月刊:ことばを探る 最近のバックナンバー

月刊「e船団」 「香りと言葉」2011年7月号

七夕のご馳走?

 みなさん、七夕の日のご馳走って何でしたか?七夕の日の楽しみだった、という食べ物って、私にはなかったように思います。
 みんな、どうなんだろう、と、「七夕 食べ物」で検索してみました。すると、「七夕に食べる『索餅』とはなんぞや?」という見出しが、いきなり。他にも何か所か「索餅(さくべい)」が出ていて、でも、ちょっとずつ違ってる・・・。

 索餅って何?これって季語?と、『図説 俳句大歳時記』(1)を開いてみると、これまたびっくり、「人事」→「宮廷行事」→「庭の立琴(にわのたてこと)」ときて、その傍題に「索餅(さくべい)」とあります。一緒に並んでいる傍題は、「立琴」「九枝燈(きゅうしとう)」「火取香」「紅葉の帳(もみじのとばり)」・・・乞巧奠(きこうでん)の飾り物だそう。 あれ?食べ物じゃないの、と思って別の歳時記を見ると、『角川 俳句大歳時記』(2)や『カラー版 新日本大歳時記』(3)では「七日の御節供(なぬかのおんせちく)」の傍題に入っていました。
 じゃ、その「七日の御節供」とは?『カラー版 新日本大歳時記』で見てみましょう。

【七日の御節供(なぬかのおんせちく)】 初秋 索餅・むぎなわ
◎陰暦七月七日(七夕)の節日に供える供御(くご)。節供とは、奈良朝より、もと式日に天皇に差し上げる食事のことであったが、のちには定められた式日を意味することとなった。七月七日には瘧病(おこりやまい:マラリア熱の一種)を除くものとして索餅を采女(うねめ)から女房に手渡し、女房は鬼の間北の障子から入って献上した。索餅は、小麦と米の粉を練って細い紐(ひも)状にしたものを二本縄のようにない合わせたもので、その形から「むぎなわ」ともいった。この日白帷子を着た。[関森勝夫]


 どうやら、織姫が恋しい牽牛のために用意して待っていたご馳走、というわけではなさそう。まあ、この2人は、会えさえすれば何も要らなかったか。

 なんでまた、瘧病のまじない?と思えば、『図説 俳句大歳時記』(1)には、
○『増山の井』に「昔、高辛氏の小子、七月七日に死したり。その霊、鬼となりて人に瘧病をなやます。その者、常に麦餅を食へり。そのゆゑに、死する日にあたりて索餅を祭れば瘧病を免るるよし、十節記にあり。今は索麪を用ふる、この遺法なるべし」。

と、その起源となる説を紹介し、また、これに対抗する説も、

○『日本歳時記』(貞享五)に「この説、確かなる出所を知らず。(中略)たとひこの日索餅を食したればとて、病根すでにきざしなば、その憂へを免るることあらんや。決してこの理なし。世の人、かかる妄言を信ずべからず」。

と紹介し、そして、

○『改正月令博物筌』(文化五)に「昔、高辛氏の小子(中略)今日の節句は瘧を除く為なりといへり。このゆゑにや、今日親族索麺を贈り、また索麺を食うなり。索餅とは索麺のことなり。麦索ともいへり」。

と、索麺を贈答する風習にも触れています。でも、ご覧になればすぐおわかりのように、言葉が混乱していますよね。麦餅、索餅、索麺、索麺、麦索。そして、先にご紹介したむぎなは、という名でも呼ばれたようですし。いったい、その「索餅」って何なのでしょうか?

 石毛直道著『麺の文化史』(4)は「よくもこれほど!」と呆然とするほどに世界中の麺を掘りさげた本ですが、そこには「索餅とむぎなわ」という項があって、その冒頭に、

 ここで索餅とはなにか、という難問を処理しなければならない。

と書かれ、ことば通りに、その難問が処理されて行きます。

*中国では索餅という食品の名称が後漢代や唐代にあらわれるが、その実態についての手がかりは一切、ない。だが、宋末、元初の本である『居家必用事類全集』に日本のそうめんにあたる索麺が出てくること、中国で古くは餅という文字であらわした食品を後に麺と書くようになることを考慮にいれると、索餅は索麺=そうめんであった可能性がある。

*日本ではどうか。
・いちばん古い記述は『新撰字鏡』(898〜901年に完成した日本最古の漢和辞書)にあらわれ、索餅に牟義縄(むぎなわ)という和名を表す文字をあてている。 ・索餅、むぎなわ(麦縄)は奈良時代から鎌倉時代の文献にあらわれ、その用例からみて同じ食品を示すとしてよい。
・日本最古の記録としては、東大寺の大仏をつくるための役所の記録である「造仏所作帳」の天平六(734)年五月一日の条に「麦縄六三〇了を買う」とある。
・菓子だとする説もあるが、『麺の文化史』(4)では、多角的な考察の末、この説を退けている。
・『延喜式』(927年に完成)には天皇と皇后にさしあげる1年分の索餅をつくるための原料と作るための道具が記されている。
道具:水をいれる容器、机、刀子(とうす=ナイフ)、頭巾と前だれ、土鍋、薪、臼、杵、絹ならびに薄絁篩、竹一百五十株・・・。
材料:小麦丗石、粉米九斛、紀伊塩二斛七斗。

 この材料の比率は、
 コムギ粉・・・2.5
 コメ粉・・・・1
 塩・・・・・・0.15

となる由。こうして材料と道具を眺めていると、小麦を臼と杵で粉にし、ふるいにかけ、米の粉とまぜ、土鍋で塩水を作ってそれで粉を練り、机に拡げてナイフで切りわけ、竹に掛けて干した・・・というような工程が想像できて、わかったような気になるのですが、でも、石毛氏のすごいところは、これを実際に料理研究家の奥村彪生氏に頼んで再現実験をしてもらったところです。しかも4つもの違った方法で。

 読んでいるとわくわくしてくるこの工程を、ちゃんとご紹介する余裕がなくて残念ですが、お2人で茹でて、食べて、議論して、コメ粉を入れると作りにくいけれど、茹であがりが半透明で艶があり、喉ごしがよく、腰があり、要するにおいしく、しかも茹でてから食べるまでの間に味が悪くなりにくく、保存にも耐える・・・というように発見して行かれるのです。

 さて、この索餅(=そうめんの祖先)、どうやって食べたのでしょうか。『麺の文化史』(4)によれば、茹でて、醤(醤油の祖先)、未醤(味噌の祖先)、酢のほか、アズキ汁でも食べたらしいとのこと。
 ちなみに、石毛氏は瘧の病・・・云々には懐疑的で、コムギの収穫儀礼だったのでは、という説のようです。

 今年の七夕は、遠く奈良時代を偲びつつ、味噌そうめんでもいかがでしょうか?
では、また来月。
中原幸子
〔参考文献〕
(1)角川書店編『図説 俳句大歳時記』(角川書店、1973年)
(2)角川学芸出版編『角川 俳句大歳時記』(角川書店、2006年)
(3)講談社編『カラー版 新日本大歳時記』(講談社、1999年)
(4)石毛直道著『麺の文化史』(講談社学術文庫、2006年)

月刊「e船団」 「香りと言葉」2011年8月号

西瓜のふしぎ(1)

 カット西瓜、というモノがあるのですね、サイコロ状のスイカ。舟型に切られた西瓜には一切れごとに、10度、11度・・・と糖度のラベルが貼られて・・・。
 あの頃、今から60年ほど前、我が家では、お盆が近付くと仏壇のあたりに大、中(小はなかった)いくつものスイカがごろんごろんとしていました。祖父が自分でも作っていましたし、ご近所のプロたちがご自慢の1個を縁先へ転がして行ってくれるのです。あ、お中元にも頂いたようで、のし紙がおさまり悪く巻かれてましたっけ。
 井戸に吊されて程よく冷えた、あの西瓜、美味しかったなあ。西瓜を切る、というのがまた儀式めいていて。スイカを切る包丁、というモノがありました、そう言えば。マサカ、ウチでそう呼んでただけでしょう、と思ってネットで調べてみたら、今も売られているのですね、西瓜包丁が。刃渡り34センチ、巾7センチって。

 西瓜は秋の季語。『図説 俳句大歳時記 秋』(1)の植物の部にこんなふうに出ています。

 野 菜

 西 瓜(すいくわ) すいか
 解説 暑いころのくだものとして最も好まれるものの一つで、形、・色・果肉の味はともに味覚をそそるのにじゅうぶんなものがある。園芸作物として広く栽培されているが、元来はアフリカ熱帯の原産で、優良な種類は明治以降に輸入された。
(以下略)

 野菜の部なのに、いきなり、暑いころのくだもの??

 船団・大阪句会では毎年8月に「○○10句」というのをやりますが、今年は「野菜10句」です。で、野菜か果物か、どうやって区別するの?という話になって、「草になるのは野菜、木になるのが果物」という説が出ましたが、それはないでしょ、と却下。だって、メロンはどうなるの!
 帰ってから辞書をひっくり返し、それで更に混乱していたのですが、ここで、ハタと悟りました。果物には野菜に成る果物と木になる果物があるのですね!
 では、次は、なんでキュウリは野菜で、メロンは果物なの、スイカはどうなの、という件ですが・・・。

 西瓜は子規の大好物でした。こんな工合です。

*『仰臥漫録』1934年9月6日の間食(2)。
 ○間食 今日ハ週報募集句検閲ノ日ナレバトテ西瓜ヲ買ハシム。西洋西瓜ノ上等也。一度ニ十五キレ程クフ。(句読点は中原が付けました)。

* 随筆「くだもの」(3)。(子規は菓物と表記していますが、果物と同じです)。
○くだものの字義 くだもの、といふのはくだすものといふ義で、くだすといふのは腐ることである。菓物は凡て熟するものであるから、それをくさるといつたのである。(以下略)。
○くだものに准ずべきもの 畑に作るものゝ内で、西瓜と真桑瓜とは他の畑物とは違ふて、却てくだものゝ方に入れてもよいものであらふ。其は甘味があつて而かも生で食ふ所がくだものゝの資格を具へてをる。
○くだものゝ大小 (略)准くだものではあるが、西瓜が一番大きいであらう。(略) ○くだものゝ旨き部分 (略)西瓜などは日表が甘いといふが、外の菓物にも太陽の光線との関係が多いであらう。

 以下、○覆盆子(いちご)を食ひし事、○苗代茱萸を食ひし事、○御所柿を食ひし事、と続くが、なぜか、西瓜を食ひし事、はない。

 でも、好きだったことは間違いないです。
 河東碧梧桐の『子規の回想』(4)には碧梧桐と子規の妹の律さんとの対談が載っていて、そこでも子規の西瓜好きが話題になっている。明治22年、子規が喀血して郷里の松山で療養していた頃、碧梧桐が訪ねると・・・。

(碧)きつと西瓜が出よりましたが。
(律)西瓜も好きで、毎日一つは買つておきました。病気保養といふので、何事も言ふなりにしてゐたのでせう。


 と、いう程。上述の『仰臥漫録』の記述がいかにも特別な奮発のような感じなのと、なんだか矛盾するのですが、これについては碧梧桐が、「いくら果物が好きだ、と言つても、西瓜、葡萄など銭目なものを常備して置くことは、懐ろが許さなかった」と述懐している通りでしょう(『子規の回想』)。

   子規の「准くだもの」には驚きましたが、「くだもの、といふのはくだすものといふ義で、くだすといふのは腐ることである。」という果物の定義にも驚きました。
 ホント?とついつい疑うのが物知らずの悲しさ、ちゃんと『箋注倭名類聚抄』とか『俚言集覧』とかに「くだもの」は「クタレモノ(朽物)の略か」と載っているのだそうですね。
 まあ、でも、現在では語源の研究も進んで、この説はそう有力ではないようですが(5)(6)。

 随筆「くだもの」には香りの項もあります。
○くだものと香 熱帯の菓物は熱帯臭くて、寒国の菓物は冷たい匂ひがする。併し菓物の香気として昔から特に賞するのは柑類である。殊に此香ばしい涼しい匂ひは酸液から来る匂ひであるから、酸味の強いもの程香気が高い、柚橙の如きはこれである。其他の一般の菓物は殆ど香気を持たぬ。

 えっ、それはヒドイでしょ、子規さん。柑橘の香りを「涼しい匂ひ」と表現するなんて、ステキな感性だなあ、と感動したのに、「其他の一般の菓物は殆ど香気を持たぬ」なんて。
 まあ、たしかに、西瓜は「殆ど香気を持たぬ」と言われても仕方ないような弱い弱い香りしかないですが、それでも、西瓜の香りを研究するぞ、と思った人はいたのです。って、私が自慢することじゃないですね――それは、日本有数の香料会社・長谷川香料のYajimaさんたち5名の研究者でした(7)。
 438キロもの西瓜から、細心の注意をもってフレーバー化合物(香りの成分のことです)を抽出し、その成分を究明したのです。438キロの西瓜から皮と種を除くと、201キロの果肉が取れ、そこから得られたフレーバー化合物は約350ミリグラム(0.35グラム)。これは果肉の1.7ppmに相当します。

 西瓜のことを知りたい、と思って資料を探してみましたら、身のまわりだけでビックリするほど出てきて、とても1回では書ききれません。
西瓜はどこで生まれたの?どうやって日本へ来たの?西瓜はなんでシマシマなの?西瓜の匂いの香水ってあるの?
・・・あとは、また来月に。
 
中原幸子
〔参考文献〕
(1)角川書店編『図説 俳句大歳時記』(角川書店、1973年)
(2)正岡子規著『仰臥漫録』(『子規全集 第十一巻』(講談社、1975年)
(3)正岡子規著「くだもの」(『子規全集 第十二巻』(講談社、1975年)
(4)河東碧梧桐著『子規の回想』(復刻版、沖積舎、1998年)
(5)前田富祺監修『日本語源大辞典』(小学館、2005年)
(6)杉本つとむ著『語源海』(東京書籍、2005年)
(7)Izumi YAJIMA, Hidemasa SAKAKIBARA, Junichi IDE, Tetsuya YANAI and Kazuo HAYASHI, Volatile Flavor Components of Watermelon(Citrullus vulgaris), Agric. Biol. Chem., 49(11), 3145-3150, 1985.


  月刊「e船団」 「香りと言葉」2011年9月号

西瓜のふしぎ(2)

西瓜って、ほんと、すごいですね。

 西瓜はどこで生まれたか?
 アフリカだそうです。

 これ!(1)


 真ん中にいますよね、スイカ。左上から、モロコシ、シコクビエ、ササゲ、オクラ、スイカ、メロン、コーヒーノキ、ヒョウタン。これらが、アフリカを起源センターとして広まっていった栽培植物とのこと。
 地球上の野生植物が、どんな風にして栽培植物となって広まっていったかは、深く、広く研究されているのです。びっくり。西瓜のひろまり方は、「世界の植物 30号」(2)にこう書かれています。

  歴史は古く伝播は遅く

 スイカ(Citrullus vulgaris Schrad.)の起源にはいろいろの説があり、はじめイタリア原産といわれたが、その後、熱帯アフリカに野生種が発見されて、アフリカのカラハリ砂漠が有力視されている。スイカは古い歴史をもつ野菜で、約4000年前の古代エジプトでもつくられ、種子を食べていたことが、当時の絵画からわかっている。約2000年前にはギリシャに伝わり、17世紀のはじめに中部ヨーロッパに渡っている。アメリカでも、17世紀のなかごろから栽培されている。
 中国へ伝わったのは唐と宗の中間の五代ごろで、西域(さいいき)のウイグルに遠征したときにウリの種子をもち帰り、馬糞(ばふん)のなかに植えたところが、たいへん甘い実ができたので、西瓜と名づけたといわれる。


  うーん、スイカが「水瓜」じゃなく、「西瓜」なわけがわかりましたが、でも今度は「馬糞のふしぎ」を調べたくなりました。もっとも「水瓜」もよく見ますね。

 日本へ来たのはいつ?
 これが、いろいろで。

 上記の「世界の植物」(1976年刊)には、
京都南禅寺の義堂という僧が、「西瓜に和する詩」を作っているから、南北戦争時代にはスイカがあったことになる。しかし、いちど絶えて江戸時代に再渡来したと考えられる。

とあるのですが、なんと、鳥獣戯画でウサギが抱えて歩いているよ、という情報もあります。言われて見てみれば、なるほど、説得力ありますよね、このシマシマ。



 「世界の植物」から20年ほど後に出た「植物の世界」の73号(3)では、「スイカが日本に伝来したのは南北朝時代(14世紀)と推定、17世紀には肥前(ひぜん、佐賀県)、薩摩(鹿児島県)などが産地として知られるようになった」としている。
 明治時代に入ると奈良県、和歌山県が主産地となり、とくに奈良県では、明治時代後期に米国から導入された〔アイスクリーム〕という優良品種に在来種を交配させて、品質のよい雑種が次々と育成された。「大和(やまと)スイカ」とよばれるこれらの系統から、大正時代には今日の日本のスイカの品種の基礎が確立された。
 『子規の四季のくだもの』(5)によれば、この「アイスクリーム」西瓜が東京で売り出されたのは明治34年とのこと。子規が、「今日ハ週報募集句検閲ノ日ナレバトテ西瓜ヲ買ハシム。西洋西瓜ノ上等也。一度ニ十五キレ程クフ」(『仰臥漫録』〔明治34年9月6日〕)と記した、まさにその年。よかった!

 なぜ縞があるのか?
 鳥が見つけやすいように(推測)。

 農林水産省のホームページには「こどものためのコーナー」があって、こんな回答が出ています。親切にルビがつけられていてうれしいのですが、ここでは省きます。

すいかの縞はなぜあるのですか。
質問者:小学生

 定説とはいえませんが、次のような説がありますのでご紹介します。
すいかはアフリカのカラハリ砂漠付近が原産地とかんがえられており、現在も野生のすいかが自生しています。砂漠でのすいかは雨が降ると芽を出して茎葉を繁茂させます。 しかし、果実が熟す頃には乾燥によって茎葉は枯れ、果実だけとなります。雨が降らない砂漠では、種子は広く分散されないと絶滅してしまいます。分散させる方法としては、鳥類が果肉といっしょに食べた種子が、消化されずに糞の中に混じって新天地に落とされることが必要です。果実に縞があれば、より遠くから、また高いところからも発見されやすくなります。逆に縞のないものは鳥などに発見されにくく、淘汰されたと推測できます。(平成13年8月にお答えしました。)


 なるほど。

 食べ方は?
 ところ変われば・・・。

 いちばん驚いたのが、これです。(6)


 アフリカ南部のカラハリ砂漠での光景。野生のスイカの1種で、苦くてそのままでは食べられないカンをおいしく食べる方法とのこと。
 蒸し焼きにしてから果肉を取り出し、グチャグチャになるまで搗く。それから、スイカの種子、コムやカネ(シナノキ科の小さな果実)、レイヨウの肉やイモムシ(スズメガの幼虫)などをあらかじめ搗いておいたものをよく混ぜ込む。香ばしくて、甘い、とのこと。 野生で一年中採れるし、水を加えない料理法だから、砂漠に生きる人にとって、とても貴重な食べ物なのでしょうね。

 さて、日本では。
 先月、カット西瓜にびっくりしてしまったのですが、なんと、こんなものが!


(国立国会図書館ホームページから転載)

 安政元年、豊国筆の「風俗吾妻錦絵 十二月ノ内 水無月土用干」の一部です。拡大してみれば(右の図)、食べ頃の大きさに切った上、どうやら種も取り除いてあるような。奥の筆みたいなので突き刺して食べるのかしらね。団扇に飛んでいるのはホトトギス?

 『むかしむかし物語』(4)には、西瓜は、昔は身分の高い人が食べるものではなく、道の辻などで切り売りしているのを下々の小者や中間(ちゅうげん)などが食べたものだが、寛文年間(1661〜73)にまず小身の、そしてやがて大身の大名までが食べるようになって、西瓜も大立身したものだ、と言われた、とあるそうですが、この絵の描かれた安政元年といえば1854年、こんな高級な食べ物になっていたのですね。

 西瓜くふ奴の髭の流れけり  其角(花摘)

 なかなか香りへ行き着けません。
 また来月、と言っても、10月も西瓜でいいのでしょうか?
 
中原幸子
〔参考文献〕
(1)「朝日百科 植物の世界 24号」(朝日新聞社、1994年)
(2)「朝日百科 世界の植物 30号」(朝日新聞社、1976年)
(3)「植物の世界 73号」(朝日新聞社、1995年)
(4)加藤郁乎著『江戸俳諧歳時記』(平凡社、1983年)より
(5)戸石重利著『子規の四季のくだもの』(文芸社、2002年)
(6)週刊「朝日百科 植物の世界 96号」(朝日新聞社、1996年)


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