月刊「e船団」 「香りとことば」2014年10月号

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薄荷飴はいかが?

 残雪に日がな雨かな薄荷飴  池田澄子

 「俳句」2014年10月号、池田澄子さんの「光の中」50句で出逢いました。私は「逢う」とか「観る」とか、意味深長な漢字を使うのは嫌いですが、この句は、ホント、「出逢った」という感じでした。

 雪と雨とか、そこへ更に飴とか、一見、同居の不可能な言葉たちが喜々として納まっていますよね?
 この言葉たちを、スムーズにつないでいるのは、母音。ローマ字で書いてみますね。

 ZNSETSUNIHIGMEKKKME

 なんと、17音のなかに9個もの「A」。それも8個が中7と下5に塊って(めて?)る。で、それがどうなの、と深く突っ込まれると困るのですが、少なくとも、声に出して読んだときの気持ちよさのモトがここにあることはたしかじゃないでしょうか?
 それに、「いい香り」とか書かれていないのに、薄荷の香りが口だけじゃなく、目の前にひろがりますよね。

 池田さんはどんな薄荷飴かなあ……、でも、わざわざお聞きするのもちょっとなあ、と思って、近所のスーパーへ行ってみました。1種類しかなかったです。コレ↓です。


 袋は縦24センチ、横13.7センチ。飴はハッカの葉っぱの形で、長径31ミリ、短径20ミリ、重さ5グラム。

 私は、実、昔サクマのドロップスを缶ごと貰ったとき、薄荷飴だけ残ってしまうコでした。長いこと食べてないけど、多分、今も嫌いやろなあ……まあ、でも、仕方ないか……、と思って1個、恐る恐る。
 これが、美味しいのですね、とても。薄荷の香りと味、それに甘さも、ほんと、マイルド。なんでやろ、と、成分を見てみて、納得。水飴です、美味しさのヒミツは、きっと。
 成分は、シンプルそのもの。

 砂糖、水飴、ハッカ結晶

 幽霊飴や菊水飴の、あのまったりとした美味しさを、ハッカのシャープな香味と取り合わせるなんて、流石、1973年の全国菓子大博覧会で大臣賞を受けただけのことはありますねえ!
 袋には、その受賞した飴を、販売者の(株)北見ハッカ通商さんがオリジナルのパッケージにした、と、書かれています。この全国菓子大博覧会なるもの、不定期開催みたいで、1973年は鹿児島市の鴨池運動公園というところで開催されています。
 第1回はなんと、1911年、帝国菓子飴大品評会という名称! 飴、堂々としてますね。開催地は東京市、会場が三会堂です。飴が抜けて、全国菓子大博覧会になったのは1935年です。  歴代の受賞のお菓子には、我が故郷和歌山の柚子もなか(1953年)もあります。

 飴? あります、あります。
 1965年の黄精飴(おうせいあめ)、68年岩壁飴、77年牛乳飴、94年ゴールデンバター飴、2002年黒ごまきな粉げんこつ飴。ああ、食べてみたい!
 次回は2017年に津市で開催予定のようです。

 それにしても、薄荷飴って、季語になれるのでしょうか。むろん、〈残雪に……〉の句には、「残雪」という春の季語がちゃんとあって、べつに、薄荷飴が季語でなくてもいい、というより、季語でない方がいい、とは思うけど。でも、ちょっと『角川 俳句大歳時記』(1)を見てみると、薄荷関係の季語が3つ出ていました。薄荷飴はなかったです。よかった!

 薄荷刈・薄荷刈る(夏):例句ナシ。
 薄荷水(夏):何と、肉桂水(にっきすい)の傍題にされてる!
 薄荷の花(秋):こちらは、〈にぎやかに薄荷咲きをり脳死論  石寒太〉なんて、面白い例句もあります。

 あ、そうそう、と思って『四季花ごよみ 秋』(2)を見ると、こちらはこんな風にステキ。

 硬質のきらきらとした美しさを感じさせる、愛しいほどに小さな花
 薄荷の花
 二日月薄荷の花の匂ふなり 小松崎爽青
 乙女らに刈られて薄荷匂ふなり  三嶋隆英
 湯上がりの着替への硬さ花薄荷  児玉輝代

【植物名の由来】漢名の音読み。
【別名・異名】めぐさ、はっかぐさ、めざめぐさ。
【特徴】東アジアの暖帯から寒帯に分布し、日本各地のやや湿った山地に自生する。茎は四角で直立、20〜60センチほどになる。葉は2〜8センチの楕円形、裏に油点がある。茎葉ともに芳香を放ち、薄荷油採取、また香料用や薬用に栽培される。夏から秋にかけ、葉腋に4〜5ミリの薄紫色の唇形花を密に咲かす。
【種類】シソ科ハッカ属の多年草。日本産のハッカはメントールの含有量が世界一とされる。同属の近縁種に欧州産のペパーミントなどがある。
【食用】葉と茎を焼酎に漬けた薄荷酒は、香気の高い健康酒である。


 ええっ! こんな酒があるなんて。皆さん、ご存じでしたか?
 ハッカは歯磨きに欠かせない香料ですから、香料屋のハシクレとして、ちょっとは知っているつもりでしたが……。
それは、ともかく、私が買って来たハッカ飴に入っている「ハッカ結晶」は、この日本産ハッカをキーンと冷やし、結晶させて取り出したモノで、ハッカ脳とも呼ばれます。

実は、飴のこと、せっせと調べたのです。そして、飴の付く季語、意外に沢山見付かったのですが、今月はハッカ飴で終わってしまいました。
朝ドラ「花子とアン」も終わりましたね。
 こ れでやっと、堂々と「『赤毛のアン』は私の腹心の友です」と言えるようになりました。 「それ、子どもの読むモンやないの?」と突っ込まれるのが怖くて、これまでめったな人に打ち明けたりはしませんでしたが、実は、あんまり繰り返し読んだので、最初に買った文庫本は2つに割れてしまって、今2冊目なのです。
 では、また来月。
【参考文献】

(1)(株)角川学芸出版編『角川俳句大歳時記』(夏)(秋)(角川書店、2006年)
(2)講談社編『四季花ごよみ〔秋〕』講談社、1988年)


月刊「e船団」 「香りとことば」2014年11月号

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パー・セント

 「News23」(TBS)、見ておられますか? 夜11時からなので、録画しておいて、それを見ながら朝ごはん、というのが、私の、ほぼ、日課です。
番組の終わりに「今日のランキング」があり、先日、ブックファースト渋谷文化村通り店の文芸書ランキングをやっていました。トップが『1%の力』(1)。
ふーん、と思って、ふと思い出したのが、発明王エジソン(2)の名言。

 Genius is one per cent inspiration
 and ninety-nine per cent perspiration.




 この意味は、「天才は1%のひらめきと99%の汗」、だと思っていましたが、これは誤訳で、真の意味は、「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」だ、という説もあるとか。まあ、ひらめきも汗も、どっちかが欠けたら天才ではあり得ない、のは確か。
 で、その碑がウチから1時間もかからない石清水八幡宮の境内にあるのです。なんで?とビックリしましたが、エジソンが電球を発明したときフィラメントを作るのに使った竹が、八幡の竹(マダケ)だったんですって。

 突如、話は変わりますが、俳句を始めよう、と決めたとき、通勤の電車の中でアーでもない、コーでもない、と考え続けた結果、決めた俳号は「忽香(こっこ)」でした。
 で、これ(↓)、何だと思われますか?

涅槃寂静、阿摩羅、阿頼耶、清浄、虚空、六徳、刹那、弾指、瞬息、須臾、逡巡、模糊、漠、渺、埃、塵、沙、繊、微、忽、糸、毛、厘、分、一 、十 、百 、千 、万、億 、兆 、京、垓、𥝱(秭)、穣 、溝、澗、正、載、極、 恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数

 そう、少数以下24単位、少数以上21単位、合計45単位もある数の単位です。「忽」って、ありますでしょ? 前、つまり小さい方から20個めに。
 「忽」がどれくらい小さい単位かというと、大気汚染や残留農薬なんかで皆さんおなじみのppm、あれが100万分の1で、前から19番目の「微」、「忽」はそのお隣で、10万分の1ということになります。微笑って、そんなかすかな笑みなんですね。なんか、ちょっとうれしい感じ。

 私は香料の仕事をしていましたので、忽香はつまり、小さな、目に見えない程小さな香り屋、というつもりでした。とても気に入っていて、みんな、「いいねえ」と感心してくれると思いこんでいたのですが、これがさっぱりでした。
 「誰も読めないよ」
 「男か女かわかれへんで」
 などと、いきなりパンチを浴びた上に、ほとんどこの名で呼んで貰えず、とうとう句集『遠くの山』(2000年)を出すとき、本名に戻った次第。
 以上、10万分の1が沈没したお話でした。

 でも、香りって、忽どころか、微(ppm)程度の濃度だって結構ニオうんですよね。 ppmというのは、英語のparts per million の略で、正式の日本語でいうと100万分率というのだそうですが、これってどれくらいの濃度かというと、お風呂(普通200リットルくらい)に目薬を4、5滴たらした程度。でも、目薬じゃなく、香水(ミツコ)をたらしてみると、浴室ごといい香りに包まれてしまいました!

 この間、ナカハラさんとこの2階の菓子屋の栗蒸羊羹、おいしいね。もう、何度も買ってしまったよ、という人がいて、ついつい私も買ってしまったんですが、でも、この「おいしい」も、あんこと栗のかすかな香りのハーモニーがあってこそ。うーん、まったりおいしい、この香り! 何ppmかなあ。もしかしたらppb(漠)単位かも。

 

 そうそう、『1%の力』の話をしかけていたのでしたね。
 近所の本屋さんへ行ってみると、平積みされていて、だいぶん減っていました。で、私も1冊。



 帯に「1%は誰かのために生きなさい―小さいけれどとてつもない力―」とあるのを見て、「あれ?『1%の力』と聞いてエジソンの言葉を連想するなんて、とんでもない早とちりだったかな?」と、思ったのですが、でも、大丈夫、これもまさしく1%の力、この本の中にはいろんな1%があふれていて、それぞれに1%の力を発揮していますから。例えば、

 「ホモ・ラブエンス」という項は、

 我々は「愛する」「ラブ」という不思議な行為をする動物だと括ってみると、新しい人生が見えてくる。

 と、始まります。
 どこに1%があるのかって?
 それは読んでのお楽しみ。では、また来月。中原幸子

【参考文献】

(1)鎌田實著『1%の力』(河出書房新社、2014年9月刊)
(2)エジソン(Thomas Alva Edison、1847年2月11日 〜 1931年10月18日)

月刊「e船団」 「香りとことば」2014年12月号

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なるほど。

 ナカハラさん、辞書引いてみたけど、ようわからへんかったよ、と言われて、何のことかと思ったら、先月号(2014年11月)の単位のことでした。
 言われてみれば、ホント、私たちが使っているのって、せいぜい毛からまでの10個くらい。その10個だって、とかとかがわかる人は、かなりのお年かも(失礼!)。

 大きい方も、は新聞やテレビでよく見るけれど、そのすぐ上のはスパコンの愛称で知ってるくらい。ちなみに、ちょっと数字で書いてみると、こんな感じ。

 1毛は 0.001(10のマイナス3乗)
 1京は 100000000000000000(10の17乗)

 でも、単位として使っていなくても、日ごろ、フツーの言葉として使ってるのがありますね。
 清浄、虚空、刹那、須臾、逡巡、模糊、漠、埃、塵………不可思議、なんか。
単位だ、ということがわかってみると、そうだったのか! という感じなのが清浄

 清浄は10のマイナス21乗、0.000000000000000000001。

 ならば、この大きさ(小ささ?)の汚れまでもぬぐい去って、清らかに浄らかにすることだろうな、と思えば、日本国語大辞典には、「仏語。煩悩・私欲・罪悪などがなく、心の清らかなこと」と書いてある。
 なるほど。どうやら、掃除は掃除でも、心の掃除みたい。
面白いのが弾指(だんし:10のマイナス17乗)。「仏語。人さし指か中指の先を親指の腹にあてて音を立てること。敬虔や歓喜、あるいは警告や許可などの意を表わす」とのこと。

 単位って、「そうだったのか!」がいっぱいの世界なのですね。

 先月、「」や「」のことをちょっとだけお話ししましたよね?は公害なんかでよく使われるppmのことです、とか。
 それで、そういえばフェロモンなんかも、結構薄〜い濃度で効くんじゃなかったかな、どうせならキレイなモノがいいな、と思って蝶々のことを調べてみました。
 蝶々といえば、ルナールの博物誌(1)は、こうですね。

ちょう
このふたつ折りのラブレターは、花の所番地(ところばんち)をさがしている。


 なるほど。こんな(↑)感じでしょうかね?(2)
 このチョウは、キナバルタイマという、ボルネオ島北部の山地の固有種とのこと。でも、ふと思ったのですが、二つ折りになっていて、花を探しに行けるかしら?

 そんな折、徳永進さん(お医者さん)が、「図書」12月号に「〈意志〉と〈流動〉」というタイトルで、こんなことを書いておられるのを発見しました。

 生きること、死ぬこと、そこでの宗教の役割りなどを語り合うフォーラムが東京であった。死の現場で他界されていく患者さんを見ているということもあって、司会者から、「ご自身の死は、どのように考えられていますか」と振られた。答えに窮した。土の上を這っているトカゲ、家の壁を伝っているヤモリが同じことを問われ、足を止めキョトンとした顔で「なんでしょうか」と首をかしげている姿になった。「考えてないです、自分の死は」と答えた。

 その後に書いておられることも心にしみるのですが、ここまで読んできてハッとしたのは、私も、私の意志なんか、何の役にも立たんなあ、という場面にちょいちょい出くわすことです。もう、今日はこの本の山を整理するぞ、というような些細な決心でさえ、それはそれは脆いものです。だから、ケタがいくつも違うとは言え、死を知れば知るほど自分の死を考えることはできなくなるのだろうな、というあたりは、いくらか解る気がするのです。
 そのあとで、徳永さんはこう書いています。

 ひっくりかえる意志
法律、裁判用語としての「意志」は、揺るぎもなく堅固なものとして捉えられるのだが、医療に限らず、現場という場所では流動的だったりする。例えがピタッとしないが、意志にはチョウの一生みたいなところがある。サナギになったり、脱皮したり。意志の本質の一つは流動や変容ではないかと思う。


 このあと、「母の意志で、家で延命なしで、やすらかに最期を迎えさせてあげたい」と言っていた子どもたちが、いざそのお母さんが現実に最期を迎えたとき、「お母さん、頑張って」と必死で手押しの人工呼吸をしたことが書かれ、また、死がすべて患者さんの意志の通りに運ばれた例を書き、そして、徳永さんは、こうしめくくります。

 意志のないものによって生じる自然な流動を尊いとも思う。一方、意志が貫かれていくことのすがすがしさ、荘厳さも尊い、と思う。

 なるほどなあ、と深く深くうなずいたのでした。

 ところで、チョウのフェロモンでしたね、話は。
 ここまで来て言うのも恥ずかしいことですが、チョウはあんまりフェロモンを活用していないようです。
 でも、蛾の方はスゴイです。これ(↓)をご覧下さい!(3)



 なんと、ボンビコールというこのフェロモン、分子がたった80個あれば1匹のオスを誘発出来るんですって!
 分子80個、というだけでは、解りにくいですが、空気1L中には分子が100不可思議個もある、と言えば、それがどんなにぽっちりの量か、見当がつきますよね。
 ppmの2倍以上も稀薄な世界。では、また来月。中原幸子

【参考文献】
(1)ルナール著/辻昶訳『博物誌』(岩波文庫、1998年)
(2)「週刊 朝日百科 動物たちの地球」(77号)(朝日新聞社、1992年)
(3)HP・生物化学研究室(東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命科学専攻)(http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/biological-chemistry/index.html)

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