月刊:ことばを探る 最近のバックナンバー

月刊「e船団」 「香りと言葉」2011年4月号

おしゃれ

 わあ、おしゃれ!
 と、言って貰えるかどうかは、取り合わせのセンス次第ですよね?
 そして、おしゃれの仕上げは香水(は、我田引水?)。先月もちょっと触れましたが、人と香水の取り合わせはとても難しい。そして、とても楽しい。だからこそ、今日の私はこの香り!と自信をもって選べるのがおしゃれな女性、という訳です。
 ところで、香水の取り合わせ、と言えば忘れられない思い出があります。
 内田美紗さん、もちろんご存じですよね、例えばこんな句(1)。

 秋晴や父母なきことにおどろきぬ (『浦島草』1993年刊)
 郭公や男合せのシャツを着て (『誕生日』1999年刊)
 チューリップ友に三人まりこさん (『魚眼石』2004年刊)
 レノン忌やまだ濡れてゐる焚火跡 (『魚眼石』以後)

 その内田さんの第一句集『浦島草』(2)の出版のお祝いの会でのこと。句帳のメモによれば、1993年12月4日だったようで、「内田さんお祝い、『さらし』工程を経たような」と書いてある。私の一押しはたしか〈フラスコのかたちに在りぬ春の水〉だった。当時、身のまわりをフラスコに囲まれた生活でしたから、それが俳句に、こんな詩情ゆたかな俳句になることが驚きだったのでしょうね。

 その日、司会をしていた南村さん(「e船団」の写真ページ「空気魚」の南村健治さんです)から、いきなり、「ナカハラさん、内田さんを香水にたとえるとしたら、どんな香水ですか?」と振られてしまいました。
 え?え?えーと、という頭の中のパニックは押し隠して、「そうですね、フルール・ド・フルールでしょうか」と、答えました。これ(下・左の画像)です。



 フルール・ド・フルールは1980年、ニナ・リッチから発売されたフレグランスで、「花の中の花」という意味。ボトルは先月ご紹介したルネ・ラリックの孫にあたるマリ−クロード・ラリックの作で、花模様がインタリオ(陰刻)なのも特徴の由。つまり、花を浮き彫りにぜず、彫り込んで窪ませてあるのですが、これ、何の花にみえますか?私はジャスミンの花(上・右の画像)だと思いたいのですが、どうでしょうね?花弁の数が微妙ですが、香りとも合いますし。
 さて、この撰択、ちょっとあの場には即き過ぎの感がありますが、我ながらよかったな、と、今でも思います。というのも、香りは爽やかに甘く、上品で、しかもシャンとしていますから。
 ただ、問題は内田さんが好きかどうか、ということ。どんなに周りが似合うよ、似合うよ、と言ってみても、つける人が好きになれなかったらそれでおしまい。でも、私としては、イブニングドレスの内田さんに選ばれるといいな、という気持ちです。

 こんなことを思い出したのも、ちょっとおしゃれについて考える必要に迫られたからなのですが、あれこれひっくり返していて、『とりあわせを楽しむ 日本の色』(3)という本を見つけました。この本、赤系、紫系、青系・・・と9つの系の配色を美しい実例で網羅していて、どれも息を呑む美しさですが、はっとしたのは、色と名前の取り合わせのもたらす美しさです。もちろん、美しい色の名前がたくさんあるのは私も知っていました。でも、これ、

ただの金平糖なんですが、色が、ピンクは「撫子色」、ブルーは「勿忘草(わすれなぐさ)」、グリーンが「薄萌黄」、ライトイエローが「黄檗(きはだ)」と呼ばれているのですね、この本では。撫子色や勿忘草色の金平糖ならば、どんな高貴な方のお茶席でもビクともしないお菓子になれそうじゃないですか?
 香水がどういう名前と取り合わせられるかでイメージを左右されるのと同じく、色もまた呼ばれる名前によってまるで違うもののように変身する、そのことに気付いて、ハッとしました。なんで今まで気が付かなかったのか、恥ずかしい。
 それから、この本には、ところどころに「色の名随筆」が配されているのですが、それが実に名随筆!ラインナップは、

 水上 勉「日本のべに」
 円地文子「花の色と衣服」
 小村雪岱「初夏の女性美」
 花柳章太郎「白毛布と赤のワイシャツ」
 泉鏡 花「白い下地」

という工合。泉鏡花は「白い下地」の中で取り合わせについてこんなことを書いています。(部分的な引用で、魅力が伝わらないと思いますが、ごめんなさい。)
 また同じ鼈甲を差して見ても、差手によって照(てり)が出ない。其の人の品なり、顔なりが大に与(あずか)って力あるのである。
 すべての色の取り合わせなり、それから櫛なり簪なり、ともに其の人の使いこなしによって、それぞれの特色を発揮するものである。


と、ここらはまあ、そうユニークな見解とは思わないのですが、

 近来は、穿き立ての白足袋が硬(こわ)く見える女がある。女の足が硬く見えるようでは、其の女は到底美人ではない。白い足袋に調和するほどの女は少いのである。美人が少いからだ。足袋のことをいうから次手に云っておく。近来は汚れた白足袋を穿いて居るものが多い。敢えて新しいのを買えとはいわぬ。せつせつ洗えば、それで清潔(きれい)になるのである。

 まっさらの白足袋と取り合わせてみれば、美人かどうかわかるだなんて!さすが鏡花、というべきか。そして、この後、最後の2行でまた、ドッキン!是非ご自分でどうぞ。では、また来月。
中原幸子
〔参考文献〕
(1)内田美紗著『内田美紗句集』(現代俳句文庫、ふらんす堂、2006年)
(2)内田美紗句集『浦島草』(ふらんす堂、1993年)
(3)コロナ・ブックス編集部編『とりあわせを楽しむ日本の色』(平凡社、2009年)


月刊「e船団」 「香りと言葉」2011年5月号

美 人

 4月号で、美人かどうかはまっさらの足袋を穿かせてみればわかる、という泉鏡花の説(「白い下地」)(1)をご紹介しましたが、上には上があるものですね。足袋を脱がせて、踵を見ればわかる、という人がいました。木村錦花(きんか)です。明治10年生まれだそうですから、鏡花より4つ年下、本名が錦之助。劇作家で、歌舞伎研究家でもあり、『近世劇壇史』という著作もあるという。その錦花が「わたしにはかかとを奇麗にする奇癖がある」と始まるエッセイ「夏美人のかかと」(2)にこう書いています。(全文お読みになる方はこちらをどうぞ)。

 江戸芸妓は寒中といえどもタビをはかず、素足につめ紅さして江戸前の意気を見せたというから、もちろんかかとはみがいていたに違いない。このごろ箱根や熱海で見かける芸妓や映画女優には、江戸前のかかとは少ないようだ。
 夏の美人は髪上げした襟脚(えりあし)の美しさと、薄衣のすそからもれる素足の美しさを命とする。襟脚がわらじのささくれのようにモジャモジャしていては、いくら姿がスッとしていても、決して夏の美人ではない。ことにかかとの醜さと来てはそれ以上に物をいう。
 ただしこれはわたしのひとりぎめかもしれないが、夏の女はかかとの美醜によって、美人の価値もたしなみの良否もおよそ知れる。もしわたしに夏の美人を捜せと命令が下ったら、かもじゃないがかかとから先へねらう。


 鏡花はまっさらな足袋を穿かせてみる。
 錦花は足袋を脱がせてみる。

 美人かどうかは顔やスタイルを見て判断するのだとばかり思っていましたが、まあ、色々基準があるものですね。
 そう言えば、私は『谷川俊太郎の33の質問』(3)という本が好きで、ひと笑いしたいときによく引っ張り出すのですが、その3番目が「女の顔と乳房のどちらにより強くエロチシズムを感じますか?」という質問です。質問を受けて立つのはこの8人。

 武満徹、粟津潔、吉増剛造、岸田今日子、林光、大岡信、和田誠、谷川俊太郎。

で、全員、顔派。でも谷川は「インテリはみんなそう言うんだよね。(笑)俺もそうなんだけどさ」と白状していて、おかしい。
 紅一点の岸田今日子へは、質問が「男の・・・」と変えられていて、彼女も「どっちかというと顔みたい」で「声もいいわね」と答えているのですね。じゃ、鏡花だったら「それはキミ、足袋を穿かせてみないと判らないよ」と答え、錦花だと「やっぱり踵がきれいじゃなくちゃ駄目だね」と答えるのでしょうか。

 ここで、ふと思い出したのは『真砂屋お峰』(4)です、有吉佐和子の。読んだのはもう30年以上も前の筈なのに、お峰と甚三郎が互いに一目惚れしあうシーンは、今も強烈に記憶に残っています。
 お峰は、代々続く材木屋の跡取り娘ながら、絹物を身に着けない家風のため、見合いの席にも木綿物で座っています。
 甚三郎は日本橋の石屋の三男坊、「風ぐらいでは壊れねえ家を建てたい」という気で大工の修行中。婿入りの見合い話に反発して、普段着の唐桟で現れます。
 両方ともいやいやながらの見合い。しかし、結果は、この通り。

 甚三郎が顔を上げて、お峰を見たとき、お峰の方も何か心で思いきめてこちらへ視線を移したときだった。あっと思ったのは甚三郎だけではなかっただろう。お峰の方もびっくりして目を瞠き、信じられないという顔をしてから、ぱっと頬を染めて目を外らした。
 甚三郎も信じられなかった。材木屋の一人娘、しかも器量自慢と聞いていたから、さぞかし当世風に役者の真似をして厚化粧でもあろうかと気構えていたのに、白粉っけのまるでない顔に口紅もさしていない。それでいて生まれついての色白なのか、いや、肌が透けるように薄いのに違いない、甚三郎を見た瞬間に燃えるように赤くなった。最初に目のふちから赤くなったのがまるで子供のようだった。しかし大きくて黒い眼と長い睫毛、形のいい鼻ときりっとしまった口許は、甚三郎が想像していたより遙かに美しかった。


 このあと、甚三郎は、お峰の着物が木綿であることに気付きます。藍の花の匂うようなその無地木綿は、派手に着飾った伯母と並んだとき、木綿が粗末な布だというのは間違いだと思わせるほどの美しさに、甚三郎には見えました。

   で、思ったのですが、鏡花のいう「白い下地」の働きって、このことじゃないでしょうか?お峰の透けるように「白い下地」があればこそ、ぱっと散ってゆく恥じらいの赤も美しいし、匂うような藍色木綿も映えて、甚三郎を打ちのめした・・・。
 打ちのめされた甚三郎は、これはいけない、と慌てて見合いの場から去り、それで見合いは成り立たなくなって、お峰も祖父とともに帰っていくのですが、その二人を甚三郎の兄嫁のお秋が眺めます。こういう工合に。

 立ち上って孫娘の顔を覗いた七郎兵衛は、それほど不機嫌とも思われなかったし、お峰は終始無言で、お秋はその美しさと木綿の着物という思いがけない取り合わせに呆気にとられていた。

 着飾って厚化粧すれば美しくなれる、と思い込んでいるお秋のような人間からは、こんな美人が木綿の着物で、というのは呆気にとられるしかないのかもしれないが、でも、お峰の美しさは、藍無地で却って引き立っているのですよね。むろん、有吉佐和子はそこを百も承知で、お秋を呆気にとらせているのでしょう。
 お峰と甚三郎はこの日の一目惚れを生涯保ち続ける、つまり、これはお峰と藍無地木綿以上の取り合わせ。では、また来月。

〔参考文献〕
(1)泉鏡花「白い下地」(『鏡花全集 巻二十八』、岩波書店、1942年初版)
(2)毎日新聞社編『随筆 茶の間 第二集』(毎日新聞社、1995年)
(3)谷川俊太郎著『谷川俊太郎の33の質問』(路書房、1975年)
(4)有吉佐和子著『真砂屋お峰』(中公文庫、1976年)


月刊「e船団」 「香りと言葉」2011年6月号

スミレのお菓子

 カリッといい音がして、ふわーと香りと甘味のひろがるお菓子を、旅のお土産に頂きました。そして、「香りと言葉」なのに、お菓子の話が少ない・・・と、ハタと気付きました。
 その菓子には、
Pétales de Violettes
Cristallisés Jardin d'Elen
TOULOUSE

と書かれた小さな紫色のラベルがついています。これをたよりにネットで検索してみると、TOULOUSE(トゥールーズ)はフランスの、もうすぐスペイン、というあたりにある都市で、

トゥールーズはスミレ菓子で有名です。薄紫色のにおいスミレを砂糖菓子にしたり、キャンディーにしたりいろいろです。香水も売られています。街中でも手に入りますし、空港でも売っています。味の方はそれほどのものではありません。甘いものが好きな方はお試しください。ただし、以外と値が張ります。

とのこと。高かったんですね、改めて、ありがとう!
 で、取り出してみると、こんな感じ。
 
 スミレ菓子  

 まん中の淡いピンクの玉、直径7ミリ程ですが、濃い紫ととてもよく引き立てあっていますよね。この取り合わせのセンス、実にニクイというか。口に含んでみるとほのかに菫の香があり、最後になんと、濃い茶色の種子が出て来たではないですか!何という芸の細かさ!!

 そう言えば、正岡子規は最晩年、ニオイスミレを貰って歌を詠んでいます。この「香りと言葉」2006年4月号の「ニオイスミレ」で,  「京の人より香菫(においすみれ)の一束を贈り来しけるを」と前書きのある12首(1)のうちの1首、

 わかやとの菫の花に香はあれと君か菫の花に及ばぬ

をご紹介しているのですが、いま
全部読んでみると改めてきゅんとなります。
この12首は「仰臥漫録 二」(2)の最後に書かれ、日付がついていないのですね。会ったことのない人から贈られたことは8首めの歌から分かりますし、菫の花だから春に、つまり明治35年の春に贈られたことが推測できますが、それ以外のことは、なにも知らないのです。ご存じでしたら教えてください。

 さて、子規は菫の俳句も作っています。『季語別 子規俳句集』(3)によれば明治22年の、

 寐た牛の下にしかれし菫哉
 我庭に一本咲きしすみれ哉

から始まって、なんと71句も。残念ながら明治33年のが最後で、京の人から贈られたニオイスミレの句はありません。でも、最後のがスゴイですよ!

 美の神の抱きあふて居る菫かな

 この句については『季語集』(4)にこうあります。

 
 近代の当初、すなわち明治という時代には、菫があこがれや理想のシンボルだった。天上の星、地上の菫を理想とし、〈星菫(せいきん)派〉と呼ばれたのは浪漫主義だの文学集団だった「明星」派である。与謝野鉄幹や晶子が菫に託して理想の恋や夢を歌った。「まことそれすみれは天(あめ)のにほひなり教へて人の髪にのぼさむ」(鉄幹)は、菫を摘んで恋人の髪に咲かせようという歌。
 文学史の上では、鉄幹などの浪漫主義に対して、夏目漱石や正岡子規は現実主義の立場をとったとされている。だが、漱石は「菫程(ほど)な小さき人に生まれたし」と自分のひそかな願望を野の菫に託したし、子規もまた「日一日菫の花に遊びけり」「美の神の抱きあふて居る菫かな」と菫に耽溺(たんでき)した。
 明治は菫の時代だった。男たちの心に菫が可憐に咲いていた。


 そうだったのか!という感じ。
 あ、でも、また脱線してますね。今月はスミレを食べる話のつもりでした。
『四季花ごよみ』(5)にはこんなことが書かれています。


【食用】味の良い春の野草のひとつ。若葉をゆで、お浸し、酢の物、あえ物にしたり、てんぷら、汁の実にもする。『万葉集』にもスミレを詠んだ歌があるが、花を愛でたものではなく、山菜としてのスミレを詠んだもののようである。また、花は吸い物に浮かべたり、砂糖菓子とする。


 この砂糖菓子が、きっと、お土産にもらったアレなのでしょう。そして、万葉集のスミレの歌というのは、山部赤人の春の野遊びでの宴歌4首の一首目(6)の、この歌のことでしょうね、多分?

 春の野にすみれ摘みにと来し我れぞ野をなつかしみ一夜寝にける

 この歌の「スミレ摘み」は、食料や薬草、染料にするための摘み草という解釈の他に、白川静の「菫などの草摘みは思う人の魂振りの為の行為で、「それはおそらく何らかの追憶を伴なうものであろう。そのゆえに『野をなつかし』むのであり、その復活のために一夜を寝るのである」(7)とか、犬養孝の「菫を女性の暗喩と捉える」見方(8)もあるようですが、ともかく、万葉の昔、スミレは食べ物だった、のは確かでしょう。なのに、私たちは、なぜスミレを食べなくなってしまったのでしょうか?
 もっとも、インターネットで「すみれ 料理」と検索すれば、菫プリンとか、菫マカロンとか、菫ご飯までレシピが出ていますから、私が知らないだけかも知れませんが。  ともあれ、トゥールーズのスミレ菓子は、しばらくの間、私の行く先々で友人達の目と舌を楽しませてくれたのでした。では、また来月。
中原幸子
〔参考文献〕
(1)正岡子規著『子規全集 第六巻』(講談社、1977年)
(2)正岡子規著『子規全集 第十一巻』(講談社、1975年)
(3)松山市立子規記念博物館編『季語別子規俳句集』(松山市立子規記念博物館友の会、1984年)
(4)坪内稔典著『季語集』(岩波新書、2006年)
(5)荒垣秀雄・飯田龍太・池坊専永・西山松之助監修『四季花ごよみ〔春〕』(講談社、1988年)
(6)伊藤博校注『万葉集 上巻』(角川ソフィア文庫、1985年初版)
(7)白川静『初期万葉論』(中央公論社、1979年)
(8)犬養孝『わたしの萬葉百首 下巻』(ブティック社、1993年)

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