月刊「e船団」 「香りと言葉」2016年7月号

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猫、かおる

 先月、丁字(クローブ)で染めた紙のことをご紹介しましたよね。

 さて、この香紙切の料紙であるが、これは丁字で染めた香紙を用いる。切名はこれに由来する。もとは冊子本。綴穴の跡を残す断簡が見られるが、これは伝来途次の補修時のものであろう。色は薄茶及び薄黄、さらに白(素紙)も見られる。この丁字染めは装飾の目的に加えて、防虫の効果もあり、平安時代に多く用いられた。

って。これは、『日本名跡叢刊 平安 香紙切麗花集・平安 御藏切小大君集・平安 端白大貳三位集』(1)の島谷弘幸さんの解説でした。

 島谷さんはこの丁字染めが源氏物語や枕草子にどんなふうに出て来るかを、詳しく説明しておられるのですが、読んでいると、どんどん丁字染めというモノを見てみたくなって、とうとう、わが家の台所でやってしまいました。もっとも、紙を染めるのはちょっと無理な気がしたので、シルクのスカーフでやってみたんですけどね。

   材料はスーパーで買ってきたクローブ焼ミョウバン、そして、の3つだけ。方法は私にぴったりのちょっとズボラなのがネットに出てましたので、拝借。



 茶色が丁字(クローブ)、白が媒染剤の焼ミョウバンです。もちろん、平安時代にスーパーで焼ミョウバンを買ってくる、なんてことがあるはずはなく、その頃は椿沢蓋木(サワフタギ)灰の木などの灰が使われていたらしいとか。あまり詳しい資料は残っていないのだそうです。

 で、私がやったことと言えば、まず、

(1)水1.5リットルを入れたステンレスの鍋にスーパーで買ってきたGABANのクローブ、ホール19グラムと、パウダー12グラムを入れて煮立てる。煮立ったら、沸騰するかしないか、というところまで火を弱め、1時間ほど煮続ける。
 なんでホールとパウダーを混ぜて使ったの?とお思いでしょうね。ホールを2瓶買ったつもりが、1本はパウダーだったのです。それも、蓋を開けてから気付くというお粗末で、ま、いっか、と。
 次に、
(2)もう1つの鍋に水2リットルを入れ、お風呂程度まで温め、焼きミョウバンを2グラムいれて、溶かします。半透明のミョウバン液ができます。

 (1)を布巾で沪過し、できた丁字液がこれ(↓)です。



 もう、2DKがすみずみまで香染め、いえ、香責め!?

 それと、もうひとつ大事なのが、きれいな水の入った洗い桶。
 まず、この水に染める布を浸して、絞らずに、水を切った状態で染液に入れてまんべんなくくぐらせ、すっと引き上げて水洗いします。それを今度は媒染液に入れて同じくまんべんなく行き渡らせ、引き上げて、水洗い。
 この工程を、好みの濃さに染まるまで繰り返すのです。
 私は10回やりました。
 1回終わるごとに、色が少しずつ濃くなっていくのがすごくうれしくて、もう、おもちゃをもらった子ども状態。

 さて、最後に、水を何度も取り替えて濯ぎ、シワをつけたりしないように、絞らず、すーっと引き上げて、竿にかけて乾かします。
 さあ、出来ました(↓)。



 ほんのり、香色、なかなかの出来でしょ?
 ステンレスの鍋もかすかな香色に染まり、洗剤ぐらいではビクともしない。ふと、気が付けば私の爪も香色に!

   ただ、ですね、家中クローブの香りがしているというのに、このスカーフ、ほとんど香りがない!んです。
 なんで?
 わからない!
 実験したみたら、よけいに分からなくなる、というのは、まあ、そう珍しいことでもない、か、と、源氏物語に戻りました。

   で、またまたビックリしたのが、

   若菜の巻では、ご存じのように、柏木が、自分が婿になりたかった朱雀院の愛娘・女三の宮、今では光源氏の正室になっている女三の宮を、猫の起こしたアクシデントがもとで垣間見てしまいますよね。それで、一層恋心を募らせるわけですが、この、唐猫(からねこ)と書かれていますが、「いと小さく、をかしげなる」猫が、女三の宮の愛猫だったのですね。逃げてきたその猫を柏木が抱きあげてみると、とても良い香りがしていて、「ああ、これがあの方の移り香なのだろうか」と、思うワケ。

 こんな香りの使い方、って、さすが、紫式部ですよねえ。

 で、猫といえば、「枕草子」に、
    五〇 猫は
 猫は、うへのかぎり黒くて、腹いと白き。


とありますが、その注〔余説〕で上坂信男が、「およそ飼い猫は愛玩用つまり唯美的享楽の対象としてであったこと、『源氏物語』の女三の宮と柏木の場合に知れるところである」と書いています。
 紫式部は世のトレンドを敏感に取り入れていたのですね。では、また来月。中原幸子

【参考文献】

(1)小松茂美監修・島谷弘幸解説『平安 香紙切麗花集 御藏切小大君集他 端白切大貳三位集』(二玄社、1984年)
(2)上坂信男、神作光一他全訳注『枕草子 上』(講談社学術文庫、1999年)



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月刊「e船団」 「香りとことば」2016年 8月号

香染は、香ったか?

  ほんとに、香るのかな、香染って?
 先月、自分で丁子(クローブ)を煮だして染めてみたスカーフ、香りはありませんでした。あんなに部屋中丁子の香りむんむんだったのに……。


 でも、島谷さんは、『平安 香紙切麗花集 御藏切小大君集他 端白切大貳三位集』(1)に、
 (丁子は)当時は大変に高価なもので珍重された。もともと香料である丁子を染料として、衣服・扇・料紙を染めたのである。当然ながら、香染めの料紙も芳香を放つ紙として珍重されたことは、想像にかたくない。

 と書いておられるし。
 やっぱり、私のやり方が悪いのかなあ、もしかして、椿の灰を使わず、スーパーの焼きミョウバンなんか使ったからかしらん。
 と、悩んでいたら、なんと、椿の灰が手に入ったのです。椿の本場伊豆大島から!



 どっさり葉をつけたままの椿の木を、生のまま、または1〜2週間乾燥させて、1トンも燃やして、やっと1.2キロの灰が取れるのだとか。まあ、何という謙虚な包装でしょうか。もう、感動して涙が出そうでした。

 よーし、これでもう一度、と、今度は『自然の色を染める』(2)という本をお手本にトライしました。「丁子で和紙の便箋を染める方法」というのが載っていたのです。



 方法は、媒染剤に椿灰を使う以外は、先月と同じです。椿灰の媒染液は、灰20グラムに熱湯1リットルを加え、よく混ぜて2日放置して、上澄みを10倍に薄めて使いました。 はい、できました。右が染める前、丹青堂の「有墨」という便箋です。



 でもね、やっぱり香らないのです。
 念のため、と思って、媒染せずに水洗・乾燥したのも作ってみたのですが、それも……。

 これは、いけない、まただ、不精ものが……、と反省しつつ、島谷さんが引用している枕草子のくだりを原文に当たってみました。(3)

 「七月ばかり、いみじう暑ければ、よろづの所あけながら夜もあかすに……」と始まる34段は、朝早くに帰って行った恋人から後朝の文が届くシーンで終わりますが、その文が香の紙に書かれているのですね。
 (……)萩の、露ながらおし折りたるにつけてあれど、えさし出でず。香の紙のいみじうしめたるにほひ、いとをかし。あまりはしたなきほどになれば、立ち出でゝ、わがおきつる所もかくやと思ひやらるゝも、をかしかりぬべし。
 現代語訳は、
 7月頃は大変暑いので、あちらもこちらも開けたまま、夜も戸締りせずに朝を迎えるのだが(……)、
 (……)露の置いたまま折った萩の枝に添えて寄越したが、(他の男がいるので、使いの者は)さし出すことができない。香を薫(た)きしめた紙が大変濃く薫るのは、ひどく心惹かれる。あまり明るくなりすぎて具合が悪いころにななったので、男は立ち上がり出ていき、自分が残してきた女の所へもこのよう(に別の男が来ているの)であろうかと、自然と想像しているのも、(男にしてみれば)さぞや興味深いことだろう。


 やっぱり!
 香で染()めた紙じゃなく、香を焚き染()めた紙だったのですね。
 と、ここで、ハッと気づいたのは、島谷さん、「想像にかたくない」って書いてるじゃないですか。ひとさまの想像に乗っかって、そっくりそのまま思い込むなんて。ま、いつものことですが。
 源氏物語など、他の用例もいくつか当たってみましたが、どれも香染は色のことみたいです。

 ところで、この34段、面白いですよね。恋人が朝早くに帰って行ったあと、暑いのでそこらじゅう開け放した部屋でだらしなく寝ている女を、別の朝帰りの男が覗いている。それに女が気付いて、ちょっとした会話がある。
 え? そんなこと、あったの? あの時代に!?
 と、ビックリ。でも、清少納言は、まるで、よくあることよ、と言わんばかり。

 と、いう訳で、香染めは香らなくてもよかった、ようです。
 でも、丁子を煮だしたステンレスのお鍋はかすかにクローブの香りがしていて、いとをかし。

 では、また来月。中原幸子

【参考文献】

(1)小松茂美監修・島谷弘幸解説『平安 香紙切麗花集 御藏切小大君集他 端白切大貳三位集』(二玄社、1984年)
(2)吉岡幸雄・福田伝士監修『自然の色を染める―家庭でできる植物染』(紫紅社、1996年)
(3)上坂信男、神作光一他全訳注『枕草子 上』(講談社学術文庫、1999年)


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月刊「e船団」 「香りとことば」2016年 9月号

「美しい」の向こうには

 リオデジャネイロ・オリンピック、いかがでしたか。
 ロゴマーク、素敵でしたね!!
 もう、毎日、NHK総合のデイリーハイライトを録画して見てしまいました。
 8月11日は第6日目のハイライトで、ゲストが塚原直也と宮澤ミシェルでした。
 ちなみに、キャスターは一橋忠之、大成安代で、これもわたし好み。

 この日は、内村航平が男子体操・個人総合で金メダルを取った日で、そこにハイライトが当たったのですが、そのなかで、オリンピック前の内村航平のコメント、というのが紹介されて、うーん、と唸りました。(以下、テレビで言っているのを私が書きとったので、正確ではありません。ごめんなさい。)
 曰く、

 美しい演技はあたりまえにできるようになってきている。その向こう側が見てみたい。  その向こう側がリオで見られるといいなと思っている。

 体操男子は団体も個人も死闘という感じでしたよね。勝ったことが分かってから見ているのに、ドキドキして。特に個人でのオレグ・ベルニャエフ選手(ウクライナ、22歳)との闘いは熾烈で、しかも、実に美しかった。

 オリンピック2連覇を果たした直後、インタビューに答えて、内村航平はこう言っていました。

 (最後の、鉄棒の演技は)これで負けても悔いはない、という演技だった。(……)何でしょうね……、疲れ切りました。もう、出し切りました。もう、何も出ないというところまで出し切って取れたので、もう、うれしい、より、(と、ここでちょっと考えて)しあわせですね。これだけいい演技で、この一番いい色のメダルが取れたので、ほんとに、いちばん、幸せ者だと思います。

 この、うれしい、としあわせは、私たち見ている側にとってどう違うんでしょうね?
 美しい演技は見るものに感動をもたらす。
 美しいの向こうにある演技は陶酔をもたらす。
 かな。番組のゲスト、アテネ・オリンピックの金メダリスト・塚原直也は、これまでにもいい演技は見てきたが、今回のは鬼気迫るものがあった、と言っていました。

 印象的だったのは、内村選手も塚原さんも幸運に味方された、と言っていたこと。
 幸運に抱かれて、内村航平は、美しいの向こう側を見たのではないでしょうか?
 まだ、それを彼に訊いた、という記事を見ていませんが、そのうち、きっと誰か訊いてくれるでしょう。とても楽しみです。

*   *  *

 ここで、ふと思い出したのが、陳舜臣の「波斯彫檀師」(ペルシャチョウダンシ)という短編です。(1)。
 主人公の名は韓貞。中国名を名乗っていますが、ペルシャ人で、彫檀師、つまり白檀の彫刻家です。時代は8世紀半ば。
 詳しいことは陳舜臣の原作を読んで頂くとして、韓貞は骨身を削って、たましいをつかみ出すように彫刻し、仏像も見事に作ることができました。
 でも、ある日、仏像を作るのは止めてしまうのです。
 なぜか。
 技術では劣らないのに、どこかしら周りの彫檀師の作る仏像に劣っているのに気付いたからです。その原因を彼は、自分が仏教徒でないことにある、と考えました。仏教を信じていないものが彫った仏像は、におってくるものがない、と。彼はゾロアスター教徒でした。

 韓貞は仏像をやめて、からくりを駆使した彫刻に没頭して行きますが、それはまあ、それとして、このにおってくるものというのが、まさに「美しいの向こう側」にあるものではないでしょうか?
 こんなことを言うと、内村航平さんは、きょとん、とするかも、と思いつつも、私は美しいの向こう側にあるのはにおいたつものだ、と思えてなりません。

 「すべてを出し切った」、「これで負けても悔いはない」と言えた内村航平は、その前に「集中し過ぎて何も覚えていない」とも言っていました。きっと、内村航平はリオで美しいの向こう側を見たにちがいない、それを私流にいうと においたつものだ、というのは、明らかに私の我田引水であり、なんの根拠もないたわごとかもしれませんが、まあ、そんなことを感じて、わたしもなんだか幸せでした。

 それはそうと、香りのエッセイを集めた『香』という本が、日本の名随筆シリーズに入っています。(2)。あの「馬を洗はば……」の塚本邦雄の編、と言えば、内容に期待される方も多いでしょう。たとえば、こんな一節があります。

 香ひに神を聞く人こそ上無き感性の人であらう。詩も風味すべきは香ひにある(北原白秋)。

 今月は写真がなくて、ちょっと淋しいので、私が助けたクマゼミ君(あ、メスかも)をご紹介しましょう。



 エアコンの排水受けに飛び込んで瀕死の状態だったのを救いあげて、羽根の水を切ってやり、ビルの通路に置いて、買い物に行って帰ってきたらまだそこにいたので、手に載せてちょっと背中を押してみました。と、急に、あ、飛ばなきゃ、と思いついたみたいに飛んでいきました。

 うーん、内村航平が美しいの向こう側に見たもの、知りたいですね!!
 では、また来月。中原幸子

 9月1日追記:チャスラフスカさん、亡くなったのですね。思えば彼女が体操を美しいものにした人かも。バレエじゃないんだから、とか、批難されたような記憶があります。きっと航平さんをやさしく見守ってくれることでしょう。

【参考文献】

(1)陳舜臣著「波斯彫檀師」(『景徳鎮からの贈り物』、新潮社、1980年)
(2)塚本邦雄編『香』(日本の名随筆48、作品社、1986年)

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