。


と、これが、美の壺のfile201 「香水瓶」の第三の壷「言葉と香りが響きあう場所」でした。

 1924年から1933年まで、10年近くもかけて、このラインナップは完成されたわけですが、もちろん、まだ起こっていない第2次世界大戦(1939−1945年)に赴く兵士が恋人に贈る、などということを想定して作られた筈はありません。最初のコンセプトは、ラブラブの恋人同志が、ほんの1日、2日の別れも辛くて、いうならば後朝(きぬぎぬ)の別れを惜しんでいる、という状況に近かったのではないでしょうか。
 だから、例えば『ルネ・ラリックの香水瓶展』(1)でこの5つの香水の名前の日本語訳をたどると、

  「真夜中」 → 「光に向かって」 → 「サン・アデュー」 → 「再来」 → 「あなたへ」

となっていますし、『光の幻想・ガラス工芸の美 ルネ・ラリック展』(2)の図録の解説では、「ジュルヴィアン」は「また来るわ」と女性言葉に訳され、そのデザインの意図もこう書かれています。
 縦溝文様をつけたシャープなデザインは、聳え立つ摩天楼を連想させる。ニューヨークではこの頃、エンパイア・ステート・ビルやクライスラー・ビルなど高層ビルの建設ラッシュで、街の表情が一新していた。アメリカ向けの輸出を意識したデザインである。

 そして、計画通りアメリカに輸出され、そこで、図らずも大ヒットしたらしいのです。現在、ウォルトのホームページには、兵士が恋人とひしと抱き合って、キスを交わしつつ「ジュ ルヴィアン」と言っている写真に添えて、
 「Je Reviens」は「I will return」と訳されたので、兵士から恋人への贈り物として人気があった
と書かれています。

 まあ、経過はどうあれ、このネーミングが大ヒットにつながり、5連作の他の4つが消えていったあとも、延々とウォルトの看板商品であり続けていることは確かです。香水にとって、よい瓶やよい名前との取り合わせがどんなに大切か、そのよい例ですよね、これは。
 「美の壺」では香水瓶は「言葉と香りが響きあう場所」だと言っていましたが、言葉と瓶、瓶と香り、言葉と香り、のそれぞれが最高の取り合わせになってはじめて、その場所が最高の場所なるのではないでしょうか。言葉と香りの間にあって、文字通り水ももらさぬ仲立ちをする、それが香水瓶。

 そして、香水にとって、もう一つ不可欠の取り合わせ、それはつける人との「取り合わせ」。
 例えば、横光利一の『旅愁』では・・・。主人公の矢代たち、微妙な関係の4人が、パリ・オペラ座へ「椿姫」を見に行く場面。矢代が心を寄せる千鶴子にはウォルトを、ちょっと跳んでる気味の真紀子にはシャネルをつけさせます。シャネルはウォルトより格下だったのです。何と言っても、ウォルトはオートクチュールの元祖、王妃の御用達でしたから。2つの香水は実に見事に使われていますから、今、横光は人気がないそうですが、是非覗いてみてください!
 では、また来月。
中原幸子
〔参考文献〕
(1)武田厚監修『ルネ・ラリックの香水瓶展』(毎日新聞社、1990年)
(2)池田まゆみ監修『光の幻想・ガラス工芸の美 ルネ・ラリック展』(ファンデーションカジカワ2001年)

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