月刊:ことばを探る 最近のバックナンバー

俳句 e船団 香りと言葉
月刊「e船団」 「香りと言葉」2011年10月号

スイカとオゾン

 さて、「西瓜の匂いの香水ってあるの?」に、やっとたどり着きました。
 これ、だれだかお分かりになりますよね?


 はい、市川房枝です。イッセイ・ミヤケを着て!三宅一生は、私にとって市川房枝をこう変身させた人だったのですが、まさか、スイカの香りの香水を探してたどり着くのもイッセイ・ミヤケだったとは!

 それはともかく、スイカの匂いの香水が欲しい、あの香りを着てみたい、と思う人って、どんな人かしらん、会って話をしてみたいな、などと思いながらスイカの香りを探っていて、『すいかの匂い』(1)という小説に出会いました。作者がなんと江國織!文庫本15ページのごく短いもので、もちろん、スイカを食べるシーンが出て来るのですが、なんと、文中に「匂い」って言葉が一度も出てこないのですね。で、そうか、西瓜の匂いって、もしかしたらそういうモノかも知れないな、とヘンに納得してしまいました。

 というのも、この3か月、随分たくさん「スイカ」について読んだのに、スイカを彷彿とさせてくれる香りの描写には出会わなかったのです。香り関係の本にも、ちょこっと、しかも申し合わせたように「みずみずしい青くささ」「芳香性の甘い香り」と書かれていて、これじゃあ、とても香りのプロの表現とは言えませんよね?とは言うものの、じゃやってご覧よ、ナカハラさん、と言われても困るけど。
 ただ、でも、私にとって、スイカの匂いといえば真っ先に浮かぶ言葉は「水くさい」です。子どもの頃、我が家では、果肉と皮、つまり赤と白、の境界線に、いかにギリギリまで迫れるか、というのが腕(口?)の見せどころ、という雰囲気でした。まわりの目が厳しく光っていて、赤い所を食べ残しでもしようものなら「まだ残ってる!」とチェックが入ります。かと言って白いところへ歯が当たると「うっ」となる水くささ!「下手やなあ!」とまたまたチェック・・・。

 しかし、あの「水くささ」こそが、私の「スイカの香り」のイメージなのです。 そして、インターネットで「スイカの香りの香水」として話題になっていたのは「ロード・イッセイ」。香調は「マリンノート」、「オゾンノート」などと書かれています。果たして私の記憶は正しいのか?
 で、とあるディスカウント・ショップに行ってみました。
 「あのう、ロードイッセイを・・・」と言うと、「ああ、・・・今年のは売り切れて、これ、去年のですけど・・」と出してくれたのがこの左側のボトルでした。毎年、夏限定でその年のバージョンが出るのですね。


 え?去年の?なんで?と思いつつサンプルを嗅がせて貰うと、なんと、ピッタシ、あの水くささ!ほくほくと買って帰り、今年のもインターネットで探して買いました。それが右側です。
 デザインはご覧のようにガラリと違いますが、香りの方は微妙に違って、微妙に似ている、流石!な香りです。匂い紙につけて、ときどき嗅いでみると、どちらも、いつも、スイカの香りがしているけれど、甘くなったり、青っぽくなったり、そっくり同じということはない、のです。

 上にも書きましたように、この香り、香りの世界では「マリンノート」とか「オゾンノート」とか呼ばれるのですが、『香料用語説明集』(2)で「マリンノート」と「オゾンノート」を見てみるとこんな風に出ています。

マリンノート(marine note、オーシャンノート)
 海や海岸で感じられるにおいあるいは海を連想させるみずみずしく透明感あるにおい。香料では、海草やオゾンなどを連想させるにおいをいう。1990年、合成香料キャロン(Calone)の登場により実現した新しいノート。  香水の例としては、ロードイッセイ(L’eau d’Issey、ISSEY、1992)、エスケープ(Escape、CALVIN KLEIN、1991)、(インセンスウルトラマリン、Insense ultramarine、GIVENCHY、1996)などが挙げられる。


オゾンノート(ozone note)
 (略)香料界でいうオゾンオートはむしろオゾン様ノート(ozone-like note)といった向きが強く、オゾンが紫外線に富む高山や海岸などの空気中に存在するといわれるところから、これらの場所をイメージした香調で、オゾンのようにフレッシュでメタリックなところもあるが、水や空気のような清々しい一面を持つ香調を指している。その香調よりマリンノートやアクアノートといわれることもある。
 香水ではイッセイミヤケのロードイッセイが有名である。(略)


 スイカのニオイは、香りの世界では、海辺の香り、オゾンの香りである、という、これも西瓜の不思議のひとつでしょうか。

 そうそう、なぜ市川房枝なのか、ですが、市川房枝は三宅一生のミューズだったのですって。そのミューズにあのジャケットを着せたイッセイが、生まれたばかりの新しいコンセプトの香り・ロードイッセイで世のミューズたちを酔わせた、というのが、なんだか嬉しかったものですから。  では、また来月。
 
中原幸子

【参考文献】
(1)江國香織『すいかの匂い』(新潮文庫、2000年)
(2)日本香料協会編『香料用語説明集』(日本香料協会、2010年)


月刊「e船団」 「香りと言葉」2011年11月号

銀杏返し

 銀杏返しに○○かけて・・・。
 さて、○○は何でしょう?

 ひょんなことで『漱石・子規往復書簡集』(1)を読むことになり、これが恐ろしくも面白いのです。何が恐ろしいかというと、辞書と首っ引きでも歯が立たない・・・。
 で、その、明治24年(1891)7月18日(土)付、漱石から子規への手紙です。ふたりは24歳、同い年です。

 牛込区喜久井町一番地 夏目金之助より
 松山市湊町四丁目十六番戸 正岡常規へ

  (略)
 ゑゑともう何か書く事はないかしら。ああそうそう、昨日眼医者へいつた所が、いつか君に話した可愛らしい女の子を見たね。――〔銀〕杏返しに竹なはをかけて――天気予報なしの突然の邂逅だからひやつと驚いて思はず顔に紅葉を散らしたね。まるで夕日に映ずる嵐山の大火の如し。その代り君が羨ましがつた海気屋で買つた蝙蝠傘をとられた。それ故今日は炎天を冒してこれから行く。
 七月十八日                 凸凹
 物草次郎殿


 漱石は「銀杏返しに竹なはをかけて・・・」と書いています。でも、ここで私は、「え?銀杏返しには黒繻子をかけるんじゃないの?」と思いました。私の中では、「銀杏返し」にかけるものは「黒繻子」、という不動の取り合わせが出来上がっていたのですね。
 なぜかと言えば、それは昭和12年に大ヒットした歌謡曲「すみだ川」のせい。発売時は歌が東海林太郎、台詞は田中絹代でしたが、今は歌・台詞とも島倉千代子で、カセットテープ(2)が売られています。すごい長寿曲。

 すみだ川
1 銀杏がえしに 黒繻子かけて
  泣いて別れた すみだ川
  思い出します 観音さまの
  秋の日ぐれの鐘の声
  (台詞)
   「ああ そうだったわねぇ
   あなたが二十 あたしが十七の時よ
   ・・・・・

 (全部見たい方はこちらをどうぞ)

 昭和12年と言えば、漱石が眼医者さんで見てから半世紀近くも後のことですが、そのころの東京でも、やはり叶わぬ恋に悩む17歳の女の子に一番似合うのは銀杏返しだったのですね。
 いま、私たちに一番身近な「銀杏返し」は、5千円札の樋口一葉ですが、正面からでは特徴がはっきりしませんよね。ポーラ文化研究所から出ている『結うこころ』(3)にはこんな写真が出ていて、
  
 
 解説に、
 銀杏返し【江戸末期〜明治】
江戸末期は十二、三歳から二十歳くらいまでの婦人の髪型であったが、明治時代に入って、髷が大きくなり、娘義太夫などが結った。粋好みの娘は、義太夫を真似たものも出てきたが、その後は、三十歳以上の女性や後家、芸人なども結ったらしい。京都では、この髷を蝶々髷という。


とあります。左の、赤い玉を連ねた飾りは「根掛け」と呼ばれ、冬はこのように珊瑚玉、夏は涼しげな翡翠にかわるのだとか。漱石が眼医者で会った少女は「竹なわ」を掛けていた、と書かれていますが、これは「丈長(たけなが)」のことのようで、右の白い飾りです。
 実はこの漱石の手紙、自筆が残っているわけではなく、子規が貰った手紙を書き写して遺していたものなので、これが漱石のうっかりミスなのか、子規の写し間違いなのか、もしかしてこの頃の2人の間を飛び交っていた冗談の一端なのか、そこらはもうわかりませんが、でも、私なら、漱石が、かわいい少女が質素な丈長を掛けているのを見て、「たけなが」であるのを百も承知で「たけなは=竹縄」と洒落た、つまり、若き漱石の照れ隠し、と考えたいですね。ちなみに丈長は、奉書紙の一種で、質厚く糊気のない丈長という紙をたたんで平元結(ひらもとゆい)にしたもので、元結いで結んだ上にかけて飾りにしたもの、と広辞苑に出ています。

 で、眼医者での邂逅から18年後の明治42年、漱石は『それから』でヒロイン・三千代に「銀杏返し」に「派手な半襟」をかけさせます。『それから』はご存じのように「高等遊民長井代助と人妻三千代との恋愛の恋愛の苦悶を描く」(日本国語大辞典)小説ですが、そこで漱石がいかに巧みに銀杏返しを使っているかが、半藤一利の「銀杏返しの女たち」(4)に楽しく、興味深く解説されています。

   この銀杏返しの髪型を『それから』で漱石が実に巧みに使っている。ボンヤリと読んでいるとわからないが、百合の花の色と香りとともに、三千代と代助が“昔”に戻るために、漱石はうまく仕掛けて銀杏返しを書いている。百合のほうは、藤谷美和子出演の最近の映画「それから」なんかで、大袈裟に扱われていたから知る人も多いが、三千代の髪型がいかに微妙に代助の恋心をそそったか、知る人ぞ知る、かも知れない。

と、あり、これに続いて、物語の核心においていかに「銀杏返し」が重要な働きをするかが読み解かれて行くのですが、私は、取り合わせられた「派手な半襟」もまた「銀杏返し」に負けず劣らずいい仕事をしていると思います。半藤は「三千代という女性がその表面的なさびしげな姿とは裏腹に、ただものではないような気がしてくる」と述べるが、その三千代の「ただものでなさ」は「派手な半襟」の存在抜きでは醸し出せなかったのではないでしょうか。

 で、冒頭の○○は「丈長」、「黒繻子」そして、「派手な半襟」、でした。

 同じ「銀杏返し」でも、取り合わせとTPOでこんなにイメージが変わるんだ!という、他愛ない話なのですが、実は、銀杏返しなどの日本髪が美しく結い上げられるためには、伽羅油(きゃらのあぶら)という鬢附け油が無くてはならないもので、それはこうこう、こういうモノなのです・・・ということをお話ししたいのです。
 でも、まあ、今月は、銀杏返しに黒繻子をかけた樋口一葉をご覧に入れておしまいにしましょう。(1981年発行の近代美術シリーズ 第11集、鏑木清方の「樋口一葉」)。
 
 では、また来月。
 
中原幸子
【参考文献】
(1)和田茂樹編『漱石・子規 往復書簡集』(岩波文庫、2002年)
(2)作詞/佐藤惣之助、作曲/山田栄一、編曲/山路進一、唄/島倉千代子「すみだ川」(COLUMBIA、1997年)
(3)村田孝子編著『結うこころ 日本髪の美しさとその型(かたち)』(ポーラ文化研究所、2000年)
(4)半藤一利著『漱石先生ぞな、もし』(文藝春秋、1992年)

すみだ川(2)
作詞/佐藤惣之助、作曲/山田栄一、編曲/山路進一
唄/島倉千代子

1 銀杏がえしに 黒繻子かけて
  泣いて別れた すみだ川
  思い出します 観音さまの
  秋の日ぐれの鐘の声
  (台詞)
  「ああ そうだったわねぇ
  あなたが二十 あたしが十七の時よ
  いつも清元のお稽古から帰ってくると
  あなたは竹屋の渡し場で
  待って居てくれたわねぇ そうして
  二人の姿が水に映るのをながめながら
  ニッコリ笑って淋しく別れた
  本当に(はかない恋だったわねえ」

2 娘ごころの 仲見世あるく
  春を待つ夜の歳の市
  更けりゃ泣けます 今戸の空に
  幼馴染みのお月様
  (台詞)
  「あれから
  あたしが芸者に出たものだから
  あなたはあってくれないし
  いつも観音様へお詣りするたびに
  廻り道して懐かしい隅田のほとりを
  歩きながら一人で泣いてたの
  でも もう泣きますまい
  恋しい恋しいと思っていた
  初恋のあなたにあえたんですもの
  今年はきっと
  きっと嬉しい春を迎えますわ」

3 都鳥さえ 一羽じゃ飛ばぬ
  むかし恋しい 水の面
  逢えばとけます 涙の胸に
  河岸の柳も 春の雪



月刊「e船団」 「香りと言葉」2011年12月号

伽羅の油(きゃらのあぶら)

 銀杏返しの少女に胸を焦がした漱石は、なんと『草枕』の那美さんにも銀杏返しを結わせていました。
 先月ご紹介した「銀杏返しの女たち」(1)で、半藤一利は、

 (那美さんにも銀杏返しを結わせている)となると、『それから』の三千代にある深い想いをこめて銀杏返しを結わせたとするわが仮説は、なにやら力を失っていくようである。漱石先生は若い女性の髪型となると銀杏返ししか知らなかったのであろうか。

と憮然としていますが、もしかしたら、そうかも、と思わせる証拠(?)がありました。漱石は、ロンドン留学中に奥さんへ出した手紙にこんなことを書いているのです。

 留守中とてむやみに寐坊被成間敷(ねぼうなさるまじく)候。(略)髪は丸髷、銀杏返しなどに結ばざる方よろしく、洗髪(あらいがみ)にして御置可被成(おきなさるべく)候。(明治三十三年十月八日)

 半藤は「銀杏返しの女たち」(1)に、その後に得た情報を付記して、「銀杏返しの髪型は比較的貧しい家の娘に多かったらしい」ことや、「人妻が銀杏返しを結うことはまずなかった」などと書いているのですが、だとすると、鏡子さんが銀杏返しに結う可能性はほとんどないですよね?もしかして、この手紙の前の方で書いているように、漱石は、遠い異国で「おれのような不人情なものでも頻りに御前が恋しい」状態に陥って、銀杏返しに結った奥さんが目に浮かんだのでしょうか?謎ですね、これも。

   いきなり脱線しましたが、その、日本髪を結うのに欠かせない伽羅の油(きゃらのあぶら)です。まず広辞苑で今どきの常識を確認しました。

きゃらのあぶら【伽羅の油】
鬢(びん)付け油の一種。もと、ろうそくの溶けたものに松脂を混ぜて練ったもの。のちには大白唐蝋・胡麻油・丁字・白檀・竜脳などを原料とした。正保・慶安(1644〜1652)の頃、京都室町の髭の久吉(ひさよし)が売り始めて広まった。きゃら油。

びんつけあぶら【鬢付け油】
髪油。菜種油などと晒木蝋(さらしもくろう)に香料をまぜて製した固練りの油。主に日本髪で、おくれ毛を止め、髪のかたちを固めるのに用いる。固油。びんつけ。→伽羅(きゃら)の油


 で、この伽羅の油、意外なことに、最初に使い始めたのは男性だったのです。
 『国文学上より見たる【詳説】日本化粧文化史の研究』(2)という本によると・・・。

 戦国の世には美髯をたくわえたいかめしい風貌が喜ばれたが、平静な慶長の世ともなると髭などは嫌がられるようになった。毛深い人は剃ったり、抜いたりしてまで髭を立てなくなった。
 ところが、徒侍・若党・仲間・小者といったような下級の者たちは、寛永の頃になっても、頬髭や口髭をはやし、蝋燭が燃えるときにたれたながれを油に溶かし、松脂などを加えて「伽羅の油」と名づけたもので、髭が垂れ下がらないように固めたのだとか。
 はじめは市販されていなかったが、正保・慶安の頃京都の室町で「髭の久吉」が売り始め、江戸でも店ができた、という。最初は敬遠していた人たちも、使えば髪が美しく映えることから、まず遊女が使い始め、どんどん広がっていった。

 と、いうことで、作り方もいろいろと書き残されているのですが、例えば『香料 日本のにおい』(3)に『女日用大全』の製法が出ています。(「両」「匁」はこの場合重さの単位で、1両(=4匁)は15グラム、1匁は3.75グラムです。)

大白唐蝋10両、胡麻油(冬は1合5勺、夏は1合)。丁字1両、白檀1両、山梔子2匁、甘松1両、この4色のくすりを油に入れ、火をゆるくしてねる。こげくさくなるとも、湯せんのとき、そのにおいはのくなり。よくいろつきたるときあげてさまし、竜脳2匁、麝香3匁いれてよくまぜあわす。

 蝋と油の他は、ただ香りや色を付けるだけのように見えますが、どれも古来、生薬、民間薬として使われてきたスグレモノ揃いです。

 丁 字(ちょうじ):香り。消毒・殺菌効果。消化促進効果。
 白 檀(びゃくだん):香り。インドでは古くから万病の薬とされた。
 山梔子(くちなし):色(黄色)。消炎、鎮痛。
 甘 松(かんしょう):香り。鎮静作用。
 竜 脳(りゅうのう):香り。防虫。
 麝 香(じゃこう):香り。興奮、強心、解毒、鎮静。

 山田憲太郎が下記のように言っているのも、ナットクです(3)。今風に言えば、アロマセラピー効果が期待できた、ということでしょう。

 丁字と白檀で色気をふくませ、できあがる最後に麝香と竜脳を入れるなど技術的に見てうなずける点が十分にある。髪にぬったびんつけは本人を喜ばすとともに、接する人を恍惚とさせるものでなければならない。木蝋に胡麻油を土台とし、優婉で相手を引きつける力のある白檀と丁字の匂い、それから竜脳と麝香でおしろいくさいなまめかしさがある。伊達な男女と、紅燈の巷になくてはならぬものであったろう。(略)この伽羅の名は沈香では全くない。白檀と丁子と麝香と竜脳という、艶色の濃厚な匂いであった。

 「できあがる最後に麝香と竜脳を入れるなど技術的に見てうなずける」というのは、つまり加熱で香りの成分が変化したり飛んでしまったりするものは最後に入れるように指示している、ということでしょう。

 さて、ご覧のように、伽羅の油に伽羅は入っていません。でも、「伽羅」は上等の代名詞でしたから、売るためのネーミングとして、別に問題はなかった・・・。
 キャッチフレーズは他にもありました。
 1つは、シラミ防止です。『老人養草』にこうあるそうです(2)。
髪を梳るに、水をつけてけづるべからず。おほくは虱を生ず。本邦近来男女の髪に油をつけて梳り、蝋油を用いて束(つか)ぬるによって、頭に虱を生ずることなし。
 もう1つは前にも出ましたが、髪かたちがピシッと決まる、ということです。「びんの生(は)へ下がりは、切り揃へたるは古風なり。生(おふ)したてて、びん付にてかき上げたるよし」などと宣伝されて、世を挙げて伽羅の油を歓迎した、とか(2)。

 ところで、この間、行きつけの美容院で先月号の「丈長」の話をしましたら、美容師さんが「私、持ってますよ」と言って、30年前に使っていたという高島田のカツラを見せてくれました!!!
 見事な櫛・笄・簪に角隠しまで揃っていて、見とれてしまいました。香りも残ってますよ、と言われて嗅いでみると、なるほど、かすかにいい香りがします。丁字や白檀や麝香がかぎ分けられる、という訳にはいきませんでしたが、それにしても、油なのに、ちっともいやな臭いがしないのが不思議でした。

 もう来月は来年ですね。いい香りをご紹介できるといいのですが。
どうぞいいお年を。
中原幸子
【参考文献】
(1)半藤一利著『漱石先生ぞな、もし』(文藝春秋、1992年)
(2)久下 司著『国文学上より見たる 詳説 日本化粧文化史の研究』(株式会社 ビューティービジネス、1993年)
(3)山田憲太郎著『香料 日本のにおい』(ものと人間の文化史27、法政大学出版局、1978年)


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