月刊「e船団」 「香りとことば」2014年7月号

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桂女(かつらめ)

 5月号で御香宮をご紹介しましたよね。その御香宮のお札を桂女と呼ばれる女性たちが売り歩いていたのだとか。
 その名に惹かれて、どんな人たちかなあ、と、検索してみれば、何と、まあ、この洗練された装い。


1桂包(かつらつつみ)、2 小袖、3細帯、4手甲(てこう)、
5 脚絆(きゃはん)、6 桶(おけ)、7 藁(わら)の輪(わ)

 この画像、京は下京区、新花屋町通り、西本願寺のちょっと斜め前にある井筒法衣店の5階「風俗博物館」(1)のホームページで出合いました。

桂女は京都の西郊、桂に住み、桂川の鮎や飴を売りに来る女で、頭に長い白布を巻く習慣があった。これを桂包(かつらつつみ)といい、この桂包は先祖の桂女が三韓征伐の時、神功皇后から戴いた腹帯であるという伝説によるが、真疑の程はわからない。これは麻の小袖で絞りと緂で文様が出来ている。 染の細帯をして白の手甲(てこう)、脚絆、頭に鮎や飴を入れた桶をのせている。

と、説明があります。
 これは、是非皆さんにお見せしなくては、と、このサイトの主「風俗博物館」へ、画像の転載をお願いに行きました。
 井筒法衣店の1階で、「風俗博物館」を……、と言うと、お店の女性が気の毒そうに、「今月は展示替えのため休館していますが……」。
 「そうなんですか……。実はホームページの画像を転載させて頂きたくて来たのですが、事務の方にお会いするのも無理でしょうか?」と私。
 「ちょっとお待ちください」と、ご自分で5階に上がり、様子を見て来て下さった。「上へどうぞ」と、またエレベーターに同乗して5階へ案内して下さる。
 無事、担当の方に画像転載の許可願いを受け付けて頂き、数日後にお許しが出た次第。
 ほっとして、ちょうど飾り付けが出来上がったばかりだという次の展示に目を丸くしていると、「新嘗祭です」とおっしゃる。なる程、お庭はみごとな紅葉だ。見とれつつも、見せて欲しいとは言いだしかねているのが見え見えだったらしく、ぐるっとひとまわり、要所要所で説明しながら案内してくださった。いにしえの天皇さまや、十二単の五節の舞姫に、こんな風にお目にかかれるとは! 皆さんも是非どうぞ。

 それはともかく、桂女さんは、本当に、この頭の上の桶に御香宮のお札を入れて配っていたのでしょうか?そもそも、桂女さんと御香宮はどんなご縁があるのでしょうか? 日本大百科全書(ニッポニカ)(2)にはこんな解説が出ています。

桂女(かつらめ)
京都市西郊の大堰川の末流の桂の里(現京都市西京区桂)から、京の町々へ鮎やうるか(鮎の腸)や飴を売り歩いた女たち。頭を白布で巻いた桂包の風俗で、中近世期にはよく知られていた。桂女の家は代々の女子相続で、古く平安・鎌倉時代に神功皇后を祀る京都伏見の御香宮の散所(さんじょ)に身を寄せた。もともと正月と八朔に京の貴人邸に伺候して鮎と飴を献上する風習が、売り歩く姿に変わったもので、ほかに神功皇后に従軍したという伝説をもち、中世には武士の家にも出入りし、戦勝祈願などの巫女の役も行っている。御陣女中とよばれ戦陣にも参加して慰安婦を兼ねたらしい。また、武家の婚礼に、花嫁に付き添う慣習もあり、出産時には安産を祝い、子供の成長を助ける呪力も備えていた、と伝える。[渡邊昭五]


 そうか、こういうことだったのですね。ならば、御香宮のお札を売って歩いても、ちっとも不思議じゃありません、よね?
 上記の解説にもあるように、桂女さんたちが売り歩いたものの中に飴(桂飴)がありますが、その由来が『桂女資料』(3)という本に出ています。

 桂飴の由来〔引札〕
山城国かつらの里にて、飴を製(つく)る濫觴(はじめ)をたづぬるに、かけまくもかしこき人皇十四代にあたらせたまふみかどを仲哀天皇と申し奉る。そのときの妃のみやの神功皇后と申奉るは……

 と、例の神功皇后の新羅遠征説話が述べられたあとに、その遠征後に神功皇后がお産みになった応神天皇を、遠征にも同行したという桂姫(大臣武内宿禰の娘)が「飴で養(ひた)し奉った」と書かれています。これが飴の始まりで、その名称の由来は「天(あめ)の万物を生育するにひとしく、雨の草木をうるほすにおなじければ、その訓義(くんぎ)にて、しかいふなるべし」とのこと。

 さて、その飴ですが、この「桂飴の由来」には「しるあめ」「まるあめ」「みつあめ」「ぢわうせん」と四種類あったようです。

しるあめ
和飴なり。四季の寒暖にしたがひ加減して、風味殊によろし。薬にくわへて、効験ことに甚し。紫琳瀝と銘して詩あり。

深秘神仙不老方  涓然滴瀝自生香
何須天上求元腋  応認人間有玉漿


 という具合。漢文はちんぷんかんですが、何やら神秘な処方に従って作った飴――しるあめ、というのですから水飴でしょうか――は、いい香りがする、ということのようですよね?

 実はこの桂飴、今も古いつくり方を守ってつくられ、売られている、と、『京の和菓子12か月』(4)で読んで、跳びついて買おうとしたのですが、残念至極なことに、昨年末に375年の歴史を閉じたのだとか。食べてみたかったなあ。おいしそうなのに。

 どうやら。麦芽糖を煮詰めたもののようですから、トライしてみるといいかも。
 うまくいって、どんな良い香りがするのか分かりましたら、またご報告しますね。では、また来月。
                                中原幸子

【参考文献】

(1)「風俗博物館」ホームページ(http://www.iz2.or.jp/)
(2)『日本大百科全書(ニッポニカ)』(ジャパンナレッジ〔有料〕、http://www.japanknowledge.com/top/freedisplay)
(3)名取壌之助編『桂女資料』(大岡山書店、1938年)
(4)井上由理子著『京の和菓子12か月』(かもがわ出版、1994年)


月刊「e船団」 「香りとことば」2014年8月号

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幽霊飴(ゆうれいあめ)

 先月お話ししましたように、タッチの差で桂飴を味わい損なった私ですが、何人かの読者の方から、よく似た飴として幽霊飴があるよ、というお便りを頂きました。
 なるほど、先月ご紹介した『京の和菓子12か月』(1)にも、「命のしずく 麦芽糖の飴の物語」の章題のもと、次の4つの飴が紹介されています。

 [八ツ割飴共同組合]―かにが坂飴―〔滋賀・甲賀〕(2)
 [菊水飴本舗]―菊水飴―〔滋賀・伊香〕(3)
 [桂飴本家養老亭]―〔桂〕(4)
 [みなとや幽霊飴子育飴本舗]―幽霊子育飴]―〔東山〕(5)


 どの飴もその起源にまつわる、とてつもない物語が伝わっていて、うーん、全部食べてみたいけどなあ、と思いつつ、取りあえず「幽霊飴」へ。
 売っているのは、京都市東山区松原通大和大路東入のみなとや幽霊子育飴本舗。JR京都駅でタクシーに乗り、ネットで見つけたマップを見せて、ここへお願いします、というと、ええっと、ん?と、難問にぶつかった感じの運転手さん。え?有名なお店かと思ったけど……と、内心不安な私。でも、1分後、ああ、幽霊飴ですか、と、晴れ晴れした声とともに、車は走り出しました。お店の名前は知らないが、幽霊飴なら知ってるよ!

 で、こんなお店でした。筋向かいが、阿弥陀様を吐く空也上人立像で有名な六波羅蜜寺です。

   

 古い看板や、飴の由来が、今もお店の入口に立ち続けています。

 売られている「幽霊飴」は極めて素朴。
 ご覧のような外観、贅をこらすでも、勿体をつけるでもなく、この赤い品名を書いた包装紙の下に、ひっそりと由来を書いた黄色い紙が挟まれているのです。



 包みを解くと、これまたフツーのポリ袋に入っていて、好き勝手に割れた、という感じの飴ちゃんたち。思わず、なんか可愛い容器に入れてあげたい、と、思ってしまいました。それで思い出したのが、右側のお人形の菓子器。これは、ざっと60年前、私が大学に入ったとき、知り合いのお家の奥さんがお祝いに下さったものです。飴が、いかにも赤ちゃんが育ちそうに見えますでしょ?
 値段は、ひと包み、170グラムで500円です。90グラム入り、300円のもあるようですが、私が行ったときは品切れでした。
 で、「由来」には、次のようにあります。

 今は昔、慶長四年京都の江村氏妻を葬りし後、数日を経て 土中に幼児の泣き声あるをもって掘り返し見れば亡くなりし 妻の産みたる児にてありき、然るに其の当時夜な夜な飴を買いに来る婦人ありて幼児掘り出されたる後は、来らざるなりと。
 此の児八才にて僧となり修行怠らず成長の後遂に、高名な僧になる。寛文六年三月十五日六十八歳にて遷化し給う。
 されば此の家に販ける飴を誰いうとなく幽霊子育ての飴と唱え盛んに売り弘め、果ては薬飴とまでいわるゝに至る。洵に教育の上に、衛生の上に此の家の飴ほど良き料は外になしと今に及んで京の名物の名高き品となれりと云う。


 さて、遅くなりました、味と香りです。
 1個、ポンと口に入れると、まず、舌触りがすごくなめらか。とろっとろの感じ。そして、甘さが、まったりという形容がこれほど当てはまる甘さって、他にないのでは?という感じ。
 で、香りですが、これが、なんだか、とても懐かしい感じで、でもそれが何の香りだったかがなかなか思い出せない、じれったい感じがしばらく続いたあと、やっと思い出しました。お砂糖が、あ、もう焦げるー、という寸前の、あの香ばしい感じだったのです。

 この味と香りはどこから来るのでしょうか? 幽霊飴に付いている成分表示には、こんな風に書かれています。

 名称:
 品名:幽霊子育て飴
 原材料名:麦芽水飴 砂糖
 (以下、略)

 この麦芽水飴が幽霊飴のおいしさのヒミツでは?
麦芽水飴の甘味成分は麦芽糖ですが、その甘さは砂糖の3分の1程度なのだそうで、だから、幽霊飴の甘味はこんなにまったりと心地よいのでは?
 もちろん、麦芽水飴には原料の麦芽や麦などにもともと含まれている美味しい成分もそのまま残っているワケで、それも精製した砂糖だけでできているフツーの飴では出せない美味しさのモトでしょうが。
 香りの方は、煮詰められていく間に砂糖が少しずつ焦げて、香ばしくなってゆくのでしょうね。砂糖やデンプンなどが焦げるときに出るニオイについては沢山の研究報告がありますが、それはまた、いずれ、ということに。

 いま、ふと思ったのですが、母乳って、あんまり甘くないですよね?あれは、母乳には乳糖という、砂糖の5分の1程度の甘さしかない糖が入っているからなのですが、母乳の代用品の幽霊飴があんまり甘くないのって、何だか偶然とは思われない……、とは、ちょっと深読みすぎるでしょうか?
 ではまた来月。                       中原幸子

【参考文献】

(1)井上由理子著『京の和菓子12か月』(かもがわ出版、1994年)
(2)[八ツ割飴共同組合]http://tadaima5.yokochou.com/
(3)[菊水飴本舗]http://www.kikusuiame.com/
(4)[桂飴本家養老亭]http://gourmetdb.exblog.jp/18950354
(5)[みなとや幽霊飴子育飴本舗]http://kosodateame.com/


月刊「e船団」 「香りとことば」2014年9月号

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菊水飴(きくすいあめ)

 もう、ほんと、遠かったです。この3つの飴(↓)を買うだけのために、余呉まで。


 左下が目的の「菊水飴」です。
 新快速、というけれど、米原から先は各駅停車。余呉かあ、ほんまに行く気? と自問しながら乗った新快速でしたが、これが、なかなかによかったです。沿線はちょうど近江米が実り始めたところで、青々とした中に穂がすっすっと立ち始めている田もあれば、もうちょっとしたら刈れるのとちがう? という田もあって。その間、間には、安土城跡とか、小谷城跡とかが、いまはただ、こんもりとした森に標識が立っているだけになっているのが見えて、ちょっとしんみりしたり。

 菊水飴の菊水飴本舗は、住所は滋賀県長浜市余呉町坂口ですが、最寄り駅は余呉より1つ京都寄りの木ノ本です。ウチからここまでざっと2時間。さて、木ノ本駅から菊水飴本舗までは「徒歩30分」と、ホームページにあります。え? 30分? これは、ゼッタイ迷う、と思ったのでタクシーに。運転手さんが気さくなヒトで、道々ここは黒田官兵衛のひいおじいさんが生まれたとこで、とか、話してくれる。へええ、ふうん、と、いう間にもう菊水飴本舗。

 「ちょっと待ってて、乗せて帰ってくれはる?」「はいはい!」ということで、お店に入ると、色白・細面にエプロンがけの奥さんが、ものやわらかに相手をして下さる。「この前が北国街道で……」と、うれしそう。菊水飴は旧北国街道の名物だったのです。  商品は上に挙げた3種類だけのようだけど、スゴイ数の盾。


 この写真は、ほんの一部しか撮れていないのですが、びっくりしたことに右上にワタシが写ってる! 手前にしゃがんで撮ってるのになんで?
 それはそれとして、商品を並べたカウンターの片隅には、お味見用の「菊水飴」が置かれていて、早速くるくると巻き付けて下さった。


 とろーり、つるつる。お世辞抜きにおいしい。いつの間にか運転手さんが入ってきて、私たちの会話を熱心に聞いている。「運転手さんにも味見させてあげていただけません?」とお願いすると、にこにこともう一本作って下さった。
 先月ご紹介した「幽霊飴(子育飴)」を、もっとつるりんとさせたような舌ざわりで、甘味ももっとほんわかした感じ。香りは、そうですねえ、質はそっくり、ごく自然な香ばしさなんですが、こっちの方はもっと弱くて、あるかないか、という感じ。
 運転手さん、どうも、初めてみたい。なんで? 官兵衛のことはあんなに詳しいのに。

 他に「つぶあめ」と「梅あめ」があります。
 

 ベージュ色のが「つぶあめ」で、黒いのが「梅あめ」。どちらも1個約5グラム。味は、ですね、つぶあめは、ワタシの好みだと、幽霊飴の方がいいな。ちょっと、固める為に入れる砂糖が、幽霊飴より多いんじゃないかしら。梅あめの方は、梅エキスが入っている、ということで、こちらは文句なし。甘さと酸っぱさのバランスが絶妙です。

   何か書いたモノありませんか?とたずねると、大分コピーを繰り返したらしい切り抜きを一枚下さった。新聞記事とのこと。「皮つき大根おろしと菊水飴 これに勝るものなし」という見出し。筆者は「小太郎」さん。菊水飴本舗の住所が「伊香郡余呉町坂口576」となっていて、伊香郡が長浜市に合併される前、つまり、2010年1月1日より前の記事であることがわかります。
で、菊水飴は風邪にとてもいい、特に、皮つきのままおろした大根おろしといっしょに食べるとよく効く、というわけを、次のように考察しています。

 ところで大根おろしと菊水飴のカップリングをどう考えるかが問題だ。昔から言われているというだけでは僕は信じない。大根はビタミンCが豊富に含まれている。風邪の予防にビタミンCとはよく聞く……。更に大切なことはこのビタミンCは中心部より皮に近いほど多いらしい。風邪のときには特に菊水飴と皮つきで下ろす大根おろしを用意したいものである。

 うーん、考えましたね! たしかに、その通りでしょう。だって、大根のど飴というのもあるのですから。それと、もう1つ、大根おろしに含まれている消化酵素も寄与してるのじゃないでしょうか?
 と、いうのも、菊水飴本舗のホームページ(1)には「菊水飴」という名前のいわれが、こんな風に書かれているのです。
 最初は地名をとって「坂口飴」と呼んでいた、と、あって、その後に、

 菊水飴は、福井藩主 松平光通卿(1636〜1674)が参勤の途路、腹痛を直した功により数々のご褒美を賜りました。
 そして、京都の醍醐寺三宝院門跡第八十三代高賢座主(〜1707)が、この飴の風味をお褒めになり、菊の御紋の暖簾(のれん)と共に、次の和歌を賜りて「菊水飴」と称えよ、と仰せられました。
 つきせしな千代の久寿利に栄えける
 黄金のいろのきくすいあめ

 このような経緯から、明治十八年に菊水の紋章を以て登録商標として登録し、以後、「菊水飴」と称するようになりました。


 へええ、松平光通卿は1636〜1674年?! 芭蕉(1644〜1694年)と同世代。おなかの弱かったらしい芭蕉に、皮つき大根おろし菊水飴、あげたかったなあ。
 それにしても、江戸の俳人は水飴を詠んでるのかしらん。
 と、思って古典ライブラリーの『日本文学web図書館』で検索してみたところ、飴って、詠まれてるのですね! 105件もヒットしました。水飴は3件だけで、しかも発句はナシでしたが、宇陀法師に出ている、この句、まるで菊水飴を詠んだみたいですよね。

 爺が命をつなぐ水飴  鶴老

 一茶は飴が好きだったのか、結構詠んでいて、こんな発句がありました。

 霞む日や夕山かげの飴の笛  一茶

 飴の笛は行商の飴売りが吹く笛だそうで、なんか、胸にじんとくるモノがありますね。

 だんだん、飴って何? って気分になってきました、よね? では、また来月。
                                中原幸子

【参考文献】
(1)[菊水飴本舗]http://www.kikusuiame.com/
(2)和歌&俳諧ライブラリー(『日本文学web図書館』http://kotenlibrary.com/weblibrary/kojin)(有料)

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