月刊「e船団」 「香りと言葉」2016年1月号

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橙・だいだい

 明けましておめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願いします。

 鏡餅のてっぺんに坐るのは、本当はダイダイというものらしい、と知って驚いたのは、いつ頃のことだったか……。子どもの頃、わが家では、鏡餅のてっぺんは温州蜜柑でした。土間に置かれた有田蜜柑の箱(がっしりした木箱)から、父が美柑(?)を選んでのせていましたっけ。
 それで、私もずっと、スーパーで売っている葉つき蜜柑できたのですが、昨年はふと思いついて、橙も買ってみました。


 がダイダイ、がミカンです。それぞれの直径は、ダイダイが8センチ、ダイダイが9センチ、蜜柑は4センチです。ダイダイを半分に割って、香りを嗅いで。レモンを甘くしたような、爽やかでいい感じ。それから写真を撮って。


 半分だけぎゅっと絞ってポン酢をとり、お醤油を足してポン酢醤油に。夕食のサイコロステーキが、もう、ホント、おいしかったです。

 この、右にちょこんとあるもの、これはダイダイのヘタのようなもので、ちょっと押すとポロッと取れたのですが、ダイダイにはないし、思案投げ首中です。ご存じの方、教えてください。

 それにしても、この種の多さ! もちろん、数えてみました。なんと25個。半個で25だから、単純計算で1個に50個も種が入っていることになります。
 偉い! これでこそ果実だ、と、感動してしまいました。だって、もともと果実って、子孫を残すためにあるんですよね。それを、種なしにして、おいしい、おいしい、楽ちんだ、なんて、人間ってなんてひどい……。おっと、お正月号でしたね。お蜜柑にケチをつけてはいけませんね。ごめんなさい。

 ところで、ダイダイって何?
 なんでダイダイの果汁がポン酢? 奇妙な名前ですよね。
 橙のことは、2011年1月号の「鏡餅」で、「末廣屋喜一郎」という和菓子のお店のホームページの記事をご紹介しているのですが、
 鏡餅の上にのせる「みかん」は、正確に言うと「ダイダイ(橘:たちばな)」と言います。ダイダイ(橘)は、お菓子の神様と言われている「田道間守命(たじまもりのみこと)」が、当時の第11代垂仁天皇のために、不老長寿の薬を求めて中国に渡り、そして持ち帰った不老不死の霊果です。つまり生命再生のサポートをする意味があるのです。

  とあって、この、「〔みかん〕は、正確に言うと〔ダイダイ〈橘:たちばな〉〕と言います」という文が示しているように、ミカンの仲間の名前はとてもややこしいようです。日本国語大辞典の「みかん【蜜柑】」の項の語誌に書かれているように、
 (ミカンは)その種類も近世には次第に多くなり、近世後期には広く栽培されるようになり、蜜柑類の総称としても使われるようになった。
 ということなのでしょうが……。

 また、デジタル大辞泉では、
 だい‐だい 【橙/臭橙/回青橙】
 ミカン科の常緑小高木。葉は楕円形で先がとがり、葉柄に翼がある。初夏、香りのある白い花を開く。実は丸く、冬に熟して黄色になるが、木からは落ちないで翌年の夏に再び青くなる。実が木についたまま年を越すところから「代々」として縁起を祝い、正月の飾りに用いる。果汁を料理に、果皮を漢方で橙皮(とうひ)といい健胃薬に用いる。《季 花=夏 実=冬》
 橙は実を垂れ時計はカチカチと  草田男


と解説されています。「臭橙」については書かれていませんが、「臭」という字が悪臭だけに用いられるようになったのは割合に新しいことなので、ダイダイのにおいが悪いからついた訳ではなく、「香りが強い」ということではないかと思います。

 で、ポン酢という不思議な名前はどこから来たのか?
 これについては、オランダ語の「pons=柑橘類の果汁」が語源だ、という説に落ちついているようです。ポンスという漢字にしてしまった訳ですね。上手いことを考えたものです。
 で、ポン酢というのはなにもダイダイに限らず、スダチでもレモンでも、柑橘類ならなんでもOK、ということに、なりますね。

 あ、歳時記は!
 と思ったら、『角川俳句大歳時記』(1)では、ダイダイは秋の季語。「橙飾る」で新年の季語になる。
 小島健さんがこんな風に解説しています。
 【橙飾る】(上)代々飾る
 正月に橙を注連縄やミカン科の常緑蓬莱にそえ、また鏡餅の上に載せ飾ること。橙は冬季に黄色の実をつけるが、採らずにおくと、翌年の夏また緑に戻るので、「回青橙(かいせいとう)」ともよばれ、縁起物である。また、橙はその音が「代々」に通じ、家が何代も続き繁栄するようにと、飾られる。


 そしてね、蜜柑飾るもレッキとした新年の季語でした。江戸時代に江戸から西南、九州まで広く行われていて、その後全国に広まったとか。まあ、はじめは橙の代用だったかもしれないけれど、我が故郷・和歌山では、きっと気分良く鏡餅の上に坐っていたことでしょう。
 なんだか、わたしもいい気分。では、また来月。(中原幸子)

【参考文献】

(1)角川学芸出版編『角川 俳句大歳時記』(角川書店、2006年)



月刊「e船団」 「香りとことば」2016年2月号

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菜の花

 菜の花のおひたしが大好きです。
 丸い束にされて、蕾がまだ固く、緑濃く、でも、ぽつり、と、ひとつ、ふたつ、黄色い花弁を覗かせていて、ほんと、カワイイ。
 苦い、でも、その程のよさ。
 わたしはポン酢です。

   春の草たちは苦い。花が咲いて、種ができ、それを食べてもらってそこら中に散らばる、それまでは食い荒らされないように、ということのようですが、それをわたしとしたことが、おいしい、おいしいと。
 まあ、でも、食べてしまいたいほど好き、という言葉もあるし。
 「結婚するとき、私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。今考えると、あのとき食べておけばよかった」というアーサー・ゴッドフリーの名言(?)も……。
 ちょっと話がそれますが、これが載っている「恋の名言集」というサイト、オススメです。サン・テグジュペリの「愛する――それはお互いに見つめ合うことではなく、 いっしょに同じ方向を見つめることである」も載ってますよ。

  で、待ちかねた菜の花がスーパーに。香川県産、298円+税。あ、デパートでは年末にもう見かけましたけど。


 そして生花のコーナーにも、早くも菜の花が。でも、まだ仕入れ値も高いのか、菜の花1本に小さいカーネーションと三角アスターを1本ずつ付けて「菜の花セット」として売られていました。1セット284円。


 でも、なんか、ちょっと、どこかヘン……、そうか、葉っぱが違うんですね。すごく縮れてて。着ぶくれた菜の花って感じ。

 で、歳時記をいろいろひっくり返してみたら、『四季花ごよみ』(1)の、「菜の花」の項に【用途】として、
 種子は40パーセント余の油を含み、これをしぼり取ったものが、菜種油、種油と呼ばれる黄褐色の油で、食用油、潤滑油として利用される。昔は、灯火用にも用いられた。しぼりかすは肥料に使われる。また、切り花としても好まれる。切り花で売られているのは、主として「花菜」と呼ばれるチリメンハクサイの系統のものである。

 ホントだ、チリメンだ、とネットで検索してみると、着ぶくれた菜の花がいっぱい!   この歳時記、こんな風に、他の歳時記にない情報があるのと、季語ごとに定義(?)が付いているのが楽しい。
 菜の花は「田園風景を黄色に染め上げ、春の風物詩をつづる花」。
 その次の葱坊主が「畑にくりくりした頭でピンと立つ、どことなくほほえましい姿

   菜の花は縄文時代の遺跡にすでに発見されているのだそうで、古事記に出てくる吉備の菘菜(きびのあおな)や万葉集に出てくる佐野の茎立(さののくくたち)は菜の花だという説があるようですが、いま私たちが食べたり眺めたりしているのと同じかどうかはよくわからないみたいですね。
なにしろ、「植物の世界」(2)とい専門家中の専門家が集まってつくった本にも、
 アブラナ
 菜の花や月は東に日は西に(与謝蕪村)
 菜の花は江戸時代から俳句などにもよまれ、春の風物詩の代表とされている。ふつう「菜の花」「菜種」「油菜」とよばれているのは、アブラナ、カラシ、セイヨウアブラナなどで、いずれもアブラナ属の植物である。この属は30〜40種がユーラシアに広く分布し、いくつかの栽培種が日本委伝わっている。(以下略)


というようなことで、まあ、ええやん、似たようなもんやん、という感じ。
 それより、香りのことを忘れてるよ……、で、ふと気が付きました。長い間香料会社に勤めていましたが、菜の花の香りを作れ、と言われた覚えがまったくありません。
 あわてて、上の写真の食べる菜の花と活ける菜の花を嗅いでみました。
 食べる方はまだ、完全にしまい込んでる、という状態で、葉っぱの緑のにおいもほとんどしません。
 活ける方、つまり、チリメンハクサイ系の方は、ニオイがあります、たしかに。
 でも、どうも、花の香りというイメージではなく、何というか、もわーとして、あんまり気持ちのいい匂いじゃないのですね、残念ながら。
 もしかして、調べた人もいるかも、と思って「香りの本―『花の香り』特集号」(3)をみてみたら、やっぱりいました。そして、「有機スルフィド」という、モノが含まれていた、と報告していました。これ、クサイので有名な化合物なんですよね。まあ、菜の花の場合、ほんのちょっぴりなので、あんまり気にされることもなく、よかったね、というところです。  なんだか、菜の花の弁護にまわってますね。

 では、また来月。(中原幸子)

【参考文献】
(1)荒垣秀雄・飯田龍太・池坊専永・西山松之助監修『四季花ごよみ 春』(講談社、1988年)
(2)「週刊 朝日百科 植物の世界」67号(朝日新聞社、1995年)
(3)『香りの本―「花の香り」特集』(日本香料協会、2006年)


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月刊「e船団」 「香りとことば」2016年3月号

菫(すみれ)

 ニワトコ → リラ → スミレ

 この3つの花に、仰天の関係があることをご存じでしたか?


 さっき知って、もう、びっくり。
 宝塚のシンボルソング(?)、「すみれの花咲く頃」は、1928年、オーストリア・ウィーン生まれの脚本家フリッツ・ロッター(Fritz Rotter、1900〜1984)によって作られたとき、「Wenn der weisse Flieder wieder bluht=白いニワトコの花が再び咲くとき」というタイトルだったそうです。作曲したのはドイツ生まれのフランツ・デーレ (Franz Doelle、1883〜1965)。
 そして、フランスで「Quand Refleuriront Les Lilas Blancs=白いリラの花が再び咲くとき」というシャンソンになりました。

 ちょうどその頃、宝塚歌劇団の創始者小林一三の命をうけ、レビューの本場パリに行った演出家・白井鐵造(1900〜1983)は、本場のレビューに圧倒され、2年間の修行を積んで帰国。1930年、帰国後第1作として『パリゼット』を発表しました。その主題歌として使ったのが、自ら「すみれの花咲く頃」というタイトルで訳詞をつけたこの歌だったのです。  つまり、ドイツで生まれた「白いニワトコの花」は、フランスに渡って「白いリラの花」になり、日本へ来て「すみれの花」になったというわけです。
 スミレがどんな色かは、書かれていませんし、原詩に合わせるなら白いすみれもあるにはありますが、でも、ここは、白いすみれでは、感じがでませんよね。やっぱり紫、すみれ色ですよね。

 想定外の変わり方だ、と思いました、最初は。でも、そうじっくり考えるまでもなく、ほんとうの飜訳って、こういうものなのでは、と思えてきました。
 ウィーンの人たちが、ニワトコが再び咲くのを待ち望み、そして、その蕾を見つけたときの歓び、パリの人たちが、リラが再び咲くのを待ち望み、そして、その蕾を見つけたときの歓び、日本でそれに匹敵する花ってなんだろう?
 そう考えたとき、「それはスミレだ!」と直感し、そう訳した白井って素晴らしい、と思います。
 スミレは梅や桜ほど国民的な存在ではないかも知れないけれど、万葉集にすでに山部赤人の歌が残っています。

  春の野にすみれ採(つ)みにと来(こ)しわれそ
    野をなつかしみ一夜(ひとよ)寝にける

 このすみれがどんなスミレだったのかは分かっていないとのこと。それに、その頃は花を愛でるというのではなく、食べるために摘まれたのではないか、という説もあるようです。

 芭蕉も詠んでますよね。

  山路来て何やらゆかしすみれ草

 このすみれは、どんなスミレだったか、確かめた人がいました。
植物写真家の青山富士夫という人で、芭蕉がこの句を詠んだのと同じ時期に、京都の伏見から大津へ越える山道を歩いてみたそうです。そこで見たものは、予想通りタチツボスミレだった、といいます。(1)
 スミレとタチツボスミレはどう違うのでしょうか。ニッポニカ(2)にとてもよく分かる図が出ていました。これ(↓)です。




 あ、話が前後しましたが、スミレという語、実はややこしいのです。

 例えば、『角川 俳句大歳時記 春』の【菫】を見ると、まずその傍題の多さに驚きます。
 紫花地丁(すみれ)・菫草・花菫・相撲取草・相撲草・一夜草・一葉草ふたば草・壷すみれ・姫すみれ・茜すみれ・岡すみれ・野路すみれ・雛すみれ・藤すみれ・桜すみれ・小すみれ・叡山すみれ・山すみれ・白すみれ・磯すみれ・菫野・菫摘む

 この項の解説を担当しておられるのが、船団の会員・ふけとしこさんなのですが、こんな風に書いておられます。
 スミレ科スミレ属の多年草。日本に約80種、変種まで含めると200種以上もあるとされる。これらを総称して菫というが、植物学上では「スミレ」という特定種のあることも知っておくべきだろう。このスミレは茎がなく、根元から細長い柄と葉を出し、濃紫の花をつけるのが 特徴だが、菫としてみると丸い葉や地上茎をもつもの、白花や黄花を咲かせるものなどもある。俳句に詠む場合はあまりこだわりすぎず、総称としての菫でさしつかえないだろう。(以下略)

 と、いうわけで、あんまりに深入りするのはやめます。

 で、この間、ぽかぽかと気持ちのいい日、もう、すみれの花咲く頃かなあ、と思って、ぶらぶらと近所を歩いてみました。
 ウチから1200歩ほど歩いたところで、最初の出会いがありました。残念ながら、「花と緑の街角づくり推進事業」という団体が作った街角の花壇に咲いていて、純粋な野のスミレではなかったですが。それが左の写真です。どうやらタチツボスミレのような……。香りは、残念ながら、ほとんどありませんでした。


 そこから4000歩ほど歩くと川端康成文学館なのですが、そのすぐ近くの道端に、スミレの葉っぱらしいモノを見つけました。それが右の写真です。ただ、これ、私がスミレだ、と思ってるだけで、果たしてスミレかどうか? でもニッポニカの絵のスミレの葉っぱと似てますよね? 

   そんなこんなで、スミレもまた、ちょっと歯が立たない感じなのですが、なぜ今月、スミレの花咲く頃なのかというと、宝塚の今月の公演、「るろうに剣心」なんですね!
 2015年7月号で「るろうに剣心」の白梅香のことを書いたのを思い出し、宝塚、見に行こうかな、などと思ったりして、スミレの花咲く頃に。では、また来月。(中原幸子)

【参考文献】
(1)「週刊 朝日百科 植物の世界」69号(朝日新聞社、1995年)
(2)「ニッポニカ」(ジャパンナレッジ〔http://japanknowledge.com/〕有料)


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