月刊「e船団」 「香りとことば」2017年4月号

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叔母のひみつ(おばのひみつ)

 子規に、

 鯛鮓や一門三十五六人

 という俳句がありますよね。明治25年の作で、「身内の老幼男女打ちつどひて」という前書きがありますから、この鯛鮓は鯛をメインに、にぎやかに飾り付けられた松山寿司でしょう。それを中にして一族郎党35、6人がわいわいと。
 なんか、うかうかしているとひと口も食べられずに終わりそう、という感じ……、そうか、子規はその大騒ぎの楽しさを詠んだのかも。

 ところで、私はいとこが35人います。もっとも中学生の頃に数えたのをうろ覚えに覚えているだけなので、確かなことは言えませんが。確認しようにも、今ではどこに何人いるか、名前もさだかではなく……。でも、まあ、父は9人兄弟、母も4人兄弟だったのはたしかです。
 その、父の一番下の妹、つまり私の叔母は私より15歳しか年上ではなく、私がものごころついたころは女学生でした。通っていたのは野上高等女学校といって、和歌山県北部の野上谷といわれる地区にありました。
 ちなみにこの女学校は、戦後大成高等学校と名を変え、男女共学となり、私の母校ともなりました。出身者で一番有名なのは、多分、映画監督の東陽一さん。私が入学した時は3年生で、お兄さんを通り越して、オジサン(失礼!)って感じでした。文化祭の前など、廊下いっぱいに模造紙を広げて何か書いたりしてましたね。ニコニコしてるのに、貫禄がありました。

 さて、その叔母ですが、当時の女学校は良妻賢母を育てるのがメインの目的でしたから、和服の仕立てはもちろん、洋裁、編み物、日本刺繍にフランス刺繍、言葉遣い、もう百貨店状態。自分のことをあてといってはいけない、わたしといいなさい、とか、そうそう、叔母のことも、オバンはダメ、おばちゃん。でも、他の叔母はオバンで、叔父もオイヤンでOKだったような。
 とにかく働いている母に代わってこまごまと私の面倒を見てくれました。生まれたときにお祝いにもらったという毛糸を、何度も何度もほどいては他の毛糸を足して編み直し、小学校を卒業するころに、まだセーターにして着せてくれてました。編み物を教えてくれたのもこの叔母です。

 我が家は、子どもでも難なく登れる高さの山を背負い、目の前に田んぼ、その下に貴志川、その向こうに小学校、その背中がまた山、という環境でした。いろんなものが採れました。 いちばんよく取りに行ったのはすくど……、すくどってお分かりになりますか? 松の落ち葉のことです。お風呂の追い炊きにもって来いだったのです。よく燃えて、量の調節が簡単で、何より、タダで。裏山は我が家の持ち物ではなかったけれど、すくどをかく(漢字だと「掻く」でしょうか?)のは自由でした。
 『紀州の方言』(1)には、すくどの他に、すくずすくぞ、なども同じ、と出ていますが、すくどの項には特に「燃料用にする松の落葉。スクズ・スクゾに同じ。紀北。」と書かれています。

 採れたものを、ほんの一部ですがご紹介しますと、

 田んぼの畔ではよもぎ(1)。これは祖母がよく摘みに連れて行ってくれました。春にたくさん摘んで、茹でて乾燥させて、お正月の分まで保存します。もちろん、雛祭りの菱餅には摘みたてのよもぎが搗き込まれますから、色鮮やかな緑の菱餅になりますが、秋まつりのころやお正月のよもぎ餅はくすんだ色でしたね。冷凍なんて、言葉も知らない時代でした。ツクシもいっぱい出てましたが、我が家にはツクシを食べる習慣はありませんでした。

 私は三つ葉)の係でした。
 「さちこ、みつば」と祖母から言いつかると、それは巻き寿司を作ってくれる合図でした。毎年同じところに行くと去年と同じくらいに成長した三つ葉が待っていました。
 ところが、わらび)とぜんまい)は不思議でした。 いつも、私が知らない間に灰といっしょに茹でられて、井戸端で水に浸けられていたのです。採ってきたのは祖母に決まってますが、採りに行こうと誘ってくれたことがなかった。 ついでながら、ぜんまいには食べられる栄養葉4のB)と食べられない胞子葉4のA)があります。

 叔母も不思議だった。毎年おいしいキイチゴ)を裏の山から持って帰るのだが、一緒に採りに行こうと誘ってもらったことがない。
 そのキイチゴは黄色だったので、私は黄苺だと思い込んでいたが、大人になってから調べてみると正しくは木苺のようで、それも赤いのが主流らしい。でも、黄色いのもちゃんとあり、黄苺という表記も間違いというわけではないみたい。とにかく、実だけしか知らないので、正確な植物名はナゾですが、「植物の世界」(2)を見てみると、どうやらモミジイチゴだと思われる。写真の()をよく見て頂くと、葉っぱがモミジそっくりなのが分かっていただけるかと。あ、名前はモミジイチゴだけど、カエデ科ではなく、バラ科です。

 そういえば、母もどこからかおいしい、細めの蕗()を採って来て、丹念にきゃらぶきを作っていたし、祖父はどこからか、セコガニをわんさと持って帰った。もんどりという竹でできた円筒形の罠のようなモノを持って出かけた。もんどりも『紀州の方言』に出ているレッキとした紀州弁。「鰻などを捕えるために竹で編んだ漁具。うぐい。筌うけ。紀北。紀南。」

 今にして思えば、みんな秘密の巣を持っていたのでしょうね。孫にも娘にも姪にも内緒の基地を。
 あ、叔母にはもう一つ秘密がありました。こちらはバレて祖母から大目玉を食ったらしい。
 祖母が、いざというときのために蔵にしまい込んでいた黒砂糖の壷を見つけて、少しずつ持ち出しては食べ、とうとう空にしてしてしまったのだ。
 叔母は熱々のご飯に黒砂糖を載せて、とろーと融けたところを食べるのが大好きだった、とは、もう時効という頃に私が知った真実である。聞くだにおぞましい味のような気がするが。

 というようなのが、我が家の秘密基地のかずかずです。ではまた来月。(中原幸子)
【参考文献】

(1)神坂次郎著『紀州の方言』(有馬書店、1970年)
(2)鳴橋直弘「週刊朝日百科 植物の世界 54」(朝日新聞社、1995年)



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