ねんてんの今日の一句 バックナンバー

2010年1月20日
鳥追に蹤いてしんじつ雪の闇
榎本好宏

 昨日に続いて句集『奥会津珊々』(奥会津書房)から引いた。珊々はきらきらと美しくかがやくさま。つまり、奥会津を讃えた表題だ。
 作者は奥会津にほれ込み、その土地の風景や祭事、人情などを詠んでいる。ただ、掲出した句もそうだが、句の光景はやや古く郷愁的という感じ「辛夷山から下りてきて耕しぬ」「さもなくば独活の花見て帰られよ」などは、一種ユートピアともいうべき時空をとらえた秀句だが、でも、過去に向いている気がする。このあたりのことをこの作者と語り合ってみたい。好宏には『季語語源成り立ち辞典』などの季語にかかわる著書があるが、郷愁的であるときの季語はつまらない。

2010年1月19日
祝獅子に冬帽脱いで噛まれけり
榎本好宏

 祝獅子は正月の獅子舞い。人の頭を噛んで祝ってくれるのが普通だから、この句はごく普通の句。強いていえば、「冬帽脱いで」が見どころか。帽子を脱いだ時、どんな頭が出てきたのか、その想像が楽しめる。
 この句、句集『奥会津珊々』(奥会津書房)から引いた。作者は奥会津にほれ込み、10年にわたって通い続けた。そして、その地に住みたいとまで思うようになる。そのような作者の、奥会津にかかわる作品が集められたのがこの句集。ある特定の土地への度を越した思い入れを面白いと思う。俳句的な発想を豊かにする一つの有効な手立てではないだろうか。

2010年1月18日
木の卓に珈琲一つ冬の昼
皆吉司

 「船団」81号から引いた。1962年生まれのこの俳人は、俳句はオブジェである、と主張してきた。それは画家でもあるこの人の明快な主張だが、俳句は確かにオブジェ的である。最近の私は「言葉の風景画」という言い方で俳句の特色を説明することが多いが、それはオブジェ的ということとさほど変わらない。掲出の句は木の卓に置かれた珈琲がまさに風景画。この画の背景は「冬の昼」だ。「木の卓」に暖かい感じがある。
 写真は冬の金閣寺。つい先日、吟行と称して学生といっしょに見に行った。よく晴れた日だったせいか金色が俗っぽいくらいに光っていた。

2010年1月17日
雪の夜のさらさらこぼれ映写室
米田千佐子

 たとえば小さな映画館の映写室、そこに勤める雪の夜の映写技師はこの句のような感覚になるかもしれない、と思った。こぼれた夜がスクリーンににじみ出て、雪の夜の映画はいつもとは微妙に違うのかも。この句、「船団」81号から引いた。「梅二輪デートはそんなかんじです」も千佐子。「かんじ」とひながなで表記したところが微妙。
 1月12日の「読売新聞」夕刊に「坪内稔典さんと行く学生句会」という記事が出た。「20代10代の風景」がテーマの記事だが、浪川知子記者といっしょに米田千佐子、山本皓平などの学生句会に参加したのである。「自分より相手を中心に考えることが、社会を少しだけ風通しよくする。それを自然に行える人々が登場し始めたのではないか。」これがこの記事の結びである。

2010年1月16日
明るくて雪来るといふ青空は
加藤かな文

 文字通りに明るい句だ。雪の白と空の青の対照が鮮やか。俳句という短い表現ではこのような対照がことに効果を発揮する。「青空のほんの少しを芽吹くなり」も同じ作者の同じような技法の句。青空とわずかな芽吹きが対照になっている。
 句集『家』(ふらんす堂)から引いたが、この作者は1961年生まれ。俳句雑誌「家」に拠って活動している。「棒なんぞあつて焚火を好きにする」「薄氷をつまめば少しだけの水」などといういわば小事へのこだわりもこの人らしさであろうか。俳句とはどんな詩かという追及の中でその「この人らしさ」を磨いて欲しい、と思った。

2010年1月15日
窓の雪女体にて湯をあふれしむ
桂信子

 兜太編『現代の俳人101』(新書館)から引いた。元旦に箕面市の勝尾寺に行ったので、そこにあるはずの信子の句碑を探した。「ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜」の句碑がその境内に建った際、私も除幕式に出たのだった。その句碑のあったあたりは整備され、すっかり様相を変えており、句碑も見当たらなかった。信子の句碑はどこに行ったのだろう。  それはともかく、女体の句も蛍の句もとても大胆に肉体を露出している。すでに何度も言ってきたが、桂信子は肉体派俳人として俳句史の最前線に立ったのだった。その信子の大胆さに私は共感する。大胆さは俳句の表現のとても重要な要素だ。

2010年1月14日
新雪に魚影のごとく映りゆく
今井聖

 昨日、加藤楸邨門の須川洋子を話題にしたが、この今井聖も楸邨門である。今日の句は金子兜太編『現代の俳人101』(新書館)から引いた。あっ、兜太も楸邨門の俳人である。
 聖の句は「魚影のごとく」というたとえが新鮮。雪の壁に人の影が映り、それが魚影のように見えるのだろうが、影の主が自分のその影に驚いている感じ。雪の持つ幻想性を実に映像的に表現した秀句であろう。
 ついでだが、兜太編の『現代の俳人101』は昭和・平成に活躍した俳人を幅広く取り上げ、代表句を示して数句を鑑賞している。手元に置くととても便利。私は先日、大学の講義のテキストとして使った。

2010年1月13日
人参スッと抜けし関東ローム層
須川洋子

 黒い関東の土と赤い人参の対照が鮮やか。「スッと」に関東ローム層で育った人参の存在感がある、と言ってよいだろう。この句、句集『水菓子』(角川書店)から引いた。この句に前後して「冬の舗道持つケータイの位牌めき」「しやぼん玉となれずぽたりと石鹸水」などがあるが、このケータイや石鹸水も存在感がよく感じられるだろう。作者は1938年東京生まれ。加藤楸邨に学び、今は俳句雑誌「芙蓉」を主宰している。この句集は第3句集だという。

2010年1月12日
気まぐれや冬のバナナと赤ワイン

星野麥丘人

 この句、まさに気まぐれな冬の日の一光景である。雑誌「俳句」1月号から引いた。
 私は麥丘人、金子兜太、後藤比奈夫を格別に面白い俳人として注目してきた。最近はこの三人に深見けん二を加え「モーロク4人組」と呼んでいる。俳句の醍醐味をこの4人がもっともよく発揮しているのだ。「身辺繁多身辺繁多初春来」(比奈夫)。「それなりに片づく書斎お元日」(けん二)。これらも雑誌「俳句」の1月号に出ている句だが、ほとんどどうでもいいことが詠まれている。しかも、これらの句はどこに詩があるのかと思わせる。その過激さがモーロクである。いいなあ、モーロク4人組!?


2010年1月11日
河馬の坪稔尿瓶のわれやお正月

金子兜太

 角川学芸出版の「俳句」1月号から。「「坪稔は坪内稔典の略」と注記がある。坪稔でなく稔典(ねんてん)でいいのに、と思うが、氏はいつも坪稔と呼ばれる。その略し方というか捻り方を楽しんでおられるのであろう。それはともかく、「尿瓶頌」7句の中にこの句があるが、河馬と尿瓶が、あるいは兜太と坪稔が同列に並んでいるのがうれしい。「去年今年生きもの我や尿瓶愛す」「小学生尿瓶透かして枯山見る」なども兜太。尿瓶とともに生きているこの兜太流アニミズムは楽しい。
 写真は赤穂市坂越の海。


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